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2008年3月12日 (水)

新徴組

 文久3年2月に上洛した浪士組のうち,近藤勇や芹澤鴨ら江戸に戻らずに残留したグループ(壬生浪士組)が後に新選組となった.しかしこの時都に残った浪士は20人程度であり,残りの大部分200名以上は浪士組の黒幕である清河八郎とともに江戸に帰っている.後4月13日に清河が幕府方に暗殺されると,浪士組は新徴組と改名され庄内藩預かりとされた.

 会津藩預かりとなって,池田屋事件などで活躍した新選組の存在感が絶大であるために忘れられがちであるが,新徴組も江戸市中の治安維持に活躍している(庄内出身の藩士より江戸近隣出身の新徴組隊士のほうが江戸の地理に詳しいため重宝されたという).大政奉還後の慶応三年暮れに,江戸市中で乱暴狼藉を働いていた相楽総三ら(黒幕は西郷隆盛)の挑発に乗って庄内藩は薩摩藩邸を焼き討ちし,これが翌年の鳥羽伏見の戦いの呼び水になるのだが,新徴組もこの焼き討ちに関わっている.

 戊辰戦争では終始庄内藩と行動をともにして新政府軍と戦っている.戦後は藩士とともに開墾作業にあたっていたが,元来新徴組隊士は庄内とは縁もゆかりもない者達であり,明治以後は隊士の多くが庄内を去ったという.

 そんな新徴組の組頭の一人に沖田林太郎という人物がいる.新選組一番組長沖田総司の義兄(総司の姉みつの夫)である.2004年の大河「新選組!」ではなんだか頼りなさそうな人物に描かれていたが,彼は元々八王子千人同心の出で,天然理心流も学んだ剣士である.近藤勇や義弟の沖田総司らと浪士組に参加し上洛したが,近藤ら試衛館一派とは行動をともにせず江戸に戻っている.そのまま新徴組に参加し,慶応四年春には病床の義弟を江戸に残して,みつと共に庄内に行っている.明治以後もしばらく庄内に居たものの,明治五年に江戸(東京)に戻ったとされている.元々沖田家は奥州白河藩士の家柄であり,一時的とはいえ同じ奥州の庄内の地に住んでいたというのも興味深い話である.

 江戸から庄内に移った新徴組隊士に与えられた家(新徴屋敷)が鶴岡市の松ヶ岡地区に残されていると聞き,先日見に行ったのだが,雪に埋もれて近づくこともできなかった(夏に出直せという意味だろう 泣).

Shinchoyashiki(写真) 雪に埋もれた新徴屋敷,戊辰戦争直後には鶴岡市内に100棟以上もあったそうです

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コメント

ビザ皇帝隊長 こんにちは!

「新選組」と違って「微」妙~なのかと思いきや「新微組」も立派に任務果たしてたんですね~。しかも林太郎さんもいらっしゃったとわぁっ!!

…新微屋敷…
こちらの方は名前にふさわしく「微妙」ですねぇ~!(大爆笑)
雪に埋まってる~~~~!!

投稿: まーうさ | 2008年3月15日 (土) 11:12

 新徴組は新選組に比べるとあまり知られていませんが,江戸市中の取り締まりに活躍していたようです.特に元々が浪士上がりのためか,相手が旗本でも容赦なく取り締まったらしいです.そのため,不良旗本(江戸には京のような不逞浪士は多くなく,逆に身分をかさに勝手なことをする不良旗本がいたようです)たちには恐れられた存在のようです.

 ともに浪士組に参加しながらかたや新選組1番組長,方や新徴組組頭とそれぞれ信じるところに従って幕末を生きた沖田兄弟だったのです.

投稿: ビザ皇帝 | 2008年3月15日 (土) 21:39

新徴組の女剣士・中澤琴が、黒木メイサさん主演でNHKBSで「花嵐の剣士」としてドラマ化されました。
来る1月14日、午後9時からの放映となります。
また、関連番組として「もう一つの新選組~新徴組から見た幕末の江戸~」も
1月12・14日に放映となります。
新徴組について知って頂くよい機会ではないかと思いコメントを活用させていただければと思い投稿しました。
よろしくお願いします

投稿: amb_akagi | 2017年1月 9日 (月) 21:24

amb_akagi さん
コメントありがとうございます.
こちら番宣を見ました.新選組の圧倒的なネームバリューに比べてあまり知られていない新徴組,とても興味がありますね.

投稿: ビザ皇帝 | 2017年1月10日 (火) 21:32

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