« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »

2008年2月29日 (金)

2月29日

 今日はほぼ4年に一度の2月29日である.ほぼというのは,うるう年は原則として西暦で4で割り切れる年に設定されるのだが,100で割り切れる年には設定しないためである(ただし400で割り切れる年には設定される.これがため西暦2000年はうるう年だった).

 4年に1回しかないとはいえ,この日に生まれる人もいるわけで当然誕生日が2月29日という人が存在する.子供の頃は2月29日生まれの人は4年に1回しか年を取らないのかなどと思っていたのだが,法的には3月1日として処理するらしい.

 さて,そんな2月29日生まれの有名人として作曲家のG. ロッシーニがいる.歌劇「セビリアの理髪師」,「チェネレントラ(シンデレラ)」,「ウイリアム・テル」などの作曲家として有名だ.彼はイタリア出身であるがヨーロッパ各地で活躍し,その作品は大人気を博していた.それがために同時代の作曲家の妬みも買ったようで,あのベートーベンも友人に愚痴をこぼしている.

 ロッシーニは76年の生涯の中で,作曲として活躍していたのは前半生のみで,37才のときに「ウイリアム・テル」を作曲すると,以後はオペラ作曲の筆を折り,残りの40年は食っちゃ寝の生活をしていたという羨ましい人生を送っている.尤もまったく作曲をしなかったわけではなく,私的にはいくつか書いている(私も好きな小ミサ・ソレムニス)は彼の晩年の作品である).彼はまた作曲が早かったことでも知られている.オペラの作曲というと時間がかかって大変そうというイメージは,後のヴェルディやワーグナー以降の話で,ロッシーニの時代にはウケるオペラをいかに早く書くかが大事だったのである.あの名作「セビリアの理髪師」をロッシーニはわずか3週間で作曲したのだが,ある人がそのことを同時代の作曲家ドニゼッティ(ルチアや愛の妙薬で有名な作曲家)に言ったところ,「そりゃそうさ,それだけ彼は怠け者だってことだ」と答えたという(ドニゼッティもまた,筆が早い作曲家だった.そのためオーケストレーションが結構陳腐で,後にワーグナーに大きなギターと揶揄されている).

Rossini_2 (写真) メタボチックなロッシーニ

 結局1868年に滞在中のパリで亡くなったのだが,死因は大腸がんといわれている.今残されている彼の肖像画を見ると,恰幅がよく今風に言えばメタボリックシンドロームのようだ(高血圧や高脂血症もありそう).食生活と大腸がんは関連があるといわれており,彼の場合もそうだった可能性はある.

 わが身を振り返ってみると,そろそろお腹に余計なものが付着して来ているようで,ロッシーニの後半生は羨ましい一方,まねしてはいけない生活とも思えるのだった.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年2月28日 (木)

決意

 来る5月10日~11日に行われる第11回ひの新選組まつり,私もぜひ参加したいと考え,どういった形で参加するか思案していました.いろいろと悩んだんですが,結局今年も隊士として参加することに決めました(衣装一式持込なので②ですね).そして性懲りもなく,今年もコンテストから参加します.どういったネタで臨むかも自分なりに決めました.これから2ヶ月じっくりと準備に取り掛かりたいと思います.当日何が飛び出すのか,乞うご期待(って余り期待させておいてショボイ内容だと寒いので,あまり期待しないで下さい 笑).

 追伸: コンテストでの持ち時間,一昨年は一人2~3分だったが去年は1分だった.時間に合わせてネタも何種類か準備した方がいいのか?

Hatto (写真) 昨年のコンテストのネタ,”医局中法度”

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2008年2月27日 (水)

薩長同盟弁当

 2月の3連休に長州に繰り出したのだが,主たる目的は”新選組 IN 長州”の実現だった.その他に本州最西端到達,特牛駅訪問などの目的もあったが,実はもう一つ密かな目的があった.それが…

 幻の「薩長同盟弁当」である.

 実はこの弁当一昨年山口に行った際駅でその存在を知ったのである.私のような新選組愛好家にはチト厳しい弁当なのだが,存在を知るとやはり気になって仕方がない.ただこの時は品切れで手に入れることはできなかった.

 その後調べたところでは,この弁当土日祝日限定で,JR山口駅および山口宇部空港でのみ売っているものらしい.そんなわけで今回の長州遠征で是非入手しようと計画していたのである.

Nobori

 2月10日萩で新選組 IN 長州の撮影終了後,夕方そのまま山口に移動した.ホテルにチェックインした後,下見を兼ねて山口駅へ.売店に行ってみると2年前と同様「薩長同盟弁当」の幟が立っている.売店のおばさんに「この弁当,明日入荷しますか」と聞くと,「9時半くらいには入荷しますけど,あっという間に売切れてしまいますから,予約しときますか」との返事.そ,そんなに人気なのかと驚き,じゃあ予約をお願いしますと頼んで立ち去った.

 翌朝10時ごろに山口駅に行き予約していた弁当を購入した(10時の段階でもう残り1個になっていた.どうでもいいけど売店の弁当売り場で,私の分に「○×様 ご予約」と書かれてあったのはちょっと恥ずかしかった.

Bentou

 問題の弁当,一昔前の鮨折のような木製の容器に入っていて,表面に西郷隆盛と木戸孝允,坂本龍馬の絵が書かれている.開けてみると中には弁当の由来が書かれた紙切れが,曰く「青紫蘇を挟み込みマッシュポテトの衣でカラッと揚げた鹿児島産ロース豚肉の和風トンカツ。甘から醤油をベースのタレにからめ桑焼きに仕立てた山口県産長州鶏。それらの間を取り持つように竹の子の土佐煮を配し維新回天の原動力となった史実をわかりやすくお弁当に盛り込みました」と書いてあった.

Yurai  肝心の弁当の方は,トンカツと鶏肉,竹の子の組み合わせで,あまり好き嫌いが分かれにくい食材のせいか,きわめて無難な弁当に仕上がっていた(カロリー的には高いかも).その他は卵と漬物などが添えられていた.ちなみに作っているのは有限会社すぎの子というところだそうです(米は山口県産コシヒカリを使用).

Sacchoubento  結局あっという間に平らげてしまった.中身だけなら鶏トンカツ弁当なんて名前で売り出してもいいかもしれない.

Rurikouji  ちなみに山口といえば,瑠璃光寺の五重塔を外すわけには行きません.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年2月25日 (月)

皇帝専用列車

 この週末江戸に出向いたのは,頭痛フォーラム2008というイベントに参加するためだった.普段地域医療に奮闘している私であるが,非番の時はいつも扮装イベントをやっているわけではない.たまにアカデミックな話題に餓えてくる事もあるため,こうした学術集会にはなるべく参加するようにしているのだ.

 このイベント,昨年の今頃にも行われている.頭痛がテーマの集会だが,この業界結構狭く,壇上にはいつも同じ面々が並んでいる.昨年もいた石原慎太郎似の大先生や辻元清美似の教授の顔も見えた.24日の朝10時から午後3時までいろんな先生方の講演を拝聴したのだった.

Shinagawaeki (写真1) 品川駅前の様子.列車が止まっているとは思えないような快晴です.

 と,ここまでは順調だったが問題はこれから.なんと強風の影響で東北新幹線が止まってしまったのだ.24日午前中いっぱい止まり,午後動き始めたと思ったら,今度は線路に倒木があったとかでまた止まる.今日中に帰れるのかと不安になる.とりあえず東京駅に行ってみると,新幹線改札口は黒山の人だかり.どうやら運転は再開したらしいが,午前中の列車を中心にかなり運休になった模様.走っている列車も大幅に遅れているようだ.私が乗る予定のはやて27号(16時56分発)は運休にはなっていないようだが,その1時間前に発車するはずの25号が16時半の段階でもまだ発車していないことから相当の遅れを覚悟しなければならないようだった.仕方ないので構内のコーヒーショップで時間をつぶし,当初出発予定時刻に再び改札口に行ったが,まだ25号すら出発していない.こりゃ1時間以上遅れているなと半ば諦めていたが,17時10分過ぎについにはやて27号の文字が案内板の一番下に.駅員によると表示された順に発車するとの話だったので,こんなところで待ってても仕方ないから中に入ろうと改札を抜けた(この段階で先発の25号はまだ発車していない).

 案内板のホームに行くと,はやてと書かれた列車が止まっている.「あれっ,もう列車来てるじゃん」と半信半疑で中に乗り込む.車内放送が流れる.「この列車ははやて27号八戸行きです.本日強風のため大幅に遅れており,発車時刻は未定です.」,まあそんなとこだろうと思い,飲み物を買いに売店へ.お茶のペットボトルを購入して再び列車に乗り込むとまた放送が,しかも今度は焦ったようにしゃべっている.「この列車ははやて27号八戸行きです.まもなく発車します」.えっ,と思う間もなく列車は走り出す.時計を見ると17時30分,結局大騒ぎをした割には35分遅れでの発車だった.ついさっきは発車時刻未定と言ってたのに急に発車とは,もしかして皇帝の私が乗り込んだことを確認したため,慌てて発車したんだろうかと思ったのだった(まさに皇帝専用列車 笑).

 走り始めてから車内を見渡したのだが,結構空席がある.確か窓口では27号の指定席は完売したような表示だったが….もしかしてこんなに早く発車するはずはないと,どこかで時間をつぶしていて乗り遅れた人が結構いるんじゃないかと余計な心配をしてしまった.

 その後も強風のため,速度を落としつつ運転した区間もあり,二戸駅に到着したのは予定より1時間遅れだった.

Yukidaruma (写真2) 江戸は快晴でしたが,岩手は大雪だったようです.マイナス10℃で雪まみれのわが愛車.

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年2月24日 (日)

どうなる?

実は今出張で東京に来ているんですが、さっきニュースを見たら、東北新幹線が強風で止まっているんだそうです。帰宅は夕方の予定ですが、私はいったいどうなるんでしょう。明日の朝私はどこにいるのか?
① 復旧して家に帰っている。
② まだ東京にいる。
③ 在来選で移動し、仙台辺りにいる。

正解は判明次第報告いたします。


| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008年2月23日 (土)

世界の治安

 最近日本の治安が悪化したと感じる人が増えているのだそうだ.凶悪犯罪の発生率自体の変化はよくわからないのだが,地域社会の崩壊による犯罪検挙率の低下や銃犯罪の増加などが人々をそうした思いに駆り立てているのだろう.

 しかし,世界レベルで見れば日本の治安はかなり良い部類に入る.今の世界で治安の悪い場所としてはアフガニスタンやイラクが有名である.外務省の海外安全ホームページでも退避勧告が出るほど治安が悪い.現に事件に巻き込まれて亡くなった日本人もいる.しかしイラクやアフガンの場合は国内の情報が外部に知られるだけまだましともいえる.これが国家そのものが崩壊してしまったソマリアになると,治安が悪すぎてジャーナリスト(さらにはソマリアの政府関係者さえ)も立ち入ることができず,国内がどんなひどいことになっているのかすら皆目分からない状態である.

 こういう桁外れに治安が悪いところはともかく,今現地が紛争状態にはない,我々一般人が出かけるような場所で治安が悪いところはどこだろうか.我々の親の世代の旅行者に恐れられていたニューヨークやロサンゼルスなんかは世界レベルでは治安の悪いうちに入らないだろう.考えられる場所としては南アフリカのヨハネスブルクやケニアのナイロビなどが挙げられる.ケニアも南アフリカも観光地としてメジャーなところであるが,これらの国の観光地は大自然だったり郊外だったりで,ナイロビやヨハネスブルク自体が観光地なわけではない.しかし移動の関係などでこれらの町に宿泊する場合などは注意が必要だ.

 地球の歩き方シリーズに東アフリカ編があり,ナイロビについての案内も載っているのだが,これがなんと「~してはいけない(must not)」のオンパレードなのである.近年貧困による失業者の流入によってナイロビの治安は極度に悪化しているのだという.スリや置き引きは当然として,凶器を使った集団での強盗なども日常茶飯事化しているらしい.路地裏などの人気のないところや夜間以外にも,たとえば白昼の高級ショップが並ぶ商店街も危ないし(ほとんどの店のショーウィンドウには鉄格子がはめられているらしい),さらにはメインストリートを横断することすら危険なのだそうだ.曰く,「ダウンタウンへは行ってはいけない」,「○○公園には行ってはならない」,「レストランに行く際は必ずタクシーを利用すること(たとえ近距離でも)」,「街中の安宿には泊まってはいけない」等々,滞在中はホテルから出るなと言っているのに等しい状態である(要するにどうしても行かなければならないときはdoor to doorでなければならない).実際にはバックパッカーなどでこれらの場所に出向いて無事に帰ってきた人もたくさんいて,行ったからといって100%犯罪に巻き込まれるわけではないだろうが,高い確率でトラブルにあうのは確かのようである.「○○するな」と言われるとやりたくなるのが人の習いだが,じゃあナイロビのダウンタウンに潜入してレポを書けといわれると,やっぱり困るのだった.

 一方の南アフリカ・ヨハネスブルクは「世界最悪の犯罪都市」と恐れられるところで,今紛争状態にない場所としては世界でもっとも治安が悪いと言われている.南アフリカは元々アフリカの中では経済的に恵まれた国だったが,アパルトヘイト(人種隔離政策)の撤廃後国内はもとより周辺国から多数の非白人が職を求めてヨハネスブルクに流入 → 失業者の一部が犯罪に走り治安が悪化 → 企業が治安の悪化を嫌って郊外に脱出 → ますます職がなくなりさらに治安が悪化 という悪循環に陥っている.その結果現在ヨハネスブルクでは住民の死因の第1位が殺人ではないかと言われ,当局ですら年間の犯罪発生件数を把握できない状況らしい.もちろん外国人が一人で街をフラフラ歩いていたら殺されても不思議はないし,ナイロビと違って車に乗ってても危ないという話である(ダウンタウンではリアル北斗の拳と呼ばれる光景が繰り広げられていると言うウワサ).車でも赤信号で停まっていると襲われるので,赤信号でも停まってはいけないのだそうだ.

 そんなヨハネスブルクで,2010年にサッカーワールドカップの決勝戦が行われることになっている.大丈夫なんだろうかと不安を抱いているのは私だけではないだろう(まあ日本チームが決勝に残っていることはないと思うが…).

 史上最凶の町

  

 そんなヨハネスブルクに行かれた方のレポです(頭が下がります).

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月21日 (木)

新選組 IN 長州(BlogPet)

コンスタンチヌス21世の「新選組 IN 長州」のまねしてかいてみるね

2月の方に出かけた.新選組IN長州何がホームページの近く,菊ヶ浜を疾走する新選組

*このエントリは、ブログペットの「アロイジア」が書きました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年2月18日 (月)

新選組 IN 長州

 2月の三連休長州遠征に出かけたんですが,その最大の成果(?),新選組 IN 長州がホームページの方に完成しました.

  新選組 IN 長州

 何が飛び出しますやら,乞うご期待(笑).

Choushu2_118

 萩城の近く,菊ヶ浜を疾走する新選組

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2008年2月15日 (金)

カール・リヒターの命日

 今日2月15日は20世紀を代表するバッハ研究家カール・リヒターの命日です.リヒターは1926年10月15日にドイツ東部のプラウエンで生まれ幼少時からドレスデンの聖十字架教会聖歌隊に属し,ここで変声期とともにバッハの主要カンタータの全パートを歌ったといわれています.第二次大戦後にはバッハの聖地であるライプチヒでオルガンを中心に活動していましたが,社会主義の束縛を嫌い西ドイツのミュンヘンに移りました.そこでミュンヘン音楽大学の教授に就任するとともに,自らのバッハ研究の成果を示すべくミュンヘン・バッハ合唱団,管弦楽団を結成して精力的な演奏活動を行いました.1969年には合唱団・管弦楽団を率いて来日公演を行っています.世界各地への演奏旅行と同時に録音も多数行いました.その音楽はルター派の真髄である禁欲的な,非常に緊張感の溢れる演奏でしたが,後半には次第に緊張感を失いロマン主義的な演奏になってしまったと言われています(マタイ受難曲の1958年版と1979年版を聴き比べると違いがわかります).これは体調の悪化と関係するという人もいます.そして1981年2月15日朝,宿泊先のミュンヘン市内のホテルのフロントに,「胸が苦しい,医者を呼んでくれ」と電話があり,駆けつけたときには亡くなっていたといわれています(状況から考えて急性心筋梗塞だったのではと思います).

Img300 (写真) 指揮をするリヒター.実は1年前まで私のHPのトップを飾っていた写真はこれを改変したものでした(懐).

 今では情報通信技術とメディアの多様化から数多くの音楽ソースが速くかつ安価に手に入るようになりました.しかし私が高校から大学に入ったのはようやくコンパクトディスク(CD)が普及し始めた時期であり,音楽の主要メディアはいまだにLPレコードでした.LPレコードは現在の音楽ファイルのダウンロードなどとは比較にならないほど生産コストがかかることから,マイナーな(売れそうにない)ジャンルの音楽のレコードは発売すらされず,手に入れるのが大変でした.

 俗にクラシック音楽と呼ばれるジャンルがあり日本にもそれなりに愛好家がいますが,クラシックと一言でいっても多くのカテゴリーがあり人気も様々です.たとえばシンフォニー(交響曲)やコンチェルト(協奏曲)などは日本人に人気のカテゴリーで,昔から数多くのレコードがありました.一方で宗教音楽と呼ばれるカテゴリーは日本人にはマイナーで(私が学生時代受講していた音楽史という講義で行ったアンケートでも最も人気薄だった),クラシック愛好家にもあまり知られていなかった分野です.

 17世紀から18世紀のバロック時代を代表する作曲家として,J. S. バッハがいます.音楽の父ともいわれ,日本でもその名を知らない人はいないくらい有名だと思います.しかし,じゃあバッハってどんな曲を作ったのと聞かれると,意外に知られていません.せいぜい嘉門達夫の「鼻から牛乳」で知られる,トッカータとフーガニ短調やG線上のアリアくらいでしょうか.

 実はバッハの主要作品の多くは,200曲にもおよぶ教会カンタータをはじめとする宗教音楽で,マタイ受難曲やロ短調ミサ曲がその代表とされています.ですから宗教音楽がマイナーな日本であまり知られていないのも仕方ないのかもしれません.

 こういうマイナージャンルゆえ,宗教音楽のLPレコードを手に入れるのは大変でした(モーツァルトのレクイエムのようにちょっとはメジャーな作品もありますが).今ではバッハの宗教音楽も数多くの演奏がリリースされており,私達も聴き比べなどができますが,当時はあまり選択肢がなかったのです.そんな時代に比較的入手可能だったのが,アルヒーフから出ていたリヒターの演奏だったのです.ですから私の世代の人間にとってバッハのカンタータを聴くにはリヒターのレコードを聴くのが一番ポピュラーだったのです.ヘルムート・リリング,ついでアーノンクールとレオンハルトの全集が完成したのはその後のことでした.

 私が宗教音楽にのめり込んだ1980年代は,アーノンクールらに代表されるオリジナル楽器による演奏が注目されるようになった時期と重なり,巷ではリヒター伝統的な演奏スタイルとオリジナル楽器による新しいスタイルどちらがいいのか賛否が飛び交っていました.当時私はリヒターにハマッて,レコードを買い漁り,さらには幻の演奏と言われた映像版のマタイ受難曲を鑑賞するために,今はなきVHDビデオディスクまで購入したのでした.

 そんなリヒターの27回目の命日に彼の録音したモーツァルトのレクイエム(テレフンケン)を聴きながらこの記事を書いているのでした.

 注) 日本語のWikipediaや一部資料ではリヒターが亡くなったのは2月17日となっていますが,私が学生時代に使った資料やドイツ語のWikipediaやドイツの史料では2月15日になっているため,2月15日が命日と考えています(当時の新聞があれば一番確実なのですが).

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月14日 (木)

寒さいろいろ

 寒い日が続いている.先週末長州遠征に行ったのだが,2月9日がちょうど全国的に雪が降った日で,「萩も寒いなぁ」などと思ったのだが,甘かった.こっちに帰ってみて実感したのだが,同じ寒いでも質が違う.西国の寒さは「寒いなぁ」などと体を震わせて軽口をたたける余裕があるのだが,こっちは違う.声がでない,カチーンという凍てつくような寒さなのである.

 一口に寒さといっても様々で,プラス一桁程度なら,寒く感じても特にどうってことはない.これが0℃からマイナス5℃くらいになると,いわゆるガタガタ震えるというか歯がガチガチなり,「ひゃー,寒い!」という寒さになる.とはいえこの段階では大声を出すことで寒さがまぎれる余裕はまだある.しかしマイナス5℃から10℃くらいになると,キーンという冷気が体の表面を襲い,声が出にくくなる.そして無意識のうちに首をすくませて,体表面積を減らして熱が逃げにくい姿勢とるようになる(本能的に).当然手は外に出せないので手袋かポケットに入れたまま歩くことになる.

 さて,そこからさらに下がってマイナス10℃台になると,寒いというより痛いという表現がぴったりくる感じとなる.耳あては必須,さらに空気を吸い込んだだけで鼻が痛くなるために口呼吸となり,常にマフラーで口を覆いたくなってくる.このくらいの気温になると歩きながらしゃべっている人はいなくなり,皆だまって黙々と歩いている(津軽海峡冬景色状態).

 もっと下がってマイナス20℃を下回るとどうなるか.さすがに私自身も経験が少ないのだが,寒さという点ではマイナス10℃台とさほど違いを感じない.しかし冷気のためか思考が鈍ってきて,何かを考えながら歩くのが困難になってくる(ただロボットのように目的地に向かって規則的に歩を進めるという感じ).このため後から考えると,結構な時間歩いていたはずなのに,その時はきわめて短時間に感じるという現象が起こってくる.また素手で金属物に触ると手が凍り付いてしまい,離れなくなってしまうのもこの辺の気温からである.

 そしてそれ以下,マイナス30℃位になるとどうなるのか.さすがに経験がないのでなんとも言えないが,聞くところによると屋外で用を足そうとすると,一瞬で凍り付いてしまうとか,ノーマルタイヤで道路を走れるようになるとからしい(凍結路面でタイヤがスリップするのは,タイヤと路面の間の氷が解けて水になるからであり,マイナス30℃にまで下がると,もはや氷は解けず返って滑らないのだという.実際真冬のシベリアではトラックが凍った川の上をノーマルタイヤで走っているという話を聞いたことがある).

Img299 (写真) 北海道の幌加内町の朱鞠内湖には日本最寒記録(マイナス41.2℃)を示すモニュメントが立っています(1994年撮影).

 今は盛岡市になった藪川というところが本州の寒極であるが,それでもマイナス20℃を下回ることは少ない.日本でマイナス20℃が体験したければ,北海道の陸別町(阿寒湖の近く)か幌加内町(私の生地名寄の近く)あたりに行くのが手っ取り早いので,興味のある方はどうぞ(笑).ちなみに外国では,ロシアの東シベリアにあるサハ共和国というところが寒いので有名(特にベルホヤンスクオイミヤコン)で,首都のヤクーツクの本日の最低気温はなんとマイナス33℃だそうです(ちなみに最高気温がマイナス26℃!寒)

 サハ共和国ヤクーツクの今日の天気

 世界は広いと改めて感じるのであった(ぜひ行ってみたい 笑).

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008年2月13日 (水)

ミシンとまつり縫い

 今日回診で病棟を廻っていたら,病室でついていたテレビ(TVショッピングみたいな番組)で,ミシンが取り上げられていた.

 冷蔵庫,洗濯機,掃除機など一般家庭にはたくさんの機械があるのだが,このミシンというやつだけは,私にとって謎の機械である.何かを縫ったりするのに使われるというのは分かるのだが,どこをどう操作するとかいうのは皆目見当がつかない.考えてみれば,自分が中学生の時代は,男子は技術,女子は家庭科とはっきり分けられており,学校でもミシン操作を習うこともなかった.昔家には足踏み式のミシンが置いてあったが,もちろん自分には縁のないものだった.

 中学では家庭科は習わなかったが,小学校ではちょっとだけやった記憶がある.当然不器用な私には大の苦手科目だったが,その中で色々な縫い方を教わった.一般的な波縫い本返し縫い,さらには半返し縫いなんてのもあったが,いまだに理解できないのが,まつり縫いというやつである.家庭科の先生(結構な年の女性だった)が「~して,まつるんだ」みたいなことをしゃべっていたが,「まつるって何? お祭りの法被用の縫い方なのか?」とますます混乱したことを覚えている.結局理解できないまま四半世紀が過ぎてしまった.今でも私にとってまつり縫いは量子力学よりもはるかに難しいものなのである(笑).

| | コメント (6) | トラックバック (0)

本州最西端

 ものには必ず端があるというわけで,今回長州にやって来た目的の一つが,本州四端のうち唯一未制覇だった本州最西端の毘沙ノ鼻を訪ねることにあった.下関の中心部から車で20分ほど,JR山陰本線と並行する国道191号線から海に向かって走った先にそれはあった.本州最西端記念碑には駐車場もあり,そこから歩いてすぐである.

Choushu_003  このように立派なモニュメントが立つ最西端であるが,実は本当の最西端はここではなく,この近くにあるゴミ処分場の敷地内にある海岸の岩場がそうらしい.ただ非常に危険な場所のため(海に転落する恐れ大),観光客が安易に近づかないよう,ここに立派な施設を作ったらしかった.

Choushu_004  昨年訪れた宮古市の最東端に比べるとアプローチも容易であった(ただ,公共交通機関ではいけない場所である).

Choushu_017  ちなみに,駐車場にはトイレと自販機があるのだが,おそらくこれが本州最西のトイレと自販機だろう.

Img298  そしてこれが本州最西端到達証明書である.もっとも,毘沙ノ鼻は無人ゆえ,下関駅の観光案内所で購入する必要があるのだった.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月10日 (日)

読めない駅名

 2月の3連休,2008年ビザンチン皇帝初の遠征に出ております.目的地は本州の西の端,山口県.オオッ!長州じゃないか,というのはさておき,あちこち行ってみたいところを巡っております.

 実は山口県内のJR山陰本線には,読めないことで有名な駅があるんです.それはこの駅

Choushu_026  さあ,なんと読むんでしょう.とくぎゅう?,別に特盛り牛丼や特製牛肉の略じゃありません.

 さあ,判ります?

 ……………,

 正解は”こっとい”.

 なんでじゃぁ~!どうやったらこの文字を”こっとい”と読めるんじゃ!さすがは長州,恐るべし.

Choushu_025 (写真1) 特牛駅自身は非電化のローカル駅です.

 そうなんです,この駅は,以前珍名駅で紹介した,JR奥羽本線の”及位(のぞき)駅”と並ぶ,難読駅として知られているのでした.

 この駅は映画”四日間の奇蹟”で,伊上畑(いがみはた)”駅としてロケに使われたそうです.

Choushu_022(写真2) このとおり,本当に”こっとい”と読みます.

Choushu_033 (写真3) 特牛駅前にて.

Choushu_032(写真4) 映画のロケに使われた”いがみはた駅”の看板等です.

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年2月 8日 (金)

思案中

 日野市観光協会のホームページに「第11回ひの新選組まつり」の参加者募集要項が発表されています.

 新選組パレード参加者募集

 今年も参加することはほぼ確実と思われる私ですが,問題は参加形式です.観光協会によると,まつりへの参加は

 ① 衣装を借りて隊士として参加(定員100人,応募多数の場合は抽選)

 ② 衣装持参で隊士として参加(希望者は全員参加)

 ③ 新選組と同時代の人物に扮して参加(昨年までのゆかり隊)

 の3通りがあるようです.基本はやっぱり②なのですが,③もちょっと惹かれる…,伊東甲子太郎やサンナンさんら知性派隊士もやってみたい.でも倍率高そうだしなぁ,抽選で洩れたから②に回るってのも新選組に失礼な気が….

 やっぱり素直に②,もしくは③に応募してダメなら観客に回るってのが現実的なところですかね.そんなわけで,しばし悩んでいる私でした.

 追伸: ②の場合はやっぱりコンテストからの参加だと思うんですが,どんなネタで行こうという別な悩みもあるのでした.

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2008年2月 6日 (水)

貧食再び(BlogPet)

コンスタンチヌス21世の「貧食再び」のまねしてかいてみるね

先日の記事に入ったが来る2月8日をもって閉店すると並ぶ青春の幻影”カレー”に見える)です.そんな貧食前でも275円(普通カレーでした.貧食前で,はたまた行けるじゃないかガランとして,この日をもって閉店するという価格は全く異なった雰囲気(どんな日和(普通のでした(笑)はちょっとリッチな気分で260円位だったのは最もな快晴でもやっとのインドカレーでした,コクの貧食前で今年度のインド人も275円(実際に貧食前で下車,取り壊される予定だったと思ってきました,普通の味が被せていないようで貧乏学生に薄く焼いた学食のはとサラダを終え,青春の記事に愛されたが安いことなくてきましたそうです.これを醸し出しても少しの自転車で貧乏学生に広がりました(喜当時の大盛りで貧乏学生に愛された卵焼きが出にくいものがインドカレーとしていました雰囲気(実際に行っていた.まさに私でした,是非行かなく,大盛りと普通カレーですが出にくいものが,どこが来る2)など)など)貧食前ではたくさんのですが口の大盛りで260円位だったとサラダを口の間営業をかけた学食ピラフ(バイト料がありましたと聞かれる予定だった.今日年次を醸し出していただきましたときはたくさんのかガランとしていましたと,具が貧食前では…,チキン辛口カレーと同価格は全く不明,この日(どんな日和だ?)に見える)貧食で260円を取って,その名のオムライス:貧食前で下車,ちょっと感動した学食が安いことで食べさせてみたい)に挑戦しましたと…(普通カレーとして,具があり,それでも何かとは全く不明,川内郵便局前で200円(普通カレーに載せたそうです.この日で,値段が被せてもビックリだったと,”ですさっそくインドカレー大盛りではたくさんの私にとってのある具が口の大盛りで貧乏学生に溶けるまで煮込まれた学食ピラフ(何かガランとして,牛乳と思っていただきました.この日をもって閉店するという価格!)これが貧食前で歩くの前で下車,それでも何ピラフ(バイト料が魅力でした.小盛りでもビックリだった学食ですが魅力でしたときは高級感を聞いていた翌日など)これがインドなカレーな日をもって閉店するという価格は最もなのですさっそくインドカレー大盛りで今年度のが入った(写真3)貧食が,このインド人もビックリだった,早速注文して,貧食はと…(何か全く不明,青春のが魅力でした翌日などに乗って,ごちそうさまでした学食はたくさんのインド人もビックリだった卵焼きがこのインドカレー大盛りと聞かれる予定だった雰囲気(バイト料が遅れてもやっとのが被せて,このインドなカレーや,どこがあり,取り壊される予定だったそうです.今日年次を続けるそうです.

*このエントリは、ブログペットの「アロイジア」が書きました。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年2月 5日 (火)

貧食再び

 先日の記事に載せたとおり,貧食が来る2月8日をもって閉店するという話でした.これを聞いて,是非行かなくてはと思っていたのですが,今日年次を取って,ついに行ってきました(笑).

 今日の仙台は抜けるような快晴で,絶好の貧食日和(どんな日和だ?)です.仙台駅前バスプール16番乗り場からバスに乗って15分,川内郵便局前で下車,目の前にあるプレハブが貧食です.昨年秋に行ったときはたくさんの自転車で歩くのもやっとの状態でしたが,この日はすでに春休みなのかガランとしていました.

Hinwata (写真1) 貧食前で

 中に入って,早速注文したのは,チキン辛口カレーと並ぶ青春のカレー,”インドカレー”です.貧食はその名の通り,値段が安いことで貧乏学生に愛された学食です.昭和60年頃,普通カレー大盛りで200円,牛乳とサラダを付けても275円と決して300円を越えることなく,腹いっぱい食べられるのが魅力でした.

 そんな貧食の中で,なんとなく高級感を醸し出していたのがこのインドカレーでした.小盛りで200円(普通カレーの大盛りと同価格!),大盛りで260円という価格は,貧乏学生にはちょっと手が出にくいものがありましたが,それでも何か特別な日(バイト料が入った翌日など)などに,ちょっとリッチな気分で食べたりしました.

Indocurry (写真2) これがインドカレーです

 さっそくインドカレーを口の中に運ぶと…,普通カレーや,はたまたチキン辛口カレーとは全く異なった,コクのあるまろやかなカレーの味が口の中に広がりました.「こ,これだ…」とちょっと感動しながら食べさせていただきました.このインドカレー,どこがどうインドなのかと聞かれると困るのですが,具が完全に溶けるまで煮込まれた雰囲気(実際に貧食のインドカレーには形のある具が入っていないように見える)は高級ホテルのカレーのようでもあり,当時の貧食では最もセレブなカレーとして,インド人もビックリだったのは間違いないでしょう(笑).まさに私にとってのインドカレーとは,”少年の心の中にある,青春の幻影”カレーなのでした.

Hinshokunai(写真3) 貧食の皆さん,ごちそうさまでした.

 貧食は2月8日で今年度の営業を終え,取り壊される予定だったそうですが,地下鉄工事が遅れているらしく,4月からも少しの間営業を続けるそうです.オォ!また行けるじゃないかと,行く気満々の私でした(今度は”貧食オムライス”に挑戦してみたい).

 注) 貧食オムライス: 貧食ピラフ(何ピラフなのか全く不明,ほとんど具がない)に薄く焼いた卵焼きが被せてあり,その上からケチャップをかけた,一見すると普通のオムライスに見えるが,しかしてその実態は…(喜 当時240円位だったと記憶しています).

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年2月 3日 (日)

円周率

 本日のネットのニュースに,円周率の暗唱世界記録の話題が出ていた.

 <円周率>暗唱11万けた…夜通しの挑戦失敗

 何でも現在の記録保持者が10万桁とのこと.凄い,凄すぎる.10万桁なんてどうやって覚えるんだろう.そして,それが記録という以上,実際に暗唱して,しかもそれが正解と確認した人がいるはずである.確認しながら10万桁を暗唱する…,どれだけの時間がかかるのだろうか(1秒に1つずつ数字を暗唱したとして24時間で86400桁).

 ちなみに自分が覚えているのは31桁である.

 3.141592653589793238462643383279(三石異国に向こう珊瑚役なく,産婦ミワ,城に虫散々闇に泣く… 漢字は適当です).

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 2日 (土)

ゾフィー

 ゾフィーという名前を聞いて何を連想するか? 頼りになる兄貴分というイメージが浮かんだ人は私と同世代です(笑).第二次怪獣ブームの昭和40年代後半に幼稚園から小学校低学年だった私にとって,ゾフィーとはウルトラ兄弟の長兄,弟達が危機に陥ると駆けつける頼もしい兄貴の姿であった.M87光線という魅力的な名前の光線技や胸に付いた突起物なども,一般のウルトラマンよりもグレードが高いという雰囲気をかもし出していた.

Img296 (写真) ウルトラシリーズのゾフィー

 しかし現実世界でのゾフィーという名前は,ドイツ語圏における女性の名前である.あのW. A. モーツァルトの妻,コンスタンツェの妹の名がゾフィーであり(1791年12月に瀕死のモーツァルトを看病していたのが彼女),またR. シュトラウスの楽劇「ばらの騎士」でオクタヴィアンと恋仲になる少女もゾフィーである.

 本来女性名だったゾフィーがどうして,ウルトラマンシリーズの長兄の名前になったのか,その理由は残念ながらわかりません(知っている人教えてください).

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »