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2008年9月30日 (火)

ナミビア料理

 先日ナミビアに行った際いろいろなものを食したんですが,意外とおいしいものが多かったです.

 まずは 牡蠣(オイスター) 

Kaki (写真1) ナミビアの海岸でとれた新鮮な牡蠣です.生で食べても大丈夫でした.

 牡蠣は日本でも北海道の厚岸や東北の松島なんかにいくと旨いのが食べられますが,ナミビアの沿岸もグッド,なんと生で食べられます.今回私たちのグループに帯同してくれた白人ガイド氏も沿岸滞在中は食いまくってました.

 次が後半の宿泊地となったロストックリッツ・デザートロッジの昼食で食べた

 ワニ(クロコダイル)

Wani (写真2) ワニです.昔ヤクルトスワローズにいた外国人選手パリッシュが大好物だったと話題になっていました.

 丸い形をしているのは尻尾の部分だからで,真ん中に骨があります.味の方はちょっと脂っこくて柔らかい鶏のような感じでしょうか.とても美味しかったです(日本では愛知県のリトルワールド内でお手軽に食べられます).

 そして締めは同じくロストックリッツ・デザートロッジの昼食で同じグループで参加されていた方が注文したこれ,

 海老(ロブスター)

Ebi (写真3) ロブスターです

 ちょっとおすそ分けしてもらいましたが,これまた美味でした.

 このようにナミビアは海の幸を中心になかなか美味しいものがありました.

P9160050 (写真4) そして食事のお供にはこれ,地元のビール”ウイントフックラガー”です.

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2008年9月29日 (月)

相互乗り入れ

 昨日しながわ宿場まつりに参加のため京急(京浜急行)を利用した.

 実は京急線にはちょっとした特徴がある.

Keikyu Yottoeru

(写真左) 京急線の線路,(同右)JR東海道線の線路

 写真を見ていただくとわかるのだが,線路幅が広いのである.

 JRをはじめとする日本の多くの鉄道路線の線路の幅(軌間)が1,067mm(狭軌)であるのに対し,京急のそれは1,435mm(標準軌)とより広い規格を採用している.

 軌道が広いということはそれだけ列車の安定性が増すということであり,その分高速で安定走行ができることになる.実際にJRと京急が競合する品川-横浜間で見ると,所要時間がJR東海道線で18~19分,京急の快特が17分と距離がほぼ一緒で停車駅が京急の方が一つ多いにもかかわらず(JRは川崎のみ,京急は京急蒲田と京急川崎の2駅)京急の方が速いのである

 実はこの京急の規格は新幹線の規格と同じである.当初新幹線の建設に当たり,軌間をどうするのか議論になり当初は在来線と同様の狭軌採用の意見が強かったのを当時国鉄総裁だった十河信二と島秀雄の主張でより高速運行に適した標準軌建設に持っていったいきさつがある.

 そこで考えたのだが,軌道が一緒の東海道新幹線と京急線の相互乗り入れをやったらどうだろうか.そうすれば新幹線が直接羽田空港に乗り入れるのである.多くの路線が相互乗り入れをやっている時代,実現性はあるんじゃないか.

 東海道新幹線にはのぞみ,ひかり,こだまがあるが,名古屋・大阪以遠の人が羽田に用があるはずはないから,とりあえずはこだまのみ羽田乗り入れでどうだろう.小田原から直接羽田に乗り入れられるのである.これは便利だ!とりあえずこだま号は品川駅から京急に入り羽田空港まで行くルートにしよう(品川の次の停車駅はもちろん羽田空港,そうすると小田原-羽田の所要時間は40分強である).

 と,ここまで書いてきて問題点に気づいた.列車幅である.新幹線の車両は在来線のそれより大きく,そのままではホームに入れない.それを解決する方法として,こだま号はこまちタイプの車両に替えることにする(こまちは在来線と同じ大きさなので在来線ホームに入れる,一方新幹線ホームに入る際には可動式のステップを出してホームと列車の隙間を埋める).

 夢の名古屋発羽田空港行きの東海道新幹線こだま号を見てみたいものである(注 他にも電源の違いなどクリアーすべき問題も多いんですが).

 

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2008年9月28日 (日)

しながわ~

 今日,大きな扮装イベントであるしながわ宿場まつりに参加して来ました.

 昨年ブログ仲間のフミヲさんに誘っていただき初参加,土砂降りでテンション下がる中,「これは天気がよければ楽しいまつりに違いない」というわけで,今年も参加と相成った次第です.詳細は後日HPにレポをアップする予定(どうでもいいけど,アップしなきゃならないレポが溜まってるぞ自分 笑)です.

 今年扮した役は,自分にとって原点ともいえる新選組局長近藤勇です.当日は晴天とはいきませんでしたが,幸い雨が降らず気温的にはベストコンディションだったのではないでしょうか.ご一緒させていただいた方々,見に来て下さった方々ありがとうございました.

P9280009 (写真) 近藤勇になった皇帝,衣装が映画っぽくて良かったです.

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2008年9月27日 (土)

日本100名城スタンプラリー26

 日本100名城 箕輪城(16番)

 100名城スタンプラリーも8月に入り,いよいよ青春18切符が活躍する季節になりました.というわけで,ここからしばらくは関東・東海編です.

Mino1 (写真1) 箕輪城の構内図

 箕輪城は群馬県高崎市の郊外にある平山城です.この城を築いたのは長野氏で,元は関東管領上杉氏の重臣でした.戦国時代に入り上杉氏が越後に去った後もこの地に残り,永正九年(1512年)に長野業尚によって造られました(大永六年(1526年)に長野憲業によるという説も).

 戦国時代後期にこの地は上杉・武田・北條の三大勢力のせめぎあう土地となりました.特に弘治三年(1557年)以降たびたび武田信玄の攻撃を受け,城は何度も危機に陥りましたが,城主長野業正以下結束して奮闘し,ことごとく撃退に成功しています.

Mino2 (写真2) 二ノ丸に建つ碑です

 しかし永禄四年(1561年)に業正が没すると武田の攻勢が再開され,ついに永禄九年(1566年)に箕輪城は落城となりました(このとき城主だった業正の子業盛は父の遺言に従い,城を枕に討ち死にしています).

 その後武田氏の滅亡後は信長傘下の滝川一益,ついで北條氏直の支配となり,徳川家康の関東入封後の慶長三年(1598年)に廃城となりました.この時最後の城主だったのが後に彦根藩主となる井伊直政です.

 現在箕輪城には一部の石垣や土塁,堀のあとなどが残されており,結構大規模な城であったことがわかります.

Mino4 Mino3

(写真左) 草に覆われていますが土塁の形跡がわかります.(同右) 三の丸に残る石垣です.

 箕輪城へのアクセスはJR高崎駅西口2番バス乗り場から群馬バスで30分,箕郷本町下車徒歩20分位です(1時間に2本ほど,ただし日に5~6本ある伊香保温泉行きに乗れた場合は城山入り口下車徒歩10分程度).

 バスの時刻表

 スタンプの設置場所 箕郷支所内にあります.土日祝祭日は裏口から入って当直の職員に声をかけると出してくれます(夕方5時半まで).

 登城のハード指数(★★☆ ややハードです) 城内は結構広く,見て歩くとそれなりに大変です.

16minowajo 登城日 2008年8月9日

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2008年9月26日 (金)

太っ腹な医師会

 産業医という資格のようなものがあるんですが,これを維持するには5年間で20単位(20時間)の講習を受けなくてはなりません.開業医はともかく,勤務医の場合持っていてもメリットはほとんどないんですが(逆に前の職場ではこれを持っているがために職場の産業医にされ,手当て無しで仕事だけが増えるという悲惨な思いをした),せっかく取ったものを失うのもシャクなので更新をしています.

 5年というと結構ありそうで油断をしていたら,な,なんと今年一杯で更新しなければならないことが判明,慌てて各地の研修会に参加して単位を集めています(今日現在あと10単位).

 そんなわけで今日も夕方から関東地方の某田舎の医師会主催の研修会に参加してきました.

 電車が30分~1時間に1本というひっそりした地域の医師会の研修会,指定された会場に入り受付をしようとしたら職員(おそらく医師会の)のお兄さんに食事をどうぞと案内されました.見るとテーブルの上にお弁当とお茶が.ええっ,この研修会参加費無料なのに,なんて太っ腹な医師会なんだと感激して頂きました.後から思えば,今夜の研修会は当医師会の会合も兼ねていたようで,そのために弁当が出ていたようでした.参加者も地元っぽい人ばかりでよそ者は私くらいだったし…

 結局2単位を取得し,弁当までご馳走になって有意義な研修会でありました.

 

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2008年9月25日 (木)

伏見の寺田屋

 今日のニュースで出ていましたが,幕末史の有名な史跡である伏見の寺田屋が戊辰戦争で焼失しており,現在の建物はその後に再建されたものと考えるのが妥当と京都市が結論付けたとのことです.

 平成の寺田屋騒動で「寺田屋は焼失」と京都市が公式見解

 伏見の寺田屋といえば幕末期に薩摩藩の定宿として知られ,文久二年四月に薩摩藩の尊攘過激派が同じ薩摩藩士に上意打ちされた事件や慶応二年一月に薩長同盟を締結させた直後の坂本龍馬が幕吏に襲撃された事件などで歴史的に知られています.

 過去にも現在の建物が再建ではないかという噂はあったようですが,今回の京都市の調査で結論が出たもののようです.慶応四年の一月三日の鳥羽・伏見の戦いの際,寺田屋の場所はちょうど幕府軍が陣取った場所に当たっており,新政府軍の激しい砲撃で市街地が破壊されていることから,寺田屋も巻き添えをくって焼失した可能性は高いのでしょう(我が家にある京都時代MAP幕末・維新編では寺田屋の場所は焼失した市街に区分されています).

Img339 (写真) 京都歩きに楽しい一冊です(光村推古書院発行).

 とはいえ,この地で歴史的事件が起こったのは事実であり,ここに立って当時を偲ぶのも悪いことではないと思いますが…

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2008年9月24日 (水)

秋の訪れ

 今日の夕方所用で出かけてたんですが,夜はすっかり気温が下がって肌寒くなっていました.私が旅行に行っていた1週間ちょっとの間に秋の様相になってきたようです.

 秋といえば,私にとってはイベントの多い季節(公私共に)なんですが,昨日帰宅してポストをのぞいたら境港商工会議所からお知らせが来ていました.

Img338 (写真1) 受験票です

 開けてみると,今月初めに申し込んでいた2008年度の妖怪検定の受験票が入っていました.

 境港妖怪検定は妖怪で町おこしをしている境港市が年に1回企画しているご当地検定で,2006年の第1回に私も初級を受験し合格していました.そこで今年はぜひとも中級に挑戦しようと申し込んでいたものです(昨年は時間のやり繰りがつかず断念).

 昨年の中級はメチャクチャ難しかったらしく,司法試験並みの合格率だったようですが,今年は反動で易しくなるのではなどと,取らぬ狸の皮算用をしている私でした.

Img337 (写真2) これが中級のテキストです

 試験日は来月26日,当日までにどこまで勉強できるでしょうか.

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2008年9月23日 (火)

間もなく帰国

 今(現地時間9月23日14時22分),最後の乗り換え地香港国際空港のラウンジにいます.

 もうすぐ懐かしい日本の地を踏めるかと思うと、嬉しいようなさびしいようなです。

 ナミビア,実にすばらしいところでした。アフリカに対して抱いていた良い意味のステレオタイプが本当にあって,逆に悪い意味でのステレオタイプが少ない土地でした.

 今回撮影した写真&動画実にiGBを軽く超えてます.HPに旅行記を掲載する予定ですが,例によって時間がかかりそうなので、ブログや掲示板に小出しにすることにします.

 名づけて「スター・ウォーズ episode7 ~近藤勇の復讐~」

200809231453000

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2008年9月22日 (月)

ナミビアの動物たち

 ナミビアは非常に乾燥した土地ですが,その気候に順応した動物が生息しています.

 今回のナミビア旅行で目撃したそんな動物の一部です.

Namiorix_3 オリックス(バッファローズではありません)です.

そしてこちらが大地を走るダチョウです.

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ナミビアの夕陽(BlogPet)

コンスタンチヌス21世の「ナミビアの夕陽」のまねしてかいてみるね

現在ナミビアに滞在中なんです.まずはドロナワーズ・ロッジのまーうささんが全国の凄い国で夕日です.続いて,私はいつも快晴(笑)のまーうささんが,私は港町スワコプムントで夕日をやって,大自然いっぱいの夕日写真に滞在中なんですが全国のまーうささんが,大自然いっぱいのこの国ですが全国の夕日ですが全国のまーうささんが,私はいつも快晴(笑)のあるナミビアにチャレンジしました.まずはドロナワーズ・ロッジのまーうささんが全国のまーうささんが,今回いつも曇り空だったんです.まずはドロナワーズ・ロッジのこの国で夕日写真に沈む夕日写真にチャレンジしましたんですが全国のこの国で見た.以前仲間の夕日写真に滞在中なんですが,今回いつも快晴(笑)の凄い国です.まずはドロナワーズ・ロッジの夕日をやっては港町スワコプムントで夕日写真に沈む夕日写真にチャレンジしました大西洋に滞在中なんですが,大自然いっぱいの夕日写真にチャレンジしましたんですが全国のまーうささんが,大自然いっぱいのあるナミビア内陸部ダマラランド地方のまーうささんが全国のこの国で夕日です.まずはドロナワーズ・ロッジの凄い国で見たんですが全国の凄い国で見た.以前仲間のあるナミビアに沈む夕日ですが全国のまーうささんが全国のこの国で見た.以前仲間のこの国で夕日写真にチャレンジしました.まずはドロナワーズ・ロッジの凄い国で見たんですが全国のあるナミビアに滞在中なんです.以前仲間の凄い国で見た大西洋にチャレンジしました.まずはドロナワーズ・ロッジのあるナミビアに沈む夕日をやっては港町スワコプムントで見たんですが,大自然いっぱいのあるナミビアに滞在中なんです.まずはドロナワーズ・ロッジのまーうささんが全国のこの国で見た大西洋に沈む夕日写真に滞在中なんですが,私はいつも快晴(笑)のあるナミビアに沈む夕日です.続いてはいつも快晴(笑)の凄い国ですが,今回いつも快晴(笑)の凄い国で夕日写真に滞在中なんです.

*このエントリは、ブログペットの「アロイジア」が書きました。

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2008年9月20日 (土)

ナミビアの夕陽

 現在ナミビアに滞在中なんですが,大自然いっぱいの凄い国です.

 以前ブログ仲間のまーうささんが全国の夕日を撮ろうという企画をやって,私はいつも曇り空だったんですが,今回いつも快晴(笑)のこの国で夕日写真にチャレンジしました.

 まずはドロナワーズ・ロッジのあるナミビア内陸部ダマラランド地方の夕日です.

Doro6

 続いては港町スワコプムントで見た大西洋に沈む夕日です.

Namiyuhi

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2008年9月19日 (金)

ドロナワーズ・ロッジ

 ナミビアの首都、ウイントフックから北部地域を回って,9月17日夕方にウワサのドロナワーズ・ロッジ(Doro Nawas)に到着しました.

 小型機でロッジのすぐそばにある滑走路(ドロナワ飛行場と勝手に命名)に乗りつけ,そこから迎えの車でロッジに入りました.

Doro2 (写真1) 空から見たドロナワーズ・ロッジ

 本当に人跡未踏のサバンナにポツンとあるロッジでした(周囲はいくら見渡しても集落などは全くなく,そばの滑走路のみが唯一の人工物).ロッジは小高い丘の上にレストランなどのある管理棟が建ち,その周囲にロッジが配置されたつくりになっていました.遠くから見るとまるで砦か何かのように見えるこのロッジ,実は3年前にできたばかりの新しいロッジのようでした.電気は自家発電,水は地下水をくみ上げて使用しており(当然飲用には全く適さない),食料品等の必要物資は週に1回大型トラックでウイントフックから運んでくるんだそうです.

Doro4 Doro5_2

(写真左) 丘の上に建つ管理棟,(同右) これがロッジです.

 意外と小奇麗なロッジでしたが,欠点はシャワーのお湯の出がイマイチなのと,夜間の寒さでした.ナミビアは極度に乾燥しているため,夜間の放射冷却がきつく,朝夕はかなり冷え込むからです(そのかわり日中はかなり暑くなる).

Doro3 (写真2) そして周辺のサバンナには… これは砂漠に適応した砂漠象だそうです.

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2008年9月16日 (火)

ウィントフックに到着

 今,ナミビアの首都ウィントフックに来ています.

 いやぁー,遠かった.日本を発ったのが9月15日の19時頃,約5時間で香港到着,そこで乗り換えて13時間で,南アフリカのヨハネスブルグへ(半分以上寝ていたので記憶少なし).ヨハネスブルグと言えば,現在紛争状態にない都市の中では最も治安が悪いといわれる町だ.しかしさすがに空港はセキュリテイーもしっかりしており,心配はなかった.

P9160011 (写真1) ヨハネスブルグのコカコーラの自販機の前で楽しそうな私

 そんなヨハネスからさらに2時間乗り継いで、ナミビアの首都ウィントフックに到着しました.

 ナミビアは面積は日本の2倍以上ありますが,人口は200万人くらいしかおらず,全体的にひっそりしています.首都のウィントフックも人口は24万程度と小さな町です.

P9160033 P9160041

(写真左) 空港から首都に続くとは思えないサバンナの道.(同右) いまにも野生動物がでてきそうな雰囲気です.

 こじんまりした空港から現地の迎え車で首都に向かう幹線道路を走りますが,周囲はさっそくサバンナの様相,本当にこっちで大丈夫か不安になりつつ無事にホテルに着きました.

P9170088 (写真) 市内の様子.一応首都だけあり活気はあります.

 明日は一気にアンゴラとの国境近くの村を訪問,その後は南下して世界遺産のトゥエイフェルフォンテイン,大西洋岸,スケルトンコースト、ナミブ砂漠と迫っていく予定です.

 明日の宿泊先は件の「ドロナワーズロッジ」ネット環境など存在するはずもない雰囲気ですが,その後大西洋岸の宿泊先では何とかなりそうなのでお楽しみに.

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2008年9月15日 (月)

行ってきます

 ビザンチン皇帝恒例の行幸,今年はアフリカ南部のナミビアに行ってきます.今成田空港の第1ターミナルの搭乗ゲート前にいます.これから香港経由で現地(ウイントフック)到着は現地の明日12時(日本時間だと明日の午後7時!!)です.

200809151658000_2 

 ネタ写真整理用にパソコンを持ち込みます.ネット環境が許せば現地からブログをアップできると思います.あまり期待しないで待っててください.

 そういうわけですので,皆さんのブログ等の訪問,コメントへのお返事は遅れがちになることが予想されますのでご了承ください.

 それではまた.

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日本100名城スタンプラリー25

 日本100名城 新発田城(31番)

 春日山城と並んで新潟県にある100名城が新発田城です.新発田市は新潟市から北に電車で40分くらい行ったところにあります.

Shibata3 (写真1) 江戸時代の遺構である表門です.非常に良い状態で残っています.国の重要文化財に指定されています.

 越後平野の北部にあたるこの地は室町時代ごろから代々新発田氏が支配する土地でした.最盛期には今の新潟市から三条市あたりまで勢力を伸ばしていたようです.

Shibata2 (写真2) 事実上の天守といえる三階櫓です.再建ではありますがその威容は見事です.

 戦国時代に入り春日山城を拠点とする上杉謙信の勢力が強まると16世紀半ばにはこれに臣従します.しかし謙信の没後,様々な不満と当時上杉領の攻略を進めていた織田信長の誘いに乗って反乱をおこします.当時の当主は新発田重家でしたが,彼は武将としてもすぐれており,上杉景勝は討伐に失敗してしまいます.しかし信長が死ぬと,豊臣秀吉は敵対勢力であった柴田勝家を倒すため,当時勝家と戦っていた上杉景勝に接近し,これと同盟を結びます.秀吉という強力な後ろ盾を得た景勝は再び新発田城攻略に着手し,ついに天正15年(1587年)に落城とあいなりました.この時景勝の重臣で来年の大河ドラマの主役の直江兼続も城攻めに活躍しています.

Shibata1 (写真3) こちらも現存建物である二ノ丸隅櫓です.

 新発田氏滅亡後は上杉氏の領土となっていましたが,慶長3年(1598年)に上杉景勝が国替で会津に去ると,代わって溝口秀勝が6万石で入封,彼は関ヶ原の戦いで東軍に味方したため家康から所領を安堵され,以来代々幕末に至るまで溝口家がこの地を治めることになったのでした.

 ちなみに現在に残る新発田城の遺構は溝口氏時代のものです.明治以後城の多くの建物が破却されましたが,本丸の表門と二の丸隅櫓は江戸時代の遺構であり,さらに辰巳櫓や三階櫓が再建されています.城跡の大部分は陸上自衛隊の駐屯地になっており,表門を中心とした一部が公園となっています.

Shibata4 (写真4) 城の向かいには「安兵衛茶屋」が,実は赤穂浪士で有名な堀部安兵衛はここ新発田の出身です.

 ちなみに三階櫓は実質天守といえる威容を誇っていますが,陸上自衛隊の敷地内に建っているため残念ながら内部の見学はできません.

 スタンプの設置場所 新発田城址公園の受付にあります(新発田駅から城跡まで徒歩20分くらいです).

 登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 城の外を回って歩いてもそれほど時間がかかりません.

31shibatajo 登城日 2008年7月21日

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2008年9月12日 (金)

スズメバチ

 先日病棟の師長に,「先生,ハチの巣があるよ」と言われた.職場の一番奥の普段使っていない建物の軒下にそれはあった.

 球形をしたその巣はどう見てもスズメバチのそれである.よく見ると巣の周囲にたくさんのハチが飛んでいるようだ.

8nosu (写真) 軒下の巨大な巣.よく見ると周囲にハチが飛んでいます.

 凶暴で人が刺されると死ぬこともあるスズメバチ,基本的に肉食で他の昆虫などを狩って餌にするのだが,いくつかの種類に分けられる.最も大型で凶暴なオオスズメバチ,町中に進出することもあるコガタスズメバチ,キイロスズメバチなどである.このうちオオスズメバチは木や土中に巣を作ることが多いのと,巣が結構大きいことからおそらくはキイロスズメバチなのであろう.件の師長によるといずれ業者に頼んで駆除されるらしい.

 ちなみにスズメバチの駆除は素人には危険である.先日もどこかの寺の住職が自分で巣を焼き払おうとしたものの,ハチの逆襲を受け,かえって寺が燃えてしまったそうである.これから秋にかけて餌が少なくなるためスズメバチが最も凶暴になる季節となり,用心が必要である.

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2008年9月11日 (木)

泥縄ロッジ

 いよいよ来週夏休みを取ってナミビアに行ってきます.

 今回はクレジットカードの旅行デスクに企画を丸投げしています.日程等詳細が決まり,企画書もとっくに完成しているんですが昨日突然携帯に電話が… 

 出るとデスクからで,現地がちょっと混乱して当初予定のホテルが取れず,やむなく代替の宿舎になってしまうがいいかとのこと.特に異論のあろうハズもなく(そもそもどんなホテルがあるのかすら良く知らない.少なくとも東横インサンルートホテルはなさそうだ).

 私 「なんていうホテルになるんですか」

 デスクの人 「えーっとですね.ドロナワーズロッジだそうです.」

 私 「えっ! ドロナワ(泥縄)ロッジ!」

 現地が混乱して泥縄式に決めたホテルかとちょっと不安になったのだが,ネットで調べたらワイルドな感じの私好みのロッジだった.本当はどんなところか行って見てのお楽しみである.

 http://www.imagineafrica.co.uk/Namibia/Damaraland/Dora_Nawas_Camp.html

  ↑ ドロナワーズロッジ(Dora Nawasと書くそうです)の様子です.

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2008年9月10日 (水)

2008年しながわ宿場まつり

 いやー,昨日の午後からいまいち腹具合が悪くて昨夜はほとんど寝ていました(私だけなので別に変なものを食べたわけではないと思うが).

 今朝には大分復活しておりますが,なんだったんでしょうねぇ.症状は腹部膨満感,悪心のみ.腹痛や下痢はなし.胃や腸管の機能低下といった印象でした.

 それはさておき,昨日今年のしながわ宿場まつりの振込詳細が届きました.あとは振り込みを済ませれば晴れて参加決定と相成るわけです.昨年は幕末の大老井伊直弼役で参加しましたが,今年は… 原点に帰って頑張ります.

 昨年は土砂降りでみんなテンション下がりまくりでしたが(ゲストのアイドリング!!!のファンを除く),まぁあれ以上の悪コンディションはないでしょうから楽しみにしております.参加の皆々さまよろしくお願いいたします.

Ii_2 (写真) 昨年扮した井伊直弼(関連記事

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2008年9月 8日 (月)

日本100名城スタンプラリー24

 日本100名城 春日山城(32番)

 戦国時代を代表する武将である上杉謙信,彼の居城だったのが春日山城です.

 上杉謙信といえば戦上手として知られています.生涯に数多くの合戦を戦い,そのほとんどに勝利したといわれています.居城である春日山城も難攻不落の城といわれますが,実は彼の生前外敵に攻められたことは一度もなく,生涯にわたって常に攻勢をとり続けていたことになります.

Kasugayama1 (写真1) 春日山城に建つ上杉謙信の像

 そんな謙信ですが,また義に厚い武将としても知られています.彼の戦は自分の領土を広げる戦というのはあまりなく,もっぱら他国の侵略に脅かされる小国の援助という面が強いからです.有名な川中島の合戦にしても,武田信玄の侵略に悩む信濃の土豪への援軍という感じです.

Kasugayama2 (写真2) 本丸です

 謙信の元の名は長尾景虎ですが,長尾氏は越後の守護代でした.主家の上杉氏は代々関東管領の家柄です.管領とは将軍の補佐役で,鎌倉幕府の執権,江戸幕府の老中にあたります.関東管領は京都にいる室町将軍の代わりに東国の御家人を統率する鎌倉公方の補佐役ということになります.しかし戦国時代に入ると関東は北条氏の勢力が強くなり,関東管領の上杉氏は没落していきます.こんな1561年に長尾景虎は請われて上杉氏の家督と関東管領の職を引き継ぎ,上杉輝虎(謙信)となりました.

Kasugayama3 Kasugayama4

(写真左) 大手道入り口 (同右) ふもとの林泉寺に残されている門です.春日山城の門だったといわれています.

 関東管領の職務とは東国の秩序を守ることですから,謙信が関東での北条氏,信濃での武田氏の勢力拡大に干渉戦争をしかけたのも職務に従っただけともいえるかもしれません.

 上杉謙信の生涯はまさに戦の連続でしたが,その一方内政にも手腕を発揮し,日本海交易や地場産業の振興などで領国の経済を大いに高めたといわれます.武田信玄亡き後,台頭する織田信長に対抗しうる唯一の存在でしたが,1578年の春に突然死去します.死因は脳卒中といわれています.

 春日山城は現在の新潟県上越市の大きな2つの中心である直江津と高田の中間にあります.

 スタンプの設置場所 春日山城ふもとのものがたり館にあります(春日山神社から徒歩で20分くらいです).

 登城のハード指数(★★☆ ややハードです) 道は整備されていますが,ちょっとした山歩きの様相です.

32kasugayamajo 登城日 2008年7月21日

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2008年9月 7日 (日)

日本の珍名駅8 ”やべ”

 本当に久しぶり,なんと約1年ぶりの珍名駅ネタである.

 今回のテーマはJR横浜線の”やべ”(矢部)駅.実はこの駅の存在を知ったのは偶然である.100名城巡りで八王子に行った際,途中の電車内で聞いた放送がきっかけである.

 「次はやべっ,やべっす.」

 おもわず吹き出してしまった私,「なにを焦っているのだろう.そんなにやばいことがあったんだろうか….」

 しかしこの時はそれ以上の取材はかなわず,他日を期したのだった.

Yabe1 (写真1) やべ駅の看板

 その後機会を見つけて何度か行ってみたのだが,この駅の面白さは放送にあるため,車掌のノリ(どういう意味じゃ)が良くないといい作品にならないという問題点があるのだった(事務的に,「次は矢部です」では何の面白みもない).

Yabe2

(写真2) おなじみのひらがな縦表記です

 9月6日に都心に出かける用事があり,帰路思い立って行ってみることにした(青春18きっぷのラスト1日分を使用).都心から中央線で八王子へ,そこから横浜線に乗り換える.相模原駅を過ぎて,さあ次が問題のやべ駅である.録音の準備をして待つ.

 「次は矢部です.」 全然面白くないじゃん(← いや,車掌に罪はないのだが… 笑).

 仕方ないので次の淵野辺駅で下車して下り列車で再び矢部駅に向かう.録音して待っていたが… 今度も面白い放送をしてくれない.かくして相模原駅で下車,再び上り列車で矢部へ.待ちに待った放送が聞こえてきた.

 「間もなく…やべっ,やべっす.降り口変わりまして右側です.」

 「yabe.mp3」をダウンロード

   

 ここをクリックすると,やべ(矢部)駅到着直前の車内放送が聞けます.

Yabe3

(写真3) やべ駅周辺の様子

 これだ!ついにやべ駅の放送を録音できたのであった.録音後駅に降り立ってみたが,周囲はひっそりとした感じで人通りも少ない.駅の北側にはなにやらフェンスに囲まれた施設がある.なんだろうと思って見たら,

 在日米陸軍地域 許可なき者立入禁止 違反者は日本国法律により罰せられます.とのこと.さっきの車掌の焦りはこれが原因だったのかと妙に納得したのでした(笑).

Yabe4

(写真4) たしかに立ち入るとやばそうです(調べたら米陸軍相模総合補給廠だそうです).

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信玄を完成したいなぁ(BlogPet)

きのう、山城も統一したかった。
それできのうアロイジアが、国際連盟に死去したかったの♪
だけど、信玄を完成したいなぁ。

*このエントリは、ブログペットの「アロイジア」が書きました。

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2008年9月 6日 (土)

闖入者

 我が家は森の中にあるんですが,ふと窓に備え付けられている網戸に何やら生き物が…

Kamakiri

 なんと!カマキリ君ではありませんか.餌を求めてウロウロしているうちに迷い込んだのかもしれません.

 私が小学生時分に使っていた図鑑には”カマキリは益虫(良い虫)なので殺してはいけません”と書いてありました.

 たしかにカマキリはハエなどの害虫を食べてくれるので人間にとってはいい虫なんでしょうが,別にカマキリ自身は「人間のために害虫を食べてあげよう」なんて思ってもいないはずで,随分と身勝手な発想だなあとも思ったのでした.

 最近ではハエ・ゴキブリ・蚊などを指して衛生昆虫と呼んでいます.

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2008年9月 5日 (金)

災害ランチ

 今日東京の立川に出張に行ってきました.災害医療研修のいうやつに参加するためです.

 この研修は地震等の災害時に,いかに混乱なく的確な医療を行うかを研修するもので今回は関東一円から100人くらいが参加していました.

 その研修会の昼食として供されたのが,災害用の非常食でした.

Bousai1 (写真1) 研修会のランチです 

 レーズンパン,ツナポテトサラダ,おからの缶詰と3年間保存可能なミネラルウォーターでした(ついでにカゴメのりんごジュースも).

 パンの缶詰は乾パンのことかと思ってたんですが,開けてみたら柔らかいパンでした(ただ保存料としての意味なのかラム酒が使われていて,開けた瞬間酒臭くなりました).

Bousai2 (写真2) 缶入りソフトパンだそうです(Q急ベーカリーというネーミングが…)

Bousa3_2 (写真3) 開けるとこんなパンが出てきます

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2008年9月 3日 (水)

日本100名城スタンプラリー23

 日本100名城 小諸城(28番)

 長野県は100名城に選定された城が5つもあるんですが,その最後を飾るのがこの小諸城です.

Komoro5 (写真1) 三の丸門(懐古門)

 小諸は信濃の東に位置し中山道の信濃追分から分岐した北国街道の最初の宿場があるところです.小諸城を築いたのは武田信玄で,その縄張りは山本勘助によるといわれます.

 江戸時代には当初仙石氏,その後松平氏,酒井氏,青山氏など頻繁に領主が交代しましたが,元禄15年(1702年)に牧野氏が1万5000石で入封し以来幕末まで続きます.

Komoro4 (写真2) こちらが大手門です

 小諸城の特徴は城下町よりも城の方が低地にあるということです(穴城といいます).実際に大手門と三の丸門を比較すると,大手門の方が高い場所にあります.

 城跡は現在懐古園という公園として整備されており,気軽に探索できるようになっています.遺構は建造物としては大手門(懐古園から線路を挟んで反対側になります),三の丸門が,その他天守台などの石垣も良く残っています.夏の暑い日に登城しましたが,ちょうど雨が降り出し,しかも雷鳴が聞こえてきたため天守台に登るのはあきらめました.

Komoro1 Komoro2

(写真左) 黒門橋,(同右) 天守台の石垣

 スタンプの設置場所 三の丸門近くの懐古館内の事務所にあります.

 登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 普通の公園です.

28komorojo

登城日 2008年7月13日

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2008年9月 1日 (月)

ひこにゃん切手

 昨年の彦根城築城400年記念イベントのマスコットキャラとして登場したひこにゃん.そのゆるさがウケ,いわゆるゆるキャラの代表的存在となっている.当初は昨年の400年イベントで役割を終える予定だったようだが,人気が出たため引き続き今年も活躍しているようだ(彦根市では今年は井伊直弼と開国150年イベントをやっている).

 そんなひこにゃん,商品使用に当たって使用料無料の許可制としたこともあり,市内には関連グッズがひしめいている.そして今回ひこにゃんを使った記念切手が発売された.

 彦根市内の20の郵便局が3000シート限定で今日9月1日に発売したそうだが… なんと一瞬で売切れてしまったらしい.

 ひこにゃん切手あっという間に完売…追加発行不能「失敗!」

 発行した郵便局側ではこれほど売れるとは思わなかったらしい.「これだけテレビ等にも露出しているのに気づけよ」と思ったが,世間ではこのくらいの方が希少価値があっていいという意見もあるようだ.

 しかしこうなるとこの切手,投機目的で買ったヤツがいるんじゃないかと不安になる.定価は10枚シートで1200円,欲しい人は2~3万出しても買いそうだ.今頃ネットオークションで凄いことになっているかもしれない.

Hikonyan_4 Umoregi_3

(写真左) ひこにゃん,(同右) 幕末の大老井伊直弼が住んでいた埋木舎

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