日本100名城スタンプラリー43
日本100名城 鳥取城(63番)
いよいよ山陰シリーズです.2008年秋に境港妖怪検定に行った際に登城しました.
鳥取というと鳥取砂丘のイメージが強烈すぎて鳥取の街自体はなんとなく地味な印象があります.そんな鳥取の街の中心だったのが鳥取城です.
鳥取城の歴史は戦国時代にさかのぼります.因幡の守護山名誠通が天文年間(1540年頃)に築いたのが始まりとされています.
今の鳥取市街地の北東に位置する久松山を利用して築かれた典型的な山城です.因幡山名氏の支城として武田氏が城番として入っていましたが,永禄年間(1560年代)に武田高信が毛利氏と組んで独立,以後は毛利・武田と山名・尼子の両勢力による激しい争奪戦の地となります.天正三年(1575年)にこの戦いは毛利氏の勝利に終わりますが,その後織田信長の勢力がこの地に及び,今度は毛利・織田両勢力の最前線となります.取ったり取られたりの攻防の末,決着を付けたのは豊臣秀吉でした.天正九年(1581年)夏2万の大軍でこの城を包囲します.このとき城兵は4千人程度だったといわれます.
しかし秀吉は力攻めはせず,城を完全包囲しての兵糧攻めを行いました.4ヶ月の包囲戦で兵糧がなくなった城内では餓死者が続出,その惨状に耐えかねた城主吉川経家は開城を決意,自らは切腹したのでした.
関が原の戦い後は豊臣系大名で武断派の池田輝政の家系が入り,一族内での多少の異動はあるものの(池田氏はここ鳥取以外に岡山にも立藩していたため)幕末まで続いていくことになります.江戸時代には要害としての城は不要になったため,山麓に新たに城郭が作られました.
明治維新後廃城となり当時の建築物はすべて破却されてしまい,現在は石垣や堀などの遺構があるだけですが,鳥取城は中世城郭としての山頂部と近世城郭としての山麓部という異なる時代の遺構が同時に見られる城となっています.
尚,鳥取城については古写真や古絵図が遺されており,将来的に江戸時代の姿を復元しようという計画があるようです(現在は城門のみ復元されています).
鳥取城へのアクセス: JR鳥取駅からバスで約10分西町バス停下車(バスはたくさんあります)徒歩5分,あるいはループ麒麟獅子Aコースで8分鳥取城跡バス停下車(1日6便)すぐです.
スタンプの設置場所 鳥取城そばに建つ仁風閣の受付にあります(声をかけると出してくれます).
登城のハード指数(★★☆ ややハードです) 山上の丸まで登ると結構な運動になります(約20分)
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コメント
ビザ皇帝様 こんばんは!
写真だけ見てるととても「★★」には見えないんですが、地図見たら(一瞬大きな池だな~っと思ったらそれが山だった・苦笑)ものっすごかったんだと…!
うん、冬に行って正解だったと思います。
砂丘は生で一度見てみたいです、雪原歩くのとどっちがハードか←こらこら
投稿: まーうさ | 2009年2月10日 (火) 14:44
ビザ皇帝さま、おはようございます。
着々と100名城を攻略してますね。このペースだと私の知っている人で初めての100名城制覇者になりそうです。
私が鳥取城に行くのはいつになることやらですが、このブログを最大限に参考にさせていただき、頑張ろうと思っとります。
ホント、いつか登城のコツでもゆっくりと聞きたいです。
投稿: Seiryu | 2009年2月11日 (水) 01:32
<まーうささん>
コメントありがとうございます.
鳥取城はふもと部分は江戸時代のお城,山の上は戦国時代のお城と,一粒で二度おいしいアーモンドグリコのような城です(違).
アハハハ,確かに池にも見えますね.さすれば真ん中に浮かんでいるのはボートで,山道部分はボートに繋がっているロープでしょうか(笑).
投稿: ビザ皇帝 | 2009年2月11日 (水) 10:22
<Seiryuさん>
コメントありがとうございます.
数は確かに増えていますが,遠隔地の九州沖縄が手付かずでいつ行けるか目処が立っていないのが悩みです(九州は広いので四国のように3連休に一気というわけにはいきませんし).
今の目標は雪が解けたら北陸遠征を実施することですね.
投稿: ビザ皇帝 | 2009年2月11日 (水) 10:25