« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »

2009年10月31日 (土)

ほくほく線に進路を取れ

 さて週末です.

 当初この週末は久しぶりにまったりしようかと思ってたんですが,なんと! 来年1月のコンサート( IN 盛岡&仙台)に向けての重要な練習が11月1日に入ることが判明し,11月1日はまたまた盛岡入りすることになりました(先週に引き続き2週連続だ).

 さて,この週末は月曜を挟んで翌3日が祝日であることもあり,JR東日本では三連休パスを発売しています.これは連続した3日間,JR東日本と一部の他社鉄道の普通車自由席がすべて乗り放題になる(指定席も4回までならOK)というすごい切符です.実際私の家から盛岡まで往復すると,それだけで元が取れてしまうほどです.当然のように今回はこの切符を使うことにしました.

 で,そうなると私の性格から単に盛岡往復で終わらせるのはもったいない気分になります.こりゃ出かけるしかないということで急きょ(?)出かけることにしました(幸いこの週末は当直が入っていなかった).行先はこんな機会でもないと行かないところにしました.

Hokuhoku2_021 (写真) 直江津は信越本線と北陸本線の分岐点であり,またJR東日本とJR西日本の境界駅でもあります.無敵の三連休パスもここより西では使えません.

 というわけで朝一の上越新幹線に飛び乗り,越後湯沢でほくほく線に乗り換えます.まさにほくほく線に進路を取れ!です.目的地は上越市,そう春日山城のある上杉謙信の居城です.実は100名城関連で春日山城には昨年7月に登城しスタンプも持っているんですが,昨年11月に立派な方の100名城スタンプ帳を手に入れたので,いつの日かそちらにもスタンプを押さなくてはと思っていたのでした.

Hokuhoku2_015 (写真) 春日山城のふもとにあるものがたり館と復元されたお堀

 秋晴れの絶好の観光日和の中再びの登城となりました.

 続いて特急電車で新発田城に向かいます.理由は春日山城とおんなじです.新発田城の有名な三階櫓も既に始まっていた紅葉とのコントラストも見事でした.

Hokuhoku2_041 (写真) 新発田城の御三階櫓

 その後は羽越本線,米坂線,山形新幹線を乗り継いで今夜は山形で一泊です.明日は仙台経由でお昼ごろ盛岡に入る予定です.

Hokuhoku2_025 (写真) 直江津駅で購入した駅弁,その名も”愛のご膳”です.中身はこの通り,笹団子まで入っているのには驚きました.

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2009年10月30日 (金)

アフタヌーン・チャイ

 激動の秋はまだまだ続いています.更新が滞りがちで申し訳ございません.

 今年の夏季休暇でイスタンブールに行った際に何度もいただいたトルコの紅茶チャイ,その優雅な雰囲気が忘れられず,ついにセットを購入してしまいました(笑).

 で,届いたセットを職場に持ち込んで,今日の午後の休憩時間にアフタヌーン・ティーならぬチャイに挑戦しました.

Chai_046 (写真) 二段式のポットと中心がくびれた独特のガラス容器です.

 トルコのチャイの特徴はその独特の二段式ティーポット(チャイダンルック)と容器(チャイバルダック)にあります.作り方はまずチャイダンルックの下段に水を入れ,上段には茶葉を入れて火にかけます.下段の湯が沸いたところで少量の湯を上段の茶葉に注ぎ,さらに火にかけます.すると下段の蒸気で上段の茶が煮だされるという寸法です.

Chai_048 (写真) チャイを注ぎお湯で割ったところ

 10~15分火にかけた後(この段階ではメチャクチャ濃いです),煮だされた上段のチャイをチャイバルダックに少量注ぎ,下段の湯でお好みに割り完成です.一般の紅茶に比べて渋いので,砂糖を入れて飲むのが一般的です.

 職場の仲間にも好評でした.

Chai_049 (写真) 満足そうにチャイをいただく私

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年10月27日 (火)

新型インフルエンザのワクチン

 先週月曜日(10月19日)から接種が始まった新型インフルエンザのワクチン,私のところはローカルすぎて来る気配もないという記事を先週書いたんですが,金曜日についに到着しました. 

Influ_008 (写真) これが新型インフルエンザ用のワクチンです.

 

 さっそく昨日から優先接種が始まったんですが,私は盛岡に出張中だったため本日接種となりました.当初新型のワクチンは2回接種という方針が出ていましたが,医療従事者については1回でよいというお触れのため,これにて完了です(実際にはワクチンの効果が出てくるには2~3週間かかりますが).

 まあなんにせよ,罹らないのが一番ですが,これから外来でもインフルエンザの患者さんが増えてくることは確実ですから,予防には気をつけていきたいと思います.

Influ_007 200910231358000

 (写真左) こちらが季節性インフルエンザのワクチンです.(同右) 接種証明書です.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年10月26日 (月)

3000キロの旅,そして妄想

 いやぁ,こちらはすっかり更新が滞ってしまいました.

 実はこの週末は恒例の境港妖怪検定受験のため山陰に繰り出していました.境港はゲゲゲの鬼太郎で有名な漫画家水木しげるさんの出身地です.妖怪検定は2006年から始まったご当地検定で今回で4回目となります.

 第1回で初級合格,第2回不参加,第3回中級不合格の私は今年こそと意気込んで乗り込みました.金曜日の夕方仕事を終えて羽田へ.最終の飛行機で米子に飛びました.ただ受験じゃ面白くないので観光もしようと今回は松江に入りました.

Matsue_057  松江は城下町の風情を残すしっとりとしたいい街です.今回は市内の温泉旅館に宿をとり旅装を解きました(昨年はビジネスホテル).久しぶりに大きな浴槽につかって,お酒と料理,すっかりいい気持です.翌朝には松江名産のしじみ汁(これが酒を飲んだ翌朝には最高です 笑)も堪能しました.観光としては松江城や小泉八雲の旧居,旧制松江高校関連の史跡などを歩きました.

 で,肝心の試験の方ですが…

 やっぱり付け焼刃の知識では粉砕されました.昨年よりは難易度が下がった気もしましたが,どう考えても7割は採れてません.来年頑張ります(考えようによっては,この検定のおかげで毎年この時期に山陰に出かけてるわけで,目標が無くなったら行かなくなってしまうのでは,なんて考えてしまいました 笑).

 今年の試験の内容は明日以降アップします.

 でで,日曜の夕方試験終了後,最終の飛行機で羽田に戻り,今度は東京駅23時50分発の夜行バスに乗って今日は盛岡に来ました.これまた恒例の大学講義のためです.午後の授業なら朝一の新幹線にしたんですが,授業が午前2コマ(8時50分開始)だったので,どう考えても夜行バスしかなかったのでした.

200910252335000  結局,朝一に盛岡入りして用足しは終了しました.明日からはまたいつもの日常に戻ります(新型の予防接種が待ってるな).結局この週末で3000キロの旅をしたことになるのでした.

 追伸: 講義を終えて医局に戻ったら,テレビのワイドショーで酒井法子の初公判の話題をやってました.そこでふと思った妄想…

 さかいみなとって,さかいのりこに似ているような… さかいのりこ妖怪検定,鳥取県さかいのりこ市なんてくだらない妄想に浸ったのでした(笑).

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年10月22日 (木)

横柄な医者

 今日は外来でした.ウチの病院は予約制なので,時間に従って診察していくんですが,お昼近くになって電話が…

事務の人 「○○医院の○○先生です」(私とは面識のない先生)

 「もしもし△■科のコンスタンチヌス(仮名)です.」

○○先生 「ああ,私○○医院の○○だけどね,お宅の×▼君(ウチの院長)にはいつもお世話になってるんだ.」

 (この段階ですでに,初対面の人間にする対応じゃないよなぁ と思っていた)

 「いかがいたしましたか?」

○○先生 「うん,これからすぐに患者を紹介するから,必要な検査をオーダーして×▼君に診てもらえるように段取りをつけてくれないか.」(本日院長は出張中)

 「それでは本日は私が初診して,次回×▼院長の再来に回せばいいんですね」

○○先生 「ん? だって今日は×▼君はいないんだろ,だから君に頼んでるんじゃないか」

 この段階で私の頭には結構血が上ってました.私は見かけによらず(笑)こういった無礼な輩には熱くなる方です(特に年上.年下には意外に寛容だったりします).今日も,

 「初対面の人間には,普通もっと丁寧に対応しませんか」

と言いたかったんですが,院長の先輩らしいので,あとで彼にトバッチリが行っても悪いので我慢しました.

 いや~しかし,絵にかいたような横柄な医者(ドラマに出てきそう)で,21世紀になってもこんな人がいるんだと驚きかつ呆れたのでした(でもそんな人に限って地域の重鎮だったりするんだろうな 苦笑).

| | コメント (8) | トラックバック (0)

日本100名城スタンプラリー63

日本100名城 観音寺城(52番)

 久しぶりの100名城ネタです.滋賀県安土町は町内に2か所の100名城を有するキャッスルタウンなんですが,そのひとつが今回紹介する観音寺城です.

 観音寺城は標高430メートルの繖山(きぬがさやま)の山頂に築かれた山城です.この地は中世には東山道や八風街道の筋にあたる交通の要衝でした.

Kannonjijo1 (写真1) 南から見た繖山の全景

 城の歴史は南北朝時代にさかのぼると言われています.太平記によると建武二年(1335年)に六角氏頼が後醍醐天皇の側近北畠顕家の軍勢に備えるためにこの地に入ったとなっています.ただこの時期は臨時の簡易砦といった趣であり,本格的な城郭と呼べるものではなかったようです.

 ここが本格的な城郭になったのは応仁の乱(1467~1477)の頃でした.当時の当主六角高頼は西軍に属していたため,東軍側の京極氏との間で三回にわたって観音寺城の攻防戦が行われています.

Kannonjijo2 (写真2) このような石段をひたすら上ります.

 戦国時代に入るとこの城の整備はさらに進み,天文年間には今に残る各郭の石垣が築かれたと言われています.中世の城郭でこれほど石垣が作られた城は例がなく,このことからも観音寺城が特異的な城郭であったことがわかります.

Kannonjijo3 (写真3) 観音正寺の境内

 永禄十一年(1568年)に織田信長が足利義昭を擁して上洛,この時六角氏は信長に対抗しましたが,支城である箕作城が落とされるとそのまま観音寺城から撤退し,城は無血開城となりました.そして安土桃山時代になり,信長によって近くに安土城が築かれると観音寺城の方はそのまま廃城となったのです.

Kannonjijo4 (写真4) 本丸の石垣

 現在観音寺城は往年の石垣が残る城跡となっています.その範囲は広大でその全貌を見るのはなかなか大変です.散策としては繖山の南方の石寺楽座会館から登っていくコースが一般的です.石段を登っていくと30分ちょっとで観音正寺に到着します.ここは聖徳太子ゆかりのお寺と言われ,室町時代には観音寺城の六角氏の庇護で栄えたそうです.この観音正寺からさらに歩いて10分ほどで本丸です.当時の石垣などがよく残っていました.

Kannonjijo5 (写真5) 平井丸の虎口

観音寺城へのアクセス: JR安土駅からレンタサイクルで15分で石寺,そこから徒歩40分で観音正寺です.

スタンプの設置場所 観音正寺の受付にあります

登城のハード指数(★★★ かなりハードです) 石寺から観音正寺まで40分ひたすら石段を登ることになり,かなり大変です.しかも観音正寺が終点ではなく,実際の城郭はそこからさらに歩くことになります.

52kannonjijo 登城日 2009年2月8日

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年10月19日 (月)

インフルエンザワクチン

 ニュースなんかでもやっていますが,本日10月19日から新型インフルエンザワクチンの優先接種が始まりました.すでに市中にかなりの広がりを見せている新型インフルエンザ,そのワクチンは国の指針に従って優先順位の高い人から接種していくことになっています.最優先で接種することになているのが医療従事者なんですが,報道ではさっそく本日から接種が始まった施設もあるようです.しかし都道府県によっては開始が遅れるところもあるようです.

 で,私のところなんですが,ローカルすぎるためか(笑)ワクチンがやって来る気配すらありません.

 そんなわけでまずは季節性インフルエンザワクチンからやっていこうということで,そちらのワクチンを接種しました.ツ反でも真っ赤に腫れる私はワクチン接種でも腫れてしまうのでした(あす以降痒くなりそうだ 笑).

 とはいえ,インフルエンザ対策はなによりもうがいや手洗いといった予防にあります.人ごみに出る時はマスク着用などみなさんもお気を付け下さい.

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2009年10月18日 (日)

激動の週末

 こんな派手なタイトルをつけるほどでもないんですが,この週末仙台に行ってきました.

 来年1月に開催されるコンサートに向けて,所属している合唱団関連の合宿が行われたからです.

 で,ついでに仙台で開催されていたプロ野球パ・リーグクライマックスシリーズ(以下CS)第1ステージ開幕戦も見てこようという欲張った企画となりました.なんとかチケットが取れたため,半ば強引に金曜の午後年休を取って一路仙台へ.

Sendai_002 Sendai_011

 初めてのCSを迎えたKスタ宮城は満員の大観衆でした.学生時代を仙台で過ごした縁で球団創設以来楽天イーグルスを応援しているんですが,実は私が観戦した試合は目下10連敗中だったんです.ジンクス打破なるかと手に汗握りましたが,結果は打線が爆発しエースが完投とほぼ申し分ない内容での勝利となりました.

 翌土曜日からは合宿で仙台市郊外へ.実は今回の演奏会は仙台の合唱団と共演なので合宿も合同となったからです.

 10月半ば,ちょうど現地は芋煮会のシーズンです.川原の特設会場ではたくさんの人が繰り出して芋煮会をやっていました.

Sendai_024 Sendai_028

 土日二日間びっしり練習(夜には宴会も)と非常に充実した週末でした.

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年10月16日 (金)

第19回しながわ宿場まつりレポ完成

 今年のしながわ宿場まつりからほぼ3週間,恒例のレポがようやく完成いたしました.

昨年のレポが完成まで10カ月かかったことを思えば,「なんて早いんだ!」と我ながら感心しています(笑).

 暑くもなく寒くもなく絶好の扮装日和だった今年のしながわ,どうぞ見てやって下さいまし.

 第19回しながわ宿場まつり

 心の声 「次は2年分たまっている旅行レポだな」.

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2009年10月14日 (水)

妖怪検定の案内が

 先ほど帰宅したんですが,今年の境港妖怪検定の受験票が届いていました.

 昨年敗れ去った中級に再び挑戦します.とはいえ,さっぱり勉強は進んでいません.大丈夫か? とものすごく不安になった私でした.

 ちなみに中級試験の参考書は400ページ以上の妖怪の本です.出題される問題も,妖怪の名前を直接書き込むスタイルで,付け焼刃の知識では粉砕されること間違いなしなのでした.

2009yokai_001 (写真) 本日届いた受験票とその他パンフレット

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年10月13日 (火)

第49回日本寮歌祭

 昨日新宿で行われた第49回日本寮歌祭に参加してきました.

 音楽というともっぱらクラシック音楽,特に教会音楽を愛好している私ですが,深層心理には寮歌が潜んでいて何かの折に頭をもたげてきます.前の職場の同僚のご尊父が寮歌愛好家&大学寮の先輩という関係で,寮歌イベントにお誘いをいただくようになり,今回の参加となりました.

Nihonryoka_017 (写真) 白線帽を被った私

 日本寮歌祭は日本寮歌振興会の主催で昭和36年から開催されているもので,今年で49回目を迎えます.第40回までは日比谷公会堂などのホールで行われていましたが,41回からはより自由な宴会形式に代わったそうです.

 今回も北は札幌の北大予科から南は鹿児島の七高造士館,さらには外地の旅順,京城(現ソウル),台北など関係者600人余りが集まって盛大に行われました.

 21世紀の今の時代,旧制高校に在学された一番若い方々も90歳近くになっており,このイベントも来年50回をもって一応の終了が決まっているそうですが,何らかの形で受け継いでいきたいという話も出ていました.

 当時を懐かしむ方々の中には,旧制高校の少数精鋭主義が日本の近代化を推し進めたのだと力説されていた人もいました.一面の真実ではありますが,明治の日本がそのような少数精鋭主義・エリート主義を取ったのは,当時の日本に大衆広くに高い教育を施して国力を増大させていく余裕もお金もなかったからです.要するに一部の優秀な学生に徹底的な教育を施し、彼らを牽引車として国家の近代化を図る方法を取ったわけです.この方法は貧しい日本が短期間で近代化を成し遂げるには非常に有効な方法だったと思います.

 ただある程度近代化が成し遂げられると問題も表面化します.エリートは他者の批判を受け付けず独善的となり,結果不幸な歴史をもたらしたのは広く知られるところです.

 とはいえ,青春期に幅広い教養を身につけさせようとした旧制高校の理念は私も大いに賛同するところです.

 尚,今の高校も幅広い科目を勉強させますが,これは大学受験が目的であり,厳しい受験後に幅広い教育を行った旧制高校とは意味合いが異なります(戦前は高校の一学年の定員と帝国大学のそれはほぼ1対1で,要するに選ばなければどこかの大学には無試験で入れたそうです).

 そんな日本寮歌祭のひとコマ,鹿児島の七高造士館の寮歌です.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年10月 9日 (金)

五兵衛新田

 久しぶりの新選組ネタ.

 今年のひのパレで三番隊長斎藤一役をされたへこみ隊長さんのブログで紹介されていたんですが(千住の風にふかれて!~健脚むけの史跡旅行~),東京足立区の綾瀬で新選組パレードが行われるんだそうです.

 新選組終焉の地は法理学的(?)には箱館の弁天台場ですが,初期から組を率いてきた近藤勇が捕われた流山を終焉の地と考える人もいるようです.新選組が流山に入ったのは慶応四年4月2日ですが,その前日まで滞在していたのがこの足立区綾瀬(五兵衛新田)だったのです.

 3月6日の勝沼の戦いで敗れた近藤以下新選組は,3月13日に五兵衛新田の名主金子家のもとにやってきました.そしてここを屯所として再起を図り,4月1日に流山に移動したわけです.

Gobei  この辺の詳細は不明な点が多く私もよく知らなかったんですが,去年のひのパレのメイン会場でその間の事情について研究した本を発見し購入していたことを思い出しました.

 本棚の隅から引っ張り出した本,全編100ページちょっと短いのであっという間に読めそうです.今夜は当直なので秋の夜長に読んでみようと思います.

 注: 綾瀬というと,道路交通情報で綾瀬バス停付近で○○キロ渋滞というニュースが出ますが,この綾瀬は神奈川県綾瀬市で別の場所です(笑).

 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2009年10月 8日 (木)

ナンバー2の肩書き

 猛烈な勢いの台風18号,いつの間にやら当地を通過したらしく今日午後には台風一過の秋晴れとなりました.とはいえ影響は大きく,朝から公共交通機関の運行休止で,ウチの職員にも出勤できない人が結構いたようです.

 さて,今日ふと思ったこと.

 会社や役所などには様々な部署があります.大きい順にいえば,となります.それぞれの部署の責任者がそれぞれ局長部長課長係長です.

 ではそのナンバー2,補佐役をなんと呼ぶか考えてみると結構面白いんです.局長の補佐役は一般に次長と呼ばれます(新選組では副長ですが…).副局長とはいいません.部長の補佐役は局と同様に次長,時に副部長です.課長になると副課長ではなく課長補佐と呼ばれることが多い気がします.一番小規模な係では人数が少ないこともあるのか一般に補佐役はいません.

 ちなみに病院のトップスリーは院長,事務局長(事務長),看護部長(総看護師長)ですがそれぞれの補佐役は副院長,事務次長,副看護部長(副総看護師長)です.

 しながわのレポ,ぼちぼちアップしますので今しばらくお待ちください.

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年10月 5日 (月)

座敷童子の宿が…

 ニュースによると,座敷童子が出る宿として知られていた,岩手県二戸市,金田一温泉の旅館緑風荘が火事で全焼してしまったんだそうです.

 「座敷わらしの宿」全焼 「全員無事だったのはわらしのおかげかも」

 座敷童子は岩手県に伝えられる子供の妖怪(精霊)で,家人に悪戯をしたりすることもあるが,一般にこれが住み着いた家は繁盛するとか,これを目撃した人には幸運が訪れるとか言われています.妖怪は妖怪でもめでたい妖怪ということになります.

 柳田國男の遠野物語で有名になり,今でも岩手県内には座敷童子が目撃されるといわれる旅館が残っており,記事の金田一温泉緑風荘はそのひとつでした.特に座敷童子が住み着いているといわれる「槐の間」は3年先まで予約で一杯だったそうです.

 記事によると,夜間のしかも全焼するほどの激しい火事だったにも関わらず,幸い亡くなった方はおらず,座敷童子のおかげではという声もあったようです.関係者や愛好家の間からは再建してほしいという声が強いようですが,これから座敷童子はどこに行くのかがとても気になります.

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2009年10月 4日 (日)

日本100名城スタンプラリー62

日本100名城 小谷城(49番)

 戦国時代末期,天下布武を掲げて戦った織田信長最大の危機が,元亀元年(1570年)の越前金ヶ崎の戦いです.

 京都を拠点に周辺の大名を勢力下に収めつつあった信長は,敵対していた越前の朝倉義景を攻めるために出陣しました.当初織田軍が優勢でしたが,彼の義弟で同盟関係にあった北近江の浅井長政が裏切り一気に前後から挟み撃ちにされる態勢になったからです(とはいっても,元々浅井と朝倉は盟友であり,この時の信長の朝倉攻めも,事前に浅井方には知らされていなかったといいますから,こうなるのは予想できたという見方もあります).この時信長は木下秀吉(豊臣秀吉),池田勝正らの奮戦によって九死に一生を得ることができました.この時信長を裏切った浅井長政の居城が小谷城です.

P2070033 (写真1) この小谷山全体が城でした.

 小谷城は琵琶湖の東岸,標高約500メートルの小谷山と,そこから南に伸びる尾根筋に築かれた典型的な山城です.築城時期は長政の祖父亮政の代,16世紀初めといわれています.以来長政まで3代にわたって浅井氏の居城でした.この城がいかに堅固だったかは,元亀元年6月の姉川の合戦で大敗を喫して城に逃げ帰った浅井氏を信長はすぐに攻撃できず,結局小谷城を落城させるために4年の年月を要したことでも判ります.

P2070036 P2070053

(左 写真2) 大手道入り口.ここからひたすら登山です.(右 同3) 本丸

 浅井氏滅亡後ここには羽柴秀吉が入りましたが,秀吉は琵琶湖岸の長浜城を居城としたため小谷城は廃城となりました.戦国時代の城跡であり当時の建造物はもちろん残ってはいませんが,尾根線に沿って築かれた曲輪の様子はよく保たれており,堀切や当時はまだ珍しかった石垣なども見ることができます.

P2070065 P2070067

(左 写真4) 大石垣,(右 同5) 山王丸

 散策ルートはありますが,遊歩道などが整備されているわけではないので登城にはかなりの気力と体力を必要とします.本丸から少し離れたところに浅井長政自刃の地といわれる赤尾屋敷跡がありますが,ここに向かう途中でカモシカに遭遇しました.体力的にキツイ城跡なので,登城に適した季節は晩秋から冬にかけてと思われます(雪の日は除く).

P2070084P2070080 (左 写真6) 浅井長政自刃の地,(右 同7) 途中遭遇したカモシカ

P2070090

小谷城へのアクセス: JR河毛駅からコミュニティバスで10分程度,レンタサイクルもあるようです.

スタンプの設置場所 麓の小谷城戦国歴史資料館受付にあります

登城のハード指数(★★★ かなりハードです) 資料館から大手道を通って尾根沿いに各曲輪を見学していくと,山王丸まで1時間近く山登りになります.

49odanijo 登城日 2009年2月7日

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年10月 3日 (土)

エルプロさんの公演

 10月最初の土曜日だった本日10月3日は中秋の名月でした.本日当地は朝から雨模様で,お月見は無理かなと思ってたんですが,夜になってから雲が去り,帰宅時に空を見たら綺麗なお月様が顔を出していました.

Meigetu_007  そんな10月3日,実は観劇のために都内に繰り出していました.劇団エルプロダクツの第12回公演です.エルプロダクツ(以下エルプロ)は主に時代劇を取り上げている女性のみの劇団です.例年ひの新選組まつりで六番隊の隊士を担当して見事な殺陣を見せてくれくれています.

 私にとってエルプロの皆さんは特別な存在です.2006年にひのパレ(第9回)に初参加した時,右も左もわからず,一人も知り合いがいなかった私が始めてお知り合いになったのがエルプロの皆さんだったからです.以来公演には必ず駆けつけるようになりました.

 以前は新選組モノを連続して取り上げていた時期もあったようですが,近年は幕末モノとそうでないモノを交互に取り上げているようです.

Image002  前回の公演が2008年5月でしたから,ほぼ1年半ぶりということになります.今回の演目は「羽衣-HAGOROMO-」,赤穂浪士の討ち入り(忠臣蔵)モノです.内容等については明日も公演は続きますので,これから見る方のために伏せますが,本来なら一年の大河ドラマにもなりうる素材を2時間という枠にコンパクトにまとめていました.もちろん適度なお笑いや本筋に絡んでいく謎のキャラといったエルプロテイストも健在でした.

 お時間のある方は是非行ってみてはいかがでしょうか(会場:恵比寿エコー劇場 10月4日は11時と16時の2回公演 当日券3500円).

 そんな10月3日は私も応援している楽天イーグルスが球団創設初のクライマックスシリーズ進出を決めた日でもありました.大学生活を仙台で過ごした縁で応援していたんですが,当初はダントツの最下位で,私が応援に行って勝ったためしがありませんでした.しかし徐々に成績を上げ,ついにこの日を迎えたというわけです.

 このように非常の内容の濃い中秋の名月でした.

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2009年10月 1日 (木)

カタカナ

 さて今日から10月です.年度の後半いわゆる後期が始まります.

 先日のしながわ宿場まつりの余韻に浸ってはいますが,お祭りの反動でここ2日間連続で当直でした(泣 ただ救急とかではないので,それほど辛くはありませんが).写真整理→レポ作成は近日中に取り掛かりますので,しばらくお待ちください.

 で,本日の話題はカタカナです.そう,漢字・ひらがな・カタカナのカタカナです.

 なんでカタカナがテーマかというと,先日すごい会話を耳にしたからです.

 シルバーウィークの前半,南九州に出かけていました.城めぐりが主目的だったので,熊本県の熊本城,人吉城,鹿児島の鶴丸城とともに,宮崎県日南市の飫肥城(オビジョウ)にも行きました.ここは武家屋敷など昔風の街並みが保存されている観光地でした.そんな飫肥城跡界隈に小村記念館があります.

 実は日南市は明治日本を代表する外交官,小村寿太郎の出身地だったのです.歴史大好き人間の私,当然中に入って資料を鑑賞します.彼の日記やら当時の外交文書やらが展示されています.シルバーウィークということで,それなりにお客さんも入っていました.

 で,私の前に二人連れの観光客が歩いていました.年配の女性と中年の男性です.会話の雰囲気から親子と思われました.そして中年男性(自分と同じくらいの年齢か?)が,当時の外交文書を見ながらいいました.

 「へぇ,カタカナってこんな昔からあったんやな」(昔の公文書は漢字とカタカナ交じりなので)

 すると傍にいた母親らしき女性が

 「そりゃそうや,昔の人の名前はみんなカタカナや」(女性名のことと思われる)

 「ふーん,カタカナって最近できたもんと思っとった」 と男性,

 その会話を聞きながら後方で凍りついた私…

 カタカナの歴史は古く,9世紀の平安時代に遡るといわれています.元々は漢文を訓読する際に付ける文字として始まったらしいですが,いずれにせよ平仮名に負けないくらいの歴史があります.大日本帝国憲法など戦前の公文書や教科書もみなカタカナ表記が標準でした.思うに件の男性は,カタカナは外来語の表記のために発明されたと思っていたようでした(汗).

Kyushuensei_159 (写真) 飫肥城近くの小村記念館

 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »