西洋音楽の源流
1月28日の「ヨハネ受難曲」の演奏会が終わり,盛岡バッハ・カンタータ・フェラインでは,J. S. バッハの教会カンタータを取り上げて練習している.
教会カンタータは,バッハの作品の中でも重要な位置を占めるジャンルであるが,実際に西洋音楽の歴史においても教会が果たした役割は極めて大きい.西洋音楽の源流をどこに置くかについては様々な議論があろうが,中世のグレゴリオ聖歌がひとつのトピックであったことは間違いないだろう.もちろんグレゴリオ聖歌以前にも音楽はあったに違いないのだが,残念ながら楽譜などがないため,どのようなものだったのか解っていない(絵画や彫刻と違って,音楽は時間の芸術と呼ばれるように,基本的にその場限りの芸術である.たとえ同じ演奏者が同じ曲を演奏したとしても,全く同じ演奏になるわけではない).
グレゴリオ聖歌はカトリック教会の典礼に使われた単旋律の聖歌である.メロディーも単純で,音楽というより節の付いた語りといった方がイメージに近い.このグレゴリオ聖歌に手を加えていくことで,ヨーロッパの教会音楽は大きく発展していくことになる。
中世音楽の演奏において,故・デビッド・マンロウ氏とロンドン古楽コンソートを忘れることはできない.私が教会音楽に興味を持ち始めた1980年代に,(当時としては)大枚をはたいて購入したのが,D・マンロウ氏による「ゴシック期の音楽」のレコードであった.これは12世紀から14世紀の教会音楽,世俗音楽を集めた3枚組みの名盤である.
1986年頃に編集した,ゴシック期の音楽の自作楽譜の表紙です(懐かしい)
12~14世紀は建築史ではゴシック期と呼ばれる.音楽史では,13世紀あたりを境にしてそれ以前をアルス・アンティクァ(旧技術とでも訳すか),以後をアルス・ノヴァ(新技術)とよぶ.12世紀後半,グレゴリオ聖歌の旋律をベースにしながら,それに副旋律を絡ませる多声音楽が作られるようになった.これがオルガヌムと呼ばれるもので,当時建設が進んでいたパリのノートルダム大聖堂にいた作曲家(?)が中心になったことから,彼らをノートルダム学派という.代表的な作曲家にレオニヌス(フランス語読みでレオナン)やペロティヌス(同ペロタン グリコのチョコレートではありません)がいる.レオナンは2声の,ペロタンは4声のオルガヌムを作曲している.13世紀になると低旋律にグレゴリオ聖歌を使う点はオルガヌムと共通であるものの,より自由な歌詞(宗教的な題材のみならず,世俗的な素材である場合も多い)を持つ旋律を絡ませる,モテトゥスと呼ばれる新ジャンルも登場する.モテトゥスの面白さとして,全パート歌詞が違うなんてこともある.例えば13世紀の作品,"On parole de batre(お前さんたち,口を開けば)" では、各パートの歌詞がそれぞれ,街の人々の世間話と物売りのセリフだったりする.「ゴシック期の音楽」には,この3声または4声の魅力的なモテトゥスが沢山収録されているのだった.
このレコードでゴシック期の音楽の魅力に取り付かれた私は,自分でもこれらの作品を演奏してみたいと思い,仲間数人で歌ったりしたこともあった.とはいっても,ゴシック期の音楽の楽譜など国内では手に入らない時代(今なら手に入るのか不明)であり,D・マンロウのレコードをカセットテープに落として,それこそテープが擦り切れるくらい聴きながら,必死になって採譜したことを良く覚えている(モーツァルトなら一度聴けばすぐに採譜できるのだろうが,私にはそれほどの才能がない 笑).
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