ビザンチン帝国の滅亡とユリウス暦
気がつけばもう6月である.5月はひのパレがあったり,学会があったり本当にあっという間に過ぎてしまった感じだ.
実は私のHP&blogにとってきわめて重要な日がこの5月にあるのだがすっかり忘れていた.それは5月29日,これはビザンチン帝国の首都コンスタンティノープルが陥落し,帝国が滅亡した日なのである(1453年のこと).普段ビザンチン皇帝を名乗っているものとしては,厳粛な気分でこの日を迎えなければならないはずだったのに……(ますます名が体を表さないサイトになってしまう 泣).
しかし,ふと思ったのだが,現在私たちが用いている暦はグレゴリオ暦といって16世紀のローマ教皇グレゴリオ13世が制定した暦法である.これ以前の西洋の暦はユリウス暦といい,紀元前1世紀にローマのユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が制定したものである.
ユリウス暦は1年を,平年は365日とする.そして4年に一度閏年を設けてこの年のみ,1年を366日とする暦である.これに従うと1年の平均は365.25日になる.ところが実際の1年は365.2422日なので(これを計算したのは有名なコペルニクスだそうです.頭が下がります),1年に0.0078日(11.232分)の誤差が出る.1年間に11分なんて大したことないと思うが,塵も積もればで,ユリウス暦制定から1600年経過した16世紀半ばにはその誤差は10日以上となってしまった.このため,教会暦で春分の日は3月21日と固定されているにもかかわらず,実際の春分は3月10日ごろという困った事態になったのである.
そこで,1582年(日本では本能寺の変で織田信長が死んだ年)の10月4日木曜日の翌日を10月15日金曜日にすると同時に,新しい暦(グレゴリオ暦)の採用と相成ったのである.グレゴリオ暦では4年に1度の閏年は基本的に変わらないが,西暦で100で割り切れる年は閏年なし,ただし400で割り切れる年は閏年ありとする暦法である.この暦による1年は365.2425日となり,1年の誤差は26秒と非常に少なくなった(3000年で1日の誤差になる).
さて,コンスタンティノープル陥落の1453年5月29日はまだグレゴリオ暦が作られていないから当然ユリウス暦である.じゃあこの日を,仮に当時グレゴリオ暦が存在したとして換算するといつになるのか,計算してみた(暇だなぁ~).それは…
1453年6月7日である(1582年当時でユリウス暦とグレゴリオ暦の差は10日,このまま逆算していくと1453年当時の誤差は9日となる).
かくして今年はこの日に一人で追悼行事を行うことにしようと決意したのでした.
注) もちろん当時存在しない暦を使って議論するのはナンセンスです(泣).
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