本能寺の焼け瓦
昨日テッペンカケタカの記事を書いている最中に,信長時代の本能寺のものと思われる遺構が発見されたというニュースが流れていた.
焼けた?瓦出土、本能寺の変「史実を裏付ける貴重な発見」(読売新聞)
1582年(天正10年)6月2日未明に本能寺に滞在していた織田信長は,明智光秀の軍勢に襲撃され寺に火を放って自害して果てたとされている.これが世に言う本能寺の変で,坂本龍馬暗殺などと並ぶ日本史の謎のひとつである.明智光秀が織田信長を襲撃したという点は確からしいのだが,動機に関しては今でも謎とされている.実行者は光秀なのだが,光秀の単独行動なのか,背後に黒幕がいたのかなどもわかっていない.黒幕については,朝廷説,足利義昭説,秀吉説,はたまたイエズス会説,フリーメイスン陰謀説なんてのもある(どうでもいいけどフリーメイスンができたのは18世紀だと思うのだが… 笑).
本能寺はこの変で全焼してしまい,後に別の場所に再建されて現在に至っている.従って信長時代の本能寺の様子はこれまで知られていなかった.しかし,今回の発見によって,当時の本能寺の様子の一部が判ってきたそうである.これまで,本能寺の変で信長側は無防備な状態で光秀軍を迎えたとされていたが,発見された遺構には堀や石垣などもあり,当時の本能寺が単なる寺ではなく,砦の機能も併せ持った施設であったようだ(確かに当時は僧兵などが武装した寺院も多かったから、本能寺に軍事設備があったとしても不思議ではない).
今後の研究が待たれる話であるが,テッペンカケタカの上演と時を同じくしてのこの話題,なんか不思議な縁を感じた私であった.
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コメント
そうなんです。『今』、というのが何だか私達にはとってもタイムリー。
仲間内でも話題になっています。
投稿: 時田 | 2007年8月10日 (金) 05:15
時田さま,本当に絶妙のタイミングですね.皆さんの素晴らしい舞台が,信長の魂と共に本能寺を浮かび上がらせたかのようです(ますますSFタッチになってきた感じです).
投稿: ビザ皇帝 | 2007年8月10日 (金) 14:47