« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »

2008年11月30日 (日)

日本100名城スタンプラリー34

 日本100名城 岡崎城(45番)

 愛知県は織田信長,豊臣秀吉,徳川家康のいわゆる天下人三人の出身地です.さらに岡崎市は江戸幕府を開いた徳川家康生誕の地です.それゆえここに来るととにもかくにも家康家康家康なんですが,そんな家康ワールドの中心に位置するのが岡崎城です.

Okazaki1 (写真1) 岡崎公園入り口の大手門です(もちろん復元です).

 岡崎城は15世紀半ばに当地の守護代だった西郷氏が築城したとされています.戦国時代に入って享禄四年(1531年)に松平氏が城主となります.しかし天文十八年(1549年)に松平清康が暗殺されるとこの地は駿河の今川氏の勢力下に入ります.この時今川氏のもとに人質として出されたのが清康の孫の竹千代,後の徳川家康です.

Okazaki2 (写真2) 再建された天守です.

 その後永禄三年(1560年)の桶狭間の戦いで今川氏が没落すると松平氏はその支配を離れ,以後家康は織田信長の同盟者(とはいえ力関係からすれば家臣同様ではありますが)としての道を歩んでいきます.岡崎城も家康の本城となりましたが,元亀元年(1570年)に家康が本拠を浜松に移し,さらに豊臣政権下で関東に移封されると以後は豊臣系の大名の城となります.この時期に近世風の城郭になったようです.

Okazaki3 (写真3) 石垣,空堀に当時の姿が偲ばれます.

 関ヶ原の戦い,そして江戸幕府開府後の岡崎城は,家康誕生の地という意味合いもあってか譜代大名の所領となり老中など幕府の要職に就く人物が多くでたようです.

Okazaki4 (写真4) 家康が産湯をつかった井戸だそうです.

 明治維新後廃城となり天守など城の建築物はことごとく破壊されましたが,堀や石垣などの遺構は遺されており,現在は岡崎公園として整備され昭和三十四年(1959年)には天守も再建されています.

 岡崎城へのアクセス: 名鉄東岡崎駅下車徒歩10分程度です.JR岡崎駅からは愛知環状鉄道に乗り換えて2つ目中岡崎駅下車徒歩10分です.

 スタンプの設置場所 天守の受付にあります.

 登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 気軽に散策できます.

45okazakijo 登城日 2008年8月23日

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月28日 (金)

いよいよ年の瀬

 今日は11月28日,気がついたらもう11月も終わりである.

 来週からはいよいよ師走,師匠も走る季節である.そんなわけか知らないが,今週から来週にかけて結構忙しいのだった(今週は夕方3回も都心に出る用事があった).

 ふと気づいたらこのブログの方も最近更新頻度が鈍ってきている.楽しみにしている方々(そんな人がいるのかは不明だが)申し訳ございません.ネタの方は溜まっているのがたくさんあるんですが…

 そんなわけで,ブログがこの有様なのでホームページの方はまだ更新できそうにありません(せめてしながわレポと新撰組 IN アフリカだけでも完成させたいのだが).

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年11月24日 (月)

上洛!

 この三連休,2年ぶりに上洛してきました.

 おおっ,幕末史跡めぐりができるじゃんと思ったんですが,今回の趣旨は別なところにあったため断念しました.

 実は私の母親が「京都に紅葉を見に行きたいから連れて行け」というもので,彼女とその姉(私にとっては伯母にあたる)らを引き連れて行ってきたと言うわけです(「紅葉なら八幡平でも見られるじゃないか」という心の叫びと共に 笑).

 紅葉も素晴らしかったんですが,それよりも秋の観光シーズンたけなわ,しかも三連休の京都はもの凄い でした.特に嵐山の渡月橋なんか,歩いて交差点を通過するだけで10分以上かかるんじゃないかという程の人ごみで,自然豊かな土地で通勤電車の体験をするというのが面白かったです.

Koyo (写真) 高雄の神護寺の紅葉

 帰ってきてネットのニュースを見たら

 「驚く女性客見たくて」電車内で幼虫200匹バラ撒いた男逮捕

 こんな記事が載っていました.京阪電車内で起こった事件だそうです.最近殺伐とした嫌な事件が続いていましたが,この事件では少なくとも怪我をしたり死んだ人はいないでしょうから,なんとなく不思議な気分になりました(なんかレベルが小学生のような事件.ニュースでは最近18件も同様な事件があったそうですが,同一犯なのかは不明なようです).

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年11月21日 (金)

母をたずねて三千里

 NHK BS2の毎週月曜から木曜日までの昼12時35分~13時,BS名作アニメ劇場というのをやっています.現在放送しているのが「母をたずねて三千里」で,これは私が小学校時分の作品です.今ではアニメファンでなくてもその名を知っているだろう,高畑勲さんが監督,宮崎駿さんが場面設定を担当している作品です.ちょうどお昼時間でもあり,可能な限り見ています.

Marco

 本放送,その後の再放送を見た記憶はあるんですが,こうして改めて10年以上ぶり見ていると,実にすばらしい作品であることがわかります.

 原作者は19世紀イタリアのエドモンド・デ・アミーチスという作家なんですが,実は「母を訪ねて三千里」という独立した作品があるわけではなく,彼の代表作である「クオレ」中の一挿話が元になっています.挿話ですから非常に短く,原作のままではとても1年間のシリーズ作品にはできないため,アニメでは製作スタッフオリジナルのエピソードや登場人物がたくさん登場しています.ただ,こういった手法は時に裏目にでることもあるんですが,この作品においては成功していると言えます.昔原作も読んだことがありますが,前述の通り短いため,場面の設定などが不十分で,アニメでは見事にその設定の穴を埋めていると思います.

 そんな母をたずねて三千里,今週は主人公マルコがお母さんを追って,アルゼンチンの首都ブエノスアイレスからパラナ川沿いの街ロサリオを経て内陸部のコルドバにたどり着くところまででした.コルドバはアルゼンチンでも歴史の古い町で,南米最古の大学(コルドバ大学)もあります.名前の由来はスペインにある同名の町で,こちらの方は中世にはイスラム教国(後ウマイヤ朝,西カリフ国)の都として非常に有名です.

 マルコの旅はいよいよ佳境ですが,何事にも影響を受けやすい私,マルコの足跡をたどるアルゼンチンの旅なんて企画をやってみたくなりました.汽車・船・馬車・牛車・徒歩と非常に激しい旅になりそうです(ヒマと体力がないと無理だな 笑).  

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2008年11月18日 (火)

闇に光る目

 昔,ウルトラセブンの第16話に同名のエピソードがありましたが,直接の関係はありません.

 深夜,人気のない駅から帰宅しようとすると,ふと闇に光る恐ろしい獣の眼光が…

Pb180030  ジャジャーン

 これは小田急線の某ローカル駅のホームで目撃した衝撃の映像です.よく映画やアニメなどで夜道に迷った主人公を狙う狼か何かのようです.

 この駅のホームの向こう側に潜む眼光輝く獣の正体は…

Pb180003  実はただの街灯なんですが,ちょうど正面から見ると目が吊り上がった獣の様に見えるのでした.まさか駅の関係者が狙ったわけじゃないんでしょうが,ちょっぴりワクワクする写真になりました.

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年11月17日 (月)

跡(BlogPet)

アロイジアは設置するはずだった。
それで場所本丸跡得票したいなぁ。

*このエントリは、ブログペットの「アロイジア」が書きました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

群馬寮歌祭

 この週末前橋に行ってきました.11月16日に行われた”群馬寮歌祭”にお招きいただいたからです.普段は音楽というとクラシックやアニソンばかりが出てくる私ですが,深層心理には寮歌が潜んでいて,何かの折に頭をもたげてくるのでした.

Ryoka_001 (写真1) なんとなくひっそりとした前橋駅前

 前日夕方都内で別用を済ませてそのまま前橋へ.前橋といえば群馬県の県庁所在地なんですが,利根川を挟んで反対側に高崎という大きな町があり,しかもこちらの方が交通の要衝だったりするためイマイチ地味な印象です.電車を降りた駅前もなんとなく地味でした(県庁所在地の駅前の寂しさとしては山口並みか?).

Ryoka_025 (写真2) 次々と寮歌が披露されていきます.これは北大予科の方々

 さて旧制の高等学校などで歌われた寮歌ですが,旧制高校が廃止されてから58年,当時現役だった方々も最年少で80歳近くになります.いつもいつも思うのですが,皆さん本当に元気です.

 寮歌祭は全国各地で行われており,それぞれ地域性があるようですが,ここ群馬の寮歌祭は北大予科,第四高校,新潟高校関係者が多く参加しているようでした.

寮歌祭の様子(第四高等学校の北の都です).

こちらは同じく第四高等学校の南下軍の歌です.

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年11月15日 (土)

日本100名城スタンプラリー33

 日本100名城 長篠城(46番)

 戦国時代には数多くの合戦が行われていますが,武田氏没落の要因のひとつとなった「長篠の戦」は非常に有名です.通説では織田・徳川連合軍が当時新兵器だった鉄砲三千丁を三段撃ちして,武田の騎馬隊を撃破したと言われていますが(黒沢明監督の映画「影武者」が有名),最近では異論もあるようです.

Nagashino4 (写真1) 牛渕橋からの城の全景,いかに難攻不落であるかわかります.

 そんな長篠の戦ですが,戦いのきっかけとなったのが天正三年(1575年)の武田勝頼による長篠城包囲です(実際の主戦場となったのはここから3~4km西の設楽原).

 長篠城は16世紀の初めに菅原元成によって築かれ,一時武田氏の勢力下におかれましたが天正元年(1573年)に徳川家康に攻められ,以後は家康側の城となります.この時に今に残る城構えが作られたといわれます.

Nagashino2 Nagashino3

(写真左) 土塁の遺構,(同右) 石垣の遺構

 豊川と宇連川という二つの川を天然の堀とし,その合流地点の断崖上に本丸が築かれています.実際に行って見ると,川を越えて攻めるのは(近代以降のように大型の大砲が別ですが)極めて困難な難攻不落の城であることがわかります.天正三年にもわずか500人の城兵で15,000人の武田軍の攻撃をしのぎ切っているほどです.

Nagashino5 (写真4) 武田軍に捕らえられながらも,援軍がすぐそこまでやって来ていることを城兵に告げ磔にされた鳥居強右衛門の墓です.

 そんな長篠城ですが,この戦いで大きな損傷を受けたことから戦後廃城となっています.現在は土塁,空堀,石垣の一部などが遺構として残っています.特に対岸の牛渕橋からは城の全体像が確認できて圧巻です.

 長篠城へのアクセス: JR飯田線長篠城駅下車,駅前から左に向かいすぐに本丸があります.

 スタンプの設置場所 本丸跡の長篠城址史蹟保存館の受付にあります.

 登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 普通の気軽に散策できます.

46nagashinojo 登城日 2008年8月23日

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年11月14日 (金)

第3回境港妖怪検定合格発表

 さる10月26日に行われた第3回境港妖怪検定の合格発表が本日ネット上で行われました.

 境港妖怪検定

 今年中級を受験した私の結果はというと…

 見事というか予想通りというか,不合格でした(泣).

 ちなみに今年の中級は186人受験して合格者が31人,ちょうど1/6=0.1666… の合格率だったようです.16.7%って,昨年よりも低いんですけど(昨年は18%).昨年難しかったから今年は反動で易しくなるという私の予想は見事に裏切られたのでした.

 さあ,来年こそはしっかり勉強して頑張ろう.

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年11月13日 (木)

論文とは?

 本日はちょっと硬い記事です.

 当ブログは基本的に政治的な話題を取り扱わないんですが,今日はちょっと特別に.

 最近世間を賑わせた話題に,航空自衛隊の前幕僚長による論文問題があります.国会で参考人招致も行われました.

 実は当初この話題が出たときの私の認識は,「論文の内容がかなり微妙なテーマを扱っており,しかもその趣旨が政府の公式見解と食い違っていれば,自衛隊の幕僚長という立場を考えると問題になりそうだな」というものでした.内容に関してはそれほど関心を持ちませんでした.

 私は戦史にはかなり興味があり,その筋の書物もかなり読んでいます.それゆえ、こういったテーマ(戦争とは所詮政治の延長であり,善悪二元論で単純に語れる性格のものではない)の難しさもわかります.自分の子供時代の日教組全盛期に盛んだった,いわゆる自虐史観に反発する一方で,その対極にありそうな靖国史観にも強い違和感を感じます.一般にマスコミはこういった話題をセンセーショナルに書きたてる傾向があるため,少なくとも航空幕僚長という要職にある方の書いた論文なら,それなりの説得力もあるのだろうと思っていました.その論文を読むまでは…

 今日,件の前幕僚長の論文(某所で最優秀賞を取った論文だそうである)を読む機会がありました(前幕僚長の論文).

 一読して目が点になりました.

 「これは論文なのか?」

 私も一応学位を持った学者の端くれです.今でも稀に論文を書くこともあります.

 論文とは自分(およびその共同研究者)の主張を論理的に述べた文章です.ただ,主張をすれば良いというものではなく,その主張の根拠となるものを示さなくてはなりません.根拠がなくただ主張だけ書き連ねるのは妄想であって論文ではありません.

 他人の論文を読む場合には,書いてある内容を鵜呑みにすることはできません.書いてある内容が真実である保証はないからです(人は活字に書かれた文章は無条件で事実と捉えがちですがこれは危険なことです).あくまでもその文章を吟味し,自分なりに考える必要があります.そして論文を書く側は読者が検証できるように,自分の論文の根拠となった資料(実験ならその方法,他の研究者の意見ならその元論文等)を提示する必要があります.

 そういう意味では,件の論文は論文とはいえないような気がします.あちこちに「~である.」,「~であるといわれている.」,「最近~であるといわれるようになった.」という文章が出てくるんですが,そのほとんどに引用文献が記載されておらず,検証の仕様がないからです(一般に論文には文中必要な箇所に脚注を付け,最後に参考文献リストが載るんですが,この論文にはそのようなものはついていませんでした).これでは言いっ放しの文章であり,とても学術論文と呼べるシロモノではないと感じます(あえて言えばエッセイでしょうか).

 案外今回の事件の最大の問題は,こんなエッセイとしか思えない文章を論文と称して書いてしまうような人物が幕僚長の重職に就いていたという事実なのかもしれません(ウチの同僚が「これなら辻政信の方がマシな論文を書きそうだ」と言っていました).

Tsujimasanobu (写真) 辻政信大佐は一部では非常に有名な旧陸軍の参謀です.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月12日 (水)

坂本龍馬

 大河ドラマ篤姫が好調である.視聴率もコンスタントに20%を超えているらしい.

 元々幕末モノの大河ドラマは当たらないというジンクスがある.過去に幕末モノの大河は数多く制作されているものの,視聴率的に成功をおさめた作品はないからだ.「獅子の時代」や「新選組!」などのように一部のファンの絶大な支持を集めた作品も視聴率的には成功したとは言い難い.

 そんな中再来年の大河ドラマが「龍馬伝」ということで,わずか1年おいてまた幕末というあたりに,幕末モノが一般に認知されてきたのかなどと嬉しく思うのだった(過去にはは昭和42年「三姉妹」,昭和43年「竜馬がゆく」と2年連続の幕末があったらしいが私が覚えているはずはない).

 そんななか,当ブログの記事の中で「坂本龍馬の写真」(2007年3月の記事)へのアクセス数が最近激増していた.再来年の大河「龍馬伝」の主演俳優が決定したというニュースもあったから,その影響なのであろう.

 で,さらに詳しく調べるとこの記事にたどり着く人の多くは,googleの画像検索で「坂本龍馬」というキーワードによるものだった.自分も実際にやってみたのだが…

Ryoma_002 (写真) 坂本龍馬でgoogleの画像検索をかけると… 左下の写真との対比が笑える.

 坂本龍馬の画像群のなかに紛れ込んだ1枚の写真(ウォーリーを探せ状態),こりゃたしかになんだろうと思ってクリックしてしまうな(笑).

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年11月11日 (火)

究極の贅沢とは?

 昨日仕事で都内に行ってきました.

 新幹線でいったんですが,小田原を出た新幹線は新横浜で停車すると,結構な乗り降りがあります.しかし次の品川では降りる人はたくさんいますが,乗ってくる人は一人もいませんでした.そこでふと思ったんですが

 究極の贅沢とは? というわけで

 品川駅から東京駅まで新幹線で行く(しかもグリーン車)

 すごい贅沢だと思いませんか? 東京-品川にはいくつか経路がありますが

 山手線京浜東北線  11~12分  160円,

 東海道線横須賀線   8分     160円

 東海道新幹線       6~7分   1000円(乗車券160円+自由席特急券840円),もし本当にグリーン車利用ならなんと!3080円(乗車券160円+グリーン券2920円),究極ののぞみのグリーン車だと3280円(乗車券160円+グリーン券3120円)になります.

 同様に上野-東京間を新幹線利用する作戦も考えられます.こちらは

 山手線京浜東北線     8分    150円

 東北上越長野新幹線  5分   990円(乗車券150円+自由席特急券840円),グリーン車利用だと2940円(乗車券160円+グリーン券2790円).

 しかもこの場合,上野駅の新幹線ホームが地底奥深くのため,エスカレーターに乗っているうちに在来線に負けてしまうというオマケ付きなのでした.

 もし宝くじが当たったらやってみてもいいかなと思っています(上野-東京 はJR東日本の土日フリーきっぷなどを利用した際にやってみてもいいかもしれない).ちなみにJRによると東京-上野間,東京-品川間の新幹線定期券の設定はあるそうです(それぞれ1ヶ月34,970円,35,280円 利用者がいるかどうかは不明).

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年11月 8日 (土)

方言

 言葉というものは地域や時代によって大きく変化する.地域によって話される独特の言葉がいわゆる方言である.

 日本は南北に意外に広いことから,たとえば青森の津軽弁と沖縄の言葉を比較すると,別な言語のようにも感じてしまう(少なくともスペイン語ポルトガル語の差以上はありそうだ).

 私が育った盛岡でもそうした方言はたくさんある.例えば

 米を研いだ後,水に浸しておくことを

 うるかす(うるがす とも言う.アクセントはにつく)

 風呂上がりなどに足を十分拭かないまま廊下を歩いて水浸しにすることを

 だらめかす(だらめがす とも言う)

 大変だという意味の言葉として

 ゆるぐない(緩くはない から来ていると思われる).使用例「100円稼ぐったらゆるぐねんだ」(意 100円稼ぐのも大変である) などである.

 これらは明らかに方言とわかるのだが,その一方使っている自分自身でも方言であることを忘れている言葉もある.

 たとえば,捨てるいう意味で使われる,投げるは他地域で使うと時にキョトンとされることがあり,方言であることを思い出す.

 また,「ちょっと(短い時間)寝る」という意味で使われる,「寝て起きる」という言葉があり,これも盛岡周辺以外では聞かれない(この言葉寝て,そのあと起きるという一連の動作を表現しており,完了形の一種なのかもしれない).

 最後にイントネーションの問題について.沸騰した水のことをお湯というが,どういうイントネーションで呼ぶか学生時代に話題になった.大多数の地域では「おゆ」と特に抑揚をつけずに呼ぶのに対し,盛岡出身者は「」と前半のおを強調する傾向があるらしかった(そういえば自分もそうだ).

 このように言葉についてふと考えるのも面白いものである.

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2008年11月 7日 (金)

日本100名城スタンプラリー32

 日本100名城 掛川城(42番)

 現在の静岡県は旧国名では大井川を挟んで西が遠江,東が駿河になります.その遠江側にある100名城が本日のテーマ掛川城です.

Kakegawa1 (写真1) 復元された天守です

 掛川城といえば「功名が辻」で知られる山内一豊とその妻千代が有名で,豊臣政権下の天正十八年(1590年)に5万石の大名としてこの地に封じられています.彼の時代に天守の建築や城下町の整備が行われたといわれています.

Kakegawa5 (写真2) 大手門(再建)です

 関ヶ原の戦いの後,一豊は20万石に加増され土佐に移り掛川を去りました.元来掛川は東海道という極めて重要な街道筋に位置する城であるため,江戸時代になるとこの城には譜代大名が置かれるようになりました.しかし佐倉城などと同様重要地点であるがゆえか,当初は藩主の交代が激しく,江戸開府から18世紀半ばまでなんと12家が入れ替わり立ち替わりこの城に入っており,これがためなかなか藩政が安定しない状態が続いていたようです.しかし延享三年(1746年)に太田資俊が5万石で入るとようやく藩政が安定し,そのまま幕末に至ります.ただ安政年間にこの地を襲った大地震のために天守や御殿など城の建物は大きな被害を受けました.その後文久年間に御殿は再建されましたが天守が再建されることはなく,明治維新後廃城となっています.

Kakegawa4 (写真3) 重要文化財の二ノ丸御殿です

 現在掛川城は掛川市観光の中心として整備されています.最大の見どころは文久年間に再建された二の丸御殿で,国の重要文化財に指定されています.その他本丸にある太鼓櫓や石垣なども当時のもののようです.一方幕末に倒壊した天守は20世紀末の平成六年(1994年)に木造で復元され,以来こちらの方が掛川城のシンボル的存在になっています.

Kakegawa2 (写真4) こちらも現存の太鼓櫓です

 私が掛川城に登城したのは2008年8月23日でしたが,ちょうど二の丸御殿を見学していた所係員の方がやって来て,「実は城内にある二ノ丸美術館の入場者数が間もなく50万人になるので,今行くといいことがあるかもしれませんよ」と言われたのでした.これは面白そうとさっそく行ってみたんですが,なんと私は晴れて500,001人目の入場者でした(笑).500,000人目の方は東京からいらした方で,なんでも京都の友人とのウン十年ぶりの再会のためにこの掛川で落ち合ったという劇的な方でした.美術館前では市長も参加して50万人記念式典が厳かに執り行われました(掛川市のHP 左端にちらっと腕だけ写っているのが私です).

 ジャストではなく絶妙に前後賞に当たるところが自分らしくていいなと思い城を後にしました(記念品として静岡のお茶をいただきました).

 掛川城へのアクセス JR掛川駅から北に向かって徒歩10分程度です.迷うことはないと思います.

 スタンプの設置場所 二ノ丸御殿の受付にあります.

 登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 普通の都市公園です.

42kakegawajo 登城日 2008年8月23日 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 6日 (木)

スパゲッティイタリアン

 大学が地元でなかった私は学生時代一人暮らしをしていた.そうなってくると問題になるのは食事である.マメな人は自炊をするんだろうが,元来無精者の私は調理などというものとは縁遠い存在であった.しかもサークルやらバイトやらに精を出していたこともあって,もっぱら外食が多かった.

 とはいえたまには家で何かを作ることもあった.そんな私の愛用品が本日の表題”スパゲッティイタリアン”である.

Italian_003

 これはマ・マーから出ている茹でパスタの一種なのである.本来なら乾麺を茹でる方が割安な場合が多いのだが,当時の私には麺を茹でることすら面倒なことなのだった.しかもこのイタリアンは1食分でほぼインスタントラーメン並みのお値段と貧乏学生にもやさしいシロモノであった.

 さてこのスパゲッティイタリアン,写真を見るとナポリタンにも見えるのだが… 

 しか~しこれはあくまでイタリアンなのである.じゃあ,どこがどうイタリアンなのか? その秘密はソースにある.

 なんとこのスパゲッティのソースは粉末なのである.ちょうどサークルのキャンプでバーベキューなんかをやると登場するマルちゃんの3食入りソース焼きそばのソースと同じノリなんである.

Italian_005(写真) 茹でめんと粉末ソース入りです

 炒めた茹でスパゲッティにこの粉ソースを絡めると完成という非常に安易なこのスパゲッティ,一口食べると安っぽいB級風味が口の中に広がるという私好みの食品なのであった(笑).

 先日この懐かしイタリアンを発見し思わず購入してしまった(最近の物価高でこれも1食115円になっていました).

 ちなみにマ・マーからは同じシリーズでスパゲッティナポリタンも発売されており,こちらにはきちんとペースト状の立派なソースが付いているのだった(値段はイタリアンの1.5倍くらいする).

Neapolitan (写真) こちらがペースト状ソース使用のナポリタン

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年11月 5日 (水)

選挙人の裏切り

 さっきテレビを見たら,アメリカ合衆国大統領選挙で民主党のオバマ候補の当選が確実になったというニュースをやっていた.

 アメリカの大統領選挙は国民による直接選挙ではなく,今回の選挙で選ばれるのはあくまでも実際の大統領選挙で投票をする選挙人である(本当の選挙は来月行われるらしい).

 なんでこんな面倒くさいことをするのかというと,18世紀など今とは比べ物にならないほど交通事情が悪い頃には,全国一斉に選挙を行うのがいろいろな面で困難であり,各地で代表者を選んで,その代表が集まって選挙をする形式の方が便利だったからと思われ,その名残が今でも残るということらしい(まあたしかに馬車で投票箱を輸送中に盗賊に襲われるなんてこともありそうだし).

 本日の選挙では民主党のオバマ候補の方が,自分に投票してくれる(予定の)選挙人を多く獲得する見込みとなったことから件のニュースになったというわけだ.

 そこで,私の頭に浮かんだ素朴な疑問が…

 「その選挙人が裏切って,反対陣営に投票したらどうなるんだろう?」

 選挙人の裏切りというわけである.日本でもある党から立候補して当選しておきながら,いつの間にか反対陣営に移って平気な顔をしている議員もいるから,案外あり得るんじゃないだろうか.もちろん過去には選挙人の裏切りによって,国民の投票結果と異なる大統領が選出された例はなさそうだが,今回確定した選挙人の数と来月の実際の選挙での得票数に差があれば,それは裏切った選挙人となるわけで,ひそかに注目である.

 追記: 不意の裏切りはともかく,11月の選挙が終了してから1ヶ月の間に当選予定の候補にもの凄~いスキャンダルが発覚したりすれば,選挙人が大挙して裏切るなんてことも本当にあるかもしれない.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 3日 (月)

日本100名城スタンプラリー31

 日本100名城 駿府城(41番)

 さて青春18きっぷの使用期限が迫ってきた8月末,東海道線沿線の100名城を廻ろうと土曜日の朝一の東海道線下り普通列車に乗って出かけました.まず目指したのは静岡市にある駿府城です.

P8230014 (写真1) 駿府公園内に建つ徳川家康の像

 静岡市のある静岡県東部は駿河国と呼ばれ戦国時代には今川氏が支配する土地でした.しかし永禄三年(1560年)の桶狭間の戦いを契機に今川氏が滅ぶと西から徳川家康,北から武田信玄が侵入しそれらの勢力下にはいりました.武田氏滅亡後は家康の支配になりますが,豊臣政権になると家康は北条氏の後釜として関東に移封,代わって秀吉恩顧の大名(中村一氏)が入ります.江戸開府後の慶長十二年(1607年)には将軍職を秀忠に譲った家康が大御所として再びこの地に入り,元和二年(1616年)にこの地で没しています.

P8230036 (写真2) 復元された巽櫓

 江戸時代初期には家康の十男頼宣や秀忠の次男忠長などの将軍に近い親藩がこの城に入りましたが,寛永八年(1631年)に忠長が兄である将軍家光に追放されたのちは幕府の直轄地(天領)となり幕末に至ります.明治元年には大政奉還からの一連の流れで隠居した徳川慶喜の後継として徳川家達が駿府藩主として来ています.

P8230011 (写真3) こちらも復元の櫓門です.

 しかしその後の廃藩置県によって廃城となり,明治以後は陸軍歩兵34連隊の駐屯地となったため,城の建物はことごとく失われ,本丸の堀も埋められてしまいました.

P8230013 (写真4) 本丸に復元された水路です.石垣は当時のもののようです. 

 近年は駿府公園として整備され,巽櫓や東御門などの復元も行われ往年の姿をしのばせています.また埋められた本丸の堀(?)も一部復元されているようで,水路となっています.ここの石垣は当時のもののようです.

 駿府城へのアクセス: JR静岡駅から徒歩10分程度です.

 スタンプの設置場所 駿府公園内の巽櫓・門の受付にあります.係員に言うと出してくれます(受付は9時からですが,8時50分にいっても大丈夫でした)

 登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 普通の都市公園です.

41sunpujo 登城日 2008年8月23日

 

| | コメント (2) | トラックバック (1)

行ってきました

 この週末,盛岡で仕事関係のイベントがあり行ってきました.

 今回は経費節減のため往復夜行バスにチャレンジ.夜行バスといえば,以前企画旅行型の夜行バス(路線バスではなく,ツアーバスの設定になったタイプ,一般に料金が安いことが多い)を利用したことがあったんですが,バスが普通の4列シートで,しかもトイレもないため結構きつかったです.そのため今回はJRバス東北等4社が共同運行している3列シートの夜行バスを利用しました.

 このバス,現在はドリーム盛岡(らくちん)号というんですが,今年の6月までは本当に「らくちん号」という名称でした.なぜにそんな名前(一般には東京-弘前のノクターン号,八戸-東京のシリウス号などハイカラな名前が付いている)と思うんですが,実は当初愛称の設定がなく,パンフレットに「3列シートでらくちん」などと大書きされていたのがいつの間にか愛称になったということのようでした.

 10月30日(金)仕事を終えて,一旦家に帰り夕食と入浴を済ませて東京へ向かいます(らくちん号は東京駅八重洲南口始発で,途中池袋を経由して盛岡に行く).途中コンビニによって飲み物を調達,出発に備えます.東京駅の八重洲南口は全国各地に向かう高速バスがひっきりなしにやってきて大賑わいでした.

 私の乗るバスは夜11時50分に出発,発車間もなく消灯となり乗客は就寝モードに,私もあっという間に寝てしまいました.乗り心地・寝心地は国際線のエコノミークラスよりはよっぽどマシですが,さすがに座席がフラットになるわけではないので,まあそれなりです(国際線搭乗時に使う空気枕を使ったら快適度がかなり上がりました).

Morioka_024 (写真1) 岩手山もすでに冠雪しています.

 約7時間ちょっとで盛岡に到着,眠い目をこすりながらバスを乗り換えてスーパー銭湯へ.朝風呂&仮眠をとってそのまま市内に入り,まずは恒例の白龍のじゃじゃ麺です.約2ヶ月半ぶりでした.その後盛岡城址公園へ.ちょうど紅葉真っ盛りで,たくさんの人が散歩していました.気温も首都圏に比べて低めでしたが風がなく,秋晴れの晴天だったのでとても気持ちよかったです.

Morioka_005 (写真2) 城跡は紅葉真っ盛り

 その後スーツに着替えて会合そして宴会となだれこんだのでした.

Morioka_009 (写真3) 紅葉と石垣の組み合わせがいいです

 次の盛岡入りは12月の予定です.

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年11月 2日 (日)

地震登場したかも(BlogPet)

きょうアロイジアは、地震登場したかもー。

*このエントリは、ブログペットの「アロイジア」が書きました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »