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2007年11月 6日 (火)

天狗党終焉の地

 この週末敦賀に行ってきた(他にも用事があったのだが…).敦賀は日本海に面した港町,越前がになどの海産物で知られている.歴史的には戦国時代の元亀元年(1570年),当時越前を支配していた朝倉義景を攻撃した織田信長の軍勢が,同盟者であった浅井長政の裏切りで挟み撃ちとなり,危機に陥った場所として有名である(金ヶ崎城).また関が原の戦いで西軍に与して戦死した大谷吉継が支配した土地でもある.近代以降は大陸に向けての海の玄関口として知られ,第2次世界大戦では在リトアニア領事代理だった杉原千畝氏が発給した日本の通過ビザ(いわゆる”命のビザ”)を持った大勢のユダヤ人達が長旅の末,上陸した土地でもある.

Pb040231 旧敦賀港駅舎です.今は杉原千畝氏に関する展示などがあります.

 こんな敦賀であるが,幕末史では水戸天狗党終焉の地として歴史に名を刻んでいる.水戸天狗党については以前の記事(幕末の水戸藩)を参照していただきたいが,幕末の尊皇攘夷思想のオピニオンリーダーだった水戸藩のなかでも,もっとも過激なグループのことである.創成期の新選組の局長だった芹澤鴨も一時所属していたと言われている.

Pb040165 天狗党の首領となった水戸藩家老の武田耕雲斎の像です

 元治元年3月,一向に攘夷を実行しない幕府に対して藤田小四郎(藤田東湖の子)を中心とする天狗党は筑波山で挙兵した.後に水戸藩家老の武田耕雲斎を首領に据えた一行は,当時将軍後見職であった一橋慶喜(前水戸藩主徳川斉昭の子)を通じて自らの赤心を朝廷に訴えるべく京都を目指した.

 雪の降る山中を行軍すること約50日,ようやくのことで越前の国新保(今の敦賀市)に辿り着いた一行を待ち受けていたのは,幕府の大軍と,彼らが頼みとしていた慶喜自身が追討軍の指揮を執っているという知らせであった.慶喜に弓を引くことはできず,武田耕雲斎は降伏を決意,12月17日一行は所在の加賀藩に投降した.

Pb040186 このような鰊倉一棟に50~60人が収容されたそうです.

 当初加賀藩の永原甚七郎は天狗党を寛大に扱い,翌元治2年の元旦には酒もふるまわれたという.しかし1月29日に身柄が加賀藩から幕府若年寄の田沼意尊に渡されると扱いは一変する.田沼は天狗党一行を肥料用の鰊倉に押し込めたのだった(幹部級以外は皆手枷足枷をはめられた).倉では暖房や布団もない寒さと魚の異臭から,体調を崩す者が続出したという.その後ごく簡単な取調べが行われただけで,2月4日から首領の武田耕雲斎,藤田小四郎以下300人以上が一挙に死刑になったのである.

Pb040161 2月4日から5回に分けて処刑が行われたようです.

 これが元治元年から翌2年にかけての天狗党の乱であるが,いくら激動の時代とはいえ,これほどの大量殺戮は例がなく,この始末には当然世間の非難が集まった.新選組総長の山南敬助が同じ月に脱走,切腹しているが,この天狗党の始末に絶望したため(彼は新選組主要メンバーの中ではもっとも尊攘派だった)という説がある(通信事情の悪い当時,山南が天狗党の大量処刑を知りえたかは疑問であるが…).

Pb040166 武田耕雲斎以下,天狗党のお墓です.

 天狗党が処刑された来迎寺周辺には,現在彼らを祭った松原神社があり,武田耕雲斎以下のお墓や天狗党が収容された鰊倉の一棟が水戸烈士記念館として保存されています.

Pb040237 敦賀といえば,気比神社も有名です.

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コメント

ビザ皇帝様、こんばんは!

福井は、東尋坊ぐらいしか行った事ないんですが、皇帝様のレポを読んでいるうちに、敦賀にも興味でてきましたね(笑)

自ら投降した天狗党は、慶喜にしたら、元の家臣ですよね? 
処分緩和の上申もあったでしょうに、それにもかかわらず断罪を決行とは・・・。
日本を支えるべく人間の血も涙も感じられない無慈悲さは、尊攘派にとって裏切りとしか思えなかったでしょうね。

山南さんがこの情報を知ったとしたら・・・・幕府に絶望して、脱走の決意をした、というのもうなずけます。  
うーん、歴史のスキマ(笑)って、面白い。

投稿: 風雅 | 2007年11月 7日 (水) 20:53

 風雅さんこんばんは,東尋坊や永平寺で有名な福井ですが,敦賀もなかなか見どころが多いと思います(敦賀ラーメンなんてのもあるようです).
 天狗党の乱によって水戸藩の有為な人材はほとんど失われてしまい,明治になってから水戸出身の政府高官は一人もいなかったそうです.その原因を作ったのが,同じ水戸出身の徳川慶喜だったというのも歴史の皮肉でしょう.歴史で慶喜の評価が低いのも,自分を信じてくれた人々を非情に切り捨てる姿勢にあるような気がします(この天狗党のみならず,立場は違いますが会津藩や新選組も慶喜に切り捨てられたといえます).
 ちなみに山南敬助が切腹した元治2年2月23日は天狗党の処刑が行われた最後の日にあたるようです(記事の4番目の写真より).

投稿: ビザ皇帝 | 2007年11月 7日 (水) 23:50

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