カール・リヒターの命日
今日2月15日は20世紀を代表するバッハ研究家カール・リヒターの命日です.リヒターは1926年10月15日にドイツ東部のプラウエンで生まれ幼少時からドレスデンの聖十字架教会聖歌隊に属し,ここで変声期とともにバッハの主要カンタータの全パートを歌ったといわれています.第二次大戦後にはバッハの聖地であるライプチヒでオルガンを中心に活動していましたが,社会主義の束縛を嫌い西ドイツのミュンヘンに移りました.そこでミュンヘン音楽大学の教授に就任するとともに,自らのバッハ研究の成果を示すべくミュンヘン・バッハ合唱団,管弦楽団を結成して精力的な演奏活動を行いました.1969年には合唱団・管弦楽団を率いて来日公演を行っています.世界各地への演奏旅行と同時に録音も多数行いました.その音楽はルター派の真髄である禁欲的な,非常に緊張感の溢れる演奏でしたが,後半には次第に緊張感を失いロマン主義的な演奏になってしまったと言われています(マタイ受難曲の1958年版と1979年版を聴き比べると違いがわかります).これは体調の悪化と関係するという人もいます.そして1981年2月15日朝,宿泊先のミュンヘン市内のホテルのフロントに,「胸が苦しい,医者を呼んでくれ」と電話があり,駆けつけたときには亡くなっていたといわれています(状況から考えて急性心筋梗塞だったのではと思います).
(写真) 指揮をするリヒター.実は1年前まで私のHPのトップを飾っていた写真はこれを改変したものでした(懐).
今では情報通信技術とメディアの多様化から数多くの音楽ソースが速くかつ安価に手に入るようになりました.しかし私が高校から大学に入ったのはようやくコンパクトディスク(CD)が普及し始めた時期であり,音楽の主要メディアはいまだにLPレコードでした.LPレコードは現在の音楽ファイルのダウンロードなどとは比較にならないほど生産コストがかかることから,マイナーな(売れそうにない)ジャンルの音楽のレコードは発売すらされず,手に入れるのが大変でした.
俗にクラシック音楽と呼ばれるジャンルがあり日本にもそれなりに愛好家がいますが,クラシックと一言でいっても多くのカテゴリーがあり人気も様々です.たとえばシンフォニー(交響曲)やコンチェルト(協奏曲)などは日本人に人気のカテゴリーで,昔から数多くのレコードがありました.一方で宗教音楽と呼ばれるカテゴリーは日本人にはマイナーで(私が学生時代受講していた音楽史という講義で行ったアンケートでも最も人気薄だった),クラシック愛好家にもあまり知られていなかった分野です.
17世紀から18世紀のバロック時代を代表する作曲家として,J. S. バッハがいます.音楽の父ともいわれ,日本でもその名を知らない人はいないくらい有名だと思います.しかし,じゃあバッハってどんな曲を作ったのと聞かれると,意外に知られていません.せいぜい嘉門達夫の「鼻から牛乳」で知られる,トッカータとフーガニ短調やG線上のアリアくらいでしょうか.
実はバッハの主要作品の多くは,200曲にもおよぶ教会カンタータをはじめとする宗教音楽で,マタイ受難曲やロ短調ミサ曲がその代表とされています.ですから宗教音楽がマイナーな日本であまり知られていないのも仕方ないのかもしれません.
こういうマイナージャンルゆえ,宗教音楽のLPレコードを手に入れるのは大変でした(モーツァルトのレクイエムのようにちょっとはメジャーな作品もありますが).今ではバッハの宗教音楽も数多くの演奏がリリースされており,私達も聴き比べなどができますが,当時はあまり選択肢がなかったのです.そんな時代に比較的入手可能だったのが,アルヒーフから出ていたリヒターの演奏だったのです.ですから私の世代の人間にとってバッハのカンタータを聴くにはリヒターのレコードを聴くのが一番ポピュラーだったのです.ヘルムート・リリング,ついでアーノンクールとレオンハルトの全集が完成したのはその後のことでした.
私が宗教音楽にのめり込んだ1980年代は,アーノンクールらに代表されるオリジナル楽器による演奏が注目されるようになった時期と重なり,巷ではリヒター伝統的な演奏スタイルとオリジナル楽器による新しいスタイルどちらがいいのか賛否が飛び交っていました.当時私はリヒターにハマッて,レコードを買い漁り,さらには幻の演奏と言われた映像版のマタイ受難曲を鑑賞するために,今はなきVHDビデオディスクまで購入したのでした.
そんなリヒターの27回目の命日に彼の録音したモーツァルトのレクイエム(テレフンケン)を聴きながらこの記事を書いているのでした.
注) 日本語のWikipediaや一部資料ではリヒターが亡くなったのは2月17日となっていますが,私が学生時代に使った資料やドイツ語のWikipediaやドイツの史料では2月15日になっているため,2月15日が命日と考えています(当時の新聞があれば一番確実なのですが).
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