晩秋の京都Ⅰ ~幕末編~
この週末京都に行ってきた.最大の目的は来日中のニコラウス・アーノンクール指揮のメサイア演奏会を聴くためである.当初は,ついでに晩秋の京都観光と洒落てみたかったのだが,コンサート翌日の11月19日に盛岡で絶対に休めない重要な練習が入っていたため,結局京都滞在はわずか24時間になってしまった.
前日11月17日の夜,仕事を片付けた後,自動車で盛岡に行った.駅前に車を置いて,こまちで秋田に行く(ウチのKはこまちに乗るのは初めてだと言っていた).秋田から寝台特急「日本海4号」に乗って,一路京都を目指す(京都行きのルートは,この「日本海」を使うコースと,東京まで行って急行「銀河」(10月の山陰遠征で使った列車)を使うコースがあるのだが,どっちがいいかKに聴いたところ即座に「日本海!」といわれてしまった).日本海4号は普通のB寝台車を基本にして1両だけA寝台車「シングルデラックス」が付いている.今回我々はこのシングルデラックスを利用した.
日本海4号シングルデラックスの中です.
日本海のシングルデラックスは1両に10室,シャワー室も付いたA寝台である.内装的には「サンライズ瀬戸」,「サンライズ出雲」にはかなわないものの,「はやぶさ」,「富士」のシングルデラックスよりははるかにマシである(実は,昔東京-下関を結んでいた寝台特急「あさかぜ」のシングルデラックスがこの「日本海4号」と同じものである).我々はビールを飲み,モーツァルトを聴きながら優雅(?)に寝台列車の旅を楽しんだ.
翌朝9時40分に京都に到着,我々はまず明日利用する,伊丹空港行きのバス乗り場を確認した(京都駅の南口にあった.地下鉄京都駅のホーム一番南のエスカレーターから行くと近い).その後,今日の宿舎であるアランヴェールホテル京都(地下鉄五条駅近く,最上階に展望大浴場がある)に行き,荷物を預けて活動を開始した.
アーノンクールのコンサートが夕方5時から始まるため,我々に与えられた時間は4~5時間しかない.この限られた時間を有効に使うため,今回は鴨川近く,木屋町通りを中心に攻めることにした.
木屋町通りは鴨川と高瀬川の間にある狭い通りである(それだけに昔の風情を残した通りであるが).幕末にはこのあたりには長州藩邸などがあり,主に長州系の志士が活躍した地域である.そんな木屋町通りと四条通りの交差点付近には,まず有名な古高俊太郎の枡屋跡がある.元治元年(1864年)6月5日朝,かねてからこの店が怪しいとにらんでいた新選組が枡屋を襲撃し,主人の古高俊太郎を捕縛したところから池田屋事件が始まる.屯所に連行された古高は,土方歳三の拷問(逆さづりにして,足の甲から五寸釘を打ち,突き抜けた反対側に百目ろうそくを立てて火を付けるというもの.流れしたたる蝋が傷口に流れ込み,その苦痛は想像を絶する)によって,クーデター計画を白状した.それは,風の強い日に御所に火をつけ,あわてて参内してきた京都守護職松平容保(会津藩主)らを殺害,その混乱に乗じて天皇を長州に連れて行こうというものすごい計画であった(もしこれが実現していれば,ローマ教皇のバビロン捕囚と並ぶ大事件として史上語り継がれたであろう).
枡屋の跡地はなにやら料理屋になっています.
しかしこの計画は古高の自供によって新選組の知るところとなり,彼らは直ちに行動を開始する(この辺のフットワークの軽さが,新選組の魅力でもある.一般に日本の組織は根回し等に時間をかけすぎて時期を逸するパターンが多い).同日夜には,古高が捕らえられたこと対する浪士側の対策会議が池田屋で開かれ,そこに新選組が急襲をかけたのである.この池田屋跡は今はパチンコ店になっている(風情もまったくない).
明治維新が1年遅れたといわれる池田屋事件の碑(池田屋騒動と称されているのがもの悲しい).
高瀬川にはなにやら放り投げられたような自転車が.いったいこれは‥‥
道路にはなにやら駐輪禁止の看板が.も,もしかして,これは新選組によって切り捨てられた不逞自転車だったのか(笑).
その他,この周辺には佐久間象山暗殺の碑,大村益次郎(長州藩士.徴兵制を導入し,日本陸軍生みの親といわれる.戦術家としても有名.ただ,彼が早くに暗殺されたため,後の陸軍は同じ長州藩士の山縣有朋が主導するようになり,今も知られる旧日本陸軍らしくなっていく)暗殺の碑がある.
幕末のスーパースター坂本龍馬が暗殺された近江屋もこの辺にある(近江屋跡は旅行代理店になっている).この近江屋は土佐藩邸と目と鼻の先にあり,龍馬は自分の出身藩邸のそばで殺されたことになる(やはり脱藩者の立場は厳しかったのだろうか).また,龍馬が当時投宿していた材木屋の「酢屋」もすぐ近くである.酢屋の二階では坂本龍馬ゆかりの品々が展示されていた(海援隊の日誌など当時の貴重な文書もあった).案内してくれたお店の方が,「坂本龍馬が殺されたのは慶応三年のちょうど三日前,11月15日なんですよね」といっていたが,それを聞いて気が付いたのは「そうか,今日は11月18日,油小路で新選組を脱隊した伊東甲子太郎や藤堂平助が死んだ日だ」ということであった.
坂本龍馬と中岡慎太郎が襲撃された近江屋跡.現在は旅行代理店になっており,往年の面影はありません.
当時坂本龍馬が投宿していた店はいまでもあります.今の主人は当時から数えて4代目だそうです.
その他この地域には桂小五郎が幾松と潜んでいた場所や長州藩邸跡(いまは京都ホテルオークラになっている)などがあった.我々は,是非伊東甲子太郎が死んだ油小路(七条油小路から本光寺前.新選組の襲撃を受けた伊東はここで「奸賊ばら!」と叫んで絶命したという)も是非行きたかったが時間がなく断念した(次回京都に行ったら必ず行く!と決意した私だった).
桂小五郎が潜んでいたところは今は料理屋になっています.京都ホテルオークラ前には桂小五郎の像が立っています.
時間がきたためホテルに戻り,いよいよアーノンクールであった.
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