日本100名城スタンプラリー19
日本100名城 高遠城(30番)
日本100名城シリーズ甲信越編,いよいよ長野県に入りました.まずは長野県南部にある高遠城です.
中央アルプスの麓に位置する高遠城は元は諏訪氏の一族高遠氏の居城でしたが,甲斐を統一した武田信玄に攻められ,天文十四年(1545年)に武田氏の支配下に入ります.以来信玄の伊那進出の拠点とされますが,天正十年(1582年)の武田氏の滅亡の際に織田信長の大軍に攻められますが,当時離反が相次いだ武田の支城の中で,もっとも激しく抵抗しています.
本能寺の変後は徳川家康の支配下に入り,江戸時代には高遠藩の居城として保科・鳥居・内藤といった譜代大名が入りました.特に2代将軍徳川秀忠の庶子である保科正之(後の会津松平家初代)は有名です.
現在は高遠城跡公園として,また桜の名所として春は大勢の観光客が訪れています.遺構としては石垣や堀の他,移築された門や再建された太鼓櫓などがあります.
(写真右) 往年の大手門の一部といわれています.(同左) 本丸と二ノ丸の間の空堀.
スタンプの設置場所 城跡公園北ゲートにある高遠閣の入り口においてあります
登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) ちょっと広めでアップダウンがある公園です.
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コメント
ビザ皇帝様 こんばんは!
すっごくイイ天気ですねー!お城に緑が映えてます。(きっと真夏日だったですよねぇ)
お城そのものは無くなっちゃってるんですね~。徳川さんや松平さんの名前が出てくるあたりで勝手に「大きい城だったんじゃないかな?」と想像しちゃいます。
投稿: まーうさ | 2008年8月11日 (月) 13:44
<まーうささん>
こちらにもありがとうございます.7月12日は快晴の真夏日でした.
後の会津松平家を作った保科正之ゆかりの高遠城ですが,当地では「保科正之の大河ドラマを実現させよう」というキャンペーンをやっていました.お城も建物は残っていませんが,規模は大きくて歩きごたえがありますよ.
投稿: ビザ皇帝 | 2008年8月12日 (火) 10:13