日本100名城スタンプラリー68
日本100名城 七尾城(34番)
城郭の使用目的は時代とともに変化します.江戸時代には主として大名の居住地や政庁として利用されたため,平野部などの交通の利便性の良い場所に建てられました(平城).
それに対して戦国時代には城は軍事施設であり,外敵から領国を守る砦として築かれました.したがって当時の城は断崖などの要害の地に作られることが多かったのです.特に山頂や尾根筋は,適当な水源が確保されれば,守るに易く攻めるに難い場所として好んで城が築かれました(山城).こうした山城は全国に数多くありますが,俗に五大山城などと呼ばれるものがあって表題の七尾城はそのひとつに数えられています(あとの4つは月山富田城,観音寺城,小谷城,春日山城).
七尾城は石川県の能登地方の中心七尾市の郊外にあります.標高約300メートルの城山とその周辺の尾根筋に各郭が連なる城郭です.
七尾城を築いたのは室町時代にこの地の守護だった畠山氏で,その築城は15世紀前半のことと言われています.当初は簡単な砦のみで館などは山麓に置かれていたようですが,応仁の乱とその後の戦乱から徐々に拡充が行われ,戦国時代後半には政庁を含めてこの地に入り一大城塞都市となったのです.
天正五年(1577年),上洛を狙っていた上杉謙信によって七尾城は包囲されましたが,さすがに要害のこの城は戦上手の謙信を持ってしても簡単には落ちず,結局城内の内紛による自滅から同年9月に開城となったのです.
その後は上杉氏,次いで織田信長の勢力下にありましたが,天正十年(1582年)に城主の前田利家が居城を交通の便の良い平野部の小丸山城に移したためその存在意義を失い,やがて廃城になってしまいました.
(左写真4) 本丸に建つ石碑,(右同5) 二の丸の様子
しかし,一乗谷城と同様にその後の主要市街地から外れたことによって,当時の遺構が良く遺る城郭となっています.当時の建物などは残るはずもありませんが,郭や石垣,土塁などがよく保存されています.特に本丸に残る五段の石垣は見事です.
七尾城へのアクセス: JR七尾駅から市内循環バス「まりん号」(東まわり)にて11分バス停「古屋敷町」下車すぐに資料館がありそこから徒歩40分で本丸です(まりん号時刻表).
スタンプの設置場所 山麓にある七尾城史資料館にあります
登城のハード指数(★★★ かなりハードです) 登山道はよく整備されていますが30分以上の登山となり健脚向きです(ただし車の場合は本丸近くに駐車場があるのでそれほどでは歩く必要はありません.ですがこの城郭の雰囲気を堪能するためにも資料館から歩くことをお勧めします).
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コメント
ビザ皇帝さま、おはようございます。
七尾城レポート拝見しました。特にバスの時刻表へのリンクが感謝です。
公共交通機関派としては貴重な情報です。
しかし・・・七尾遠いですねえ。
投稿: Seiryu | 2009年12月31日 (木) 02:22
<Seiryuさん>
こんばんは,今年もあと2時間を切りましたね.
この七尾城は麓から登山道を登っていくとほとんど人に会わなかったんですが,本丸近くになったら急に人が増えて…
変だなと思ったら,近くに駐車場があってここまで車で来られることが分かりました.
しかし,途中の遺跡や道も風情があるのでぜひ登ってほしいです.
バスは1時間に1本なので大体3~4時間の見学時間でしょうか.
投稿: ビザ皇帝 | 2009年12月31日 (木) 14:20