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2008年8月31日 (日)

フランス100名城スタンプラリー

 今年の5月から日本100名城スタンプラリーを始めたんですが,こういった企画って外国にはないんでしょうかね

 たとえばヨーロッパでは,ドイツやフランスには中世の城なんかがたくさん残っている(中には売りに出されている城もあるらしい.買っても維持が大変そう).さらにスペインにはイスラム時代の城もあったりする.十分に魅力的だ.そんな城郭にスタンプを置いたらたくさんの観光客が集めるんじゃないだろうか.

 仮にフランス100名城スタンプラリーなんてのをはじめたら,絶対に入るのはまずはベルサイユ宮殿パリのルーブル宮殿,そして南仏のカルカソンヌだろうか.フランス政府観光局にはぜひ検討してもらいたい.

 追伸: ラリーを開始したら,”集めてるのは日本人ばかり”ということになる可能性もあるなぁと,ふと思った(なにせ江戸時代からコレクションが好きな国民性ですから).

Chambord (写真) フランス100名城に入りそうなロワール川沿いにあるシャンボール城(ここには会津若松のさざえ堂と同じようなすれ違わないらせん通路があります).

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2008年8月30日 (土)

秋の気配

 気がつけばもう8月の終わり,来週からは9月である.

 例年7,8月にはビッグイベントを入れない私だが,今年は100名城スタンプラリーを始めたため,コチャコチャした小遠征が結構あった.

 7月12~13日 甲斐・信濃遠征

 7月21日    越後遠征

 8月9~10日   北関東遠征(その後仙台)

 8月23~24日 東海遠征

 今年の夏も暑くてカンカン照りの日が多く,汗だくになりながら城をめぐった記憶があるが,イマイチという印象が弱かった気がする.と思ったらそういえば今年は1回も海に行かなかったのを思い出した.やっぱり海に行ってこそ「夏だ!」という気がするんですかね.

 ここ数日は気温も下がり,夜に聞こえる虫の声もだんだん秋仕様になってきた.

 来月は今年最大のイベント(と思う)ナミビア遠征である.ジェダイの騎士 in 砂の惑星 か はたまた 新撰組 in 砂の惑星 か(笑).

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2008年8月28日 (木)

日本100名城スタンプラリー22

 日本100名城 上田城(27番)

 上田城は戦国時代から江戸時代にかけての城郭です.戦国時代には真田昌幸・信繁(幸村)親子で有名な真田氏の居城でした.

 真田氏は元々信濃の豪族でしたが,信濃を統一した武田氏の家臣となります.武田氏滅亡後は一時徳川家康や北条氏直に付きましたが,後に決別して上杉景勝に臣従しています. 

Ueda5 (写真1) 上田城の再建された門と南櫓

 そんな真田昌幸が築いたのが上田城です.南に千曲川を望む要害の地に建つこの城は,徳川軍の2度の攻撃を跳ね返した堅城ぶりで知られ,特に慶長5年(1600年)には徳川秀忠率いる3万余りの大軍を迎えて一歩も引かず,結果秀忠軍を関ヶ原の合戦に遅参させたことで有名です.

Ueda4 (写真2) 西櫓は江戸時代からの遺構です.

 関ヶ原の戦い後は一時破壊されますが,後に入封した仙石氏によって再建され,そのまま明治維新を迎えています.

 現在は上田城址公園として整備され,櫓や堀,石垣などが遺されているほか,門が再建されています.7月13日の暑い日に登城しましたが,門の前にかき氷屋さんが出ていました.

Ueda2 Ueda1

(写真左) 真田真幸が築城の際,柱石として埋め込んだといわれる巨石(真田石),(同右) 観光地の定番スポットです(笑).

 スタンプの設置場所 お城と駐車場を挟んで反対側にある上田市立博物館の受付にあります(冷房がきいていて気持ちよかったです).

 登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 普通の公園です.

27uedajo登城日 2008年7月13日

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2008年8月27日 (水)

花火大会

 今夜私の職場で花火大会がありました.

 都会なら絶対ありえないんですが,ウチは山の中にあるため,なんと打ち上げ花火も可能だったりします.

 昼間から業者(?)の人がやってきて,プールサイドに花火を仕掛けていました.

 そしていよいよ夕方6時半くらいから開始です.

Hanabi1

 別にどこかの企業がスポンサーになっているわけでもないので,たいしたことないんだろうと思っていましたが,結構大きい花火も打ち上げられていて感激しました.

 今日のニュースによると富士山の初冠雪が見られたとか.当地も先週末あたりから急に気温が下がり,すっかり秋の気配です.まさに夏の終わりの花火と言ったところでしょうか.

Hanabi2 Hanabi3

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2008年8月26日 (火)

局長!

 新撰組愛好家にとって,「局長!」といえば近藤勇である.初期には芹澤鴨が筆頭局長だったとか,新見錦も局長だったとかはあるが,やっぱり局長は近藤である(鳥羽伏見後には斎藤一こと山口次郎や相馬主計が指揮をしているが,この段階ではもはや京都時代の新選組とはかなり異なる存在となっている).

Kyokucho (写真1) 新選組局長近藤勇

 ところで私にはもう一人忘れられない局長がいる.それは…

 未来少年コナンに出てきたインダストリアの行政局局長のレプカである.

 未来少年コナンは昭和53年にNHKで放送されたSFアニメである.全編をあの宮崎駿氏が演出したことでも非常に有名な作品である.本放送時にはそれほどヒットしたわけではなかったが,再放送毎に人気がでて今では傑作の誉れが高い作品である.

 実は先日you tubeでこの作品のオープニング( 未来少年コナン )を見たのだが,なんと作品中で世界最終戦争が起こったのが,2008年7月なのだった(先月じゃん 笑).レプカというのは最終戦争後の都市国家インダストリアの局長で世界を我が物にしようとする悪いヤツである.ただそこは宮崎作品,悪いヤツではあっても妙に魅力的なところもあるのだった.

Repca (写真2) インダストリアの行政局長レプカ

 本放送時には主人公のコナンと同じくらいの年齢だった私も,いつの間にかこのレプカと同じくらいの年齢になっています(笑).

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2008年8月25日 (月)

また列車が…

 この週末,青春18きっぷを利用して東海地方の100名城制覇に出かけてきた.

 青春18きっぷはJRの全線の普通列車(および快速列車)の自由席が乗り放題という切符で,昭和59年頃から存在する.5日分有効で1日当たり2,000円強という安さが自慢である(発売当初はピンクの1日券4枚と青い2日券1枚がセットになっており,合計6日有効だった).

 土曜(23日)の朝一に出発し,この日は駿府城・掛川城・長篠城・岡崎城を廻って岐阜で一泊した.翌日曜日(24日)は岐阜城・犬山城を見て,山城で有名な岩村城を目指そうと考えたのだが,天気予報がイマイチで雨の中の山城は危険と判断したため,ちょっと足を延ばして彦根城に出かけた(結局この日の天気は晴れだったが).

 夕方の電車を乗り継ぎ帰宅,かくして約4000円の交通費で東海7城制覇のはずだった.

 しかし…

 列車を乗り継いで浜松あたりまで来たときに,この先の乗り継ぎ時刻が知りたくて携帯で検索していたら ”!東海道本線運行情報” の文字が.なんだなんだと思って見たら,「東海道本線は大雨の影響で小田原-熱海間で運転を見合わせており,再開のめどはたっていません」とのこと,岐阜の方は晴れていたのに小田原はそんなすごいことになっていたのかと驚きつつ,「そ,そんな.これから向かう方向じゃないか」と嘆いてみたが仕方がない.

 幸い東海道新幹線は遅れながらも走っているらしかった.青春18きっぷは普通列車のみで,新幹線を使う場合は乗車券も含めて買いなおさなければならない.とりあえず普通列車で静岡まで行き,泣く泣く静岡-小田原の乗車券+特急券(3300円と18きっぷ1日分より高い)を購入した.

Ooame1_3 (写真) 静岡駅新幹線上りホームの案内板

 ホームに行ってみると新幹線上りは30~40分の遅れとある.しばらく待っていたら列車がやってきた.乗り込んでさあ出発と思っていたら…

 「東海道新幹線は大雨の影響で三島-小田原間で速度を落として運行していましたが,24時間の雨量が基準値を超えたため,運転を見合わせています.再開には時間がかかる模様です」との放送が.

 結局そのまま足止めを喰い,なんだかんだで小田原に着いた時のは午前1時を過ぎだった.在来線もないためタクシーで帰宅する羽目になったのだが,タクシー乗り場も長蛇の列.結局家に着いたのは2時を軽く過ぎていましたとさ.

 追伸: 今年に入ってから本当に列車が止まるなぁ.

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2008年8月24日 (日)

方々を死去しなかった(BlogPet)

きのうコンスタンチヌス21世の、方々を死去しなかったー。
だけど、コンスタンチヌス21世とウチも非難すればよかった?
だけど、きのうアロイジアが、コンスタンチヌス21世で各国みたいな復刻したかも。
だけど、きょうは、本能寺っぽい配置しなかったよ。

*このエントリは、ブログペットの「アロイジア」が書きました。

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2008年8月22日 (金)

日本100名城スタンプラリー21

 日本100名城 松代城(26番)

 信濃は山が多く各地域の交通が困難であることから,古来統一勢力が存在せず,戦国時代には各地に小勢力が林立した状態でした.そこに目を付けたのが甲斐を統一した武田氏で,信玄の代になって天文11年(1542年)以降信濃の小勢力に対して次々と攻勢をかけていきます.これに対して信濃の諸将が援軍として頼ったのが越後の上杉謙信で,ここに武田上杉の戦いが始まることになります.そんな両雄の決戦の舞台として有名な川中島の近くにあるのが松代城です.

Matsushiro1 (写真) 川中島古戦場に建つ両雄一騎打ちの像

 松代城は永禄3年(1560年)に武田信玄が山本勘助に命じて築かせたといわれています.有名な川中島の戦いの際には信玄の重要な拠点になりました.武田氏滅亡後は信長配下の森長可(森蘭丸の兄),その後上杉氏の所領となりますが,江戸時代に入ってからは真田信之が入って松代藩となりそのまま幕末まで続きました(真田氏は関ヶ原の戦いにおいて信之は東軍につきましたが,父昌幸と弟の幸村は西軍に与しています).幕末にはあの佐久間象山がこの松代藩から出ています.

Matsushiro4

 明治維新後廃城となり,現在は石垣や堀などが遺構として残っています.

 追伸: 松代には太平洋戦争末期に本土決戦を決意していた軍部によって,密かに皇居や大本営,政府機関の疎開先として計画され,実際に8割方完成した地下壕跡も遺されています(松代大本営跡).また映画「硫黄島からの手紙」で有名になった栗林忠道中将(戦死の直前大将に昇進)の出身地もまた,ここ松代です.

Matsushiro2 Matsushiro3

(写真左) 天守台の石垣,(同右) 復元された太鼓門と前橋

 スタンプの設置場所 太鼓門に向かって左側にある管理棟にあります.

 登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 散歩にちょうど良い規模です. 

26matsushirojo 登城日 2008年7月13日

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2008年8月19日 (火)

夏休み…

 夏休みシーズンである.学校は無論のこと,社会人の方々も休暇をとる季節である.ウチの職場でも,一人1週間程度ずつ交代で休暇を取っている.

 さて私の場合,休暇=旅行である.したがっていつ休みを取るかは旅行先に左右される.近年は6月に早めの休暇をとることが多かった.6月はあまり休暇を取る人が少なく,旅行代金が安いからである.しかも目的地がヨーロッパだとコンサートシーズンの最後に当たり,また気候がよく日が長いのも魅力である.その一方7月,8月は普通の人の休暇シーズンにあたるため,旅行代金が高く,しかもどこへ行っても混んでいる.というわけで私にとって6月が旅行のベストシーズンといえるのである.

 しかし,今年は転勤等の混乱もあり,6月の休暇は困難であった.というわけで今年は9月に取ることに決定,行先はいろいろ考えた末,アフリカ大陸南西部のナミビアになった.とはいっても多くの人には「どこなのそれ?」と言われそうである.

 ナミビアはアフリカ南西部,南アフリカの北西に位置する国である.19世紀末にドイツの植民地となった.第一次世界大戦時には南アフリカに占領され,戦後その委任統治領となった.ところが第二次大戦後,委任統治の依頼元である国際連盟が解散したドサクサに,強引に南アフリカによって併合された.その後は南アフリカの統治が続いていたが,国際的な非難もあり1990年にようやく独立を果たしている.

 政治的な混乱が続くアフリカ諸国の中でナミビアは政治的に安定している国である.国土の大半が砂漠で,首都のウィントフックは標高1600メートルの高地にある人口28万ほどの小さな町だ.なんでそんな処に行くのかとの疑念が湧きそうだが,日本人にはなじみの薄いナミビアも実はヨーロッパ人(特にドイツ人)には人気の観光地なのだ.

 まずは世界最古と言われるナミブ砂漠.極度に乾燥した真っ赤な砂漠は「世界でもっとも砂漠らしい砂漠」といわれている(その赤茶けた景色は,そこで写真を撮って,ここは火星ですといっても通用するかも 笑).また砂漠に生える植物ウェルウィッチア(奇想天外),世界遺産にもなっているブッシュマンの壁画など魅力に富んでいる.

 そんなわけで,来月ナミビアに行ってくる予定の私であった.

 追伸: 日本からナミビアへの直行便は無く,まずは香港に飛び(4時間半),そこから南アフリカ航空でヨハネスブルグへ(13時間半),さらにそこで飛行機を乗り換えてウィントフックに入ることになります(1時間 計約20時間!!)

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2008年8月18日 (月)

偶然の一致

 なんでもないことが偶然の一致から凄いことになる場合がある.だがその瞬間を誰かが記録しておかなければ,それは永遠に歴史の闇の中に消えていってしまう.

 そんな凄い(?)写真を集めたサイトを発見してしまった.

Guzen (写真) NHKのニュース7の気象情報のひとコマと思われる.このお天気お姉さんも自分の背後でこんなことが起こっていると知っていたのだろうか?

 そんなサイトです(興味のある方はどうぞ.それにしても,よくこんな瞬間にシャッターを押せるものだ)

   

 偶然の一致で凄いことになった写真7枚

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2008年8月14日 (木)

世界一へんな地図帳

 変なもの大好き人間の私.日々いろいろ変なものを探して(?)いる.

 その一方,地理や歴史といった社会科が大好きで,理系だったくせに大学の二次試験に社会化があればどんなにいいだろうとも思っていた(その一方国語・外国語が苦手だった).

 そんな私の変なもの好き・社会科好きを一挙に満足させてくれる本が出た.それが白夜書房から出た

 ”世界一へんな地図帳”

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 これは世界各地の変な地名,変な法律,変な政治などを集めた雑学本である.例えば「大統領の権限で様々な変な法律ができた国(トルクメニスタン)」とか,世界の珍地名の「エロマンガ島・スケベニンゲン市・アホ市・イロイロ州」「地図上に存在しない国(マルタ騎士団)」「世界一腰の低い王様がいるハット・リバー公国」などなど.

 まさに世界は広いことを実感させてくれる内容になっている.

 追伸: 実はこの本の85ページに載っているスバールバル諸島の写真は,ウチのホームページの写真だったりします.出版側から掲載の依頼が来て同意したものです(だからといって,この本が売れてもウチには1銭も入りませんが 笑).

Hyo9 (写真) スバールバル諸島エスマルヒ氷河

 

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2008年8月13日 (水)

日本100名城スタンプラリー20

 日本100名城 松本城(29番)

 松本市にある松本城は国宝四城のひとつでもあり,その漆黒の天守から烏城などとも呼ばれる松本のシンボルです.

Matsumoto1 (写真1)あまりにも有名な黒色の天守

 松本城は戦国時代に小笠原氏によってその基礎が築かれ,後に石川数正・康長親子によて現在の形に建設されました.江戸時代に入って大久保長安事件によって石川氏が改易されると,以後は戸田氏,水野氏など譜代大名の居城となっています.

Matsumoto4 (写真2) 再建された黒門

 明治維新後は全国の他の城と同じく,解体の危機を迎えましたが,地元の人々の支援で解体は免れます.その後老朽化に伴う改修工事なども地元の人々が資金集めに奔走しています.1930年に国の史跡に指定され,その後国宝となっています.

 松本城は松本市内の中心にある典型的な平城です.現在の遺構としては国宝に指定されている天守,石垣,堀,再建された門などがあります.また二ノ丸の御殿跡もわかるようになっています.

Matsumoto2 Matsumoto3

(写真左) 埋の橋,(同右) 二ノ丸の御殿跡

 2008年7月13日,快晴の早朝に登城しましたが,二ノ丸から見る黒色の天守に圧倒されました.

 スタンプの設置場所 本丸内の事務所にあります(有料区域内なので入場料を払わないとスタンプが押せません).

 登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 基本的に都市公園です.

29matsumotojo 登城日 2008年7月13日

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2008年8月12日 (火)

8月12日(火)《箱根》19時 ~ 暮れ行く空 ~

 ブログ仲間のまーうささんの企画 8月12日(火)《撮影地の都道府県名》19時 ~ 暮れ行く空 ~ 企画に参加することにしました.

 最近当地は晴れ続きで,今日も大丈夫だろうと思っていたんですが…

 昼間から曇り,しかし時々日も差すため,何とかなるかと思い,夕方仕事の後久しぶりに車を運転して箱根の峠に登ったんですが…

 ムチャクチャ曇り,芦ノ湖にはもやまでかかっています(私は晴れ男なんですが).

Hakoneyuhi (写真) 箱根峠から見た芦ノ湖畔.本当は夕陽があるはずです.

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近代五種

 今オリンピックが開催され,連日競技が行われています.

 オリンピックには数多くの種目がありますが,マイナー愛好家の私が最も注目する種目はズバリ

 近代五種 です.

 何それという声も聞こえてきそうですが,これは近代オリンピックの父といわれるクーベルタン男爵の提唱でできたという由緒ある競技です.

 射撃・馬術・フェンシング・水泳・ランニングという全く異なる5つの種目を1日で行い,その総合点で順位を決めるという過酷な競技です(体力的にはトライアスロンの方がきつそうですが,種目のバリエーションの点ではこちらの方が厳しいと思います). オリンピック種目としては1912年のストックホルム大会から採用されている伝統ある種目ですが,日本ではマイナーでしかもここ最近は日本人選手の出場もなく,テレビでも結果がチラッと出るだけの扱いでした.

 しかし今回は日本から村上佳宏選手が16年ぶりに代表として出場することが決まり,もしかしたらテレビでもちょっとはやるんじゃないかと密かに期待しているのでした.

 実は近代五種は伝統はあるんですが,競技人口が少ないこともありオリンピック種目からの削減が噂されています.このため将来的には無くなってしまうかもしれません .

 こんな男子近代五種は8月21日(木)に行われます.さあみんなで村上選手を応援しましょう .

 追伸1: 古代オリンピアにはレスリング,円盤投げ,槍投げ,走り幅とび,短距離走からなる五種競技(古代五種)があったそうです .

 追伸2: 古代五種,近代五種に対抗して私が考案した新競技,名づけて団体五種.これはエントリー9人で,野球・水球・ドッジボール・綱引き・駅伝という何の脈絡もない五種目を行い,その総合点で順位を決めるという過酷な競技です.個人的には前4種目の点数差を時間差に換算して,スタート時間を調整し(ノルディック複合や近代五種みたいに).最後の駅伝の順位がそのまま競技の順位になる形がいいかなと思います(笑).

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2008年8月10日 (日)

日本100名城スタンプラリー19

 日本100名城 高遠城(30番)

 日本100名城シリーズ甲信越編,いよいよ長野県に入りました.まずは長野県南部にある高遠城です.

Takato1 (写真) 問屋門と桜雲橋.高遠城で最も有名な場面です.

 中央アルプスの麓に位置する高遠城は元は諏訪氏の一族高遠氏の居城でしたが,甲斐を統一した武田信玄に攻められ,天文十四年(1545年)に武田氏の支配下に入ります.以来信玄の伊那進出の拠点とされますが,天正十年(1582年)の武田氏の滅亡の際に織田信長の大軍に攻められますが,当時離反が相次いだ武田の支城の中で,もっとも激しく抵抗しています.

Takato3 (写真) 再建された太鼓櫓です

 本能寺の変後は徳川家康の支配下に入り,江戸時代には高遠藩の居城として保科・鳥居・内藤といった譜代大名が入りました.特に2代将軍徳川秀忠の庶子である保科正之(後の会津松平家初代)は有名です.

 現在は高遠城跡公園として,また桜の名所として春は大勢の観光客が訪れています.遺構としては石垣や堀の他,移築された門や再建された太鼓櫓などがあります.

Takato5 Takato4

(写真右) 往年の大手門の一部といわれています.(同左) 本丸と二ノ丸の間の空堀.

 スタンプの設置場所 城跡公園北ゲートにある高遠閣の入り口においてあります

 登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) ちょっと広めでアップダウンがある公園です.

30takatojo 登城日 2008年7月12日

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エスカレーター

 エスカレーターに乗る時,首都圏だとみんな左側に立って右側を急ぐ人用に空けておく光景が見られます(エスカレーターの構造上,本当は良くないんだそうですが).これが関西だと逆に右側に立って左を空けるんだそうです.

 さて,この週末用があって仙台に出向いたんですが,そこで目にした光景.

 仙台の地下鉄ではみんな右側に立って,左を空けている

 オオッ,関西式だ.と妙に感心したのでした.江戸=徳川幕府に対抗する伊達政宗の心なんでしょうか.

 追伸: 地下鉄では左を空けてますが,JR仙台駅では東京と同じく右側を空けていました.思うに地下鉄は地元民が中心なのに対してJRの駅は首都圏からの出張組みも多いのでこういった差ができているのではと勝手に思いました.

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オリンピックの思い出(BlogPet)

コンスタンチヌス21世の「オリンピックの思い出」のまねしてかいてみるね

今夜北京オリンピックの夏季オリンピックを見て「今決まる!名古屋オリンピック」(当時地元で欲しいものだがあった話で1988年のコメンテーターも競技そのものでいくことに「これで決らなかったらすごいことになるな」などと思う)がオリンピック誘致版桶狭間のソウル市が組まれたが何やら読み上げる.これが行われ,オリンピックを,ここでいくことに終了したらしい.ところがこのまま実現するというの開会式が並ぶ.翻っているらしい),その後番組は内心「そうですね」,IOC総会,一気に攻勢を祈っては事実らしい.しばしのか解らなかった話でお通夜とひきつった(たしかこんなタイトルだった(たしかこんなタイトルだった.ウサギと言ったの後の名古屋のアテネでいくことだった声が「ソウルは最終段階でかなり各国にアピールしてましたからね」とあるようだが決まることだった),その後番組はオリンピック開催を見ても競技が当初は聞こえなかったのサマランチ会長(当時オリンピックは断然名古屋で1988年9月1日の後にいろいろと数人がオリンピックがいたという噂も競技が決まることに始まる.後,少なくとも”NAGOYA"という空気があったと考えてやまないと解説,その後番組はこのうちギリシャのか解らなかった.このまま実現するというのか解らなかった話で1988年9月1日のオリンピック開催を巡っているらしい.しばしのか解らなかった話であった)が「これで決らなかったらすごいことになるな」などとソウルだった(とあるようだ.ただ一人最後までわからない.過去のは名古屋オリンピックのことを言って,私は聞こえなかったというのサマランチ会長(とは1981年の貴重な教訓をかけたと言った話での「もう間違いないでしょう」などというの「ソウルは最終段階でかなり各国にアピールしてましたからね」としていた.立候補地は名古屋と私がこのまま実現するという言葉は聞こえなかった(だった(と数人だけ,「えっ!ソ,ソウルですよ!」とソウルだった.ウサギと亀.ところがこのうちギリシャは名古屋オリンピック開催地はオリンピックとの開会式がいたがオリンピック開催地が組まれ,ここで特番がいた話でいくことを生かして,ここでは名古屋と解説,一気に攻勢を履くまでわからないシーンが無事になっていた話で欲しいものだが組まれ,内外に名古屋オリンピックを訴えてやまないと考えている,その後番組は1988年9月1日のか解らなかったため除外される,当時世間でいるのソウルだったらしい),ソウル市がオリンピック誘致反対運動なども競技が組まれ,競技そのものであったことには聞こえなかったため除外される,一気に攻勢を,IOCがいたことだったため除外される,ソウルだった人が,ここでは早々になっても競技そのもので特番がいたため除外される,後の顛末でいるの顛末で1988年のアテネであった声が呼んでいる,現在東京が鈍かった話で1988年9月1日の恒久開催を,後から聞いたことだったがあった.壇上でお通夜と亀.翻って,後の友人には下駄を目指して(当時地元で1988年9月の貴重なことだったらしい).教訓:勝負は名古屋オリンピックが切り替わり,ソウル市etc(だったという空気がいたとあるようだが無事に聞いたことをかけた.ウサギと亀.ウサギと数人最後までわからないシーンが当初は事実らしい)でいるらしい.それは何となく名古屋と亀.何と言ったため除外される,名古屋市が本格的には下駄を,内外に「ソウルは1996年開催が本命で,今回は顔見せだ」などど自信満々な教訓:勝負は何となく名古屋市が本格的に「今決まる!名古屋オリンピック」(たしかこんなタイトルだった(と数人が呼んでいくことを目指してもあり,私には無かった(たしかこんなタイトルだったというの日本時間の足がかりに「そうですね」,有力候補は事実らしい)でお通夜と亀.これが乱れては何となく名古屋市が決まることだった),一気に攻勢を生かしてやまないシーンが無事に聞いたが.さて,先ほどただ一人だけ,内外に終了していたことには無かった(たしかこんなタイトルだったと言った話でお通夜と化した声が2016年9月のアテネ市,IOCがオリンピックは名古屋市,幻の名古屋で特番が呼んでお通夜とソウルだったため除外される,IOC総会,テレビでいくことを言った(当時世間でいるらしい.翻っていたため除外される,韓国のを,有力候補は内心「さあ,いよいよですね」みたいなので,内外に始まる.翻っても口々には1988年の友人にはオリンピック開催地が組まれ,オリンピック誘致版桶狭間の日本の後に「えっ!ソ,ソウルですよ!」としたらしい.これが切り替わり,有力候補はこの時名古屋オリンピック誘致版桶狭間の日本時間の足がかりにはこのうちギリシャの後,幻の夕方,運営が真相とソウルだった話でお通夜とソウルだった.何と考えて「今決まる!名古屋オリンピック」(とあるようだが鈍かった声が2016年の名古屋の後,現在東京が真相と言えば私は当時世間であったため除外される,テレビで特番が無事に始まる.今回のことを巡って,ギリシャの恒久開催を巡って取り組んである.翻っては何となく名古屋市,現在東京が2016年の夕方,当時世間で欲しいものだ.みんなあまりに自信満々なことに「さあ,いよいよですね」みたいなので,ギリシャは1981年の開会式が真相とソウル市etc(当時世間で欲しいものだがこの時のことを巡っていたという空気が鈍かったのオリンピックのコメンテーターも口々に終了してやまないシーンが.「ソウルは1996年開催が本命で,今回は顔見せだ」なども口々には名古屋市側のがあるようだ.題してやまない.題しているのことをかけた.壇上でいるのをかけた)での友人には当時地元でいくことだったため除外される,後,現在東京が組まれ,当時地元での友人にしようと化したの顛末での沈黙の友人に進んでお通夜とひきつったことに「ソウルは1996年開催が本命で,今回は顔見せだ」などど自信満々では忘れられないとひきつったことだったらしい),後にしようとひきつった)が決まることを訴えていたというのIOC総会,競技そのものでお通夜とのオリンピックをかけた)スタジオは名古屋のオリンピックの足並みがあるようだ.翻って,名古屋オリンピックが鈍かった人だけ,ギリシャの夕方,有力候補は事実らしい.何と解説,IOCが,IOCの名古屋の沈黙の恒久開催を見て,テレビでいくことを見て「ソウルは最終段階でかなり各国にアピールしてましたからね」と解説,ソウルだったため除外される,ここでいくことだったという言葉は何となく名古屋市,先ほどただ一人が鈍かったという空気が.ただ一人だけ,少なくとも”NAGOYA"という噂も競技が組まれ,名古屋市etc(だった人が呼んで特番が並ぶ.何と考えて(たしかこんなタイトルだったことを,私はオリンピックを巡って(当時地元で欲しいものだ.ところがこのうちギリシャのを巡って(当時オリンピックの名古屋の顛末でいる,有力候補は早々になっては名古屋のを言ったという言葉はない.この時の顛末でのコメンテーターが,私はないと亀.これが真相と思う),ギリシャの友人にしようと数人が映る.壇上でお通夜と私が真相と数人の友人には早々に始まる.翻っているの友人に聞いたと亀.と言えば私は内心「ソウルは最終段階でかなり各国にアピールしてましたからね」と言ったのか解らなかったの友人に聞いたというの日本時間の日本時間の夕方,現在東京が当初は名古屋と思う).居並ぶコメンテーターが2016年9月のは,ここで1988年の「そうですね」,有力候補は一瞬である.みんなあまりに自信満々での友人に名古屋でいくことだったという空気が鈍かった声が乱れて,一気に攻勢を祈って,幻の恒久開催を祈って取り組んでIOCが決まることにしようとソウルだったのコメンテーターも競技そのものでお通夜と思う)でいるらしい.翻っていた話で1988年のコメンテーターがあった声が真相と言ってやまないシーンが呼んであるようだが決まることだった声が,テレビでいくことだった.そして1981年の恒久開催地があったという噂もあり,当時世間で特番が当初はオリンピックとしていた声が行われたため除外される,現在東京が「今決まる!名古屋オリンピック」(と考えては忘れた人がある.今回の「もう間違いないでしょう」なども口々に「そうですね」,幻のを目指して,当時地元では,先ほどただ一人のを目指してやまない.そして画面が2016年9月1日のか解らなかったことにしようと言っていた(と数人最後までわからないシーンが当初はオリンピックと言えば私は内心「いやぁー,最後までわかりませんよ」と言って「もう間違いないでしょう」などというのことを履くまでわからない.ところがこのまま実現するという噂も口々に始まる.するとアナウンサーが乱れていたと私は早々になっているのソウル市が並ぶ.それは1981年9月1日のことだったとしても口々になって取り組んでいるらしい)で特番が決まることに名古屋の夏季オリンピック誘致版桶狭間のか解らなかった.ウサギと解説,「いやぁー,最後までわかりませんよ」とある.それは早々にいろいろとひきつったと亀.今回のオリンピックを生かしていたため除外される,現在東京が乱れていた.ところがこのうちギリシャの合戦としていたのソウルだったことを訴えてやまないと解説,内外に名古屋で特番が決まることを目指して「えっ!ソ,ソウルですよ!」と化したため除外される,ここで1988年9月の足並みがあった)で1988年の顛末でIOCの夏季オリンピックを言った声がこのまま実現するという噂も競技そのものであったらしい)が無事になって,有力候補はないとは無かった声が「ソウルは1996年開催が本命で,今回は顔見せだ」などという噂も競技そのものでいくことだった話でいる,いまいち動きが,オリンピックと数人だけ,韓国のは,いまいち動きがいたらしい.

*このエントリは、ブログペットの「アロイジア」が書きました。

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2008年8月 8日 (金)

オリンピックの思い出

 今夜北京オリンピックの開会式が行われ,競技が本格的に始まる.今回のオリンピックを巡っては,内外にいろいろとあるようだが,運営が無事に進んでいくことを祈ってやまない.

 さて,オリンピックと言えば私には忘れられないシーンがある.とはいっても競技そのものではない.それは1981年9月のIOC総会,ここで1988年の夏季オリンピック開催地が決まることになっていた.立候補地は日本の名古屋市,韓国のソウル市,ギリシャのアテネ市etc(以下は忘れた)である.このうちギリシャは当時オリンピックのアテネでの恒久開催を訴えていたため除外される,有力候補は名古屋とソウルだった.

 下馬評は断然名古屋であった.「ソウルは1996年開催が本命で,今回は顔見せだ」などという噂もあり,当時世間では何となく名古屋オリンピックがこのまま実現するという空気があった.

 そして1981年9月1日の日本時間の夕方,テレビで特番が組まれた.題して

 「今決まる!名古屋オリンピック」(たしかこんなタイトルだった)

 スタジオにはアナウンサーと数人のコメンテーターが並ぶ.アナウンサーが「さあ,いよいよですね」みたいなことを言った.居並ぶコメンテーターも口々に「そうですね」,「もう間違いないでしょう」などど自信満々である.ただ一人だけ,「いやぁー,最後までわかりませんよ」と言っていた人がいた.みんなあまりに自信満々なので,私は内心「これで決らなかったらすごいことになるな」などと考えていた.

 そして画面が切り替わり,IOCが映る.壇上でIOCのサマランチ会長(だったと思う)が何やら読み上げる.何と言っているのか解らなかったが,少なくとも”NAGOYA"という言葉は聞こえなかった.

 するとアナウンサーの「えっ! ソ,ソウルですよ!」とひきつった声が.

 スタジオは一瞬でお通夜と化した.

 しばしの沈黙の後,先ほどただ一人最後までわからないと言っていた人が,「ソウルは最終段階でかなり各国にアピールしてましたからね」と解説,その後番組は早々に終了した(と思う).

 これがオリンピック誘致版桶狭間の合戦と私が呼んでいる,幻の名古屋オリンピックの顛末である.

 後から聞いた話では,ソウル市が当初はこの時のオリンピック誘致を,後の足がかりにしようとしていたのは事実らしい.ところがこの時名古屋市側の足並みが乱れているのを見て(当時地元ではオリンピック誘致反対運動などもあり,いまいち動きが鈍かったらしい),一気に攻勢をかけたというのが真相とのことだった.

 後に名古屋の友人に聞いた話では,名古屋では1988年のオリンピックは無かったことになっているらしい.翻って,現在東京が2016年のオリンピック誘致を目指しているらしい.過去の貴重な教訓を生かして取り組んで欲しいものだ.

 教訓: ①勝負は下駄を履くまでわからない.ウサギと亀.

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2008年8月 4日 (月)

国境の街

 先日8月3日,東京池袋で行われたバッハセミナー in 明日館の終了演奏会に行ってきました.このセミナーは私が学生時代から合唱でお世話になっている岩手大学の佐々木正利先生をお迎えして,毎年この時期に開催されているバッハのカンタータの講習会です.

 開演は午後2時からということで,11時半に家を出れば楽勝なはずでした.

 しかし…

 この日小田急線の代々木八幡駅で人身事故が発生し,列車が止まってしまったのでした.私が立ち往生したのは小田急線の中心駅の一つである相模大野駅でした.

 相模大野駅は神奈川県で人口3番目(横浜,川崎に次ぐ)の相模原市南部の中心駅です.すぐ隣が東京町田市の町田駅というわけで,まさに国境の駅,関東地方のエルパソと呼ばれる(オイオイ,誰も呼んでないって)駅なのです.

 待っていてもしょうがないので,途中下車して昼食を摂って,ようやく運転再開された電車に乗って向かいましたが,着いたのは開演から40分経過した時点でした(泣).

 追伸: 演奏会の詳細はウチのKの記事をご参照下さい.

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2008年8月 3日 (日)

日本100名城スタンプラリー18

 日本100名城 甲府城(25番)

 山梨県甲府市は100名城に選定された城が2つもあるお得な街です.ひとつは武田信玄ゆかりの武田氏館ですが,もう一つが今回のテーマ甲府城です.

Kofu1 (写真1) 稲荷櫓です.内部の見学もできます.

 戦国末期の1582年に武田氏が滅ぶと,甲斐は徳川家康の領国となります.その後豊臣秀吉によって家康が関東に移された後,家康に対する備えとして秀吉の命によって築城されました.江戸時代になると今度は江戸の西の守りの拠点とされ,親藩大名が配置されるようになり,18世紀初めに例外的に柳沢家(五代将軍綱吉の側近柳沢吉保)が城主になりましたが,以後は一貫して幕府の直轄地(天領)となり幕末を迎えています.

Kofu2 (写真2) このように立派な天守台がありますが,実際に天守があったかどうかは不明なそうです.

 慶応4年鳥羽伏見の戦いで敗れ,江戸にもどった新撰組が甲陽鎮撫隊として目指したのはこの甲府城です.明治の廃城後は周辺の開発が進み,かつての城郭は大幅に縮小してしまいました.

 現在は舞鶴城公園として整備され,櫓や門などが再建されています.ただ,前述の武田氏館が風林火山人気もあって大勢の観光客を集めているのに対して,こちらは,駅前という好立地にも関わらず,人影もまばらでひっそりとしていました.

Kofu3 Kofu4

(写真左) 発掘によって現在の石垣の中から昔の石垣が出てきました.(同右) 再建された内松陰門です.

 スタンプの設置場所 甲府城内稲荷櫓の受付にあります.声をかけると出してくれます.

 登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 駅前の公園です)

25kofujo 登城日 2008年7月12日

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赤塚不二夫さん逝く

 漫画家の赤塚不二夫さんが亡くなられたそうです.

 漫画家の赤塚不二夫さん死去

 赤塚不二夫さんといえば,おそ松君天才バカボンもーれつア太郎ひみつのアッコちゃんなどの作品で知られる漫画家です.昭和40年代のナンセンスギャグ漫画の走りのような人で,当時幼かった私もその強烈な作品に魅せられた一人です(もっとも,あまりに強烈過ぎて,復刻版などでは一部表現が書き換えられているほどですが…).

 赤塚さんの作品は数々ですが,私にとって印象深いのはなんといっても天才バカボンでしょう.そりゃないだろうというようなギャグが,これでもかとばかりに畳み掛けてくるスタイルは,まさにお腹の皮がよじれるほど面白いものでした.少年マガジンやテレビマガジンなど講談社の雑誌に連載されていましたが,一時は進化しすぎたのかバカボンやパパが登場しないというトイレット博士状態になった時期もありました.テレビでも放送され,「これでいいのだ」,「見ない奴は死刑なのだ」というフレーズはとりわけ有名です.特に後者は,幼心に「見ないと死刑にされるのか」という感慨を抱かせたものでした(尤も,それが強烈過ぎてクレームがついたらしく,後の元祖天才バカボンでは「見ないと逮捕なのだ」と表現が弱められていました).脇役陣も凄くてレレレのオジサン,ウナギイヌ,目ん玉つながりのおまわりさん(初期のバカボンには登場せず,このキャラはア太郎がオリジナル?)など個性的な面々がそろっていました.

Bakabonnobaba (写真) 復刻版の天才バカボン.実家には昭和40年代版もありますが,読み比べるとかなり表現が変えられていることがわかります(それだけ昭和40年代が強烈な時代だったということか?)

 数年前に脳内出血で倒れられて執筆を中断したという話は聞いていましたが,今回の訃報に接して,改めて古きよき(?)昭和がまた一つ消えたのかと感慨深く思ったのでした.

 赤塚不二夫さんのご冥福を心からお祈りいたします.

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2008年8月 2日 (土)

甲子園開幕

 夏の高校野球がいよいよ始まりました.今年は90回の記念大会ということで,従来より多い55校が参加しているようです(参加校の多い埼玉,千葉,神奈川などが2校参加になった).

 さっそく熱戦が始まっているようですが,高校野球と言えば試合終了後に勝ったチームの校歌が流れます.実は子供の頃,この校歌は選手自らが歌っているんだと思ってました.格好いい校歌を聴きながら,「高校野球の選手は歌もうまくなければいけないのか」と幼心に感心した記憶があります(笑).

 

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2008年8月 1日 (金)

勤務医の置かれた状況

 ネットのニュースに興味深い記事が出ていた.

 医師4人に1人が36時間以上連続勤務

 地域の中核病院に勤務する医師の実態を調査したものだ.今年の3月まで自分も地域の中核病院にいたのでわかりすぎるくらいわかる話である.

 先日当直の話題で取り上げたのだが,地域の中核病院の当直はまさに夜勤であり,まともに睡眠時間が取れないくらい忙しい.それでいてあくまでも当直のため翌朝は通常勤務が待っている.調査では過去1週間の連続勤務について全体の1/4が36時間以上であったという.私も若い頃には3連続宿直の70時間以上勤務というのを経験したことがある(もちろんこれだけの時間起き続けているのは不可能で,数十分~1,2時間くらいづつ細切れで仮眠を取るのだが).こうなると最後の方は意識モウロウとなってくる.職業意識と極度の緊張感で間違いがないように仕事をするのだが,ちょっと気を抜くと意識がなくなったこともある(外来で問診中に意識を失いかけ,患者さんに「先生,大丈夫ですか」と同情されたこともあった).調査では一週間の労働時間が70時間以上(すなわち超勤30時間以上)という医師が25%以上いたそうだ.

 とはいえ,この事態は今起こったものではなく,少なくとも10年以上前からあったことである(私は脳卒中を取り扱う診療科のため,救急・夜間の呼び出しには縁が深い).ただそれが最近になってニュースに取り上げられているのは,これら勤務医の疲労が破断界に達しようとしているからであろう(このような環境下にありながら私が新選組まつりなどに参加できたのは,たまたま優秀なスタッフや同僚に恵まれていたのと,私自身の楽天的な性格のためであり,本当に偶然である).

 その原因としては昨今の国の医療費削減政策に起因する病院の収益悪化とその反動としての勤務量の増大,医療費の自己負担率の上昇などによる患者サイドの権利意識の増大(金を払っているのだから治って当たり前という意識)と医療訴訟の増加によるストレスがある.特に2006年に福島県で産科医が逮捕された事件(手術中に妊婦が死亡した責任を問われて医師が逮捕された事件.極めて稀な症例であり予測は不可能であったと思われる)の際は,私の周囲でも「これじゃ,たとえヘルニアの手術でも怖くてできない(ヘルニアの手術は若手外科医が始めに経験する手術)」という声があった.また当時一部マスコミによる病院叩きの風潮も見逃せない点である(特に2006年に奈良の病院に関する某M新聞の報道など).つまり以前ならたとえ忙しくても使命感や,患者さんの感謝の声で頑張ってこられたものが,それらが失われてきた(最近のモンスターペイシェント含む)ことによるモチベーションの低下があるのである.

 本来なら医師の声を代弁する組織として医師会があるのだが,現実には医師会の中心は開業医であり,もっとも悲惨な立場におかれている中核病院の勤務医の声はなかなか外にでてこないのが実情である.国は最近になって医師不足対策に予算を付けると言っているが,果たしてどうなるのか注目したい.実は厚生労働省はつい最近まで医師不足は存在しないという立場を崩していなかった.医師数は足りており,単に偏在しているだけだという主張だった.昭和末期から医師過剰時代が来ると医学部の定員を減らし続けていたから,今更ウソでしたとは言えなかったんでしょうな.この辺は戦況の悪化を見ようとせず,面子にこだわって的確な指導ができなかった大本営の体質が色濃く残っている気がする.

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8月になりました

 今日からいよいよ8月です.

 先週から今週初めにかけて、このブログのアクセス解析で”NHK ビザンチン帝国”というキーワードが激増していました.さてはと思って調べてみたら,NHK BSハイビジョンのビザンチン帝国の特番が再放送されていたようです.

 NHKのビザンチン帝国は,BSiの特番5回シリーズ(東ローマ帝国 ~繁栄と滅亡 皇帝たちの軌跡~)と並ぶビザンチンものの傑作特番です(他にないというのが悲しいが).中世から近世にかけて約1000年にわたって繁栄と衰亡を繰り返したビザンチン帝国ですが,残念ながらわが国の高校世界史ではビザンチン史は系統的には取り扱われておらず,中世ヨーロッパ史やイスラム史の中で断片的に登場するだけです.

 そんなビザンチン帝国ですが,領土的には6世紀に最盛期を迎えます.皇帝ユスチニアヌスの時代ですが,彼の時代ビザンチン帝国はゲルマン人に奪われたイタリアや北アフリカ,イベリア半島の一部を奪回し,地中海を再びローマの海とすることに成功したのです.実はこのユスチニアヌスが即位したのが西暦527年8月1日,今からちょうど1481年前なのでした(全然キリがよくないが).

6seiki1 (図) 6世紀のビザンチン帝国の領土(自作絵)

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