講義と法事とヴィンシャーマン
2007年1月25日は大学医学部で講義をするため,盛岡市に出向いた.授業は10時30分からのため,朝8時に家を出た.例年だとこの季節は積雪で車の運転に難儀するのだが,今年は暖冬のため積雪も少なく快適である.
10時20分に大学に到着した.医局でパソコンを借りて講義室に向かう.付属病院の方は時々出入りしているのでなんとなく勝手もわかるのだが,講義室の方はさっぱりわからない.教室を覗き込んでその辺にいた学生に「ここ3年生?」と確認して中に入った.私が入っていくと,「教官が来た」と思ったのか学生たちが席に着く.見渡したところ講義室はびっしりと人がいる.かなり出席率はよさそうだ.パソコンをプロジェクターに繋げようとしたのだがうまくいかず,困って医局に電話をすると,医局秘書のM嬢がやってきた.あーでもない,こーでもないとやっているうちに何とかスライドが映し出された.
今日は180分の講義用に約140枚のスライドを準備した(過去の講演会の経験からスライドのの枚数は1分1枚換算で丁度いい感じである).それらを使いながら講義は無事に終わった(のどが少しかれてしまったが.ちなみに昼休み時間にはおなじみの白龍にいってじゃじゃ麺を食べた).講義が終わると,早速試験対策委員の学生がやってくる.昔から医学部の試験は範囲や分量が膨大で,ある程度的を絞ってもらわないとものすごく厳しい状況に追い込まれるのである.私が担当する分野からは4問が出題されることになっており,学生には「別に皆さんを困らせるような問題は出しませんから」と言っておいた(自分自身が真面目に講義に出席する学生でなかったこともあり,重箱の隅をつつくような難問を出せる立場にもないし).
講義の後,今度は親戚の家に行く(親戚で不幸があったため).2時間ほど滞在した後,いよいよ週末のヨハネ受難曲に向けての練習に出向いた.コンサート本番は1月28日(日)であるが,指揮者のヘルムート・ヴィンシャーマン先生は既に1月23日から盛岡入りしており,今日初めての練習が組まれていたのである.練習は合唱団のいつもの練習会場である市内の教会で午後6時から始まった.
発声練習の後おもむろにヴィンシャーマン氏が登場する.1920年生まれだから今年で87歳になるはずだが(恐ろしいことにカール・リヒターよりも年長である),背筋もしゃきっとしており,とてもそうとは思えないほど若々しい.この日はオルガンとチェロの伴奏で合唱部分を一通りさらったのだった.ヴィンシャーマン氏を目の当たりにしたことでいよいよ私も演奏会モードに入ったのである.
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