日本100名城スタンプラリー35
日本100名城 岐阜城(39番)
岐阜城のある岐阜市は岐阜県の県庁所在地ですが,近くに名古屋市という巨大都市があるせいかなんとなく地味な印象があります(京都市と大津市の関係に似ているか?).
しかし戦国時代末期,織田信長が天下布武を掲げた頃には名古屋は存在せず(名古屋の町が作られたのは江戸時代になってからである),岐阜がこの地域の重要拠点でした.この地を岐阜と名付けたのは織田信長で,それ以前は井口と呼ばれていたようです.
(写真2) ロープウェイを降りて歩いて行くと天守に至る階段が見えてきます.
この地が歴史の表舞台に登場するのは何と言っても戦国大名斉藤道三の時代からで,当時は稲葉山城と呼ばれていました.彼は自分の娘濃姫を嫁がせるなど,信長を高く評価していたようです.しかし弘治二年(1556年)に自分の息子義龍と争って敗死,以後織田・斉藤の抗争が始まります.ただ斉藤義龍は政治家・軍略家として優れた人物であり,彼の存命中は信長もうかつに手が出せませんでした.転機が訪れたのは永禄四年(1561年)で義龍が急死したのです.跡を継いだ龍興は14歳と若く,しかも父や祖父に比べるとはるかに凡庸な人物だったようです.これがためたちまち家中が分裂し,そこを信長に突かれ,有力な家臣だった竹中重治(半兵衛)や稲葉一鉄の寝返りなどによって,永禄十年(1567年)に伊勢長島に追放され,この地は信長のものになりました.これ以降稲葉山城は岐阜城と名を替え,信長の天下布武の居城となったのです.
(写真3) 本丸の井戸.山頂の城ですから水の確保は死活問題です.
岐阜城は長良川沿いにそびえる金華山の山頂に築かれた典型的な山城です.元来戦いのための城といった趣で,その一方交通は不便です.これがため信長は山のふもとに御殿を建ててそこで政務をとっていたようです.
天正七年(1579年)に安土城が完成すると信長はそちらに移り,以後は信長の嫡男の信忠,本能寺の変以後の池田元助,織田秀信らが入りましたが,関ヶ原の戦いの後,徳川家康によって廃城とされています.
現在は岐阜公園として整備されています.山城ですがロープウェイがあるため楽に登城できます.麓からは壮麗な天守が見えますが,当時このような建物があったかは不明であり,いわゆる観光用の模擬天守に属します.当時の遺構としては石垣や土塁などが遺されています.
岐阜城へのアクセス: JR岐阜駅または名鉄岐阜駅から岐阜バスで15分程度,岐阜公園歴史博物館前下車.運行経路・本数ともかなりあります(岐阜バス).
スタンプの設置場所 天守から徒歩数分,ひっそりと建つ岐阜城資料館にあります(入場券は天守で購入).
登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) ロープウェイを使えば気軽に散策できます(使わなければ…).
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