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2009年9月28日 (月)

第19回しながわ宿場まつり!

 昨日9月27日に第19回しながわ宿場まつりに参加してきました。毎年秋の恒例イベントになりつつあるこのお祭り,今年は幕末の学者&剣客である清河八郎に扮しました.

Shinagawa2009_083 (写真1) 文武両道の幕末の剣客清河八郎

 本来なら,新選組(浪士組)を引き連れて「さあ,上洛だ!」と気勢を上げるところでしたが,残念ながら今年は新選組の参加はなしとのことで,ちょっとさびしい登場となってしまいました(泣).

 朝8時過ぎから着付け開始,例年だとタイミングによっては結構待たされるんですが,今年はかなりスムーズに進行しました.今年も常連の方々に加えて,今年初めて参加したという方も見られました.

 パレードは12時から1時間程度歩くだけで,残りの7時間くらいはひたすら自由時間です(このお祭りの趣旨は,時代扮装した人々が商店街を散策することで昔の宿場の雰囲気を出すことにあるのでこれで正解なのです).パレードの方は例年より扮装者が少なめだったような気がしました.

Shinagawa2009_072 (写真2) 当局の追及から逃れる虎尾の会の面々

 今年もいろんな写真を撮ったりして遊びました.詳細は例によってHPにレポをまとめる予定(去年みたいに完成するのが10ヶ月後なんていう事態は避けたいと考えています)です.

 ともに参加して下さった皆々様,ありがとうございました.

Shinagawa20092_126 (写真3) 前列左から 清河八郎,佐々木只三郎 後列左から お蓮(清河の内縁),虚無僧,同心,ウチのK

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2009年9月24日 (木)

意外な使い道

 病院で手術場に入る際に着用する衣装(?)がある.テレビドラマなんかでも出てくることがあるから見たことがある人もいるだろう.

Kyushuensei_254 (写真1) 手術室に出入りする際に着る衣装

 従来は綿素材のものが汎用されていたが,綿だと埃が立ちやすいという問題点があるためか,近年では化繊やディスポーザブルの紙製のものも使われている.

 手術室に縁のない診療科の医師には関係なさそうなアイテムだが,実はこれには意外な使い道があるのである.

 それは… 

 当直中の寝巻きとして

 医師の夜間当直(宿直)は看護師の夜勤とは違い,基本的には所定の場所に待機していて,何かあった際に仕事をする形である(だから宿直明けも普通に勤務させられる).したがって,用事がない限り夜中は寝ていられるわけだが,何かの折にはたたき起こされて働かなければならない.そんな時に,仮に持参したマイパジャマなんか着て寝てた日には,呼び出しとともに一々着替えしなければならず非常に面倒だ.かといって,日中の汗ばんだ服のまま布団に入るのはなんとも気持ちが悪い.

Kyushuensei_258 (写真2) 術衣改め寝巻きです

 というわけで,この術衣が活躍するわけである.さっとシャワーを浴びてこれに着替えれば,そのまま布団に寝てても大丈夫だし,何かの折には白衣を引っ掛ければ院内どこにでも行ける.

 かくして最近手術場で使われなくなった木綿性の術衣は専ら当直用の寝巻きとして活躍しているのでした.

Kyushuensei_257 (写真3) 夜中に院内を走り回る際はこうして白衣を引っ掛けます

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2009年9月23日 (水)

日本100名城スタンプラリー61

日本100名城 宇和島城(83番)

 久しぶりの100名城ネタです.9回にわたった四国シリーズの最後を飾るのは愛媛県南部にある宇和島城です.

P1120359 (写真1) 宇和島城の現存天守

 今に残る宇和島城の基礎を造ったのは築城の名手と呼ばれる藤堂高虎で,文禄四年(1595年)に豊臣秀吉からこの地を与えられ入封したことに始まります.彼はただちに築城にとりかかりましたが,その後の関ヶ原の戦いで家康に味方した功績から高虎は今治に加増移封となりました.その後紆余曲折を経て,慶長十九年(1614年)に伊達政宗の長男秀宗が10万石で入り伊達宇和島藩が立藩されました.秀宗は政宗の長男でしたが側室の子だったため伊達本家を継ぐことができず,政宗の計らいで宇和島藩主となったものです.ただし同じ伊達姓ではありますが,この宇和島藩は仙台藩の支藩ではなく,れっきとした独立の大名です.

P1120344 (写真2) 本丸に向かう道と石垣

 その後江戸時代を通じて宇和島藩は伊達家の領国となり幕末を迎えました.幕末期の藩主が俗に四賢侯の一人に数えられる伊達宗城です.

 宇和島城は宇和島市の中心部の丘陵地帯に建つ平山城で,その外郭は五角形をしています.今でこそ内陸に建つ城に見えますが,当時は海岸線が今よりずっと内陸に迫っていました.このため城郭の北側と西側は直接海に面しており,当該部分の堀には海水を引くなど海城の面もあったそうです.

P1120333 P1120371_3

(左 写真3) 桑折氏武家長屋門,(右 同4) 上り立ち門

 明治維新後廃城となり,以後多くの建物が解体されていきましたが,寛文十一年(1671年)に改修された天守が現存しており,その他門や石垣などから往時をしのぶことができます.

P1120368(写真) 宇和島城のイメージ図

宇和島城へのアクセス: JR宇和島駅から徒歩10分で登山口に着きます.

スタンプの設置場所 天守入り口にあります

登城のハード指数(★★☆ ややハードです) 普通の公園感覚ではきついです.ただ他の★ふたつの城ほどではありません.★ひとつ半といったところでしょうか.

83uwajimajo 登城日 2009年1月12日

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2009年9月22日 (火)

渦巻くミュージック

 暦と法律の妙で偶然発生した秋の五連休,世間ではシルバーウイークなどと呼んでいます.連休の長さからいえばシルバーどころかプラチナにしてもいいくらいですが,敬老の日があるからシルバーだとか言われています(真偽不明).

 私の場合前半は快晴の南九州遠征に繰り出していましたが,後半は打って変わって当直強化期間となり職場に詰めています(泣).

 とはいえ,本日の話題はシルバーウイークとは直接関係ありません.音楽です.

 世の中にはちょっと聴いただけなのに,妙に頭に残る音楽ってありません? 最近私の脳裏から離れない,いつも頭の中で渦巻いている曲があります.それは…

 地下鉄丸ノ内線の池袋方面行きホームで流れる音楽です.

 「maruike.mp3」をダウンロード

 非常に軽快でシンプルな曲ですが,頭から離れず困っています(笑).みなさんにもそんな曲ありませんか?

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2009年9月20日 (日)

鹿児島にて

 秋の五連休です.

 というわけで,実は鹿児島に来ています.夏の間お休みとなっていた(理由は暑さのため)日本100名城関係の旅行です.

Kyushu_082 (写真1) 城山から見た鹿児島市内と桜島

 で,鹿児島城(鶴丸城)に行ったんですが,鹿児島城はもちろん薩摩藩島津家の居城だったわけですが,維新後の明治34年には旧制第七高等学校造士館がこの地に創立されました(戦後は鹿児島大学医学部がこの地に置かれていましたが,現在は移転しています).

Kyushu_098 (写真2) 鶴丸城本丸に立つ七高のモニュメント

 現在鹿児島城の本丸は博物館になっているんですが,その傍らに七高関係の銅像なんかがあって,寮歌愛好家の私にはたまらない環境でした(島津家より七高の方がクローズアップされてる感じ).七高の寮歌としてあまりにも有名なのが「北辰斜めに」ですが,この寮歌の歌詞が彫られたモニュメントもありました.

Kyushu_076 (写真3) 鹿児島の繁華街天文館

 夜には鹿児島の繁華街天文館に繰り出しました.鹿児島と言えば黒豚と焼酎です.というわけでさっそくご賞味と相成りました.

200909191913000 (写真4) お店に入ったら秋ということで松茸もありました.焼いて香ばしいところをいただきます

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2009年9月18日 (金)

頭痛

 夏季休暇の旅行から2週間,反動で当直やら何やらで結構忙しい日々を過ごしています.今週末からは職場の同僚が旅行に出かけるので,また留守番です(ヨルダンに行くというウワサ)

 とはいえ明日から5連休なので,隙を見て出かける算段はしています(とはいえ私の場合,2日間当直が入っているのですが).

 それとは関係ないんですが,今日夕方頭痛がありました.実は私頭痛持ちでして,小学校時分から悩まされていました.ひどい拍動性の頭痛で,悪心・嘔吐を伴う頭痛です.今でこそ片頭痛と判るのですが,当時はそんな概念はなく,どうして自分はこんなひどい頭痛に悩まされるんだろうと思っていました.

 そんな片頭痛の他にもう一つ,別な頭痛も持ってます.これは緊張型頭痛と呼ばれるもので痛みはそれほどでないんですが,頭全体が鈍いように痛いタイプです.今日出てきたのは後者のタイプの頭痛でした.これにはいわゆる鎮痛剤というのが有効なんですが,私愛用の薬が写真の製剤です.

200909181940000  これはSG顆粒という薬で,アセトアミノフェン,アンチピリンとカフェインそしてアリルイソプロピルアセチル尿素の合剤です.頭痛専門の医師の中には合剤を嫌う人も多いんですが,私は効くから好きだったりします.

 実は以前この薬と類似成分のものでセデスGというのがありました.本SG顆粒中のアセトアミノフェンがフェナセチンに代わったものでしたが,乱用して副作用から腎不全になった人がでたため製造中止になったのです.配合から見てもわかるようにカフェインが入っているため依存性があります(カフェインには鎮痛作用がありますが,依存性もあります).

 このSG顆粒も頭痛に非常に有効ですが,依存性もあるため注意が必要です.

 で,頭痛の方ですが薬を飲んで20分くらいで効果が出て,今は軽快しました.

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2009年9月17日 (木)

小沢ガールズ

 本日は珍しく政治の話題,でも硬い話ではありません.

 先月30日の衆議院選挙で大量に当選した民主党の新人議員,そのうち小沢一郎氏の指導を受けて当選した人々をマスコミは小沢チルドレンと呼んでいます.これはまあ前回2005年の郵政選挙での小泉チルドレンと対になっていると思うのでまあいいでしょう.

 で,その小沢チルドレンのなかの女性新人議員たちをマスコミは小沢ガールズと呼んでいます.しかし,その面々を見てみると自分より年上の人たちも… でもやっぱりガールズなんでしょうか.たしかに運動競技の世界では年齢に関係なく女子・男子だもんなぁ,などと考えていたら昭和60年頃にささやかれていたフレーズを思い出しました.

 相撲の世界は30過ぎたら年寄で,それに引き換え政治の世界は60過ぎでニューリーダー(*)

 結局政治の世界では年齢に関する基準が世間とは違うということなのでしょう.

 * 中曽根内閣末期,竹下昇・宮沢喜一・安倍晋太郎らが次代を担うニューリーダーなどと呼ばれていた.

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2009年9月15日 (火)

イスタンブール滞在記6 ~9月5日~

 イスタンブールネタをいつまでも引っ張ると,このブログのタイトルと矛盾してしまうので,今回が最終回です.

 さていよいよイスタンブール最終日となりました.昨夜はディナーショーで帰りが遅かったこともあり,この朝はゆっくりです.「これがイスタンブール最後の朝食か」などと感慨に浸りながら朝食です.

 この日はまだ行っていない史跡を見ながら歩くことにしました.まず向かうはトプカプ宮殿隣に広がるギュルハネ公園です.いつも大勢の観光客で大賑わいのトプカプ宮殿とは対照的に公園の方はいたって静かでした.しかし別に散歩のために公園に行ったわけじゃありません.実は公園の先端,マルマラ海と金角湾,そしてボスポラス海峡が一望できる岬に一本の柱が立っているんです.この街へやって来る観光客の99%はその存在すら知らないであろうこの柱,なんとこれ,この街がコンスタンチノープルにすらなっていなかった時代,ビザンチオン時代の史跡なんです.

 3世紀,ローマ帝国が弱体化し始めた頃,しばしば帝国内に侵入してきたゴート人を打ち破った皇帝クラウディウス2世の功績をたたえて建てられた柱なんです.今はゴート人の柱と呼ばれるこの柱,当時はそのてっぺんにクラウディウス2世の像が載っていたと言われています.

Isutanbul5_135 Isutanbul5_134 (写真左) ゴート人の柱,(同右) 今は柱の上にはなにもありません.

 その後,近くのオープンカフェでチャイをいただき,そのまま徒歩で海沿いを歩きます.向かった先はイスタンブールのヨーロッパ側の鉄道の終点,シルケジ駅です.ヨーロッパ各地からやって来る国際列車の終着駅で,かつて有名なオリエント急行もここが終点でした.

Isutanbul5_144 (写真) オリエント急行の終着駅だったシルケジ駅

 その後はガラタ橋で釣り客を冷やかしたり,橋の近くにあるエジプシャンバザールを見学したりして過ごしました.

 その後は近くのカフェでランチを摂りホテルに戻りました.14時に迎えの車がやってきて空港へ.出国審査を経て飛行機に向かおうとセキュリティチェックに行き,「そういえば飲みかけの水が余ってた.こりゃ没収だな」と係員に差し出したら,係員さん手を振って「No problem」といって突っ返してよこしました.最近国際線はすべて液体物持ち込み禁止と思ってたんですが,そうでない国もあるようです(笑).

 こうして機上の人となった我々は一路懐かしい日本へ向かったのでした.

追伸: 我々の帰国直後,イスタンブールを大雨と洪水が襲い,亡くなった方もいたとのニュースが流れました.自分の運の良さを実感するとともに,被害にあわれた方々が一日も早く元の生活に戻れることをお祈りしました.

 これにて本ブログでのイスタンブールネタは一応終了します.今回の旅行の詳細はいつかホームページの旅行記に,また市内の各史跡の詳細は別館ブログビザンチン大学に載せてますので,イスタンブールやビザンチン帝国に興味を持たれた方はどうぞ.

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2009年9月13日 (日)

しながわ宿場まつり参加決定

 近年恒例の秋のイベント,しながわ宿場まつりの参加決定通知がおととい届きました.無事に今年も参加することになりました.

 しかし,巷の情報によると,今年は新選組装束・幕末装束は不可なんだそうです.幕末装束というのはおそらくは官軍や函館政府関係者のような洋装のことかと思うんですが,新選組が不可というのはいったい…

 今年の私のネタはやっぱり幕末関係なんですが,洋装じゃないためかそれとも地味で注目を浴びなかったからかは不明ですが参加OKでした.

 しかし,新選組がいない,異人もいないパレードではどういう行動を取ったらいいのか判りません.困ったので,おとなしく江戸で塾を開くことにします(笑).

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2009年9月12日 (土)

イスタンブール滞在記5 ~9月4日~

 イスタンブール滞在第5日目です.前日結構ハードに動いたこともあり,この日は少しゆったりすることにしました.

 まず午前中はハマムに出かけます.ハマムとはトルコ式の蒸し風呂のことです.20年くらい前まで日本国内の繁華街にもトルコ風呂と称する施設がありましたが,もちろん全く別物です(笑).

 トルコ人の入浴好きは有名で,中央アジア時代の蒸し風呂の伝統にローマ・ビザンチン風の大浴場が混じって今ある形になったらしいです.今回繰り出したのは,旧市街の中心部にある創業1741年(江戸時代中期)の老舗です(シャーロウル・ハマム).行ってみると入口はこじんまりしているものの中は広々としていました.男性用と女性用があり,ここでKと別れました.男性用に行くと,ちょうどスーパーマリオそっくりのオッサンが待っていました.マリオにチェックのタオル(これを腰に巻く)を渡され,着替え室に入るよう促されます.中には寝台もありました.ここで服を脱ぎ,浴場へ,浴場は一面大理石の広々とした造り,天井にはドームもあり光が差し込んでいます.午前中ということもあるのか他に客はおらず貸切でした.

 浴場中央の大きな円形の台に寝そべります.浴場内はそれほど熱くはありませんが,じっとしているうちに汗が出てきます.しばらくしていると例のマリオが登場,マッサージ・シャンプー・垢すりとなります.ふにゃふにゃにされました(すごく気持ちよかったです 笑).

 その後は再び台に寝そべって汗を流します.適当なところで浴場を出て,タオルで体を拭き,さっき着替えた部屋に入ってしばらくお休みです.気持ちよくてうとうと寝てしまいました.日本の公衆浴場なら,風呂上りにはコーヒー牛乳なんでしょうが,残念ながらここにはありませんでした.

Isutanbul52_001 Isutanbul52_008 (写真左) グランドバザールの入り口,(同右) バザール内

 ハマムのあとは,近くにある有名なグランドバザールに繰り出します.日本でも「バザールでござ~る」というフレーズで有名になった場所です.ここは15世紀にこの街を攻略したオスマン帝国のスルタン,メフメト2世の命で造られた屋根つきの商店街です.各種宝飾店やお土産物店などが軒を連ねています.中では怪しげな日本語で話しかけてくる店員さんも大勢いました(笑).

Isutanbul5_001 (写真) ドルマバフチェ宮殿

 その後はいったんホテルに戻って休憩,そして再び外出です.今度は新市街にあるオスマン帝国末期の宮殿であるドルマバフチェ宮殿に繰り出しました.オスマン帝国最盛期の宮殿であるトプカプと比べるとこじんまりしてますが,ヨーロッパの影響を強く受けた壮麗な建物はやはりスルタンの栄華を今に伝えるものです.トルコ革命後はイスタンブールにおける大統領の執務所となり,トルコ共和国初代大統領のケマル・アタチュルクもここで執務を執っていました.

Isutanbul5_025 Isutanbul42_036 (写真左) チャイ,(同右) ドンドルマ

 宮殿の観光後は新市街のイスティクラル通りを散策してチャイ(トルコの紅茶)をいただいたり,ドンドルマ(トルコアイス)を食べたりして過ごしました.そして夕方再びホテルに戻ってシャワーを浴びた後,ディナーショーに繰り出します.トルコの夜のエンターテイメントといえばベリーダンスです.この夜はガラタ塔最上階のレストランで開催されているベリーダンスショーを堪能しました.

Ista Isutanbul5_075 (写真左) 目が回りそうなダンスです,(同右) ウチのKもスルタンに捧げられてしまいました(笑)

 というわけで,明日はいよいよ帰国の日です.

 

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2009年9月11日 (金)

イカール星人効果か?

 ブランド総合研究所というところの調査によると,2009年度日本でもっとも魅力的な市町村は函館市なんだそうです.

 ブランド総合研究所

 記事によると,過去3年間の1位は同じ北海道の札幌市だったそうですが,今年晴れて函館が1位になったんだそうです.

 最近の函館の話題と言えば,そうイカール星人です.イカール星人の侵略効果がこんなところにも表れたのかと感心したのでした.

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2009年9月 8日 (火)

イスタンブール滞在記4 ~9月3日~

 まだまだイスタンブールネタが続きそうです.

 さて,滞在4日目となりました.当然のように朝から快晴です(いったい2日目の午前中はなんだったのか).この日はけっこう欲張りな観光を思いつきました.旧市街北西部の見どころをずらっと回って,その後新市街にも足を伸ばそうという計画です.

 イスタンブール旧市街北西部にはビザンチン関係の史跡が結構残っています.さあ出かけようとなりましたが,イスタンブールは人口1000万とほぼ東京並みの規模の都市なんですが,公共交通機関特に電車は東京とは比較にならないほど発達していません(じゃあ,ロスのようにみんなマイカー利用なのかというと,旧市街の道路の狭さから考えてそんなことはなく,要するに人口は多いけれど人の移動は少ない街だということです).特にこの地域は市電も走っていない地域なので,やむを得ずタクシー利用となりました.

Isutanbul4_011 (写真1) カーリエ博物館外観

 向かった先はカーリエ博物館,ここはビザンチン時代コーラ修道院の付属教会堂だったところです.オスマン時代にはモスクに変更されましたが,ビザンチン時代のモザイク画やフレスコ画がたくさん残っているため,現在は博物館になっています.教科書なんかにも出てくる綺麗なモザイク画がたくさんありました.

Isutanbul4_021 (写真2) 祝福を与えるイエス(モザイク画)

 その後は徒歩でテオドシウスの大城壁に向かいます.2日前は街の外側から城壁を眺めたんですが,この日は内側から見てみます.ところどころ登れるところがあったため挑戦してみました(高所恐怖症の人にはお勧めできません).またこの近くにはビザンチン時代の世俗建築物としては唯一現存している宮殿(テクフル・サライ)の廃墟がありました(我々が訪問した時には他に観光客はおらず,近くのコーラ修道院に団体観光客を降ろした観光バスが停まっていました).

Isutanbul4_156 Isutanbul4_166 (左 写真3) テクフル・サライ,(右 写真4) 大城壁に登ってみました

 大城壁を後にして今度はコーラ修道院の反対側へひたすら歩きます.次の目的地はやはりビザンチンのモザイク画が残されているファティエ博物館です.ここもビザンチン時代は教会でオスマン時代はモスクだったところです.コーラ修道院に比べると地味ですが,綺麗なモザイク画がありました.

Isutanbul4_199 Isutanbul4_184 (左 写真5) ファティエ博物館外観,(右 写真6) 内部の様子

 ファティエ博物館の次はそのまま金角湾のフェリエ地区を目指して歩きます.ここには現在のコンスタンチノープル総主教座やビザンチン時代から現在まで一貫して教会であり続けた唯一の教会,モンゴルのマリア教会がありました.

Isutanbul4_208 (写真7) モンゴルのマリア教会

 ここまで見学して13時過ぎとなっていました.海沿いのこの地域まで来るとバスが走っているので,ここからはバスで直接新市街に向かいます.新市街の中心タクシム広場でバスを降り,近くのカフェでランチをとりました.その後は地下鉄で軍事博物館へ,行くとちょうどオスマン時代の有名な軍楽隊の演奏が行われていました.

 その後は軍事博物館内部を見学しました.ここには1453年のオスマン軍の攻撃を防ぐためビザンチン軍が金角湾を封鎖するのに使った鉄鎖が展示されていました.また同年5月29日のオスマン軍最後の総攻撃の様子がジオラマ等で再現されていましたが,これはビザンチン帝国にとっては首都陥落の悲劇の日です.ジオラマではビザンチンの双頭の鷲の旗が引きずり降ろされている場面まで再現されており,ビザンチン皇帝にとっては涙なしには見られない光景でした.

Isutanbul4_234 Isutanbul4_239 (左 写真8) 当時金角湾を封鎖していた鉄鎖,(右 写真9) コンスタンチノープル陥落の日,中央黄色地に双頭の鷲のビザンチン帝国の旗が降ろされています

 その後は地下鉄と市電,徒歩で新市街の金角湾そばに建つガラタ塔に来ました.この塔は6世紀に灯台として建てられ,その後改築を重ねてきたもので,ここに登るとイスタンブールの旧市街を一望に臨める場所です.トプカプ宮殿やアヤ・ソフィア,ブルーモスクといったこれまでに見てきた場所がよくわかりました.

Isutanbul4_295 (写真10) ガラタ塔外観

 その後はホテルに戻りシャワーを浴びて,日没後にラマダンで賑わうヒッポドロームに繰り出しました.イスラムのラマダンの季節は日中飲食ができないため,こうして夜になるとたくさんの屋台が立ち並び,さながら縁日のようになるのでした.

 というわけで,この日は今回の旅行中もっとも充実し,密度の濃い一日でした.

Isutanbul4_298 Isutanbul42_031 (左 写真11) ガラタ塔から旧市街を望みます(緑に覆われた地域),(右 写真12) 大勢の人で賑わう夜のヒッポドローム

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2009年9月 7日 (月)

エスカレーター

 本来は正しい利用法ではないんですが,日本ではエスカレーターに乗る際片側に立って残り半分のスペースを急ぐ人のために開けておくという習慣が見られます.

 この際どちらを空けるかは地域性があるようで,首都圏では左に立って右を空けますが,関西では逆に右に立って左を空けるそうです.ヨーロッパとかでは見たことがない習慣なので,こんなの日本だけなんだろうと思っていたんですが,なんとイスタンブールでもありました!

 イスタンブールで地下鉄に乗ったんですが,ホームに向かうエスカレーターで,見事にみんな右側に立ち,左側を人が歩いていました.

 日本だけじゃないんだとちょっと感動しました(繰り返しますが,エスカレーターの利用としては望ましい方法ではありません).

Isutanbul4_277 (写真) ピンボケですが,一応右側に人が立って左の人が歩いている様子が見えます.

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2009年9月 6日 (日)

イスタンブール滞在記3 ~9月2日~

 イスタンブール滞在3日目です.昨日の午前中はなぜか雨だったんですが(笑),午後からは晴れとなり,その続きで3日目も朝から快晴でした.この日はビザンチン帝国とは直接関係ないんですが,イスタンブール観光では欠かせないオスマントルコ時代の宮殿であるトプカプ宮殿を見学することにしました.トプカプ宮殿はちょうど旧市街の先端近くの高台に建っていて,旧市街はもちろん,新市街やアジア側も一望できるロケーションにあります.

Isutanbul3_013 (写真1) トプカプ宮殿入口の皇帝の門

 チケットを買って中に入ろうとするとセキュリティチェックがありました.オスマン帝国時代の財宝が山ほどありますから,悪いことをしようとする人を排除するためかもしれません. 謁見の間や様々な門,後宮(ハレム)はもちろんですが,何といっても財宝の数々に目を見張ります.宝石が惜しげもなくちりばめられた,とても実戦には使えそうにない(笑)短剣や箱,壺や食器などが並べられていました.これらをすべて売却すればトルコ政府の債務はすべてチャラになってお釣りがくるという噂は本当だと感じました.

Isutanbul3_054 (写真2) ハレム内にあるスルタン専用ハマム

 結局朝から昼過ぎまで見学し,宮殿内のレストランで昼食を摂りました.その後は旧市街の少し離れた史跡を見に行こうと路面電車(とはいっても松山や函館にあるような小型のものではなく,数両編成の立派な奴)で繰り出しました.

Isutanbul3_142 (写真3) ヴァレンス帝の水道橋,4世紀の建造物です.

 イスタンブールは海に突き出た岬に作られた街で,実は川などの水源に乏しいという弱点があります.このためビザンチン皇帝たちははるか西の水源から水をひくために立派な水道橋を作ったのです(ヴァレンス帝の水道橋).さすがに今では現役で使用されてはいませんが,4世紀に造られたその一部が現存しています(4世紀,日本でいえば邪馬台国のちょっと後くらいです).

Isutanbul3_153 (写真4) 工事中の旧パントクラトール修道院

 今では水道橋のアーチの下を自動車やバスがビュンビュン走っています. その後,水道橋の近くに建つビザンチン時代の修道院で今はモスクになっているパントクラトール修道院(現ゼイレクジャミィ)を見に行きました.場所がいまいちわからず苦労してたどり着いたんですが,残念ながら工事中で外観の一部しか見られませんでした. その後はイスタンブールの地元民しか行かないようなバザールを通ってホテルに戻りました.

Isutanbul3_161_2 (写真5) 地元の人しかいない商店街

 

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帰国しました

 先ほどイスタンブールから無事に帰還いたしました.

 現地からの報告を毎日しようと張り切ってたんですが,ホテルの無線LANが不安定で,しかも自分のPCとの相性も最悪らしく,後半はどうにもならなくなったため断念した次第です.

 これから随時気付いたことをアップしていきます.

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2009年9月 2日 (水)

イスタンブール滞在記2 ~9月1日~

 滞在2日目となりました.この日午前は街の旧市街を取り囲む大城壁を見に行きました.

 今に残るこの城壁は5世紀のテオドシウス2世の時代に造られたものです.以来何度も外敵の侵入を食い止めてこの街を守った城壁です.深い堀を持つ三重の城壁で,大砲がない時代にこれを突破するのは不可能な話でした(結局1453年5月29日の陥落の日まで,この城壁は一度も破られたことがなかったのです).

Isutanbul2_016_3 Isutanbul2_027 (写真) 今に残る大城壁の雄姿

 勇んで出かけたんですが… なんと雨でした(晴れ男なのに).

 500年以上経過しており,堀は埋め立てられてしまいましたが,残る城壁の姿から当時の威容をしのぶことができました.その後,城壁北側の高台にあるピエール・ロッティの喫茶店でチャイ(トルコ式の紅茶)をいただきました.

 その後は城壁周辺の史跡を見学しようと思ってましたが,雨で断念し,旧市街の観光に切り替えます.

Isutanbul2_066 (写真) モザイク博物館内部

 かつてビザンチン帝国の宮殿の床を飾ったモザイク画が展示されているモザイク博物館,6世紀に建造されたビザンチン建築の最高傑作ハギヤ・ソフィア考古学博物館古代オリエント博物館を見学しました.

Isutanbul22_032 Isutanbul2_155 (写真) ハギヤ・ソフィアの外観とドーム内

Isutanbul22_046 Isutanbul22_066 (写真左) 古代エジプト新王国とヒッタイト帝国の間で交わされた世界最古といわれる平和条約の条文,(同右) 1453年の籠城戦で金角湾封鎖に使われた鉄鎖

 結局これらを見学しているうちに天気は晴れになりました(笑).

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2009年9月 1日 (火)

イスタンブール滞在記1 ~8月31日~

みなさんお元気ですか,里帰り中のビザンチン皇帝です.

 さて,8月30日の午後に日本を出発して同日夜にイスタンブール入りしました.その晩はそのまま就寝し,いよいよ31日から活動開始です.というわけで,活動の様子を大雑把に報告します(詳細はいつ完成するか判らないレポで).今回宿泊したのは,イスタンブールの旧市街と呼ばれる地域です.ここはちょうどビザンチン帝国時代から街だった地域です.本来なら周辺の新市街の方に大きなホテルがあるんですが,今回見たい場所の多くが旧市街に集中しているため,利便性を考え旧市街に宿をとりました.しかし旧市街はまさに中世そのままに石畳の狭い路地のオンパレードで,大型ホテルなんて存在しません(ていうか存在できません).かわってこの地域にはオスマン帝国時代の政府高官の住居を改造したプチホテルと呼ばれるホテルが多くあり,今回はそのひとつに泊まることにしました.

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(写真1) 今回宿泊のホテル

 イスタンブールはアジアとヨーロッパ両大陸にまたがって広がる大都市です.同じ町でありながらアジア側とヨーロッパ側では電話番号も違うそうです.

Istanbul1_024

(写真2) 海から見たイスタンブール新市街,左手に見える塔がガラタ塔です

 で,アジアとヨーロッパの境目となっているのがボスポラス海峡です.初日はまず海から街を眺めようと,船に乗りました.海沿いに住居やビルが密集した街の様子は,まさに東西が入り混じるこの街の雰囲気を表していました.

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(写真3) ヒッポドロームに建つオベリスク

 その後旧市街に戻って,ビザンチン時代戦車競技場だったヒッポドローム,同じく当時の地下貯水場だった地下宮殿,6世紀に建てられたハギヤ・イレーネ教会キュチュック・アヤソフィアそして17世紀のオスマン時代に建てられたブルーモスクを見て回りました.

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(写真4,5) ブルーモスク

Istanbul1_180 Istanbul1_203 (写真6 左) 地下宮殿内のメデューサの首,(同7 右) 6世紀に建てられたハギヤ・イレーネ教会

 そして夕方からはボスポラス海峡沿いにあるレストランに繰り出してオスマン料理を堪能,ビザンチン皇帝の里帰り第1日は終わりました(うーん,初日からかなり飛ばしたな 笑).Istanbul1_248

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