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2007年12月30日 (日)

2007年十大ニュース

 いよいよ2007年も年の瀬,そこで大晦日恒例である,今年の我が家(ビザンチン帝国)の十大ニュースを考えてみました(本業以外に限定した順位です).

第10位 日本トンデモ本大賞に参加

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 6月30日に東京イイノホールで行われた,B級・ヘナチョコネタの祭典(?),日本トンデモ本大賞に参加しました.会場は満員,1年間に世に出た多数のトンデモネタのレポートから始まり,トンデモ本大賞候補作品の紹介,さらにはトンデモ・クラシックコンサートなど,非常に楽しくかつ内容の濃い(?)イベントでした.来年もぜひ参加したいと考えています(関連記事日本トンデモ本大賞2007

写真は,会場で「と学会バッグ」を購入した私

第9位 ベルリン国立歌劇場公演

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 私とKは大のオペラ好きです.昨年はモーツァルトイヤーに便乗してウィーンにオペラ鑑賞に行ったのですが,今年は10月に東京文化会館で行われたベルリン国立歌劇場の引越し公演に行ってまいりました.演目はモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」,実は私もKも「ドン・ジョバンニ」を生で観劇するのは初めての経験でした.あまり奇をてらわない演出が良かったです(関連記事ベルリン国立歌劇場).

 写真は会場で偶然目撃した小泉純一郎元首相です.

第8位 水戸の天狗党の足跡を訪ねる

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 幕末好きの私にとって,水戸の天狗党は興味のある題材でした.一見無謀としか思えない元治元年の挙兵はいかにして起こったのかが気になったのです.今年は(他の用事のついでに)水戸と敦賀を訪問し,両市に残っている天狗党の史跡を回ってきました.水戸では,幕末期に藩内抗争で命を落とした藩士達の墓が立ち並ぶ光景に,当時の水戸藩がいかに混乱していたかを見ることができました.また天狗党終焉の地敦賀では,武田耕雲斎や藤田小四郎らが監禁された鰊倉を見学しました(内部は簡単な資料館になっています).街を歩いた印象では,天狗党は水戸では意外に知られておらず,むしろ敦賀の人たちのほうが関心が高いように思われました(関連記事幕末の水戸藩天狗党終焉の地).

 写真は敦賀の松原神社にある天狗党首領武田耕雲斎の像

第7位 冬のグアム島旅行

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 2月にKのおふくろさんを連れてグアム島に行ってきました(2月の3連休です).当初は寒い時期だからこそ寒いところに行こうと、北海道の陸別町や幌加内町なども候補に挙がったのですが,旅行を決めた前年12月に風邪を引いてしまい,「やっぱり暖かいところがいいや」と弱気になっていたため,結局グアムになりました.Kのおふくろさんは初海外でしたが,喜んでくれていたようです.いずれはこの寒い時期に北半球の寒極”ベルホヤンスク”に行きたいと決意している私です(寒).関連記事グアム島①グアム島②グアム島③

 写真はココス島のビーチで「坂の上の雲」を読んでいる私

第6位 しながわ宿場まつり参加

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 東海道の最初の宿場である品川で毎年9月に行われている,しながわ宿場まつりでの江戸風俗行列に参加しました.これは江戸時代に関係ある扮装なら何でもOKという企画で,衣装も時代劇の本格モノと気合が入っています.私は幕末の大老井伊直弼に扮しました.当日は残念ながら大雨でしたが,雨にも負けずそれなりに(笑)楽しむことができました(関連記事しながわ宿場まつり).

 写真は井伊直弼に扮した私

第5位 明治維新後の永倉新八の足跡を訪ねる

 新選組幹部はその多くが幕末維新期に命を落としましたが,少数ながら生き残った人もいます.永倉新八はその代表的な人物で,晩年は北海道で暮らしていました.そこで北海道時代の永倉新八の足跡を訪ねるべく,初秋の小樽・札幌・月形町に行ってきました.特に月形の樺戸集治監(一時永倉が剣術師範として赴任した)は大河ドラマ「獅子の時代」にも出てきたところで,私にとって非常に興味深い場所でした(実はこの取材に関連する記事はHP&blog どちらにもアップしていません.そのうちアップできると思います). 

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(左)永倉新八隠居の地の碑,(右)現在は博物館になっている樺戸集治監本庁舎

 

第4位 第10回ひの新選組まつりで武田観柳斎役をいただく

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 5月12~13日に行われた第10回ひの新選組まつりに参加しました.昨年は初参加ながら,六番隊隊長井上源三郎という大事な役をやらせていただきました.今年も隊士コンテストから参加して,なんと五番隊隊長武田観柳斎の役に選ばれました.衣装は大河ドラマの八嶋智人さんのイメージでしたが,一般隊士の方々とともにお祭りを盛り上げることができたと思います.また全国の新選組愛好家の方々とも交流することができました.来年以降もぜひとも参加したいお祭りです(関連記事第10回ひの新選組まつり).

 写真は高幡不動尊の土方歳三の像の前で記念写真を撮る五番隊

第3位 ヨハネ受難曲演奏会 

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 今年1月に盛岡でヨハネ受難曲の演奏会に参加しました.指揮者として,著名なオーボエ奏者でドイツ・バッハ・ゾリスデンを主宰している巨匠ヘルムート・ヴィンシャーマン氏をお迎えしましての演奏会です(ヴィンシャーマン氏は1920年生まれ,実はあの故カール・リヒターよりも年長なのですが,そうは見えないほど今でも若々しい指揮をされます).ヴィンシャーマン氏とは過去に何回か共演させていただいていますが,今回もその素晴らしい音楽に接することができたのでした(関連記事ヨハネ受難曲演奏会).

 写真は演奏会のポスターです.

第2位 マダガスカル旅行

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 我が家の恒例の夏の旅行,今年はマダガスカルに行ってきました.アフリカ大陸の近くにありながら,アフリカとは全く異なる,ここでしか見られない動植物がたくさんいました.ワオキツネザルやインドリなどの原猿類のほか,ホウシャガメやカメレオンなどの爬虫類からバオバブや旅人の木などの植物にいたるまで,貴重な動植物を目にすることができました.このマダガスカル旅行記は何とか年内にアップしようと頑張ったのですが,2/3程度の完成にとどまっています.このため未完成ではありますがHPの方にアップしました(関連記事マダガスカル旅行記).

 写真はマダガスカルを代表する生き物”ワオキツネザル”です

第1位 「復活」&「クリスマスオラトリオ」連続演奏会

 そして栄えある第1位は,当初は前述のマダガスカル旅行だろうと思っていたのですが,12月23日に台湾でのクリスマスオラトリオ演奏会に参加することが急遽決まり,それ以前から予定されていた,12月21日盛岡でのマーラーの「復活」との連続演奏会と相成り,その激しさおよびネタ度から大逆転で見事1位に輝きました(笑).マーラーの「復活」は非常に演奏規模の大きな作品で,演奏会を開くこと自体が難しい作品です.しかも今回は飯森範親氏と東京交響楽団という素晴らしい方々と共演できるという貴重な経験をさせていただきました.そしてその後台湾への強行軍の後,現地では地元のエバーグリーン交響楽団やドイツ人音楽監督のG. シュマルフス氏と共演し,台湾でのクリスマスオラトリオ初演という栄誉に預かることができました(演奏会終了後は,演奏旅行→扮装旅行となったことはいうまでもありません 爆).関連記事 

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(左)盛岡での復活演奏会の解団式,(右)クリスマスオラトリオ演奏会の指揮者シュマルフス氏と

 以上ですが,残念ながら選外となったものも紹介します.

番外1 体験もんじゃ焼き

 今年のひのパレで見事,ミスター土方を射止められたコシゾウさんがやっているお店を訪ねて,人生初のもんじゃ焼きを堪能いたしました(6月).

番外2 秋の会津旅行

 10月上旬(会津祭りの2週間後 泣)に会津若松を訪ね,鶴ヶ城や飯盛山等に行ってきました.

番外3 浅田次郎先生に会う

 1月に縁あって作家の浅田次郎先生が私の職場を訪れ,私も懇親会に参加しました(院長から新選組に詳しいからと参加命令が出されました 笑).

番外4 銀河鉄道999扮装に挑戦

 今年の忘年会ネタとして,職場の新人さんを巻き込んで,999扮装に挑戦しました(私は星野鉄郎です).

P6171091_3 Pa070044_2 Asadajirou2_2 Pc020016_2   左から宇都宮城址公園,鶴ヶ城,浅田次郎先生との記念写真,三陸鉄道レトロ調列車内の鉄郎とメーテル

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2007年12月29日 (土)

2008年の記念イヤー

 さて2007年も残すところ今日を含めて3日となった.昨年2006年はあのW.A.モーツァルトの生誕250年ということで大いに盛り上がったのだが,2007年は大してインパクトのある記念イヤーがなかった.そこで来る2008年にはどんな記念イヤーがあるのか探してみた.

① ヘルベルト・フォン・カラヤン生誕100年

 のっけから凄いぞこれは.モーツァルトと並ぶザルツブルグの誇りである,大指揮者カラヤンの生誕100年である.グラモフォンあたりで記念企画がありそうだ.

② リムスキー・コルサコフ、松平定敬、西太后没後100年

 一方没後100年はこの人たち.松平定敬は元桑名藩主で会津藩主松平容保の実弟です.その筋では有名な人です.

③ 足利義満没後600年

 室町幕府第3代将軍です.アニメ「一休さん」では一休さんと金閣で絡むシーンがありますが,実際の一休宗純は室町時代中期の人で,義満との接点はありません(奇しくも義満が亡くなった1394.年が,一休宗純の生年です)

④ 源氏物語絵巻の成立900年

 今に伝わる源氏物語の絵巻が完成したのは1108.年(嘉承三年)のことだそうです.

⑤ 菅原孝標女生誕1000年

 古典の時間に習った「更級日記」の作者の生誕1000年です.一番きりがいいような気がします.来年はみんなで「更級日記」を読みましょう(大学入試センター試験に出たりして).

⑥ 和同開珎鋳造1300年

 わが国最初の鋳造貨幣和同開珎ができて1300年です.

⑦ 赤壁の戦い1800年

 三国志のクライマックス,赤壁の戦いから1800年の記念イヤーです.現地は凄いことになるんでしょうか(私は行ったことはないんですが,赤壁にいくと川岸の断崖に「赤壁」と赤い文字で書いてあるんだそうです.ローレライみたいだ 笑).

⑧ 前漢滅亡(新建国)2000年

 現在に続く中国文化の基礎が形成された時代といわれる漢代.その前半部をしめる前漢王朝が,外戚の王莽に簒奪されて滅亡してから2000年の記念イヤーです.王莽の建てた国はといいますが,政策的には逆で周代の政治に戻そうとして失敗し,短命に終わってますからむしろという国号の方がピッタリだと思います(笑).

 いろいろある2008年の記念イヤー,個人的にはカラヤンと赤壁の戦いでしょうか.

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2007年12月28日 (金)

焼き鳥戊辰戦争

 今日の朝日新聞の社会面に面白い記事が出ていた.

Asasin

 題して「焼き鳥戊辰戦争」.1本の竹串で焼き上げる焼き鳥の長さを競うこの記録,元々は川俣シャモで知られる福島県川俣町が記録を持っていた.その後和歌山県日高川町,岩手県二戸市が参戦,そして現王者は山口県の長門市が今年の10月に作った20.71メートルとのことであった.この長門市の記録に来春会津若松市が挑むのだという.山口県こと長州は長州鶏が有名で,特に長門市は人口当たりの焼き鳥屋の数が日本一なのだそうだ.対して会津にはこれまた有名な会津地鶏がある.これまでは静観していたようだが,今秋同じ福島県の川俣町の記録が長州に破られたことと,来年が戊辰戦争140年ということで,今回の参戦と相成ったらしい.

 140年の時を越えた,今回の「焼き鳥戊辰戦争」いかなる決着となりますか.

 追伸: 焼き上がったこの長~い焼き鳥,終わった後は関係者みんなで食べるんでしょうか?

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2007年12月27日 (木)

2009年の秋

 鬼が笑う話ですが,再来年2009年9月に5連休が出現する可能性があります.これは1985年に改正された国民の祝日に関する法律によるもので,2つの祝日の間が1日しかない場合,その日を祝日にすると決められているからです.5月の連休(通称ゴールデンウイーク)で5月4日が平日でも休みになるのはこの法律のためです.もっとも,1日おきに祝日が発生するなんて,5月3日(憲法記念日)と5月5日(こどもの日)以外には起こらないだろうと思っていました.

 しか~し,2003年から敬老の日が移動祝祭日になったことで様相が変わったのです.2003年以降敬老の日は9月の第3月曜日になりました.その一方9月には秋分の日という祝日もあります.秋分の日は昼と夜の長さがほぼ一緒になる日で,天文計算によって求められます.例年9月23日頃になりますが,計算すると2011年までは毎年9月23日になるそうです.そして先ほどの敬老の日ですが,2009年の第3月曜日はなんと21日なのです.その結果,2009年9月は21日月曜日が敬老の日23日水曜日が秋分の日になって,見事に間に1日の平日が発生,先の法律に従ってこの9月22日が国民の祝日として休みになるのです.そして9月19,20日の土日が休みだと,見事5連休の誕生と相成ります.ただ,秋分の日をいつにするかは前年の2月に閣議で正式に決めることになっており,まだ2009年の秋分の日が9月23日とは決まっていません.しかし暦法で決まった秋分の日が覆った前例はないらしく,おそらくはよほどの政治的意図が働かない限り(時の総理大臣が休み嫌いとか 笑),5連休の実現は間違いないものと思われます.5月以外の初の大型連休(ちなみに2009年の5月は4連休です),皆さんはどうやって過ごしますか? 

 追伸: 携帯電話のカレンダーを確認したら確かに2009年9月は21~23日が休みの赤色になっていました.もっとも私個人は当番があったりで,5連休は取れないと思いますが(泣).

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2007年12月25日 (火)

台湾扮装旅行

 さて演奏会は無事に終わった.あとは帰国するだけである,な~んて考えるのは甘い! 演奏会から解放されたのだから大いに楽しまなくてはならない.演奏会終了後参加者の約半数は翌朝の便で帰国と相成ったのだが,私はあと1日残留することにした(気合で年次を取った).というわけで翌12月24日(クリスマス・イブ)は他の残留者達と共に,台北市内観光に繰り出した.私はこのためにわざわざ持参した和装で臨んだことは言うまでもない(龍馬紋の長衣に袴,それに新選組のダンダラという凄い組み合わせ).

Pc240134 台湾でも伝統のある寺院「龍山寺」

 空はあいにくの雨天であったが,台湾総統府(旧台湾総督府)や中正記念堂,龍山寺などを見学した.その後昼食を摂り(4回目の中華料理),午後からは台北郊外の九份という街に繰り出した.ここは19世紀末にゴールドラッシュに沸いた坂と階段の街で,近年では映画「悲情城市」の舞台となり,宮崎駿氏の「千と千尋の神隠し」の舞台のモデルになった街といわれている.

Pc240168_2  「皆の者我に続け~」

 狭い道路沿いに多数の木造建築の店が立ち並ぶその雰囲気は,たしかに「千と千尋~」の世界であった.せっかくだから写真を撮ろうと張り切った私でした(雨降りではあったが,雨はしながわで慣れているのでそれほど苦にならなかった 笑).

Pc240160 九份の街中にて

Pc240157_2 九份はこのように階段の街です

Pc240154 「これからは銃の時代だ.土方副長へのお土産にしよう」

 他にも写真があるので,後日美術館の方にでもアップします(笑).ちなみに新選組装束は台湾人にも人気のようで,何人かの現地の人に記念写真を頼まれた(嬉).

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2007年12月24日 (月)

クリスマスオラトリオ本番

 一夜明けて,今日12月23日はいよいよクリスマスオラトリオの本番である.リハーサルは午後からというわけで,午前中は台湾最大の見所”故宮博物院”を訪ねた.ここには清朝の宮殿(紫禁城)に秘蔵されていた中国歴代王朝の秘宝が展示されている.元々は北京の紫禁城にあったのだが,1931年の満州事変から始まる戦乱のため当時の国民党政府によって南京,その後中国各地にに疎開させられた.その後国共内戦で敗れた国民党政府が1948年に台湾に持ち去ったものである.現在北京にも同名の故宮博物院があるが,所蔵品の質では台湾の博物院の方がはるかに上といわれている.収蔵品の数は約70万点近くといわれており,ルーブル美術館などと同様,まともに見学しようとしたら1週間はかかりそうな感じだ.今回は時間がないので,ガイドに案内されて駆け足で見学した(団体旅行最大の欠点である).

Pc230058 故宮博物院にて,団体旅行のバッジをつけています.普段個人旅行ばかりの私には珍しいショットです.

 博物院の見学後は市内のレストランで昼食を摂り(2回目の中華料理),そのまま演奏会会場である”懷恩堂”という市内の教会に向かった.ここはバプテスト教会で,あの李登輝前総統もここの教会員らしい.会場となる礼拝堂はなんとなく体育館のような広々とした造りだった(座席も2階席まであった).

Pc230073 リハーサルにて

 2時過ぎからリハーサルとなったが,練習の方はともかく,2階席最前列に設置された巨大ライトが眩しくて困った(今回のクリスマスオラトリオは台湾初演らしく,テレビカメラも入るというウワサだった).リハ終了後着替えとなり,3時45分に舞台袖の廊下に待機しいたら,指揮者のシュマルフス氏がニコニコしながらやってきて,「ガンバリマショウネ」といっていた(シュマルフス氏は日本語が堪能である).

Img284 これが今回の演奏会のパンフです(巴赫=バッハ,聖誕神劇=クリスマスオラトリオ).

 さあ,そしていよいよ入場,客席は満員である.台湾人ソリストとシュマルフス氏が入場するとひときわ大きな拍手が起こった.

 クリスマスオラトリオは全6部からなるが,今回演奏されるのは前半の1部から3部までである(12月25日用,26日用,27日用).第1部の冒頭合唱はティンパニーと3本のトランペットが活躍する祝典的な楽曲だ.シュマルフス氏のテンポの良い指揮に乗って軽快に始まる.”Jauchzet, frohlocket, auf, preiset die Tage,”(歓呼の声を挙げ,喜び躍れ,いざこの日々を).

 その後レシタチーヴォ,アリア,コラールと粛々と演奏そのものは順調に進んでいったが,気になったのは客席の方.演奏中なのだが,客の出入りが激しい.指揮者を見て集中しようと務めたのだが,どうしても視野に人の動きが入ってしまい,集中し切れなかったのがちょっと残念だった.今回の演奏会はエバーグリーン交響楽団の演奏会というより,懷恩堂のクリスマスコンサートのようで,聴衆は教会の方々が多かったらしく,あまりクラシックのコンサートには慣れていないのかもしれなかった.

 それでも演奏後には大きな拍手が起こり,こうしてクリスマスオラトリオの台湾初演は無事に終了した.

Pc230094 夜の懷恩堂は美しくライトアップされていました.

 終了後にはシュマルフス氏もお迎えして,市内のレストランで打ち上げ夕食会が行われたのでした(3回目の中華料理).

Pc230098夕食会場にて指揮者のシュマルフス先生と記念撮影

 その後は台北名物(?)の夜市に繰り出した我々であった(アジア的な熱気に包まれた繁華街でした).

Pc230109 夜遅いというのにもの凄い人出で賑わっていました.

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2007年12月22日 (土)

台湾に到着

 (この記事は12月24日夜に書いています)

 復活レセプション終了後我々を乗せたバスは一路成田空港を目指した.出発してあっという間に寝てしまった私だったが,途中のトイレ休憩に目を覚ました.時計を見ると午前3時半,場所は福島県の安達太良SAだった.その後再び寝入ってしまい,次に起きた時はもう千葉県だった.疲れた体を休めようと,途中どこかのスーパー銭湯にみんなで寄ったあと,11時過ぎに成田空港に到着した.

 今回私が利用するのは台湾のエバー航空であり,第1ターミナルからの出発となる.いつもの個人旅行なら空港内の書店などを歩き回るのだが,今回は集団行動ということでみんなの後から付いていった.旅行会社(私たちの合唱団となじみの深い”トラベルe旅.COM”という会社である)の人から注意事項の説明等を受け,そのままみんなでセキュリティチェックを通って出国審査場へ,前回の旅行の際スタンプを押されたパスポートのページに余白があったため,そこに押してもらおうと,そのページに航空券をはさんで出したのだが,あっさり無視されて別のページに押されてしまった.その後は免税店を冷やかしたりしながら出発ゲートに向かう.

Pc220020 エバー航空の機体

 出発は14時ということで,13時35分ごろから搭乗開始,乗り込んでしばらく待つがなかなか出発しない(成田空港の発着枠はかなりタイトでしょっちゅう遅れるのだが…).結局30分遅れぐらいでようやく我々は機上の人になった.

 成田から台北までは約3時間半である.水平飛行に入った後,食事となった.今回のメニューは魚と豚肉の選択だった.豚肉のほうを頼んだのだが,カレーピラフが付け合せになっていて旨かった(ヨーロッパ系の旅行会社よりは日本人の口に合うと思われた).昨夜は夜行バスだったので,少し寝ようと思ったのだが,さっぱり寝られず,あっという間に飛行機は台北の国際空港に到着した(桃園国際空港というらしい.台北には他に松山空港というのもあり,こちらは旧陸軍の松山飛行場が前身である).到着後,入国審査をすませ(ここではちゃんとページの余白にスタンプを押してくれた),迎えのバスに乗って一路練習会場に向かった.

 本日の練習会場は,エバー航空のビル(?)だった(今回共演するエバーグリーン交響楽団がエバー航空の系列のためらしい).我々が到着するとすでにオケの面々や指揮者のゲアノート・シュマルフス先生(指揮者のシュマルフス先生とは2年前の暮れにドイツでお世話になっている 関連記事)もすでに来ていた.空港から直行で夕食を摂っていない我々のために,エバーグリーン交響楽団からサンドイッチやミネラルウォーターの差し入れがあり,それにパクつきながら準備をした.

Pc220037 練習の様子

 今回の演奏は指揮はG. シュマルフス氏,オケはエバーグリーン交響楽団,4人のソリストはすべて台湾の方である(個人的にはバスの方がいい味を出していて良かった).私の右隣には合唱指揮の佐々木正利先生が来たため緊張しまくりだったが(笑),何とか無事に練習は終了した(音が響かない会場だったため少し不安になった).

 練習終了後は市内のレストランに移動して皆で台湾料理を堪能したのでした(1回目の中華料理).さあ,いよいよ明日は本番です.

Pc220049 Pc220045 (左)練習後は市内での夕食会です,(右)今回の旅行でお世話になった台湾ビールです.

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通達しないです(BlogPet)

コンスタンチヌス21世と、通達しないです。

*このエントリは、ブログペットの「アロイジア」が書きました。

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2007年12月21日 (金)

「復活」そして旅立ち

 (この記事は12月22日夜に書いています)

 一夜明けていよいよ「復活」本番の日がやってきた.この日の集合は午後2時,ということは12時には当地を出発する必要がある.というわけでこの日は,普段使うことがないため溜まりに溜まった年次休暇を使うことにした(年次休暇などを使って休むと,たちまち業務に支障をきたすため,めったに使えない.一応上からは”適切に年次休暇を消費するように”という通達が来るのだが,こんな紙切れ1枚をよこすなら,人員を増やしてくれと叫びたくなるのだった).とはいっても,そのままでは業務に支障をきたすため、この日は特別に大学病院から応援医師も呼んだ.外来予約も少なめにして,なんとから11時半には外来のめどが付いた.あとは応援医師に頼んでさあ出かけようと思った矢先に……,結局予定より1時間遅れの午後1時に当地出発となってしまった.パートリーダーに遅れる旨を連絡して出発,会場に付いたのは3時半だった.しかし幸いまだリハーサルは始まっていなかった.

 16時ごろからリハーサルになり,その後着替えをして集合場所である盛岡市民文化ホール小ホールに集合,ここで最後のミーティングとなった.合唱指揮の佐々木正利先生から注意事項の伝達があり,いよいよ気分は演奏会モードだ.指揮者の飯森氏もやってきていくつか指示をいただく.そしていよいよ舞台袖に集合する時間である.

Pc210001 パイプオルガンのある小ホールで最後の確認です.

 舞台袖に行くと,大勢のオケの人たちがいた.マーラーの「復活」は規模が大きいのはもちろんだが,ステージ上のほかに,舞台の外にもオケが設置されるため(金管楽器を中心に),それらの人たちも待機していた.

 さあ,いよいよ本鈴が鳴って入場である.「復活」は5楽章からなり,合唱が登場するのは最後の第5楽章のみであるが,演奏途中で入場するのは困難なので,はじめからステージ上で待機することになる.合唱団に続いてオケが入場,そしてひときわ大きな拍手とともに指揮者の飯森氏が入場してきた.

 指揮者のタクトに合わせて静かに」演奏が始まった.100人規模の大オーケストラの演奏はpppからfffまでダイナミックで迫力満点であった.見渡すとステージ上にはオケの人たちがまるで波のように躍動している.指揮の飯森氏は,オケの人波の上で華麗に舞っているかのようだった(昔の宮崎アニメ「風の谷のナウシカ」で,その者青き衣を纏いて,金色の野に降り立つべし”というのがあったが,まるで衣装を着けた飯森氏がオーケストラの野に降り立ったかのような感じであった).マーラーの曲は重厚で,私のように普段フランス革命以前の作品を中心に愛好しているものとっては非常に疲れる曲である(復活の1楽章をピアノで聞いたハンス・フォン・ビューローが「これが音楽だとすれば,私には音楽が分からない」といったそうだが,確かに音が多い).しかしこの夜の演奏はまったく疲労を感じさせないものだった.

 順調に演奏は進み,いよいよ最終5楽章となった.いかにもワーグナー後という感じの派手な楽曲が一段落して,合唱の冒頭”Aufersteh'n ~”が静かに始まった.背筋がぞくぞくする瞬間である.pppから始まった合唱は徐々に盛り上がっていく.この歌詞はフリードリヒ・クロプシュトックによる賛歌「復活」にマーラー自身が加筆したものである.その内容は最後の審判とその後の復活をテーマとした壮大なものである.どんどん曲想が高揚して行き,最後の”Was du geschagen, zu Gott wird es dich tragen!”では感動のあまり声になりませんでした.

 演奏会が終わり,レセプションには飯森氏やソリストの森麻季さん(ソプラノ),寺谷千枝子さん(アルト)も参加して下さった.各先生方からはお褒めの言葉を頂き,我々合唱団員一同,感動的なひと時を過ごすことができたのでした(この時に知ったのだが,この日飯森先生は体調が良くなかった{お話からノロウイルス感染症と思われた}とのことだったが,とてもそうとは思えなかったのは,やはりプロだからですかね).

Pc210009 レセプションでの飯森範親氏

 そしてレセプション終了後,本来なら2次会になだれ込むところですが,私を含めた合唱団員は,次なるイベント,台湾でのクリスマスオラトリオ公演に向けて,待機していたバスに乗り込み,一路成田空港に向かったのでした.

Pc220017 成田空港に向かうバスに乗り込んだ私とK

 

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2007年12月20日 (木)

マーラー「復活」公演前夜

 (この記事は12月22日に書いています)

 さて,2007年ビザンチン帝国のハイライトともいうべき週末が近づいてきた.それは盛岡で行われるマーラーの交響曲第2番「復活」公演,そしてその後の台湾演奏旅行である.本日20日は21日の復活演奏会のオケあわせが行われる.とはいっても仕事が休みになるわけではないから,仕事が終わってからの参加となる.当地から盛岡まで2時間かかるため,19時からの合わせに間に合わせるためには,遅くとも17時には出発する必要がある.というわけでこの日は朝から気合を入れて,火の玉モードに突入(目の中に炎が燃える星飛雄馬状態),外来から病棟,病棟から検査と目を血走らせて飛び回り,16時30分になんと当座の仕事をほぼ片付けて一路盛岡に出発した.当地から盛岡に行く場合,二戸駅まで車で行って(1時間)新幹線に乗っていくのが速くて確実である.結局18時34分に盛岡駅に到着,会場の盛岡市民文化ホールは目の前である.

 行くとちょうどオーケストラの練習をやっていた.マーラーの楽曲は非常に規模が大きい.当然オケ編制もでかく総勢100人を超える.それに加えて200人規模の合唱団だ.市民文化ホールのステージに全部乗るのか不安だったが,オケピットを上げてステージを拡張することで対応できたようだ.

 そしていよいよ合唱との合わせの開始である.今回の演奏会,オケは東京交響楽団,指揮は飯森範親氏である.飯森氏は写真で見る感じでは私と大して違わない年齢に見えるが,以前の練習で「25年前に盛岡の高校の吹奏楽部を指導したことがある」とおっしゃっていたことから,明らかに私より年上であることが判明し(25年前私は高校生),「えー,若い」と思ったのでした.練習は順調に進み,ダメ出しを経て21時過ぎに解散となった.私はそのまま21時41分の新幹線でとんぼ返りして,外来に残っていた書類の片付け等を行ったのだった(泣).

 さあ,明日はいよいよ本番である(どんな演奏になるのか非常に楽しみであった).

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2007年12月19日 (水)

幕末検定

 職場の売店でこんな本を見つけた.

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 最近各地で検定ものがはやっているが,その一環なのだろう.幕末に関する問題に答えて,その点数によって評価するという企画だ.問題は全部で110問,すべて四択形式である.カテゴリーは

 ① 幕末の人物

 ② 幕末の事件・戦い

 ③ 新選組

 ④ 女・大奥

 ⑤ 生活・風俗

 ⑥ 外国人

 ⑦ 文明開化

 に分かれており,カテゴリー毎に採点してA~Cの評価をつけ,さらに全カテゴリーでの総合評価に進むという評価方法となっている(大学の卒業評価みたい).

 普段幕末愛好家を自負しているものとしては,見逃せない.早速購入してやってみた.問題は簡単なもの(★ひとつ)が3点,中くらいのもの(★ふたつ)が5点,難しいもの(★みっつ)が10点という配分だ.要するに簡単な問題しか解けないとぜんぜん点数が上がらないことになる.順番に回答して採点、さあ結果は!

  総合判定  藩主・家老級

 (上から順に英雄級藩主・家老級奉行級与力・同心級凡民級の5階級)

 うーん,これが今の自分の実力かと納得しつつも,もっと修行せねばと思ったのでした(ちなみに②,③はさすがに高得点だったが,④や意外に①に苦戦した).

 

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2007年12月15日 (土)

赤穂浪士

 昨日12月14日は討ち入りの日だった.旧暦の元禄15年(1702年)12月14日(正確には12月15日未明),元播州赤穂藩家老大石内蔵助以下の浪士四十七人が,本所松坂町の吉良邸を襲撃,吉良上野介義央の首級を挙げた.太平といわれる元禄時代に起こった一大武装闘争事件である.

 仮名手本忠臣蔵の題材になった事件でもあり,現在でも非常に有名である.NHKの大河ドラマ(H.11年の元禄繚乱,S.57年の峠の群像など)や民放の年末時代劇などでもしばしば取り上げられている.ただ非常に有名な事件でありながら,その一方謎の多い事件でもある.

 まず討ち入りの前提になった,前年元禄14年3月14日の江戸城松之大廊下での刃傷事件から謎に満ちている.第一の謎はなぜ浅野内匠頭長矩一があの日松之大廊下で刃傷に及んだかである.一応,浅野が「この間の遺恨覚えたか!」と叫んで,吉良上野介に切りつけたことになっているのだが,江戸城内で刃傷事件に起こすことがどれほど重大なことか,知らない大名はいないはずである.そんな中で事件が起こったのだから,浅野長矩は我を忘れるほど激昂していたことになる.であるから,松之廊下で吉良と浅野が言い争いをしていて,興奮した浅野が切りつけたというなら話はわかる.しかし実際には浅野が不意に吉良に切りつけたようなのである.つまり事件直前に浅野が我を忘れてしまった理由が不明なのである(外で何かがあり,怒った浅野が吉良のもとに飛んでいって切りつけたわけでもないようだ).

 第二に動機である.巷では勅旨供応役を拝命した浅野が指南役だった吉良に賄賂を送らなかったために意地悪をされたとか,赤穂と吉良の塩をめぐる争いだとか言われているが証拠はないようである.結局この刃傷事件は動機もはっきりせず,単に浅野長矩が錯乱して斬りつけただけだったという説もある.

 しかしこの刃傷事件の結果,赤穂浅野家は改易となり,藩士は路頭に迷うことになった.その後紆余曲折を経て,翌元禄15年12月14日の討ち入りに至るのだが,ここにも謎はある.刃傷事件の後同年8月に吉良が突然幕府から屋敷の移転を命ぜられていることだ.

 元々吉良邸は江戸城に近い呉服橋(JR東京駅付近)にあったのだが,この命令で本所松坂町に転居となった.ここはJR両国駅の近くで,今では都心といった感じだが,当時は江戸のはずれの雰囲気で,かなり寂しい所だったらしい.これは何を意味するのか.直前に吉良義央は隠居しており,隠居に伴う移転ということも考えられる.しかし旧赤穂藩士の襲撃がウワサされている時期でもあり,幕府が討ち入りをさせるために転居させたとも取れるのである(郊外であれば他人の目にも触れにくい).

 結局当日浪士たちは,幕府の捕り方に誰何されることもなく,吉良邸討ち入りを行うことができたのであった.

 ちなみに浅野=善玉,吉良=悪玉という構図は後の仮名手本忠臣蔵によって確立した概念であり,必ずしも史実ではない(たとえば地元赤穂の領民の間での浅野家の評判は芳しくなく,逆に吉良上野介の領地での評判は良かったらしいとか).

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2007年12月12日 (水)

置き字

 いわゆる漢文に置き字と呼ばれるものがある.これは漢文を訓読(日本語として読む)する際に読む必要のない文字のことである.あくまで訓読の際に不要というだけで,決して無意味な文字というわけではない.

 例) 「朝聞道夕死可矣」 訓読 「朝ニ道ヲ聞カバ、夕ベニ死ストモ可ナリ」.この場合最後のが置き字ということになる.

 なんでこんな話題を出したかといえば,仙台市の泉区にある「七北田」という地名を思い出したからである.なんと読むかといえば,”ななきた”,漢字と見比べるとわかるが,最初の二文字ですでに完結している.「七北」で十分であり,最後の「田」は読む必要のない文字となっている.そのため昔仲間内では七北田の最後の田の字は置き字だなどと言っていた(笑).実際に「七北田」を”ななきた”と読める人は少数派である(”ななきただ”とか”ななきたでん”とか呼ばれることもあった).

 そういえばフランス語で母音が付かない語尾の子音は発音しないが,これも一種の置き字なのだろうか.

 例) étudiant(男子学生 エトゥディヤーンと発音し,最後の t は発音しない.ちなみに女子学生になると étudiante と最後に母音が付くため,エトゥディヤーントになる)

 世界に広がる置き字ワールドである.

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2007年12月10日 (月)

コスプレ忘年会2007

 例年忘年会で扮装している私ですが,今年は屋外ロケに繰り出して,撮影した写真をストーリー仕立てで発表しました.その写真集を公開いたします.

  三陸鉄道999(ビザンチン美術館)

 実際にやったのは医療系のネタを交えたものだったんですが,内輪ウケの世界なので,ここでお見せするのは一般向けに再編集したものです.

Pc100002 やり残したネタを実現するため,最後の準備をしています.

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2007年12月 9日 (日)

そばの「きんじ」

 この週末盛岡に出かけた.土曜日は職場に関連した団体の忘年会,日曜日は今月21日に行われるマーラーの「復活」の練習のためである.

 当地から盛岡に出る場合,二戸から電車に乗って行く方法があり,今回はそうすることにした.しかし駅に着いた時間が中途半端だったため,待ち時間が発生してしまった(二戸駅では大体新幹線が1時間に1本弱,在来線もほぼ1時間に1本である).そこで,かねてから行ってみたかった駅前の蕎麦の店「きんじ」に立ち寄ることにした.

Pc080009 二戸駅東口前にある「きんじ」です

 岩手県北部は気候が厳しく,元々稲作には向かない土地である.その代わり蕎麦の産地としては有名で,結構蕎麦が旨いのだった.この「きんじ」も岩手では知られたお店である.私が訪れたのは丁度昼下がりだったため,店内は空いていた.ざる蕎麦と冷酒を注文する.壁には”新そば”の文字が.そうこの地域では新そばの登場が南のほうに比べて遅いのだった.待つこと10分,蕎麦がやってきた.当然地元産の蕎麦粉を使った手打ちの蕎麦だ.麺は細く,やや表面がザラッとしている(殻も少し入っているらしい).香りもよくとても美味な蕎麦だった.一緒に頼んだ冷酒,地元の「南部美人」もとてもすっきりして美味しかった.幸せな気分になって店を後にした私でした.

Pc080005 「きんじ」の店内には”新そば”の文字が

Pc080007 今回はざる蕎麦を注文しました

 その後盛岡で恒例の大忘年会に参加したのだった.

Pc080012_2

忘年会の会場にて.左の二人は他所の団体の人です.

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2007年12月 8日 (土)

コンスタンチヌス(BlogPet)

きょうはコンスタンチヌス21世と発見しようかな。
コンスタンチヌス21世は倦怠してくれるかな。

*このエントリは、ブログペットの「アロイジア」が書きました。

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2007年12月 4日 (火)

復活とクリスマスオラトリオ

 今年の12月はイベントが多い.忘年会ももちろんだが,音楽関係のビッグイベントが2つもある.ひとつは12月21日に盛岡市民文化ホールで行われるマーラーの交響曲第2番「復活」の演奏会,もうひとつがその2日後に台湾で行われるバッハのクリスマス・オラトリオの演奏会(第1部~第3部)だ.

Img282 マーラー交響曲第2番「復活」演奏会のチラシです.

 マーラーの「復活」は指揮者が飯森範親氏,オケが東京交響楽団である.ワーグナー以降の作品であり,オケの規模もすこぶるでかい(なんとホルン,トランペットが10本も出てくる! ステージにオケ・合唱団が全員乗るのか心配).演奏時間80分,全5楽章からなり第5楽章に合唱が登場する.普段バッハやヘンデルなど18世紀くらいの作品を中心にやっている者にとっては,ドイツ後期ロマン派の重厚な雰囲気に感動を覚える.曲も次の音が想像できないなど(バロックの作品の場合歌っていると,次の音は大体想像がつく),当初戸惑うことが多かったが,練習しているうちになじんできた感じだ.この感動的な大曲,当日どんな演奏になるか楽しみである.

 そしてもうひとつの企画,12月23日に本番のクリスマス・オラトリオは指揮がG. シュマルフス氏,オケは台湾のエバーグリーン交響楽団だ.会場は台湾の台北である.昨夜(12月4日)盛岡で本番の指揮をするG. シュマルフス先生を迎えての練習があり,私も行ってきた.練習できる時間は少ないが,悔いが残らないように頑張りたいものだ.

Pc040004
盛岡での練習終了後帰り道にて.冬型の気圧配置に覆われた平庭峠は雪で,気温はなんとマイナス6℃でした(寒).

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2007年12月 2日 (日)

忘年会の季節

 いよいよ12月に突入した.12月といえば忘年会である.例年忘年会では皆が私の扮装に期待しているらしい.昨年は職場の仲間と2人で,坂本龍馬と新選組の絡みをやった(S&Wが不発でかっこよく決まらなかったが).今年はなにをやろうかと考えていたのだが,今年ウチの職場に強力な新人が入ってきた.これがなんと,身長170cmの女性!キャー,こりゃやるしかないと以前からやってみたかったネタを実行することに.幸い協力が得られることになり,今年は屋外ロケを敢行し,忘年会当日にその模様をスライドショーとして公開しようということになった.本日当地は晴れだったので,当直明けの眠い目をこすりながら大ロケーション大会をやってきました(あー面白かった).忘年会は来週なので,今週いっぱいかけて今日撮影した写真の編集をしようと思います.

Pc020042_2 当地近くの某鉄道某駅にて(職場の人には内緒だぞ 笑)

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2007年12月 1日 (土)

今夜は当直

 今夜は当直です.今年はインフルエンザが例年より早く流行する兆しがあると報道されていますが,当地にはまだ出現していないようです.その代わり,いわゆる普通の風邪は結構はやっているようです(例年だとインフルエンザ冬休み明けから一気に流行します).

 感冒は基本的に特効薬はないため(世間に出回っている”風邪薬”はあくまで風邪の諸症状を緩和するための対症療法薬に過ぎず,これによって風邪が治るわけではない),栄養のあるものを食べて,しっかり休むことが大切です(それからうがいも).

 果たして今夜は何時間寝られるでしょうか….

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