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2008年10月14日 (火)

日本100名城スタンプラリー29

 日本100名城 水戸城(14番)

 水戸は現在は茨城県の県庁所在地であり,江戸時代には御三家のひとつ水戸徳川家の土地でした(水戸藩).水戸藩の開祖は徳川家康の十一男徳川頼房で二代目が水戸黄門で有名な光圀です.

Mito3 (写真1) 三の丸に残る藩校弘道館です.

 水戸藩は表高35万石と御三家の中でも最小でしたが,実高は30万石未満とさらに少なくその一方御三家ということで格式だけは高かったため出費の方は多く,常に財政難に苦しんだ藩でした.幕末のオピニオンリーダーとなった藤田東湖の息子の藤田小四郎も,「子供の頃大根一切れもらうのに,頭を下げなければならなかったのが一番辛かった」と言っているほどです(図説幕末・維新おもしろ事典 三笠書房より引用).

Mito4 (写真2) 弘道館内にのこる尊攘の文字

 水戸藩は学問がさかんな藩で,光圀が編纂を始めた大日本史をはじめとする水戸学は幕末の尊皇攘夷思想の理論的支柱となり,また九代藩主の徳川斉昭は藩校である弘道館を作りました.

Mito1 (写真3) 現水戸一高に残る薬医門です.現役の高校生がこの門をくぐって入って行きました(羨ましい 笑).

 そんな水戸藩の居城だったのが水戸城で今の水戸市の中心部,JR水戸駅の北側にあたります.再開発によって当時を偲ぶものは多くはありませんが,先にあげた弘道館のほか空堀や土塁などの遺構が随所に残されています.特に本丸に立つ茨城県立水戸第一高等学校の入り口にある薬医門は貴重な当時を偲ぶ建築物となっています(明治以後,三階櫓も現存していましたが昭和20年の戦災で焼失してしまいました).

Mito2 (写真4) 警察署の脇にある空堀の遺構です.

 幕末になると水戸藩は藩主斉昭や藤田東湖などの優れた思想家の登場によって,尊王攘夷運動の魁となりました.しかし天狗党と書生党による血で血を洗う内部抗争に陥り,有為の士を多数失い,結局明治新政府で活躍する人材を排出することはできませんでした.

 スタンプの設置場所 弘道館の受付にあります(言うと出してくれます).

 登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 遺構は散らばっていますが比較的楽に見て歩くことができます.

14mitojo 登城日 2008年8月10日

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コメント

ビザ皇帝様 こんばんは!

水戸城ですか!何だかさすがというか何と言うか…歴史を感じますね。
歴史上のいろーんな有名な方々がここを右往左往してたんだな~なんて思いました。
水戸城の一部が高校の入口というのにはビックリです!!すっごく守られていそうだ・・・

投稿: まーうさ | 2008年10月14日 (火) 22:00

<まーうささん>
 こちらにもありがとうございます.
 水戸というと水戸黄門が圧倒的有名ですが,幕末にも縁が多い土地ですね(井伊直弼暗殺も主として水戸藩ですし).
 盛岡のように城跡が公園になっているわけではないんですが,当時の門があったり趣はいいですよ.それと納豆も…

投稿: ビザ皇帝 | 2008年10月15日 (水) 16:19

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