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2007年7月30日 (月)

うなぎ

 昨日は土用の丑の日,子供の頃の自分は「土曜の牛の日」だと思っていて,週末に牛丼を食べるのかと思っていた.

 この日は私の職場でも,医局を挙げてウナギを食べようと,市内の料理屋にうな重を注文して食べることになっていた.医局全員分のうな重が並ぶ様はなかなか壮観なのだが…

 ウチの若い研修医,仮にY君としておこう.彼は今日、ウナギの日だということはわかっていたが,医局でうな重を注文していたことを知らず,朝病院の売店でウナギ弁当を確保していた.しかし,昼に医局に大量のうな重がならんでいるのを見て,「こりゃ失敗した」と医局のうな重を食べ,自分が確保したウナギ弁当は夜食にでもしようと取っておいた.しかし…

 実は今日,彼は当直で,さあ夕食を食べようと見てみると(当院の当直医は病院の食事を食べることになっている 検食),なんとおかずはウナギ,かくして彼は,昼食・夕食・夜食と3食ウナギを食べることになったのであった.さっき彼に聞いたら病院食のウナギが以外に肉厚もあり旨かったとのことであった.

 そういうわけであったが,私も帰宅してみると,家でもウナギが…,結局昼・夕とウナギを食べることになったビザンチン皇帝であった.

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2007年7月29日 (日)

深夜の呼び出し

 職業柄夜間や休日の呼び出しは日常茶飯事なのだが,さすがに夜中の3時ごろに呼び出されると厳しい.今朝もそうだった.

 もちろんどんなに眠くとも,こういう事態の時はカテコラミンが分泌され,交感神経系が興奮するので,それなりに対応できるのだが,今朝は診察や処置が終わった後そのままナースステーションで眠り込んでしまったらしい.気がついたら朝になっていた.空いた救急ベッドに寝かされていたのだが,なんとそこが観察室.カメラが付いており,私の爆睡シーンがナースステーションに生中継されていたらしかった(笑).

P7290001  私の爆睡の様子が映し出されていたモニターです.

 朝日勤の新人ナースに起されたのだが,夜勤者が私が寝ていることを申し送らなかった(笑)ために,患者さんと間違われてしまった.

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2007年7月28日 (土)

参議院選挙

 当ブログでは政治的な話題は原則として取り上げないのだが,今日は明日に迫った参議院選挙のお話.

 直接民主制を採用していないわが国において,選挙での投票は国民が国政に関与できるほとんど唯一の機会である.しかしながら,近年(とはいっても今に始まったわけでもないが)政治家のスキャンダルなどから政治不信といわれ,投票率の低下が嘆かれている.マスコミの中にも,政治不信から有権者が白けてしまって投票に行かないとか,どうせ投票しても政治は変わらないからといった論調が見られる.

 しかし,冷静に考えればわかるのだが,本来なら政治不信が高まった時こそ,投票率が上がるべきなのだ.政治不信だからこそ,より良い議員を選ぶべく投票に行くべきである.良くテレビなどでコメンテーターが「こんなに投票率が低いのは,それだけ国民が怒っている証拠なのだから,政治家はそれを肝に銘じてほしい」などといい,ゲストの政治家も「わかっています」などと殊勝なことを言っているが,実際にはなんの意味もない.政治家にとって一番恐ろしいことは選挙に落ちることである.たとえ大臣だろうが,政党の党首だろうが選挙で落ちればただの人になってしまう.選挙に落ちたくないという緊張感こそが,政治家が一生懸命真面目に仕事をする動機になっているのである.近代議会政治は性善説の上には立っていない.政治家は放っておけば悪いことをするから,選挙で監視するのである.プラトンの哲人政治や古代中国の徳治主義とは根本的に異なっている.

Platon 古代ギリシャで智恵を徳をもつ哲人が政治を行って市民を導くという,哲人政治を志向したプラトン(左).右はアリストテレス

 よく「投票率50%の選挙で過半数を得て当選しても,それは民意を反映していない」とか,「国民が怒っていることを示すためにあえて白票を投じよう」といった意見が見られるが,これは(気持ちはわかるが)正しくない.国民が選挙で投票するのは権利であって義務ではない.投票に行かないとか白票を投じるというのは,一見カッコよさそうに見えて,現状の政治に白紙委任しているのと同じことである.これでは政治批判したことにはならない.これは政治家,特に特定の業界・団体の利益を代表するタイプの政治家にとっては痛くも痒くもないどころか喜ばしいことである(以前,M総理大臣が選挙前に「無党派層は寝ていてほしい」と発言して,物議をかもし出したのは,まさに象徴的である).国民ができる政治批判はただひとつ,投票することのみである.

Mousi 古代中国,戦国時代の思想家孟子.有徳の者が徳をもって統治する徳治主義を理想とした.

 ただ「投票したくとも適当な候補者がいない」という意見は多い.しかし,完璧な候補者などいるはずもない.大久保利通のような強力なリーダーシップで国を引っ張っていく政治家や,田中正造のような住民のために全てをなげうつような政治家がそうそういるはずもない.結局は候補者の中から,よりましな候補を選ぶしかないのである.しかしそれでも,国民みんなが投票を行えば,日本の政治は大きくかわるだろう(少なくとも既存の政治家の緊張感は大いに高まるはずである).

 ビザンチン皇帝の考えた国民の政治不信を政治家に判らせる投票行動

作戦1 絶対政権を取りそうにない政党に投票する.

 以前参議院比例区には「UFO党」,「愛酢党」などとても政権を取れそうにない泡沫政党が乱立していた.もちろんこのような政党が本当に政権をとった日本を想像するのも怖いが,たとえばこういった政党から10人くらい当選者が出れば,少なくとも既存の政治家は大いにショックを受けて,少しは国民の方を向くんじゃないか.

作戦2 現職候補を全員落選させる.

 国民が全選挙区で,新人候補者に投票し当選させる.現職候補がいない場合は,より現職との関わりが薄い候補(現職の息子や秘書などは問題外)に投票する.これは既存の政治家に計り知れない衝撃を与えるだろう.なにせ全政党の現職が落選するのである.各党とも国民の怒りを身にしみて感じるに違いない(現在の政治不信を作っているのは今の議員なのだから,ある意味もっとも理にかなった作戦ではないか).ちなみに日本の選挙では現職が有利であるとされる(知名度など)が,アメリカの下院選挙などでは,よほどの業績がない限り,現職が不利なのだそうだ(国民性の違いといえよう).

 とにかく明日の参議院選挙,国民として悔いのない投票行動をしたいものである.

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アクセス解析

 ココログにはアクセス解析機能が付いており,どういうキーワードで私のブログにたどり着いたかがわかって楽しい.

 2006年にはモーツァルトがらみで,「毎日モーツァルト」関連の記事も多かったことから,「山本耕史」というキーワードが断然多かった.秋には境港市で行われた「妖怪検定」や妖怪の名前から検索している方が見られた.今年の5月にはなんといっても,大イベントひの新選組まつりがあったことから,「新撰組まつり」,「ひのパレ」などの関連キーワードが非常に多かった.ブログ名から,「ビザンチン」というキーワードもかなり多いが,ビザンチンネタが少ないブログなので,訪れた方はがっかりしたかもしれない.

 また,自分がつれづれに書いた記事に関連したキーワードも良く見られるのだが,意外だったのは「びっくりドンキー ミミズ」という検索ワードが相当数あったことである.これはびっくりドンキーのハンバーグにはミミズ肉が使われているという都市伝説からきているのだが,この伝説,以外に広がりを持っているようである(実際には,ミミズ肉を使ってハンバーグを作る方が,輸入牛肉を使うよりもはるかにコストが高くなるため,経営上はありえない話なのだが).その他,新撰組の隊士名や「なんじゃい はげ」といった駅名からの検索も数多く見られた.

 その一方,良くわからない検索ワードもある.面白いのをいくつか挙げると「イエス・キリストVS織田信長」(どんな対決だ),「国士無双 辻元清美」(うーん),「会津 三国志 冷ラーメン」(何のこっちゃ),[チェンバロ 枡屋」(古高俊太郎が楽器も扱っていたとは知らなかった)などである.

 いろんな検索ワードからたどり着けるのだから楽しい限りである.

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2007年7月25日 (水)

マダガスカルの民族

マダガスカル写真シリーズ10 サカラヴァ族のお墓編

 マダガスカルは日本の1.6倍もある大きな島であり,今でこそひとつの独立国であるが,元々は全島に約19の民族が割拠していた.その中でも現在の首都,アンタナナリブのある中央高地を支配していたメリナ族が最も勢力があり,19世紀初頭に彼らによって全島が統一された.その後フランスの植民地時代を経て,1960年に現在のマダガスカル共和国として独立したが,やはり中央高地のメリナ族が政治の中心であることに変わりはない.

 マダガスカルの諸民族はそれぞれ独自の文化を持っている.死者を埋葬するお墓の形態についても,マダガスカル諸民族は独自のものを作っている.たとえばベレンティー保護区のある南部に住むアンタンドルイ族のお墓は,形のそろった石材を積み上げたものである.一見すると家の土台か何かのように見える.

Haka2 アンタンドルイ族の有力者のお墓.お墓というより祭壇か何かのようです.

 一方,南東部のフォール・ドーファン(タウランニャロ)付近で見られるお墓は,墓石が立ち並ぶ,我々日本人が見てもあまり違和感を感じないものになっている.

Haka1 マダガスカル南東部のフォール・ドーファン付近で見られるお墓

 そんな中,マダガスカル西部に住むサカラヴァ族のお墓はある意味非常に特異的である.その特徴は大胆(すぎる?)な性表現にある.

 マダガスカルの伝統宗教の特徴は,その先祖崇拝である.マダガスカル人は先祖をとても大事にし,死者のために立派な墓を立てることが,子孫の重要な仕事となっている(マダガスカル人の間では現世の家より死んでからの家,すなわち墓の方が重要視される).そういう先祖崇拝の文化を持つ彼らにとって,墓で性を表現することは,子孫繁栄を先祖に祈るという,極めて重要な意味があると思われる.

 このサカラヴァ族のお墓,かつてはマダガスカル西部に広く見られたというが,島が観光化されるとともに,その多くが盗難にあってしまい,いまでは少数しか残されていないという.今回私は,バオバブ並木で有名なムルンダヴァにある,メナベ公園に飾られているお墓のレプリカを見た.

 このレプリカの写真,このブログ上に掲示しようかとも思ったのだが,ちょっと刺激が強いので,最近開館したビザンチン美術館の方にアップしました.興味のある方はどうぞ.

   サカラヴァ族の墓(ビザンチン美術館)

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2007年7月23日 (月)

アロイジア

 当ブログに住み着いているブログペット,名前をアロイジアという.知っている人は知っていると思うが,出典はアロイジア・ヴェーバー,あの天才作曲家W. A. モーツアルトを袖にした女性である.

 父とともにザルツブルグの宮廷楽団で働いていたモーツァルトは,日々の単調な暮らしや大司教の束縛を嫌い,1777年辞職願いを出す.そして母とともに就職活動の旅に出た.モーツアルト21歳のときである.将来への希望で胸いっぱいのモーツアルトだったが就職活動はうまくいかない.最初に訪れたミュンヘンでは宮廷音楽家のポストに空きがなく断られ,その後に訪れたのがマンハイムだった.当時のマンハイムにはレベルの高いオーケストラもあり,モーツアルトの期待も大きかったようだが,ここでの就職にも失敗する.

 しかしこの街で彼は一人の女性に出会う(とはいっても当時16歳だから,少女というべきか).この女性がアロイジア・ヴェーバー,ソプラノ歌手の卵であった.彼女は可愛く,歌もメチャクチャ上手かったらしい.モーツアルトはたちまち彼女の虜になってしまった.翌1778年1月には自分の母親をマンハイムにほっぽらかしにして,なんとアロイジアとキルヒハイムという街に演奏旅行に出かけている(さすがにこの時はアロイジアの父親も同行したため,完全に二人っきり(♥)というわけではなかったらしいが).

Img173 デビュー前のアロイジア

 アロイジアに首ったけのモーツアルトは,自分が就職活動中だということも忘れて,彼女をデビューさせるべく,なんとイタリアへ行く計画を立てる.しかし,故郷の父レオポルトが激怒したため,さすがのモーツアルトも計画を断念,泣く泣くアロイジアを置いて次なる目的地パリに出発したのだった.

 だがパリでの就職活動は失敗し,さらには同行していた母親も病気で亡くなってしまう.失意のモーツアルト,普通ならこの段階でザルツブルグに帰るんだろうが(なにせ母親が亡くなったのである.常識的な日本人なら遺骨を抱いて故郷に急ぐところである),モーツアルトはなんと!アロイジアの下に走った.彼にしてみれば愛しいアロイジアに慰めて欲しかったのだろうか.

 しか~し,すでに歌手としてデビューし,人気上昇中だったアロイジアにモーツアルトはあっさりと拒絶される.何しろアロイジアはまだ10代,気分が舞い上がっていて,無職のモーツアルトなど眼中に無かったのだろう.言ってみれば無名の女子高生が芸能界デビューして人気が出て,昔のボーイフレンドに冷たく当たるようなものだ.

Img175 デビュー後のアロイジア,「ホホホ,あたし女優よ~」というセリフが聞こえてきそうな絵です.

 アロイジアにフラレたのがよっぽどショックだったのだろう,故郷の父に宛てた手紙では,

 「― 今日はただ泣きたいだけです.ぼくの心はあまりにも感じやすいのです ―,― ぼくは生まれつき字がへたです.一度も書き方を習ったことが無いからです.でも,生まれてこの方,今回ほど下手に書いたことはありません.書けないのです.ぼくの心は今にも泣き出しそうです! ―」(モーツアルト書簡全集Ⅳより)

 とメチャクチャ弱気なことを書いている.かくして,

 「就職の失敗,母の死,失恋,様々な痛手を抱えたまま,モーツアルトは一人故郷へ帰っていった」(語り 山本耕史、BGM フルートとハープの協奏曲ハ長調K. 299)

 となったのである.しかしそんなひどい目(まさに泣きっ面にハチを地で行くような話しだ)に会いながらも,その後もアロイジアのために曲を書いたりしているから,モーツアルトってよっぽど器が大きいのか,お人よしなのか(おそらく後者だろう)….アロイジアの方も,モーツアルトが有名になった後,彼の求愛を拒否したことを後悔していたらしい.

 かくして私の中でアロイジアは,とても人間臭くて魅力的な人物になったのである.

Img174 この有名なモーツァルトの肖像画を描いたのが,なんとアロイジアの旦那のランゲ氏なのでした.

Aroisia2 そしてこれが我が家に生息しているチンチラ(♀)のナンネルです.しかし,その気位の高さとワガママぶりから,私は密かにアロイジアと呼んでいます(笑).

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2007年7月22日 (日)

大甲子園大会

 今日親戚の家に寄ったのだが,そこのテレビで高校野球の県予選準決勝をやっていた.考えてみればもう7月下旬,あと2週間もすれば,甲子園大会が始まるのだ.改めて月日の速さに驚く(あとひと月すれば,北国は秋の様相である).

 さてこの夏の甲子園,出場校は49校,北海道と東京が2校でその他の府県は1校ずつである.東京は人口が多いのと北海道は面積が広いのが複数参加の理由と思われる.

 しかし,実際には甲子園への道のりは都道府県によってだいぶ異なるらしい.たとえば大阪府神奈川県などは7~8回予選で勝たないと甲子園には行けない.その一方,鳥取県高知県では1回勝てばベスト8になるという.もちろん高知県などは参加校が少なくてもハイレベルな学校も多く,決して甲子園に出やすいわけではないのだが,大阪や神奈川の学校から見れば,なんとなくやりきれない気分になるのではないか.

 そこで考えたのだが,たとえば全国に300ある,衆議院の小選挙区ごとに甲子園出場枠を割り当てたらどうなるんだろうか.そうすると最大の東京は25校出場できる(大阪19校,神奈川18校),一方鳥取と島根は2校ずつということになる.わが岩手は4校出場だ.

 今日の準決勝に出ていた学校が,盛岡大附属,花巻東,専大北上,一関学院だから,この瞬間岩手1区,3区代表はそれぞれ盛岡大附属,一関学院で決まりだ.4区は花巻東と専大北上の決勝戦となる.そうすると2区は準々決勝で敗れた大野高校か.

 こうして全国300校が出場する大甲子園大会,1日4試合消化するとして全日程75日間の長丁場になる.これはあんまりだ.サッカーやラグビーのように複数の会場で同時に行えばいいのだが,それでは甲子園を目指して頑張っている球児に申し訳ない.そこで考えた日程,早朝から夜まで試合を行い,毎日6試合消化していく.その結果以下のような開催要項となった.

全国高等学校野球選手権大会

会期 7月20日~9月9日までの52日間

7月20日 大会初日 開会式,その後4試合

7月21日~9月6日 大会第2日~49日 1回戦から6回戦まで1日6試合(合計288試合)

9月7日 大会第50日 準々決勝(4試合)

9月8日 大会第51日 準決勝(2試合)

9月9日 大会第52日 決勝,閉会式

 ここで出てくる問題として,開会式の入場行進ができない.なにせ300校だ.1チーム15人としても4500人の選手が行進するのだから,甲子園のグランドには収容できないだろう.キャプテンのみ300人が行進する方法もあるが,できればみんなで行進したい.このため,開会式は鳥取砂丘あたりでやった方がいいかもしれない.

Img172 夏の甲子園の開会式の会場になる鳥取砂丘(笑)

 そしてもうひとつ,52日間も本拠地甲子園球場が使えなくなる阪神タイガースの存在がある.これじゃ死のロードどころの騒ぎではない.この問題がおそらくは最大の問題であろう(笑).

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2007年7月20日 (金)

感謝!ブログ開設一周年

 今日平成19年7月21日は当ブログ「ビザンチン皇帝の日常」開設丸1年の記念すべき日です.

 私のホームページ「ビザンチン皇帝の部屋」は旅行記と学生時代の変な話を中心に,ひっそりと運営されていたのですが,昨年5月にひのパレに参加したのをきっかけに,大幅に内容をアップして,まずは掲示板の設置,ついで主として日常の生活を綴ろうとブログも立ち上げました.当初は本当に日常で起こった出来事をつれづれに綴ろうと予定していたんですが,徐々に国内旅行などの非日常内容も多くなり,名が体を表さなくなってしまいました(笑).今ではむしろ,HPを百科事典とすれば,blogは雑誌であるというコンセプトで取り組んでいます.ブログって書き綴るには便利ですが,昔の記事をあとで掘り起こすのは大変です.一方ホームページはサイトマップがしっかりしているので,簡単に昔の記事を読めます.そのため,ブログで書いた記事で,自分でも気に入ったものを後日ホームページの方にアップしたりもしています(幕末・新選組の部屋の記事にはそういったものが多いです).

01byzantineneo2 最近では自分の名刺のデザインにもなっている帝国の紋章「双頭の鷲」です.

 当初は来客もまばらな秘境HP & blogでしたが,最近は多くの方々をお迎えできて管理人としてこれほどうれしいことはありません(もっともHPには今でもアクセスカウンターがついていないため,どの位来客があるか私にも判りませんが 笑).

 ご来場の皆様,これからもビザンチン皇帝の部屋ビザンチン皇帝の日常をよろしくお願いいたします.

 追伸: 秘密情報 一周年を記念して現在,主として私が撮りだめした旅行&トンデモ写真を展示する「ビザンチン美術館」の開館準備を進めていることは超極秘情報です(笑).

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2007年7月19日 (木)

長州なまり

 今我が家では大河ドラマ「獅子の時代」で盛り上がっている.獅子の時代は昭和55年に放送されたもので,ホームページの記事にも書いたが,大河ドラマでは私が主体的に1年通して見た初めての作品である.会津藩士と薩摩藩士(ともに架空の人物)を主人公にした幕末維新モノである.幕末モノは当たらないというジンクスにもれず,視聴率的には今ひとつの作品であったが,コアなファンが多く,一部の間では非常に評価の高い作品である.当時の作品にしては珍しく,全話がDVD化されているという事実も,この作品の評価を物語っているといえよう.当然我が家にもDVD全巻がそろっている.

 さて,この獅子の時代,幕末維新モノであるため,諸藩の志士が入り乱れるのだが,薩摩は薩摩訛り,土佐は土佐訛り,会津は会津訛りでしゃべり,さらに江戸生まれの榎本武揚はちゃんとべらんめえ調で話すのだが,なぜか長州は標準語である.そういえば2004年の大河「新選組!」でも,薩摩や土佐はそれぞれお国訛りであったが,長州の桂や久坂は標準語を話していた(この大河では会津も標準語だったが).なぜに長州はいつも標準語なのか,そういえば長州言葉ってイメージがわかないがどんな言葉なんだろうか(津軽言葉のように字幕がないと理解不能な言葉とか).気になり始めると,解明しないと気がすまない私であった.

 長州だから,HPにも来ていただいたことのある桂さんに聞いてみようか.

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2007年7月17日 (火)

少年の日の思い出

 昨日バスに乗っていてふと,子供の頃の記憶がよみがえった.

 それは小学校に上がるかどうかの頃だったと思う.当時私は盛岡市の隣の滝沢村というところに住んでいた.今でこそ滝沢村は人口日本一の村(人口50,000以上)として知られ,行く行くは全国初の政令指定村を目指している村(本当か!)であるが,当時は全くの田舎であった(農繁期になると家の手伝いで学校を休む同級生もいた).なにしろ当時村内の道路は国道をのぞき,ほとんど未舗装の砂利道で,昭和48年に昭和天皇が植樹祭にご出席された際に,ようやく駅前が舗装された程であった.

 そんな滝沢村時代のある日,私は母親と一緒に盛岡に出かけた.当時滝沢から盛岡に出るには,滝沢駅まで歩いてそこから汽車(電車ではありません)に乗るのが一般的であったが,なぜかその日はバスに乗った(理由は不明,国鉄のストだろうか).滝沢から盛岡に向かうガタゴト道をバスは走っていた.途中,エンジンの調子が悪そうで,何度もバスは停まり,運転手が困ったようにシフトレバーを動かしていたのを覚えている.そうこうしているうちに,本当にバスが止まってしまい,運転手が「申し訳ありません,どうやら寿命が来たようです」と言って乗客全員がそこで降ろされてしまったのである(この時,特に不満を訴えていた人がいた記憶が無いことから,このような事態は当時珍しくなかったのかもしれない).結局その後他のバスに乗り換えて盛岡に出たのだが,当時の地方の交通状況がよくわかるエピソードとして,懐かしく思い出された事件である(路線バスが運行中に寿命を迎えるなんて現代では考えられませんよね).

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2007年7月16日 (月)

地震と雷

 今日午前中に新潟県と長野県で震度6強の地震があったらしい.新潟県といえば数年前にも大きな地震があったばかりである.私の住む三陸北部も沖合いで結構地震が起こるが,これほど規模が大きいのはあまりない.

 昔から怖いものの代名詞として地震・雷・火事・オヤジといわれていた.オヤジの権威失墜が嘆かれる昨今だが,3番目の火事は多分に人災の側面があり,純粋に天災といえるのははじめの2つ,地震と雷である.

 学生時代この地震と雷のどっちが怖いか話題になったことがある.私は雷派だった.地震の場合は漠然と逃げられそうな気がするが,雷の場合は落ちたらおしまいというイメージだったからだ.そのため,地震の時は冷静に対応できるが,雷が鳴ると結構ビビッてしまう.ただ友人の多くは地震派だった.雷が落ちるなどまぐれに近く,地震の方がよっぽど被害が大きいというのが理由である.

 考えてみても,年間に落雷で死傷する人が何人いるのかわからないが,地震で死傷する人よりははるかに少ないだろう.イメージ的には地震と雷の怖さは,自動車事故と飛行機事故の怖さに似ているかもしれない.飛行機は落ちたら終わりという怖さはあるが,事故の確率は極めて低い.実際にたまに乗る飛行機が事故を起す確率と自分が運転する自動車が事故を起す確率を比較したら,自動車事故の方が遥かに高いのである(実際今でも日本では,毎年1万人近くの方が自動車事故で亡くなっているが,飛行機事故で亡くなる方は圧倒的に少ない).

 地震も雷も発生を防ぐことは不可能であるが,被害を最小限に食い止める術はあるはずである.行政には早急な状況把握と復旧支援をお願いしたい.

マダガスカル写真シリーズ9 ホシガメ編

 マダガスカルではキツネザルの他,爬虫類も結構有名である.今回写真を掲載するのは,マダガスカルホシガメ(別名ホウシャガメ)である.マダガスカル南部に生息する固有主である.今回はベレンティー保護区で見つけました.

Kame2 甲羅の模様が何となく星をイメージさせます.

Kame3 マダガスカルホシガメも絶滅が危惧される種です.

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2007年7月14日 (土)

夏の3連休

 昨日から海の日の3連休,休みを利用して旅行に行く人も多いと思われる.しかし6月から7月初めにかけて散々走り回った私は,相方に休養を取らせるべく,おとなしく留守番する身である.大型の台風4号が接近しているらしいが,一般に北日本は台風とは縁がない地域であり,今日も曇ってはいるが,風はなくすごしやすい一日であった.

 久しぶりに溜まった書類整理やマダガスカル旅行記の製作に取り掛かろうと考えている私でした.

マダガスカル写真シリーズ8 アイアイ編

 マダガスカルに生息するたくさんの原猿の中で,もっとも日本人に知られているのは「アイアイ」ではなかろうか.テレビの動物番組のおかげで,ワオキツネザルも結構メジャーになってきているが,名前だけならアイアイのほうが圧倒的に有名だろう.童謡にも歌われているとおり,南の島(マダガスカル島)に住み,尻尾の長いお猿さんである.

 しかし,名前が有名なわりに,このアイアイは多くの謎に包まれている.童謡の影響か,日本では可愛らしいお猿さんのイメージだが,現地では不吉な動物として忌み嫌われていたのである.実際に部族によっては,アイアイを捕らえて殺してしまうところもあるらしい.

Img170  (現地でもらったパンフレットから)実際のアイアイはこのように中指が異常に長いのが特徴で,この指を使って木の中から虫をほじくりだして食べる.またリスなどと同様に一生伸び続ける門歯を持つ.このため当初アイアイはげっ歯類ではないかと考えられていたそうです.

 アイアイはマダガスカル東部の森林地帯に生息しているが,夜行性で日中は木の上の巣の中で寝ているため,素人が見つけるのは不可能に近い.インドリで有名なペリネ保護区内に生息しているらしいので,ガイドを雇って根気よく探せば見つかる可能性はある(ただ個体数が少ないので,遭遇する確率はかなり低いと思われる).

 そんなわけで,今回私は首都アンタナナリボにある,チンバザザ動植物園でアイアイを見た.夜行性のキツネザルとして,ネズミキツネザルとともに,屋内にいたのだが…,なんとほとんど真っ暗で,なんだか良く判らないのだった.とりあえず高感度1600で撮影したのだが,光源に乏しい状況ではこれが限界でした(泣 フラッシュを焚くわけにもいかないし).

Ayeaye これがアイアイの後姿です.

Ayeaye2 そして,黄色い枠内にいるのがアイアイです(肉眼ではこっちを見ていましたが,写真ではなんだか判りません.

Img171

 図鑑に載っているアイアイです(学研の図鑑 動物より引用).

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2007年7月13日 (金)

スターウォーズ異聞

 ビザンチン皇帝の誕生秘話

 さて,普段ビザンチン皇帝を名乗っている私ですが,なぜに皇帝なのか,疑問を持っている方も多いと思います.そこで今回は,「今明かされる皇帝誕生の秘密」です.

マダガスカル写真シリーズ7 ネタ写編パートⅡ

 遠い昔 はるかかなたの銀河系で…

 フォースの極意を知りたいと願う一人の男が,森の惑星に住むという伝説の原猿のもとにやって来た.

Jedai1 男の必死の願いにより弟子入りは許され,厳しい修行が始まった.

Jedai2 原猿の修行は,それはそれは厳しいものじゃった.

Jedai3 過酷な修行に男は必死に耐えた.そして…

Jedai4 ついに男はジェダイの騎士になった(感).しかし…

Jedai5 フォースの力の凄さに,男は次第に慢心していった.

Jedai6 フォースの暗黒面に落ちてしまった男は後に皇帝を名乗るようになった.

 かくしてビザンチン皇帝が誕生した(笑).

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2007年7月12日 (木)

人類の黙示録

 6月30日に行われた「トンデモ本大賞2007」で見事(?),大賞に輝いたのが枡谷猛 著の「人類の黙示録」(文芸社)である.帯を見ると「歴史次元学で読み解く人類の未来図」とある.

 予言を扱った本は1999年以前にはノストラダムス本を中心に,それこそ無数にあったのだが,1999年7月が何事も無く過ぎてしまうと,すっかり忘れ去られたようになっていた(そういえば,1910年にヨーロッパを中心に,ハレー彗星が地球に衝突するのではと,大騒ぎになったそうである).21世紀に入ってからはあまり予言本ははやらないようである(それだけノストラダムスのインパクトが強烈だったというわけだ).

Img169

 そんな中,今回大賞に輝いたこの本は,有名な新約聖書のヨハネの黙示録にでてくるハルマゲドン(ちなみにハルマゲドン=最終戦争と考えている人が多いが,聖書によるとハルマゲドンとは地名のようである)と戦前に流行した大本教の教祖,出口王仁三郎が唱えたという「日本は世界の縮図である!」という説を融合させた予言本である.

 日本が世界の縮図という話は,今でも四国はオーストラリアに似ているとネタにされるが,北海道が北米大陸(知床半島がフロリダ半島なのだそうだ),本州がユーラシア大陸(下北半島がカムチャツカ半島,琵琶湖がカスピ海で中国地方がヨーロッパなのだそうだ),四国がオーストラリア,九州がアフリカ大陸に相当するそうである.南米はというと,なんと台湾らしい(この辺が戦前の日本である.また南極大陸に関しては完全に無視されている).

 さて,この本では黙示録の獣の数字666を,日本で武家政治が続いた年数のことであるといっている(定説の鎌倉幕府成立1192年から大政奉還1867年までは675年であるが,どの時点をもって鎌倉幕府の成立とするかは諸説がある).そして,武家政治の時代に日本で起こったことが,これから世界で起こるのだと主張している.ちなみに京都にあたるのはバグダッドで,江戸はバンコクなのだそうである.

 これから世界で起こることはあまりに多く,とてもここでは紹介しきれないため,興味のある方は是非この本を見て頂くしかないのだが,個人的な感想を言えば,書かれている事柄は凄いのだが,その根拠付けが乏しいというか,ほとんど無いのである.一般にこうした予言本を読む楽しみの一つが,どんな根拠から予言を引き出しているのかを見ることにあるのだが,この本にはそういったものはあまり無く,読み進めているうちに退屈してくるのである.少なくとも五島勉氏の「大予言シリーズ」で見られたような緊張感は全くないのであった.

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2007年7月10日 (火)

早稲田の校歌100周年

 実は今日2007年7月10日は早稲田大学の校歌が制定されてちょうど100年になると,午後2時台のNHK総合の番組でやっていた.早稲田大学の校歌といえば,「都の西北早稲田の杜に~」で始まる,おそらくは日本の大学校歌で最も有名な曲であろう.なにしろ,赤塚不二夫の天才バカボンにも,「都の西北早稲田のとなり~」で始まるバカ田大学というパロディーまででてくるほどである.そんな早稲田の校歌が制定されたのが1907年(明治40年)7月10日なのだそうである.ちなみに作詞者は相馬御風,作曲者は東儀鉄笛とのことであった.

早稲田の校歌はこちらから聴けます

 さて,番組中に触れられていたのだが,この早稲田の校歌,実はアメリカのアイビーリーグの名門イェール大学の愛唱歌の旋律に類似しているらしい.番組中にもイェール大学の愛唱歌も流れていたが,確かに似ている.特にサビの部分「早稲田,早稲田~」の部分はそっくりであった.実際に当時の書簡から,早稲田の校歌にイェール大学の歌が影響を与えたのは間違いないらしい.

 しかし,だからといってこれを単純にパクリだと突き放すのは正しくはない.校歌というものは元々みんなが簡単に愛唱できることが重要であり,他の有名な曲などを引っ張ってきて校歌にするのは世界各地で行われていることらしい.我が岩手県にある盛岡一高の校歌が軍艦マーチの旋律であり,同じく一関一高の校歌が旧制一高の寮歌「春爛漫」であるのも同様の理由であろう.

 ちなみに日本の大学で校歌があるのはもっぱら私立大学で,国立大学で校歌がある大学はほとんど聞いたことが無い(大概の国立大学には学生歌と呼ばれる曲があるが,合唱部などを除いては一般の学生にはほとんど知られていない(例 東北大学 青葉萌ゆる).

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2007年7月 8日 (日)

日常に戻る

 2週間の小田原出張から帰ってきました.それにしても今年の6月は前半マダガスカル旅行に行き,後半は小田原出張に出かけていたため,自分本来の職場ではほとんど仕事をしていなかった気がします(計算したら勤務日数10日,その他日直1回,宿直2回あり).その間は相方の頑張りと,関連施設からの応援で対応していました.でも明日からはようやく本当の日常が再開するわけです(マダガスカルは完璧に非日常でしたが,小田原は仕事がらみのため,ちょっと変わった日常とでもいいますか).それにしても2週間も職場を空けていたため,明日の外来どうなっているのか想像するだに恐ろしいです.

 さて,実は昨日7月7日から8日にかけて,私も所属している盛岡バッハ・カンタータ・フェライン(MBKV)の合宿が行われていました.本来私も参加するはずだったのですが,ちょうど小田原帰りと重なってしまい,残念ながら不参加になってしまった次第です.現在MBKVでは年末に行われるマーラーの交響曲第2番「復活」演奏会の練習と,来年2008年に予定されている演奏会(バッハのカンタータ数曲)の練習を行っています.「復活」は歌う部分は少ないんですが,現代に近い作品であり,想像できない和声やら何やらで,なかなか苦戦しております(普段ルネッサンスやバロックばかりやっていると,現代音楽の和声には相当な違和感を感じてしまいます(笑).そういえば昔学生時代に「バッハは新しい作曲家」と言う上級生がいて圧倒されたのを思い出します(一般の音楽の教科書だと,バッハの活躍したバロック時代は古い時代のように記述されているが,実際にはバッハはバロック時代のおしまいの人で,それ以前にはモンテヴェルディやシュッツなどがいるし,さらに前にはラッススやパトレストリーナ,ジョスカン・デ・プレといったルネサンスの作曲家も多く,そういう意味ではバッハは新しい作曲家なのである.その感性でいえばマーラーなんて現代音楽だな).

 私は合宿不参加ですが,うちのKは参加していて不在のため,本日は久しぶりに「盛岡冷麺」を食べようと思い立ちました.とはいっても,盛岡ではないため店には食いに行けませんから,近所のスーパーでぴょんぴょん舎の冷麺を購入してきました.ぴょんぴょん舎は盛岡市内に数店舗ある焼肉屋で,家庭用冷麺も販売している.よく観光地や駅などでもお土産用冷麺を売っているが,これらは一般に製麺会社が作った冷麺で,いわゆる焼肉屋の冷麺とは少し趣が違うのでした.ぴょんぴょん舎の冷麺は値は張りますが,私好みの冷麺なのでした.家に帰ってたっぷりの湯で麺をゆで,ついに完成しました.

P7080018 本当はゆで卵やきゅうりなども欲しいところですが,今日は省略しました.さて,いただきまーす.

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2007年7月 6日 (金)

箱根登山鉄道 ”風祭駅”

 現在小田原に来ている私ですが,面白いものを見つけました.

 小田原駅から国道1号線に沿って箱根方面に向かう鉄道に「箱根登山鉄道」がある.その名の通り,箱根の山を登っていく鉄道だ.小田原から小田急線の電車がそのまま走っているので,同系列かと思ったが,運賃体系が異なっており(箱根登山鉄道沿線から小田急線各駅への切符を買うと,箱根登山鉄道の運賃と小田急線の運賃の合算料金となる),別な私鉄であることがわかる.

 この箱根登山鉄道の小田原から2つ目に風祭駅がある.駅前には有名な蒲鉾店「鈴広」があり,またかつて,正月の箱根駅伝の小田原中継所が置かれていた場所としても知られている.

P7050008 風祭駅前にある有名な蒲鉾の店”鈴広”です.

 そんな風祭駅だが,ここのホームはとっても短く,列車1両分の長さしかないのであった.このため列車は1号車のみで乗客の出入りを行っている.ただ,JR山田線なとの秘境路線と違って,6両位の電車が連結されているため,通常の方法では1両目のみのドアを開けることができないのであった(1両目のドアのみを自動で開けるのはシステム上困難らしい.また通常の駅のように,全車両のドアを一斉に開けてしまうと,2号車以降の乗客が降りようとして,間違って線路に転落する危険がある).

P7060001 電車がやってくると,こうして係員が待ち受けます.

 このため,当駅では列車がやってくると,係員(通常3名)がホーム上で待機し,列車到着と同時になんと,ドアを手でこじ開けるのであった.これが風祭駅名物の手開けというやつである.傍から見ているとなかなか愉快な光景である.

P7060003 列車が到着すると,駅員が先頭車両の非常用ドアコックを開けます.

P7060004 その後駅員がドアを手でこじ開けます(ドア4つに係員3人なので,2両目に近いドアは最後に開けられます(中には,内側から自分でドアをこじ開ける気合の入った乗客もいるらしい).

 追伸: 風祭駅は現在ホームの拡張工事を行っており,完成の暁には,全車両の昇降が可能になり,名物の手開けはなくなってしまうと思われるので,興味のある人は早めに見に行きましょう(笑).

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2007年7月 4日 (水)

サルの侵入

 私が出張で来ている小田原市は神奈川県の西の端にあり,となりはもう静岡県である.普段僻地で暮らしているものにとって,神奈川県というとなんとなく都会的な響きがあるが,ここ小田原は山も多く,静かで私にとってはほっとする場所である.出張先の建物もかなり風情があって,昭和30年代の趣だ(私が生まれるずっと前です).

P7030003 かなり風情のある建物です.殺人事件が起こって,金田一耕助が出てきそうな感じです(笑).

 ところで,ここには職員食堂があるのだが,ここの出入り口に何やら張り紙が.目を凝らしてみてみる….なになに,「猿の進入より,扉・窓は必ず閉じるようにして下さい」,ひょっとしてここには猿が侵入するのか,そういえば周囲は森だもんなぁなどと感心した私でした(残念ながら猿にはまだお目にかかっていません).

P7030002_1 こういう張り紙があるということは,実際に猿が侵入してきた事例が過去にあったのでしょう.凄いところです(もっとも私の住む岩手県にある,一関市の某病院には熊が侵入し,外来を走り回ったという事件があったので,ここのことを笑えませんが 笑).

マダガスカル写真シリーズ6 バオバブ編

 キツネザルとならぶマダガスカルの名物(?)が,バオバブの木です.これは非常に変わった形をした木で,サンテグジュペリの星の王子様にも出てくる.マダガスカル西部の町ムルンダヴァに,有名なバオバブの並木道がある.

P6110086 夕暮れのバオバブ並木です.地元の子供たちがやってきました.

P6110101 今まさに日が沈む瞬間です.バオバブ並木は夕暮れ時が最も美しいと言われます.

P6120163 そしてこれが「愛し合うバオバブ」と呼ばれる珍しいバオバブです.まるで二つの幹が抱き合っているように見えます.

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2007年7月 2日 (月)

高幡不動尊再び

 6月30日に”日本トンデモ本大賞”に参加した私だったが,翌7月1日は多摩地方に繰り出した.そう,5月に行われた”ひの新選組まつり”の出発地点,高幡不動尊を訪ねたのである.

P7010011 紫陽花に彩られた五重塔です.

 1日の午後から出向いたのだが,ちょうど紫陽花まつりをやっていた(とはいっても会期の最終盤だったためか,肝心の紫陽花は残念ながらやや干からびていた).ひのパレの時は大勢の隊士や観光客でごった返していた高幡不動尊だが,今日はもっとひっそりとしているのかと思ったが,日曜の午後ということもあり,観光客の姿も多く見られた.ひのパレの時にも並んでいた,たこ焼きなどの露天も店を出していた.

P7010014 結構観光客の姿がありました.

もっとも,新選組一色だったあの日と違って,今日は紫陽花を観賞する人や,参拝(?)する人,各種の宝物を拝観する人など目的は様々なようであった.ただ,ひのパレで出陣式が行われた大日堂前だけはひっそりとしていた(こうして改めて見ると意外に狭く,あの大人数がよくここに収まったなと感心する私でした.

P7010009 ひのパレの日に不逞浪士(?)と遭遇した山門付近だけはひっそりとしていました(夏草や兵どもが夢の跡).

P7010022 スズメバチの巣があるとのことで,探してみましたがそれらしいものは見つけられませんでした(笑).

 しばらく境内を逍遥した後,夕方になり後にした.高幡不動の駅に続く商店街の通りでは,七夕飾りで彩られていた.今日から7月,2007年ももう半分終わったわけである(早いなぁ).

P7010003 (左) 高幡不動に行く途中寄った,府中市内の某中華料理屋さんにて麺を食する皇帝です.この日店内にて戴冠式が行われました.冠は1804年にナポレオンが教皇ピウス世を呼びつけて戴冠したときのものというウワサがちょっとだけあるそうです(笑).CNNやアルジャジーラなど海外のメディアも多数来ていました(ウソ).

 まだあと一週間,小田原暮らしが続きます.

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