« ブタインフルエンザ | トップページ | 鯉のぼり?? »

2009年4月29日 (水)

日本100名城スタンプラリー49

日本100名城 名古屋城(44番)

 尾張名古屋は城で持つと歌われた名古屋城は,愛知県の県庁所在地名古屋市の中心にある城です.

Pc280040 (写真1) 外観復元された大小天守

 名古屋城の元となったのは戦国時代に今川氏によって築かれた出城で,当時は那古野城と呼ばれたそうです.その後享禄五年(1532年)に織田信秀がここを占領し,以後居城としました.しかし続く信長の代に清州城に移ったため那古野城は廃城となりました.

Pc280037 (写真2) 東南隅櫓

 関ヶ原の戦い・江戸開府の後,豊臣氏との最終決戦を決意した徳川家康は東海道の防衛拠点としてこの地に注目し,尾張の中心地を清洲からここに移すことを決定,こうして慶長14年(1609年)から築城が開始されました.この工事には福島正則,加藤清正ら豊臣恩顧の西国大名が多数動員されています.

Pc280044 (写真3) 西南隅櫓と後方の天守

 名古屋は江戸時代を通じて尾張藩62万石の城下町として栄えました.藩主は徳川御三家筆頭,尾張徳川家です.徳川将軍家に次ぐ家格で諸大名の最高位にあたりますが,なぜか江戸時代を通じて将軍を輩出することはありませんでした(紀伊徳川家からは8代将軍吉宗が,水戸徳川家からは15代将軍慶喜が出ています).歴代藩主の中では経済政策をめぐって8代将軍徳川吉宗と対立した7代藩主徳川宗春が有名です.

Pc280063 (写真4) 西北隅櫓を堀の外側から

 明治維新後,城自体は廃城となりましたが,天守や本丸御殿など主要な建築物は遺され,昭和5年(1930年)にそれらは国宝に指定されました.しかし大戦末期の空襲によってその多くが焼失してしまいました.

Pc280035 (写真5) 東側の堀には水がありません

 現在名古屋城の遺構として残されているのは3つの櫓(西北隅櫓,西南隅櫓,東南隅櫓)といくつかの門,石垣,堀などです.その一方再建も行われており,昭和34年に天守が鉄筋コンクリート製で外観復元され,現在は本丸御殿の再建が行われています.

Pc280036

名古屋城へのアクセス: 地下鉄名城線市役所下車すぐ(JR・名鉄金山駅での乗換えが便利)

 スタンプの設置場所 東門と正門の受付にそれぞれあります

 登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 見て回るには少し広いですが,よく整備された都市公園です.

44nagoyajo 登城日 2008年12月28日

|

« ブタインフルエンザ | トップページ | 鯉のぼり?? »

コメント

ビザ皇帝様 こんばんは!

「那古野城」だったんですかー!!
何かチョイ悪系な名前だったんですね~(?)
名古屋城、やっぱ映えますね~~!
威風堂々たる姿、一度は見てみたいです。

…そういえば盛岡某所の地主さんと思われる方のお家が、こんな感じで立派だった事をふと思い出しました。

投稿: まーうさ | 2009年4月29日 (水) 14:58

<まーうささん>
 こんばんは.
 名古屋城は日本の数ある城郭の中でも屈指の派手なお城です.名古屋の人は派手好きと聞きますが,このお城を見れば,さもありなんという感じです.
 機会があればぜひ見に行ってください.

投稿: ビザ皇帝 | 2009年4月30日 (木) 12:12

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 日本100名城スタンプラリー49:

« ブタインフルエンザ | トップページ | 鯉のぼり?? »