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2007年7月18日 (水)

少年の日の思い出

 昨日バスに乗っていてふと,子供の頃の記憶がよみがえった.

 それは小学校に上がるかどうかの頃だったと思う.当時私は盛岡市の隣の滝沢村というところに住んでいた.今でこそ滝沢村は人口日本一の村(人口50,000以上)として知られ,行く行くは全国初の政令指定村を目指している村(本当か!)であるが,当時は全くの田舎であった(農繁期になると家の手伝いで学校を休む同級生もいた).なにしろ当時村内の道路は国道をのぞき,ほとんど未舗装の砂利道で,昭和48年に昭和天皇が植樹祭にご出席された際に,ようやく駅前が舗装された程であった.

 そんな滝沢村時代のある日,私は母親と一緒に盛岡に出かけた.当時滝沢から盛岡に出るには,滝沢駅まで歩いてそこから汽車(電車ではありません)に乗るのが一般的であったが,なぜかその日はバスに乗った(理由は不明,国鉄のストだろうか).滝沢から盛岡に向かうガタゴト道をバスは走っていた.途中,エンジンの調子が悪そうで,何度もバスは停まり,運転手が困ったようにシフトレバーを動かしていたのを覚えている.そうこうしているうちに,本当にバスが止まってしまい,運転手が「申し訳ありません,どうやら寿命が来たようです」と言って乗客全員がそこで降ろされてしまったのである(この時,特に不満を訴えていた人がいた記憶が無いことから,このような事態は当時珍しくなかったのかもしれない).結局その後他のバスに乗り換えて盛岡に出たのだが,当時の地方の交通状況がよくわかるエピソードとして,懐かしく思い出された事件である(路線バスが運行中に寿命を迎えるなんて現代では考えられませんよね).

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コメント

乗り物が止まる・・・なんかほのぼのとした
のんびりした時代でしたね。私の記憶にあるのは京王線のストライキ。昔はよくそれで止まってまして。あたしゃ多磨霊園付近の
小学校に通っていましたので線路の上を歩いて通いました。それが楽しかったんですねえ。今じゃ線路の上を延々と歩くなんてまず
ないですね。

投稿: フミヲ | 2007年7月18日 (水) 22:37

 フミヲ様,そういえば昔ってしょっちゅうストライキやってましたね(学校の先生もストライキやってました).バスが寿命を迎えた瞬間は今でも思い出される事件です(その後運転手はどうやって帰ったのでしょうか).
 京王線の線路を歩くなんて,今じゃ絶対考えられませんね.当時は今と違って列車本数が少なかったんでしょうか.

投稿: ビザ皇帝 | 2007年7月19日 (木) 00:44

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