第11回ひの新選組まつりのポスターが完成したようです.昨年のミスター土方こと,コシゾウさんの騎乗の写真を中心にした構成となっています.ポスターを詳しく見てみると,左上に井上源三郎没後140年の文字が見えます.
新選組創成期からのメンバーで副長助勤,六番組長を歴任した井上源三郎は慶応4年1月5日(1868年1月29日)に淀千両松の戦いで戦死しました.ともに従軍していた甥の井上泰助がその首級を持ち帰ろうとしましたが,その重さから断念し近くの寺に埋めたものの,その場所は不明であるとされていました.
しかし最近になってその埋葬地が明らかになり,日野市の井上源三郎資料館の館長様をはじめ関係者の方々が訪ねられたとのことでした.
井上源三郎資料館 (関係記事が掲載されています)
4月はじめの引越し以来どこにも出かけていなかったのですが,ようやく家のほうが片付いたので来月のお祭りの前に一足先に高幡不動に出かけてきました.土曜日でしたが天気がイマイチのためかあまり人はいませんでした.大日堂の前ひっそりとしていましたが,来月にはまたここに200人もの隊士が結集するのかと想像すると胸が高鳴りました.
新選組ゆかりの各私設資料館は土曜日はやっていないため,市役所近くの「新撰組のふるさと歴史館」を見学し(現在特別展「新選組 戊辰戦争のなかで」開催中),その後はJR日野駅前にある宝泉寺を訪ねました.ここは井上源三郎の菩提寺となっている場所です.
(写真1) 宝泉寺の門
私は一昨年の第9回ひの新選組まつりで図らずも井上源三郎役をいただき,その年のパレードで六番隊を率いてお参りさせていただいた身としては,140年という節目に当ってぜひとも再訪したいと思っていたからです(ひのパレ当日はお参りに行く余裕はなさそうなため).
(写真2) 顕彰碑の前で
立派な門をくぐってどんどん進んでいくと,駐車場のような開けた場所に出て右側に源三郎の顕彰碑が建っています.さらに進んで行くと井上家の方々のお墓が集まったところがあり,その一角に源三郎のお墓もあります(戒名は誠願元忠居士).
井上源三郎は近藤勇や土方歳三,沖田総司などに比べると地味な存在でしたが,大河ドラマの影響などで最近は良く知られるようになっています.没後140年の今年地元での盛り上がりをどう感じているのでしょうか.
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