本が…
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高幡不動駅前にある ~幕末めし処~池田屋 が来月閉店してしまうということで,その前に行ってこようと計画していました.当初は6月22日に行こうと思っていましたが,雨降りのため断念,一週間後の29日に延期したのですが…
今日も雨
意味ないじゃん! と思ったのですが,来週は別件の用事もあり,今日しかないということで行ってきました.予報では当地より高幡の方が雨量が少ないという話だったんですが,向かうにつれて雨脚が強まっていく.結局本格的な雨降りの中,高幡不動駅に降り立ったのでした.池田屋が駅前でよかったと思いつつ入店しました.
(写真) 池田屋前.他の人の写真でも思うんですが,店の前の隊士の看板,こうして写真で見ると人のように見えるんですよね.
ちょうどお昼時を過ぎた時間帯だったためか,お客さんは5, 6人ほど.各新選組隊士メニューやら幕末の志士メニュー(ケイキさんもあった)を物色,自分なりに思いのある井上源三郎や武田観柳斎にしようかとも思ったんですが,結局食べたいものということで斎藤 一丼になりました(笑).
(写真) やっぱり雨が降っているほうがあじさいには似合います
食べ終わって店を出ると,ちょうど雨が小止みになっており,腹ごなしにと盛りの過ぎた高幡不動尊のあじさい祭りへ.昨年もこのタイミングであじさい祭りに行きましたが,ちょうどカンカン照りだったためか,あじさいもしおれた感じでしたが,今日は程よく雨が降っているためかみずみずしく見えました.やっぱりあじさいには雨が似合いますね.
というわけで私の一月半ぶりの高幡訪問でした.
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日本100名城 仙台城(8番)
6月10日に能代に行く途中,貧食に寄るため仙台で途中下車.ついでだからと仙台城址に行ってきました.天気は快晴,絶好の城めぐり日和です.
仙台は奥州伊達62万石の城下町,大名としては加賀の前田家(100万石),薩摩の島津家(72万石)に次ぐ全国三番目の規模を誇ります.江戸時代から穀倉地帯として有名で,江戸から比較的近かったこともあり,江戸で流通する米の半分が仙台産といわれた時期もあったようです.
城下町仙台の礎を築いたのはもちろん伊達政宗ですが,彼が仙台に拠点を移したのは意外に新しく,関が原の戦い後の事です.戦国時代の伊達家の居城は梁川,米沢のちに岩出山(一時会津若松にいたことも)でしたが,関が原後の1601年に仙台城の建設が始まっています.
仙台城は市内西部の青葉山にありました.明治以降城跡は陸軍第2師団の拠点となり,江戸時代の建物はあらかた失われてしまいました(大手門などは遺されましたが,第二次大戦で完全に焼失しています).
現在は石垣を中心とした史跡となっており,建造物としては大手門脇にあった隅櫓が再建されています.
(写真) 仙台城で唯一の再建建築物である隅櫓です.このすぐ脇に大手門がありました(再建計画があるそうです).
スタンプの設置場所 仙台城見聞館の受付にあります(係員に声をかけると出してくれます)
登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 大手門跡から10分ほど登っていくと本丸に到着しますが,車で直接乗り付けることも可能です.
登城日 2008年6月10日
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ココログのアクセス解析で最近,”妖怪検定”というキーワードが増えてきたなと思って調べてみたら,2008年度の境港妖怪検定についての要綱が発表されていたようだ.
この検定は妖怪で町おこしをしている境港市(漫画家水木しげる氏の出身地)が2006年から始めたもので,私も受験し合格した.この時は第1回ということで初級のみであったが,翌2007年の第2回では中級も実施している(合格率18%と超難関だった模様).
今年の試験は10月26日の日曜日に行われるらしい.昨年は旅程のやりくりがつかず(日曜の午後の受験後,翌朝までに岩手県北部に帰ってくることが不可能だったため),受験を断念したのだが,今年は距離的にはかなり縮まったため,なんとか受験できそうな感じである.もちろん受けるのは中級である(3年目ではあるが上級はまだないらしい.昨年の中級の難易度が高かったためか).テキストを購入して勉強しようと思ったのだった(一昨年のことは完全に頭の中から消えている).
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日清食品から出ている即席めんにマグヌードルというのがある.
ちょうど小型サイズの麺と別袋でかやく入りスープが付いていて,マグカップに入れてお湯を注ぐと出来上がりというヤツだ.1食あたり100キロカロリー超とおやつにちょうどいい.一袋にはコンソメ醤油味とシーフード味の2種類が2個ずつ入っている.
海外とりわけマニアックなところに行くと,途中で妙に即席めんの味が恋しくなることがある.このため私はいつも,このマグヌードルを荷物に忍ばせていくのだった(かさばるものでもないし).
さてこのマグヌードルには仲間が存在する.それは マグうどん 和風マグヌードルというべきだろうか.
こちらもマグヌードル同様4食入りで,きざみきつねうどんと豚カレーうどんが2食ずつ入っている.実は個人的にはこっちのマグうどんの方が好きだったりするのだが,売っている店が極端に少ないのである.一般のコンビニではもちろん見かけないし,スーパーでも余りお目にかかれない.最後に見かけたのは去年秋に岩手県の一関市千厩のスーパーマイヤでだった.
この辺でどこか売っている店はないんだろうか?
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昨日夏至も過ぎて,今日からはどんどん日が短くなっていきます(笑).
この週末当地は雨模様.昨日は地元医師会合唱団の演奏会に参加してきたんですが,今日日曜は結局どこにも行かずにゴロゴロしてました.
考えてみれば今月に入ってから,1日(盛岡)・7日(池袋)・10日(能代)・14日(盛岡 地震でたどり着けず)と行事が目白押しでした.この日晴れたら来月閉店という,高幡の池田屋に行こうかとも思ったんですが,この雨で断念した次第です.
ここしばらくは長距離遠征の予定はありませんが,来週日曜あたり天気がよければ行ってみようかな.
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日本100名城 鉢形城(18番)
関東地方は戦国時代後北条氏の勢力範囲だったことから,北条氏関係の城跡が多く見られます(もちろんそれらは戦国時代のものであり,遺構という形でしか残ってはいませんが).埼玉県寄居町にある鉢形城もまた,これら後北条氏の支城の一つです.
鉢形城は荒川と深沢川に挟まれた高台に位置しており,特に荒川に面した部分は断崖絶壁と天然の要害をなしています.城の歴史は15世紀に当時関東管領だった上杉氏の家臣長尾景春が築城したことに始まるといわれています.後にこの地方の豪族藤田氏に婿入りした北条氏康の四男氏邦が拡張,天正18年の秀吉による小田原攻めに際しては,籠城して戦ったものの,約一ヶ月の攻防の末落城,以後は廃城となりました.
鉢形城の建物類は全く残っていませんが,堀や土塁などの遺構が保存されています.
スタンプの設置場所 鉢形城歴史館の受付にあります(係員に声をかけると出してくれます)
登城のハード指数(★☆☆ ハードでは ありません) 歴史館から1時間程度で周囲を散策できます.最初に歴史館によってパンフレットを貰ってから回ると良いと思います.寄居駅から歴史館へは徒歩30分程度ですが,バスも出ています(鉢形城へのアクセス)
登城日 2008年6月8日
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いよいよ今週の土曜日は夏至です.
夏至は北半球では1年でもっとも昼が長く夜が短い日です.ただ昼の時間と夜の時間のアンバランスさは緯度によって大きく異なり,赤道付近では昼と夜の長さはほぼ一緒ですが,緯度が上がるほど昼の長さが長くなり,北緯66度33分以北(北極圏)では一日中太陽が沈まない白夜(英語ではmidnight sun)になります.
ただ一口に白夜といっても違いがあり,北極圏でも比較的緯度が低い場所(北緯70度付近)では,真夜中には太陽は地平線の近くまで降りてくるため,夕方のような趣になります.
これに対して北緯80度以北の超高緯度になると太陽の高さが一日中変わらなくなるため,24時間昼間のような感じになります(ちなみに北極点での夏至の日は太陽は仰角23.67度の空を一周します).こういう景色を私はスーパー白夜と勝手に命名し憧れの景色でした.
このため2003年に北緯80度のスバールバル諸島に出かけた際,同じ場所から様々な時刻の写真を撮ってみました.ちなみに場所は世界最北の町,ロングイヤービーエンにあるスピッツベルゲンホテル前から北の方向を向いています.
(写真1) 午前4時の様子です.明け方ということになります.
(写真2) 午前8時の様子です.朝食時間ということになります.
(写真3) 午後8時の様子です.夕食時ということになります.写真2と比べると太陽の位置が逆になっているため,朝は日陰だった右端の建物に日が当たっています.
(写真4) そして真夜中の12時から1時くらいの様子です.太陽が真北にくる(北中)という日本では絶対に見られない光景です.
ちなみに夏至の季節の当地では一日中外の明るさは変わりません.
また夏至の日に北回帰線(北緯23度26分)上では,真昼に太陽が真上にくるため,影がなくなります(井戸の底まで太陽の光が届く).
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いろんな意味で慌しい週末でした.まずは岩手・宮城内陸地震関連でご心配おかけして申し訳ございませんでした.
ちょうど地震が起こった時弘前公園の本丸にいました.「揺れたな」とは思いましたが,周囲は広々とした空間,何かか落ちてくる筈もないシチュエーションで焦ることもありませんでした(雷なら逆に怖い場面ですが).ただ,まさかこんな大地震とは思いませんでした.
新幹線・在来線がストップor大幅遅れとなったことから,当初予定した会には結局間に合わず,この2日間で私の手元に残ったのは4つの日本100名城スタンプのみというわけでした(弘前,根城,盛岡,会津若松の4ヶ所).
翌日はただ帰るのは面白くないというわけで,途中郡山から寄り道して会津若松を訪問,その帰路に猪苗代駅の信号機が故障して列車が停まってしまう事件もありました.なんだかんだと結局家に帰ったのは夜の10時でした.
今回の旅行で感じたことは,私達が普段恩恵にあずかっている公共交通機関のもろさでした.八戸-盛岡なんて普段は新幹線で40分です.しかし,今回は復旧なったばかりの在来線で2時間以上かけての移動となってしまったのです(まあ,動いただけましとも言えますが).もしこれが徒歩なら…(3日はかかりますね).
その一方,これだけの災害がありながら夜を徹しての作業で少なくとも新幹線だけは翌朝には復旧させたJR東日本はすごいとも思いました.
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昨日の地震の影響で心配された東北新幹線も、今朝は正常化しており、無事に車上の人となった私。
順調に南下していました、が、今度はなんと信号機の故障だそうです。
果たしていつ家に帰れるのか?
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今日6月14日は仕事に関する会合が盛岡であった.すなわち岩手県を拠点とする専門を同じくする人間の年に1回の集まりである(同門会という).
私は4月から遠隔地に異動になった.それゆえ、もしこの会を意味なく欠席すると,「あいつは医局を脱するつもりじゃないか」と疑われ,捕まって切腹させられる可能性があるため,早々に出席の返事を出していた.
会は今日の15時からなので,12時に東京発のはやてに乗れば十分間に合う.したがってもしこの会に参加するだけなら朝10時に家を出ればいい.最初からそうしていれば話は簡単だった.
しか~し,私の性格からして,そんな会に出るためだけに700キロもの移動をするはずもないのだった.しかも今は日本100名城にハマッている.せっかくだから北東北の100名城も一緒に制覇しようと考えるのが自然な発想である(私にとっては).
実は前日13日夜に東京の赤坂の教会でコンサートがあり,ウチのKともども出かけてきた.コンサート自体は素晴らしかったのだが(女人心),その後Kは帰宅,私は品川から夜行バスノクターン号に乗り込んだ.行き先は青森県弘前市,ここには東北屈指の名城弘前城がある.”翌朝(14日)弘前城を探索して,その後八戸に移動,お昼に同じく100名城の根城を探索して,その後盛岡に移動,例の会に出席してその日は盛岡泊まり”という予定である.
本当は寝台列車あけぼの号が良かったのだが,これだと弘前到着が遅くなってしまい,八戸を回る余裕がなくなるため夜行バスにしたのである.
3列シートのノクターン号は結構リクライニングの角度もあり,国際線エコにミークラスよりは寝やすいが,それでも浅くしか眠られなかった.とはいえ予定通り朝7時に弘前に到着,コインロッカーに荷物を入れ,弘前城公園へ.早朝の公園を散策し,ちょうど本丸に入った8時40分過ぎ,地面が揺れているのを感じた.「おっ,地震だ」と思ったが,ゆれはたいしたことはない.ただゆれの時間が長かったような気がしたがそれ以上は気にも留めなかった.これが後ほど私に大きな影響を及ぼすとは知る由もない.
9時に天主が開くのを待ってスタンプを押し,さあ駅に戻ろうと思った9時過ぎに携帯が鳴る.見ると愛知県在住の友人だ.「おう,岩手県で大地震があったらしいから電話したぞ」,「今弘前なんだ.ここは大して揺れなかったから大丈夫だ」などと会話して,そのまま駅に戻ってみると…
奥羽本線・五能線は地震のため運転を見合わせています
「えっ!」.改札口には結構人が集まっている.近くのテレビでは,岩手県南部で強い地震,震度6強とか言っている.盛岡の実家と医局に電話したが,通信規制がかかっているらしくつながらなかった.
ただこの段階では,「この辺は大して揺れなかったしすぐに再開するだろう」と楽観していた.案の定,まもなく運転再開,発車を待っていた特急つがる号に乗り込む.列車自体は1時間遅れだが,私の予定では10分程度の遅れだ.まだまだ余裕の私だった.
そうこうしているうちに八戸に近づく,ここで車内放送が「今朝8時○分の地震の影響で東北新幹線は運転を見合わせており,再開には時間がかかる模様です」とのこと.
約12時に八戸に到着したが,たしかに新幹線は動いていない.ここにいたり,「もしかして盛岡に行けないかも」と考え医局に電話したがやっぱり通じない.メールのほうが通じるかと医局秘書の女の子に「地震の影響で新幹線が動きません.もしかしたら行けないかも」とメールする.しばらくすると返信が,「わかりました.教授も東京出張から今日新幹線で帰ってくる予定で,どうなるかわかりませんから先生も無理なさらずに」とのこと.無理するも何も歩いていくわけにはいかないよなぁ,などと考えたが,駅でボーっとしていてもしょうがないので,予定通り根城に繰り出すことにした(この辺の切り替えは早い).
根城を見学しスタンプを押して駅に戻る.予定なら盛岡行きの新幹線に乗る時間だ.
しかし…,新幹線は動かない.この段階に至り盛岡には行けないことを確信した.客の中には「どうしても今日中に東京に行かなくちゃならないんですけど」と主張していた人もがいた.とはいえ動かないんじゃ仕方ないので昼食にしようと駅構内の回転寿司に入る.「さすが八戸は回転すしでも旨いな」などと感心していると,ふと考えが
「新幹線がダメなら在来線は?」
食い終わって改札に戻る.聞くと在来線はダイヤは乱れているらしいが,動き始めたとのこと.さっそくJRの切符をキャンセルして青い森鉄道に買い換えた.ホームに入り止っている電車に乗り込むと,いつになく混んでいる.しかもこの辺っぽくない人が多い.どうやら同じ事を考えている人が多いらしい.見るとさっきどうしても東京に行くと言っていた方もいた.やっぱり人間は少しでも近くへ近くへと移動したがるものらしい.
しばらくして電車は動き始めた.新幹線なら40分の八戸-盛岡間だが,在来線しかも再開直後のため時間がかかる.
それでもなんとか無事,盛岡駅にごとうちゃーく! 時刻は夕方5時半,会が終わる時間である.意味ないじゃん!
この段階で私に与えられた選択肢は2つ.
① 会はダメでもその後の宴会に顔を出す.
② 新幹線が止まっていることはわかっており,切腹になることはないのだから,明日以降のことを考えてなるべく家に向かって進む.
であった.いろいろ考えた挙句,結局②を選択した.新幹線・東北本線は止まっていたが,高速道路は復旧しており高速バスは走っているというウワサがあったからだ.
というわけで,荷物を引きずり盛岡駅の高速バスチケット販売所に行くと,窓口に張り紙が
アーバン号本日運休(アーバン号とは盛岡-仙台の高速バスの名前です)
ガーン,高速バスもダメかと思ったら,なにやら隣で話し声が…,聞くとJRの職員が,盛岡-仙台の代行バスを手配していること,盛岡-仙台の乗車券で乗れること.さっそく買ったのは言うまでもない.
誘導されるがままに盛岡駅西口バス停で行列を作って待つ人々だった.日が暮れて寒くなってくる.待てども待てどもバスは来ない.そうこうしているうちにJRの職員が,
「八方手を尽くしましたが,バスの手配がつきません(泣)」
とのこと,結局盛岡泊まり.これなら宴会に行けばよかったと思ったがafter festivalで,仕方なく盛岡駅前に宿を取った私でした.
というわけで,6月14日23時現在まだ盛岡にいるビザンチン皇帝でした.ちなみに盛岡は地震があった気配もなく,駅以外は全くいつも通りなのでした(みなさんご心配なく).明日は復旧しているといいな.
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新選組&ブログ仲間のまーうささんが素敵な企画を立ち上げています.
全国各地の夏至の夕方6時の様子を写真に撮ろうという企画です.
言うまでもなく夏至は1年間でもっとも日が長い日です.私も夏至が大好きです(実は冬至も好き,要するに極端なのが好きなんである).夏至の原則は「北に行くほど日没が遅くなり,一方東に行くほど日没は早くなる」なんですが,日本は東西南北に意外に長い国なので,たとえば日本最東端だがかなり北に位置する北海道根室市と南だが日本最西端にある石垣島ではどっちが日没が遅いのかなど非常に興味深い(昼の長さは断然根室ですが).
さて夏至好きの私,過去に意外と6月に夏季休暇をとることが多かったのでした.そこで,夏至とはいかないまでも,私が撮影した6月下旬の世界各地の夕陽を集めてみました.
① 赤道直下セイシェルのインド洋に沈む夕陽です.赤道は年中日の長さが一定なので,夕方6時にはこのように夕陽が見られます(2004年6月).
② 北緯71度ヨーロッパ最北端,ノルウェーのノールカップのバレンツ海に沈む夕陽です.夏至の季節はちょうど白夜のため深夜12時でようやく夕陽が見られます(この後太陽は沈むことなく再び昇っていきます 1999年6月).
③ 北緯80度世界最北の街ロングイヤービーエン(スバールバル諸島スピッツベルゲン島)の夜中の12時半です.これでも一番太陽が地平線に近づいた時間なんですが,真昼のような明るさです.ここでは夏至の季節に夕陽は見られません(2003年6月).
④ 北半球の夏至は南半球では冬至にあたります.これは南半球にあるマダガスカル島の6月のある日,午後5時18分です(2007年6月).手前の木はバオバブです.
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日本100名城 川越城(19番)
埼玉県川越市は小江戸とも呼ばれる風情のある町です.江戸時代には江戸の北の守りの拠点として,松平信綱や柳沢吉保などの幕府の大物が藩主として入ったところです.重要拠点であることからも藩主の交代が激しく,その石高も初代酒井重忠の1万石から松平斉典時代の17万石まで変動が見られます.
そんな川越藩の藩庁だった川越城ですが,現在はそのほとんどが市街地になっているため,城跡といってもピンと来ません.大手門が現在の市役所の位置にあったようですが,石碑がなければ全くわかりません.
それでもここが100名城に名を連ねているのは,一にも二にも本丸御殿の一部が現存しているからです.この御殿は嘉永元年(1848年)に建てられたもので,玄関部分を含めた一部が残されています.現在は博物館として一般にも公開されています(ただし平成20年10月21日から平成23年3月まで修理のため休館になるようですのでお早めに).
(写真) 富士見櫓跡はちょっとした高台になっていますが,木が茂っているため展望はあまり良くありません.
そのほかに,御殿の南方に富士見櫓の跡が残っています(櫓自身はありません).
スタンプの設置場所 本丸御殿の受付にあります(係員に声をかけると出してくれます)
登城のハード指数(★☆☆ ハードでは ありません) 観光用の巡回バスも充実しており誰でも気軽に見て歩けます.
登城日 2008年6月8日
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というわけで,6月10日に能代に向かう途中仙台で途中下車しました.目的はもちろん,まもなく閉店してしまう貧食を訪ねることです.
(写真) 貧食前の風景.いつになく自転車が整然と並んでいます.
当初は2月で閉店してしまうというウワサでした.しかし地下鉄工事が遅れているということで少し予定が延びて今年度に入っても営業していたんですが,7月の夏休みとともに本当に閉店になるんだそうです.貧食前はいつものように自転車の山…と思ったら,妙に整然としています.後で聞いたら工事の関係もあり,係員を配置して片付けているとのことでした.
(写真) これがチキン辛口カレーです.左に付けたのは1円サラダ.
今回は開店直後に入ったためかお客さんは数名のみでした.前回2月の訪問の際は青春のインドカレーを食べましたが,今回はもうひとつの青春の味チキン辛口カレーに挑戦しました.一口ほお張ると口の中に辛さが広がります.「オオッ,懐かしい味」と嬉しくなってしまいました.ただ昔は具材としてマッシュルームが入っていたんですが,この日はシメジに代わっていました(一時的なものか,本当にモデルチェンジしたのかは不明).
(写真) 貧食には1グラム1円のサラダバーがあります(昔は10円サラダ,30円サラダでした).
お店の方の話では,7月末(25日?)に閉店記念イベントが行われるとのこと.ぜひ来たいなぁと思いつつ,平日だから無理かなと思ったのでした.
追記: 去年秋から貧食訪問は3回目ですが,3回とも見事な快晴でした.貧食は晴れの法則でしょうか?
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いやー眠い.さすがに2日続けて6時起きは朝寝坊の私には堪える.
実は寮歌好きな私.普段は音楽というとクラシック関係を中心に愛好しているのだが,深層心理には寮歌があって,何かの折に頭をもたげてくるのだった.
以前の勤務先の同僚のご尊父が寮歌愛好家で,秋田の能代で寮歌の会をやっているとのことでおととしの秋にお招きいただいた.昨年は6月の開催だったのだが,見事我が家のマダガスカル旅行とかぶってしまい参加できなかった.そんなわけで今年は是非参加したいと思い,めったに使わない年次休暇をとって出かけてきた.
しかし能代はムチャクチャ遠い.列車でまっすぐ行っても6時間以上かかる(新幹線利用で).6月10日は朝6時半に家を出た.寮歌の会は夕方からなので,せっかく平日休むのだからと途中仙台に寄って,いよいよ閉店間近の貧食に顔を出したりしたためだ.
結局能代に着いたのは夕方の4時半,ホテルで一休みしてから会場となる料亭金勇に出かける(ここの二階にある154畳の大広間が会場).
2年前にも書いたが,寮歌とは旧制高等学校の寄宿舎の歌である.学制改革があったのが1948年頃だから,実際に旧制高校に在学していた人たちは若くても80歳近くということになる.遠くは大阪,兵庫など全国から総勢60名以上の方々が集まっていた.今回の参加者名簿を見たのだが,旧制一高卒,二高卒など錚々たる顔ぶれが揃っている.私なんかは若い方から数えて五本指に入るくらいだ.
挨拶,乾杯に続いて寮歌が始まる.北国の寮歌の会のためか,およそ北(北大予科)からはじまって弘前,二高,山形,一高,…,七高造士館(第七高等学校は鹿児島にあった)と進んでいった.酒が入るにしたがってどんどんにぎやかになっていくのだが,それにしてもみんな若い! とても70~80歳には見えないくらい元気だ(寮歌の世界では60代はニューリーダーである 笑).
(写真) 職業柄普段元気のない高齢者ばかり見ているので,こんな元気な方々を見るととても感動します.
私も久しぶりにご馳走を堪能して高歌放吟した夜となった.
そして,今日6月11日はまた6時起きで,今度は朝8時大館能代空港発の飛行機で職場にもどったのである.
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トンデモ本大賞で池袋に繰り出した私,しかしせっかくここまで来たのにただ帰るのはつまらない.
というわけで,やってまいりましたのは埼玉県川越市,小江戸とも呼ばれる風情ある街です.ここには今ハマッテいる日本100名城もあるんですが,ふらっとやってきたのは元町の菓子屋横丁です.
子供時分に夢中になった駄菓子やB級アイテムを眺め歩いたのでした.
(写真) 10円ヨーグルト(今は20円でした),専用のヘラですくって食べるんですが,容器の隙間に余ったのを最後の方は指でなめってました.
(写真) 10円ソーダ,一応水に溶かして飲むことになっているんですが,お世辞にも美味いとはいえないので,粉のまま食べていました.
(写真) タバコ型のお菓子,今と違って喫煙する大人が格好良く見えた時代,子供が大人の真似をして遊ぶお菓子でした.類似のものに,タバコ型のガムやチョコレートなどもありました.
その他カレーあられや麩菓子,すぐに味がなくなるB級ガム(注)などの懐かしい駄菓子がたくさんありました.
注) B級ガム: ロッテなど大手メーカーのガムは噛み始めて数分は味が残るが,名もないメーカーのガムの場合,噛むと10~20秒で味がしなくなってしまうものも少なくない.
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6月7日にトンデモ本大賞で池袋に行った.
池袋はJRのほか,西武や東武も乗り入れている.ただ,JRを中心にして,西側に東武が東側に西武がある(JR池袋駅の東口が西武,西口が東武).ここで素朴な疑問,
どうして逆じゃないんだろう.
路線図を見ると西武池袋線は東武東上線の西側を走っていて,名が体を表しているのだが,駅のみ(デパートもか)は逆になっている.
何か深~い理由があるんだろうか.
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というわけで(どんなわけだ!),オタクの祭典日本トンデモ本大賞2008に行ってまいりました.昨年はイイノホールだったんですが,今年の会場は大人の事情から池袋の「みらい座いけぶくろ」でした.
昨年よりずっと狭く,伝統ありそうな(盛岡なら公会堂みたいな感じ)会場でした.入ると大勢の人たちで大賑わい.
トンデモ本とは,「著者の意図とは異なる視点から読んで楽しめる本」のことで,けっしてUFOや超常現象の本とイコールではないんですが,これらの本にトンデモ本が多いのも事実です.したがってトンデモ本愛好家にはオタクっぽい人が多いのが現実です.
ただ私が学生時代のオタクといえば,青白い顔をして昼夜逆転していて,絶対彼女なんかいそうにない男ばかりだったんですが,21世紀のオタクはカップルで来ているのも多いんですね.驚きました.
会はトンデモ物件の紹介やらトンデモ音楽の演奏,トンデモ活弁など4時間半があっという間でした.久しぶりに大笑いした私でした.
ちなみに今年の大賞受賞作品は
ウォレス・ワトルズ著 ”富を「引き寄せる」科学的法則” 角川文庫
でした.実はこの作品100年近く前に書かれた本なんですが,お金持ちになるためにはどんな心構えで生活していけばいいのかなどを書いています.人間の発想はこの100年あまり変わっていないんだなということがよくわかりました.
ただ,こういう作品が大賞を受賞するというのも,やっぱり今年はトンデモ本不作の年なのかもしれませんね.もっともこういう作品を読んで笑えるというのも,ある程度知識がないとダメなわけで,そういう知的な遊びは今後も続けていこうと思ったのでした.
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日本100名城 多賀城(7番)
山形城を後にした私はバスでそのまま仙台に向かいました.山形-仙台間の路線バスは私の学生時代から存在しましたが,当時は国道48号線の作並温泉,関山峠経由で1日数往復だったと思います.しかし今は高速道路経由で所要1時間,1日70往復(ほぼ10~20分間隔で運行)と,競合するJR仙山線を完全に喰ってしまっているようです.
宮城県の中心地というとおそらく,100人中99人は仙台と答えるでしょう.しかし仙台が栄えるようになったのは戦国末期に伊達政宗が本拠を仙台に構えるようになって以降の話です.「では昔の中心はどこだったの?」 というと,これが本日の表題多賀城です.
多賀城の始まりは奈良時代(養老8年 724年),ここに陸奥国府が置かれたことによりますから,約1300年,なんと京都よりも古いことになります.
(写真) ここが政庁跡の土台です.多賀城跡は小高い丘の上にあり,ここから市内が見渡せます.
当時東北地方は奈良の律令政府の支配下には入っていませんでした.このためこの地域への進出をねらう律令政府によって,出先機関兼最前線基地として築かれたのです.その後中央政府の支配地域が北に広がるにしたがって,前線基地は今の岩手県南部に移りますが,政治の中心,国府として栄えたのです.しかし武士の時代に入ると徐々にその役割を失い,戦国時代以降はまったく忘れ去られてしまったのです.
現在多賀城跡は発掘が進められ,かつての政庁跡や土塀などが復元されています.
スタンプの設置場所 多賀城市埋蔵文化財調査センター2階受付(政庁跡やJR東北本線国府多賀城駅からはかなり離れています.JR仙石線多賀城駅の近くです)
登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) JR国府多賀城駅から10~15分程度です.ただスタンプのある埋蔵文化財調査センターからはかなり離れているので,モデルコースとしては仙台駅からJR仙石線で多賀城駅下車,徒歩10分の埋蔵文化財調査センター2階で見学およびスタンプを押し,そこでタクシーを呼んで政庁跡に移動(約1000円),政庁跡や多賀城碑を見学して,徒歩でJR東北本線国府多賀城駅に移動,駅前の東北歴史博物館を見学して仙台に帰るのがいいと思います.
登城日 2008年6月1日
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日本100名城 山形城(10番)
二本松城を後にしてさらに北上し一泊,6月1日になりました.この日は15時から盛岡でのコンサートを聴きに行くのですがまだ半日もある,というわけで早朝から活動を開始した私です.やってきたのは山形城です.
山形県の県庁所在地である山形市は戦国時代に最上氏の居城だったところで,江戸時代のはじめには村山・最上・庄内57万石という大藩の城下町となりました(伊達政宗のライバル最上義光の時代).このため城郭も非常に大きく,三の丸で250万㎡以上もの規模を誇っていました.しかし義光の死後に起こった家督争いのために最上氏は改易となってしまい、以後は鳥居氏,堀田氏などの普代・親藩大名の所領として歴史を歩んでいきます.度重なる藩主の交代とともに山形藩自体の所領も縮小し,幕末の水野忠精(天保の改革で有名な水野忠邦の子)の時代にはわずか5万石の小藩になってしまいました.
これだけ藩の規模が小さくなると城の維持もままならず,幕末にはかなり荒れ果てた状態になっていたようです.また明治以後,山形城跡は陸軍歩兵32連隊の駐屯地ともなりました.
現在城跡は山形城址霞城公園として整備されています.近代以前の建物は残っておらず,二の丸東大手門や本丸一文字門の石垣などが復元されています.山形市では現在本丸の御殿を再建する計画を立てているようですが,平面図のみで絵図面や写真などが残っていないため,資料を探しているとのことでした(山形城には天守はなく,本丸には御殿があった).
スタンプの設置場所 山形市郷土館(旧済生館本館)受付(霞城公園南門から入って右側)
登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) JR山形駅から程近く,内部もアップダウンは全くない公園です).
登城日 2008年6月1日
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ここのところ週末のたびに雨が降っていた.何かの祟りなのかとも思ったが思い当たる節はない.
今週に入ると平日も曇りから雨と全く青空が見られない状況になっていた.梅雨入りしたというウワサである.昨日も雨降りで夜中には結構降っていた.
しか~し,本日は昨日までがウソであったかのような晴天である.ふと外に出てみると雨上がりの湿気と気温の高さ.こ,これは,ビーチリゾートの趣だ!
目の前に海がないのが残念であるが,ちょっとの間リゾート気分に浸ったのであった.
追伸: さて,明日は2008年日本トンデモ本大賞で池袋に出向く予定である(それだけで終わるわけはないな 笑).
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日本100名城 二本松城(11番)
先日の盛岡遠征,白河のあと二本松に移動しました.二本松は福島県中通りの福島市と郡山市の中間に位置するところです.
二本松城は室町時代に畠山氏によって基礎が作られました.標高345mの白旗ヶ峰に位置する山城です.戦国時代には伊達政宗,豊臣政権下では蒲生氏郷の支配下に入っています.
江戸時代になると加藤氏,ついで丹羽氏が入り,この時に大改修が行われ,近世城郭の姿に変わりました.
幕末期に二本松藩は奥羽越列藩同盟に入り,戊辰戦争では藩の主力が白河口に出ている隙に新政府軍の攻撃を受け,激戦の末落城しました.この時に守備兵として参加し多くの戦死者を出した二本松少年隊の悲劇は特に有名です.
この戊辰戦争において城の建物はほとんど破壊されてしまいましたが,箕輪門や本丸の石垣などが再建され,現在は霞ヶ城公園となっています.
JR二本松駅から北に向かって20分ほど歩くと公園の入り口に着きます.そこから本丸まではひたすらの登り道で,結構ハードな行程ですが,本丸から見える二本松市外の眺めは見事です.
スタンプの設置場所 二本松市歴史資料館受付(JR二本松駅から徒歩5分程度)
登城のハード指数(★★☆ ややハードです) 駅から距離があり,公園内も本丸までは結構な上り坂です.
登城日 2008年5月31日
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ココログのアクセス解析の中にアクセス地域を解析する機能があります.全国のどの地域からアクセスがあるのか分かって楽しいのですが,試みに過去4ヶ月間のデータを見てみると
第1位 東京,第2位 千葉,第3位 神奈川
でした.まあ人口が多いのと,このブログの訪問者はひのパレ参加者関係の方が多いので妥当なところと思います.続いて
第4位 大阪,第5位 岩手
となり,人口の多い大阪,地元で友人も多い岩手というのも自然の流れでしょう.
第6位以下は 青森,埼玉,愛知,北海道,宮城,兵庫…と続いていきます.
そして,もっともアクセスが少なかった第47位が本日の表題,佐賀なのでした.
考えてみれば私自身佐賀県は通過したことしかなく,まともにに訪問したことがありません.
しかし幕末関連では佐賀は,アームストロング砲をはじめ当時最強の軍事力を誇った肥前鍋島藩の土地です.人物としては初代司法卿の江藤新平や大隈重信などもおり,魅力はたっぷりです.日本100名城にも佐賀城と吉野ヶ里遺跡が指定されており,なんとか時間を工面して行ってみたいものです.頑張れ佐賀!
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日本100名城 白河小峰城(13番)
6月1日に盛岡に行ってきたんですが,その途中に白河に寄りました.
白河は奥羽と関東との境に位置していて,古くから白河の関で知られています.江戸時代には寛政の改革で知られる老中松平定信が治めた地としても有名です.また新選組一番組長沖田総司は白河藩士の子であり,ゆかりの地といえます.
そんな白河にあるのが白河小峰城,JR白河駅の北に位置し,駅のホームからも見えます.
戊辰戦争で激戦の地であったことから,城の建物はほとんど失われてしまい,現存するのは石垣と一部の堀のみです.ただ本丸に会った三重櫓は平成に入ってから当時の資料を基に復元され,その威容を誇っています.この櫓は地元の材木を作って再建されたもので,耐久性の観点から一度の入場者が制限されています.内部には実際に戊辰戦争の際に着いた銃弾の跡もあります.
またこのお城の見どころとしては高石垣があります.特に本丸跡にある同心半円形の石垣は貴重なものだそうです.
(写真) 黄色い円の中に注目(同心半円形に石が詰まれています)
スタンプの設置場所 三重櫓に入ってすぐの受付
登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 駅から程近く,ちょっとした散歩気分で見学ができます.
登城日 2008年5月31日
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