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2008年6月 3日 (火)

日本100名城スタンプラリー5

 日本100名城 二本松城(11番)

 先日の盛岡遠征,白河のあと二本松に移動しました.二本松は福島県中通りの福島市と郡山市の中間に位置するところです.

 二本松城は室町時代に畠山氏によって基礎が作られました.標高345mの白旗ヶ峰に位置する山城です.戦国時代には伊達政宗,豊臣政権下では蒲生氏郷の支配下に入っています.

Nihonmatsu3 (写真) 再建された二重櫓です.

Nihonmatsu4 (写真) 同じく箕輪門です.

 江戸時代になると加藤氏,ついで丹羽氏が入り,この時に大改修が行われ,近世城郭の姿に変わりました.

 幕末期に二本松藩は奥羽越列藩同盟に入り,戊辰戦争では藩の主力が白河口に出ている隙に新政府軍の攻撃を受け,激戦の末落城しました.この時に守備兵として参加し多くの戦死者を出した二本松少年隊の悲劇は特に有名です.

Nihonmatsu2 (写真) 千人溜りに建つ二本松少年隊の像

 この戊辰戦争において城の建物はほとんど破壊されてしまいましたが,箕輪門や本丸の石垣などが再建され,現在は霞ヶ城公園となっています.

Nihonmatsu5(写真) 本丸の高石垣です.

 JR二本松駅から北に向かって20分ほど歩くと公園の入り口に着きます.そこから本丸まではひたすらの登り道で,結構ハードな行程ですが,本丸から見える二本松市外の眺めは見事です.

 スタンプの設置場所 二本松市歴史資料館受付(JR二本松駅から徒歩5分程度)

登城のハード指数(★★☆ ややハードです) 駅から距離があり,公園内も本丸までは結構な上り坂です.

11nihonmatsujo

登城日 2008年5月31日

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コメント

皇帝様こんにちは!
二本松へも行って来たんですね。
佐幕贔屓の私としては是非ともそこへは行かなくては!!
二本松少年隊の像は涙無しじゃ見られそうもありません(>_<;

日本100名城スタンプラリーなかなか面白いですね!!
私の住んでる地域で一番近い城は大多喜城&久留里城ですが、100名城に入ってるのかなぁ?

投稿: 真琴 | 2008年6月 4日 (水) 08:59

やっぱりと言うか歴史的観点からも二本松は絶対に外せませんね。すみません挨拶が後になってしまって・・・こんちわ。
霞ヶ城、ここから見た安達太良山はきれいでした~
二本松と言ったら少年隊です。そうヒガシとニッキと・・・・・
って違います。
二本松へ旅したとき二本松観光センターの方とお話することができました。二本松少年隊は戊辰戦争に出陣した二本松藩の少年たちです。その最小年齢はなんと12歳。彼らは数百倍の官軍相手に善戦したと言われています。中でも成田才次郎(14歳)は父から「敵を斬ってはならぬ。ただ一筋に突け」と教えられています。驚くことにその少年は敵将である長州藩、白井小四郎を見事討ち果たしました。お話聞いていて、もう涙ものですよ。天晴れ!討幕派の私が佐幕に傾き始めたのもこのときからです。二本松の方々は二本松少年隊に誇りを持たれていました。

投稿: 爺!! | 2008年6月 4日 (水) 09:04

<真琴さん> 福島県は戊辰戦争の戦場になったところなので,100名城に選ばれている福島県の3城(白河,二本松,会津若松)は全て戊辰戦争がらみです.行かれるのでしたらこのコースで歴史の跡を辿ってみるのもいいかもしれませんね.
 100名城は選定にあたって
①優れた文化財・史跡であること
②著名な歴史の舞台であること
③時代・地域の代表であること
 という基準のようで,千葉県からは佐倉城が選定されています.

投稿: ビザ皇帝 | 2008年6月 4日 (水) 18:17

<爺!!様> さすが,全国を巡っている爺!!様です.詳しく取材されていますね.
 二本松城跡(霞ヶ城公園 どうでもいいですが山形城跡は霞城公園,混乱しますね)はあまり観光地化された感じが少なく,広々としていて逆に当時の雰囲気を感じさせているような気がしました.
 現在の福島県のメインは福島市と郡山市,一方歴史では白河や二本松,会津若松など,この辺のギャップに戊辰戦争の影響を感じますね.
 追伸:この100名城シリーズ続々続きます(笑).

投稿: ビザ皇帝 | 2008年6月 4日 (水) 18:34

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