日本100名城 大阪城(54番)
大阪城というと豊臣秀吉,という強いイメージがあります.
天正十年(1582年)6月に織田信長が本能寺の変で倒れた後,当時備中高松城攻略に当たっていた秀吉は,直ちに軍を返して(中国大返し)明智光秀を討ち(山崎の戦い),その後の清洲会議,柴田勝家との賤ヶ岳の戦いを経て信長の後継者の地位に着きます.
(写真1) 現在の大阪城天守
その秀吉の天下統一の城となったのが大阪城でした.ここは戦国時代には石山本願寺があったところです.寺とは言いながら石垣をめぐらすなど要塞のような趣だった石山本願寺でしたが,信長との10年に及ぶ戦に敗れて天正八年(1580年)に炎上・焼失しました.そして信長死後の天正十一年(1583年),秀吉が跡地に城を築いたのです.
(写真2) 大阪城の外堀
秀吉の大阪城は本丸の増築だけでも1年半を要し,全体が完成したのがが秀吉自身の死の頃だったというほど巨大な城でした.三重の堀や運河,外観五層の天守閣には金箔が使われるなど,まさに天下人の城と呼べるものだったようです.
(写真3) 青屋門
しかし,慶長十九年(1614年)の大阪冬の陣の講和の結果,三の丸,二の丸は破壊され,大阪城は本丸のみの裸城になってしまいました.そして翌慶長二十年(1615年)の大阪夏の陣で豊臣氏の滅亡と共に完全に焼失してしまったのです.
(写真4) 六番櫓
その後,江戸幕府2代将軍の徳川秀忠によって再建されたのが今に残る大阪城です.秀吉時代の大阪城は完全に破壊されてしまったため,今の大阪城の全く新しい城ということができます.縄張りは秀吉時代の4分の1に縮小されてしまいましたが,石垣や天守閣はより高く,堀はより深いものとなったそうです.
(写真5) 多聞櫓
江戸時代を通じて大阪城は幕府直轄とされてきましたが,3代将軍家光が滞在した後歴代将軍が訪れることはありませんでした.そんな大阪城が再び脚光を浴びたのは幕末の慶応三年のことです.大政奉還・王政復古のクーデターの後,15代将軍徳川慶喜はこの城に入り新政府軍と対峙したのです(新選組の近藤勇,土方歳三らもこの時大阪城に入っています).
しかしその後の戊辰戦争の混乱の中,大阪城は再び炎上してしまいました.
(写真6) 千貫櫓
明治維新後は陸軍省の管理下に置かれましたが,第二次大戦後に大阪城公園として整備され現在に至っています.それ以前,昭和6年(1931年)には当時の大阪市長の呼びかけで今に残る天守閣が造られ大阪のシンボルとして親しまれています.
2008年の晩秋に訪問しましたが,紅葉の中に聳える天守の壮大さに圧倒されました.まさに天下のお城にふさわしいと思います(ただ,私の世代の人間にとっての大阪城はウルトラマンとゴモラの戦いの舞台というイメージが強いのですが 笑).
大阪城へのアクセス: JR大阪環状線大阪城公園駅・森ノ宮駅から徒歩15分程度です.
スタンプの設置場所 天守閣内の売店にあります.
登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) ちょっと広いですが気軽に散策できます.
登城日 2008年11月24日
最近のコメント