日本100名城スタンプラリー50
日本100名城 岩村城(38番)
日本100名城スタンプラリー,記念すべき50回目です.振り返ってみると最初に訪問した小田原城が昨年の5月6日だったのでほぼ1年ということになります.実際の登城はすでに71城になっていますが,残るは九州など遠いところばかりなので,そのうち記事の方も追い付くのではと思います.
さてそんな50城目は岐阜県の岩村城です.名古屋から中央線で約1時間の恵那駅で明知鉄道に乗り換えて30分です.山深い土地で市街地の標高がすでに500メートルもあり,城の本丸の標高が721メートルと山城では日本一であることから日本三大山城のひとつに数えられています.
岩村城の歴史は遠く鎌倉時代にさかのぼります.源頼朝の家臣加藤景廉によって12世紀末に築かれたと言われます.景廉の子景朝の代になってこの地に定着し,姓を遠山に改め以来戦国時代まで領主となりました.
遠山氏最後の城主となったのは遠山景任で,妻に織田信長の叔母(おつやの方)を迎えて姻戚関係を結んでいました.さらに信長の子を養子に迎えて,景任の死後はおつやの方自身がが女城主として城を采配するなど織田方の出城としての役割を担っていました.
ところが元亀三年(1573年)に武田信玄の軍勢に攻められ,城はついに降伏,この時おつやの方は自身が武田型の武将秋山信友の妻になることで城内の人々の命を救いました.しかし,この降伏は織田家にとっては裏切り以外の何物でもなく,激怒した信長は天正三年(1575年)に嫡男信忠に命じて岩村城を攻撃,これを陥落させ秋山信友・おつやの方夫妻を逆さ磔にしたと伝えられています.
江戸時代には岩村藩2万石(後に3万石)の城となり,明治維新後に廃城となりました.この時城の建物は破却されてしまいましたが,石垣や井戸などの遺構がよく保存されています.麓の歴史資料館から登り始めます.山城ではありますが,登山道はきちんと石畳で整備されており,あまり苦労せずに登ることができます.徐々に出現する石垣群が見事で,登る際の疲れが吹っ飛んでしまうほどです.
岩村城へのアクセス: 明知鉄道岩村駅下車徒歩20分で歴史資料館到着,ここから本丸まで30分の登りです.
スタンプの設置場所 歴史資料館の受付にあります
登城のハード指数(★★☆ ややハードです) 整備されているとはいえ山城ですのでそれなりに大変です.
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