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2008年3月29日 (土)

さよなら三陸鉄道999 ~普代終着駅~

 今朝目が覚めるとはっきりとした声が聞こえた.

 「鉄郎,999に乗りなさい」

 懐かしいメーテルの声だった.僕は飛び起きて銀河ステーションへと走った.

 駅にはあの999が停まっていた.そしてメーテルも.

 彼女は僕に1枚のパスをくれた.これは宇宙のどんなところへも,アンドロメダだろうがイスカンダルだろうが,はたまたサザンクロスや石炭袋,さらには幻想第四次にも行けるというパスなのだそうだ.

Ginga_009

 汽車に乗ってどこに行くのか,まだ僕には分からない.ただそこにはこれから先,何かで必要になるはずの出来事が待っているような気がする.そう考えながら僕は汽車に乗った.

 こうして少年の旅が再び始まった.

 なんて感慨に浸る暇もなく,いよいよ勤務地を離れ旅に出たのでした.昨年暮れに一緒に999ネタをやっていただいたメーテルさんともお別れです.Pikamei

 (写真上) 銀河鉄道のパス,(写真下) 少年とメーテルの旅が再び始まります.

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2008年3月28日 (金)

皇帝誕生日

 今日3月28日は実は私の誕生日だったりする.何歳になったのかはさておき,自称ビザンチン皇帝の誕生日だから皇帝誕生日というわけだ.とはいえ祝日にはなっていないから普通どおりの勤務だった.いや,普段どおりというのは適切ではない.今日は辞令交付式なるものがあったからだ.

 今月いっぱいをもって転勤する私だが,次の職場はまったく組織が違うため,今の職場をいったん退職する形になる.したがって退職という辞令を交付される必要があるのだ.

 今朝8時半に医局でぶらぶらしていたら院内PHSが鳴った.「先生,辞令交付式です.来てください」.事務からであった.そんなのあったっけとすっかり忘れていたのだった.急いで会議室に行って交付式に参加,院長から無事に辞令をもらった.

 医局に戻って辞令を見てみると,”願いにより職を免ずる”とある.いや,別に願ったわけじゃないんですがと思ったが,天の声による転勤とはいえ形式上は自分の意思で退職する形になるのだった(医者の人事の面白いところといえよう).

 そんなわけで実質最後の勤務となったこの日,病棟では私の誕生日だということを知っていたナースがいたらしく,誕生日&ラスト勤務というわけで盛大に祝ってもらい,ついほろっとなった皇帝だった(感).

Wakare_002_2 誕生日&ラスト勤務を祝福されてご満悦のビザンチン皇帝(みなさん本当にありがとう 感).

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2008年3月27日 (木)

微笑がえし

 今日とうとう我が家から荷物が搬出されてしまいました.がらんと何もなくなった部屋を眺めていると,懐かしいキャンディーズのラストソング「微笑がえし」のフレーズが浮かんできて,思わず感慨に浸ってしまいました.

Hikkoshi  そんなわけで今日からはホテル住まいです(いっそ職場に泊り込むという手もあるな 笑).

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2008年3月26日 (水)

ラストじゃじゃ

 昨日は所用で盛岡へ,お昼には当然のように白龍(パイロン)に直行,もうすぐ転勤のためこの白龍のじゃじゃ麺も当分の間食い納めかと,じっくり味わっていただきました.

Lasijaja (写真) しばらく食い納めになる白龍のじゃじゃ麺

 思えば高校入学以来二十ウン年,途中大学で盛岡を離れていた時期を除いてほぼ週一くらいのペースで通っていた白龍のじゃじゃ麺,通算1,000食くらいは食ってるんだろうなどと感慨に浸ったのでした(ちなみにもう一つのメニューの肉絲(ろうすう)麺の方は通算3回しか食べたことがありません)

 Jajanai

(写真) 店内は常連さんで賑わっています.

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2008年3月22日 (土)

病床(BlogPet)

アロイジアがコンスタンチヌス21世で時計へ再開したかった。
だけど、コンスタンチヌス21世と病床へ誕生♪

*このエントリは、ブログペットの「アロイジア」が書きました。

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2008年3月20日 (木)

転勤します

 いやー,転勤することになりました.今の職場に赴任して4年,たしかに異動してもおかしくは無い時期なのですが、いざ決まると引越しの手配やらなにやら慌しいです.

 新勤務先はなんと神奈川県,岩手県北部から神奈川県に異動なんて想像もしていませんでした(片道700キロ以上!).まあ一応1~2年で岩手に戻ってくる予定ではあるんですが…

 転んでもたたでは起きない私は,「神奈川県か,羽田が近いから稚内や石垣島など日本の端にはかえって行き易くなったじゃないか」などとほくそ笑んでいたりもします.

 今まで以上に東京あたりに出没する機会が増えそうなので,もし見かけたら声をかけてください(笑).

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2008年3月16日 (日)

新しい携帯

 今日ついに新しい携帯を購入した.これまで使っていたモノがとうとう気力体力ともに尽き果ててしまったからである.

 先代の携帯を購入したのは実に今から4年位前,Docomoのmovaだった.ちょうど前任地勤務のおしまい頃で,既にFOMAも出ていたのだが,当時の勤務地は今以上に僻地だったため(家から最寄のコンビ二まで10km!)当時のFOMAは完璧に圏外だったのだ.

 以来使い続けてきたのだが,バッテリーの寿命がきて最近ではフル充電しても,1回の通話でemptyになる有様であった.そこで春のセール(+誕生月セール)に便乗して購入したのだった.

Neoden (写真) 今回購入したN905iμ.先代に比べると馬車から一気にリニアモーターカーになった気分です(笑).

 最近の携帯の進歩は凄くて,もはや電話に何かが付属しているんじゃなくて,何かに電話も付いているという感じである.

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2008年3月15日 (土)

買いだ!

 アメリカのサブプライム住宅ローンの問題から現在ドル安が急激に進行しており,ついに1ドル100円を切ったらしい.ついこの前まで115~120円くらいだったからもの凄い円高だ.今後どうなるのか不明だが,もしかしたら日銀などの介入もあるかもしれない.

 今の為替水準が実態にあったものとは思えず,いずれゆり戻しが来そうな気がする.ということは今ドルを買っておいて,後で円安になった時に売れば差額が儲かるのか?目指せ為替成金!

 と思ったのだが,結局は先立つものが必要で,今の自分の経済力ではたとえ作戦が成功しても大した儲けにはなりそうもないのだった(結局はドル圏に旅行に行けということだろうか).

 今回の為替変動は100%ドル安であり,ユーロは相変わらず高いままである(泣).

Doru (写真) 我が家に残っている米ドル.2005年パラオに行った際に購入したもの(たしか1ドル107円くらいだった).今は絶対に売ってはいけません.

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2008年3月13日 (木)

アルカトラズからの脱出

 我が家にはチンチラ(げっ歯類)が住んでいる.夏場など人間が普通の部屋で寝苦しい思いをしている時に,チンチラのみエアコンで温度・湿度が快適に保たれた部屋で休んでいるという超VIP待遇に置かれている.

Chira2 (写真) 我が家のチンチラ,ちょっと澄ましています.

 先日そんなチンチラケージを覗いてみると……

 なんと,ケージの隅のプラスチック部分がかじり取られていた.そういえば夜中にガリガリと音がしていたが,これをかじる音だったのか.チンチラは一見太っているように見えるが,実は体毛が発達しているためで,体の実質は以外に小さい.このためちょっとした隙間なら潜り抜けてしまうほどだ.

    チンチラの檻抜け

       

  チンチラが狭い隙間から抜け出す瞬間です.

 さては密かにケージからの脱獄を計画しているらしい.チンチラも冷暖房完備の牢獄よりも気候が厳しくても自由を求めるのだろうか(笑).

Chira1 (写真) このようにケージの隅が無残にもかじり取られています.まさにアルカトラズからの脱出です.

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2008年3月12日 (水)

新徴組

 文久3年2月に上洛した浪士組のうち,近藤勇や芹澤鴨ら江戸に戻らずに残留したグループ(壬生浪士組)が後に新選組となった.しかしこの時都に残った浪士は20人程度であり,残りの大部分200名以上は浪士組の黒幕である清河八郎とともに江戸に帰っている.後4月13日に清河が幕府方に暗殺されると,浪士組は新徴組と改名され庄内藩預かりとされた.

 会津藩預かりとなって,池田屋事件などで活躍した新選組の存在感が絶大であるために忘れられがちであるが,新徴組も江戸市中の治安維持に活躍している(庄内出身の藩士より江戸近隣出身の新徴組隊士のほうが江戸の地理に詳しいため重宝されたという).大政奉還後の慶応三年暮れに,江戸市中で乱暴狼藉を働いていた相楽総三ら(黒幕は西郷隆盛)の挑発に乗って庄内藩は薩摩藩邸を焼き討ちし,これが翌年の鳥羽伏見の戦いの呼び水になるのだが,新徴組もこの焼き討ちに関わっている.

 戊辰戦争では終始庄内藩と行動をともにして新政府軍と戦っている.戦後は藩士とともに開墾作業にあたっていたが,元来新徴組隊士は庄内とは縁もゆかりもない者達であり,明治以後は隊士の多くが庄内を去ったという.

 そんな新徴組の組頭の一人に沖田林太郎という人物がいる.新選組一番組長沖田総司の義兄(総司の姉みつの夫)である.2004年の大河「新選組!」ではなんだか頼りなさそうな人物に描かれていたが,彼は元々八王子千人同心の出で,天然理心流も学んだ剣士である.近藤勇や義弟の沖田総司らと浪士組に参加し上洛したが,近藤ら試衛館一派とは行動をともにせず江戸に戻っている.そのまま新徴組に参加し,慶応四年春には病床の義弟を江戸に残して,みつと共に庄内に行っている.明治以後もしばらく庄内に居たものの,明治五年に江戸(東京)に戻ったとされている.元々沖田家は奥州白河藩士の家柄であり,一時的とはいえ同じ奥州の庄内の地に住んでいたというのも興味深い話である.

 江戸から庄内に移った新徴組隊士に与えられた家(新徴屋敷)が鶴岡市の松ヶ岡地区に残されていると聞き,先日見に行ったのだが,雪に埋もれて近づくこともできなかった(夏に出直せという意味だろう 泣).

Shinchoyashiki(写真) 雪に埋もれた新徴屋敷,戊辰戦争直後には鶴岡市内に100棟以上もあったそうです

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ブログのコンセプトについて

 当ブログ「ビザンチン皇帝の日常」は,当初日常の生活を綴る予定でしたが,現在旅行ネタ・新選組ネタ・ビザンチンネタ・音楽ネタなど何でもありのデパート状態になっています.

 一方ホームページの容量が残り少なくなってきたことから主として動画や音声ファイルなどの容量を食うファイルを保管する場所として,別館としてYahooブログ「(旧称)ビザンチン美術館」を昨年夏に開設しました.

 当初はホームページからYahooブログにリンクを張る形での運用を考えていたのですが,ビデオキャストを使って直接ホームページに動画を貼り付けられることがわかったのと,音声ファイルの方はむしろ本ブログであるココログのほうが運用しやすいことに気付いたため,秋以降のビザンチン美術館はもっぱら単なる動画の紹介,多数の写真の紹介といった形での運用となっていました.

 しかしそういうコンセプトではネタがそうあるはずもなく,最近では別館の更新は月に1~2回と開店休業状態になっています.

 この状況(本館のデパート状態と別館の開店休業状態)を何とかすべく考えた結果,今後は以下のように運用することにいたします  

 本館ブログ「ビザンチン皇帝の日常」: 私の日常生活および趣味のうち,新選組などの日本史ネタ,旅行や鉄道ネタ,B級ネタなどを扱います.  

 別館ブログ「ビザンチン大学」: 私の趣味のうち,主として音楽,世界史,自然科学などを扱います.

 なお,この機会にB級写真をみんなで持ち寄って紹介する専用スレッドをホームページの掲示板内に立ち上げました.

 今後ともビザンチンワールド(なんだそりゃ)をよろしくお願い致します.

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2008年3月10日 (月)

清河八郎の故郷

 新選組結成に当たって清河八郎の果たした役割は決定的に大きい.

 歴史にたらればは禁物だが,文久二年に八郎が時の幕府政事総裁職の松平春嶽に急務三策を提言しなかったら,おそらくは浪士組の結成もなく,従って近藤勇土方歳三が幕末史の表舞台に出てくることもなかったであろう.

 そんな清河八郎だが,彼にはどうしても策士のイメージが付きまとう.当初は将軍警護のためと称して浪士を集めたのに,京都に着いたとたんこれらを尊皇攘夷の尖兵とするよう画策するなどは.どう考えても一般的ではない.結局八郎は孝明天皇の勅諚を得たものの(一介の浪人が勅諚を貰ったというのも凄い話だが),幕府に警戒されて浪士組は江戸帰還することになり,これに反発した近藤や芹澤らが分離して後に新選組となったのは周知の事実である.

 江戸帰還は表向き生麦事件後の不穏な空気から,外国との戦いに備えるという名目だったが,実際には浪士たちを自分らの手の届くところに置いときたいとの幕府の意向であろう.結局江戸帰還後も攘夷運動を進めていた八郎は,文久三年4月13日に佐々木只三郎らによって殺されてしまった.

 そんな清河八郎の出身地は山形県の庄内地方である.現在の行政区分では庄内町の清川地区になる.ここには清河八郎記念館も存在し,地元では偉人として扱われているようだ.実際に個人の能力という点では八郎の文武両道ぶりは際立っている.長州の桂小五郎や新選組から御陵衛士になった伊東甲子太郎も文武両道とは言われるが,二人とも道場ではともかく,実線経験は未知数であるのに,八郎の場合は大刀一閃,相手の首が2メートルも吹っ飛んで瀬戸物屋のどんぶりに収まったというエピソードがあるほどの使い手でもある.

Hachikine (写真) 清河八郎記念館

 実は先週末,所属する学会の地方会があって出かけたのだが,せっかくだからと庄内まで足を伸ばしてきたのだった.目指す清河八郎記念館は街中にひっそりと立っていた.隣接して八郎を祭った清河神社もありそこには八郎の銅像も立っているのだが,なんと神社は雪に埋もれて冬季閉鎖状態,参拝が不可能な状況であった.八郎の銅像も青いシートに囲われていた(泣).空は快晴で結構気温も高かったのだが,さすが庄内は雪深い土地だと改めて感動したのだった.

 雪に閉ざされるためか,清河八郎記念館は冬季閉鎖である.3月に入って開館したばかりのようだった.

Huyujinja Natshujinja (写真左) 雪に埋もれた清河神社,青いシートの中に清河八郎がいる. (同右) 夏に来るとこんな感じらしい.

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2008年3月 7日 (金)

ツ反強陽性

 昨日健康診断でツ反(ツベルクリン反応)をやった.

 ツ反は結核感染や結核に対する免疫の有無を調べる検査で,やったことがある人も多いだろう.前腕部に薬液を皮内注射して48時間後の反応を見るというものだ.発赤の大きさが10mm未満は陰性,10mm以上なら陽性と判定し,さらに硬結や二重発赤を伴うと強陽性などと判定する.

 その臨床的意義は様々なのだが,私の場合は毎度毎度赤く二重発赤が出現するくらい強陽性になるのだった.このため半日もすると注射部位が痒くてたまらなくなる.どうせ強陽性なんだから検査を省略したいと思うのだが,そうもいかないため毎年我慢している次第である.

Tsuhan

 ちなみにツ反強陽性は①現在結核に感染している ②結核に対する免疫を持っている の2パターンがあるが,私の場合過去10年くらい毎年強陽性なので,①だと今頃胸部写真でひどいことになっているはずであり(なにせ抗結核薬など使ってませんから),必然的に②なのでした(幼い頃にBCG接種はしたが,今まで効果が持続しているとも思えないので,おそらくは人生のどこかで不顕性感染をしたのだろう).

 結核は江戸時代は「労咳」と呼ばれて不治の病であったが(新選組の沖田総司や長州の高杉晋作が有名),栄養状態が格段にいい現代では,感染しても発病しないで治まってしまうケースも多いのである.

 写真: 二重発赤になった私の前腕(大体黄色の枠内が赤くなっています)

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2008年3月 6日 (木)

赤い月

 本日の表題,なかにし礼さんの小説のことではない.昭和52年に放送されたNHKの少年ドラマシリーズの一作品である.

 少年ドラマシリーズはちょうど私が小学校高学年ごろに放送されていた小中学生向けのドラマシリーズである(毎週月曜~木曜の夕方6時台).作品ジャンルは多岐にわたっていたが,特に眉村卓,光瀬龍らの原作によるSF諸作品が非常に魅力的で,私がSFにハマるきっかけとなった(私が新選組と出会うきっかけとなった,眉村卓氏原作の「幕末未来人」も少年ドラマシリーズだった).

 この「赤い月」はそのシリーズの中でもちょっと異色の作品だった.原作はあのミステリー作家松本清張(高校殺人事件の題名で出版),主人公である高校生の近辺で殺人事件が発生する.当初は偶発的な事件かと思いきや,その背景にはより大きな組織(旧日本軍の莫大な財宝)が関係していたという展開である.タイトルの赤い月は殺人現場となった学校裏手にある沼地から見た月が赤かったことに由来していた気がする.オープニングテーマがトランペットの独奏曲で,サスペンス感を盛り上げているなど(あの音楽,ぜひまた聴きたい.どこかに音源が残っていないだろうか),もう一度見たい作品ではあるが残念ながらDVD化はされていないようだ(ヒロインの女の子がムチャクチャ可愛かった記憶がある).

 ドラマでは赤い月と殺人事件をオーバーラップさせて幻想的な雰囲気を盛り上げていたが,月が赤く見えるのは別に何かの予兆ではなく単なる自然現象である.大気中に水蒸気やチリなどが多く含まれると,月の光のうち波長の短い成分(紫に近いほうの色)が乱反射されてしまい,地上の観測者には赤色主体に見えるという寸法である(ちょうど朝日や夕日が赤いのと同じ理屈).

Redmoon

 先日帰宅しようとして見えた月が赤かったことからこの話を思い出した次第である.

 (写真) 東の空にかかる赤みを帯びた満月

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2008年3月 2日 (日)

チルチル・ミチル VS ヘンゼルとグレーテル

 子供の頃から時々混乱するものに,今回表題に挙げたものがある.

 チルチル・ミチルはベルギーの作家メーテルリンクが書いた「青い鳥」の登場人物で,幸せの青い鳥を探す貧しい兄妹である.一方のヘンゼルとグレーテルグリム童話の登場人物で母親に捨てられて森で魔女に遭遇する兄妹だ(お菓子の家が登場する).

 冷静に見るとストーリーなどまったく違う作品なのだが,時に「あれっ,どっちだっけ」と一瞬考え込むのは,どちらも兄と妹で,家を出て冒険(さすらい?)を繰り広げた後帰宅すること,青い鳥やお菓子の家などのメルヘンチックなアイテムが登場するからだろう.

 青い鳥の方は青い鳥症候群などという使われ方をするように,身も蓋もない言い方をすると,人間の欲には限りがないというもので,幸せの青い鳥を探していろんな国を巡るのだが結局見つからず,家に帰ってみたら家の鳥がそうだったという話である.

 一方のヘンゼルとグレーテルの方は,本当は怖~いグリム童話の例に漏れず,飢饉から口減らしのために子供を捨てる話である.親に捨てられ森をさまよう兄妹はお菓子の家を見つけるが魔女に捕らえられてしまう.しかしグレーテルの計略で魔女をやっつけて家に帰るという話である.

 こんな二つの作品であるが,混乱ついでにチルチル・ミチル兄妹とヘンゼル・グレーテル兄妹が戦ったらどうなるんだろう.おそらくはヘンゼル・グレーテル兄妹の圧勝に終わりそうだ.理由としてグレーテルという童話界屈指の策略家の存在がある.兄妹が魔女をやっつけて家に帰ることができたのは9割方グレーテルの功績である(ヘンゼルはほとんど活躍しない).呑気に青い鳥を追っかけているチルチル・ミチル兄妹は簡単にグレーテルの計略にかかりそうだ(笑).

 追伸) メーテルリンクというと,銀河鉄道999のメーテルを思い出す.松本零士氏は関連を否定しているそうだが,アニメ999のオープニングの最後の歌詞が「きっといつかは君も出会うさ青い小鳥に~」となっているのは偶然だろうか?

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2008年3月 1日 (土)

3月と弥生

 今日から3月である.年度末に向けて周囲が慌しくなってくる季節である.

 ところで3月のことを弥生という.1月=睦月,2月=如月……とそれぞれ別名があるが,12の月のうち別名に月の字が付かないのは3月の弥生と12月の師走のみである.どうしてなのか昔から疑問に感じていたのだが未だに理由を知らない.

 それはともかく,弥生というと女性の名前としても使われている.弥生=3月なのだから,3月生まれであるケースがほとんどなのだが,過去に一人だけ3月生まれじゃない弥生さんにあったことがある(なんでも彼女の親御さんがやよいという名の響きに憧れて付けたのだそうだ).

 作品世界での弥生さんでは,アニメ一休さんに出てくる商人桔梗屋の娘の弥生さん(いつも一休さんをギャフンと言わそうと画策して失敗する)がいるが,その他松本零士の1000年女王(ラー・アンドロメダ・プロメシューム)の地球での名前が雪野弥生だった.作者の設定では1000年女王=機械化帝国の女王であり,1000年女王では自転車に乗ってラーメンの出前をやっていた弥生さんと,銀河鉄道999で鉄郎をネジにしようとした機械化帝国の女王とのギャップの大きさにめまいを覚えるのだった.

Img301 (写真) コミック版の1000年女王

 そんなわけで日もどんどん長くなる3月は春の足音も聞こえ,新しい生活や出会いを予感させる,私にとって心躍る月なのである.

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