コンスタンチヌス10世
だいぶ前の記事に書いたが,今年2007年は昨年のモーツァルトのような,著名音楽家の生没年に関連した記念イヤーはない.歴史的事件では,唐滅亡1100年(907年),法隆寺創建1400年(607年),聖山事件2500年(紀元前494年,古代ローマの貴族と平民の政治闘争),ソロンの改革2600年(紀元前594年,古代アテネの政治改革)などがある.ちなみに来年2008年は,お隣の中国では前漢滅亡2000年(8年,漢の外戚王莽が帝位を簒奪),赤壁の戦い1800年(208年)というビッグイヤーが控えており,北京オリンピックと併せて大いなる盛り上がりが予想される(笑).
呉の魯粛とともに,赤壁の戦いの仕掛け人となった三国志の超有名人”諸葛亮孔明”です(守屋洋 著 中国宰相列伝 教養文庫より引用).
それはさておき,実は今年2007年はビザンチン皇帝コンスタンチヌス10世(1007~1067年)生誕1000年の記念イヤーである.ビザンチン帝国の始まりをいつに置くかについては昔から様々な議論があるが,330年のコンスタンチヌス1世によるコンスタンチノープル遷都をもって始まりとする説がある(昨年末BS iで放送した東ローマ帝国特番でもこの説を採用していた).
その一方、滅亡については1453年のコンスタンチノープルが陥落し,最後の皇帝コンスタンチヌス11世が戦死した時とすることについてはほとんど異論がない.つまりビザンチン帝国にとってコンスタンチヌスとは始まりと終わりを表す極めて重要な名前ということになる.その偉大なる10代目を名乗る皇帝なのだから,さぞ凄い人物かと思いきや,さにあらず,コンスタンチヌス10世についてはほとんど記録がない.
彼が皇帝であった11世紀半ばは,バシレイオス2世を頂点とする帝国の絶頂期が終わりを告げ,東方からセルジュク・トルコの脅威が迫ってくる時代であった.この時代に即位したコンスタンチヌス10世の治世がどんなものだったか,恐らくは何もなされない無為の時代だったと思われる.結局,彼の次の皇帝ロマノス4世の時,帝国はトルコに決定的な敗北を喫するからである.
結局2007年はこういうよくわからない皇帝の記念イヤーしかないのであった.
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