池田屋事件
NHK BS Hivisionでやっている大河ドラマ「新選組!」の再放送,3月1日(木)は池田屋事件であった.芹沢鴨暗殺が2月26日(月)の放送だったから,めちゃくちゃ展開が早い.放送では文久3年9月の芹沢暗殺から,翌元治元年5月の大阪与力”内山彦次郎”暗殺まで一気にワープしていた.この間の事件としては,近藤勇と山南敬助による,元治元年1月岩木升屋での不逞浪士退治事件が知られている.
2004年にフルタから出ていた食玩「新選組戦場録」の全フィギュア(今病棟に飾ってあります).
この事件はまた,山南敬助が新選組で活躍した最後の記録といわれており,事実この事件以後山南は新選組の表舞台から姿を消す.池田屋事件やその一月後の蛤御門の変にも参加していない.同年2月には,多摩から富沢忠右衛門が上洛し,近藤らと酒宴を開いているが,この時富沢は山南には面会できなかったと記録している.このことから,岩木升屋の事件で山南は重傷を負い,そのことがきっかけで鬱になったのではないかと考えている学者もいる(さすがに「新選組!」での山南は,池田屋前後も大活躍しているが‥).
そしてこれが,岩木升屋で不逞浪士を討つ,山南敬助の勇姿です.
その後,慶応元年2月に山南は突如切腹して果てる.一般には脱走して連れ戻され,隊規によって切腹させられたといわれているが,実はこの脱走説は,後年の永倉新八の証言以外に出典がなく,真偽の程は定かではないようだ.ただ,いずれにせよ新選組幹部の中で,武士として切腹して死んだのは山南と新見錦(当初局長,後に副長)だけである(天寿を全うした永倉,斎藤,鈴木三樹三郎のほかは,沖田(病死),近藤(刑死),土方・井上・藤堂・原田(戦死),芹沢・伊東・武田観柳斎(暗殺)などとなっている.
そんなわけで,新選組のターニングポイントともいうべき池田屋事件を経て,大河の再放送もいよいよ後半に差し掛かるのであった.
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