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2006年12月31日 (日)

2006年十大ニュース

 いよいよ年の瀬,モーツァルトに沸いた2006年もおしまいである.そこで,我が家で起こった2006年十大ニュースを考えてみた.

第10位 やっとADSL環境になる

 実は今年の初めまで我が家のネット環境はなんとダイヤルアップのままであった.ちょくちょく転勤で引越しばかりしていた時代の名残で,何となくそのままになっていたのである.しかしどうやら今の勤務地にしばらく居そうな雰囲気が漂ってきたため,思い切ってADSLにしたのだった.

第9位 下北半島に斗南藩を訪ねる

 今年5月に「ひの新選組まつり」に参加し,劇団エル・プロダクツの皆さんとご一緒させていただいた.その後8月に劇団の公演「はなさかづき」(戊辰戦争中の会津の戦いを会津藩の視点で描いた作品)を観に行く機会があり,それに触発されて会津藩士が歩んだその後の運命を辿るべく,下北半島に出かけたのでした(関連記事はなさかづきその後参照).

Tonamihan 下北半島大間町で斗南藩士の末裔の方がやっている資料館です.

第8位 能代寮歌を愛する会に参加

 私の職場の同僚のご尊父の招きで,能代の寮歌祭に出かけてきました.寮歌は私の青春の歌でもあり,久しぶりに放歌高吟した夜でした(参考記事能代寮歌を愛する会).

Nosiroryouka 能代寮歌のひとコマ.平均年齢は高いですが,皆さん若くて元気です.

第7位 妖怪検定合格

 最近全国各地でご当地検定が盛んである.メジャーどころでは「大江戸検定」や「京都検定」などが有名だが,私の琴線を刺激したのが,この「境港妖怪検定」である.境港はゲゲゲの鬼太郎で有名な水木しげるさんの出身地であり,妖怪のブロンズ像が立ち並ぶ「水木しげるロード」など,妖怪で町おこしをやっているところである.そんな境港で今年の10月8日に第1回の妖怪検定が行われ,私も出かけたのでした(関連記事妖怪検定).

Youkaigoukaku 記念すべき第1回の合格証書です.もし来年中級ができたら是非受験したいです.

第6位 チンチラを飼い始める

 今年の春,かねてからKが飼いたいといっていたチンチラ(猫ではなくげっ歯類です)が我が家にやってきました.♀のようで,Kはモーツァルトにちなんで「ナンネル」と名づけましたが,その気位の高さから,私は「アロイジア」の間違いではないかと思っています(笑).

Chinchira 我が家のチンチラ「ナンネル」です.とても気位が高く,むしろアロイジアのようです.

第5位 ニコラウス・アーノンクール来日

 巨匠ニコラウス・アーノンクールがウィーン・コンツェントゥス・ムジクスとともに26年ぶりに来日しました.学生時代彼のモーツァルトのレクイエム(1981年録音)に衝撃を受けて以来注目していた演奏家でしたが,今回生で見られるとあって万難を排して京都まで行ってきました.演奏はもちろん素晴らしいものでした(関連記事晩秋の京都(アーノンクール編)).

Harnon 26年ぶりに演奏のために来日したアーノンクール氏です(左端).

第4位 ホームページ大改訂,ブログも始める

 私のホームページ「ビザンチン皇帝の部屋」は2001年から存在はしていたのですが,しばらく放置されたままになっていました.今年5月にひの新選組まつりで貴重な経験をさせていただき,更に6月にオーストリア旅行に行ったのを契機にサイトを大改訂,更にはブログもはじめました(特にブログをはじめたのは年初にADSL環境にしたのが大きいと思う).

第3位 ひの新選組まつりで「源さん」役をいただく

 以前から新選組に興味があった私ですが,今年ついに「ひの新選組まつり」に参加する機会を得ました.そして前日に行われた隊士コンテストで,な,なんと新選組六番隊隊長井上源三郎の役をいただいたのです.源さんは土方歳三とともに日野市ゆかりの方で,地元の人にとっては特別の存在なのです.そんな大事な役をいただくという栄誉に浴して,パレードに参加させていただきました.またここでは,各地の新選組を愛する方たちとも交流ができました(参考記事第9回ひの新選組まつり参加記録).

Hinopare パレードのクライマックス,メイン会場に凱旋するところです.

第2位 禁煙に成功

 そして第2位です.実は昨年まで私は愛煙家でした.しかし今年ふとしたきっかけで禁煙に取り組み,12月31日現在成功しています.知人には「どうやって止めたの?」と聞かれますが,別に特別なことをしたわけではなく,止めようという意思があったからと思います(自分でも思ったのだが,本数を減らしていって徐々に止めるというやり方は無理で,止めるなら一気に止めないと駄目だと思います).

第1位 ウィーン・ザルツブルグ旅行

 そして第1位はやっぱりこれでしょう.今年の我が家の最大のイベントは6月のオーストリア旅行です.モーツァルトイヤーに便乗してウィーン・ザルツブルグに旅行し,ウィーンでは楽友協会でウィーン・フィルを聴き,国立歌劇場で魔笛を観劇するという経験をしました.これに関する記事も最近ようやくアップしました(関連記事オーストリア旅行記).

Mozartzou 有名なブルク公園のモーツァルト像です.今年は一体何度この像がテレビに出たのやら.

 というわけで,2006年もあちこち飛び回っていた1年でした.さて,来年2007年はどんな年になるんでしょうか(確実なのは1月28日に盛岡でH. ヴィンシャーマン指揮でバッハのヨハネ受難曲をやることです).

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2006年12月30日 (土)

温泉療養

 12月28日は官公庁の御用納めであり,私の勤務先もこの日で通常業務はおしまいである.12月29日から1月3日まではいわゆる休日体制になる.ちょうど6日間の休みという訳で,私の部署は,私と同僚の二人で3日ずつ休むことにした.私が年末休み,相方が新年休みである.

 普段なら休みとなれば,必ず遠くに出かける私も年末年始は出かけない(あとGWとお盆も.理由はどこに行っても混んでいて,しかも高いから).とはいえ,自分に行く気がなくても周りが行きたがるとどうしようもない.今回も私の母親が「温泉に行きたい」と言い出したため,出かけた次第である.あまり遠くまで行く気がしなかったため,今回は繋(つなぎ)温泉に出かけた.

 ホームページ本編の紹介にも書いているが私は温泉好きである.本職は神経内科医なのだが,温泉医学にも興味があり,日本温泉気候物理医学会の会員で一応「温泉療法医」の資格も持っている(笑).

Tsunagionsen 冬の繋温泉の風景です

 繋温泉は盛岡市の郊外にあり,盛岡の奥座敷と呼ばれる温泉地である(ウィーンとバーデンの関係のようなものか).企業などの泊りがけ忘年会にも利用されることが多く,どちらかといえば歓楽的な色彩の強い温泉地だ(大型のホテルも多い).そんな繋温泉で今回宿泊したのは,”ホテル三春”という中規模のホテルである.なぜここのホテルを選んだかというと,歓楽的な繋温泉で珍しく,療養をうたい文句にしていたからである(ホテルのHP参照つなぎ温泉 ホテル三春).一般に大規模で大きな浴場を備えた温泉宿は,源泉に加水,加熱,循環スタイルであることが多い(源泉量が限られているのだからこれは当然).しかしこのホテルは,源泉100%,循環なしをうたっていたのである.

Miharuyokusitu これがホテル三春の浴室です.こじんまりとしていますが,源泉かけ流しのため,これ以上の大規模化は不可能と思われます(衛生面の問題で).

 訪れて早速,風呂に入った.浴室に入った瞬間,ぷーんと温泉の匂いが鼻をつく.確かにこのホテルの浴場は,繋温泉の他のホテルに比べると小さい.しかし,浴槽内には循環に使っているような吸水口などはなく,源泉から注いでいる湯が,浴槽からあふれていた.もちろん殺菌に使われる塩素系の匂いなど全くない.浴槽に浸かると,やや温めの湯が体を包み込んだ.「あー,これは源泉の感触だ」と久しぶりに感激した私であった(ちなみにここのお湯は,アルカリ性硫化水素泉という非常に珍しい泉質である.硫化水素は一般に酸性を示すことが多い泉質である).源泉口にコップが置いてあったため,源泉を飲んでみたのだが,確かに酸味がなく,酸性ではないようだ(酸性の水は酸っぱく,アルカリ性の水は苦い).

 私はこれまでつなぎ温泉には何度も出向いているが,恥ずかしい話だが源泉の宿があったことを知らなかったのである.こういう宿もあるんだと感激した次第であった(実はこの宿,私も所属している温泉療法医会ご推薦の宿らしい).

 温泉と健康は世間でも関心が高いテーマであるが,医学的に論じられる機会は少ないように思われる.現代医学はEBM(Evidence Based Medicine),要するに経験ではなく科学的データに基づく医療)が重視されているが,残念ながら温泉医学には未だEBMが少ないのが現状である(草津温泉のある群馬温泉医学研究所の久保田一雄先生は温泉医学の科学的研究をやっている有名な先生です.テレビにも時々出ています).来年は私も少し温泉医学の研究でもしますか(本当か?).

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2006年12月25日 (月)

特番!東ローマ帝国

 今週BSiでビザンチン帝国の特番がある.題して「東ローマ帝国~繁栄と滅亡・皇帝たちの軌跡~」である.1回2時間全5回シリーズという,かなり気合の入った作品だ.

 実はこれ,今回初めて放送されるわけではなく,過去に何度か放送はされていた作品である.普段ビザンチン皇帝を名乗っているものとしては絶対に見逃せない作品だったハズだが,困ったことに,他に用事があったり,放送されていることに気づかなかったり(泣)して見逃していたのである(NHKでやっていたビザンチンの特番の方は見ている).今回あらかじめ再放送があることを知って,我が家のDVDレコーダーに録画しておくことにした(放送時間が夕方6時から8時という家にいる可能性がほとんどない時間帯なため).

 この5回シリーズは

 1.第1話 もうひとつのローマはこうして作られた

   (4~5世紀 古代ローマの混乱と分裂)

 2.第2話 最強の皇帝が残した華麗なる芸術

   (6世紀 ユスチニアヌスの時代)

 3.第3話 帝国の黄金期に潜む陰謀と策略

   (10~11世紀 マケドニア朝の黄金時代)

 4.第4話 十字軍に救いを求めた大国の誤算

   (12~13世紀 十字軍の時代)

 5.第5話 滅びゆく「全世界の支配者」

   (14~15世紀 帝国の黄昏)

という構成である.妥当な分け方といえよう(欲を言えば,7~8世紀の帝国の暗黒時代についても特集して欲しかったが‥).ビザンチン帝国1000年の歴史については,ホームページ本編の私の拙文(ビザンチン帝国とは?)を参照していただきたいが,波乱万丈の激動の1000年である(残念ながらわが国の世界史の授業ではビザンチン帝国史は系統的には扱われない).

Yustinianus ビザンチン帝国の最大版図を作り上げた皇帝ユスチニアヌス1世(483-565)

 最近世間をにぎわせた,高校の未履修問題であるが,そもそも世界史というものは受験のために勉強するなどという,情けない理由ではなく,国際人として生きていく基礎教養として是非とも学んで欲しい科目である.歴史というのは「面白い!」と思えば,特に勉強する気がなくても,どんどん知識が勝手に頭の中に入ってくるものである.人それぞれ好みはあると思うが,世の高校生諸君には,何か自分の好きな時代(古代エジプトでも三国志でもフランス革命でも何でもいい)を見つけて,歴史に興味を持って欲しいものである.

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2006年12月23日 (土)

ライノウイルス

 実は先週末から調子が悪い.先週木曜と土曜に当直があり,その直後に何となくのどが痛くて,「あっ,こりゃやられたかな」と思っていたのだが,その後から関節痛,咽頭痛,鼻づまりが始まり,今週に入ってからは咳もでてきた.典型的な風邪(急性上気道炎)症状である.その一方熱はないことから,いわゆるライノウイルス(Rhinovirus)による感染症と思われる.

 ライノウイルスはもっとも一般的な風邪ウイルスで,これに一度もかかったことのない人はいないだろう.ウイルス疾患であるから一度かかると免疫ができるが,ライノウイルス自体,何百種類もバリエーションがあるため,一生かかっても全部の免疫は獲得できそうにない.

 ライノウイルスに対する特効薬も当然なく,結局栄養のあるものをしっかり食べて寝るしか方法がないのであった.

Rhinovirus ライノウイルスの写真です(International Committee on Taxonomy of Virusesのデータベースより引用).これはイメージなので実際にこういう色が着いているわけではありません.

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2006年12月20日 (水)

三大レクイエム

 NHKの「毎日モーツァルト」,いよいよ昨日からレクイエム 二短調K.626に突入した.この曲はモーツァルト最後の作品となった未完の曲である.レクイエムは別名”死者のためのミサ曲”とも呼ばれる,カトリックの典礼音楽である(歌詞が"Requiem aeternam ~"で始まるためRequiem(レクイエム)と呼ばれる).

 古くから多くの作曲家によって曲がつけられており,モーツァルトのものは特に有名である.俗に”三大~”という言い方(三大うどん,三大鍾乳洞,三大ガッカリ観光地 etc.)があるが,三大レクイエムといった場合

 ① モーツァルトのレクイエム

 ② ヴェルディのレクイエム

 ③ フォーレのレクイエム

以上の3つを指す.三者三様,同じ歌詞(厳密に言えば若干の違いがある)に曲がついているとは思えないくらいそれぞれ特徴のある名曲である(私は東北大混声合唱団時代,①と③はやったことがある).ちなみに五大レクイエムといった場合には,上記3つに”ケルビーニのハ短調レクイエム”,”ベルリオーズのレクイエム”,”デュリュフレのレクイエム”のうち適宜2つが加わる.また,ルネサンス期の作曲家であるオケゲム,ラ・リュー,ラッススのレクイエムも個人的には好きである.さらに変わったところでは,先日仙台に行った際に再会した友人のY氏による”モノラル三大レクイエムなんてのもある.これは,ワルター指揮のモーツァルトのレクイエム,トスカニーニ指揮のヴェルディのレクイエム,フルトベングラー指揮のブラームスのドイツ・レクイエム(尤もこの曲はラテン語のカトリックの典礼文に曲がついたものではないが)の3つを指す.

 いずれにせよ,古今のレクイエムの傑作のひとつであるモーツァルトのレクイエムはまた,多くの謎に包まれた作品でもある.作曲依頼の経緯もさることながら,モーツァルトの死後の補弼の経緯も謎に満ちている.作曲の経緯は1791年夏に匿名の貴族の使いがやって来て作曲を依頼したといわれており,この依頼主はフランツ・フォン・ヴァルゼック=シュトゥパハ伯爵であることがわかっている.彼は人に書かせた作品を自分の作品として演奏する人物だったらしい(最近では,借金に苦しんでいたモーツァルトを救うためこの依頼が行われたという説もあるが).

Mozreqcor M. コルボ指揮のモーツアルトのレクイエム.個人的には一番好きな演奏です.

 作曲の依頼は受けたものの,この時期モーツァルトは忙しく,歌劇「魔笛」,歌劇「皇帝ティトスの慈悲」,クラリネット協奏曲の作曲に忙殺されている.結局レクイエムの作曲が本格化したのは1791年10月以降であったと思われる(その後もフリーメイスンのための小カンタータK.623を作曲している.この曲が完成されたモーツァルト最後の作品である).この頃既にモーツァルトは過労からか体調を崩していた.作曲は思うように進まなかったであろう.結局彼は11月20日に寝込んでしまい,その後再び起き上がることは出来なかった.

Mozreqhar Mozreqhog

左 1981年当時物議を醸し出したアーノンクールのCD 右 モーンダー版によるホグウッドのCD

 モーツァルトの死因については当時の記録では「急性粟粒疹熱」とされている.これは今で言えば「リウマチ熱」といわれる,溶連菌による感染症である.発熱,関節痛,湿疹や急性腎不全も引き起こす厄介な病気だ(記録でモーツァルトの手足がむくんできたとあるのは,腎不全の症状と考えられる).現代であれば抗生物質による治療があるが,当時はそんなものはなく致死率の高い疾患であった.

 こうしてレクイエムは未完のため遺され(続唱の終曲,ラクリモサ(涙の日)の8小節目が絶筆といわれる),弟子のジュスマイヤーによって補弼されたのである(モーツァルトは必ずしもテキストの順番どおりに作曲したわけではないため,ラクリモサの8小節以後全てがジュスマイヤーの補筆というわけではなく,その後の奉献唱にもモーツァルト自身の曲は残っている).

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2006年12月18日 (月)

レオポルド・ブログ3

 いよいよ毎日モーツァルト(アマデウス・ブログ参照)も大詰めになり,今週は今日「クラリネット協奏曲 K.622」をやって,明日からは最後の曲「レクイエムニ短調 K.626」となる(「フリーメイスンのための小カンタータ K.623」は省略されるらしい 泣).レクイエムに入ってしまうとしんみりしてしまい,とてもレオポルド・ブログなんて言っていられなくなるため,本記事は12月18日中にアップすることにします.レオポルド・ブログ完結篇です.

レオポルド・ブログ

1785年3月28日

ウィーンにて

Mozartfamily こんにちはモーツァルトです.実は今,ウィーンに来ています.

 息子のヴォルフガングから,是非一度来てくれとの誘いがあったものですからやってきたわけです.あの子の結婚には反対しましたが,私にとってはたった一人の息子だし,私も年ですから旅ができる体力があるうちにあの子に会っておきたかったんです.1月下旬にザルツブルグの家を発って,ミュンヘンに一週間滞在した後,先月11日にウィーンに着きました.

 息子の家は町の中心,シュテファン教会の近くという一等地にあります.部屋数も多く,家具も立派なのが揃っていました.なんでも家賃が460フローリンというから驚くじゃありませんか,ザルツブルグの私の家の家賃が90フローリンなのに.あの子の羽振りがかなりいいらしいことはよくわかりました.

 着いたその日の夜には,早速あの子の予約演奏会があり,私も出かけてきました.新作のピアノ協奏曲やアリアなどが演奏されたのですが,演奏は素晴らしいし,会場は超満員!しかも参加した面々はみな有力な貴族ばかりです.演奏が終わった後には,それらの人たちが私のところにやって来て口々に息子のことを褒め称えるのです.とても嬉しかったのですが,反面ちょっと恥ずかしい感じもしました.

 でもね,もっと嬉しかったのは翌12日のことですよ.この日の夕方に,有名なヨゼフ・ハイドン氏が訪ねてきて,私と一緒に息子の新しい弦楽四重奏曲を鑑賞したんですが,その席上ハイドン氏が「誠実な人間として神の御前に誓って申し上げますが,ご子息は,私が名実ともども知っているもっとも偉大な作曲家です」と言ってくれたんです.社交辞令半分としても,天下のハイドン氏にこんな風に言ってもらえるなんて,父親として涙が出るくらい嬉しかったです.

 ザルツブルグ時代と違って,ここでのあの子はとても生き生きしていて,本当に人生を楽しんでいるという感じがします.嫁のコンスタンツェも結構いい娘だし,夫婦仲はとてもうまく行っているようです.昔は私も息子がウィーンに出ることや,結婚することに反対しましたが,今にして思えばこれで良かったのかもしれません.

 ただ,心配なこともあります.あの子は今,ここウィーンでフリーの作曲家として活躍していますが,それが出来るのはウィーンが自由な街で,特にハプスブルグの皇帝ヨゼフ2世陛下が寛容な方だからです.でも陛下に万一のことがあったり,政治的な混乱が起これば,フリーの音楽家なんて真っ先に吹き飛ばされてしまう存在です.現に隣国のフランスではなにやらきな臭いウワサも聞こえてきますし,出来ることなら,どこかに定職を見つけて腰を落ち着けて欲しいものです.

 私も年をとったせいか,最近すっかり愚痴っぽくなってしまいました(笑).来月にはザルツブルグに戻るつもりです.この記事を読んでくれた皆さん.これからも息子ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトを末永く応援してあげて下さい.

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2006年12月17日 (日)

ノロウイルス

 この冬はノロウイルスによる感染性腸炎がはやっているらしい.我が岩手県でも関西方面に修学旅行に行った高校生が集団感染したなどという事例も報告されている.ノロウイルスは主に冬季に発熱,下痢,嘔吐を主症状として起こる感染性腸炎(俗にお腹に来る風邪といわれるもの)の原因ウイルスのひとつである.ウイルスによる腸炎としては他にロタウイルスが有名である(特に小児科領域では有名なウイルスで,私が医学生だったころは,「冬」,「小児」,「白色の下痢」とくれば,何とかの一つ覚えで即,ロタウイルスと覚えたものである.ちなみに白色の下痢とは,下痢が頻回過ぎて胆汁の分泌(便のあの色は胆汁由来なのです)が追いつかず,米のとぎ汁のようになった下痢のことです.

 ノロウイルス感染は,何らかの経路でウイルスが経口から侵入し,腸管で増殖して発症する.潜伏期間1~2日で発症するが,中には感染しても無症状の人もいる.感染した人の便や吐物にはウイルスが含まれているため,その処理が不適切な場合,感染源になりうる.特に無症状の人であっても,便にはウイルスがいるため,感染源が特定できない理由になっている.

Norovirus ノロウイルスの写真です(International Committee on Taxonomy of Virusesのデータベースより引用).

 治療であるが,2006年12月現在,ノロウイルスに有効な抗ウイルス薬は存在しないため,基本的には自分の免疫力で治すしかない.ただ,疾患としては軽症の部類に入り,通常2~3日で治るので,過度に恐れる必要はないが,乳児や高齢者など体力が弱い人の場合は脱水などを起こすこともあり,注意が必要である.尚,ノロウイルス感染かどうかを調べる検査については,電子顕微鏡で観察する方法やRT-PCRというウイルス遺伝子を検出する方法があるが,たとえウイルスを突き止めても特異的な治療があるわけではないため,一般には行われていない(勿論集団感染などの場合は原因特定のため行われると思うが).

 対策としては,怪しい人の便や吐物を素手で扱わない(必ず手袋をする).きちんと手洗いをする(とは言っても普通の石鹸では不活化は困難)などであろうか.

 さて今夜は当直で,今仕事が一段落してこのブログをアップしている.もしかしたらノロウイルスの感染性腸炎の患者さんが来るかと思っていたが,幸い今のところはお目にかかっていないのであった.

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2006年12月15日 (金)

イタリアの聴衆

 先日ネットの記事を見ていたら,ミラノ・スカラ座の歌劇「アイーダ」の公演で,観客のヤジに怒った主演の男性歌手がステージを放り出して退場してしまったという記事が出ていた(ヤジに怒った主演歌手、ミラノ「スカラ座」を途中退場(読売新聞)).

 イタリアの聴衆の過激さは昔から有名である.特にオペラの公演なんかでは,いい演奏をすると,曲の途中でも大歓声が巻き起こりアンコールを求める.その一方ダメな演奏なら容赦ないブーイングも起こる.だから歌手にとっては全く気が抜けない聴衆である.実際にアリアごとに歓声・アンコールが巻き起こり,夕方7時に始まったオペラが,終演したときには午前1時を過ぎていたなんていうこともあるらしい(日本では会場の使用時間がウルサイため,午前1時終演なんて無理だろう).

 もっとも,いい演奏で歓声,ダメならブーイングというように納得がいくものなら問題はないが,イタリアの場合そうでないことも多いらしい.すなわち個人的な好き嫌いなどその他の理由でヤジを飛ばす厄介な聴衆がいるのである.有名なヴェルディの歌劇「椿姫」の初演では,ヒロインのヴィオレッタを演じた歌手が恰幅が良すぎて,とても肺病で死ぬように見えなかったことからヤジが飛びまくり,散々な初演だったといわれている.また,ロッシーニの「セビリアの理髪師」初演の際にも激しいヤジが飛びまくり,大失敗に終わったと伝えられている(これについては,ロッシーニ以前にパイジェッルロが「セビリアの理髪師」をオペラ化しそれなりに人気があったため,パイジェッルロ派の人々が組織的に騒動を起こしたといわれているが異説もあるようだ).

Verdi 左 ベルディの有名な肖像画

 翻って今回のスカラ座の騒動,記事によると男性歌手(フランス人のロベルト・アラーニャという有名な人)が最初の独唱(エジプトの若き将軍ラダメスが歌う有名なアリア,清きアイーダと思われる)が終わったあとに「恥を知れ!」というヤジが飛んだらしい.演奏がひどかったのか,それともフランス人がスカラ座で歌うことに不満がある国粋主義的イタリア人が騒いだのか,真相はよくわからないのだった(ちなみに演奏の方は急遽代役が立てられたものの,舞台衣装がないためジーンズ姿で歌ったという.ジーンズ姿のラダメスというのも,それはそれで斬新だなぁ).

 ちなみに私も所属している合唱団,盛岡バッハカンタータフェラインでは数年おきに外国への演奏旅行を行っているが,イタリア演奏旅行に行くかといわれると,二の足を踏むであろう(笑).

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2006年12月14日 (木)

あ,当たった!

 我が家のくじ運は最悪である.宝くじは100円 or 300円しか当たったことはないし,年末の商店街の抽選もポケットティッシュしか当たったことはない.お年玉つき年賀ハガキの抽選も末等の切手シートしか縁がないし,忘年会等の恒例のビンゴゲームでも商品はもらえない.ましてやテレビや雑誌の懸賞など問題外である.

 そんなくじ運最悪の我が家でついに,賞品が当たったのである.それは,NHK BSでやっている10分間番組「毎日モーツァルト」と連動しているブログ,「アマデウス・ブログ」のプレゼント企画である.アマデウス・ブログが日頃のご愛顧に答えて,案内人の山本耕史さんのサイン入りの本(毎日モーツァルトの赤い本)またはポラロイド写真をプレゼントというものであった.うちのKがそれに応募したところ,なんとポラロイド写真が当たったのであった.

Yamamotokouji これが山本耕史さんのサイン入りポラロイド写真です(NHKのスタジオで収録の合間に撮影したと思われます).

 なんで当選したんだろうと素朴な疑問を抱いたのだが,考えてみれば,企画がブログ上で,世間一般の注目を浴びていないことから,テレビ等の懸賞に比較して競争率が低かったことが考えられた.また狙った賞品が本ではなく写真のほうだったことも勝因かもしれない(実は毎日モーツァルト本は既に我が家にあり,同じ本を貰ってもなぁ,と写真を希望したのである).

 何にせよ,我が家で懸賞があたるという初の快挙であった.山本耕史さんのファンであるウチのKは大喜びで,額に入れて家宝にすると張り切っていた(笑).

Shashinget 山本さんの写真をゲットして嬉しそうなKです.

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2006年12月13日 (水)

レオポルド・ブログ2

 レオポルド・ブログの第2弾をお届けします.

レオポルド・ブログ

1781年12月19日

息子が結婚?

Leopord2  こんにちは,モーツァルトです.いやー,困ったことになりました.ウィーンに住んでいる息子,ヴォルフガングのことです.今年の5月にザルツブルグの大司教と大喧嘩をして,ウィーンに行ってしまい,今はクラヴィーアの教師をして暮らしているらしいんですが,その息子からなんと!結婚したいという手紙が来たんです.

 考えてみればあの子も来月で26ですから,結婚しても全然おかしくはないんですが,問題はその相手です.ウィーンに行った当初,あの子はヴェーバー家に下宿していたんですが,どうやらコンスタンツェとかいう,そこの娘とデキてしまったらしいんです.ヴェーバー家には年頃の娘が何人もいて,息子が生活する環境としてふさわしくないと思い,強引に引っ越させたんですが…….

 もちろん私はこの結婚には反対です.息子にはしっかりとした家柄の娘と結婚して欲しいと思っているからです.あの子には音楽の才能があります.でも音楽の才能だけで食べていけるほど世の中は甘くありません.しっかりとした経済的,社会的バックグラウンドがあってこそ,あの子の才能は花開くのです.そのためにも,社会的にしっかりした家の娘と結婚する必要があります.だからこそ,私はあの子が小さい頃から貴族の家に出入りさせたり,人前に出しても恥ずかしくないように礼儀作法を教えてきたんです.それなのに,下宿屋の娘と結婚だなんて…….しかも息子は以前,ヴェーバー家の娘にひどい目にあわされているんですよ(あの子が私の家内と就職活動でパリに滞在中,家内が亡くなった後,失意のどん底にあったあの子を袖にしたのが,アロイージアという,やはりヴェーバー家の娘でした).私は息子をひどい目にあわせたヴェーバー家を許しません.

 そういえば,ヴェーバーの女主人はかなりやり手だという噂を聞いたことがあります.もしかしたらその女主人が,金づるとして私の息子に目を付け,コンスタンツェとかいう娘とくっつけるよう,何か仕組んだのかもしれません.それも大いに考えられることです.

 とにかく,この結婚話,誰が何と言おうとも,私は絶対に許しません.もし,私の許可なく結婚するようなら,もう親子の縁を切ります.

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2006年12月11日 (月)

コスプレ忘年会

 12月といえば忘年会のシーズンである.忘年会では毎年私がコスプレをやるのではと期待している向きもあるらしい.コスプレ自体嫌いじゃないので,毎年何かネタを考えてやっている.例年あまり深く考えずに決めているのだが,今年は実用的な服にしようと考えた.たとえば,昨年はジェダイの騎士オビ=ワン・ケノービをやったのだが,このジェダイのコスチュームはコスプレ以外には使用できない(普段着として使えない).その点一昨年の,死ね死ね団のミスターKのコスチュームはかつらと付け髭以外は立派に普段着にもなるのだった(昨年暮れのミュンヘン滞在の際に着用した).

MrkMonaco_1 左 2004年12月にやった死ね死ね団(レインボーマンに出てきた悪の組織)の総帥ミスターK.ちなみに役者は特撮ファンおなじみの故・平田昭彦氏でした.右 2005年12月ミュンヘンの繁華街にて.かつらと髭,サングラス以外は実は同じ服です.

 たまには和装もいいだろうと,今年は着物で行くことにした.着物のパフォーマンスは2003年に新選組隊士をやった時以来(大河ドラマ「新選組!」の前年)であるが,新選組の場合,だんだら羽織が目立ちすぎて,普段着として着て歩くにはかなり勇気がいる(時々着て歩いているが).そこで今年は普段着にもなりそうな着物ということで,テーマはズバリ坂本龍馬に決めた(神楽教授ごめんなさい 笑).有名な龍馬の写真から必要な品をピックアップしてそろえていった(紋入りの着物,短刀,ブーツ,S&W).

 そしていよいよ2006年12月9日パフォーマンスの日がやって来た.この日は仕事に関連した団体の忘年会である.龍馬独りでは寂しいので,友人のKZ氏に新選組のコスチュームを着てもらい,絡むことにした.史実では坂本龍馬と新選組が絡む場面はないのだが(有名な寺田屋襲撃も新選組は関わっていないし,近江屋での龍馬暗殺も京都見廻組によるというのが定説である),今回はフィクションということで許してもらおう.

2006bounenkai12  KZ氏扮する新選組隊士(左)と坂本龍馬になった私(右).色を古風にしてみました.

 内容は新選組に追いかけられた龍馬が,S&Wを出して戦うという筋である.

 新選組に追いかけられる龍馬,

新選組隊士 「待て!坂本龍馬」

龍馬 「わしゃ,土佐の坂本龍馬じゃ.新選組にはつかまらんぜよ」

 と逃げる.大刀を抜いて迫る新選組,すると龍馬は懐からS&Wを取り出した.

龍馬 「もう,刀の時代は終わりじゃきに」

新選組隊士 「む,飛び道具とは卑怯だぞ」

 引き金を引く龍馬,ズドンと景気良く鳴る筈が……,カチッというむなしい音がするのみ.そ,そんな,さっき外で試し撃ちした時は鳴ったのにと焦る.場内はざわつき,新選組は迫ってくる.こうなると短刀しか持ってない龍馬は不利であったが,結局ウヤムヤのうちに(勝負は引き分け?)パフォーマンスは終わった.

2006bounenkai2 豪華な料理を前に戦う龍馬と新選組.S&Wが派手に鳴るはずが……

 ちなみに後から撃ったら,ちゃんと「ズドン」と鳴った.やっぱり普段新選組をやっている身で,坂本龍馬に手を出したことへの,隊士達の無言の抗議なのかと思い深く反省したのだった(でも,あの龍馬の有名な写真と同じ構図で写真を撮るまでは止められないと思う 笑).

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2006年12月 8日 (金)

日本の珍名駅5 ”おおぼけ”

 約1ヶ月ぶりの珍名駅シリーズ,今回のネタは,四国は徳島県のJR土讃線にある“おおぼけ”(大歩危)駅です.土讃線といえば,以前紹介した“ごめん”(後免)駅も有する国内屈指の珍名路線である(笑).

 香川県の県庁所在地高松を出発したディーゼル特急は善通寺から内陸部に入る.そして昔甲子園を沸かせた池田高校のある

池田町

(駅名は阿波池田駅,ちなみに只の池田駅は北海道のJR根室本線にある)を過ぎると,周囲は一気に山深くなってくる.列車の車窓から吉野川とその周囲の渓谷が見えてくる.この辺がおおぼけ(大歩危)峡である.まずは渓谷についての案内放送が流れた.

 

  

 ここをクリックすると,大歩危峡の観光案内が聴けます.

 案内が終わり,しばらく走っていくと,待ちに待った放送が聞こえてきた.「次はおおぼけに停まります.」,「ご乗車ありがとうございました.間もなく,おおぼけおおぼけに着きます…….」

 

  ↑

 ここをクリックすると,おおぼけ(大歩危)駅到着直前の車内放送が聴けます.

 テープの女性の無表情な声に続く,車掌のマッタリした語り口がいい味を出した車内放送である.

Oboke2_1 おおぼけ駅のプレートとともに.とても嬉しそうです.

Oboke5_1 おおぼけ駅の駅舎です.漢字の字体もいい感じです.

Oboke3_1 駅のプレートはやっぱりひらがな表記に限ります(笑).

 おおぼけ駅はほとんど全ての特急列車が停まる駅だが,その理由は人口が多いからではなく,観光名所だからである.車窓からも眺められた大歩危峡(川下りなども楽しめる)のほか,更に奥地に入ると平家の落人伝説で有名な祖谷渓や観光名所“かずら橋”がある(私とK10年前に旅行に来たことがあるが,祖谷蕎麦がなかなか旨く,温泉もある秘境であった).

 駅の周辺はひっそりとして,タクシーが1台暇そうに停まっているばかりであった.バス停もあるが,本数も少なく私の滞在中もバスがやってくる気配はなかった.実際,吉野川の川下りなども,この大歩危駅から少し離れたところから発着しているのである.どうしてここに駅があるのか,よく分からないのであった.

Oboke8_1

おおぼけ駅のホームにある,かずら橋のミニチュアです(実物は橋の長さが何十メートルもあります.

Oboke4_1 正目から見たおおぼけ駅です.タクシーが1台だけ停まり,駅前には1軒だけ商店がありました.

Oboke6_1 ぼけマートって一体…,お釣りを間違えないか心配です(笑).

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2006年12月 7日 (木)

モーツァルトとフリーメイスン

 NHK BSの「毎日モーツァルト」も12月5日(モーツァルトの命日)を迎え,いよいよ大詰めに差し掛かった感がある.この日の曲は“アヴェ・ヴェルム・コルプス”であった.なかなかいい選曲といえよう.久しぶりに案内人の山本耕史さん自身が登場するシーンもありKも喜んでいた(秋の例の特番の際に撮影したと思われる,バーデンの広場を語りながら歩くシーンである).

 アヴェ・ヴェルム・コルプスがK.618であり,以後の作品はケッヘル番号で言えば,ドイツ語による小カンタータ(K.619),歌劇「魔笛」(K.620),歌劇「皇帝ティトスの慈悲」(K.621),クラリネット協奏曲(K..622),フリーメイスンのための小カンタータ(K..623)を経て,最後の曲レクイエム(K..626)に行く流れとなる(その他未完のホルン協奏曲ニ長調もこの時期の作品と考えられている).この時期の作品は声楽曲が多く,しかもフリーメイスンのための曲が2曲もあるのが特徴である(K.620の歌劇「魔笛」もフリーメイスンの思想を色濃く反映した作品である).

Mateki2_2ウィーン国立歌劇場での魔笛の舞台(2006年6月).背景のでっかい目はフリーメイスンの真実の目を表しているのでしょう.

 モーツァルトがフリーメイスンの熱心な会員であったことはよく知られている.フリーメイスンはイギリスの石工の組合を元祖とする団体で,自由・平等・博愛を旗印にした結社である.欧米では著名人の会員が多いため,アメリカ独立戦争やフランス革命にもメイスン会員が多く関わっていたといわれている.仲間同士しか知らない秘密の儀式などがあることから,日本では“秘密結社”であるとか,様々な陰謀を働く団体などと考えられている節があるが,実際のフリーメイスンの組織は世界中にグランドロッジが並立しており,全世界のロッジを統括するような組織はない(ロッジというのはその地域のフリーメイスン構成員(フリーメイソンリーという)の集まるところ).お互いのグランドロッジは全て対等で,相互に承認しあうことでフリーメイスンとしての結束を守っているらしい.このためトップの指示で世界中のフリーメイスンが動くなどということはありえないそうである(フリーメイスン自身は自らを非公開団体と称している).

Mateki1_1賢者ザラストロはフリーメイスンの知恵の象徴です.私もザラストロのような人間になりたいですが,まだまだ修行が足りません(笑).

 そして昨日12月6日に「毎日モーツァルト」で取り上げられた曲が,フリーメイスンの曲であるドイツ語による小カンタータ K.619であった.これはレーゲンスブルグのロッジの依頼で作曲された曲である.実は我が家には「NHK毎日モーツァルト」という番組の本があり,この巻末に番組の放送予定と取り上げる曲が載っている.それによると,当初この小カンタータK.619は予定になかったようである.出版後に変更になったのであろう.深い意味はないと思うが,世の陰謀論者達が「これはフリーメイスンがNHKに圧力をかけて,急遽放送させたに違いない」と言い出すのではないかと不安である(笑).

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2006年12月 5日 (火)

旧友との再会

 この週末仙台に行ってきた.目的は仙台宗教音楽合唱団(以下 宗音)の演奏会を聴くためである.宗音は西洋の宗教音楽を主に取り上げて演奏会を行っている合唱団であり(宗教団体ではない),私が所属している盛岡バッハカンタータフェライン(以下 MBKV)と同じく,岩手大学の佐々木正利教授の指導を受けている合唱団である.このため交流も盛んで,お互いの演奏会を聴きあったりしている.ただ,MBKVがその名の通り,主にバッハを中心としたバロック時代(シュッツやヘンデルなど)の作品を扱っているのに対して,宗音はバロックから近代に至るまで幅広い時代作品をレパートリーにしている.昨年の演奏会では,近代フランスの作品(M. デュリュフレのレクイエムとオネゲルのクリスマス・カンタータ)を取り上げていた.

 そんな宗音の今年の演目はJ. S. バッハのクリスマスオラトリオである.いうまでもなく,クリスマスオラトリオはバッハの4大宗教曲のひとつに数えられ,演奏時間は3時間におよぶという大曲である(MBKV2000年秋に盛岡で全曲演奏を,200512月にドイツのグラーフィングで1部から3部までを演奏している).

 しかし,クリスマスオラトリオは実際にはひとつの曲というより,6つの教会カンタータの集合体ともいえる作品である.それはキリスト教の降誕節の6つの祝日に演奏される,6つの部分から成り立っているからである.日本ではクリスマスといえば,12月24日のクリスマス・イブばかりがクローズアップされるが,実際の降誕節は12月25日の「主の降誕」から1月6日の「主の公現」までの一連の時期をさす言葉である.クリスマスオラトリオの6つの部分は,それぞれ12月25日(降誕節第1祝日),12月26日(降誕節第2祝日),12月27日(降誕節第3祝日),1月1日(新年),新年後の日曜日(1月2日~1月5日の間の日曜日),1月6日(主の公現日)に演奏されるべく作曲されたのである(尤も,最近では祝日ごとに演奏されるのはヨーロッパでもあまりなさそうだが).

 さて,宗音の演奏会の前日(すなわち12月2日)に仙台入りした私は,東北大時代の友人で,現在茨城県で教員をしているY氏と約10年ぶりに落ち合って飲みに繰り出した.彼は学生時代からクラシック音楽(特にフルトベングラーに関して造詣が深かった)に詳しく,かなりの論客として知られていた人物である.私とはカール・リヒター追悼24時間鑑賞会(リヒターの命日である2月15日に24時間ぶっ通しで,リヒターのレコードを聴くという恐ろしい企画 詳細はホームページ本編の方にあります →カール・リヒター追悼鑑賞会)をやったりした仲である.久しぶりに音楽話等に盛り上がったことはいうまでもない.さらに途中から地元在住で,現在宗音に所属している友人が,明日の演奏会のゲネプロが終わって合流してさらに盛り上がった.

Teien 学生時代所属した東北大学混声合唱団の定期演奏会の集合写真(懐かしい…)

 

 宗音の演奏会のほうはといえば,期待通り素晴らしい出来であった(もちろん些細な事故はあったが).

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