« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »

2007年5月31日 (木)

にんにくの里

 キリストの墓やピラミッドのある,神秘の里”新郷村”はミステリアスではあるのだが,食べ物にはこれといった特色はない(昔はナニャドヤラ蕎麦なる蕎麦があったらしいが,残念ながら見つけられなかった).

 しかし,新郷村の南には日本一のニンニクの産地,田子町がある.ちょうど雨が降って肌寒い日だったので,ニンニクを食べて気合を入れようと,田子町まで進出した(新郷から田子まで30キロ弱).

 町の中心部にあるガーリックセンター内のギルロイ・カフェではさまざまなニンニク料理を堪能できるが,ひときわ目を引いたのがこれ,

P5270078 これがニンニクたっぷりの”にんじゃあ麺”です.

 特製にんじゃあ麺である.”ニンニク”と”じゃあじゃあ麺”を合体させたような名前だなと思っていたら,本当にそのとおりでした.ベースはあっさりしょうゆスープにニンニクを練りこんだにんにく麺を使ったラーメンなのですが,そこに肉とニンニクを炒めて作った特製肉味噌と豆板醤を絡めて食べるのでした.あっさりスープにピリ辛肉味噌とニンニクの風味が絶妙に混じって,実に美味でした.寒い日だったので余計体にしみた.

 そして,サイドメニューにと注文したのがこれ,

P5270080_1 にんにくのバター焼きです.

 特製の焼きニンニクである.田子産のニンニクは中国産などに比べて,玉が大きく味も甘い.このメニューは田子産の大玉ニンニクを丸ごとバターで焼いたものでした.食べてみると,もちろん臭みなどはなく,まるでじゃがバターを食べているかのような甘さが口の中に広がるのでした(風邪を引いたときには最高の食べ物かもしれない).

 こうして久々にうまいものを食べて帰路に着いた私でした.

 田子町ガーリックセンター ← 名産のにんにくが買えるガーリックセンターです.

P5270083 ここがガーリックセンターです.町の中心部,国道104号線沿いにあります(カフェの他,各種お土産の購入や,田子とニンニクについて勉強もできます).

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月29日 (火)

神秘の里Ⅱ~ピラミッド~

 神秘の里新郷村の名スポット,キリストの墓を後にして,国道454号線を西に向かうこと5分,ここから林道に入って行くと,新郷村が世界に誇る観光スポット,世界最古のピラミッドがある(なぜか世界遺産には指定されていないようだ).

P5270070 ピラミッドに行くには左の林道に入ります.

 ピラミッドというとエジプトのギザやメキシコのテオティワカンのものが有名であるが,それよりも歴史が古いのがこの新郷村の大石神ピラミッドである.茨城県で発見された古文書に記されていたらしく,なんと!キリストの墓発見の翌日に発見されたというから凄い.偶然とすれば,宝くじの一等前後賞が2年連続で当たるくらいの確率だ.エジプトやメキシコのピラミッドは大地の上に積み上げて作ったピラミッドだが,この大石神ピラミッドは元々あった山がピラミッドになっているのだという.そんなのあり?と思うが,山が多い日本では,わざわざ石を積み上げる必要がないのだそうだ(そりゃそうだが,それじゃピラミッドって…).

P5270048 大石神ピラミッドの案内図です.地元の小学生が遠足に来るのでしょうか.

 林道に車を停めて見てみると,ここが下大石神ピラミッドらしい.何やら巨大な石がデンと構えていた.石には「太陽石」,「方位石(正しく東西南北を示しているのだそうだ)」,「星座石」などの名前がつけられていた.ただの巨石にしか見えないのは私の目が節穴だからだろう.

P5270049 大石神ピラミッドについて解説が書いてあります.

P5270054 P5270057

(左)手前に太陽石,奥に方位石があります.(右)ひときわ大きな星座石(昔は主要な星座が刻まれていたそうですが,今では全く判りません).

 そこからさらに数分林道を走ると今度は上大石神ピラミッドへの入り口があった.熊が出てきそうな獣道を登ること十数分,山頂のようなところに出た.ここにも巨大な石があった(節穴の私の目にはただの石にしか見えなかったが).

P5270068 こんな道を登って行きます(本当に熊が出そうです).

P5270066 これが上大石神ピラミッドの巨石です.特に案内板はありませんでした(ここまで来る人も少ないでしょう).

 休日ではあったが,私以外に観光客はいないようであった.新郷村には今日もひっそりと世界最古のピラミッドが鎮座しているのだった.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年5月27日 (日)

神秘の里Ⅰ~キリストの墓~

 2週間かかったひのパレレポも完成し,ようやくひとつの区切りになったと思う.私にとっての日常が戻ってきたというわけで,さあ早速ビザンチン皇帝の日常の再開です(笑).

 今日この辺の天気は良くなかったが,私にはどうしても行きたかった場所があった.それは”青森県新郷村”.青森県南部(いわゆる三八上北地方)にある人口4,000人の小さな村だ.農業が主体の何の変哲もない村に思えるが…,実は世界的に重要な村である.それは…

 なんとこの村には,”イエス・キリストの墓””世界最古のピラミッド”があるのだ.冗談ではない,本当にあるんだから仕方がない.実はこの存在は学生時代から知っており,十数年前に一度行ったことがあるのだが,その後どうなっているのか気にかかっていたのである.

 この新郷村,実は私の家からそう遠くない,距離にして100km弱,車で2時間ほどだ.新郷村の中心部からやや西に入ったところに,まずキリストの墓が出現する.

Christkan1 キリストの墓とピラミッドを示す看板.冷静に考えると,とても恐ろしい看板です.

 いうまでもなくイエスはキリスト教の救世主で,エルサレムなどで神の教えを説くが,ユダヤ教の大祭司や律法学者の反感を買い,また弟子のユダの裏切りもあり捕えられて総督ピラトの下に引き出され,十字架に架けられる.これが聖書にも載っている物語である.

 しか~し,昭和10年に発見された竹内文書によると,十字架上で死んだのはイエスではなく,弟のイスキリであり,イエスは弟子とともに逃れ,4年後の2月26日(妙に具体的だ)に八戸に上陸して,今の新郷村に定住したのだという.イエスはこの地で結婚し,106歳の長寿を全うしたのだという.

Hakateamae ここの高台にキリストの墓があります

Chrihakakan キリストの墓の由来が記されています.

 イエスがこの地に来たという証拠として以下のものが挙げられている.

 ① 墓のある地名「戸来(へらい)」はヘブライがなまったものである.

 ② この地域では子供が産まれ,その子をはじめて戸外に出す時に額に墨で十字を書く.

 ③ この地の名家沢口家の家紋はダビデの星である.

 ④ この地に伝わる盆踊りの歌詞「ナニャドヤラー,ナニャドナサレノ…」はヘブライ語で「御前に聖名をほめ讃えん…」と読める.

Chrihaka これがキリストの墓です.ちなみにこの墓の隣には,ゴルゴダの丘でイエスの身代わりになって死んだ弟イスキリの墓があります.

 これに対する反論も数多くあるのだが(有名な民俗学者の柳田國男氏は「ナニャドヤラ」の歌詞は単純な男女の語り合いからきているという説を採っている),とりあえず今もこの説を元に地元では毎年お祭りが行われている.それが…

 「キリスト祭り」である.

 しかも6月初旬の日曜日(今年は6月10日)に行われる.クリスマスやイースターと全く関係ない時期に行われるが,元々十字架上でイエスが死んでいないことを前提にしているのだから当然だ.

Chrifes 6月10日(ちょうど2週間後)にキリスト祭が行われるそうです.44回目ということで,なんと!ひの新選組まつりの4倍もの歴史があります.

 村内には今年のキリスト祭りのポスターも多数貼られていた.ポスターを良く見ると,キリスト慰霊祭などが行われるのだが,その中身はというと,牧師さんや司祭さんの説教などは一切なく,詩吟奉納や神事,玉串奉奠など純和風のお祭りが繰り広げられるらしかった(十字架上でイエスが死んでいないのだから,カトリックもプロテスタントも全くナンセンスなのだった).ペテロやパウロがこれを知ったらどう思うだろうか….

Fespos1 キリスト祭りのポスターです.2007年6月10日にキリストの墓のある,キリストの里公園(そのまんま)で行われます.

Fespos2 拡大した写真.キリスト慰霊祭は純和風に行われます.

 本来ならお祭り当日に訪れたかったのだが,6月10日は他の用事があり,参加できないため今日とりあえず訪問した次第であった.

 キリストの墓そばには,イスラエル政府から送られた碑文もあった.考えてみればイスラエルはユダヤ教であり,イエスは重要な存在ではないから村に協力してくれたのだろう(バチカンなら絶対に協力してくれそうにない).

Christsake そしてお土産にはこれ,キリストの里というブランドの日本酒です.

 さらにこの新郷村には,もうひとつピラミッドという恐るべき観光名所があるのだが,これについてはまた明日.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年5月25日 (金)

2007年ひのパレレポ完成!

 皆様お待たせいたしました(誰も待っていないか 笑).2007年5月12~13日に行われた第10回ひの新選組まつりレポがついに完成しました.皇帝観柳斎の目から見た独断と偏見に満ちたレポです(笑 ご感想はホームページの掲示板にどうぞ).

 第10回ひの新選組まつり参加記録

Yoin 2週間たった今もまだ余韻に浸っている私です.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年5月21日 (月)

講演会が!

 5月12,13日の夢のようなひのパレが終わり,その余韻に浸りつつほぼ一週間腑抜け状態で過ごした.その後レポ作成だとばかり奮闘していたのだが….

 昨日5月20日の夕方職場に行ってレターケースをのぞきこむと何やら1枚の紙が,

Iraisho  何々,公演の依頼.フムフム,日程は5月21日月曜日,ゲッ明日じゃん.慌ててスケジュール表を確認すると,確かに5月21日市内で講演と書いてあった.ひのパレの余韻ですっかり忘却の彼方にあったのである.

 そんなわけで製作途中のひのパレレポ第2部も,掲示板に頂いた皆様の書き込みへのレスもなげうって準備に取り掛かったのでした(幸いこのネタは以前別のところでやったことがあるので,多くのスライドは流用および加工で何とかできた).

 そして先ほど件の講演を終えて帰宅した次第であります.これからまた,ひのパレレポ作成に向け鋭意奮闘いたします.

 教訓: スケジュール表はマメにチェックしよう.

Junichu 作業中の私です.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年5月19日 (土)

ひのパレレポ第1部完成

 5月12,13日に行われた第10回ひの新選組まつりのレポ第1部「コンテスト編」がホームページの方に完成しました.興味のある方はどうぞ

  第10回ひの新選組まつり参戦記録 ~ 第1部 隊士コンテスト編 ~

2007shutujin 出陣式の様子

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年5月17日 (木)

アイドリングストップ宣言

 ひのパレのレポ作りに追われて,ブログの方の更新がなおざりにされておりました.レポ書きにもくたびれたため,息抜きに先日見かけたVOWネタをご紹介します.

 最近地球環境問題からか,アイドリングストップが言われてますね.停車中は極力エンジンを切って,無駄な排ガスを出さないようにということです.特に大型車を扱う会社では,「ウチの会社はアイドリングストップに取り組んでますよ」といわんばかりに,トラックの後ろなどにステッカーを貼っている場合もある.

Idringstop これが普通の「アイドリングストップ宣言」のステッカー.宮城県トラック協会と環境庁ご推薦のようです.

そんなある日(5月15日)いつものように車を走らせていたところ,前方のトラックの後ろにもステッカーが.パッと見には普通のアイドリングストップステッカーに見えますが,何かが違う.

Idlestrip1 前方のトラックの背後にステッカー,定番のアイドリングストップに見えますが…….

Idlestrip2

アイドルストリップ宣言だそうです(笑)

 赤信号のため近づいてみると,なんじゃこりゃー,アイドルストリップ宣言って.おまけに新風営法届出済っていったいこれは.誰が考えたか分かりませんが,きっと私と頭の構造が良く似た人に違いないと思ったのでした.

 さあ,レポ書きに戻ります.

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年5月14日 (月)

夢の跡

 はぁ~」

 夢のような2日間が終わってしまい魂が抜けたようになっている私です.今朝から早速日常に戻り,午前中は外来(でも抜け殻になっているのは事前に予想できたため,予約をいつもの半分くらいにしていた)でした.

 午後も腑抜け状態は変わらず仕事になっていませんでしたが,まあボチボチやっていました.明日は所用で盛岡です.久しぶりに白龍でじゃじゃ麺食べよう.

 ひのパレのレポ鋭意製作中です.

3ninshu 当ブログ&ホームページの常連さんフミヲ龍馬(右)とコシゾウ土方(中央)そして皇帝観柳斎(左)です.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

第10回ひの新選組まつりパレード

 ただいま,ひの新選組まつりから無事帰宅いたしました.最終のはやて,いわて銀河鉄道,自家用車を乗り継いで,自宅にたどり着いたのは午前1時でした(やっぱり江戸は遠い).

 昨年同様あまりにも充実した2日間だったため,とてもここで表現することはできません.近日中にホームページの方にアップしたいと思います(完成したらブログのほうにもお知らせを出します).

5bantai 武田観柳斎率いる五番隊の雄姿.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月13日 (日)

開幕!ひの新選組まつり

 いよいよ第10回ひの新選組まつりが始まりました.今日は午後から明日のパレードでの幹部隊士を決める,隊士コンテストも行われました.

 昨年思いがけなく六番組長井上源三郎役をゲットした私もコンテストに参加した.昨年は遠隔地から来た変り種であることをPRしたのだが,同じ手が2回も通用するはずはない.とはいっても居合などの型を披露することもできず,結局思いついたのが,局中法度ネタ.新選組の有名な局中法度をネタにしたパフォーマンスであった.

 今年は昨年を上回る45名の参加者があり,しかも比較的正統的なパフォーマンスをする人が多く,私の出る幕はないかなと半ばあきらめていたのですが,一次審査の結果なんとか合格,続くニ次審査では鳥羽伏見の戦いの直前,近藤勇と水戸藩の重臣のやり取りの演技を行った.私は希望の隊士を聞かれて「武田観柳斎」と答えたのでした.

Taishikon1 私(右)とミスター土方をゲットしたコシゾウさん(左)

 2次審査の結果,私は五番組長武田観柳斎役をゲット,注目のミスター土方は当ブログにも来たことがある,コシゾウさんが選ばれたのでした.ちなみに沖田総司役には背の高いフランス人の男性が選ばれました(フランスは戊辰戦争で幕府に肩入れしているからポイント高いな).今年は1次審査合格者の希望隊士が結構バラケていたため,希望通りの役をもらえた人が多かったと思う.

 さあ,いよいよ明日はパレード,私も武田観柳斎になりきって頑張ります.

Taisikon2 武田観柳斎の袖章です.

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年5月12日 (土)

江戸に到着

 やっと江戸に到着しました.皇帝を自称しているくせに首都に住んでいない私(もっともビザンチン帝国の前身のローマ帝国では,ローマに住んでいなかった皇帝はざらにいるので,それでよいともいえるのだが)にとって,江戸行きはやはり時間がかかる.東北新幹線のはやてで盛岡-江戸は2時間半なのだが,私の場合新幹線に乗るまでに1時間かかる.

 新幹線と在来線を乗り継いで,さっき多摩地方の旅籠に着いた次第です.ネット環境にある旅籠なのでこうしてブログを更新しています.

 それにしても途中京王線電車の何と混んだことか.この辺の人たちにとっては普通なのかもしれないが,電車が揺れるたびに前後左右から強力な力で圧迫されて骨が折れるんじゃないかと思った.とても私には暮らせそうにない(さっきの京王電車1両の乗客数で,JR岩泉線全線の1日の乗客数を超えていることは間違いないと感じた).

 さあいよいよひのパレ.今夜はさっさとビールを飲んで寝ることにします(BGMはモーツァルトのピアノソナタ15番だったりして).

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2007年5月11日 (金)

いざ日野へ

 さあいよいよ明日からひの新選組まつり.明日は隊士コンテストであさってはパレードである.予報では天気も持ちそう.私ビザンチン皇帝も帝位を投げうって(最初からそんなものがあるのか)脱藩し,尽忠報国の志を持って駆けつける所存です(なんか浪士組結成のため伝通院に集合する浪士の気分.決して支度金50両が目当てではありません 笑).

 いまから新幹線に飛び乗って(勿論衣装一式持参で)江戸表に向かいます.

Iza 今から江戸に向かう私です.

 追伸: 忘れてはいけません.今日5月11日は土方歳三の命日ですね.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

病院坂の首縊りの家

 GW中の5月3日夜に,NHKのBSで,映画「病院坂の首縊りの家」を放送していた.市川崑が監督で石坂浩二が金田一耕助を演じる横溝正史シリーズの5作目である.

 私は中高生時分,ミステリー大好き少年で,ミステリーなら洋物・和物構わず読み漁っていた.特に和物では横溝正史は大好きで,当時角川文庫から出ていた横溝作品はほとんど全部買って読んだ(たしか100冊位はあったと思う).「八つ墓村」や「獄門島」などの金田一耕助モノももちろん好きだが,戦前の由利先生モノにも魅力的な作品があった.特に「真珠郎」は,その神秘的な雰囲気から怖くて夜寝られなくなった作品である.

 さて表題の「病院坂の首縊りの家」は副題に”金田一耕助最期の事件”とかかれているとおり,名探偵金田一耕助の最後の事件となった作品である.名探偵の最後の事件となれば,やはりそれなりの感慨が沸く作品が多く,有名なアガサ・クリスティーの名探偵エルキュール・ポアロの「カーテン」やエラリー・クイーンの「○の悲劇」シリーズの探偵ドルリー・レーンの「最後の悲劇」などが有名だ.その一方,コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ最後の事件である「最後の挨拶」は,第一次世界大戦下ホームズがドイツのスパイを捕まえる話だが,驚くほどあっさりと終わってしまい拍子抜けさせられる(最後の挨拶というタイトルにもかかわらず,特にホームズの挨拶もない).実はドイルが当初考えていたホームズ最後の事件は別にあって,有名なモリアティー教授と格闘しながら滝壺に転落してしまう,「最後の事件」というのがそれである.この作品は名探偵ホームズと悪の帝王モリアティー教授の最後の戦いを描いた名作である(まさに仮面ライダーと死神博士が戦って相打ちになる感じ).ただ当時人気絶頂だったホームズを,このような形で唐突に葬ったドイルは世間の轟々たる非難を浴び,2年後に「空き家の冒険」でホームズを復活させている(このときのホームズの弁によると,教授との格闘で滝壺に転落する直前に,日本の柔術のワザで難を逃れたのだそうだ).

 「病院坂の首縊りの家」は20年前に不本意な形で事件の幕引きをしなければならなかった金田一耕助が,20年後に再燃した事件に乗り出し,ついに最終的な解決に導くという,大河ミステリーである.今回映画を見たあと,原作を読み返そうと思って取り出してみたのだが,原作本の上下巻の表紙の絵を見て,風雅さんのブログの板橋の写真に似てると思ったのでした(カラーとセピア色の組み合わせの感じが).

Byouinzaka1 Byouinzaka2

左 病院坂の首縊りの家(上巻),右 同(下巻).元はカラーだった結婚写真が20年の歳月でセピア色になってしまったようです.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年5月 9日 (水)

祝!愛車走行200,000km

 私が現在乗っている車(MAZDAのカペラ),1998年に新車で買ったのだが,以来9年間乗り続け,今夜帰宅途中ついに!!!,200,000kmの大台に到達した.地球を5周した計算になるわけだ.

200000km ODOメーターがジャスト20万キロを表示した瞬間です.感動のあまり車を脇に停めて撮影しました.

 愛知県在住の友人Nは以前の車に30万キロ乗っていたらしい(彼によると,30万キロ走ってもエンジンは絶好調だったが,車体がガタガタになってしまい,危険だからと周囲に説得されて,やむなく乗り換えたそうだ).いまどきの車はエンジンは50万キロくらい走っても大丈夫らしく,先にボディーが駄目になるようだ(毎日ワックスがけ等の手入れをすれば車体も持つのかもしれないが,逆に毎日ワックスがけするようなマメな人は,同じ車に30万キロも乗り続けないだろうと思った).

 メモリアルデーを迎えた我が愛車,これからどこまで走れるか楽しみである.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月 7日 (月)

いよいよ新選組まつり

 GWも明けて,今日からまた普通の日常が始まった(まさにブログのタイトルどおり).とはいっても私の場合,後半の4連休は当番で毎日職場に呼び出されていたため,休んだという気はまったくしないのだった(夜中にも2回くらい呼び出された).

 さて,ひの新選組まつり,いよいよ今週末です.本当かよと突っ込みたくなるくらい,月日の流れは速い.つまり来週の今頃は,祭りの余韻に浸りつつ,抜け殻のようになっている自分の姿が想像されるのであった(笑).既に切符の手配,宿の手配は済んでおり,あとは無事に出かけるばかりです(私の場合金曜の夜のうちに江戸入りしようと思っているため,金曜の夕方に急な用事が入らないことを祈ってます).

 今年もコンテスト参加の予定なので,午後にはメイン会場入りする必要がありますが,午前中は昨年見られなかった史跡等を巡る予定です(そのままコンテストになだれ込むことを考えて,朝から新選組装束で歩こうかなどと考えています 笑).

 パレード参加の皆々様,今年もよろしくお願いいたします.大いに祭りを盛り上げましょう!

Hinopare1 昨年の出陣式の場面(高幡不動尊大日堂前にて).

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年5月 5日 (土)

日本の珍名駅6 ”げろ”

 約半年ぶりの珍名駅ネタです.今回のテーマは,岐阜県の山中,JR高山本線の”げろ”(下呂)駅です.高山本線は東海道線の岐阜駅から北上し,美濃太田,高山,飛騨古川を経て,北陸の富山に抜けるルートである.げろ駅は美濃太田と高山の中間にある,山間の駅である.今回は名古屋から特急ひだ号に乗り込んだ.美濃太田駅を過ぎて,周囲はどんどん渓谷の雰囲気を醸し出してくる(この辺は飛騨木曽川国定公園になっている).目指すげろ駅はもうすぐである.耳を澄ましていると,待ちに待った放送が聞こえてきた.「ご案内いたします.あと3分程でげろに到着致します.げろでお降りのお客様,どうぞお早めに御支度下さい.あと3分程でげろに到着致します.ありがとうございました.間もなくげろに到着致します~.」

  

ここをクリックすると,げろ(下呂)駅到着直前の車内放送が聞けます.

Geroekisha 下呂駅の駅舎.結構渋くて立派です.

Gerokanban2 お約束の看板とともに.とても幸せそうです(笑).

 ”げろ”といえば,何といっても温泉が有名で,草津・有馬ととならんで日本の三名泉に数えられている.泉質は単純硫化水素泉で,ほんのりと硫黄の匂いが漂ってくる.この温泉は白鷺が発見したという伝説があり,駅のホームにも温泉が湧き出していた.

Geroyurai 下呂温泉の由来です.白鷺が発見したのだそうです.

Geroonsen 駅のホームにも温泉が沸いています(結構熱いです).

 そして,げろの有名な(?)お土産が,この「下呂の香り(げろのかおり)」である.どんな香りがするんだろうと,恐る恐る開けてみたが,別に特殊な匂いはなく,ほんのり甘いお菓子の匂いだった(味はなかなか美味しいです).ちなみに以前は「下呂牛乳(げろぎゅうにゅう)」というのもあったそうですが,現在では「下呂温泉牛乳」に変わってしまったそうです.

 ホームページの方にも珍名駅のコーナーがあります(日本の珍名駅

Geronokaori1 そしてこれが銘菓「下呂の香り」です.

Geronokaori2 恐る恐る開けて見ましたが,別に変わった匂いはしませんでした.

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2007年5月 4日 (金)

武田観柳斎と武田耕雲斎

 第10回ひの新選組まつりまであと1週間,いよいよ気分も盛り上がってきている.昨年のコンテストで,「希望の隊士は?」と聞かれた私は,「武田観柳斎!」と答えた.どちらかといえば学問派で,剣術の方はあまり得意でなさそうなところが,何となく自分に共通するような気がしたからと思われる.そんなわけで今日の話題は武田観柳斎である.

 武田観柳斎(?~1867)は出雲の国松江藩の支藩,母里(もり)藩の出身で,元の名前を福田要というらしい(中公文庫 新選組事典より).郷里では医学生だったという.福田は尊王論に惹かれていたが,松江藩主は親藩の松平氏だから,藩論はバリバリの佐幕派である.そんな環境に嫌気がさしたのか,脱藩して江戸に出た(不穏分子として藩に捕らえられ,脱獄して江戸に出たとも言われる).そこで甲州流軍学を学んだらしい.この時,武田信玄にあやかって武田観柳斎と名乗るようになった.その後の足取りは不明だが,文久3年の秋頃に新選組に入隊している.剣客揃いの新選組で,彼の軍学の知識は貴重な存在であった.隊内では副長助勤,文学師範から後には五番組長などを歴任した.上に対してはおべっかを使う一方で,下に対しては過度に厳しく当たる面があり,一般隊士には人気がなかったようだが,局長近藤勇の信用も厚く,元治元年の江戸行き,慶応元年の長州行きの際には軍師格として近藤に同行している.

 しかし幕府の軍制がフランス式に改められると,武田観柳斎の軍学は時代遅れのものとなり,徐々に隊内での地位も不安定になっていった.そこで彼は新選組から分離した伊東甲子太郎一派(御陵衛士)に接近したが断られている(伊東が新選組から分離する際に,以後新選組と御陵衛士間の隊士の移動は認めないという取り決めがあったためといわれているが,伊東自身に観柳斎に対する不信があったのかもしれない).

 行き場を失った観柳斎は薩摩藩に接近する.当時の薩摩藩は表向き公武合体派を標榜していたが,既に慶応2年1月に薩長同盟を結ぶなど,倒幕の動きを見せており,新選組からも敵方と認識されていた藩である.この薩摩藩との接触が露見し,慶応2年9月に斎藤一と篠原泰之進に斬られたと言われている.その一方,慶応2年後半に新選組を除隊し,その後独自に尊王攘夷活動を行ったために,慶応3年6月に新選組に殺されたという説もある.また子母澤寛の新選組物語によると,男色の気があったともいう.

Matsue 武田観柳斎の出身地,出雲の国松江です.今は近代的なビルが並びます.

Izumosoba そして,出雲といえば名物出雲そばです(写真は割子そばです).

 ところで,幕末に武田姓を名乗った有名人がもう一人いる.水戸藩の家老,武田耕雲斎(1803~1865)である.歴史的インパクトではこの耕雲斎の方が上であろう.水戸黄門で有名な水戸藩は尊王思想の本家ともいうべきところで,幕末期の藩主徳川斉昭と水戸学者の藤田東湖は,全国の尊攘派志士に強い精神的影響を与えたことで有名だ.この幕末の水戸藩で徳川斉昭を支えたのが武田耕雲斎である.こちらは元の名前を跡部正生といい,跡目を継いだ際に,武田信玄の末裔を称して武田姓を名乗ったものらしい.

 ペリー来航から安政年間にかけて,全国の尊攘活動をリードしていた水戸藩であるが,1855年(安政2年)の安政大地震で藤田東湖が圧死し,1860年(万延元年)に徳川斉昭が死ぬと,保守派と改革派の対立が激化して藩内は大混乱に陥る.この保守派と改革派の抗争はこの時期,どこの藩でも大なり小なり見られたことで,珍しいことではない.特に長州藩では,藩主がリーダーシップを発揮しなかったこともあり,両派の抗争で政権が保守派になったり,改革派になったりを繰り返していた.ただ長州藩の場合は抗争があっても,せいぜい敵方を追放する程度で,一族を根絶やしにするようなことはしていない.ところが幕末の水戸藩では政争で勝った側が反対派を一族郎党全て殺してしまうような,血で血を洗う激烈な抗争が繰り広げられたのだった(安政期には尊皇攘夷といえば水戸藩の専売特許みたいなもので,特に過激な水戸藩士が安政の大獄で井伊直弼に徹底的に弾圧され,その報復として桜田門外の変が起こったのである).

 こうして両派の報復合戦によって,水戸藩は有能な人材を失っていった.そして1864年(元治元年)3月に天狗党の乱が起こる.これは一向に攘夷を決行しない幕府に対して,藤田小四郎(藤田東湖の子)ら水戸藩の過激派が筑波山で挙兵したものである.武田耕雲斎は尊攘派ではあったが,過激派ではなく,この時藤田小四郎らの挙兵に対しては批判的であった.彼は過激派を説得すべく水戸に向かったが,逆に説得されて天狗党の首領に祭り上げられてしまった.この時耕雲斎61歳であった.

Kouunsai 天狗党の乱で悲劇的な最期を遂げる水戸藩家老,武田耕雲斎

 尊皇攘夷の決行を掲げて挙兵した天狗党だったが,早くも戦いはは水戸藩内の保守派との内戦の様相を呈してきた(このころ水戸を押さえた保守派は,過激派の留守宅を襲い,過激派の妻子を殺したりしたらしい).幕府や周辺の諸藩の干渉もあり戦いは泥沼化する.そんな中状況を打破するため,天狗党の面々は,将軍後見職の一橋慶喜(徳川斉昭の子)を通じて朝廷に自分達の赤心を訴えてもらおうと,京都に行くことを決定,天狗党800人余りが進軍を開始した.元治元年秋のことである.

 幕府や諸藩の軍と戦いながらも彼らは12月11日に越前の新保(現福井県敦賀市)に到着した.しかし彼らはそこで,頼みの一橋慶喜自身が追討軍を率いてやってくることを知った.もはやこれまでと観念した天狗党は12月17日に加賀藩に対して降伏した.

 天狗党に対する加賀藩の処遇は寛大なもので,1月1日には酒なども振舞われたらしい.また幕府に対しても寛大な処分を要請した.しかし幕府は当初から厳罰で臨む方針であり,天狗党の身柄を福井,彦根,小浜の各藩に委ねた.その結果彼らは敦賀の鰊倉にぶち込まれ,ろくな取調べもされないまま,首領の武田耕雲斎,藤田小四郎以下なんと400人近い人々が首を刎ねられた.この処刑を担当したのが桜田門外の変で藩主を水戸浪士に殺された彦根藩であった.

 この天狗党の大量処分は,血なまぐさい事件の多い幕末でも,ひときわ凄惨な事件である.この乱で水戸藩の尊攘派は壊滅状態となり,これ以降の水戸は王政復古まで佐幕藩となるのである.

 ちなみに武田観柳斎武田耕雲斎,何となく似た名前ですがもちろん血縁関係はありません.

| | コメント (3) | トラックバック (1)

2007年5月 3日 (木)

イソビタンA

 だいぶ以前になるが,オロナミンCの類似品で,ミンナミンCという栄養ドリンクについて書いた.オロナミンCは大手製薬メーカー「大塚製薬」が出している,超メジャー栄養ドリンクである.一方のミンナミンCは「タムラ活性」というマイナーな会社から出ている.しかし味の方はなかなか良く,(個人的には)コカコーラから出ているリ○ルゴー○ドや,サントリーのデ○ビ○Cなんかよりよっぽど旨いと思う.

Minnamin タムラ活性のミンナミンC.キャッチフレーズは「ミンミンみんなのミンナミン」です.

 しかもこのミンナミンC,とっても安い.ウチの近くのドラッグストアで10本入り500円未満で売っている.これはテレビや雑誌などでの宣伝を全くやっていないためと思われる.すなわちメーカーの戦略としては,店で商品を見かけた人が,オロナミンCと勘違いして買っていくのを期待しているのだろう.いわばオロナミンCのネームバリューに便乗したパラサイト戦略である.一度商品を買ってもらえば,味の方はイケルから,リピーター率は高いと思われる.

 さて,先日近所のスーパーで,別のタムラ活性製品を見つけた.その名も

 イソビタンA

 リポビタンDとアリナミンAを足したような名前だ.ただ商品そのもののデザインはリポビタンなどに類似はしていない.ハチの絵柄(第二高等学校ではありません)がデザインされるなど,オリジナリティを出そうとしているようだ.しかもこの商品,リポDのような医薬部外品ではなく,ミンナミンC同様ただの栄養ドリンク(清涼飲料水)である.すなわち効果効能は表示できない.医薬部外品にするには厚労省の認可が必要だから,その経費すら惜しんだということだろうか(ちなみに値段は税込み60円であった).原材料を見るとハチミツや朝鮮人参エキス,ロイヤルゼリーなどが配合されているようだ.

Isobitan これがイソビタンAです.

 さて,肝心のお味の方は……,なんか甘いだけのような気がする.これならミンナミンCの方がいいやと思った私でした.

 追伸) タムラ活性のホームページ(タムラ活性株式会社)を見たら,イソビタンAⅡというのもあるらしい(しかもこちらは医薬部外品!),是非一度飲んでみたいと思った(どこで手に入るのかは不明).

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年5月 2日 (水)

渡辺崋山と高野長英

 ひの新選組まつりまであと10日となった.新選組が京都で活躍したのは1863年(文久3年)以降,幕末の最終段階のことである.いつからを幕末と呼ぶかについては,1853年(嘉永6年)のペリー来航(黒船来航)からという考え方が一般的である.しかし,このペリー来航も青天の霹靂のように起こった事件ではなく,少なくとも当時の知識人の間では,いずれ起こるだろうと予想された出来事であった.すなわちペリー来航以前のいわば,プレ幕末期とでもいうべき時期があったのである.

 江戸時代の日本は鎖国を行っていたとはいえ,隣国の李氏朝鮮やオランダとは通信・交易を行っていた.特にオランダからは,近年の西欧諸国の目覚しい進歩に関する情報がもたらされていた.19世紀に入ってから日本近海にはアメリカ,イギリス,ロシアなどの船が出没するようになっていたが,これに対して幕府は1825年(文政3年)に異国船打払令を出して,日本に近づく外国船は全て砲撃して追い払う方針を採っていた.そんな中,1837年(天保8年)にアメリカの商船モリソン号が浦賀沖に現れた.モリソン号は日本人の漂流民を伴ってやってきたのだが,浦賀奉行所は異国船打払令に従ってモリソン号に砲撃を加え,漂流民も受け取らずに追い払ってしまった(モリソン号事件).このような幕府の政策に批判の声を挙げたのが,当時西洋事情を研究していた蘭学者たちであった.すなわち渡辺崋山は「慎機論」を,高野長英は「夢物語」を著して幕政を批判したのであった(曰く,モリソン号は日本人の漂流民を伴って来たものであり,これを受け取ることもなく,砲撃して追い払うごときは,仁義に反するものである.このようなことをしては,いたずらに外国の不信を招き,侵略の口実を与えてしまう.それゆえ,ひとまずは入港を許し,漂流民を受け取った後,国法に従って交易に関しては拒否すべきである).

Watanabekazan Takanochoei

来るべき幕末の混乱に対して警鐘を鳴らした蘭学者(左 渡辺崋山,右 高野長英).歴史の教科書ではこの二人はセットで扱われる.

 しかし当時幕政批判は重罪であり,崋山や長英の論文も思いを同じくする仲間内で回し読みされただけであった.しかし,彼らの著作は以外に反響を呼び,特に「夢物語」は多くの人に読まれたようである.人の口に戸は建てられず,ついには幕府の知るところとなり,崋山や長英は逮捕されてしまった.これが世に言う「蛮社の獄」である(この時迫害の先頭に立ったのが,目付で後の江戸南町奉行の鳥居耀蔵であった.彼は遠山の金さんこと北町奉行の遠山景元のライバルでもある).この時の処罰が,田原藩家老であった崋山が国元蟄居であるのに,町医者だった長英は江戸で永牢(無期懲役)と身分によって異なっているのが興味深い.

 先日中部地方在住の友人を訪れた際,近所に渡辺崋山の記念館があるという話を聞いて早速出かけてきた次第である.実は高野長英は私の地元岩手県の水沢(現奥州市)出身で,長英については学校で習う機会もあったのだが,片割れの崋山の方はイマイチ印象が薄かったのである.

Kazanzou 渡辺崋山が晩年を過ごした家は,池之原公園となっており,崋山の銅像も建っています.

 渡辺崋山は三河の国田原藩(渥美半島にある,現田原市)の家老である.田原藩は12000石という小さな藩であるが,崋山の優れた政治手腕もあり,有名な天保の大飢饉の際には藩内で1名の餓死者も出さなかったといわれている(食料の備蓄庫である”報民倉”を作っていた).そんな優れた政治家である一方,画家としても有名であった.

 その後外国船が頻繁に日本近海に出没するようになると,西洋事情を研究するために蘭学者の高野長英らとともに尚歯会(当時洋学は禁止されていたわけではなかったが,集団で洋学を研究することははばかられたため,歯を大事にする会という意味の尚歯会と名乗った.一方鳥居耀蔵ら蘭学嫌いの役人はこの集団を蛮社と呼び警戒した)を作って活動した.そんな時に前述のモリソン号事件が起こり,崋山らは幕府を批判,これが幕府内保守派の鳥居耀蔵に睨まれて,1839年の蛮社の獄に至るのである.この時高野長英は江戸で永牢となったが,後に脱獄し,諸国を潜伏した後,江戸に戻ったところを幕吏に襲われ死亡した(1850年).

 一方の崋山は国元蟄居となったが,家族の生活のために弟子の勧めで自作の絵を売るようになった.しかし,これが幕府の目に留まり,「罪人の分際で身をわきまえていない」との悪評が立ち,藩に迷惑がかかることを恐れた崋山は1841年(天保12年)10月11日に自刃して果てたのであった.享年49歳,この時「不忠不孝渡辺登」と大書された遺書が遺されていた.

Kazanannai 池ノ原公園の崋山の幽居跡.

 こうして崋山や長英は志半ばで無念の死を迎えたが,彼らの思想は生き残った仲間の江川太郎左衛門らを通して,佐久間象山や勝海舟らに受け継がれていったのである.そして実際に崋山の死から12年,長英の死からわずか3年後にペリーが来航,彼らが憂いたとおりに日本は激動の幕末に入っていくのである.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月 1日 (火)

ワニ料理

 いよいよGWである.世間では5月1日,2日を休むと9連休になる人もいるらしいが,私の場合は暦どおりである.しかも呼び出しへの対応もあるため,実際の完全フリーは4月28~30日の3日間のみである(5月3~6日は相方の休みにした.5月12,13日の新選組まつりへの布石である).

 そういうわけで,この3日間中部地方に出向いてきた.愛知県在住の友人のもとを訪ねたのだが,折角だからと犬山市にある”野外民族博物館 リトルワールド”に行ってきた.ここは沖縄の石垣島の家から,ペルーの大農園領主の家,西アフリカの土の家など,世界各地の住居や風俗が再現されたテーマパークである.つまり,園内を一周しただけで,世界旅行をした気分になれるという場所であった(さらに世界各地の民族衣装を着て記念撮影もできるらしい).友人には,「お前はよく旅行をしているから,本物を見たことがあるのも多いんじゃないか」といわれたが,ここにある33の施設のうち,実際に私が本物を見たことがあるのは,わずか3箇所に過ぎなかった(ドイツ バイエルン州の村とフランス アルザス地方の家,そして山形県月山山麓の家).いかに普段の旅行がマニアックであるかがわかるのだった.

Zenmmap リトルワールドのマップです.

 最初はあまり期待していなかったのだが,歩いてみると,どうしてなかなか充実しているではないか,なかでも私の琴線をくすぐったのは,西アフリカ カッセーナの家であった.ここはアフリカ西部,サハラ砂漠の南に位置するブルキナファソ(旧名オートボルタ)にある土の家である.さすがに多湿な日本では,土の家の再現は困難らしく(梅雨時になれば100%,溶けてなくなってしまうだろう),コンクリート製の家であったが,雰囲気は十分に伝わってきた.面白いのは,大人一人一人に一軒の家(といっても小さいものだが)が割り当てられていることで,家族といえども同じ屋根の下に住んでいるわけではないというのが,文化の違いとして興味深かった(大家族がひとつの集落を形成しているという感じ).私にとっての憧れの地,黄金の都トンブクトゥは,このブルキナファソの隣国マリにあり,同じように土でできたモスクなどの建物がある.

Wafrica カッセーナの家(オリジナルは土でできています)

 そして,このカッセーナの家近くのレストハウスにあったのが,リトルワールド名物(?)のワニ料理である.折角だからとワニラーメンとワニの串焼きを注文した.ラーメンの方はワニ肉がチャーシューのようになって出てきた.食べた感触は,鶏肉というかコンビーフの味というか,臭みなどはないが,結構油が多くてこってりしていた.串焼きの方は,まさに焼き鳥の味であった(居酒屋などで,串焼きの盛り合わせに混ざって出てきたら,誰もワニ肉とは気付かないだろう).ワニ料理を堪能すると,証明書を貰えるのだった(これを見せて友達に自慢しなさいということらしい.自慢になる‥‥かなぁ?).

Wani 各種ワニ料理が堪能できます.ちなみにダチョウの串焼きも食べてみましたが,やっぱり鳥でした.

Waniyaki これはワニの串焼きです.食感は焼き鳥そのものです.

Wanishoumei そしてこれが,ワニを食べた証明書です.

 リトルワールドは連休ということもあり,大勢の観光客でごった返していたが,敷地が広いこともあって,一部の施設以外はそれほど大混雑という感じはなかった.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »