小泉八雲
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先日昔の学食の記事を書いた.何せ昔のことであり,しかも場末の雰囲気に満ち満ちた食堂であることと,教養部が廃止されたことで,もう存在しないんだろうと勝手に思っていたのだが,実はまだあるらしいことを知り,これは是非行かなくてはと思っていた.とはいえ,相手は学食,平日しかやっていないという大きな問題が….
しかーし,そんな私に大チャンス到来! 10月30日は所用で盛岡へ,ついでに件の学食に行けばいいじゃないかと.東北新幹線はやての開業によって,盛岡-仙台間はわずか40分の距離である.こりゃ行くしかないと,早速出かけてきました.
朝一の新幹線で一路仙台へ,仙台駅からタクシーに飛び乗り,「川内郵便局まで」と告げる.川内郵便局の向かいが目指す学食である.ワクワクしながら走ること10分,ついに到着した.
昔懐かしの貧食です.外観はほとんど変わっていません.
懐かしの教養部第2食堂(今は川内第2食堂というらしいです)は昔のままの外観だった.周辺に自転車が山になっているのも相変わらずだ.中に入ると,開店間もない店内はひっそりとしている.とはいえ,若干の客はあったが相変わらず男ばかりだ(昔からその場末の雰囲気から女子学生の寄り付かない学食ではあった).以前はすすけた感じだったが,内装は新しくしたのかなんとなく明るく感じる.
カウンターからおばちゃんに20年ぶりに来たことを告げると,「いやー,よく来たね」と歓迎された.話によると,私と同じように懐かしがってやってくる人が結構いるらしい.「今でも貧食ですよ」と楽しそうである(この学食,値段が劇的に安く.当時から学生の間で”貧民食堂=貧食”と呼ばれていた).
昔は固定メニューでしたが,今は週代わりになっているそうです.
肝心のメニューはといえば,以前は固定のメニューだったが,今は週代わりになっているとのこと.私の目当ては,昔懐かしのチキン辛口カレーとインドカレーだったが,残念ながら今週はメニューに入っていないとのことだった.しかしスーパー激辛カレーというのがあり,これはルーや具はチキン辛口と同じで,辛さが増したものだということで,それを食することにした.ついでにおばちゃんのお薦めで,普通カレーのルーも頂くことにした.スーパー激辛カレーと普通カレーのルー,あわせて325円,やっぱり安い!さすが貧食だ(今週のメニューを見たら,20年前に220円だったおふくろカレーの大盛りが283円になっていたからこの20年で63円値上がりしたことになる.端数があるのは消費税導入の影響だろう.なにせ20年前は消費税がなかった!).
これがチキン辛口カレーをさらに辛くした,「スーパー激辛カレー」です(名前ほど辛くは感じませんでしたが…,褐色の福神漬けが昔と変わりません 懐).
そして20年ぶりに食したカレーの味は…,「嗚呼,旨い!」であった.所詮は学食であり,ライスの方はたかが知れているのだが,ルーの方はハイレベルなのであった(下手なカレー屋よりも旨いんじゃないか).かくして今度はぜひともインドカレーが食べたくなったのだが,おばちゃんは「いつ来るのか決まってたら,その週をインドカレーにしとくよ」と言ってくれた.噂によると,新しい地下鉄駅建設の関係で,貧食も来春で閉店になってしまうらしい,閉店前にぜひまた来なくてはと心に誓った私であった.
追伸: その後とんぼ返りで盛岡へ,何事もなかったかのように仕事に入った私であった.
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最近朝夕など,めっきり冷え込んできた.そうなると登場してくるのが鍋だ.
我が家は無類の鍋好きゆえ,秋から冬にかけては食卓に鍋が登場する機会が多い.寄せ鍋,キムチ鍋などとならんでの定番メニューにきりたんぽ鍋がある.隣県秋田の名産品で,棒にご飯を竹輪のように巻き付けて焼いたものである.見た感じも竹輪そっくりだ.これを醤油味スープに鶏肉や野菜といっしょに煮込むと,これが実に旨い(同時に飲む日本酒がまた最高).昨日は今シーズン初のきりたんぽ鍋となったのであるが…
近所のスーパーに行ってきたKの話しでは,いつも愛用していたきりたんぽ鍋用のスープが撤去されていたと言う.どうやら今問題になっている比内地鶏の偽装事件の影響らしい.別に比内地鶏にこだわって使っていたわけではなかったが,問題のメーカーの製品だったとは知らなかった.事件の裾野の広がりに驚いたのだった.
というわけで,この日はオリジナルスープのきりたんぽ鍋となったのでした.
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ものすごく久しぶりのビザンチンネタ.
最近このブログのアクセス解析で,「東ローマ帝国 BS i」というキーワードが急増している.なんだろうと思って調べてみたら,どうやらBS i で”東ローマ帝国~繁栄と滅亡・皇帝たちの軌跡~”の再放送が行われているらしい(いったい何度目の再放送なんだろう).今回は毎週木曜日の夜8時から放送しているようだ.
BS i の”東ローマ帝国~”は中世に東西世界の中間にあって,1000年の長きにわたって存在し,繁栄と衰亡を繰り返した大帝国(東ローマ帝国)の物語である.東ローマ帝国とは,このブログのタイトルにもなっているビザンチン帝国とほぼ同義語である(ビザンチン帝国の歴史についてはHPの私の拙文ビザンチン帝国についてを参照下さい).普段ビザンチン皇帝を名乗っているものにとっては見逃すことのできない番組で,私も以前の放送を録画したものを時々見ている.番組は全5回のシリーズで,帝国史上重要な役割を果たした皇帝にスポットをあてた構成となっている.当時の帝国の中心部であったトルコやギリシャはもちろん,イタリア,ウクライナなど周辺国にも取材し,豊富な映像をちりばめた造りとなっており,TBSの木村郁美アナの司会で,一橋大学の大月康弘教授(本放送時は助教授)の解説,さらには夏木マリ氏の朗読を交えながら進行していく.全5回の構成は
第1話 もうひとつのローマはこうして作られた
都をコンスタンチノープルに移したコンスタンチヌス1世の話である.当時4分割されていたローマ帝国の中で,コンスタンチヌス1世が当時は異教とされていたキリスト教を取り入れ,帝国の覇権を争うトーナメント戦に勝利して,帝国を再統一し,やがて東の地に新しい都コンスタンチノープルを建設する様子を描いている.
第2話 最強の皇帝が残した華麗なる芸術
西ローマ帝国の滅亡後,地方の農民出身でありながら,志を掲げて都に上り,軍人として活躍し,ついには皇帝にまで上り詰めた6世紀のユスチニアヌス1世の物語である.内政的にはニカの乱など波乱含みでもあったが,后妃テオドラの助けもあり,彼の時代に帝国はその最大版図を記録した.文化的にも国内各地にモザイク画が作られた.
第3話 帝国の黄金期に潜む陰謀と策略
帝国の最盛期である10~11世紀のマケドニア朝の諸皇帝の話である.元々ビザンチン皇帝位は必ずしも世襲ではなく,運と実力があれば誰でもなることができた.しかし社会が安定してくると,次第に血統を重視する考えもでてくる.そして血統と実力を兼ね備えた皇帝バシレイオス2世が登場し,帝国は最盛期を迎えた.
第4話 十字軍に救いを求めた大国の誤算
12~13世紀の十字軍の時代である.11世紀後半小アジアにセルジュク・トルコが勃興し,国内では内乱が起こるなど帝国は危機を迎える.この時久々に軍人から皇帝になったアレクシオス1世は国内の政治体制を一新するとともに,西方世界に救援を求めた.こうして十字軍が始まり,その間隙を縫って帝国は勢力を盛り返した.しかし,それはまた滅亡の始まりでもあった.
第5話 滅びゆく「全世界の支配者」
14~15世紀のパライオロゴス朝の諸皇帝の物語である.かつての栄光を失い小国に転落した帝国に,東から新興国家オスマン・トルコの脅威が迫る.滅亡の危機の中,皇帝マヌエル2世,ヨハネス8世は西方に救援を求める旅に出た.しかし援軍はなく,帝国はついに最後の日を迎える.
東ローマ帝国(ビザンチン帝国)最後の皇帝コンスタンチヌス11世(私の先祖です ウソ).
昨日はこのうち第3話の再放送(再々々々放送くらいか)であり,久しぶりにじっくりと見たのでした.
追伸: BS-i はTBS系である.TBSといえば最近の亀田家騒動を始め,ゴルフの石川遼選手の肉声盗聴未遂事件,朝ズバでの不二家捏造事件などブラックな話題が豊富な放送局である(古くはオウムビデオ事件や石原都知事の発言捏造事件なんてのもあった).しかし,BSの世界ではBS-i はこの「東ローマ帝国~」をはじめ,良質な番組を多く放送していると思う.このギャップは何なのだろうか.関わっているスタッフが違うのだろうが,BSではあまり視聴率を気にしなくてもいいからだろうか(だから思い切った番組が作れるのか?).地上波のTBSの惨状とBS-i を比べると,とても同じ系列とは思えないのだった.
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先週末はフリーの週末でした.どこか遠くに出かけようかとも思いましたが,土曜日に盛岡で学術講演会があったためあきらめました.こういう会に参加して,最新の知見等を知ることは,仕事上極めて重要だからです.今回のテーマは「頭痛」と「認知症」,臨床の最前線で活躍されている先生方の貴重なお話を聞くことができました.
そういうわけで土曜日は講演会に参加したのですが,翌日せっかくだからとJR山田線に乗ってみることにしました.山田線は支線の岩泉線と併せて,全国屈指の秘境路線として,またキハ52,58系が現役で走っている路線として,いわゆるテツの人気を誇っている路線です.私は自分の母親が山田線沿線の川井村出身ということもあり,幼少の頃はよくこの山田線に乗った記憶があります.懐かしさとキハ52系,58系がまもなく現役引退というお話で(キハ58の方は丁度講演会のあった20日が最後,キハ52は11月24日がラストランのようですキハ52系気動車ラストラン記念列車運転),マイルド鉄スーパーライトの私も,なくなる前に一度乗っておこうと考えた次第です.盛岡近郊のJRが一日乗り放題のホリデーパスを購入し,13時46分発の宮古行き快速リアス号に乗車しました.
(左)キハ52の2両編成のリアス号です.(右)これは盛岡赤鬼色というそうです.
山田線は盛岡から北上山地を横断して宮古に至り,そこから三陸沿いを南下して釜石に至る全線約160キロの路線です.宮古からは三陸鉄道北リアス線,釜石からは同じく南リアス線に接続して,いわゆる三陸縦貫鉄道を形成しています.山田線の名称の由来は,宮古-釜石間に存在する山田町からきていると思われます.一口に山田線といっても,盛岡-宮古間と宮古-釜石間では様相が全く異なります.宮古-釜石間は普通のローカル線といった趣で,運行本数もほぼ1~2時間に1本,1日10往復が運行されています.それに対して盛岡-宮古間は通しで走る列車は1日4往復しかありません.この路線が秘境路線と呼ばれる所以です.
(左)キハ52 143の名前が,もう1両はキハ52 154でした.(右)決して込んではいませんがそれなりに乗っています.
私が乗った午後の快速リアスはキハ52の2両編成で,乗客は50人ほどいました.13時46分定刻に列車はゆっくりと走り始めます(出力が足りないため,電車のような加速は全く期待できません).盛岡駅から北に向かい,まもなく東北本線と分かれて東に進路を取ります.北上川を渡って住宅地の中を走り,まもなく上盛岡駅に停車しました.上盛岡駅は県立中央病院や岩手大学などの近くです.ここで数人乗って来た人がいました.
(左)北上川を渡河します.(右)上盛岡駅
上盛岡駅をゆっくりと出発し,再び住宅地の中を走り,愛宕山のトンネルをくぐると,まもなく2つ目の駅山岸駅に到着です.ここも住宅地の中の駅です.ここでは乗り降りする人はなく,再び走り始めます.山岸駅を過ぎると徐々に住宅が減り,田んぼや林が多くなってきます.勾配も徐々にきつくなり,ディーゼルエンジンのうなり声が大きくなります.周囲を見ると,所々に三脚に立てたカメラを構えている人の姿があちこちに見えました.まもなく引退の車両を撮影しようというのでしょう.しばらくそんな田園地帯を走った後,3番目の駅である上米内駅に到着です.上米内は駅員もいて列車交換も可能な駅です.新興住宅地の近くにあって,通勤通学に少しは需要があるようです.この日もここで降りた高校生がいました.
上米内駅を過ぎると,周囲は一気に山岳地帯の様相を呈してきます.もはや田んぼや畑などの人跡はなくなり,あたりは山と森と源流(上流の澄んだ川)のみの世界です.勾配もかなりきつく,ディーゼルカーは黒煙を吐いてあえぎながら登っていきます.山はかなり険しく,トンネルと鉄橋が次々と現れます(駅間に5~10ヶ所ものトンネルがあります).途中には秘境駅で有名な大志田駅,浅岸駅がありますが,リアス号はそのまま通過して行きます.浅岸駅を通過していくつかトンネルをくぐると,周囲は次第に開けた感じになり,エンジン音も次第に静かになってきます.ここが北上山地の分水嶺になる区界駅なのでした.
(左)秘境駅で有名な大志田駅です(2006年夏に撮影).(右)大志田駅を通過した赤鬼色の列車です(2006年に撮影).
区界駅は駅員が配置されており,列車交換に使われる駅です.山田線のほとんどの列車が停車する駅ですが,なぜかこのリアス号は停車せず,そのまま速度を落として通過していきました(ここでもカメラを構えた人がいた).区界駅を過ぎると,周囲の景色は大きく変化します.区界までは人跡の乏しい山岳地帯でしたか,ここからは国道106号線や閉伊川と並行して,集落が点々とする農村地帯を走ることになります.宮古まで今度は下る一方なので,エンジン音も静かです.てっぺんの尖がった兜明神嶽(標高1005m)を左手に見ながら高原地帯を列車は進んでいきます.久々にトンネルのない区間をしばらく走って,松草駅を通過します.
松草駅を過ぎると,周囲は再び山の様相になります.山田線・106号線・閉伊川が並んでカーブしながら美しい渓谷の中を走っていきます(再びトンネルも増えてきます).山間部の平津戸駅,川内駅,箱石駅を通過して,15時12分陸中川井駅に停車しました.考えてみれば14時1分に上米内駅を出発してから1時間以上も停車していなかったわけで,リアス号は特急列車並みの運行スケジュールで走る快速列車なのでした(笑).陸中川井駅は川井村の中心駅というだけあり,結構開けており,駅前にはタクシーも停まっているようでした.ここでも若干の人の乗降があったようです.
陸中川井駅を出発すると,再び山間の中を走り,村境を越えると宮古市に入ります.とはいってもここは旧新里村といって,平成の大合併で宮古市になったところです.しばらく走って腹帯駅を通過し,まもなく茂市駅に停車します.茂市駅は旧新里村の中心駅であり,岩泉線の出発駅でもあります.私が乗ったリアス号が茂市に着いた時,向かいのホームには出発を控えた岩泉線の1両きりのディーゼルカーが停まっていました.
宮古も目前の花原市駅です.
茂市駅を過ぎると周囲は徐々に開けてきて,田んぼや人家も増えてきます.蟇目駅を経て,花原市駅を過ぎるとコンビニやスーパーの姿も見られるようになります.千徳駅を通過すると終点宮古駅はもうすぐなのでした.
宮古駅に着いた私はリアス号を降りると,そのまま向かいのホームに停まっていた盛岡行きの普通列車(1両きりのキハ52国鉄色)に乗り換え,盛岡に戻ったのでした.
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グリグリさんの都道府県市区町村というサイトに経県値&経県マップというコーナーがあります.自分が居住したり訪問したことがある都道府県を点数化しマップにしたりできるものです.面白そうなので私もやってみました.
居住したことがあるのは北海道,青森,岩手,宮城の4道県(5点×4 計20点)
宿泊したことがあるのは秋田,福島,山形など23都府県(4点×23 計92点)
訪問したことがあるのは茨城,埼玉,石川など14府県(3点×14 計42点)
降り立ったことがあるのは熊本,大分の2県(2点×2 計4点)
通過したことがあるのが佐賀県(1点×1 計1点)
行ったことがないのが長崎,宮崎,沖縄の3県でした.合計点数は159点.これが多いのか少ないのかはわかりませんが,結構歩き回っているなと思う反面,大阪や兵庫に宿泊したことがないという意外な事実に驚いたのでした.
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今年のひのパレでご一緒させていただいた”そうさんのブログ”で,学食の話題が出ていた.とても懐かしいので,私も学食の話題を.
私が青春時代を過ごした東北大学の教養部に「第2食堂」という学食が存在した.第2食堂というからには,当然第1食堂も存在して,こちらはカフェテリア形式の普通の学食であった.一方の第2食堂は主としてカレーライスに特化した学食である(他にもピラフやスパゲッティなども一応あったが).この学食,キャンパスの西端に位置して,まるで廃墟のようなボロい建物であった(大型の台風に襲われたら建物ごと吹っ飛んでしまいそうな感じ).その場末の雰囲気から女子学生は寄り付かず,もっぱらムサクルシイ男ばかりが集まっていた(値段の安さと場末の雰囲気から”貧食”(貧民食堂の略)などと呼ばれていた).しかし,その外観とは違ってこの学食,まるでカレー専門店のような豊富なラインナップを誇っていた.思い出すままに綴ってみると…(値段は昭和60年頃)
普通カレー 具はタマネギと肉の切れ端のみというもっとも貧弱なカレー
値段 (大盛り)200円,(普通盛り)170円,(小盛り)140円
おふくろカレー 普通カレーにジャガイモとニンジンが加わったもの.1番世間のカレーに近いか?
値段 (大盛り)220円,(普通盛り)190円,(小盛り)160円
チキン辛口カレー 私がもっとも好きだったカレー,前2種とは異なった辛口のルーをベースに,具としてチキン(切れ端ではない!),タマネギ,マッシュルームが入っている.
値段 (大盛り)230円,(普通盛り)200円,(小盛り)170円
インドカレー これまた異なったルーを用いたカレー.結構コクがあって妙に高級感が漂っていた.仲間内でこれを食っているヤツがいると,「今日はリッチだな」などと言っていた(大盛り260円でリッチも何もないのだが 笑).
値段 (大盛り)260円,(普通盛り)230円,(小盛り)200円
その他セイロンカレー,タヒチカレーなんてのもあったような気がするが余り覚えていない(季節モノだったか? セイロンカレーはかなり辛いカレーで黒っぽいルーだったような気が…).ちなみに私のメインメニューは普通カレー大盛り(200円)+テトラパックの牛乳(45円)+キャベツ盛り(30円)=275円でした.
ちなみにこれは,本部のある片平キャンパスの公孫樹(イチョウ)食堂にしばらくの間架かっていたVOWな看板です.ラメーンって何?と当時一世を風靡しました(HPに関連記事があります 笑).ちなみに私の隣の黄色い看板も結構VOWです(笑).
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今日外来で感動した出来事があった.
ウチの外来では初診の患者さんに問診表を書いてもらっているのだが,その中に受診に至ったワケや症状などを自由に書いてもらう欄がある.患者さん自身の言葉で書いてもらうことによって,意外なことが判ったりするからである.
本日初診した若い患者さんの問診表に次のように書かれていた.
「目の前がチカチカして,視野が狭くなる.
その後ひどい頭痛が起こり,嘔吐する.」
実はこれ,典型的な片頭痛(migraine with aura)の症状なのである.片頭痛とは一般に頭部の半側が,拍動性に痛む頭痛で,頭痛の程度は強く,悪心・嘔吐を伴うことが多い.また光や音刺激で痛みが悪化する傾向も見られる(光・音過敏).また典型例では頭痛に先立って前兆が見られることも知られている.若年の女性に多く見られ.日本人の7~8%が持っているとも言われており,決して珍しい頭痛ではない.しかし発作間欠期は全く症状がないために医療機関を受診したことのない人も多いようだ.原因として脳を包んでいる膜(硬膜)に分布する血管周囲に起こった炎症が,三叉神経(主として顔面を司る感覚神経)を刺激して脳に至り,痛みとして認識されるという説(三叉神経血管説)が有力である.
今日の患者さんの問診表は,まさに教科書に出てくるような,片頭痛のアナムネ(病歴)なのだった.
追伸: 現在では片頭痛に対しては,発作を頓挫させるトリプタンと呼ばれる薬が使用されます.
もっとも古いトリプタンである,スマトリプタン(商品名イミグラン)の内服薬です(この他に注射薬と点鼻薬もあります).
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昨日10月16日は沿岸中部の宮古市に出張だった.当地からは約80km離れている.自家用車でいく手もあるのだが,今回は三陸鉄道を利用することにした.
三陸鉄道は沿線住民の悲願だった三陸縦貫鉄道を完成させる路線として,昭和59年に営業を開始した.路線は盛駅(大船渡市)から釜石駅(釜石市)を結ぶ南リアス線と宮古駅(宮古市)と久慈駅(久慈市)を結ぶ北リアス線の2路線である.この三陸鉄道と当時国鉄だった八戸線,山田線,大船渡線,気仙沼線などが合わさって,仙台から八戸までの三陸沿岸が鉄路で結ばれたのである.今でも時々,仙台から八戸までの三陸海岸直通列車「リアス・シーライナー号」が走っている(新幹線だと1時間半しかかからない仙台-八戸だが,ほぼ全線が単線かつ非電化の三陸沿いを走るとなんと10時間もかかる.このためビジネスには使えない).
車掌のいないワンマン運転です(バスのように乗り降りの際に料金を支払います).
全国初の第三セクターによる鉄道として注目を集め,開業当初は業績も良く黒字を計上していたが,利用客の減少から近年は赤字経営となってしまっている.このままでは廃止という話が現実化する可能性もあり,会社を挙げて利用促進キャンペーンを行っている(曰く,沿線住民30万人が1年にあと1回多く,三陸鉄道を利用すれば黒字に転換できるのだそうだ).そんなわけで,存続に力を貸すべく,私も乗車した次第である.
三陸というと,一般にはリアス式海岸の豪快な風景をイメージする人が多いと思われるが,実をいうと三陸鉄道からはあまり海が見えない.これは列車というものが基本的に急カーブになじまないため,ノコギリの刃のように入り組んだ海岸沿いを走ることは不可能だからである.ただところどころに海が見えるビュースポットがあり,そこではわざと列車を減速して見せるなど,観光客への配慮も伺える.自販機が設置され,座席も2人掛けシートもあるなど車両環境も一般のローカル線よりは充実しており,利用してみるとなかなかいいのではないかと思ったりした(とはいえ,ガラガラ状態であったが…).所要時間も久慈-宮古間で1時間半と,自家用車よりは速いと思う.
そんなわけで,三陸にお越しの際は三陸鉄道も利用してみて下さい(毎週末には盛岡から山田線・三鉄北リアス線直通久慈行きの「さんりくトレイン北山崎号」も走っています.全国屈指の秘境路線山田線をカラフルななイベント列車が走るという違和感が素敵です 笑).
追伸: 宮古での用事が終わったあと,今度は別用で盛岡に向かった.本当は山田線で行きたかったのだが,時間があう汽車がなく(宮古発盛岡行きが9時17分の次がなんと!15時49分 さすが秘境路線),やむなくバスで行きました.
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鉄道記念日の10月14日,私はオンコール(急な呼び出しに対応する係)のため,遠出はできず,家と病院をブラブラしていた.
ところでウチのKはお茶の教室に通っているのだが,実は今日地域の文化祭みたいなものがあり,そこで茶席を設けるから来てくれと言われた.できれば和装で来て欲しいという.和装かぁ,私も時々和装をするが,私の持っている着物は新選組衣装など,まともなものではない.まさか新選組のダンダラで行くのも失礼と思い,知らない人が見ると正装にも見える,龍馬紋の着物で出かけることにした(さすがに品位を疑われると困るので,刀やS&Wは持参しなかった 笑).
茶席に出向くと,なにやら着物を着た人たちがたくさんいる.この筋に全く詳しくない私は,畏まって茶菓子を食べ,お茶をいただいたのだった.
追伸: ところでウチのKが「茶道は総合芸術である」(お茶以外にも,掛け軸や茶碗などの美術,お花や菓子など,他の芸術の要素も包括しているためらしい),と言っていたが,要するに和風芸術界のワーグナーということなのか.
諸芸術を総合(aufheben 止揚というべきか)して,従来のオペラ(歌劇)の枠を越えた,楽劇(Musik drama)を作ろうとしたR. ワーグナー
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非常に内容がpoorなのですが,先月行われた2007年しながわ宿場まつりのレポが完成しました.参加された方またはそうでない方も見てやって下さいませ.
ご感想はホームページの掲示板の方にどうぞ.
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6日に上野でオペラを観劇した後,本当なら秋の京都旅行と洒落こむ予定だった.しか~し,8日に盛岡で休めないイベントがあることが発覚したため,予定を変更し,行こう行こうと思って行けないでいた会津に行くことにした.
オペラ終演後上野駅で夕食を摂った後新幹線に乗り込む.郡山で磐越西線(郡山から会津若松を経て新潟に抜ける路線)で会津若松に行き,そのまま駅前のホテルにチェックインした.
翌7日は会津若松観光となるのだが,その前に私にはやるべきことがあった.それは,喜多方ラーメンを食べに行くことである.喜多方ラーメンは俗に三大ラーメン(札幌,喜多方,博多)にも数えられるほど有名なラーメンであるが,一般に小規模な店が多く,人気店などは休日ともなると,ウワサを聞いてやってくる観光客で長蛇の列になることも多い.その一方喜多方ラーメンの店は早朝から営業している処も多いため,観光客がやってこない朝のうちに堪能するというのが,学生時代からの私の智恵である.
そんなわけで,7日は朝6時55分の汽車で喜多方に向かった私でした.
早朝の喜多方駅は朝靄がかかって静まり返っていました.
喜多方ラーメンにはそれぞれ趣向を凝らした店が多いのだが,今回は坂内食堂に行くことにした(ここは朝7時から営業).駅からエッチラオッチラ歩くこと15分,店にたどり着くと外には数台の大型バイクが停まっている.オオッさすがにライダーは朝が早いな,などと感心しながら店の戸を開けると…,なんと既に店内はほぼ満員の盛況だった(2,3席空いていたのでとりあえず待たずに座れたが).「み,みんな,まだ7時半だぞ.こんな朝っぱらからラーメンが喰いたいのか(←人のこと言えるか!)」と思いながら,周囲の人を見渡した.
坂内食堂名物の肉そば,麺が見えないくらいチャーシューに覆われています.
喜多方ラーメンは幅広のモチモチした麺に特徴があるラーメンで,スープの出汁は豚ガラと魚,味は塩・味噌・醤油と店によって様々である.今回私が入った坂内食堂は塩味のスープが特徴で,名物はラーメンが見えないくらいチャーシューが盛り付けられた「肉そば」である.ここのチャーシューは軟らかくなるまで煮込んでいて,とても美味しい.バラ肉なので結構脂っこいが,スープがとてもあっさりしているため,あまりくどく感じないのだった.
かくして朝っぱらからチャーシューたっぷりのラーメンを堪能した」私でした.
追伸: 私が店を出た8時過ぎには既に店の外には行列ができていた.この調子だと昼にはどうなるのか,想像するだに恐ろしいのでした.
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さて,10月6日から8日まで秋の3連休である.2連休でもどこかに出かける私である.3連休なのにどこにも行かないというのはありえないのだった.とはいっても今回は,連休初日の6日に大きなイベントが予定されていたのである.それは,上野の文化会館で行われたベルリン国立歌劇場の引越し公演である.
ドイツの首都ベルリンはウィーンやパリなどと並ぶクラシック音楽のメッカであり,創立から250年以上の歴史を持つ,ベルリン国立歌劇場も世界的に著明なオペラハウスである.旧東ベルリンにあったことから,東西冷戦時代には影が薄かった時期もあるが(西ベルリンにあったのがベルリン・ドイツ・オペラ),ドイツ統一後,あのバレンボイムを迎えてから再び存在感を増してきている.我が家では私もKも大のオペラ好きのため,今回の公演はそれこそ首をキリンのように長くして待っていたのであった.
1991年壁崩壊直後に私が訪れた時のブランデンブルク門です.ここは東ベルリン側になります.
今回我々が鑑賞する演目はモーツァルト作曲の歌劇「ドン・ジョバンニ」である.開演前からすでに大勢の人たちでごった返していた.入り口には大入りの看板も架かっている(関係者に大入り袋が配られたのかは不明).
定刻になり大きな拍手と共にバレンボイムが登場,ゆっくりと音楽が始まった.舞台はというと,さすがはベルリン国立歌劇場,まったく危なげない演奏であった.演出もどちらかといえば保守的なもので,特に最近のザルツブルグ音楽祭などの奇抜な演出に疲れた人間にはほっとするものでした(とはいっても決して古臭い演出ではなく,舞台の奥行きを深くみせる演出は素晴らしいものだった).
追伸: 我々の席から程近い2階席正面最前列に,どこかで見たことがある人がいると思ったら,なんと元首相の小泉純一郎さんでした(日本の元首相とビザンチン皇帝の接近遭遇 笑).オペラ好きとは聞いていたが,まさか来ていたとは….終始楽しそうに観劇しておられました(幕間の休憩時間後,小泉氏が席に戻ると会場内から拍手が…,何も知らない楽団はバレンボイムが出てきたのかと戸惑ったのではと心配してしまいました 笑).
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実は今週の金曜日に大学の講義がある.自分が担当するのは、医学部3年生の神経病学の系統講義のうち「筋疾患,神経筋接合部疾患等」である.昨年も同じ内容の講義をやっているので,その資料を若干手直しをして使おうと思ったのだが……
なんと,データが入っていた職場のPCが今春壊れてデータが消え去っていたことを思い出した.たしかどこかにバックアップがあったはずだが,どこにあるか思い出せない.頑張って探すか,新しく作り直すか決断のしどころである.
とりあえず,今日の夕方までに決めようと思っています.
教訓: バックアップの場所はどこかに控えておきましょう.
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