鯉のぼり??
| 固定リンク
| コメント (10)
| トラックバック (0)
日本100名城 名古屋城(44番)
尾張名古屋は城で持つと歌われた名古屋城は,愛知県の県庁所在地名古屋市の中心にある城です.
名古屋城の元となったのは戦国時代に今川氏によって築かれた出城で,当時は那古野城と呼ばれたそうです.その後享禄五年(1532年)に織田信秀がここを占領し,以後居城としました.しかし続く信長の代に清州城に移ったため那古野城は廃城となりました.
関ヶ原の戦い・江戸開府の後,豊臣氏との最終決戦を決意した徳川家康は東海道の防衛拠点としてこの地に注目し,尾張の中心地を清洲からここに移すことを決定,こうして慶長14年(1609年)から築城が開始されました.この工事には福島正則,加藤清正ら豊臣恩顧の西国大名が多数動員されています.
名古屋は江戸時代を通じて尾張藩62万石の城下町として栄えました.藩主は徳川御三家筆頭,尾張徳川家です.徳川将軍家に次ぐ家格で諸大名の最高位にあたりますが,なぜか江戸時代を通じて将軍を輩出することはありませんでした(紀伊徳川家からは8代将軍吉宗が,水戸徳川家からは15代将軍慶喜が出ています).歴代藩主の中では経済政策をめぐって8代将軍徳川吉宗と対立した7代藩主徳川宗春が有名です.
明治維新後,城自体は廃城となりましたが,天守や本丸御殿など主要な建築物は遺され,昭和5年(1930年)にそれらは国宝に指定されました.しかし大戦末期の空襲によってその多くが焼失してしまいました.
現在名古屋城の遺構として残されているのは3つの櫓(西北隅櫓,西南隅櫓,東南隅櫓)といくつかの門,石垣,堀などです.その一方再建も行われており,昭和34年に天守が鉄筋コンクリート製で外観復元され,現在は本丸御殿の再建が行われています.
名古屋城へのアクセス: 地下鉄名城線市役所下車すぐ(JR・名鉄金山駅での乗換えが便利)
スタンプの設置場所 東門と正門の受付にそれぞれあります
登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 見て回るには少し広いですが,よく整備された都市公園です.
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
またまたブログの更新が滞っておりました.
さて表題は最近世間をにぎわせつつあるブタインフルエンザです.
メキシコで確定例,疑い例が多数報告され死者も出ており,さらにはアメリカやカナダ,ヨーロッパにも症例が出現しているとの話しです.
ブタインフルエンザ自体は以前から存在していたもので,ブタからブタへと感染するウイルス感染症です.症状としてはヒトのインフルエンザと同様(倦怠感,咳,鼻閉,くしゃみetc)です.本来はブタにしか見られない病気のはずですが,アメリカなどでは以前からブタからヒトへの感染例は存在していたようです.
ただ今回問題になっているのは,このウイルスがヒトからヒトに感染する能力を持っている可能性があるためです.ブタからヒトに感染するだけなら,身近にブタがいなければ自分が感染する恐れはないですが,ヒトからヒトへとなれば感染リスクははるかに高まるからです(蚊を介してブタからヒトに感染する有名な病気に日本脳炎があります).企業の中にはメキシコの支社などから従業員を引き上げるなどの対応を始めたところもあるようです.
今現在日本での報告例はないようですが,国は空港などの検疫体制を強化する対応を始めています.こうなってくると重要なのは何といってもみんなが正しい情報を入手して冷静に対応することです(原因不明の奇病が流行っているわけではありません).
ブタインフルエンザといっても,ヒトのそれと同様呼吸器感染症ですから,感染源は咳やくしゃみなどによる飛沫感染やそれらが触れた手などを介する接触感染です.したがって対策は普通のインフルエンザと特に変わるものではありません.咳がある人はマスクをする,手洗いやうがいをしっかり行うなどの対策が有効です.ウイルスのついた飛沫を防ぐ目的で高性能のマスク(N95マスク)が売れているという話もありますが,このマスクはきちんと装着しないと効果が期待できないため注意が必要です(自分も結核の患者さんが発生した時に使用しましたがきちんと装着するとかなり苦しいです).現在使われているヒト用ワクチンは効果が期待できないようですが,一部の抗ウイルス薬は有効との報告です(文末に紹介したサイトより).
スーパーなどには豚肉は大丈夫なのかという問い合わせもあるようですが,呼吸器感染症のウイルスが骨格筋に存在する可能性は極めて低いそうです(ブタインフルエンザに感染していたブタを処理する際に,そのブタの鼻汁が肉についたなどというケース以外は).また豚肉は本来なまでは食べず加熱調理しますから,万一存在したとしても感染する恐れは限りなく低いといえましょう(ウイルスは加熱によって死滅する).まあ,あえて感染するケースを考えれば,(可能性は低いですが)たまたまウイルスが存在する肉を素手で触り,そのまま手を洗わずにその手で鼻の穴をいじって上気道感染するなどという場合でしょうか.豚肉は栄養が豊富な食材ですから,感染への抵抗力をつけるためにも必要な食材と思われます.
厚労省のホームページ内に,ブタインフルエンザに関連した情報が出ています.興味のある方はどうぞ.
| 固定リンク
| コメント (12)
| トラックバック (0)
残すところ3週間を切った今年のひの新選組まつり.その参加案内が先日届きました.
例年日野市役所前の公園(雨天の場合は市民会館)で行われていた隊士コンテストが,今年は高幡不動尊の五重塔の地下の大広間(?)で行われるそうです.ここは昨年のパレード当日に出陣式等が行われた場所で,普段は一般人が立ち入ることのできない場所だそうです.土方歳三が函館で戦死してから140年の節目の年に,そのような場所を会場にする点からも,実行委員会の方々の気合の入りようが感じられます.
それはともかく,もう一つ変わった点がありました.それは昨年までは副長土方歳三,局長近藤勇と一番隊から十番隊の隊長10人,合計12名がコンテストで選ばれていたのが,今年のコンテストでの選出は局長,副長のほかは6名の隊長のみ合計8人に縮小されていることです.もちろんパレードの規模そのものが縮小されるわけではなく,従来通りの一番から十番の編成で行われる模様です.どのような趣旨なのかは当日にならないとわかりませんが,いずれにせよコンテストの合格枠が昨年の三分の二になったわけで,例年以上の狭き門であることは間違いないようです(案内によると参加者が40人ということなので,倍率は5倍と大学入試並みです).
ただ良く見ると,コンテスト選出が8人だけと記された部分は,案内に印刷された紙を貼った状態であり,おそらくは当初は予定になく,最近になってそのように変更になったことがうかがえます.
ちなみに今年のコンテストから外れた役は四番隊松原忠司,七番隊谷三十郎,九番隊鈴木三樹三郎,十番隊原田左之助の4人なんですが,う~ん困った…
何事もマイナー志向の私,今年は九番隊長鈴木三樹三郎役を狙おう思っていました.今年は土方歳三没後140年なんですが,実は鈴木三樹三郎没後90年でもあるからです.
鈴木三樹三郎は新撰組参謀だった伊東甲子太郎の実弟で,伊東とともに元治元年秋に新選組に入隊しました.翌慶応元年の編成で九番隊隊長になっています.慶応三年に伊東とともに御陵衛士となって新選組を離脱,その後の油小路の戦いを生き延び,戊辰戦争時にはあの相楽総三とともに赤報隊の幹部になっています.明治後は警察官となり,奇しくも土方歳三没後50年目にあたる大正8年(1919年)7月11日に亡くなりました.
ある意味もう一人の記念イヤーとも言える鈴木三樹三郎ですが,今年のコンテストから外されたということで,私の目論見は見事に外れてしまい,さあどうしようと考えている次第なのでした.
| 固定リンク
| コメント (16)
| トラックバック (0)
先週末に北陸遠征に出ていたんですが,月曜日未明に帰宅して後,あれやこれやで忙しくブログの更新が滞っていました.
今回の遠征は北陸フリーきっぷをメインに利用しました.ただこの切符はフリー区間が北陸本線の富山-加賀温泉とそれに付随する支線のため,福井県にある100名城(丸岡城,一乗谷城)には行けないという欠点があり,そこは加賀温泉駅から駅レンタカーを利用することで補いました.
今回の登城コースは
4月18日(土)
寝台で早朝金沢着,ホームの立ち食いそば(白山そば)を食べて,特急雷鳥で加賀温泉へ.
加賀温泉駅で開店と同時にレンタカーを借りて丸岡城へ(移動40分 観光1時間).
一乗谷城に移動(移動40分 観光4時間,昼食には福井名物おろしそば)
加賀温泉に戻りレンタカー返却,特急サンダーバードで金沢へ移動
タクシーで金沢城へ(観光3時間)
特急サンダーバードで和倉温泉へ(宿泊 夕食は地元の居酒屋)
4月19日(日)
朝電車とバスで七尾城へ(移動 電車5分,バス13分 観光 3時間)
特急電車乗り継ぎで高岡城へ(移動 電車1時間半 観光 2時間半)
高岡市内で夕食(白エビとホタルイカの沖漬と氷見産カマス etc.)
爆睡状態で帰宅(はくたか+MAXとき+α)
(写真上左) 丸岡城現存天守,(同上右) 朝倉氏遺跡の街並み,(同中左) 金沢城石川門,(同中右) このショットにピンときたら兼六園,(同下左) 七尾城本丸石垣群,(同下右) 高岡城の堀
経費 交通費 29400円 内訳(北陸フリー切符 21400円,レンタカー(軽自動車) 4700円,ガソリン代 800円,高速道路 800円,タクシー代 1500円,バス代 200円)
観光費 1280円 内訳(丸岡城 300円,一乗谷城230円,兼六園300円,七尾城450円)
宿泊費 5300円
飲食費 約8500円程度
その他経費 1200円 内訳(コインロッカー 1200円)
総計 約45000円程度
となりました.ちなみに最近持ち歩いている遊歩計での2日間での総歩数は40000歩以上になりました.まだ筋肉痛です.
| 固定リンク
| コメント (8)
| トラックバック (0)
日野新選組同好会の掲示板に今年の第12回ひの新選組まつりのポスターが出来上がった旨が書かれていました.
日野新選組同好会(ここから掲示板に入るとあります)
今年はかなり濃いということが書かれていましたが,はっきりいって本当~に濃いです(爆笑).
しかもなぜか一昨年の写真だし.たしかにいろんな意味で強烈な面々ばかりが映っています.
う~ん,このポスター個人的に欲しいな.祭りが終わったら貰えないかな… と思ったのでした.
| 固定リンク
| コメント (14)
| トラックバック (0)
我が家のメインPCが復活しました.
先月21日に突然活動を停止してしまい,データを救出した後,メーカーに修理に出していたものが,このたび無事に帰ってきたものです.結局マザーボードの障害だったようでした.部品を交換して初期化された状態で戻ってきましたが,調子はいいようです(一安心).
さて,当初今週末に高遠城にお花見に行く予定でスケジュールを開けていたんですが,桜の開花が早まったことから予定を変更して12日に行ってしまいました.さらにいつもなら土曜の夜に参加しているイベントも今週に限っては金曜の夜ということで,期せずして今週末土日が2日ともフリーになってしまいました(喜).
こりゃ~どっか行くしかないというわけで,急きょ北陸遠征に出ることに決めました.目的はズバリ,日本100名城北陸5城一気制覇です.北陸地方の100名城は富山県の高岡城,石川県の金沢城と七尾城,福井県の丸岡城と一乗谷城です.北陸フリー切符を使って,金曜の夜の夜行で出発しようと考えています.とりあえずどういうコースで回るか思案のしどころです.
福井県の敦賀市は1年半前に水戸の天狗党関連で訪問しましたが,その他はもう10年以上ぶりになります.うーん,なにを食べよう.
| 固定リンク
| コメント (6)
| トラックバック (0)
11日の宇治のお花見の後,京都に一泊して翌日は史跡めぐりをと考えていました.
しか~し,暖冬の影響で今年は全国的に桜の開花が早まっており,当初翌週末(4月18,19日)訪問するつもりだった信州高遠城の桜が,この週末に満開になりそうという情報が入ったため,予定を変更して高遠に繰り出すことにしました.
高遠城は武田信玄さらには保科正之ゆかりの山城として日本100名城にも選定されていますが,その一方天下随一の桜の名所としても知られています.
とはいえ,高遠は公共交通機関でのアプローチがしにくい場所であり,このため宇治イベント終了後19時22分の新幹線に乗ってまずは名古屋に入りました.ここで一泊し,あくる朝一の高速バスで伊那市駅前へ.ここから路線バスに乗り換えて高遠城に向かうのですが,すでにバス停には同じことを考えている(だろう)大勢の観光客が待っていました.予定ではこのバスに乗って高遠城近くのヘリポートに行ってまずは,空から桜を見物することにしています.天気は上々,絶好の桜日和です(昨日に引き続き,日頃の行いがいいからだとほくそ笑む私).
しかし,この時私の頭をよぎったいやな予感が… 今回の高遠訪問に当たって,地元の方が運営している(らしい)ホームページを参考にしていたんですが(高遠の桜),ここでの記事に”この週末は満開で,しかも例の高速道路1000円の影響もあり相当な混雑を覚悟して来て下さい”と紹介されていたからです.虫の知らせというわけでもないんでしょうが,急きょ路線バスはやめて近くに止まっていたタクシーに飛び乗りました.
(写真3,4) ソメイヨシノに比べるとピンクがかっています
運転手に行き先を告げると,「多少遠回りになるが確実に早く着けるコースで良いか」と聴かれました.どうやら地元の人しか知らない脇道があるらしいのです.異論のあろうはずもなくタクシーは出発します.運転手によると昨日今日は物凄い混雑だという,「例の1000円の影響もあるんでしょうが,こんなに混雑した年は初めてだ」とおっしゃっていました.
運転手の言う通り,タクシーの走る道路にはたしかに車がいません.「ほら,向こう見て」と運転手の言う方向を見ると,あちらのメイン道路は大渋滞,たくさんの観光バスや自家用車がズラッと並んでいました.「あの渋滞の先に交差点があって,そこが特にひどいんだ」とのことでした.
結局最後の方でちょっと混雑したものの,比較的あっさりヘリポートに到着しました.ここからはヘリに乗って上空から高遠城の桜を見物します.あらかじめ予約を入れていたので,少し待ってヘリで上空へ.一面かたまってピンク色に染まった高遠城はまるでグリコジャイアントカプリコのように鮮やかでした.
ヘリポートを後にして今度は高遠城へ.予想通り凄い人出です.昨年の7月に100名城で来た時,ほぼ貸し切り状態だったのと大違いです.まずは近くのお店に入って昼食に高遠そばを食べ,その後城内へ入ります.上空から見た時にジャイアントカプリコに見えた通り,本当に一面ピンクピンクピンクです.ここの桜はタカトオコヒガンザクラといってソメイヨシノよりは小振りながらも鮮やかな色彩で知られる桜です.特に有名な桜雲橋はまさに桜のトンネルといった感じで,遠くからだと橋を渡っている人が花に隠れて見えないほどでした.お花見といえば露店ですが,城内にはたくさんの店が並んでいましたが,私は牛の串焼きとビール,桜アイスをいただきました.
(写真左) 桜シーズンの桜雲橋,(同右) 桜シーズン以外の桜雲橋
昔から一度見てみたかった高遠の桜を満喫しているうちにあっという間に夕方,帰りは高遠から直接新宿に乗り入れる京王バスで帰りました(しかし,帰りは一般のバスルートを走ったため渋滞に巻き込まれ,さらに中央道名物の小仏トンネルで大渋滞してしまい,家局家にたどり着いたのは4月13日0時半ごろでしたとさ).
オマケ動画 上空から見た高遠城の桜
| 固定リンク
| コメント (4)
| トラックバック (1)
この週末お花見に出かけてきました.まず11日土曜日は京都の宇治です.
ブログ&時代扮装仲間のフミヲさんから,宇治でお花見をしませんかと誘われたのが去年の秋,しかも雅な平安貴族のいでたちで.「こりゃ行くしかない」と二つ返事で参加を決めました.今回はウチのKも扮装に初チャレンジです.
とはいえ今年は暖冬で,各地とも例年になく桜の開花が早く,このままでは4月11日にはすっかり葉桜になっているのではと危惧されました.しかし,日頃の行いが良いのか3月末から4月初めにかけての寒の戻りのおかげでなんとか散り際には間に合いそうな感じでした.
迎えた4月11日土曜日の朝,JR宇治駅から徒歩10分の縣神社に集合です.天気は雲ひとつない快晴,気分も盛り上がります.ここで今回衣装を貸して下さる楽円さんに気付けていただきます.集まったのは皆フミヲさんのお友達で総勢10名,中には昨年のひのパレやしながわでお世話になった勝先生こと真琴さんもいました.今回の衣装は基本的に男性が狩衣,女性が壺装束なんですが,なかにはそうでない方も…
着付けが終わった人から外に出てさっそく写真を撮りまくります.すでに気分はハイテンション,その後いよいよ観光に出発です.まずは神社のお隣にある世界遺産・平等院に繰り出しました.平等院は藤原道長の別荘だったものを11世紀半ばに子の頼道が寺院に改造したもので,特に国宝に指定されている鳳凰堂は10円玉の表に描かれるほど有名です.
快晴の週末という絶好の観光日和,境内は大勢の観光客で賑わっていました.そんな中に突如出現した平安装束の一群,たちまち人々の注目を集めます.みんな口々に「何かのイベントですか?」,「ロケをやっているんですか?」,「お祭りがあるんですか?」と聞いてきます.最初のうちこそ,「仲間うちのお花見なんですが,せっかくだからと平安の心を味わうために衣装を着ているんですよ」と答えていたんですが,何回も同じことをしゃべっているうちに面倒になり,最後の方では「ただのお花見で~す」と答えていました(笑).
そんなこんなでみんなに写真を撮られたり,一緒に記念写真に納まったりしていました.中には「こんなに写真撮らせてもらって申し訳ないですね」とおっしゃる方もいたんですが,「いえいえ,撮られて困るなら最初からこんな格好で歩きませんよ」と答えていた私でした.
平等院の後はランチタイム,座敷に上がって川沿いの桜を見ながらいただきます.散り始めの時期で,風が吹くたびに桜吹雪が舞いとっても風流です.ランチの後は場所を変えてお茶の時間,みんな畏まっていただいていました(って,お茶は武家が主体では? 笑).
その後は源氏物語ミュージアムを見学したり,平等院表参道を散策してお茶屋さんに入ったりして過ごしました.結局朝10時から夕方6時過ぎまで衣装を着けたまま歩き通しでしたが,本当にあっという間に過ぎてしまった感じでした.主催していただいたフミヲさん,衣装を提供していただいた楽円さん,そして参加の皆々さまありがとうござました.
オマケ動画(宇治川のほとりの桜吹雪です)
| 固定リンク
| コメント (10)
| トラックバック (0)
最近仕事で沼津に行くことがあるんですが,小田原-沼津といえばJR東海道線です.路線としては一本なんですが,途中の熱海駅を境に東側(東京方面)がJR東日本の,西側(静岡方面)がJR東海の管轄になっています.そのため東京駅発着の東海道線普通列車の多くが熱海駅までとなっています.しかし中には沼津駅まで直通している列車もあり,そうした場合は熱海駅で運転手と車掌の交代が行われます.
車掌は列車運行の責任者で一般に列車の最後尾に詰めていて,車内を巡回したり駅での安全確認などを行っています.
そんな車掌さんですが,沼津から小田原への直通電車に乗っていると同じ車掌でもJR東海のそれと東日本のそれではだいぶ趣が異なることに気が付きます.
沼津駅を出発して,三島駅・函南駅とJR東海エリアの駅での車掌さんは
「○△よし,■◎よし」 大きな声で指さし確認をした後,
「ピッ,ピッ,ピー」 ホイッスルを鳴らして
「乗降終了,発車~」 と合図をして列車が動き始めます.
しかし熱海駅を過ぎ,JR東日本管内の車掌さんは車外に出て確認をした後,ホーム上にあるボタンを押して
「●番線ドアが閉まります.ご注意ください」 という音声を流します.
その後そそくさと列車に乗り込んで,窓から身を乗り出して確認するとそのまま列車が走り出すのです.まあ東日本管内の東海道線は16両編成なので,「出発進行~」なんて声を出しても運転手に聞こえるはずもないから,これはこれで合理的なやり方なのかもしれませんが,旅の風情としてはちょっと味気ないかなとも思ったのでした.
ちなみに東海道線の16両編成の場合,編成の両端にボックスシートの車両が付くので私は結構最後尾の車両に乗ることが多い.
| 固定リンク
| コメント (10)
| トラックバック (0)
原生花園というものがある.主として北海道の沿岸部(特にオホーツク海側)にある,人の手が加わっていないにも関わらず,花が咲き乱れている場所のことである.天然の(原生)お花畑(花園)というわけだ.有名どころとして網走近くの小清水原生花園や浜頓別のベニヤ原生花園,道北日本海側のサロベツ原生花園などがある.これらでは他所ではお目にかかれない貴重な花を咲かせていることも多い.
さて今の私の勤務先,はっきりいって山の中なのだが,この辺でも最近いろんな花が咲き始めた.別に誰かが世話をしているわけではないからこれも一種の原生花園と呼べるかもしれない.
ところで,職場の敷地内には桜の木もあるのだが,こちらもちょうど見ごろを迎えている.先週の土曜日に見に行ったら五分咲きだったのだが,昨日今日の陽気で一気に咲いたらしい.本日お昼休みに散策に行ってみた.観光地では全くなく,しかも一般の人にはその存在すら知られていない場所のせいか,私の他には誰もおらず,快適なお花見ができたのでした(今度は夜桜と洒落込みたいが,観光地ではないのでライトアップはされず,夜になると真っ暗ではっきり言って遭難の恐れがあるのだった).
| 固定リンク
| コメント (6)
| トラックバック (0)
日本100名城 根室半島チャシ跡群(1番)
家のメインPCのデータが救出され,ようやく100名城記事の再開です.
日本100名城スタンプラリー,その第1番に位置づけられているのが,根室半島チャシ跡群です.チャシとはアイヌ語で柵や柵で囲われた砦を意味するそうです.漢字では茶志という字を当てるようで,JR北海道函館本線にある茶志内駅もこのチャシにゆかりがあるのではないかと思われます(ナイはアイヌ語で川の意なので,砦のある川という意味でしょうか).ちなみにチャシ跡という意味ではチャシコツというそうです.
砦というと戦のための施設という印象ですが,チャシには防御施設(いわゆる砦)としての機能の他に祭祀場や倉庫,見張り場としての役割があったのではないかと考えられています.
チャシの成立時期は16世紀から18世紀ごろと言われており,本州以南では戦国時代から江戸時代にあたります.基本的に自然の地形を利用した造りとなっており,河野広道氏による分類が知られています.
1.丘先式: 岬などの突出した土地の先端を弧状の壕で区切ったもの
2.面崖式: 崖の上の土地を半円形もしくは四角形の壕で区切ったもの
3.丘頂式: 山や丘の頂周囲を壕で区切ったもの
4.孤島式: 川の中州や湖上の島など周囲から孤立した土地をそのまま利用するもの
現在では北海道全土に500か所以上のチャシ跡が確認されていますが,その多くは道東地区にあり,とりわけ根室半島には30か所以上のチャシ跡が見つかっており,このうち24か所が国の史跡に指定されており,この1群が100名城にもなっているわけです.
(写真2) チャシにはこのような標柱が立っているところが多く,見つける際の目印になります.
根室半島にある24のチャシ跡のなかで最もよく知られているのが,北海道最東端納沙布岬の近くにあるオンネモトチャシです.温根元小学校脇から小道に入り,海側を見るとなにやら標柱が立っています.そこを目指して藪の中を進んでいくと,そこが目指すオンネモトチャシでした.
(写真左) ノツカマフ1号・2号チャシの図,(同右) たしかに壕が掘られています.
岬の突端に形成されたチャシですから,先の分類では面崖式ということになります.そういえばなんとなく壕が掘られている感じがしました.
その他いくつかのチャシを訪問しましたが,当時をしのばせる遺構としては壕を思わせる窪みのみでした.
根室半島チャシ跡群へのアクセス: 代表的なオンネモトチャシへは,JR根室駅から納沙布岬行きのバス終点下車徒歩20分程度ですが,その他のチャシも回るならレンタカーなどが必要です.
スタンプの設置場所 JR根室駅前の観光インフォーメーションセンターにあります
登城のハード指数(★★☆ ややハードです) オンネモトチャシだけなら楽ですが,その他のチャシも見るなら,1日掛かりになります.
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
昨日日野市観光協会から今年のひの新選組まつり参加決定ハガキがきました.
ふと見たら文面が以前と変わっています.以前は「おめでとうございます! 第●回ひの新選組まつり隊士にあなたが選ばれました.つきましては○月△日までに~円振り込んで下さい」という,パッと見振り込め詐欺みたいな文面だったんですが….もしかして同じようなことを考えた人に指摘されたんでしょうか.
とりあえず今年も衣装持ち込み隊士として参加します.コンテストについては結局出場することにしました.昨年はネタ勝負をやって敗れ去ったので,今年はひっそりと目立たないようにPRする作戦で行こうと考えています.名づけてショスタコービッチ作戦(なんのこっちゃ…って,当日になればわかります 笑).
ところで今日4月2日といえば,1年前のちょうどこの日が新選組 IN パリ撮影の日でした.このあと急いで帰国,そして転勤と相成ったわけです.あれから1年,早いですねぇ.
| 固定リンク
| コメント (12)
| トラックバック (0)
先日火星シリーズの記事のついでに載せた気になる本,「火星の土方歳三」.
AMAZONの中古本で見つけて購入したものが昨日の夕方家に届き,一晩で一気に読み通してしまいました.
(写真) 表紙です.左上の美女と右下の緑色人がツボです.羽織っているのが新選組の羽織に似ているのは偶然です(笑).
火星シリーズはアメリカの作家エドガー・ライス・バロウズ(ERB)が1911年頃から書いたSF作品です.第1作の火星のプリンセスから第11作の火星の巨人ジョーグまで全11本あります.100年近く前の作品ではありますが,決して色あせることのない手に汗握る素晴らしい作品群です.私も初めて読んだ時は時間がたつのを忘れて読みふけったほどです.
このシリーズの大きな魅力が,その独特の火星世界です.赤色人や緑色人などの様々な人種や種族,バンス(火星ライオン)やキャロット(火星犬),シス(火星スズメバチ)といった火星独自の生物などが織りなす地球とは大きく異なる世界は非常に魅力的でした.
この火星シーズの世界に新選組の鬼の副長こと土方歳三が飛び込んでいくんですから,いったいどうなるやら,火星シリーズファンにして新選組愛好家としては非常に気になるところです.
読んでみて,いやー良くかけていると感心しました.ERBの火星ワールドに迷い込んで,ただ困惑する土方歳三がギャグのように描かれるパターンを予想していたんですが,さにあらず.もちろん当初は火星への移動,緑色人の襲撃やバンスとの一騎打ち,囚われて闘技場でのバトルなどERBワールド定番の場面と,それに戸惑う歳三が描かれます.しかし後半になると逆にERBワールドの中に新選組ワールドを作っていく歳三,火星一の大都市大ヘリウムの治安を守るための組織を結成し,自らその副長となって,不逞の輩をバッサバッサと斬っていくんです.彼の周りには火星の剣術使いが集まり,特に若くて陽気な赤色人の青年に三段突きをやらせる所は素敵過ぎます.もちろん歳三は火星でも女にもてます.奴隷にされていた赤色人の美女を身請けして,「歳三さま…」なんて呼ばれる始末,火星シリーズの世界がいつの間にか燃えよ剣の世界に変わってしまっています.
まず何より,本を開いてタイトルのページ,目次をすぎて,登場人物が列挙されているページがまずツボです.見事に創元社版の火星シリーズそのまんまなのです.創元社版の登場人物紹介は
ジョン・カーター…地球人,バージニア出身の騎兵隊大尉
タルス・タルカス…緑色人,サーク族の副首領
というふうに,名前・人種・身分出身等の順で列挙されていますが,これが全くそのまんまで,早くもこの本に引き込まれていきます.
文章そのものは歳三の一人称で語られます.すなわちその時々の彼の気持ちがストレートに表現されているわけで,非常に楽しめます.1869年(明治2年)5月11日新政府軍の銃弾に倒れた歳三の魂は遺体を離れその中空に漂います.彼は自分の遺体を取り囲んで涙する仲間たちについて,(以下本文より引用)
意外なのは、生前、私とは犬猿の仲だと思っていたあの榎本釜次郎―反りの合わなさ加減は、おおかた衆目の一致するところだろう―が、私の遺骸を前に涙したことだ。生きてるうちにそうしろよ、釜次郎と、私は思わず叫んだ…
滑稽なのはわたしの直属の上官、あの厚顔な大鳥圭介が、長々と弔辞を述べたことだろう。… おおかた 「ああ土方くん。思えばきみは」とかなんとか、美辞麗句を虚無に並べたに相違あるまいが、それを聞かずにすんだのは幸いであった。
(引用終了)
などといかにも彼が言いそうなことがつづられていて,嬉しくなったのでした.
この本,新選組愛好家でも十分楽しめますが,火星シリーズ(全部とは言わない,せめて冒頭3部作,いや最初の火星のプリンセスだけでも)を知っていて読むと,随所にツボる場面があって涙がでます.
古書とはいえ,これが100円は安かったなぁ.
| 固定リンク
| コメント (6)
| トラックバック (0)
最近のコメント