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2008年7月30日 (水)

日本100名城スタンプラリー17

 日本100名城 武田氏館(24番)

 私の100名城シリーズ,6月15日の会津若松城で東北10城を全て制覇しました.次は関東10城ですが,こちらはすでに半分の5城は終わっています.ただ残りは8月に青春18切符を使って回る予定になっており,とりあえずは置いておきます.というわけで7月は甲信越9城にチャレンジしていました.

 さて,山梨県甲府市は日本100名城に選定された城郭が2つもあるお得な町です.そのひとつが今回のテーマ武田氏館です.

Takeda1 (写真) 武田神社の正面です.

 言うまでもなく,山梨県=甲斐といえば武田信玄です.中井貴一主演の昭和63年の大河ドラマ武田信玄(この作品は歴代大河最高視聴率を記録した作品である)や,昨年の風林火山など多くのドラマ,映画で取り上げられ非常に人気が高いアイテムです.

Takeda2 Takeda3

(写真左) 堀です.(同右)境内にも石垣が残っています.

 そんな武田氏の居城があったのが現在の甲府市北部で,躑躅ヶ崎館(髑髏(ドクロ)ヶ崎ではありません)と呼ばれていました.武田氏は清和源氏の流れをくみ,室町時代の初めから甲斐の守護となっています.戦国時代に入ると国内の守護代や国人の反乱などに悩まされますが,信虎の時代に甲斐を統一し,次の晴信(信玄)の時代には信濃,駿河,遠江などに領土を広げています.続く勝頼の時代1575年(天正3年)の長篠の戦で一敗地にまみれ,以後急速に衰退し1582年(天正10年)3月11日に織田信長によって滅ぼされたのでした.

Takeda6 (写真) 有名な風林火山の孫子の旗.実物は撮影禁止だったため,ポスターでどうぞ.

 躑躅ヶ崎館跡は現在武田神社となっており,多くの観光客が訪れています.当時の建物などは残っているはずもありませんが,堀や石垣などから当時の様子を垣間見ることができます.境内にある宝物殿には武田氏ゆかりの品々が展示されており,訪問したときちょうど,あの風林火山の孫子の旗が展示されていました(どうでもいいですが,どさくさにまぎれての旗も飾ってました 笑)

 スタンプの設置場所 武田神社宝物殿の受付にあります.声をかけると出してくれます.

 登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 武田氏の館跡ということを除けばただの神社です. ) 

24takedashiyakata 登城日 2008年7月12日

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2008年7月28日 (月)

当直あれこれ

 昨日は当直だった.

 当直というのは時間外に職場に詰めていて,何かあった場合に対応するのが仕事である.休日の昼間に詰める日直と,夜間に詰める宿直がある.勤務医の場合は時間外の救急外来への対応や,入院患者の急変への対応が主な仕事である.

 ところで,これは一般に知られていないことなのだが,当直とは仕事をしないことが前提になっている.すなわち当直時間中は何もしないで当直室なりどこなりに,ただいるのが正常な状態ということであり,何かあって仕事をしているのは異常事態というわけである.病棟の看護師は基本的に3交代勤務でそれぞれの勤務者は規定の休憩時間以外は決められた仕事をこなす代わりに,勤務が終了すれば家に帰れるのに対して,勤務医は宿直明けでも,そのまま翌日の仕事に入っているのは,それが根拠となっている.

 しかし,建前はあくまでも建前である.たとえば救急病院なんかだと,夜通し患者さんがやってくるため,本来は異常事態である急患への対応が普通のことで,当直室にただいる正常な事態が珍しいことになってしまっている.

 私の前任地は地域の中核病院で救命救急センターを併設していたた.そのため当直はまさに働きづめ,宿直中に連続で4時間寝られればラッキーだった.そんな状況でボロボロになりながら翌朝9時からの外来に突入していたのである(したがって自分の宿直の際は,プロ野球のローテーションピッチャ-のように,宿直の数日前から体調のピークが宿直に来るように調整していた).その代わり,その病院は医師の数もそれなりにいて(とはいっても常勤医が30人ちょっとだから,その手の病院としてはかなり少ないが),さらには若い研修医もおり,宿直の回数せいぜい月2回程度だった.

 一方4月からの勤務先は救急病院ではないため,それこそ何もしないのが普通という本来の宿直となっている.その代わり医師数が少ないため,月6回くらいの宿直をこなさなくてはならない.

 ハードな宿直月2回と,平和な宿直月6回,どっちがマシか? 

 個人的には回数が多くても平和な方がいいと思うのだった.

 

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2008年7月27日 (日)

保科(BlogPet)

アロイジアは弟保科正之も管理しなかった?

*このエントリは、ブログペットの「アロイジア」が書きました。

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2008年7月26日 (土)

日本100名城スタンプラリー16

 日本100名城 八王子城(22番)

 八王子城は戦国時代に関東一円を支配していた北条氏の支城の一つです.1580年代に北条氏康の三男氏照が築いたといわれています.標高466メートルの山に築かれた典型的な山城で,山の上に軍事施設が,麓に居住施設が置かれています.

Hachio4 (写真1) 八王子城跡管理棟です.スタンプとトイレはここにあります.

 山城という形態は中世的ですが,造られたのが戦国末期だったことから石垣が使用されるなど近世的な点も見られます.

 1590年の豊臣秀吉による小田原攻撃の前哨戦で攻撃を受け,同年6月23日に落城しました.そして北条氏滅亡後関東に入った徳川家康によって廃城とされています.

Hachio2 Hachio1

(写真左) 御主殿に向かう曳き橋.(同右) 御主殿の石垣と石段

 現在は八王子城跡として国の史跡になっています.最寄の駅はJR中央線高尾駅で,北口1番のバス停からバス(1番のバス停発のバスならどれでも)に乗り「霊園前」下車,徒歩20分ほどで管理棟到着です.ここから川の対岸を沿っていくと5分ほどで曳き橋を渡って御主殿跡に到着です.ここには石垣や石段などが残っています.

Hachio3 Hachi5 (写真左) 本丸,(同右) 八王子神社

 一方本丸へは管理等から御主殿とは反対側に進み,登山道を30~40分ほど登って行く必要があります(途中にはマムシが出没するらしく,マムシ注意の看板もあります).本丸へのルートは新道と旧道があるそうですが,旧道はかなり劣悪な環境らしく,私は新道から行きました.途中に○合目という案内が建っていて励みになります.山頂付近にある八王子神社まで来ると,本丸は目の前です.

 スタンプの設置場所 八王子城管理棟の窓口に置いてあります.シャチハタではなくインクを付けるタイプです.

 登城のハード指数(★★★ かなりハードです) 本丸まで行く場合は登山道を30分以上歩くことになり,体力が必要です.) 

22hachiojijo 登城日 2008年7月5日

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2008年7月25日 (金)

夏本番

 いやー,暑い.本当に暑い.

 私は北海道生まれの東北育ちである.

 先週末盛岡に里帰りして,向こうも天気が良く,そこそこ気温も上がっていたが,空気がカラッとしていて,朝夕には涼しくなるなど,こっちの気候とは全く違う.今日なんかは一歩外に出ると,ムワァ~っという空気に全身がつつまれ,じっとしているだけで汗がボタボタ落ちてきた.

 こんな猛暑だと海水浴にでも行きたいが,そういえば当地の近くには有名な湘南海岸なんかがあって,よくニュースでムチャクチャイモ洗い状態のビーチが映し出される(江の島の海水浴場であろう).東北にももちろん海水浴場はあり,有名な宮古市の浄土ヶ浜なんかはそれなりに混んでいるのだが,この辺のビーチの混み具合とはスケールが違う(人口密度が10倍以上は違うだろう).普段空いているビーチに慣れた身としては,イモ洗いビーチではかえって息が詰まって具合が悪くなるんじゃないかと思うのだった.

 嗚呼,貸し切りビーチに行きたい(4年前に行ったセイシェルのビーチは貸し切りだったな).

 追伸: 江ノ島で思い出したのだが,実は北海道にも江ノ島海岸というのがあり,こっちは絶対にイモ洗いでないビーチである(函館と札幌の中間付近の日本海に面した島牧村という人口2000人弱の村にある).

 そんな 島牧村のホームページ です.さあみんなで行ってみよう(左端のバーの島牧観光の達人というところから入っていくと江ノ島海岸の写真が見られます).

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2008年7月23日 (水)

日本100名城スタンプラリー15

 日本100名城 会津若松城(12番)

 私の日本100名城スタンプラリー,東北地方の最後を飾るのは会津若松城(鶴ヶ城)です(まさに真打登場という感じ).

Tenshu (写真1) 外観復元された天守,内部は博物館になっています

 会津若松というと江戸時代の会津松平家とその流れからくる幕末の京都守護職松平容保白虎隊,さらには新選組などが思い浮かびますが,城としての歴史はそれよりずっと遡ります.14世紀に葦名氏(この一族はその後戦国時代までこの地を支配する)によって築かれたのが始まりです(この頃は黒川城と呼ばれている).戦国時代の1589年に葦名氏は伊達政宗に滅ぼされ,この地も伊達領となりますが,豊臣秀吉によって没収され,以後は蒲生氏郷,ついで豊臣政権五大老の一人上杉景勝の所領となります.この上杉景勝の家臣が2009年大河ドラマ「天地人」の主人公直江兼続です.

Roukabashi (写真2) 二ノ丸と本丸の間にかかる廊下橋

 しかし上杉氏は関が原の戦いで西軍に与したため,戦後米沢に移封となり,その後再び蒲生氏ついで加藤氏が入ります.この加藤氏の時代に現在の城となりました.その後1643年に3代将軍徳川家光の弟保科正之が入り,以後幕末まで続いていくことになります.

Hoshiiyagura Kuroganemon

(写真左) 干飯櫓,(同右) 鉄門

 戊辰戦争では会津城下は戦場となり,天守は官軍の激しい砲撃にさらされましたが,結局最後まで崩れ落ちることはありませんでした(明治初期に撮影された天守の写真が残っていますが,砲火の凄まじさを物語っています).戦後天守は明治7年に解体されています(現在見られる天守は昭和40年に外観復元されたもの).

 現在は会津観光の中心として大勢の観光客が訪れています.

 スタンプの設置場所 天守閣博物館出口の売店にあります.

 登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 普通の都市公園です.

12aiduwakamatsujo

登城日 2008年6月15日

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2008年7月22日 (火)

スーパー刑事ボロンゴ

 ピーター・フォーク主演のアメリカのドラマに「刑事コロンボ」がある.日本でも昭和50年代にNHKで放送していたが,故・小池朝雄さんの素晴らしい吹き替え(特に「ウチのカミサンがねぇ」というセリフ)も相まって,大人気となったシリーズである.

 そんな昭和50年代に同じNHKで放送されていたのが,本日の表題「スーパー刑事ボロンゴである.これもアメリカの作品で,製作はトムとジェリーチキチキマシン猛レースなどで有名なハンナ・バーバラであった.主人公のボロンゴはチキチキ…のケンケンそっくりの風貌で,ボロいコートを羽織ってこれまたボロい車に乗って,相手にびったりと付いて回るというコロンボを髣髴させる作品であった.

 また見てみたいと思ってyou tubeでも探したんですが見つかりませんでした.そこでふと,原語ならどうだろうと,アメリカでのタイトル”Mumbly”で検索したら….ありました,ありました.英語ではありますが,とても懐かしいです.

 http://jp.youtube.com/watch?v=-lurWrg8lwk&NR=1

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日本100名城スタンプラリー14

 日本100名城 盛岡城(6番)

 日本100名城,今回は地元盛岡城です.本来は第1回に来なきゃいけないんですが,ラリーを始めたのが転勤後というわけで14回目にして登場と相成りました.

P6140265 (写真1) 盛岡城跡公園の入り口

 盛岡は盛岡藩10万石(江戸後期に20万石に変更)の城下町です.治めていたのは南部氏で,その歴史は鎌倉時代に遡ります(鎌倉時代から明治維新期まで同じ家が支配していた土地は陸奥=南部氏と薩摩=島津氏だけなんだそうです.どちらも日本の外れです).

 南部氏は元は今の青森県南部町,ついで三戸町に居城がありましたが関が原の戦いで徳川家康に味方したため所領を安堵され,江戸時代初めに居城を盛岡に移しています.

P6140246 (写真2) 盛岡城に面する中津川

 盛岡の城下町は北上川,中津川,雫石川という3つの川の合流地点に形成されていますが,この川が3つもあるというのが曲者で,これがため盛岡の中心部を移動するためには川を渡らなくてはならず,川を渡る橋でいつも交通が渋滞しているのでした.

P6140263(写真3) 地元で産出された花崗岩を利用して造られた石垣です

 盛岡城は盛岡の中心部にあって川を天然の堀として建っています.城跡は現在盛岡城跡公園(旧岩手公園)として整備されています.城の建物は遺されていませんが,地元産の花崗岩で築かれた高石垣が見事で,これだけでも100名城に選定される価値があると思います.

 スタンプの設置場所 城跡から徒歩10分くらい,中津川の対岸にあるプラザおでっての2階にあります.

 登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 普通の都市公園です.

06moriokajo

登城日 2008年6月14日

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2008年7月21日 (月)

ブログ開設2周年

 というわけで(どんなワケだ?),本日7月21日は当ブログビザンチン皇帝の日常開設記念日です.まる2年,総記事数441本(ブログペットアロイジア執筆を含む)になりました.元来私は飽きっぽい性格で,ブログを開設はしたものの,そのうち飽きてしまうんだろうと思っていましたが,2年も続くとは感無量です(感涙).それもこれも応援してくださる皆様のおかげと思います.

 これからもしょうもない記事ばっかりとは思いますがよろしくお願いします.

 追伸: 3年目に入ったこのブログ,今後の目標は?

  一、新選組ネタを増やす

  一、佐賀県の人にもっと注目してもらえる記事を書く

 こんなところで行きますか(笑).

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2008年7月20日 (日)

高校野球

 法事で盛岡に帰省したんですが,ちょうど今時分は夏の甲子園の県予選が行われています.昨日駅から自宅までタクシーに乗ったら,タクシーの運転手が野球の話を

 「いやー,昨日ベスト4が決まったんですが,今年はシード校が結構負けて,公立が2校も残ったんですよ」

 他県の例にもれず,最近は岩手でも国内留学で野球のうまい選手がいる私立高校が強くて,公立高校にとって甲子園は月より遠い存在になってしまっています.そんな中でベスト4の半分が公立とは,運転手にどこが残っているのか聞いたら,なんと自分の母校が残っているというお話.こりゃ大変とばかりに今日の午後,急きょ応援に駆けつけました.

Yakyu_007

 実は自分の学校も過去に何度も甲子園に行ったことがあるんですが,そのほとんどは私が生まれる前の話で,一番最後に行ったのが今からちょうど30年前の昭和53年でした.私が在学していたころは,まだ私立高校が強くなかったので,毎年ベスト8位には入っていたんですが,ここ10年くらいは一,二回戦敗退が普通になってしまい,見に行くこともありませんでした.野球場に行くと在校生はもちろんOB・OGも大勢来て盛り上がっていました.

Yakyu_006 (写真) スタンドの様子

 自分の高校の応援はブラスバンドやチアガールを全く使わない,声と太鼓のみの古風なスタイルなんですが,久しぶりに見たら基本スタイルは変わらないものの,やはり21世紀というか,なんとなく洗練された感じになっていました(おそらくはサッカー応援の影響がちょっと入っているのかも,あとは女子生徒の割合が高くなっているので以前より黄色い歓声が目立つ).

 結局試合は大差で敗れてしまいましたが,久しぶりに青春のひとコマを思い出したのでした.

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2008年7月19日 (土)

また地震

 今日日本全国が梅雨明けしたらしい.さて,この週末法事があって盛岡に帰省してるのだが,こちらに来る途中乗ってきたはやて75号(東京駅10時28分発)が新白河駅を通過してしばらくした時,突然車内の照明が消えた(非常灯のみ点灯).そのまま列車は徐々にスピードを落とし,しばらくしてトンネルに入ってそのまま停車してしまった.なんだなんだと思っていたら,車内放送

 「ただいま地震のため緊急停車いたしました.しばらくお待ちください」

 地震が起こると送電がストップして新幹線が緊急停車させられるという話は聞いていたのだが本当にそんな場面に遭遇するとは思わなかった.安全のための措置なんだろうが,トンネルの中で電気が消えた状態での停車はあまり気持ちの良いものではない(電源が止まっているため空調もストップしており車内温度もどんどん上がっていく).

 結局それほどの地震ではなかったらしく,10分ほどの停車で再び走り始めたが.考えてみれば先月盛岡に用事があった際も地震に見舞われた(あの時は弘前で遭遇).もし今日の地震があの規模だったら,トンネルの中の真っ暗状態で長期間閉じ込められたかもしれない.想像するとぞっとするシチュエーションである.それにしても2カ月連続で地震とは,私が帰省すると地震が起こるのか?

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2008年7月18日 (金)

戸隠そば

 暑い日が続いている.こんな日には冷たいそばが食べたくなる.

 実は先週末炎天下の中,甲斐・信濃方面の城巡りに行ってきたのだが,せっかくだからと長野市郊外の戸隠まで足を延ばした.戸隠はそば処信州の中でも特に知られた場所で,俗にいう日本三大そばにも入っている.

Togakushi4 (写真1) 戸隠の風景です

 そばは一般に冷涼な土地でも育つため,コメなどの栽培に適さない環境で栽培されている.岩手県北部もそうであるが,ここ戸隠も標高が高く,とても米はできそうにないところだ.今回は長野市内から車で20分ほど登った高原にある大久保の茶屋というお店に入った(途中七曲りという物凄い急勾配&つづら折れの道を走る).

Togakushi2 (写真2) 戸隠そばの名店「大久保の茶屋」です

 戸隠そばは円形のざるに,ぼっち盛りと呼ばれる独特の盛り付けを施し,ざるそばにも拘わらず刻み海苔がかからないのが特徴である(注).水で締められたそばを蕎麦汁に絡めてズルズルッと食べると蕎麦の香りが口の中に広がるのだった.

Togakushi3 (写真3) 戸隠そばは円形のざるにこのような独特の盛り付けをします

 蕎麦好きの私にはたまらない瞬間であった.

 注: 一般には海苔がかかったのがザル蕎麦,ないのが盛り蕎麦といわれるが,実際には盛りとざるの違いは海苔の有無ではなく,ザルに盛って良いつけ汁を使うのがザル,そうでないのが盛りとされているらしい.

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2008年7月17日 (木)

日本100名城スタンプラリー13

 日本100名城 根城(5番)

 青森県の城と言えば,圧倒的に弘前城が有名で,特に桜の季節ともなると全国から大勢の観光客がやってくる.しかし青森県にはもう一つの100名城がある.それが八戸市の根城である.

Nejo3 (写真1) 根城は公園として整備されています

 八戸市は青森県南部地方の中心で水産と工業の町である.江戸時代に盛岡藩と呼ばれた地域は今の岩手県北部から青森県東部および秋田県鹿角地方と広範囲にわたっている.そこを治めていたのが南部氏で,居城は盛岡にあった.しかし南部氏の北東北統治の歴史は古く,平安末から鎌倉初期に南部光行が源頼朝に北東北を所領として賜ったことにはじまるとされている.その南部氏の分家筋の南部師行が南北朝時代(鎌倉末~室町初期)に八戸に築いたのが根城である.以来この城は八戸地方の中心となり,江戸時代に入り宗家の盛岡南部氏から遠野への移転を命じられて廃城になるまで300年にわたって栄えた.

Nejo2 (写真2) 堀や土塁の形が分かります.

 根城は現在「根城の広場」として整備されている.江戸初期に廃城となったため当時の建造物は全く残っていないが,堀や土塁などがあり,建物も主殿や納屋などが再建されている.

Nejo4 Nejo1

 (写真左) 再建された主殿,(同右) こちらは納屋

スタンプの設置場所 根城の広場入口にあるボランティアガイド詰所(声をかけると出してくれます)

 登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 平地かつ街中にあり,誰でも楽しむことができます.

 05nejo

登城日 2008年6月14日

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2008年7月16日 (水)

信濃川と千曲川

 日本一長い川は? と聞かれるとおそらく多くの人は「信濃川」と答えるであろう.クイズの本にもそう書いてあるし,学校時代に使った国土地理院発行の地図帳に出ている日本の河川の欄にもそう出ている.

 しかしこの信濃川,最初から最後まで信濃川ではない.地図帳をよく見るとわかるのだが,長野県内を流れている部分は千曲川と書かれている.同じ川なのにどうして名前が違うのか疑問に思っていた.学生時代の友人の一人は,「千曲川と犀川が合流して信濃川になるんじゃないか」(千曲川と犀川は長野市の郊外で合流する.ここが有名な川中島の合戦の舞台)と言っていたが,地図帳をみると犀川と合流した後も千曲川のままである.結局県境を越えて新潟県に入ってようやく信濃川になるようであった(武田信玄と上杉謙信の対立の構図なのか?).

Shinachiku (写真) 県境を挟んで長野側は千曲川,新潟側は信濃川と書かれています(黄色い円内).

 外部の人間にとっては学校で習った信濃川のほうがピンと来るのだが,これが長野県の人にとっては違うらしい.大学の後輩で長野出身の女性は「えー,千曲川ですよ.誰も信濃川なんて言いませんよ.」と力説していた.

Chikuma (写真) かなり上流の千曲川風景です

 所変われば名前が変わるものとしては,東北本線が上野-黒磯間を宇都宮線と呼んでいることや,北海道ではズワイガニといわれるものが,福井あたりでは越前ガニ,京都や兵庫の日本海側では松葉ガニと呼ばれることなどがある.

 それにしても信濃川が新潟県内のみとすると,日本一長いと言えないんじゃないだろうか.群馬・埼玉・茨城・千葉と一貫して名前が変わらない利根川の方が実は長いのかもしれない(いっそ信濃川+千曲川で信越川とか千信川とかにするとか).

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2008年7月15日 (火)

日本100名城スタンプラリー12

 日本100名城 弘前城(4番)

 弘前は津軽十万石の城下町である(そういう名前の回転すし屋もある).本州の最北端部を占める青森県だが,歴史的には西部の旧津軽藩の領域と東部に位置する旧南部藩の領域からなりたっている.県庁所在地で県最大の都市は青森市であるが,西の弘前市と東の八戸市も多くの人口を抱えている.実は青森市は47都道府県の中で唯一県庁所在地に国立大学がない都市である(青森県の国立大学は弘前大学でありすべての学部が弘前市にある).

Hirosaki3 (写真) 弘前城天守

 それはともかく,弘前城は弘前市の中心部にある.津軽藩は戊辰戦争で早い段階から官軍方に味方したことと,第二次大戦での戦災を受けていないことから城が比較的良い状態で保存されている.現存する建物も天守をはじめ,櫓や門,堀,石垣など数多い.

Hirosaki1 Hirosaki4

(写真左) 北門(亀甲門),(同右) 大手門

 天守は元々五層であったが落雷のため焼失し,江戸時代後期に本丸の辰巳櫓を三層の天守に改装したものである.小規模ではあるが,現存する天守が全国で12しかないことを考えるとかなり貴重なものである(JR東日本管内の現存天守はここ弘前のほかは松本しかない).

Hirosaki2 (写真) 弘前市の市章は卍(まんじ)ですが,外国特に欧米からやってきた人はこの市章を見てドキッとするそうです

 城跡は現在弘前城公園として整備されており,特に春は桜の見ごろがゴールデンウィークに重なるため,全国からの観光客で大賑わいとなる(暖冬などで開花が早まると観光収入に響くため,桜の木の根元に雪をかけて開花を遅らせるという涙ぐましい努力も行われている).

 スタンプの設置場所 本丸天守内にあります(有料区域内なので入場料が必要)

 登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 平地かつ町中にあり,誰でも楽しむことができます.

04hirosakijo  私が弘前城を訪問中の2008年6月14日8時43分に岩手・宮城内陸地震が発生しました.あっ揺れたと思いましたが,まさかあれほどの地震とは想像もできませんでした.

登城日 2008年6月14日

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2008年7月14日 (月)

ラ・セーヌの星

 今日7月14日はフランスの革命記念日です.

 1789年のこの日,市民がパリのバスチーユ監獄を襲撃,これが全国に波及してフランス革命がはじまりました.日本ではクレール監督の戦前の映画”Quatorze Juillet”の邦題である「巴里祭」の名でも知られています(もちろんこれは日本人が勝手につけた名前であり,現地にそういう名前のお祭りがあるわけではありません).

 さてフランス革命を題材にしたアニメといえば,なんといっても池田理代子さんのベルサイユのばらが有名ですが,それとはちょっと違ったテイストなのが本日の表題,ラ・セーヌの星です.放送されたのが1975年(昭和50年)ですから,なんとアニメ作品としてはベルばらよりも古いことになります.シモーヌというパリの花屋の娘が主人公で,昼間は可憐な少女ですが,夜になると仮面の剣士ラ・セーヌの星となって盗賊や庶民を苦しめる横暴な権力者と戦うというお話です.ベルばらがオスカルやマリーアントワネットら貴族中心に展開していくのと対照的に,こちらはパリの下町の人々が中心で,庶民=虐げられるかわいそうな存在,貴族=横暴な権力者という構図が見られます(王妃も贅沢ばかりする悪い人っぽいイメージで描かれます.もちろん一部に良い貴族もいます).

 これだけならただの勧善懲悪もので,別にフランスを舞台にする必要もないんですが,実はシモーヌがフランス王妃マリー・アントワネットの腹違いの妹という設定がされているのです(マリーの母マリアテレジアは道徳的にむちゃくちゃ厳しい人だから,もし本当に夫フランツ1世に隠し子がいたら,当時敵国だったフランスに隠すというのはありそうな話である).番組前半は勧善懲悪時代劇っぽい感じで進んでいきますが(熱気球を発明したモンゴルフィエ兄弟やパリ滞在中のモーツァルトも出てきます),後半物語は一気に緊張感を増します.三部会の召集から国民議会の結成,バスチーユ襲撃と歴史的事実にそって展開,これまでの市民=弱者,貴族=強者とはいえない状況になってきます.善と悪の境界がはっきりしなくなりシモーヌも自分の役割について悩みます(出生の秘密も知ってしまい悩みが深まります).

Rasenu (写真) ラ・セーヌの星,一部でヤッターマンに出てくるドロンジョ様の若い頃という噂があった

 作風の変化は途中で監督が代わったためとのことですが,かなり見ごたえのある作品だったと思います(ぜひまた見てみたい).どうでもいですが,設定や登場人物からシモーヌは1760年頃の生まれと思われ,そうすると最終回マリーアントワネットが処刑される時30過ぎになっているはずなんですが,とてもそうは見えません(顔認証ではビールが買えそうにありません 笑).

 

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2008年7月13日 (日)

暑い…

 この週末は本当に暑かったですね.ちょっと前までは天気が悪くて湿度は高いものの,暑いという感じはなかったんですが,金曜日からカンカン照りで気温も30℃を越えていたようです.

 さて,この週末久しぶりに活動した私,まず11日は午後から年次を取って都心に出かけました.行き先は三田の慶応大学.

200807111706000

(写真) 三田キャンパスの図書館旧館,重要文化財なそうです.

 いや,別に私は慶応にゆかりはないんですが(幕末の慶応年間なら思いっきり興味があります),縁あって慶応義塾創立150周年記念のイベントの一つである”オックスフォード大学ハートフォードカレッジChoir/東京マドリガル会・慶應義塾創立150年記念選抜オーケストラジョイントコンサート”に参加してきたんです.

 普段はイタリア系のオペラ鑑賞とドイツ系宗教音楽を趣味にしている私ですが,実は学生時代にイギリスのマドリガルもちょこちょこ仲間内でやっていた経緯があり,結構好きなジャンルなのでした.

 会場は慶応義塾三田キャンパスの北館一階にあるホールです.北館は古い建物が多い中,最近できたもののようでした.ホールもこじんまりとしていますが,綺麗な感じでした.

 オックスフォード大学ハートフォードカレッジ合唱団は同大の学生合唱団で,大学や教会関係の演奏を中心に活動しているようです.今回は演奏旅行のような感じで来日しているらしく,この日のコンサートの他にも各地での演奏が予定されているようです.この日の演目はイギリスの古い歌を初め,ビートルズやガーシュウインなども取り上げていました(この辺の選曲は同じイギリスの有名なアンサンブル,キングス・シンガーズに通じるものがあるなと思いました.

 東京マドリガル会はなんと1929年からイギリスマドリガルに取り組んでおり,第二次大戦中も欠かすことなく演奏をやっていたという気合の入った団体です.今回私も一緒に歌わせていただきました.

 慶応の学生オーケストラはイギリスの作曲家ブリテンの「乞食オペラ」からハイライト場面の曲を抜粋して演奏していました(なんと,かれらは著名な指揮者ロリン・マゼール氏の指導も受けたそうです).

200807111629000  コンサート終了後はティーパーティでした.オックスフォードの学生,来日後渋谷に行ったとのこと.イギリスの若者にも人気がある場所なんだろうか(アキバがあんな事件があったばかりだし).

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半ぶりも合格したかった(BlogPet)

きのう、半ぶりも合格したかった。
それできのうアロイジアが、千厩に登城したかったの♪
だけど、最後を破壊したいなぁ。

*このエントリは、ブログペットの「アロイジア」が書きました。

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2008年7月 9日 (水)

日本100名城スタンプラリー11

 日本100名城 久保田城(9番)

 日本100名城,2008年7月9日現在16城制覇していますが,記事のほうは大分遅れてしまいました.

 6月10日に能代に行く途中,貧食訪問を兼ねて仙台に途中下車した後,今度はこまち号に乗って秋田まで行きました.ここから電車を乗り換えて能代に向かうのですが,せっかくだからと1本列車を遅らせて市内の久保田城に繰り出しました.

Kuota1 (写真1) 千秋公園入り口

 秋田市は秋田県の県庁所在地ですが,江戸時代には佐竹氏による久保田藩(秋田藩)の城下町でした.そのお城が久保田城です.久保田藩は幕末の戊辰戦争で官軍側に付いたため,他の東北地方の藩のように城が破壊されることはありませんでしたが,明治期の火災によって当時の建物の多くが失われてしまいました.

 城跡は現在千秋公園となっており,県民会館や図書館などが入っているほか,春には桜の名所としても知られています.久保田城には盛岡城や仙台城のような石垣はありませんが,大きな水堀や土塁が残っています.建物としては本丸の表門や隅櫓が再建されている他,当時からのものとして御物頭御番所が遺されています.

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(写真左) 本丸表門,(同右) 御隅櫓

 公園は南のお堀の方から入っていくと,北端の隅櫓まで登りとなります.途中には秋田名物(?)のババヘラアイスなどを見かけます.

Kubota22 (写真) 秋田名物(?)ババヘラアイスです(地方発送もありだそうです).

 スタンプの設置場所 本丸御隅櫓の受付にあります(係員に声をかけると出してくれます)

 登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 南の入り口から本丸まで歩いても10分程度です.都市の公園の趣です.

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登城日 2008年6月10日

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2008年7月 8日 (火)

外国人の目から見た新選組

 久しぶりの新選組ネタ.

 今日7月8日は旧暦の元治元年では6月5日になります.そう,新選組の名を一躍世間に知らしめた池田屋事件が起こった日です.

 さて,今年のひの新選組まつりの前夜祭でご一緒させていただいた,まりもさん(ブログ仲間のまーうささんのお友達)が翻訳された外国の方が書いた新選組本 

 新選組(SHINSENGUMI) 将軍警護の最後の武士団

 を読みました.

Shinsengai

 著者のロミュラス・ヒルズボロウ氏はカリフォルニア生まれで,日本にも長く住んでいた経験のある方のようです.この本を書くにあたって多数の参考文献に当たっています.

 歴史は勝者によって作られるといわれるように,新選組についての記録は決して多くありません.たとえば私達はテレビや映画の影響で,池田屋事件で沖田総司が肺結核の発作(喀血)を起こして倒れたということを知っていますが,これは事実として裏付けられているわけではありません.また慶応2年の総長山南敬助の死についても,脱走→切腹という世間に流布している話の真偽も,実は不明です.

 作者はこのように新選組に関する資料が断片的であることを認めた上で,「この本はノンフィクションであるとは言えない」と断っています.

 内容は幕末の政治情勢から筆を起こし,浪士組の結成から池田屋事件,鳥羽伏見の戦いなどほぼ歴史に沿って展開していきます.ただそこは外国人が書いたものであり,私達日本人とはちょっと違った視点が感じられます.

 たとえば,”徳川幕府の法律では,庶民が無礼を働いた場合,武士は速やかに厳しい懲罰を与える絶対的権利を持っていた”(本書より引用)とあります.これは「斬り捨て御免」などといわれて私達も聞いたことがある話です.しかし実際には制度としてそのようなものがあったとしても,そう簡単に斬り捨て…などとはいかなかったのが事実のようです(もし本当に武士が町人を無礼打ちした場合,当然奉行所などの取調べがあるし,また無礼打ちを行ったのが他藩領内だった場合には大問題になる).

 また著者は近藤勇や土方歳三が浪士組に参加して上洛したことを,「力を手に入れるという不屈の意思に突き動かされて」と書いていますが,実際に浪士組参加時点で二人にそれほどの意思があったのかは疑問です.

 とはいえ,書かれている内容はトンデモないものはなく,よく研究されていると思います.ちょっと新鮮な新選組本としてぜひ読んでみていいのではと思いました(著者は幕府方では勝海舟を非常に高く評価しています).

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2008年7月 6日 (日)

成人認証

 タバコの自販機で必要な成人識別ICカード(タスポ)が話題になっている.未成年者がタバコを購入できなくするのが目的らしい.だったら自販機をなくせばいいんじゃないかという議論はさておき,どうやら最近酒の自販機にもこの種の識別装置が付くようになったようだ.

 昨夜帰りにビールを買おうと思ったのだが,我が家の近くのコンビニは徒歩10分以上かかる.面倒だなあと思っていたら,近くに自販機を発見した.この自販機に成人認証装置が付いていたのである.

Hachioji_048 (写真) 成人認証装置付きのビールの自販機

 認証装置は2種類で,一つは運転免許証を差し込むもの.もうひとつは備え付けのカメラに顔を映すもの.当地に越してきてからほとんど車を運転しなくなったため,免許証は持ち歩いていない.ということで,顔認証にチャレンジ,カメラに顔を近づけて,指示通りにボタンを押す.しばらく待っていると

 「認証できませんでした

 との表示が.おかしいと思い,もう一度やってみたが同じ結果.もしかして自分の顔が未成年に見えるのかとほくそ笑んでいたが,よく見たら「カメラから50センチ離れてください」との文字が,というわけで50センチ離れて再挑戦したところ

 「認証できました.お金を入れて商品のボタンを押してください

 あっさり認証されてしまった.やっぱり未成年には見えなかったらしい(笑).

 この顔認証装置,顔のシワなどで判断するらしいのだが,雑誌などに写っているおっさんの写真でも認証される可能性があると指摘されていた.実際はどうなんだろうか.

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2008年7月 3日 (木)

あじさい電車

 昨日は梅雨の晴れ間の良い天気でしたが,今日は再び曇り空.最近なかなか青空が拝めません.

 さて,ウチの近くを走っている箱根登山鉄道,小田原と箱根町の強羅を結んでいるんですが,途中の箱根湯本を挟んで大きく2つの部分に分かれます.このうち小田原から箱根湯本までは小田急線のオマケという感じで,走っている電車も小田急線とまったく変わりません.

 一方,箱根湯本から強羅は本格的な山岳鉄道の趣で,特有の車両が走っています.

Ajisai1 (写真) 特別列車「あじさい号」です

 そんな箱根登山鉄道の梅雨の名物列車が表題のあじさい電車です.湯本から強羅までの沿線には1万株ものアジサイが植えられており,この時期は夜間にライトアップもされています.このアジサイをゆっくり観賞するために,全席指定の「あじさい号」が運転されているのでした.今日,そのあじさい号の切符が取れたためさっそく行ってまいりました.

Ajisai2 (写真) イノシシ注意の看板です.年に何度か電車とイノシシの接触事故があるそうです.

 今回切符が取れたのは強羅から箱根湯本までの山下りの列車,夕方の普通電車で強羅まで行き,現地で軽く夕食とビールを飲んで,20時7分発のあじさい号に乗り込みました.

Ajisai4 (写真) 沿線に広がるアジサイの花です.

 列車は出発すると車内の電気を落します.そして,沿線随所にあるライトアップポイントに差し掛かると,徐行しながら車内は真っ暗になります.乗客にゆったりとあじさいを観賞してもらおうという趣向です.途中宮ノ下駅では約10分間停車して,構内のあじさいを観賞したり,記念撮影をしたりする時間もあります.走行中は車掌さんによるガイドもあり,約40分の楽しいショートトリップを楽しむことができました.

Ajisai3 (写真) 宮ノ下駅構内のライトアップされたアジサイです

 アジサイはその土壌の性質によって花の色が変化します.土が酸性だと青,塩基性だと赤と,ちょうどリトマス試験紙の逆になります.またアジサイは元々日本の花ですが,西洋に渡って品種改良されたものが逆輸入されてセイヨウアジサイとして広まっています.セイヨウアジサイは土壌による色の変化がありません.

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2008年7月 2日 (水)

いずこも一緒

 ネットのニュースでこんな記事を見つけた.

 近畿大は“異常趣味”大学じゃない! 英称変更を検討

 どうやら”Kinki University”というのが,”Kinky University”(異常趣味な大学)と英語で聴こえるため,向こうの人に面白がられているかららしい.要するに日本人がオランダの”スケベニンゲン市”やバヌアツの”エロマンガ島”を見て面白がっているのと同じ理屈だ.

 国際学会などで近畿大の人が発表する時に会場の一部から笑いが起こるというから,真面目に研究している人にとっては深刻な問題なのかもしれないが,その一方”Kinki University”のTシャツが英語圏の若い人たちに人気があり,海外から注文も多いというから,近畿大のためにはどっちがいいのか思案のしどころである.

 不真面目な私の感性からいえばそのままでもいいような…(仮にスケベニンゲン市やエロマンガ島が日本人に面白がられるからという理由で改名されたら残念だ).

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