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2009年11月30日 (月)

日本100名城スタンプラリー66

日本100名城 一乗谷城(37番)

 今の福井県に当たる越前の国は,畿内から近いこともあって古来重要な土地とされていました.とりわけ幕府が京都にあった室町時代には,足利将軍家の一族で,三管領の一つである斯波氏が代々守護職を務めています.

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(左写真1) 城下町の北の入り口の城戸跡,(右同2) 背後の山に山城が形成されていました.

 しかし京都を焼け野が原にした応仁の乱(1467~1477)では,斯波氏内部の権力争いも激化,その中で斯波氏の重臣だった朝倉孝景が勢力を伸ばして(将軍足利義政や細川勝元の後援があったといわれる),ついには越前の支配権を奪ったのです.

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(左写真3) 発掘された朝倉屋敷跡,(右同4) 復元された街並み

 この朝倉氏の本拠となったのが一乗谷城です.今の福井市街の南東,足羽川の支流の一乗谷川流域に城下町が,周囲の山々に砦などの軍事施設が造られていました.特に城下町には武家屋敷や寺院,町屋などが立ち並び,当時荒廃の極みにあった京都から多くの公家や僧侶,学者,文人などが避難しており,西の山口とならんで,京文化が花開いた街でした.

Hokuriku_135Hokuriku_134_2(左写真5) 後に再建された唐門,(右同6) 城下町を流れる一乗谷川 

 このように戦国時代に5代100年の栄華を誇った一乗谷城でしたが,織田信長が台頭するとその圧迫を受けるようになり,元亀元年(1570年)6月に姉川の合戦で敗北,3年後の天正元年(1573年)8月についに織田信長によって滅ぼされたのです.この時信長は一乗谷に火をかけ,朝倉氏の栄華の跡は灰燼と帰したのでした.

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(左写真7) 本丸にあたる千畳敷,(右同8) 大きな堀切が残っています

 朝倉氏滅亡後,この地に入った柴田勝家は北の庄を本拠としたため,一乗谷は歴史の闇の中に眠ることになりました.しかしそれが幸いしてそのまま保存されることとなり,昭和42年から進められた発掘で昔のままの城下町の遺跡が発見されるにいたったのです.

Hokuriku_106 (写真9) 山城から見た下界の様子

 現在は一乗谷朝倉氏遺跡として,かつての城下町等が再現されています.

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 一乗谷城へのアクセス: JR一乗谷駅から徒歩25分で城下町です(レンタサイクルもあるようです).山城へはさらに30分以上の登りになります(自動車利用なら,遺跡の反対側にある駐車スペースに車を置いて歩くと比較的楽です.詳細は朝倉氏遺跡資料館で確認して下さい).

スタンプの設置場所 城下町の北にある一乗谷朝倉氏遺跡資料館にあります

登城のハード指数(★★★ かなりハードです) 城下町だけなら★ひとつですが,山城を見学するにはかなりの気合が必要です.

37ichijodanijo 登城日 2009年4月18日

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2009年11月29日 (日)

最北のマック

 ニュースによると,北海道最北端の稚内市にマックが開業したんだそうです.

 ハンバーガー「最北のマック」稚内にオープン、記念碑も

 ハンバーガーチェーン大手のマクドナルドが最北の街稚内市に進出ということで,話題になっているようです.場所は稚内市街地の南で,国道40号線沿いのようです.最寄り駅は稚内駅ではなく,その一つ手前の南稚内駅になります.ちなみにこれまでの最北は稚内より150キロも南の名寄市だったそうです(管理人の生誕地 ここは自衛隊の駐屯地や大学があり,マックを利用しそうな若い世代が多い街でもあります).

 ただ稚内には元々モスバーガーはあって(モスバーガー稚内店),稚内在住のブロガーの中には,「マックができたのは嬉しいが,そのあおりでモスがつぶれてしまっては困る」という声(ヲタキッシュ(日本最北のヲタク))もあるようです(モスは今回できたマックより南側にあるため,必然的にマックが日本最北のハンバーガーショップになったわけです).

 ちなみに私は稚内には何度か行ったことがありますが,最後に行ってからかれこれ10年になります.これを機会に行って見たいなと思ったのでした.

Wakka2 (写真) 宗谷岬

(追記) ちなみに世界最北のマックはどこにあるのか知りませんが,世界最北のバーガーキングはノルウェーのトロムソにありました.北緯70度北極圏の街です.

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2009年11月27日 (金)

これはなんだ?

 ここのところ,気温も上がり過ごしやすい日々となっています.

 お昼にちょっと外に出たんですが,そこには屋根が影を作っていました.じっと見ていると,なんか見たことある模様だな…

Kamakiri_001  そう,新選組のダンダラ羽織に似ているじゃないですか(笑).というわけで,なんだか得をしたような気分になったのでした.

 その後少し歩いていたんですが,アスファルトの上に何やら緑色をしたものが歩いています.何だろうと思ってよく見ると…

Kamakiri_002  カマキリでした.ちょっと首をかしげるような仕草が面白いと思いました.

 カマキリは一般に害虫といわれる虫を食べてくれる存在なので,自分が子供の頃読んでいた図鑑なんかには

 「カマキリは益虫(よい虫)なので殺してはいけません」と書かれていました.

 害虫益虫という表現は人間の勝手な都合によってつけられた呼び名ですから,近年ではハエやゴキブリなど公衆衛生上問題のある動物を衛生動物と呼んでいます.

Kamakiri_006

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2009年11月26日 (木)

一番好きなカップ麺

ブログネタ: あなたの一番好きな、カップ麺は何?参加数

 というわけで,本日はココログのブログネタ(コネタマ)に参加することにします.テーマは「一番好きなカップ麺」です.

 袋入り即席麺は比較的定番品が長い寿命を保っている(明星チャルメラ,日清出前一丁,サッポロ一番みそラーメンetc.)のに対して,カップ麺の方はそれこそ雨後のタケノコのように日々新商品が登場しては消えています.特にコンビニなんかでは,有名なラーメン屋さんとタイアップしての御当店ラーメンを売りだしたりしています(○△軒店主監修,なんてのがそれです).

 そんな数あるカップ麺の中で何が好きかと言われると結構悩みます.

定番品だと日清カップヌードル,同じく日清のきつねどん兵衛ぺヤングソース焼きそば,エースコックの大吉カップスターのみそ味マルちゃんワンタン麺激めんなんかに惹かれます.

 また思い出としては,日清のチリトマトヌードルはちょうど自分が高校生時代に発売された商品で,当時仲間と部室でよく食べていたため,あれを見ると高校時代を思い出すカップ麺です.今はあるかわかりませんが,明星のどんぶりくんコーンラーメンは,ノンフライめん使用の端緒的カップ麺ですが,そのあっさりした塩味とかやくのわかめ&コーンが,子供時代はあっさりしすぎてなじめませんでしたが,大人になると味わい深くていいなと思いました.その他,わかめスープ付き(それ以前は中華スープ)だった焼きそばバゴォーン,1分でできることを売りにしたクイックワンエースワン,「自分でバンバンしなさい」というフレーズのコマーシャルがよかった焼きそばバンバン,片脚に包帯を巻いて松葉杖をついた男性がカップ麺をすすってひっくり返るアニメが面白かったカップリーナなどがあります.

 一方今はやりの御当店ラーメンは好き嫌いが分かれるんですが,私としては北海道の十勝新津製麺がサンクスとタイアップして出したかにラーメンがあっさり塩味で好みです(こってり系ラーメンは嫌いじゃないですが,カップ麺だと早くに冷えてしまい最後の方悲惨になるので,こってりはラーメン屋さんで食べたいです).

 そんなわけで,何が一番か悩みますが,あえて結論を出せば,ズバリ

 日清シーフードヌードル

 をイチ押しにしたいと思います.理由はどんな環境・体調でも食べられるからです.その他のカップめんは,今はちょっと… というシチュエーションがあるんですが,このシーフードヌードルは,どんな場面でも食べておいしいような気がします.そういえばエールフランスの成田-パリ便にこのシーフードヌードルを置いているのは,案外そういう理由かもしれません.

Kappu_015 (写真) これが私が一番好きなカップ麺です. 

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2009年11月25日 (水)

第4回境港妖怪検定中級の問題

 今年の境港妖怪検定の合格発表がネット上でありました.今年中級を受験した私の結果はというと… ハハハハ,でした.来年また頑張ります

 で,今年の試験の反省をしたいと思います.

 とはいっても問題用紙の持ちかえりは固く禁止されていました.また机の上には受験票と筆記用具の他置くことは許されず,受験票の余白に問題をメモるなんて行為も一発で挙動不審と思われ,最悪失格になる恐れがありました.

 そんなわけで,会場で必死になって問題を頭の中に叩きこんできました(その労力を試験勉強に活かせばもっとい点数が取れるのにというツッコミは無しで 笑).とはいえうろ覚えなので間違いもあるかもしれません.また選択式の問題では,選択肢までは暗記できませんでした.ちなみに問題は境港と調布の問題以外はすべて日本妖怪大全からの出題でした.

問題1 馬魔についての文章 「~玉虫色の小さな馬に乗り、( )がひらひらと下りて来て馬に組みつく。~」(日本妖怪大全 p.166より)

 1.馬魔の読み方を記せ(記述) 

 正解 ぎば

 2.( )に入るものは(三択) 

 正解 緋の衣を着た魔女

 3.馬魔に襲われないための対策は(選択)

 正解 すぐに刀を抜いて馬の行く手を切り払う,馬を南向きにつながない,馬の耳を切る

問題2 山中で狩人の獲物を奪ったり,紙緒の草履をはいていたりするとそれを奪うのが(  )上﨟だ(日本妖怪大全 p.135より)

 1.(  )に入る言葉は(記述)

 正解 片脚

 2.この妖怪の出身地(三択)

 正解 愛知県南設楽郡鳳来町

問題3 「婆娑婆娑」について (日本妖怪大全 p.374より)

 1.この妖怪の正式名(記述)

 正解 波山

 2.この妖怪の別名(選択)

 正解 犬鳳凰

問題4 小右衛門火について 「昔、( a )のある堤に、一団の陰火が現れた。( b )などにはいっそうよく出たという怪火であるが、大きさは( c )ほどで地上( d )ばかりの高さを飛ぶ。これが墓地から墓地までの、( e )ばかりの距離を飛ぶのである」 (日本妖怪大全 p.201より)

 1.( a )~( e )に入る言葉は(選択)

 正解 a. 奈良県下,b. 雨のそぼふる晩,c. 提灯,d. 三尺(約90センチ),e. 四十町(約4.36キロ)

 2.小右衛門火の名前の由来(選択)

 正解 この火を目撃した男の名前から

問題5 「山小屋に住む樵や狩人などが、しばしば( a )に出会ったという。( a )にとっては( b )は欠かせないものであるらしく~ ~山の生活者にとって( b )は貴重なものであるが、恐ろしいので与えると、喜んで帰っていく。そして翌日には戸口のところに( c )をおいていったりする」 (日本妖怪大全 p.216より)

 1.( a )に入る妖怪名(記述)

 正解 山精

 2.( b )に入る言葉(記述)

 正解 塩

 3.( c )に入る語句(選択)

 正解 沢蟹や山鳥などの獲物

問題6 「この妖怪、いや、神様は島根県では「トンバイ」、広島県では「トウビョウ」と呼ばれる一種の( a )である」 (日本妖怪大全 p.319より)

 1.この妖怪の名前(記述)

 正解 道通さま

 2.( a )に入る言葉(選択)

 正解 蛇

問題7 「ヌレオナゴ,または笑い女子ともいい,ざんばら髪の先に鈎針のような鉤がついていて、これで男を引っ掛けてつれていってしまう」 (日本妖怪大全 p.380より)

 1.この妖怪の名前(記述)

 正解 針女

 2.この妖怪の出身地(選択)

 正解 愛媛県宇和島地方

問題8 魃(ヒデリガミ)について (日本妖怪大全 p.386より)

 1.別名をなんというか(記述)

 正解 旱母

 2.住んでいる場所はどんなところか(選択)

 正解 けわしい深山

 3.この妖怪の特徴は(選択)

 正解 手が一本,足も一本

問題9 「やんぼし」について (日本妖怪大全 p.455より)

 1.どこに出現するのか(選択)

 正解 坊主が首をくくったところ

問題10 「川獺に似て、背筋から尾の間をのぞき全身に毛が少ない。人に出会うと頭を低く下げて恥らうような様子をする.野に出て( a )を見つけて、それを( b )する.すると必ず( c ). (日本妖怪大全 p.413より)

 1.この妖怪の名前は(記述)

 正解 風狸

 2.( a ),( b ),( c )に入る語句は(選択)

 正解 a. 奇妙な草,b. 枝に止まっている鳥に投げる,c. 鳥が落ちる

問題11 山男,山童,山爺について (日本妖怪大全 p.473, 450, 468より)

 1.山男の特徴(選択)

 正解 遠州秋葉の山奥にいる,酒好き,相州箱根にもいる

 2.山童の特徴(選択)

 正解 河童が秋に山に入ってなる,はったいが好物,山仕事を手伝ってくれる

 3.山爺の特徴(選択)

 正解 土佐郡本川郷にすんでいた,目ひとつ足ひとつ,歯が強く猿の頭をバリバリ齧る

問題12 「ものすごく長い鰻のようなもので,西海に多く出るものとされる」 (日本妖怪大全 p.38より)

 1.この妖怪の名前は(記述)

 正解 あやかし

 2.何で供養するか(選択)

 正解 塩と水

 3.どうすれば退散するか(選択)

 正解 灰をまく

問題13 妖怪の絵を見て,名前と特徴を答えさせる(名前は記述,特徴は選択)

 1.(日本妖怪大全 p.76の絵)

 正解 (名前)海女房,(特徴)島根半島平田市に出現,手足に水かきあり

 2.(日本妖怪大全 p.305の絵)

 正解 (名前)てっち,(特徴)八丈島に住む,人間の子供を養育したこともある

 3.(日本妖怪大全 p.149の絵)

 正解 (名前)ガラッパ,(特徴)トカラ列島に住む,口から涎を流す

問題14 次の問いに答えよ

 1.テルテル坊主の元祖的妖怪は(記述) (日本妖怪大全 p.390より)

 正解 日和坊

 2.小雨坊が欲しがるものは(記述) (日本妖怪大全 p.199より)

 正解 粟

問題15 「沖縄の妖怪で,普段は川底にいるが,川に遊びに来た子があやまってその妖怪の手を踏むと、手に仕返しの火をつけられ、足を踏むと足にやけどをさせられる」 (日本妖怪大全 p.417より)

 1.この妖怪の名前は(記述)

 正解 ブナガヤ火

問題16 ”なまはげ”について問いに答えよ (日本妖怪大全 p.326より)

 1.なまはげが着ている蓑の名前は(記述)

 正解 ケラミー

 2.なまはげは「ナモミコはげたか、はげたかよ」と唱えたが,ナモミコとは何か(選択)

 正解 長い間火にあたっているとできる痣

問題17 「蝙蝠の年を経たものが( a )となり,それがさらに年をとるとこれになる.人の寝息をうかがい熟睡しているところを見計らって息を吸う.ほかの人が目を覚まして息を吸われているところを見ると,吸われている人は( b ),見る人がいないと( c )という.」 (日本妖怪大全 p.462より)

 1.a, b, c に入る語句は(a.は記述,b,cは選択)

 正解 a. 野衾(のぶすま),b. 長寿となり,c. 翌朝死ぬ

問題18 問いに答えよ (日本妖怪大全 p.439より)

 1.渡柄杓の沖縄版ともいうべく妖怪の名は(記述)

 正解 飯笥

 2.この妖怪の正体は(選択)

 正解 杓文字

問題19 見れば見るほど高くなっていく妖怪について (日本妖怪大全 p.350より)

 1.愛媛県に出現するこの妖怪の名は(記述)

 正解 のびあがり

 2.この妖怪の特徴(選択)

 正解 地上30センチぐらいのところを蹴ると消える

問題20 「姿は普通の炭鉱夫と同じ格好でつねに坑内にすみ、顔の色は蒼白で…」 (日本妖怪大全 p.229より)

 1.この妖怪の名前は(記述)

 正解 敷次郎

 2.この妖怪について記されている書籍は(選択)

 正解 「妖怪学」

問題21 境港についての問題

 1.妖怪列車が走るJR境線の駅の数は(選択)

 正解 始点(米子駅)と終点(境港駅)を含めて16駅

 2.境港が5年連続で日本一になったのは何?(選択)

 正解 水揚げ量

 3.鳥取県境港市と島根県松江市の間の江島大橋が開通した年は(選択)

 正解 2004年

 4.隠岐と境港を結ぶフェリーに描かれた妖怪は(選択)

 正解 一反木綿

問題22 水木しげる氏が東京都調布市に住み始めて今年で何年か?(選択)

 正解 50年

 以上です.どうです,なかなか厳しい問題でしょう.ちなみに今年の中級合格率も司法試験並みだったようです. 

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2009年11月23日 (月)

晩秋のプチ旅行

 三連休中日の11月22日,当初は家でゆっくりしようかと思っていました.しかしまったく出かけないというのも悔しいので,ちょっと出かけることにしました.とはいえ天気はどこもイマイチです.

 で,天気予報を眺めていたら… なんと,長野県にちょっと晴マークが.ということで,信州に繰り出しました.

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 東海道線と長野新幹線を乗り継ぎ,まず向かったのは上田です.ここには日本100名城でおなじみの上田城があります.真田氏の居城として,徳川の大軍を二度に渡って撃退した堅城としてしられています.櫓や堀,石垣が遺されていて,城郭公園としても素晴らしいところですが,ちょうど紅葉とセットになったということでたくさんの観光客で賑わっていました.

Matsushiro_014  上田駅から上田城に向かって歩いている途中,一軒のとんかつ屋さんを見つけたんですが,店名がそのものズバリの「とんかつ屋」,シンプルに勝負しているその姿に,なんとなく真田一族を思い出しました(深い意味なし).

Matsushiro_006  上田を後にして,しなの鉄道で西に向かいます.途中の屋代駅で下車,ここからは長野電鉄線に乗り換えです.

 しなの鉄道のホームから長野電鉄のホームに移動すると…

 なんと,昭和テイストのレトロな光景が… 木の柱に紺地に白のプレートが.いいですねぇ~ ここで金田一耕助の扮装がしたくなりました(笑).

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 ホームにはお店の広告もありましたが,なんと! 市内局番一桁の電話番号が! 今はもうそんなことはないんでしょうが,これも昭和テイストでした.

 その後長野電鉄の電車に乗って,松代に向かいました.松代は江戸時代に真田信之が入った城で,幕末の学者佐久間象山の出身地としても知られています.日本100名城の松代城もあります.

 が,今回見に行ったのは城ではなく,近くにある象山地下壕です.実はここ,太平洋戦争末期に将来起こる本土決戦に備えて,東京にある皇居や宮内庁,大本営,政府など国家中枢機能の移転先として計画・整備されていたところだったからです.結局先に戦争が終結して松代移転計画は幻に終わりましたが,工事そのものはある程度進捗しており,周辺にはたくさんの地下壕が掘られています.

Matsushiro_031 Matsushiro_037

 写真左は地下壕の入り口です.右は地下壕の内部です.人工的に掘られた壕なので,意外に広いです.

 まさに負の歴史遺産ともいうべきこの幻の大本営跡はいまもひっそりと残っています.

 そんなわけで,急遽決めた秋のプチ旅行を堪能したのでした(今夜はまた当直だ).

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2009年11月21日 (土)

酒とタバコ

 世間は三連休ですが,先週遊びまくった反動でこの連休は仕事ばっかりです.昨夜は外勤で今日は当直となっています(明日一日置いてあさっても当直).

 それはさておき,一般に男のたしなみと言われたのが酒とタバコです.昔はこれをやるのが一人前の男みたいな雰囲気があって,自分もかつては酒・タバコ両方をたしなんでいたものです.

 その後健康に対する世間の認識が変わり,私も世間の健康増進に寄与すべき職業に就いていることもあって,禁煙に成功しタバコとは縁を切りましたが,一方の酒とは相変わらず深い付き合いがあります.

 さてそんな酒とタバコですが,共通しているのは合法的な嗜好品である一方,未成年者の使用が禁止されていることです.要するに必ずしも健康に良いシロモノではないということです.ただ,この点では酒とタバコにはちょっと違いがあって,酒は一部に百薬の長などといわれ,適量ならばむしろ健康増進に役立つと考えられているのに,タバコの方は百害あって一利なしといわれるほど嫌われているということです.試みに手元にある脳卒中の診療指針を見ると,脳卒中治療における生活習慣への指導について,お酒に関しては

 大量飲酒は避ける.アルコールは1日20グラム

と,ある程度の摂取を許容しているのに対し,タバコについては

 禁煙

と問答無用に書かれています.実際にアルコール量と病気との関係についてはJカーブ,すなわちまったく飲まない人よりはちょっと飲む人の方がむしろ病気になりにくいが,適量を超えると以後は量に関係して不健康になっていくと言われています.それに対してタバコは吸っているということが既に病気の原因であり,量はあまり問題でないと言われます(要するにタバコは20本を10本に減らしてもさほど健康に好影響はなく,やめなければ意味がない).現在タバコは虚血性心疾患(狭心症・心筋梗塞),脳卒中,COPD(慢性閉塞性肺疾患)などでは独立した危険因子になっています.

 このように健康という点では圧倒的に分の悪いタバコですが,これが人生となるとちょっと様相が変わります.

 一般に男が人生を踏み外すのはギャンブルといわれ,タバコは入っていません.実際に酒の飲みすぎで人生を踏み外したというのはよく聞きますが,タバコを吸いすぎて人生を棒に振ったという話は聞きません.

 酒とタバコの議論をする時には健康と人生の両面で見る必要がありそうです(ちなみに酒好きの私ですが,外勤や当直の晩は禁酒になるので,ほどほどに休肝日ができています).

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2009年11月20日 (金)

寒いとはいうものの

 寒気が入り込んでいたせいで,一昨日昨日とかなり気温が下がりました.職場でもみんな「寒い,寒い」と言っていました.日本で一番寒い市に生まれ,本州で一番寒い県庁所在地で育った人間から見れば,まだまだと思いますが,やっぱり寒いものは寒いです(笑).

 ところで,日本で一番寒い市はおそらく私が生まれた名寄市かと思いますが,町村を含めて寒いところとして知られているのが北海道陸別町です.ここは真冬には軽くマイナス20℃くらいに下がり,町でも”寒さ”を前面に出したPRをしています(日本一寒い町陸別町).

 一方世界レベルで見ると,一番寒いのは南極で冬にはマイナス80℃くらいに下がります.しかし人が住む地域での一番寒い場所として有名なのがロシア東部のサハ共和国です.特に有名なベルホヤンスクという町では,過去にマイナス70℃を記録したことがあります.そこに次いで有名な町がオイミヤコンで,ふとネットの世界の天気を見たんですが…

 オイミヤコンの天気

 な,なんと オイミヤコンの明日の予想最低気温がマイナス38℃!(最高気温でもマイナス26℃) まだ11月なのに,この街の人たちはどんな気持ちで暮らしているのだろうと余計な心配をしてしまったのでした(寒すぎてウイルスも死滅するんじゃないか).

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2009年11月18日 (水)

洒落たランチ

 寒い1日でした.そんなわけでもないんですが,今日は職場の同僚(グルメの女医さん)の発案で,宅配ランチをすることにしました.

 購入元は福岡は博多にあるフランス料理屋さん(こじま亭),ここからメイン料理やデザートを取り寄せ,サラダやパンは別に購入しておいて本日のランチとなりました.料理とデザートは全て冷凍で届くので,昨日のうちに配達してもらい冷蔵庫の野菜室で1日かけて解凍しておきました.料理はお湯で加熱して,パンやサラダを用意して完成です.

 1時間足らずの昼休み時間ですから,ゆっくりランチというわけにはいきませんが,普段食べられない料理を堪能して満足のお昼でした.ちなみに私のメニューは魚料理が河豚と貝柱のキャベツ包み,肉料理が牛タン煮込み,デザートがもっちープリン(ロッテ雪見大福のアイスがプリンになったもの)でした.

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(写真左) 河豚と貝柱のキャベツ包み,(同右) 牛タン煮込み

Mochi (写真) デザートのもっちープリン 美味です

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2009年11月17日 (火)

日本100名城スタンプラリー65

日本100名城 丸岡城(36番)

 100名城シリーズ,今回から北陸シリーズに入ります.まずは福井県にある丸岡城です.福井平野に位置する坂井市丸岡町の中心,やや小高い丘に建つ城郭です.ここはまた全国に12か所しかない現存天守がある城郭のひとつとしても知られています.

Hokuriku_028 (写真1) 丸岡城の現存天守

 丸岡城の建築は安土桃山時代にさかのぼります.織田政権下,越前の経営にあたっていた柴田勝家の甥,柴田勝豊により築かれたと言われています.その後しばらくは柴田勝家傘下の城でしたが,本能寺の変後の後継争いで勝家が滅ぼされると,青山宗勝が入りました.

Hokuriku_038 (写真2) 石垣は野面積と呼ばれる古いスタイルです.

 しかし関ヶ原の戦いで青山氏は西軍に与したため戦後改易となり,代わって今村盛次,次いで本多成重が入りました.日本一短い手紙

 「一筆啓上、火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」

で知られる本多重次は成重の父です.

Hokuriku_039 (写真3) 有名な一筆啓上の石碑

 しかし元禄八年(1695年)に起こったお家騒動により本多氏も改易となり,代わって有馬清順が入り以後有馬氏の治世のまま明治維新を迎えました.明治四年に廃城となりました.以後は城郭の主だった建物は解体され,堀も埋め立てられてしまいましたが,天守のみ破壊を免れ保存されました.

Hokuriku_024 (写真4) 現在の丸岡城は桜の名所として知られています.訪問時には散り始めていました.

 現在は霞ヶ城公園として整備され,春には桜の名所となっています.また丸岡城の天守は,現存十二天守の中で最古のものといわれています.

 丸岡城へのアクセス: JR福井駅から京福バス本丸岡行きで約40分です.

スタンプの設置場所 公園のふもとの一筆啓上茶屋にあります

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 天守以外の部分はほとんど解体されてしまっているので,簡単に見て歩けます.

36maruoka 登城日 2009年4月18日

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2009年11月16日 (月)

サスペンダー

 先週末で秋のイベントが一段落して,今日からしばらくはビッグイベントはありません(細かいのはありそうですが).次のイベントシーズンに向けて英気を養う日々となります.このブログもようやく名が体を表すことになるわけです(笑).

 さて,男性のズボン・スラックスを固定するアイテムとしてベルトサスペンダーがあります.世間一般ではベルトを使用している人が圧倒的に多い気がします.しかしながら私はサスペンダーの方が好きだったりします.

 理由は単純…

 お腹が楽だから (笑)

 お腹がフラットな人はベルトで問題はないんでしょうが,私のように必ずしもフラットではない人間にとって,ベルトは締める位置や立ち座りによって苦しくなったりゆるくなったりするんです.その点サスペンダーならお腹周りもゆったりというわけです.

 もっとも夏場の軽装や,カジュアルな場面でのサスペンダーはやっぱり違和感を感じるので,そんな場面は私もベルトを使います.しかし秋以降,ネクタイ・上着着用の機会が多くなるとやっぱりサスペンダーに走ってしまいます.

 そんなわけで,今日も一日仕事に励んだのでした.

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2009年11月15日 (日)

龍馬と寮歌

 ビザンチン皇帝の秋を彩る(なんのこっちゃ)イベントの数々,その最後を飾る2つのイベントが終了し,先ほど帰宅しました.

 前半は京都での坂本龍馬慰霊祭提灯行列でした.これは龍馬の誕生日&命日にあたる11月15日付近に開催されているイベントです.今回は時代扮装仲間のフミヲさんのお声掛けによって出かけることになりました.

 せっかくだからと前日13日の金曜日(笑)の夜に京都入り,そのまま知人と2時半まで飲んで,ホテルに戻って爆睡しました.

 翌14日は前夜の酒の影響もあって,のんびりと過ごしました.そして夕方3時半に受付&集合場所である三条河原に向かいます.開始ぴったりに行ったせいか,あまり人がいませんでした.受付で参加費を払い,坂本龍馬と書かれた提灯を受け取ります.

Chochin_001  時間と共に三々五々人が集まってきます.フミヲさん関連の人もちらほら集まってきました.このイベント,別に扮装パレードというわけではないので,普段着の方も大勢います.とはいえ私たちはやっぱり普段着というわけはありません.みんな着物での参加でした.なかでも東京組のへこみ隊長とYUKIさん,関西組の副チョウさん,松チュウさんはダンダラ羽織を着こんで新選組です.私はというと,どうしようかなと出発まで悩んだんですが,結局龍馬にしました.

Chochin_023 Chochin_004_2

(写真左) 提灯の明かりが幻想的です,(同右) 龍馬イベントですが新選組もいます

 16時半に三条河原をスタートします.途中酢屋でお酒をいただき,近江屋跡では黙祷をささげ,河原町通りを南下します.沿道はたくさんの人出でしたが,やっぱり注目を浴びました(当たり前か).徐々に周囲も暗くなり,提灯の明かりがとても良い雰囲気をかもし出します(ただこの提灯,ろうそくを使うので下手をすると提灯が燃えてしまう恐れがあるのでした).その後は四条通りを東に向かい八坂神社を通って高台寺で解散となりました.

200911141956000 (写真) 池田屋です.長州藩の家紋があるのはさすがです

 終了後はフミヲさんグループでの宴会です.会場は今年新装相成った池田屋(はなの舞),集まったのは全国から17人,さすがフミヲさんは顔が広いです.宴会はいろんな意味で盛り上がりました.

 で,池田屋後何人かで二次会をやって12時前にはお開きとなりました.大部分の方は明日も京都での滞在を堪能するらしいのですが,私は別です.

 ホテルで爆睡後,翌15日7時に起床そのまま着替えて一路前橋に向かいます(あまりに眠くて東京に着くまで爆睡してました).この日のイベントは群馬寮歌祭です.実はこの衣装は昨夜とほぼ一緒でした.違いはというと前日のブーツが雪駄に代わったのと,大小,S&Wの代わりに白線帽になったことでしょうか(笑).

200911151555000(写真) 基本的なスタイルは前夜と変わっていません(笑).

 以前の記事にも書いてますが,寮歌とは戦前の旧制高等学校(新制の大学教養部に相当)の寄宿舎の歌です.旧制高校の教養主義(社会のリーダーたるものは専門知識だけではなく,広くいろいろな分野の教養も持つべき)に共感する私は寮歌が好きで,この種のイベントにも顔を出しているのでした(もっとも旧制高校時代を過ごした方々はもう80歳を越えており,私のような人間は赤ん坊のような存在ですが).今回も元気なお爺さん方に混じって高歌放吟したのでした.

200911151236000  

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2009年11月13日 (金)

またまた激動の週末

 わたしビザンチン皇帝の例年の行動パターンとして,夏働いて秋遊ぶという法則があります.周囲が遊び休んでいる夏には留守番などしてひたすら資金と英気を蓄え,周囲が働き始めた秋に一気に爆発させるというものです(笑).

 今年も9月頭のイスタンブールに始まり,鹿児島遠征,しながわ宿場まつり,合宿,山陰遠征,宇都宮遠征とイベントが目白押しでした.

 そんな秋イベントの最後を飾るのがこの週末です.まず明日14日は京都で坂本龍馬提灯行列,これは扮装仲間のフミヲさんのお誘いによるもので,イベントの後は今年居酒屋としてオープンした池田屋(はなの舞)での宴会もやろうという企画です.そして翌15日は群馬の前橋での群馬寮歌祭に参加します.寮歌イベントは6月の能代,10月の東京に続き3回目となります.

 というわけで,今上洛の途に就いているのでした.

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2009年11月11日 (水)

龍馬が望まなかった戊辰戦争

20091111151310  表題の本が手に入りました.出版はKKベストセラーズ,著者は会津藩関連の著作も多い星亮一さんです.私も以前斗南藩関連の勉強をする時に氏の著作を参考にさせていただきました.

 本書は幕末の風雲児坂本龍馬,そして彼の属した土佐藩と会津藩との関連から幕末維新史を見ていこうという趣旨のようです.本日届いたばかりで,まだまえがきしか読んでいないので,これから少しずつ読んでいきたいと思います.

 実はこの本に引用されている写真の一部に私のHPの写真が使われているんです.今から数カ月前に編集者から写真を引用させてほしいとの連絡があり,特に拒否する理由もないため承諾して写真ファイルを送っていたのです.その際に写真提供者として自分の名前かサイトの名前かどちらでもいいから紹介しますと言われたので,自分の名前は恥ずかしいのでサイト名にして下さいとお願いしていました.

 で,その写真提供の欄を見ると…

Teikyo_001  キャー,恥ずかしい! 真面目そうな組織,団体がずらっと並んだ最後に,”ビザンチン皇帝の部屋”(激笑).こんな風に掲載してしまうKKベストセラーズに脱帽です.

「うーん,自分のサイトもついに国立国会図書館と肩を並べるようになったのか…」と感慨に浸ったのでした(爆).

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2009年11月10日 (火)

害虫調査

 ウチの職場の洗面所に以前から置いてあるアイテムです.

200911091434000  いわゆるゴキブリホイホイの小型版みたいなやつですが,よく見ると「害虫調査中につき、捨てないで下さい」の表記があります.中を覗くと蚊のような,ハエのような小さな虫が何匹かくっついていました.

 で,実はこのアイテム,私が赴任した昨年4月からずっとここにあるんです.この害虫調査っていつまで続くんでしょうか?

 

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2009年11月 9日 (月)

青春の歌

 私の大好きな歌のひとつに,旧制松江高等学校の「青春の歌」があります.

先月松江を訪問した時に撮った写真を使って,この曲のビデオを作ってみました.

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2009年11月 8日 (日)

怒涛の週末

 さっき帰宅しました.

 例年秋はムチャクチャ活動的になる私ですが,今年はとりわけ激しいような気がします.この週末も全く家にいませんでした.

 今回は土日に加えて,いっぱい余っている年休をもらって金曜日から出かけてきました.3日間の予定はこんな感じです.

 11月6日(金) 第2回日光江戸村扮装ツアー(思いっきり私的イベント)

 11月7日(土) 盛岡で仕事関係の重要な会議(思いっきり公的イベント)

 11月8日(日) 仙台で来年1月のコンサートに向けた強化練習(やや私的イベント)

 さらに今回はJR東日本の土日きっぷを使ったため,山形城・多賀城・白河城の訪問もやってしまおうという欲張った日程となりました.

 6日の江戸村イベントは今年の7月に決行して楽しかったので,ぜひまたやろうと計画していたものでした.11月に入ってから急に冷えてきたので,日光は寒いだろうと厚着していったんですが,日頃の行いがいいのか天気は快晴(私を含め晴男・晴女が4人もいたからというウワサ),汗ばむほどの陽気でした.前回の参加者が中心でしたが,新手の人や無理やり扮装させられた人なんかもいて楽しかったです.もちろん写真を撮ったりして遊びました.夜は新選組関係の我が盟友コシゾウさんの屯所で宴会です.いろんな話題で盛り上がりました.私以外の非地元の参加者はそのまま夜の新幹線で帰宅,私のみ宇都宮に宿泊しました.

 で,翌朝11月7日は6時起床,7時の新幹線で一路北へ向かいます.前日は酔っ払ってブログの方,全く手付かずだったので車内でモバイルノートを広げ,さあ昨日の写真の一枚でもアップするかと思ったら… デ,デジカメがない!! とムンクの叫び状態になった私でした.さてはホテルかと前夜の宿泊先に連絡し見てもらうもそれらしいものは無しとの返事,では宴会の席かとコシゾウさんにメールして探してもらいました.結局無事に発見されたとの連絡がありホッと胸をなでおろしたのでした.

 さて7時に宇都宮を出たからといってそのまま素直に盛岡入りするはずもありません(笑い).乗った新幹線は実はつばさ号,そう山形行きです.山形に行って山形城近くの最上義光記念館で100名城スタンプをゲットしました(城郭そのものは以前じっくり見たことあり).

 その後は再びつばさ号で福島へ,そこでやまびこ号に乗り換え仙台,さらに仙石線で多賀城に向かいます.もちろん目的は多賀城のスタンプ,多賀城自体は昨年じっくり見学しているのでパスしました.

 そして再び仙台に戻り駅の立ち食いそばを食べて,新幹線でいよいよ盛岡入りです.駅で会議用の立派なスーツに着替えてタクシーで会場入りしました.緊張するイベントでしたが,なんとか無事に終了しました.その後は宴会(ワインがメインのお店でした)に参加して盛岡駅前のホテルに宿泊しました(寝る前に盛楼閣に冷麺を食いに行ったのはいうまでもありません 笑).

200911081009000 Sanninsonota_098

(写真左) 白河小峰城,(同右) 盛楼閣の冷麺

 でもって,翌11月8日は朝6時に起床,6時40分の新幹線で一路南に向かいます.この日は仙台での練習なんですが,まっすぐ仙台に行くはずがありません(笑).仙台を通り過ぎてそのまま白河へ.ここで白河小峰城のスタンプをゲットして,その後仙台に戻り,練習そして帰宅となったわけです.

 またまた激しい週末でした.

200911081041000  白河駅はSuicaの首都圏エリアと仙台エリアのちょうど切れ目にあたるらしいです.まさに国境と感心したのでした.

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2009年11月 7日 (土)

今回の週末は

 最近週末と言えばほとんど家にいない私です.先週は三連休パスで新潟&盛岡,その前の週は境港&松江,さらにその前は合宿で仙台でした.

 で,今週末ですがまたまたお出かけです.本日11月7日は盛岡で仕事関係の重要イベント(うーん,三週連続の盛岡だ 笑).明日は仙台で合唱団の練習です.

 実は昨日も某所でイベントがあったんですが,その内容をアップしようと思ったら…

 デ,デジカメを置いてきてしまった… サザエさんな私でした(ヒェ~).

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2009年11月 4日 (水)

日本100名城スタンプラリー64

日本100名城 安土城(51番)

 滋賀県安土町には100名城に選定された城が2つもあります.そのうち1つが前回紹介した観音寺城でもう一つが安土城です.

P2080172 (写真1) 安土城には石垣がたくさん使われています.

 観音寺城が戦国時代までの中世の城とすれば,この安土城は近世城郭の始まりともいえるでしょう.中世の城が実用本位の軍事要塞・砦といった趣だったのに対して,近世のそれは軍事的側面に加えて為政者の居住空間や権威の象徴といった意味合いも付加されています.特に近世城郭の象徴ともいえる立派な天守はこの安土城から始まったと言われています.

P2080170 P2080190

(左写真2) 大手道,(右同3) 二の丸跡

 安土城を築いたのは織田信長ですが,信長の居城は当初は尾張の清州城でした.その後永禄十年(1567年)に美濃の斎藤龍興を追放して,斎藤氏の本拠岐阜城(稲葉山城)に入りましたが,畿内の平定をほぼ終えた天正四年(1576年)に安土城を築きここに移ってきたのです.

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(左写真4) 大手道の敷石に使われた石仏.信長の宗教観が現れているんでしょうか,(右同5) 信長の側近森蘭丸の屋敷跡 

 以後は信長による天下布武の本拠地となりましたが,天正十年(1582年)の本能寺の変後の豊臣秀吉らと明智光秀とのいわゆる山崎の戦の後のドサクサの中で天守は焼失したとされています.その後もしばらくは織田氏の居城として使われていたようですが,天正年間中には廃城となったようです.

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(左写真6) 天主台です,(右同7) 信長の本廟です

 安土城は安土山全体を利用して築かれた山城です.同じ町内にあり徒歩圏内の観音寺城の影響を強く受け,石垣がふんだんに使われています.そしてなんといってもこの城の象徴と言えるのが天守(天主)です.当時日本で布教活動を行っていたイエズス会の宣教師も「これほど壮麗な城はヨーロッパにもない」と伝えているそうです.それがどのようなものであったか,正確な絵図面等が発見されていないことから不明な点が多いですが,七重であったとか屋根が金色であったなど様々な伝聞があります.

P2080204 P2080163

(左写真8) 城郭内にある摠見寺三重塔,(右同9) 復元された天主の一部

 近代になってから発掘,保存が行われるようになり,現在城郭は国の特別史跡に指定されています.当時の建築物はもちろん遺されてはいませんが,石垣や堀,天守台などの遺構に加え,大手道などが復元整備され,当時の威容を偲ぶことができます.また町内には資料から復元した天守の一部が保管されている安土城天主信長の館もあります.

安土城へのアクセス: JR安土駅からレンタサイクルで15分程度です.

スタンプの設置場所 安土城天主信長の受付にあります

登城のハード指数(★★☆ ややハードです) 良く整備されているため歩きやすいですが,山城なのでそれなりに大変です(観音寺城の後で来ると楽に感じます).

51aduchijo 登城日 2009年2月8日

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2009年11月 3日 (火)

快速仙山と急行べにばな

 先日盛岡に行ったのだが,土曜の宿泊先の山形から仙山線で仙台に出て,そこで新幹線に乗り換えた.

 仙山線はその名の通り,仙台市と山形市を直結する鉄道路線である.単線ではあるがかなり前から電化されており,かつては両都市間のメイン交通機関だった.「だった」というのは,現在は山形自動車道が完成し,それを利用した高速バスに完全にその地位を奪われてしまったからである(なにしろ高速バスは5~10分間隔で運行され,所要時間も仙山線より短く,しかも安いとまったく勝負にならない).今回は三連休パスだったから仙山線を利用したわけである.

 仙山線には現在普通列車の他に快速列車が走っていて,仙台-山形間を約70分で結んでいる(以前は快速仙山という名前が付いていた).

 実は私が大学に入った昭和59年にはこのほかに急行べにばなという列車も走っていた.べにばなは仙台発新潟行きの急行列車である.新潟-仙台というと随分遠いイメージがあるが,山形県内を通って行くと意外に近いのである(約250キロ).当時実家が新潟県や富山県の友人たちは帰省にこの急行を利用していた(急行列車なので,新幹線で大宮経由よりも断然安い!).

Pa300044 (写真) 当時山岳地帯の急行列車として運用されていたキハ58

 で,マイルド鉄スーパーライトの私は当時時刻表を眺めていて妙なことに気づいたのである.それは快速仙山と急行べにばなの所要時間,なんと

「急行べにばなの方が停車駅が少ないにも関わらず所要時間は快速よりも長い」

のである.

 実際,当時の快速仙山の停車駅は列車によって異なるが

仙台-北仙台-愛子-作並-面白山-山寺-羽前千歳-北山形-山形

 という感じだった.一方の急行はというと

仙台-北仙台-作並-山寺-北山形-山形

 だったと記憶している.普通停車駅が少なければ所要時間は短い.しかも追加料金が必要な急行列車であれば尚更である.にも関わらず乗車券のみで乗れる快速より時間がかかるとはどういうことだ? と思ったのである.

 その謎は使用している車両によるのだった.快速は仙台-山形間のみの運行なので,電車を使っている.一方の急行は途中電化されていない米坂線を通るのでディーゼル車でないと運用できない.べにばなとして使われていたキハ58気動車は,当時としてはパワーのあるディーゼル車ではあったが,電車に比べると力不足は否めず,仙山線が走る奥羽山脈越えの急勾配ではスピードが出せなかったのである.

 久しぶりに仙山線に乗ったら,そんな昔のことを思い出したのでした.

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