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2007年2月28日 (水)

ピック病

 先日2月26日の朝日新聞朝刊のトップ記事は”ピック病”に関する話題であった.ピック病とは認知症のひとつであり,医者の世界でも,神経内科医と精神科医以外にはあまり知られていない病気である.

 若年認知症「ピック病」で万引き 厚労省が調査

 記事は万引きをして懲戒処分を受けた公務員が,その後ピック病と診断されていたことがわかり,全国で同様のケースが確認されているというものである.

 認知症には様々な種類があり,日本で多く見られるものとしては脳血管障害(脳梗塞や脳内出血など)の後遺症による”脳血管性認知症”と,進行性に大脳が萎縮することによって起こる”アルツハイマー病”が有名である.”ピック病”は,進行性に大脳が萎縮していくという点ではアルツハイマー病と共通だが,こちらは主として前頭葉と側頭葉が萎縮していくのが特徴だ(その他の認知症として,幻視が前面に出て,手足の運動障害も合併するレヴィ小体病なんてのもある).

 病初期に物忘れよりも,性格変化や行動異常(非社会的な行動,周囲への無配慮など)が前面に出るのが特徴である(アルツハイマーの場合,病初期には物忘れが見られるが,対外的にはニコニコして人当たりがいいのが特徴.このため,普段一緒に住んでいる家族は認知症に気付いても,たまにしか会わない親戚などは正常と認識しているケースも多く,親族内トラブルの原因になる).記事に出ていた万引きも初期症状として有名であり,その他,急に借金しまくってマンションをたくさん買うなどということも見られる.

 ピック病の頻度については,アルツハイマー病よりはかなり少ないと考えられているが,実際には正しく診断されていないケースも多いだろうことから,決して稀な疾患ではないと思われる(昔の医学書には稀な疾患と書かれていた).ピック病は残念ながら今の医学では特異的な治療方法はない.しかし正しく診断することによって,周囲の理解とサポート体制を築くことが可能となるため,積極的に病気であることを見つけることが重要である(近年ではピック病はFTD: Frontotemporal dementia という概念で語られることが多い).

Pick4 ピック病のMRI画像(フレアー画像水平断).側頭葉と前頭葉が著明に萎縮し,脳回(脳のシワ)がナイフのようにトンガっています(knife edge atrophy).

Pick5 同じくピック病のMRI T2強調画像冠状断.

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2007年2月26日 (月)

頭痛フォーラム2007

 この週末東京に行ってきた.「頭痛フォーラム2007」という,頭痛に関するセミナーに参加するためである.普段,地方で地域医療に奮闘していると,時にアカデミックな話題に飢えてくるため,タマに都会に繰り出すのである.セミナーは2月25日(日)にあるのだが,折角だからと,24日のうちに東京入りした.

 丁度上野の都美術館で「オルセー美術館展」をやっているというウワサを耳にしたため行ってみたのだが,凄い長蛇の列でかなり待たされそうなため,断念した.その後秋葉原等をブラブラして過ごした.

 翌25日は朝からセミナーである.会場は新高輪プリンスホテルの国際館パミール,しばしばこういったイベントの際に利用される立派な会場である.入ると既に大勢の参加者でごった返していた(主催者の発表によると1000人位来たらしい).

 今回のフォーラムは3部構成になっていた.まず第1部は,”各診療科からみた頭痛”と題して,神経内科以外のペインクリニック科や心療内科,小児科の医師から見た頭痛についての講演であった.第2部は実際の頭痛症例を提示して,その病歴,所見等から診断を考えさせるという,ちょっとしたクイズ形式のコーナーであった.このコーナーの後半には解説のために偉い先生が登場するのだが,そこで登場した神奈川歯科大学附属横浜クリニック内科学講座教授という肩書きの女の先生が,社民党の辻元清美似でとても楽しかった(一方,この時司会をやっていた先生が,何となく石原都知事似だった).

Zutsuneo 真ん中の赤い服の方,何となく社民党の辻元清美さんに似ています.

 第3部は,はるばるスエーデンのヨーテボリからやってきたCarl G. H. Dahloef 先生の特別講演であった.先生は今年ストックホルムで開催される,世界頭痛学会の会長を務める偉い先生なのでした.

 こうして久しぶりにアカデミックな気分になって帰宅したのだった(明日からまた外来).

Zutsu1 熱演するDahloef 先生.

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2007年2月23日 (金)

コンスタンチヌス10世

 だいぶ前の記事に書いたが,今年2007年は昨年のモーツァルトのような,著名音楽家の生没年に関連した記念イヤーはない.歴史的事件では,唐滅亡1100年(907年),法隆寺創建1400年(607年),聖山事件2500年(紀元前494年,古代ローマの貴族と平民の政治闘争),ソロンの改革2600年(紀元前594年,古代アテネの政治改革)などがある.ちなみに来年2008年は,お隣の中国では前漢滅亡2000年(8年,漢の外戚王莽が帝位を簒奪),赤壁の戦い1800年(208年)というビッグイヤーが控えており,北京オリンピックと併せて大いなる盛り上がりが予想される(笑).

Koumei 呉の魯粛とともに,赤壁の戦いの仕掛け人となった三国志の超有名人”諸葛亮孔明”です(守屋洋 著 中国宰相列伝 教養文庫より引用).

 それはさておき,実は今年2007年はビザンチン皇帝コンスタンチヌス10世(1007~1067年)生誕1000年の記念イヤーである.ビザンチン帝国の始まりをいつに置くかについては昔から様々な議論があるが,330年のコンスタンチヌス1世によるコンスタンチノープル遷都をもって始まりとする説がある(昨年末BS iで放送した東ローマ帝国特番でもこの説を採用していた).

 その一方、滅亡については1453年のコンスタンチノープルが陥落し,最後の皇帝コンスタンチヌス11世が戦死した時とすることについてはほとんど異論がない.つまりビザンチン帝国にとってコンスタンチヌスとは始まりと終わりを表す極めて重要な名前ということになる.その偉大なる10代目を名乗る皇帝なのだから,さぞ凄い人物かと思いきや,さにあらず,コンスタンチヌス10世についてはほとんど記録がない.

Byzantine3 ビザンチン帝国の紋章”双頭の鷲”です.

 彼が皇帝であった11世紀半ばは,バシレイオス2世を頂点とする帝国の絶頂期が終わりを告げ,東方からセルジュク・トルコの脅威が迫ってくる時代であった.この時代に即位したコンスタンチヌス10世の治世がどんなものだったか,恐らくは何もなされない無為の時代だったと思われる.結局,彼の次の皇帝ロマノス4世の時,帝国はトルコに決定的な敗北を喫するからである.

 結局2007年はこういうよくわからない皇帝の記念イヤーしかないのであった.

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2007年2月21日 (水)

冬の平庭峠

 2月20日所用で盛岡に出かけた.途中国道281号線の平庭峠を通る.暖冬のため,下界には雪がほとんどない今年ではあるが,さすがにこの辺に来ると雪が積もっている.快晴の青空の中,積もった雪が照り返しで真っ白に輝いていた.

Hiraniwa3 夏には白樺林が美しく,典型的な高原の趣になる平庭高原です.

 冬は積雪,凍結で運転が大変なため,あまり通る機会の少ない道路だが,この日はあまりにも天気が良かったため走ってみました(学生時代,私や友人のNは快晴のことを「大晴れ」と呼んでいた).

Hiraniwa_1 こちらは冬季閉鎖っぽいレストハウスです.

 まだまだ寒い日が続きますが,徐々に日も長くなっており,春の足音が確実に聞こえてくるようです.

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2007年2月18日 (日)

"今からでも間に合う”再放送

 2月17日の朝日新聞の記事によると,最近ドラマの再放送のあり方に変化が見られるという.

  華麗なるドラマ再放送 終了を待たずに土日昼に特集

 ドラマの再放送と言えば,昔は本放送後半年~1年位後に平日の夕方などにやっているパターンがほとんどだった.しかし,最近では土日の午後を中心に,例えば第2話放送直前に第1話の再放送をやったり,連続ドラマの中盤や終盤などに”今からでも間に合う”と称して,それまでのダイジェスト編を放送したりするらしい.連続ドラマと言うものは,続けて観ないと,話の筋についていけなくなり,興味を失って観なくなることも多いから,これはこれで有効な方法なのだろう.

 考えてみれば,放送直前に前回の再放送をやる,というスタイルはNHKの大河ドラマでは昔から行われていたパターンである.逆に言えば,これまで民放では行われていなかったというのも何だか不思議である(民放の場合,スポンサーとの絡みもあり単純ではないのかもしれないが).

 それにしても,ドラマの中盤に”今からでも間に合う”とダイジェスト編を放送するパターン,昨年の「毎日モーツァルト」でも5月と8月に行われていたが,これは民放ドラマの手法だったのか!」 と普段ドラマに縁のない私は,新鮮な感動を覚えたのでした(2007年1月期の民放最高視聴率ドラマは,あの山本耕史さんも出演しているTBSの「華麗なる一族」だそうです).

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2007年2月17日 (土)

救急医療の実情

 先日の岩手日報に興味深い記事が出ていた.

 急患80%超が軽症 大船渡救命救急センター

 地域の救急医療に携わる医師の悲惨な実態が伺える記事である.実は私も以前,記事の病院に勤務した経験があるのだが,ここの救急当直は本当に辛かった(過去に自分が勤務した全ての病院の当直の中で,ここが一番きつかったと思う).当直の夜はほとんど寝られず(連続3時間の睡眠がとれれば奇跡である),徹夜明けで翌日の診察や検査に入るのが当たり前であった.一応,当直明けは半日勤務で帰っていいことになっているらしいのだが,これには「業務に差し支えがなければ」という但し書きが付いており,実際には医師充足率の低い病院では,業務に支障がないはずはないため,事実上空文化しているのだった. 

 こういう状況であるから,件の病院に勤務していたときは,当直の数日前から体調のピークが当直日の夕方に来るように調整していたものである(プロ野球のローテーションピッチャーみたいだ 笑).

 病気は時と場所を選ばないから,24時間対応可能な救急センターは必要である.私も自分で希望して今の仕事をやっているから,たとえ深夜でも重症な人がやってくれば,それなりに対応している.人間の体とは不思議なもので,たとえ疲労の極にあっても,目の前に重症の人がいると,交感神経系が亢進して体内にカテコラミンが分泌され,体と頭がシャキッとなるのである.逆に夜中の3時に「何となくのどが痛いんです」なんて人が来ると,一気に疲労度が増すのであった(一番疲労度が増すのは,夜中に「眠れないんです」とやってくる人.こんな人が来ると「私の睡眠時間を奪いやがって」と心の中で思いながら,表情はいつも通りで「ああ、そうですか」と対応しているのである).

 世の中には救急外来を24時間営業のコンビニ病院と勘違いしている人もいる.岩手日報の記事にも出ていたが,「夜間の方が待ち時間が短いから」といった困った理由で救急に来る人もいるのである(風邪引きの人が朝8時15分に救急外来を受診するかたわらで,本当に具合の悪い人が朝7時から一般外来の受付に診察券を出して9時の診察開始を待っているという,シャレにならない話もある).

 夜間外来はあくまで救命が任務であり,生命に異状がなければ,原因究明等は翌日の一般診療で行うのが原則である.このため,夜間の受診者には内服薬などは1日分しか出さず,必ず翌日の外来を受診するように指導するのだが,コンビニ病院だと思っている人には理解できないらしく,「なんで1日分しかよこさないんだ」とゴネる輩もいるのだった(特に中年のオッサンにこの手の人が多い気がする).

 もっとも症状の強い・弱いが必ずしも,疾患の重症度と相関しない場合もあるし,重症なのかどうかの判断は一般の人にはできないから,「あまり救急外来を受診しないように」などと言うつもりはない.ただ医師も人間であり夜中にたたき起こされると,時には不機嫌になっていることもある.こんな時に「いやー先生,こんな遅くに申し訳ないです」とひとこと言ってもらえると,「そんなことないですよ」とこちらも気分良く診察に入れる.逆に「24時間医者にかかるのは住民の権利だ」みたいな態度でこられると不機嫌度は倍増する.

 お互いに嫌な思いをしないためにも,ちょっとした心遣いが大切だと感じている.

 追) 今の勤務地にも救急外来はあり,もちろんそれなりに忙しいのだが,記事の病院と比べると夜間外来で2/3,救急車の数は半分くらいじゃないかと思う.人口規模も似たようなものであり,特に当地の住民がより健康だというわけでもないだろうから,やはりこれは住民の受診志向の差なのだろうか.

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2007年2月16日 (金)

久しぶりの山本耕史

 2006年モーツァルトイヤーに,NHK BSで”毎日モーツァルト”という10分間番組をやっていた(案内人には山本耕史氏が起用されていた).好評だったらしく,NHKにはこの手の音楽番組を続けて欲しいという意見があったようで,2007年にはクラシックのピアノ作品をメインとした”ぴあのピア”という10分間番組をやっている.案内人は昨年上半期に朝ドラ「純情きらり」のヒロインを務めた宮崎あおいさんである.

 この”ぴあのピア”,今月はモーツァルト特集ということで,連日モーツァルトのピアノ作品を取り上げているが,先日2月14日はモーツァルトの結婚(フィガロの結婚ではない 笑)がテーマであった.宮崎さんの語りに続いてゲストが登場するのだが,現れたのは,なんと!山本耕史氏,「モーツァルトは他人に愛を与えることで,自分も幸せになっていく人物なんですよ‥‥」と,熱く語ってくれた山本氏であった(おそらく今の山本耕史は芸能界で1,2を争うモーツァルト通であろう).2月14日に登場というのもバレンタインデーにちなんだNHKの粋な計らいなのだろうか.

 人気俳優の山本耕史氏は民放などのドラマにも良く出ているはずであるが,我が家ではあまりドラマを見る習慣がないため,久しぶりにフレッシュな山本氏を目撃したのだった(今BSでは大河「新選組!」もやっているが,こちらは再放送のためフレッシュではないのだった).

Yamamotokouji_1 昨年暮れにウチのKが懸賞で当てた山本耕史さんのサイン入り写真.

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2007年2月14日 (水)

ビザンチン皇帝と夜行バス

 南国の休日もあっという間に最終日になってしまった.とはいっても,帰国便は午後4時発のため,午前中はゆっくりできる.この日はプールサイドでのんびりと寛ぐことにした.例によって本を読みながら寛ぐ.この日は特に気合を入れて泳ぐわけではないので,ビールも飲んだ.

P1010007 帰国直前の私.顔が赤いのは日焼けのためです.

 12時にホテルをチェックアウトして空港に向かう.航空会社にチェックインしてセキュリティーチェックに向かうのだが,アメリカ領のチェックは厳しく,靴まで脱がされた(過去に靴底にプラスチック爆弾を忍ばせたヤツがいたのだろうか).

 16時に無事機上の人になって,日本時間18時45分に帰国となった.やはりこちらは寒く,一気に現実に引き戻される.Kとおふくろさんは今夜は都内に宿泊して,明日帰るのだが,明日朝から普通に仕事がある私はそうは行かない.とはいっても,もはや尋常の方法では明日朝に出勤することは不可能なため,夜行バスを利用することにした(以前は東北線に夜行寝台特急の”はくつる”があって重宝していたのだが,廃止されてしまった.愛用していただけに残念である 泣).

 実は私はこの歳になるまで,夜行バスを利用したことがなかった.別に嫌だというわけではなく,何となく機会がなかっただけである.今回は楽天トラベルから申し込んだ(オリオン企画とかいう会社のもの).料金を見ると4,500円!「や,安い」下手すると新幹線の3分の1の値段である.友人から「最近の夜行バスは座席も広くていいよ」と聞いていたのだが,この値段では何となく不安になってきた.

 東京駅の丸の内口から盛岡方面のバスに乗り込んだ(このバスは盛岡を経由して,弘前,青森まで行くらしい).全席指定のバスは,何の変哲もない普通のバスだった(友人が言っていた今風の快適なバスでないことは明らか).客層は圧倒的に学生風の人が多かったが,年配の男性も2,3人いた(常連さんらしく,係員と談笑していた).

 私は乗り込むと早速缶ビールを開けて飲んだ.1本飲み終わった頃にバスは出発した.係員の案内が始まる.「このバスは全席禁煙,禁酒です.」,「えっ」と絶句する私.禁煙はともかく,禁酒とは‥‥.思うに夜行バスは,みんなおとなしく寝ていくシロモノであり,酔って騒がれては困るということなのであろう.また,若い女性も多いことから,過去に酔って彼女らにからんだ不届き物がいたのかもしれない.仕方ないので追加のビールは諦めた(本当はあと2本用意していたのだが).

 何の変哲もない(トイレも付いていない)バスは狭くてなかなか寝付けない(飛行機のエコノミークラスより狭いかもしれない).ビールも禁止されているため,やむなく眠剤(マイスリーという薬)を内服して寝た.いつの間にか眠ったらしく,目覚めたときは盛岡到着の直前であった(窮屈な姿勢で,いわゆるエコノミークラス症候群が心配になった).

 盛岡駅からは朝一の新幹線で二戸に戻り,停めてあった車で無事出勤時間に間に合った.病院では,私が南国に行っていたことを知らない病棟の看護師長に,「あら先生,顔赤いよ,昨日飲みすぎたんでしょ」と言われてしまった(笑).

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2007年2月12日 (月)

ココス島にて

 グアム滞在3日目,この日は南部のココス島に繰り出すことにした.ココス島はグアム島南端のリーフの中にある小さな島である(徒歩で1周しても1時間ほどで回れるくらい).宿泊施設はないものの,各種アクティビティが楽しめるリゾート地として知られている(ニューカレドニアにおけるアメデ島のようなもの).

Cocos ココス島のパンフから(残念ながら写真の女の子はいませんでした 笑).

 訪れたココス島は白砂のビーチに椰子の木,穏やかな波と遠浅の海という,寛ぐには絶好のロケーションであった.私はビーチチェアに寝そべって,潮風を浴びながら司馬遼太郎を読んだり,海に入ったりして午前中を過ごした.

Cocos4 ココス島の様子.のんびりした休日が楽しめます.

 折角来たのだからアクティビティにも参加しようということになり,午後からは”sea walker”という,宇宙服のヘルメット状のものを被って海底を歩く企画に参加した.これは名称は様々ながら,各地のリゾート地にもある企画(確かタヒチでは”アクアサファリ”という名称だったと思う)であるが,私は初参加であった.現地係員に誘導されてヘルメットを被って海に入る.水深は3メートル位だが,水圧のため耳が少し変になる.係員が魚のえさをまくと,チョウチョウウオやクマノミなど,カラフルな熱帯魚がワンサカ集まって来た.我々もえさを持って構えていると,魚が群がってくる.中には噛み付いてくる魚もいた(幸いピラニアのような鋭い歯を持ったやつはいなかった).30分くらい水中散歩をして地上に戻った.

Cocos3 読んでいるのは司馬遼太郎の「坂の上の雲」です.

 さて,昼食は島唯一のレストランで摂る.ここはビュッフェ形式になっているのだが(アメデ島もそうだった),行ってみるとなにやらカレーのにおいが‥‥.なんと,メインはカレーライスなのでした(しかも普通カレーのほかに,辛口カレーもあるという充実ぶり).この島の観光客のほとんどが日本人であり,こういうメニューになっているのだろう.現地ガイドの説明も最初に日本語で話し,次に英語で話すという順番であった(こういう環境であるため,我が家ではグアムは海外旅行扱いされておらず,当然私のホームページ本編の海外旅行記録 海外旅行記録 にもグアム島は含まれていない).

Cocos2 ココス島のセンターハウスです.ここで各種アクティビティの申し込み等ができます(勿論日本語で).

 その後再び,本を読んだり海で泳いだりして過ごし(Kと彼女のおふくろさんはパラセイリングに挑戦していた),夕方ホテルに戻ったのでした.

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2007年2月11日 (日)

南国の休日

 一夜明けて2月11日は曇りであった.旅行に行くといつも晴れ(逆に帰る日によく雨が降る)という位,晴れ男の私にしては珍しいことである(雨は降らなかったが).いつもなら,着いた翌日はプールサイドで本を読みながらゴロゴロするのであるが,今回はKのおふくろさんも同行していたため,オプションについていた島内観光に出かけることにした(私が団体観光に参加するのは珍しい).

Guam4 ここが恋人岬の展望塔です.眼下には太平洋の荒波が水しぶきをあげていて,目がくらみます.

 このツアーは恋人岬やスペイン統治時代の遺跡(グアムは16世紀以来フィリピンとセットでスペインの支配を受けており,19世紀末に米西戦争の結果,フィリピンとセットでアメリカ領になったのである.この点でドイツ領から第1次世界大戦の結果日本領になった,サイパンやパラオなど他のミクロネシアの島々と,状況が大きく異なるのである),海中展望塔などを見学し,ついでに「マイクロネシア・モール」や「DFSギャラリア」といった,グアムのメジャーなショッピングモールで買い物もするという欲張った企画であった.

Guam2_1 Guam3_1 (左)展望台の柵にはたくさんの錠前が結ばれていました.これはここを訪れたカップルが,縁が切れないようにという願いをこめたものなのでしょうか.(右)岬には日本から贈られた鐘があり,これを3回鳴らすと幸せになるのだそうです.

 Kのおふくろさんは生まれて初めて海外に出るらしく,友人や会社の人からたくさん餞別を貰ってきたらしく,「お土産どうしよう」とモールで買い物をしていた.私はといえば,観光ガイドの女の人の喋り方が,テレビドラマなどに登場する,典型的なガイド口調だったのが,たまらなく愉快であった.

 島内観光から帰った後は,早速プールサイドに繰り出した.ここからは本を読みながら,時々プールで泳ぐいつものバカンスになるのであった.今回持ってきた本は司馬遼太郎が主体である.南国の暑さと司馬遼太郎のギャップが楽しいのだった.

Guam5 プールサイドで寛ぐ私.読んでいるのは,司馬遼太郎の「新選組血風録」です.

 この日の夕方からは定番のポリネシアンディナーショーに繰り出したのでした(厳密に言えばポリネシアは日付変更線よりアメリカ側のハワイやタヒチなどのことであるが,グアムなどのミクロネシアやニューカレドニアなどのメラネシアを含んだ太平洋リゾート全体でよく見られるショーである).

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2007年2月10日 (土)

グアムにて

 この3連休南国に逃げた(笑).実は私が遠くに出かけたのはほぼ2ヶ月以上ぶりである(12月3日に仙台での演奏会を聴きに行って旧友と再会して以来).普段から休みというとどこかに出かけている私にしては珍しいことである.理由としては,年末年始は混んでいて出かける気がしなかったのと,1月に所属する合唱団(盛岡バッハ・カンタータ・フェライン)の演奏会があったからである.

 当初,この2月の3連休は寒いことで有名な北海道の陸別町を訪ね(いずれ行くつもりのベルホヤンスクの予行 笑),ついでに網走で流氷を見て,「ジェダイの騎士~氷の惑星編~」のロケをやろうと計画していた.しかし,年末に風邪をひいて体調を崩し,「やっぱり暑いほうがいいよなー」と弱気になったのと,この暖冬で流氷が接岸していないのではないかという不安から,急遽南国行きに変更したのだった.

 冬に南国に行くのは2005年のパラオ以来である.当初はサイパンにしようと考えたのだが,急な決定のため既に航空券が取れず,グアムにしたのだった.今回はKのおふくろさんも一緒である.

 9日(金)は通常に仕事をこなし,夕方車で二戸まで出て,夜7時発のはやてに飛び乗った.10時に東京に着き,総武線と成田線を乗り継いで(既に成田エクスプレスも京成スカイライナーも終わっているため),ホテルに辿り着いた時には既に12時を回っていた(Kとおふくろさんは,私より4時間くらい前に先乗りしている).

 そして今日,2月10日10時発の飛行機で南国グアムにやってきたのでした.飛行機を降りた第一声は「うっ,暑い」であった.さあ,これからつかの間の休日に入る私でした.

Guam1 ホテルの部屋から見える海と庭(プールサイドが私を呼んでいる 笑).

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2007年2月 7日 (水)

ペコちゃんの行方

 大手菓子メーカー「不二家」の期限切れ原料使用問題発覚から約1ヶ月,この間多くの店から不二家製品が姿を消した.完璧に2000年の雪印の二の舞になっている.私は昔から不二家のルックチョコレートが好きで,子供のころは良く食べていた.さすがに成人してからはあまり食べなくなったが,それでも月に1回くらい無性に食べたくなって,コンビニで買ったりしていた.しかし今は大手スーパーやコンビニチェーンではルックチョコレートは見かけない.ないとなると逆に欲しくなるのが人情(特に私のような天邪鬼的な人間は)である.

 今回の不二家の騒動は使用期限切れの原料を洋菓子に使っていたことが発覚して始まった.このような企業モラルの欠如は厳しく糾弾されるべきとは思うが,ルックチョコレートやネクターが消えるほどのものかといわれると,「‥‥」なのであった.雪印のときと違って今回は幸いにも健康被害は出ていない.行政からも不二家に対して業務停止命令や販売差し止め命令が出されているわけでもなく,洋菓子はともかく,ルックチョコレートやネクター自体に害があるわけではない.店に商品がないのは完全に小売店側が販売を取りやめているだけの話である.これだけ情報が溢れている時代,店に不二家商品を置いてても,それを買うかどうかは消費者が決めることではないか,とも思ってしまった(店側は「消費者心理を考慮して製品を撤去する」とは言っているが).

 それはともかく,久しぶりにルックチョコレートが食べたくなった私だったが,大手スーパーやコンビニには売っていない.とはいってもルックチョコレート自体が違法なわけではないから,どこかには売っているだろうと考え,個人経営の店を探すことにした.幸い(?)当地ではこの手のローカル店はたくさんある.

 個人商店の場合ローカルであればあるほど,ルックチョコレートを売っている可能性が高そうだが,逆にローカルすぎると,埃をかぶった賞味期限切れの商品を売っていそうで怖いのだった(笑).そこで目をつけたのが,ウチの近くにある酒屋さんである.ここは街道沿いにあって,入り口も自動ドアになっているなど,個人経営の中では比較的大きな店である.ここなら賞味期限も大丈夫だろうと入っていくと,

Fujiya_005 ここが街道沿いにある個人経営の酒屋さんです.

 「あ,あった~

 ルックチョコレート,ミルキー,ポップキャンディー,ネクターといった懐かしい(?)不二家商品を見つけたのでした(早速購入したのは言うまでもない).

Fujiya_003 今回見つけた,ルックチョコレートやネクターなどです(私が子供のころのルックチョコはイチゴ,パイナップル,バナナともうひとつはアーモンドだったはずですが,今はメロンになっています).

Fujiya_004 不二家製品を見つけてとても嬉しそうな私です.

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2007年2月 4日 (日)

退院時要約

 医師の仕事のひとつとして退院時要約というものがある.これは,患者さんが退院した時に,その症例についてのサマリー(主訴,病歴から所見,検査データ,診断,治療経過を簡潔にまとめたもの)を作成するものである.

 私の診療科には年間300症例程度の入院がある.私と相方の二人で仕事をしているため,一人頭年間150症例ということになる.退院の都度まめに作っていけばいいのだが,何やかやとやっているうちに,未製作のカルテが溜まってしまうことになる.

Youyaku1 外来に積んであるサマリー未作成のカルテ.圧倒的に私の分が多いです(泣).

 相方は私と違ってマメな性格なので,サマリーも順調に作っているが,私の方はといえば,油断するとカルテの山ができてしまうのだった.あんまり貯めると病歴室から督促を受けてしまうため,時々”サマリー合宿”と称して休日などに作業をする.立春の今日,2月4日もサマリー合宿で外来に篭っていたのでした(今日はモーツァルトのピアノ協奏曲をBGMにして作業をした).

Youyaku2 サマリー製作に没頭する私.手前には脳の模型が置いてあります.

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地球の歩き方「マダガスカル編」

 地球の歩き方シリーズは,世界中各地域の豊富なラインナップを揃えたガイドブックシリーズである.ほぼ毎年のように改訂されており,その地域の最新情報を得ることができる(このシリーズ,昔はバックパッカー向けというイメージが強く,表紙には「○×を.1日***円以内で旅する」と書いてあったのだが,近年ではバックパッカー相手だけではやっていけないと感じたのか,その種の表現は姿を消している).

 しかし,実際には全ての地域が毎年改訂されているわけではない.ハワイやグアム,ヨーロッパ主要国などは毎年早い段階で改訂版が発売されているが,マイナー地域になると状況は異なってくる.中には数年たっても改訂されないシリーズもあるのだった.

 実は私は2004年6月にインド洋のセイシェル諸島に旅行に行ったのだが(セイシェル旅行記),その際に参考にしたのが地球の歩き方シリーズの”マダガスカルモーリシャスセイシェルレユニオンコモロ編”であった.2004年春といえば,メジャーなシリーズなら2004~2005年版が既に発売されている頃である.しか~しこの”マダガスカル~編”は当時2002~2003版から改訂されておらず,この頃一般書店では品切れ状態になっていた(私も当初ネットで買おうとしたが品切れで,東京の書店で埃をかぶった売れ残り品をようやく見つけたのだった).その後も一向に改訂される気配がなく,昨年(2006年)にオーストリアに行く際に購入した”ウィーンとオーストリア編2006~2007版”の一覧でも未だ2002~2003版のままであった(その程度の需要というわけなのだろうか 泣).

Img129 2005年11月現在にて.他はほとんど2006~2007もしくは2005~2006なのに”マダガスカル編”は2002~2003のままです(番号も旧番号のまま 泣).

 そんな”マダガスカル編”がついに改訂された!我々が早速購入したことは言うまでもない.その内容はというと,マダガスカルやモーリシャスの部分は変更された記事も多かったのだが,セイシェルやレユニオン部分は変更点が少なく(使われている写真を含め,文章もあまり変わっていない),コモロにいたっては写真を含め,ほとんど変わっていないように見えた(他の部分がカラーなのに,コモロ編のみ2色刷りというのも以前の版と変わっていなかった).

Img068 Img128

地球の歩き方マダガスカル編.左が旧版(2002~2003版),右が今回改訂された2007~2008版です.

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2007年2月 1日 (木)

らーめんの千草

 実は昨晩は当直だった.本来なら救急当直の夜は寝られずに,翌日ボロボロになるのだが,昨夜はな,なんと!奇跡的に外来患者数5人というウソのような状況だったため(普段は30人位の患者さんが来て大賑わいである),ゆったりと一晩を過ごすことができた(とはいっても,来なきゃ来ないで,逆にいつ呼ばれるかと気持ちが高ぶって,眠れなくなるのだが…).

 そんな当直明け,外来診療が終わった後久しぶりに外の空気が吸いたくなり,病院を抜け出した(勿論,外来や病棟には通知済み).外で昼食を摂ろうというわけである(サラリーマンみたい).実は当地にはちょっと名の知れたラーメン屋があるのだった.

Chigusa2 らーめんの千草です.営業は午後3時までなので,仕事帰りには行けません.盛岡駅の地下にも支店があります.

 その名も「らーめんの千草」という,かつて新横浜ラーメン博物館にも出店していたお店である.ここのラーメンの特徴はあっさりした鶏スープにある.見た目は透明でうす味っぽいが,飲んでみると結構コクがある.麺は細麺で,これは自家製らしい.この日は私がいつも注文する「ネギきのこラーメン」を注文した.

Chigusa1 これが”ネギキノコラーメン”.横にある赤いのは辛味です.

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