「復活」そして旅立ち
(この記事は12月22日夜に書いています)
一夜明けていよいよ「復活」本番の日がやってきた.この日の集合は午後2時,ということは12時には当地を出発する必要がある.というわけでこの日は,普段使うことがないため溜まりに溜まった年次休暇を使うことにした(年次休暇などを使って休むと,たちまち業務に支障をきたすため,めったに使えない.一応上からは”適切に年次休暇を消費するように”という通達が来るのだが,こんな紙切れ1枚をよこすなら,人員を増やしてくれと叫びたくなるのだった).とはいっても,そのままでは業務に支障をきたすため、この日は特別に大学病院から応援医師も呼んだ.外来予約も少なめにして,なんとから11時半には外来のめどが付いた.あとは応援医師に頼んでさあ出かけようと思った矢先に……,結局予定より1時間遅れの午後1時に当地出発となってしまった.パートリーダーに遅れる旨を連絡して出発,会場に付いたのは3時半だった.しかし幸いまだリハーサルは始まっていなかった.
16時ごろからリハーサルになり,その後着替えをして集合場所である盛岡市民文化ホール小ホールに集合,ここで最後のミーティングとなった.合唱指揮の佐々木正利先生から注意事項の伝達があり,いよいよ気分は演奏会モードだ.指揮者の飯森氏もやってきていくつか指示をいただく.そしていよいよ舞台袖に集合する時間である.
舞台袖に行くと,大勢のオケの人たちがいた.マーラーの「復活」は規模が大きいのはもちろんだが,ステージ上のほかに,舞台の外にもオケが設置されるため(金管楽器を中心に),それらの人たちも待機していた.
さあ,いよいよ本鈴が鳴って入場である.「復活」は5楽章からなり,合唱が登場するのは最後の第5楽章のみであるが,演奏途中で入場するのは困難なので,はじめからステージ上で待機することになる.合唱団に続いてオケが入場,そしてひときわ大きな拍手とともに指揮者の飯森氏が入場してきた.
指揮者のタクトに合わせて静かに」演奏が始まった.100人規模の大オーケストラの演奏はpppからfffまでダイナミックで迫力満点であった.見渡すとステージ上にはオケの人たちがまるで波のように躍動している.指揮の飯森氏は,オケの人波の上で華麗に舞っているかのようだった(昔の宮崎アニメ「風の谷のナウシカ」で,その者青き衣を纏いて,金色の野に降り立つべし”というのがあったが,まるで衣装を着けた飯森氏がオーケストラの野に降り立ったかのような感じであった).マーラーの曲は重厚で,私のように普段フランス革命以前の作品を中心に愛好しているものとっては非常に疲れる曲である(復活の1楽章をピアノで聞いたハンス・フォン・ビューローが「これが音楽だとすれば,私には音楽が分からない」といったそうだが,確かに音が多い).しかしこの夜の演奏はまったく疲労を感じさせないものだった.
順調に演奏は進み,いよいよ最終5楽章となった.いかにもワーグナー後という感じの派手な楽曲が一段落して,合唱の冒頭”Aufersteh'n ~”が静かに始まった.背筋がぞくぞくする瞬間である.pppから始まった合唱は徐々に盛り上がっていく.この歌詞はフリードリヒ・クロプシュトックによる賛歌「復活」にマーラー自身が加筆したものである.その内容は最後の審判とその後の復活をテーマとした壮大なものである.どんどん曲想が高揚して行き,最後の”Was du geschagen, zu Gott wird es dich tragen!”では感動のあまり声になりませんでした.
演奏会が終わり,レセプションには飯森氏やソリストの森麻季さん(ソプラノ),寺谷千枝子さん(アルト)も参加して下さった.各先生方からはお褒めの言葉を頂き,我々合唱団員一同,感動的なひと時を過ごすことができたのでした(この時に知ったのだが,この日飯森先生は体調が良くなかった{お話からノロウイルス感染症と思われた}とのことだったが,とてもそうとは思えなかったのは,やはりプロだからですかね).
そしてレセプション終了後,本来なら2次会になだれ込むところですが,私を含めた合唱団員は,次なるイベント,台湾でのクリスマスオラトリオ公演に向けて,待機していたバスに乗り込み,一路成田空港に向かったのでした.
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