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2009年7月31日 (金)

7月最後の日

 気がつけば7月31日,明日からは8月です.報道によると今日四国で梅雨が明けたんだそうです.例年より2週間遅れとのことでした.関東地方は7月14日に梅雨明けしたらしいと報道されましたが,その後梅雨空が戻ってくるなど,本当に梅雨明けしたのかは疑問です.気象台も昔は梅雨明け宣言をしていましたが,最近では「梅雨明けしたらしい」と弱気な発言に変わっています.

 8月といえば世間では夏休み真っ盛り,うちの近所でもいつも以上に大勢の観光客の姿がみられます.ただ,例年私は7月,8月には出かけることが少ないのが実情です.職場の仲間がこの時期の休暇を希望する人が多いため,どうしても留守番に回らなければならないからです.そんなわけで,逆に涼しくなる9~10月が私の旅行シーズンということになります.昨年もこの時期に,ナミビア旅行しながわ宿場まつり長州遠征境港遠征が行われました.今年もこの季節に行事がたくさん入ることが予想されます(笑).

 天気はイマイチですが,やっぱり季節は夏です.私の職場は森の中にあるんですが,外からはセミの鳴き声が聴こえてきます.セミの大合唱,まさに蝉時雨です.ただ良く耳をすませると,時間帯によって鳴いているセミの種類が微妙に変わってくるのに気付きます.

 午前中はジンジンというクマゼミの声ばかりですが,昼過ぎからはアブラゼミのジージーという声が混じるようになり,3時過ぎになるとカナカナカナというヒグラシの風情のある声が聞こえるようになってくるのです(さすがにミーンミンというミンミンゼミの声は聞こえません).

 今日も業務の合間に外に出て,この蝉時雨の風情を堪能したのでした.

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2009年7月29日 (水)

ココログのアバター機能

 本日からココログにアバター機能が付加されたんだそうです.

 ブログのアバターとしてはYahooブログが有名ですが,対抗したのかどうかココログにも登場しました.

 というわけで,新しモノ好きな私はさっそく挑戦してみました.とりあえず仮想ショップで購入したアイテムで自分好みのキャラを作ってみました.どうでしょう.

 実は仮想ショップで手に入るアイテムよりもずっと格好いいのが,仮想ガチャポンで手に入るんです.羽織袴があってほしかったんですが,本日は手に入れられませんでした(ご利用は計画的にということか,1日10回しか挑戦できません).明日頑張って見ます.

 その他いろいろ遊べる機能があるらしいので,やってみたいと思います.

 なお,ココログをやっていない人でも登録(無料)をすれば遊べるらしいので,興味のある方はどうぞ(左上の私のアバターをクリックしてください).

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2009年7月28日 (火)

日本100名城スタンプラリー57

日本100名城 今治城(79番)

 日本100名城四国シリーズ,後半は愛媛県です.四国に100名城は9城ありますが,なんとそのうち5つが愛媛県にあるんです.1県5城は長野県,兵庫県とならんで最多です.

Imabari1 (写真1) 今治城を築いた藤堂高虎

 そんな愛媛県の最初を飾るのが今治城です.今治城のある今治市は松山市に次ぐ愛媛県第2の都市です.瀬戸内海の海上交通の四国側の要衝であり,江戸時代には今治藩の城下町が置かれていました.

Imabari2 (写真2) 今の今治を象徴する天守(当時のものではありません)

 そんな今治城を築いたのが,築城の名手藤堂高虎です.浅井長政,豊臣秀吉に仕えた高虎ですが,秀吉の死後は徳川家康に接近し,関ヶ原の戦いでは東軍に属します.その功績によって今治に20万石を与えられてここに入り,慶長七年(1602年)から築城に取り掛かり,2年後に完成したと伝えられています.

Imabari4 (写真3) 今に残る石垣と堀(櫓は再建されたものです)

 今治城は8町16間(約900メートル)四方の城郭に三重の堀を巡らし,堀の水は海水を引き入れて利用した典型的な水城でした.当時本丸には天守が作られたようですが,慶長十三年に高虎が伊勢に移封されると,解体され後に丹波亀山城の天守として再利用されたといわれています.

Imabari3 (写真4) 天守からは瀬戸内海が間近に見えます

 現在遺構として残っているのは,内堀と本丸,二の丸の石垣で,その他多聞櫓や鉄御門が再建されています.また天守も建てられていますが,慶長年間の資料などが詳しく残っているわけではなく,史実に基づかない模擬天守とみなされているようです.

 とはいえ、築城の名手高虎が築いた見事な石垣はそれだけで一見の価値があるものです.

Imabari5

今治城へのアクセス: JR今治駅から徒歩20分程です.また瀬戸内バスにて今治駅前から今治営業所行きで約7分,今治城前下車です(瀬戸内バスHP 時刻表検索から時刻がわかります).

スタンプの設置場所 天守受付にあります

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 普通の公園です.

79imabarijo 登城日 2009年1月11日

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2009年7月27日 (月)

幕末人物診断

 私のHPの掲示板にいらしていただいたももさんのブログに紹介されていたんですが,

 幕末人物診断

 こういうサイトがありました.いくつかの簡単な質問に答えると,自分の性格に一番近い幕末の人物が紹介されるというものです.

 私もさっそくやってみました.質問に答えて,期待して待っていると…

 なんと! 佐久間象山だそうです(笑).以下は,診断結果の引用です.

 あなたは、洋学を日本に伝え、私塾を開校した思想家、兵学者の佐久間象山です。

さくま しょうざん (1811-1864)
思想家、松代藩士。天保4年に江戸へ出て佐藤一斎の私塾に入るが、3年後には松代に帰る。10年江戸に塾を開く。老中となった藩主真田幸貫より海外事情の研究を命じられ13年に「海防八策」を上書。安政元年吉田松陰の事件に連座して松代に蟄居。文久2年赦免。元治元年幕府の命を受けて上洛し開国論を主張したが、尊皇攘夷派によって暗殺される。

知識欲に溢れ、厳密な分析力をもち、組織のブレインとして活躍ができます。また研究熱心で一途ですが、そのために人付き合いがおろそかになりがちになる傾向があるので気をつけましょう。コミュニケーション能力に磨きをかけることがあなたの成長を促します。

 引用終わり

 うーむ,前半部はともかく,後半のコミュニケーション能力に磨きをかけろというのは,案外正鵠を射ているような気がします.私って結構,人とコミュニケーションを取るのが苦手なんですよね.

 この人物診断,意外に当たっていると思いました(酒好きで一途,自意識過剰な所なんかも象山に似てるかも).

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不可能トリック2

 実はミステリー好きな私.先日ミステリー仲間のSARAさんに教えていただいた,究極の不可能トリック作品「ウルチモ・トルッコ 犯人はあなただ」の記事を書きました(不可能トリック).

 これは,世に数あるトリックのうちまさに究極というべき,「読者が犯人」というトリックに果敢に挑んだ作品です.なかなか良く出来た作品じゃないかと思いました.

 この時に類似の作品として紹介されたのが,本日読了した「仮題・中学殺人事件」です.作者は辻真先氏,よく見たらこの作品が書かれたのは昭和47年だそうです.そんな昔の作品だったとは… 知らなかった自分の不明を恥じるしかありません.

200907271825000  物語はやたらに強くて優秀な中学生の女の子キリコと同級生でもっさりとした男の子薩次,キリコの兄で新聞記者の克郎の三人が事件に巻き込まれていくところから始まります.

 そして航空機事故で両親を亡くした少女と同じ事故で車いす生活を余儀なくされた少年の物語が絡んでいきます.

 読了後, … うーん,そうか… でも,… なんか釈然としない気が…

 たしかに読者が犯人かもしれないんですが,普遍性という点ではどうなんだろうと考えてしまいました(もちろん,これはこれで面白いんですけどね).

 またまた読んでしまったミステリー作品,これで打ち止めなんでしょうか?

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2009年7月26日 (日)

有朋自遠方來

 梅雨明けしたはずなのに不順な天候が続いています.昨日も時々強い雨が降っていました.とはいえ,雨の合間には日がさすなど,雰囲気はやっぱり夏の様相を呈してきています.

 そんな昨日,古い友人が当地にやって来ました.

 私が大学病院勤務だった時代に,机を並べて共に勉強をした仲間です.今は福島県の病院に勤務していますが,実家が静岡県ということで,帰省ついでに当地を訪れたというわけです.まさに孔子の言葉,「有朋自遠方來 不亦樂乎」(朋有り遠方より来る、また楽しからずや)です.

Confucius  どこか旧所・名跡でも案内しようかと思ったんですが,私の勤務地が見たいということでそちらを案内しました(この辺の真面目さが私との違いです 笑).非常に興味深そうに見学していました.

 わずか数時間の滞在でしたが,久しぶりの旧友との再会で昔話や近況報告などに花が咲きました.

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2009年7月23日 (木)

夕張メロン

 甘い物好きなウチの同僚がメロンを差し入れてくれました.なんでも北海道に住んでいるお兄さんからの頂き物なんだそうです.

 北海道メロン= もしや,夕張メロン!!

200907221416000  袋からは大玉のメロンが登場,いやがうえにも期待が膨らみます.包丁で割ってみると…

 見事な赤肉のメロンでした!

 同じ科の人間4人で山分け,とても美味しかったです.ありがとうございました.

 ちなみに甘いもの好きな同僚は,味にはうるさいものの,品種には無頓着らしく夕張メロンの名を知りませんでした(笑).

200907221424000 (写真) 見事な赤肉のメロンです.このみずみずしさがたまりません.

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2009年7月22日 (水)

小公女セーラ

 BS2で放送中のBS名作アニメ劇場,お昼の枠(12時35分~13時)で放送されていた小公女セーラが本日最終回を迎えました.

 小公女セーラはF.バーネット原作の小公女を基にしたアニメです.インドでダイヤモンド鉱山を経営する父の計らいでロンドンの女学院にやって来たセーラは学校中の人気者でした.しかし,父がインドで急死,破産してしまったために一転して不幸のどん底に突き落とされます.金が全ての学院長や意地悪な生徒たちの執拗ないじめ(実際,この番組の放送時には学校でのいじめが社会問題化していました)にあいます.しかし彼女は決してくじけることなく生きていきます.そして最後に亡き父の親友が登場するに至り,運命は再び180度転換し,彼女は幸せを手に入れるのです.

Sara  感動的なお話ではあるんですが,私はどうしてもこの作品が好きになれなかったのです.

 なぜかというと,最後に自分が幸せになった時,セーラはこれまでのいきさつを全て水に流して,自分につらく当たっていた人たちを許してしまうからです.それだけセーラが優しくて人格者だといってしまえばそれまでなんですが,なんか人間っぽくない印象を抱いてしまいます.

 その点,同じように苦労しながら最後に幸せを手に入れたペリーヌ物語の主人公ペリーヌはもう少し人間的でした.彼女は単なる労働者から最後には大製糸工場の後継者になるんですが,この時に不遇時代に自分に優しくしてくれた人々とは喜びを分かち合いますが,自分に辛くあたってきた人たちにはそっけない態度を取るんです(さすがにあからさまな仕返しはしませんが).なんかこっちの方が妙に人間くさくてほっとするのでした.

Peri  ペリーヌが人間くさい分だけ,セーラの聖人君子ぶりに違和感を覚えるのでした.個人的には小公女セーラ第45話「ミンチン院長の後悔」の次に,第46話「セーラの逆襲」なんてのを挿入しても面白いんじゃないかと思いました(笑).

 追伸①: 明日からこのお昼の枠では海のトリトンが放送されます.録画しなくてはと思います.

 追伸②: セーラが優しすぎる理由の一つとして,演じていた声優が島本須美さんだったこともあると思います.島本さんは当時風の谷のナウシカのナウシカやカリオストロの城のクラリスの声を当てており,とても悪いことはしそうにない感じだったのです.

 

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2009年7月21日 (火)

ブログ開設3周年!

 本日7月21日は当ブログビザンチン皇帝の日常開設記念日(笑)です.今日でちょうど3年になります.

 このブログは元々内容が極めてpoorだった私のホームページを飾るために作ったんですが,飽きっぽい自分がまさか3年も続けられるとは当時は思ってもいませんでした.

 3年と言えばひとつの区切りと言えます.中学,高校は3年ですし,石の上にも三年,桃栗三年柿八年というくらいです(笑).

 これもひとえにご訪問して下さいます皆さまのおかげと感謝しています.ココログのアクセス解析で見てみたところ,開設当初は1日数人程度だった訪問者数も,最近は毎日100人以上の方をお迎えするまでになりました.本当にありがとうございます.

 今後も記事の充実等に努めてまいりますので,よろしくお願いいたします.

 ちなみに今日現在で

 総記事数 696 (ブログペットアロイジア執筆含む)

 アクセス数 121,449 となっています.

 ちなみに地域別のアクセス数ですが,直近4ヶ月間のデータで

第1位 東京都,第2位 兵庫県,第3位 千葉県,第4位 大阪府,第5位 神奈川県,以下 愛知,埼玉,青森,静岡,岩手,北海道と続き,第44位 島根,45位 佐賀,46位 宮崎,47位 和歌山となっています.昨年6月の記事(佐賀県)でもっともアクセス数の少ない都道府県は佐賀県だったんですが,この1年で少し順位を上げたようです.代わっての47位は和歌山… 今後は和歌山県の方にも注目して頂けるように頑張ります.

 開設当初は脈絡の全くないごった煮状態のブログでしたが,最近は音楽や世界史(ビザンチン史や三国志など),映画などのネタは別館ビザンチン大学の方にアップしていますので,こちらもよろしくお願いいたします.

Chinchila (写真) 我が家に生息するチンチラ(ブログペットとの関連はありません 笑).

 

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2009年7月20日 (月)

日本100名城スタンプラリー56

日本100名城 丸亀城(78番)

 久しぶりの100名城ネタです.

 讃岐の国は今はほぼ香川県に一致しますが,江戸時代には寛永年間の生駒氏の改易後東西に分割され,東の高松藩には水戸光圀の兄,松平頼重が入る一方,西讃には新たに丸亀藩が立藩され,山崎氏が入封しました.その後山崎氏は3代で断絶,改易となり,その後京極氏が入ってそのまま明治に至ります.

Marugame2 (写真1) 丸亀城の堀と天守

 丸亀城は今の丸亀市内の南にある小高い丘である,亀山の上に築かれた平山城です.その歴史は室町時代にさかのぼると言われますが,今の形になったのは慶長年間の生駒氏の時代です.生駒氏は豊臣秀吉,さらに関ヶ原の戦い後は徳川家康によって讃岐の所領を安堵され,本城である高松城に対する支城として丸亀城を築きました.山上の本丸に天守が置かれ,その周囲に二の丸と三の丸が配置されてます.さらにそれらは非常に高い石垣の上に乗っており,遠くから見ると高い石垣の上にそびえる城であることがよくわかります(ギアナ高地じゃないですが,テーブルマウンテンに乗った城という感じ).お城の周囲には堀(当時は内堀)が廻らされています.

Marugame1 Marugame3

(左 写真2) 大手二の門,(右 写真3) 大手一の門  

 お城は北側に大手門,南が搦手になります.真正面の大手一の門,二の門は国の重要文化財に指定されています.ここから三の丸に向かって長い坂道が続きます.ここが見返り坂と呼ばれる道で,ここをひたすらに登っていくと,ようやく三の丸に到着します.ここからさらに一段高いところに二の丸,本丸があり天守が聳えています.

Marugame8 Marugame4

(左 写真4) 見返り坂,(右 写真5) 高石垣

 丸亀城の天守は,17世紀後半に京極氏の時代に作られたものです.全国現存12天守のひとつで,規模は決して大きくありませんが,高石垣の上に建つその姿は見る者に感動を与えます.

Marugame5 (写真6) 小ぶりながらも見事な天守です

 明治以後廃城となりましたが,幸い天守を含むいくつかの建物が残され今に至っています.現在は亀山公園として市民の憩いの場になっています.

Marugame7

丸亀城へのアクセス: JR丸亀駅から徒歩20分程度

 スタンプの設置場所 天守内にあります

 登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) ちょっと登りはありますが大丈夫と思います.

78marugamejo 登城日 2009年1月11日

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夏の三連休

 世間は夏の三連休です.

 普段連休といえばどこかに繰り出し,ましてや三連休となれば確実に遠隔地に出かける私ですが,不思議とこの夏の三連休だけは遠出とは縁がないのでした.暑いから遠くに行きたくないということかもしれません.

 そんなわけで,今年の三連休もまったりと過ごしています.おとといの18日はほとんどどこにも行かずに寝ていました.昨日19日は午前中はその辺をブラブラして,夕方からちょっと出かけました.ちなみに今日20日は朝から日当直です.こうして夏の三連休はまったりと過ぎていくのでした.

Iriguchi  ちなみに昨日7月19日は土用の丑の日でした.とくれば鰻だろうというわけで,昨夜は知人と銀座の竹葉亭本店へ.ここは江戸末期創業の老舗です.関東大震災後に今の場所に建てられ,その後は奇跡的に戦災を免れて今に至っています.土用に鰻を食べる習慣は江戸末期の平賀源内が考えだしたといわれていますが,体力を消耗する夏にビタミン類が豊富な鰻を食べるのはそれなりに理にかなっているのかもしれません.

Kabayaki  

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2009年7月17日 (金)

ベストオブ大河ドラマ

 NHKの看板番組である大河ドラマ,今年は直江兼続を主人公とした天地人,来年は坂本龍馬を扱った龍馬伝です.

 何かにつけ話題となるシリーズで,今年の天地人がシリーズ第48作目なんだそうです.ちなみに私の記憶にあるのは第16作の黄金の日々からになります.

 さて,ココログのコネタマで,あなたのベストオブ大河ドラマは何? という企画が行われているため参加することにしました.

 で,私のベストオブ大河ですが,もちろん獅子の時代です.

 これは昭和55年に放送された作品で,主人公が架空の人物という大河では珍しいパターンを取っています.時代は幕末の慶応三年から秩父事件が起こった明治十七年までをの20年間を扱います.

 主人公は会津藩士の平沼銑次(扮するは菅原文太),彼が慶応三年の万国博覧会で沸くパリの街に到着するところから物語りは始まるのです.そこで彼は薩摩藩の英国留学生の苅谷嘉顕(加藤剛)や江戸からやってきた芸者のおもん(大原麗子)と知り合い親交を深めます.しかし銑次が帰国した時,すでに幕府はなく彼の会津藩は朝敵の汚名を着せられていました.その後の会津戦争,函館戦争,斗南藩時代と銑次はひどい目に会い続けるのですが,持ち前のキャラのためがあまり悲壮感はありません.

 廃藩置県後は東京に出ていろんな職に就きますが,武士の商法でうまくいきません.パリ以来の仲間であるおもんを助けて生活していましたが,そこにやって来た彼の妹(大竹しのぶ)が,「銑次兄様が嫁っこを!」というのに過剰反応して,「そんなんでねぇがら」と照れるシーンが素敵でした.

 しかしそんなつかの間の幸せも長くは続かず,西南戦争が始まると雑夫として駆り出され戦地へ(恐ろしく戦闘能力の高い雑夫だが 笑),その後はなんと大久保利通暗殺犯の一人として無実の罪を着せられて北海道の樺戸集治監に送られてしまいます.しかしここでも持ち前の反骨精神でついに脱獄に成功してしまうのです(明治15年春のこと,ちなみに新選組二番組長永倉新八が剣術師範として樺戸にやってくるのはこの直後になります).

 その後も社会の矛盾で苦しめられる人々のために戦い続ける銑次は秩父事件に参加していくのでした…

 こうして綴っているだけでも思い出してワクワクする作品です.さらにはドラマが佳境にさしかかると流れるのがダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンドのロック調の音楽で,当時としては斬新なのも良かったですね.

 「♪人の命はつかの間で~ our history again~♪」

 やっぱり私にとっては今でもベストオブ大河です.

コネタマ参加中: あなたのベストオブ大河ドラマといえば何?

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2009年7月15日 (水)

日光江戸村ネタ写特集

 表題につき記事を書こうとしたんですが,載せる写真が膨大となりココログでは見づらくなりそうな感じとなりました.そのためHPの方にまとめてアップしました.ぜひ御覧下さい(笑).

 第1回日光江戸村扮装イベント

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2009年7月13日 (月)

宇都宮ツアー② ~日光江戸村編~

 さて一晩明けて,翌7月12日になりました.この日は日光江戸村に出かける予定です.まずはJR宇都宮駅に集合,前日ご一緒させていただいた神楽教授はドラクエ購入のために帰京,代わっておりんさんのお友だちのMIHOさんが合流です(彼女も今年のひのパレに参加していたそうです).これにコシゾウさんを加えた5人で繰り出しました.

 江戸村は江戸時代の街並みが再現されている体験型のテーマパークです.普通に観光もできますが,江戸時代の装束で練り歩くことも可能です.

 私たちは… 当然扮装です(笑).

 役柄は,私が殿様,コシゾウさんとK副長さんが浪人(コシゾウさんはどう見ても浪人でしたが,K副長は浪人というより旗本の三男坊または書生といった感じでした),おりんさんが岡っ引き,MIHOさんが武家娘です.

 着替え場所に入り,殿様衣裳を着けかつらを被ると,おおっ殿様の誕生です(2年前のしながわ宿場まつりでの井伊大老を思い出しました).

20090713131925 (写真) 参加者全員の記念写真

 その後はみなで街に繰り出します.ここでは観光客だけではなく,江戸村のスタッフもみな扮装しており,私たち扮装客にいろいろと絡んでくれるのが楽しいのでした(逆に私たちがスタッフに絡むことも可能).日曜日ということもあって,たくさんの観光客で賑わっていました.なかにはすっかり出来上がったおじさんのグループもいました(ご本人たちはただの町人だと言っていましたが,どう見ても遊侠の士だよねなどと噂していた私たちでした).

Utshunomiya_042 Utshunomiya_058

(写真左) 武家娘との真面目な写真です.(同右) 華やかな花魁行列です. 

 途中では大五郎を探している子連れ狼や,水戸黄門とはぐれた(笑)風車の弥七,江戸村のゆるきゃらにゃんまげなどと絡んで遊びました.

Utshunomiya_068 (写真) にゃんまげと絡む私

 その後は北町奉行所のお芝居を見たり,花魁道中を見学したりしたのち,ちょっと高いところにある江戸村撮影所へ.ここは高いところにあるせいか他の観光客が少なく,街の雰囲気がよく出ているところです.散策していると,何やら集団に出くわしました.お姫様に扮した美女とその姿を熱心に撮影する大勢の人々,話を聞くとグラビアアイドルの西村紗也禾(さやか)さんの撮影会なんだそうです.その艶やかな姿にうっとりしていると,何やら私を呼ぶ声が,えっ,お姫様のご指名! というわけで一緒に写真に収まってしまった私でした(ちょっと照れました 笑).

Utshunomiya_066 (写真) グラビアアイドルの西村紗也禾さんの撮影会が偶然行われており,ご指名で写真を撮っていただきました 要するにこの日殿様装束は私しかいなかったということです.

Utshunomiya_079 (写真) 同じく参加者全員との記念写真です.やっぱりお姫様は華がありますね.

 それからは随所でネタ写や動画を撮ったりしているうちに,あっという間に夕方.楽しい時間経つのが速いです.みんなこの衣装のまま帰りたい気分でした(結局まとまった昼食時間を取らないままに遊んでいました).

Utshunomiya_090 (写真) 娘にちょっかいを出す岡っ引き

Utshunomiya_082 (写真) 薬屋から出てきた浪人に「御用だ!御用だ!」

 その後はコシゾウさんに宇都宮駅まで送ってもらいました.当初新幹線で帰ろうと思ったんですが,4人で座れる場所を確保できそうになかったため,快速ラピッドのグリーン車に変更,ビールやチューハイを軽く飲みながら思い出話に花を咲かせました.そして電車は終点の上野駅に到着,ここで解散となります.実行委員長のおりんさんの「家に帰るまでが,遠足です」という言葉とともに,2日間の宇都宮ツアーは無事に終了したのでした.

Utshunomiya_033 (写真) 永倉新八と鈴木三樹三郎の偶然の出会い,両国橋にて

 企画立案のおりんさん,突然の訪問にもかかわらずお付き合いくださったコシゾウさん,参加してくれた神楽教授,K副長,MIHOさん本当にありがとうございました.

 江戸村扮装はとても楽しいので,また企画されるはずです(ね,社長).

 

 次回予告: 江戸村レポはもちろんこれで終わりではありません.次回はいよいよ多数のネタ写が登場します.乞うご期待

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2009年7月12日 (日)

宇都宮ツアー① ~史跡廻り編~

 ひの新選組まつりでの私の盟友コシゾウさんは宇都宮でもんじゃ焼屋をやっています.そのお店に突然押し掛けて驚かそうという計画が発生しました.言いだしっぺは幕末&歴史仲間のおりんさんで,ツアーコンダクターは私,ビザンチン皇帝です(笑).この週末(7月11日~12日)に決行しました.私にとっては2年ぶりの訪問です.

 メンバーは私とおりんさん,神楽教授K副長さんの4名.

 ん,なんだこのメンツは.たしかに全員ひのパレ参加者ですが,個々はあまりにも脈絡がないような気が…(笑).

 この日の予定は日中は宇都宮とその周辺に残る主として戊辰戦争関係の史跡廻り,夕方からコシゾウさんのお店襲撃です.朝自宅を出発して東京駅へ.ここでおりんさんと合流,まずは腹ごしらえと駅弁屋さんにむかいます.牛肉弁当,味噌カツ弁当など朝からは食べたくない弁当が並んでいます.そんな中で見つけたあさりおこわ弁当,これにしようと2個購入して新幹線に乗り込みます.新幹線が発車すると同時に弁当を広げましたが,私が三分の二くらい食べた段階で既におりんさんは完食! お,恐るべし.その後は桃太郎や浦島太郎の血液型談義に花が咲いているうちに宇都宮に到着しました.宇都宮駅で残るお二方と合流して,ここで初めて今回の参加者が顔をそろえました.主催者あいさつ(笑)に引き続いて,さっそく観光開始です.

 今回の史跡廻りは郊外にも繰り出す予定としたためレンタカーを用意しました.まずは市内の宇都宮城址へ.宇都宮城は関東七名城のひとつに数えられ,江戸時代初期の元和年間の釣天井事件で有名です(実際には創作らしいんですが).街道筋の重要な城であり,江戸時代を通じて譜代大名が置かれていました.しかし慶応四年の戊辰戦争において激戦の地となり,城を含めた市街地のほとんどが焼け野原となってしまったのです.その後宅地開発なども行われたため,城は見る影もなくなってしまいましたが,21世紀に入ってからかつての本丸の一部(堀,土塁と櫓)が復元されています.土塁の内部は資料館になっており,お城の歴史などが展示されているのですが,土方歳三が街に火をつけ,そのせいで街が焼けた的な記載があり,愛好家としてちょっと複雑な思いになりました.

200907111217000 (写真1) 再建された宇都宮城の櫓

 城址公園の次は徒歩で城の南東にある簗瀬橋へ.ここは宇都宮城の東方を流れる田川に架かる橋です.田川はいわば宇都宮城の東の防衛ラインともいうべき川ですが,宇都宮戦争初期の慶応四年4月19日の旧幕府軍の宇都宮城攻撃の際,宇都宮藩兵がこの橋を残したまま退却したために,土方歳三率いる桑名藩兵がここを突破して一気に城に押し寄せ落城させたことで有名です.この時土方が,激戦におびえて退却しようとした兵士を斬り捨て,「退却するものはみなこうだ!」と言ったのもこの橋といわれています.橋はもちろん当時のものではありませんが,田川自体はあまり護岸工事もされておらず,当時の雰囲気をかもしだしているなと感じたのでした.

200907111207000 (写真2) 当時の激戦の地簗瀬橋

 簗瀬橋に続いては城の北側にある二荒山神社へ.ここは市内中心部の高台にある神社で,戊辰戦争時には旧幕府軍の陣地が置かれていた場所です.4月23日の戦いで,新政府軍側の砲撃を受けてこの神社も灰燼に帰してしまいました.土方歳三が足に負傷したのもここと言われています.二荒山神社観光の次は昼食,近くのお店で名物の餃子を堪能しました.

Utshunomiya_005 (写真3) 二荒山神社の長い階段です

 午後からは,慶応四年4月23日の戦いで最大の激戦地となった六道辻へ.ここでは旧幕府軍側は大鳥圭介の伝習隊のほか,新選組や永倉新八も所属していた靖共隊も戦ったといわれます.ここでは多くの兵士が亡くなったんですが,新政府軍の戦死者が丁重に葬られたのとは逆に,旧幕府軍の戦死者は賊として,野ざらしにされていました.しかし,地元の人たちによって仮埋葬された後,明治七年になって宇都宮藩士戸田三男によってこの地に墓が作られました.これに関しては良く知られたエピソードがあります.

Utshunomiya_009 (写真4) 六道辻に建つ墓碑

 曰く,長岡戦争敗戦後,会津に向かっていた長岡藩家老の山本帯刀が会津の飯寺での戦いで捕らわれたとき,死を覚悟した彼は軍資金200両を敵の戸田三男に渡し,「これを貴藩に提供するので,相当の費用に当てて欲しい」と述べたといいます.後に国に帰った戸田はその時の200両をこの墓の建立に当てたそうです.

Utshunomiya_012 Utshunomiya_015

(写真5 左) 報恩寺の山門,これのみ当時をしのぶ建物といわれます.(同右) 報恩寺内の薩摩の碑

 この六道辻周辺のお寺には新政府軍,旧幕府軍双方のお墓がたくさんあります.今回はその中で主に新政府軍の戦死者が埋葬された報恩寺,旧幕府軍の兵士が埋葬された一向寺,双方の戦死者が埋葬され,新政府軍・旧幕府軍双方の墓が向かい合って建っていることで知られる光琳寺を訪問しました.ここでは参加者はみな沈黙して,亡くなった人たちに手を合わせました.

Utshunomiya_017 (写真4) 一向寺に遺された墓標

 六道辻周辺の観光を終えると,今度はちょうど慶応四年4月21日の大鳥圭介率いる幕府伝習隊の進撃ルートにそって車を走らせました.緒戦の勝利の勢いに乗って幕府軍は宇都宮城から南下し,当時新政府側に付いていた壬生城を攻撃しようとしましたが,途中にある姿川で食い止められここでも激しい戦いが行われたのです(安塚の戦い).この戦いで亡くなった幕府軍の兵士17名のお墓が宇都宮市幕田町にあり,そこを訪問しました.その後は壬生町に入り,当時新政府軍の本陣が置かれていた島田家や壬生城跡を訪問しました.

Utshunomiya_021 Utshunomiya_019_2 

(写真5,6) 左が桑名藩士の墓,右が新政府軍の墓です. 

 そうこうしているうちに夕方となり,いよいよコシゾウさんの屯所襲撃です.レンタカーを返却し,4人でタクシーに乗って繰り出します.店に着くと,なんとコシゾウさんが窓拭きをしていました.こりゃまずいと近くのコンビニの駐車場にタクシーを乗り入れ,様子を伺いながらお店へ侵入,コシゾウさんは面子の脈絡のなさに驚いていました(笑).

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(写真7、8) 左,幕田町地区の碑,右,壬生の新政府軍本陣跡

 その後は美味しいもんじゃを堪能しながら,新選組やひのパレ談義に花が咲きました(コシゾウさんのお店でなつかしの昭和50年代ソングがかかっていて,酔った勢いでついつい歌いだしてしまい,すっかりおりんさんに私の真の姿がバレてしまいました 笑).

 こうして宇都宮の夜は更けていきましたとさ.

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2009年7月 9日 (木)

不可能トリック

 実はミステリー好きの私(いや21世紀に入ってからはほとんど読んでいないから,ミステリー好きだったというべきか?),20世紀には内外の作品を結構読んでいました.

 国内では横溝正史や松本清張,外国ではA・クリスティやE・クイーンなんかを愛好していました.

 いわゆる本格ミステリーと呼ばれる作品の醍醐味として意外な犯人というのがあります.まあ犯人っぽい人が犯人じゃ面白くないので,「えっ! この人が」という人物を犯人に仕立てるのが本格ミステリーの常とう手段です.

 こうした理念の下,数々の名作が生まれ,動物が犯人,自分自身が犯人,事件を担当する探偵が犯人,作品の語り手が犯人など多くの意外な犯人が登場してきました.

 しか~し,私がミステリーを読んでいた20世紀にはどうしても実現しなかった意外な犯人があったんです.

 それは…

 ミステリーを読んでいる読者が犯人というトリックです.そんなバカな!と思うでしょうが,いろんなトリックが考えつくされた現代において,意外な犯人という新しいパターンはそれ以外なかったのが実情でした.

 それにしても,読者が犯人なんてすごいトリックです.普通に考えてできそうにありません.第一,読者が犯人という以上,読み終わった人全員が「自分が犯人だ」と思わなければ意味がありません.Aという読者は犯人だが,Bという読者は違うというのでは成立しないトリックです.わたしもこんなトリック実現することはないだろうと思っていました.

 しか~し,そんな不可能トリックに果敢に挑戦した作品が21世紀になって書かれていたんです.情報をいただいたのは私のミステリー友達のSARAさんで,彼女のブログ(ミステリーの森)にこの作品の記事が出ていたんです.私が大急ぎで購入したことは言うまでもありません(SARAさんありがとうございます).

Ultimo (写真) ウルチモ・トルッコの表紙.中央の円の部分は鏡になっていて,そこに映し出された自分が実は犯人ということらしいです.

 その作品の題名は ウルチモ・トルッコ 犯人はあなただ です.作者は深水黎一郎氏,この作品で第36回メフィスト賞を受賞したんだそうです.タイトルのウルチモ・トルッコは語感からイタリア語またはスペイン語で究極のトリックを意味すると思われます(英語ならultimate trickでしょうか).

 本が届いて以来少しずつ読んでいたんですが,このたびついに読了しました.

 内容については語るわけにはいきませんが,読み終わって本を閉じた瞬間,「うーん,自分もこの人物を死に至らしめたひとりなんだろうな」とは思ったのでした.ちょっと,おやと思う部分も無きにしも非ずですが,伏線の張り方など結構よくできた作品とは私も思いました.

 これを機会にまたミステリーにハマってみようかとちょっと思ったのでした(これ以上手を広げると1日30時間以上必要な気が… 泣).

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2009年7月 8日 (水)

日本100名城スタンプラリー55

日本100名城 高松城(77番)

 日本100名城四国シリーズ,3つ目は高松城です.

 讃岐の国の中心にして,香川県の県庁所在地である高松は瀬戸内海に面した城下町です.かつては本州と四国を結ぶ宇高連絡船の入港地であり,現在も岡山から瀬戸大橋線の列車が次々とやってくる交通の要衝でもあります.

Takamatsu1 (写真1) 月見櫓

 そんな高松が城下町として発展し始めたのは秀吉の時代からです.秀吉による四国征伐後の天正十五年(1587年)に生駒親正が讃岐一国を与えられてこの地に入ったことから始まります.翌天正十六年から築城が始まり天正十八年に完成しました.

Takamatsu6 (写真2) 艮櫓

 生駒氏は関ヶ原の戦いで東軍についたことから戦後所領を安堵されましたが,寛永十六年(1639年)にお家騒動から改易となり,以後讃岐は分割され,西側には丸亀藩が立藩され高松藩には水戸黄門こと水戸光圀の兄,松平頼重が入りました.以後江戸時代を通じて松平氏による支配が続き幕末に至ります.

Takamatsu2 (写真3) 天守と二の丸を結ぶ鞘橋

 明治維新後廃城となり,天守を含む建物も破却されてしまいましたが,第二次大戦後になって現存していた櫓などが国の重要文化財に指定されると,以後は公園として整備され,現在に至っています.

Takamatsu4 (写真4) 海水を引き込んだ堀

 瀬戸内海に面した高松城は水城として知られており,特に外堀,中堀,内堀の水は瀬戸内海の海水を引き込んで利用しています.内堀に浮かぶ天守台には三重五層の天守が江戸時代を通じて建っていました.明治後破却されてしまいましたが,写真などの資料も残っていることから市では復元を目指しているようです.その他遺構として艮櫓月見櫓渡櫓水手御門が重要文化財指定されています.

 尚,高松城というと岡山県にある備中高松城も歴史的に有名で,これと区別するために讃岐高松城と呼ぶこともあります.

Takamatsu5 玉藻公園の地図

高松城へのアクセス: JR高松駅から徒歩5分程度で西入口です.

 スタンプの設置場所 玉藻公園東西2か所の入り口にあります

 登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 普通の公園です

77takamatsujo 登城日2009年1月9日

 

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2009年7月 7日 (火)

七夕

 本日7月7日は七夕です.

 それは間違いないんですが,私のような東北出身の人間にとってはどうしても七夕は旧暦のイメージがあります.

 有名な仙台の七夕まつりに代表されるように,東北地方では旧暦である8月に七夕まつりを行うところが多いんです.

 考えてみれば,新暦の7月7日はちょうど梅雨時にあたり,なかなか綺麗な星空は拝めません.年に一度の織姫と彦星のランデブーが毎年曇り空では可哀想です(今年も今現在曇っています).

 その点旧暦なら,梅雨も明けちょうど夏真っ盛りの季節,夜空には満天の星空が見られます.本来の七夕のイメージを感じるためにも,旧暦の方がいいんじゃないかと思うのでした.

 ちなみに仙台七夕まつりは毎年8月6日~8日の日程で,5日には前夜祭として花火大会が行われます.私が学生のころには,この8月5日に帰省せず,仙台に残っているサークルのメンバーが集まって在仙コンパと称して花火を見ながらの宴会をやっていました.

Tanabata_2  (写真) 仙台の七夕まつり

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2009年7月 6日 (月)

雨が降っています

 梅雨時だと言ってしまえばそれまでなんですが,今日は朝から雨が降っています.

特に10時ごろには結構激しい雨に…

 その後少し小ぶりになって,午後1時半現在なんとなく明るくなってきました.

 今日は夕方からお出かけなので,少なくとも雨だけは降らないでほしいなぁと感じたのでした.

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2009年7月 4日 (土)

ダノン BODYism 当選!

いろんな意味で試練だった一週間が無事に終わりました(はぁ~).そんなわけで,来週以降の楽しいことを想像したりしているんですが,そんな私のもとに小さな小包が…

 特に注文した覚えもないなぁ,と怪しみつつも開けてみると,

 当選! の文字が

Bodyism_003

 実はココログが主催しているもので,特定の商品のモニターになって,商品の感想なんかをブログに書くというイベントがあります.以前,何気に応募していたものに当選したということのようです.

 昔から懸賞などの当選には無縁だった私,どうせ当たりっこないと応募した事実すら忘れていました.

 さて,今回モニターとなる商品は DANONE BODYism という飲料水です.

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うたい文句はズバリ カルシウム! 日本人はカルシウムの摂取量が少なめという事実は知られていますが,それを意識した商品のようです.これ1本に1日に必要なカルシウムの半分が含まれている(500mLあたり350mg)そうですから,毎日2本飲めばカルシウムは十分という計算です.

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 成分表を見ると,カルシウムの他は糖・脂質などのカロリーはなし、さらにナトリウムもなしです.その代わり味を調えることを目的としてか,クエン酸や若干の人工甘味料が配合されています.

Bodyism_008

 さっそく飲んでみたんですが,カルシウムの仄かな苦みにクエン酸の酸味,甘味料の甘みがブレンドされてなかなかいい味ではと思いました.ただいわゆるスポーツドリンクとは違うので,清涼飲料水として飲むにはどうかとも思いました.イメージとしてはvolvicのレモンをさらに薄くした感じでしょうか.

Bodyism_006

 朝食のお供や風呂上がりに飲むにはいい商品ではと感じました.ただ,ナトリウムが入っていないので脱水症の際の水分補給には向きません.骨が弱い人や,最近怒りっぽくなった人にはいいかもしれませんね.

 ところで,世にミネラルウォーターと呼ばれるものがありますが,欧米系と国産ものの大きな違いが,実はこのカルシウムです.日本の水は軟水といわれるカルシウムなどが少ない水なのに対して,向こうの水はカルシウムなどミネラルが多い硬水が多いからです.日本人のカルシウム摂取量の少なさの原因の一つにこの水の違いがあるんじゃないかとも感じるんですが,一方で硬水は人によってはお腹に来る場合もあります.今回のBODYismを飲んでお腹を壊すなんてことはないんだろうか,と素朴な疑問も抱いたのでした.

コネタマ参加中: 『DANONE BODY-ism Calcium Works』モニターキャンペーンスタート

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2009年7月 2日 (木)

うっそー

 昨夜夜行バス(らくちん号 全然楽ちんではありません)で盛岡からとんぼ返りしてきた私,今日は朝から外来でてんてこ舞いでした.

 しかし,夕方からは休む暇もなく所用で都内へ.用事がすんで22時過ぎの東海道線で帰宅しようとしたんですが… なんと大船駅で人身事故発生とのことで電車が止まってしまい,23時50分現在まだ帰宅できてません(泣).

 はたして今日中に帰りつけるのか?

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2009年7月 1日 (水)

盛岡に来ています

 今盛岡に来ています.

 とはいっても,もちろん観光ではありません.職場の偉い人が盛岡の某所で講義や診察をするため,そのカバン持ち的役割で同行するためです.うちの偉い人は,その筋では有名な人なんですが(自分もひのパレでならちょっとは有名か? 笑),時々こうしてあちこちに出張しているんです.

 今朝は朝の会議を手早く済ませてから駅へ.そのまま東海道新幹線と東北新幹線を乗り継いで,盛岡に着いたのは12時半ごろでした.あまり北東北に来たことがない偉い人は「ずいぶん速いんだね」と感心していました.

 そのままタクシーで某所に到着,そのまま某教授室に直行です.教授秘書の女性のお出迎えを受け,お茶を飲んで待っていると教授がやって来ました.教授とウチの偉い人がいろいろをお話をしているのを聞きながら畏まって弁当を食べる私でした.

 その後は会議室へ,ここでたくさんのドクターを前にしての偉い人の講義があり,そのあとは病棟での診察やら何やら緊張する行事が続き,やっと解放されたところです.

200907011742000

 写真好きな我が偉い人は街の風景を撮るといって市内に繰り出し,私は久しぶりに自分の研究室で寛いだのでした.

 今夜はこれから宴会,偉い人はもちろん宿泊ですが,明日朝から外来がある私は夜11時の夜行バスで帰ります(泣).

(写真) 緊張する行事から解放され,研究室で寛ぐ私

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