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2007年8月 7日 (火)

テッペンカケタカ

 先週末首都圏に出向いた私でしたが,その目的のひとつが劇団エル・プロダクツ(以下エルプロ)の公演を鑑賞することでした.エルプロはひの新選組まつりの隊士パレードで井上源三郎率いる六番隊の隊士を務めている人たちの劇団で,新選組を初めとする時代物を数多く取り上げて活動しています.私は縁あって昨年(2006年)のひのパレで井上源三郎役をやらせていただいたため,面識を得ることができました.エルプロの昨年の公演は「はなさかづき」,戊辰の会津戦争を描いた感動的な作品でした(関連記事はなさかづき).

Dscf0021 第9回ひのパレにてエルプロの皆さんと

 そのエルプロの第10回という節目の公演がこの「テッペンカケタカ」であります.場面は戦国時代,あの織田信長の生き様を描いた作品です.信長といえば,赤穂浪士の討ち入りと並ぶ,日本史のメジャーアイテムであります.そういうネタを扱う以上,通り一遍の解釈や演出では評価を得ることは難しく,相当なオリジナリティーを出す必要があるのではと思いました.HP「斬心」上に公演の案内が掲載され,ポスター(チラシ?)も掲示されたのですが,真っ赤な空とまばらな木が生えた大きな岩,添えられたキャッチコピーは「天辺の欠けた隙間から降りてくるのは何者なのか…」,「人々の願いを叶えるのは誰でもいい。神でも、悪魔でも」と.これを見ただけで「ムム,これはただの作品ではない」と期待を抱かせます.

Img176 テッペンカケタカのチラシ

 さて,肝心の舞台の方ですが,プロローグは信長誕生,子供は母親の愛情を受けて育つ,でももし母の愛が受けられなかったら…,なんとなく将来の暗い雲が予感されます.そして信長の天下布武の戦いが始まります.既存の価値観にとらわれず,政敵を容赦なく排除する信長,その傍には森蘭丸が控えています.しかし蘭丸には単なる小姓とは思えない,ただならぬ雰囲気が漂っています.時に自分のやっていることが本当に正しいのか自問する信長,しかしそんな時には,彼の分身とも言うべき吉法師が現れ,覇道を進んで王になれと囁きます.そんな信長の苦悩をただ一人理解していたのが明智光秀でした.

 物語のコンセプトは,本能寺の変で主君信長とともに非業の死を遂げた森蘭丸の無念の心が,時代を越えて過去に転生し,信長を王にすべく暗躍するというものでした.そして信長を中心に,秀吉や家康,光秀などの武将たち,蘭丸に協力するために同じく転生した細川ガラシャ,キリスト教の宣教師,さらには群集などが絡んでいくのでした(武将や大衆などの役はコロスという人たちが声色を変えて演じていました).ただ歴史のやり直しを演じている森蘭丸自身も,自分と信長の死についての記憶は失われているのでした.

 物語終盤,真の心を取り戻した信長は呪縛を振り切るべく光秀に自分を倒すよう命じます.驚きつつも信長の苦悩を知っている光秀は本能寺へと向かうのでした.

 この舞台,過去への転生や心を支配しようとするものの存在などSFタッチの作品となっています.人間の強い無念の心が魂を過去に転生させる,という筋立ては1980年代のRPGの名作ファイナルファンタジーを彷彿させました.歴史にifは禁物といいますが,本作品のように歴史の大筋には手を加えず,あくまでもその経過に新たな解釈を入れて,もしこういう背景があったらどのように展開しただろうかと考える筋立て(ある種の知的な遊び心)に非常に好感を抱きました.

 最後は歴史どおりの展開となるため,本能寺にて蘭丸は信長と共に命を落とします.物語の始まりが,非業の死を遂げた蘭丸の無念が過去に転生するというものでしたから,もしかしたら彼の心は再び過去に転生し,三度歴史のやり直しが起こるのではないか,ふと私はそう思いました(もしかすると永遠に繰り返される輪廻の世界では?).しかし舞台のラストに母の愛に包まれ,幸せに満ちた吉法師の姿が演じられました.私はこのシーンを見て,これで輪廻の鎖は断ち切られるだろうと確信しました.あれほど主君を愛した蘭丸が,主君の幸せな表情を見て歴史をもう一度リセットしようなどとは思わないだろうからです.

 戦国モノのお芝居や映画は数多いでしょうが,かなり斬新な脚本で,2時間があっという間でした.役者さんも皆個性は揃いで素晴らしかったです(ひのパレの殺陣とはまた違った楽しさがありました.わずか2日間の公演はもったいないとも思いました).

 追伸: 表題のテッペンカケタカというのはホトトギスの鳴き声だそうです(ホトトギスの鳴き声としては他に特許許可局というのもあって,私はそっちの方が近いのではと思ってたりします).初めてチラシを見たとき,「テッペンハゲタカ」かと思い,しかも配役に宣教師のフロイスの名が…,てっきりフランシスコ・ザビエルの頭の話(てっぺん禿げたか)かと思いました(笑).

Zabieru 髪の毛がテッペンカケテル,F・ザビエルです

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コメント

週末は暑い中ご来場頂きまして有り難うございました。
蘭丸を演じました蒼野薫です。

超メジャーな信長の芝居でしたが楽しんで頂けたようで幸いです。
私も脚本貰って「おお!こうくるか!」という解釈が沢山ありました。

斬心のBBSにも書きましたが、蘭丸はお屋形様にこの所業を受止めて貰え、許して貰い、その手にかかって死んだので自責の念はあっても歴史を繰り返す事はないです(笑)

「テッペンカケタカ」はやはり「てっぺん禿げたか」と間違えやすいですよね。
公式稽古ブログは「テッペンハゲタカ」ですから(笑)

まだまだ暑い日が続きますが「医者の不養生」などといわれないようご自愛下さい。

投稿: 蒼野 薫 | 2007年8月 8日 (水) 04:00

悪魔の子・吉法師こと、時田です(笑)。
立秋とのことですがまーだまだ暑いですね。
先日は遠路ご来場下さり誠に有り難う御座いました。
エルプロダクツ初の戦国モノ、しかも『コロス』や『なんちゃって歌舞伎メイク(笑)』など、初の試みもあってお客様には一体どんな感想を頂けるのだろうとドキドキワクワクしておりました。
皇帝様を始め、御覧になった方から概ね“面白かった”と言って頂けてホッと胸を撫で下ろしておりまする。

終幕近くの“母子の場面”、真意を打ち明けてしまえばあれは二度目の本能寺で信長が死に際に見た『夢』であります。
つまり、信長が望んだ、こうだったら悪逆非道な(笑)覇王にはならなかったのにという『ささやかな幸せ』であり正に“夢まぼろし”だった訳ですねぇ…
“長い夢を見た”と吉法師は言っていますが、『母に抱かれる幸せ』こそが『夢』。
信長は結局誰にも愛されず誰も愛さず独りで死んだ、という救われない結末なのでした(汗)。演出家はこの真意は伝わらずとも良い、最後の場面は見た方の解釈で信長が幸せに死んだと取ってもらっても勿論構わないと申しておりました。
エルプロの芝居としては珍しく、曖昧さを残したお話です。

投稿: 時田 | 2007年8月 8日 (水) 05:52

ビザ先生、先日はどうもありがとうございました。
まさかお会いできると思っていなかったので、うれしかったです。奥様ともお会いできて光栄でした(^^)
ここのコメントをみて改めて物語の深さを感じました。
また改めて見たら、いろいろ気づくことがあるのかな~と思います。
私も実は最初「ハゲタカ」かと思って、頭の話?天下取りをかけてるのかな?とか間違った妄想をしておりました!

投稿: そう | 2007年8月 8日 (水) 13:12

<蒼野 薫さま> 蒼野さんお疲れ様でした.昨年の廊下を直角に曲がる梶原様も素敵でしたが,今年の蘭丸は,ただの小姓とは思えない凛とした雰囲気が出ていてとてもよかったです(特に目の雰囲気が,自分は全てを知っているという妖気が感じられて,思わずゾクッとしました).稽古ブログのタイトル,テッペンハゲタカでしたか,気づきませんでした(笑).お気遣いありがとうございます.私も健康に留意して夏を乗り切りたいと思います.来年のひのパレでぜひお会いしましょう.

<時田さま> 公演の成功おめでとうございます.素敵な舞台を堪能させていただきました.時田さんの吉法師,信長に悪を囁く魔性者なのに全く憎めないキャラで楽しかったです.それにしても時田さんの役って,昨年の桜庭百太郎もそうですが,主役に影のように寄り添って絡む人物なんですね.今年もピタリはまった役だったと思います.
 ラストの母子のシーンは信長の夢だったんですか.ただ,そうではあっても満ち足りた気持ちで死んでいったとしたら,それはそれで彼にとっては幸せなことだったのではないでしょうか.

<そうさん> 先日は暑い中お疲れ様でした.おっしゃるとおり,演劇は奥が深いですね.やはり一回見ただけではなかなか全てを理解するのは困難なのかもしれません.コアな人は,ひとつの舞台を何度も見に行きますからね.私も学生時代オペラの舞台に立ってたことがありますが(もちろん端役で),オペラの場合セリフが歌になるので,意外と楽なんです(セリフを話すのって凄く難しく感じます).

投稿: ビザ皇帝 | 2007年8月 9日 (木) 13:47

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