第一と第二
私は10月24日に行われた,”能代寮歌を愛する会”に参加した.寮歌は主として旧制高等学校(新制大学の教養課程に相当する)や大学の予科の寄宿舎の歌である.旧制高校には,明治期にできた番号で呼ばれる学校(ナンバースクール,第一高等学校から第八高等学校まである)と,大正期以降にできた地名を冠した学校(ネームスクール,弘前高等学校,松江高等学校など)とがある.
ナンバースクールのうち,第一高等学校の所在地は東京であり,第二高等学校は仙台にあった.この事実を知った時,「どうして仙台なんだろう」というのが正直な感想であった.第一が東京にあるのは理解できる.首都なんだから,まあそういうもんだろう.しかし,どうして第二が仙台なのか.町の規模や歴史から言っても,大阪や京都,名古屋あたりの方が適当なんじゃないかと思ったのである.しかも時代は明治である.戊辰戦争で仙台は奥羽越列藩同盟を作って薩長新政府軍に対抗した都市である.こうした朝敵の汚名を着せられたところに,第二と銘打った高等学校ができたというのが意外だったのである.薩長藩閥政府の時代なのだから,彼らの地元の山口や鹿児島に作っても良さそうなものをと思ったりもした(ちなみに鹿児島には明治34年に第七高等学校造士館が,山口には大正8年に山口高等学校が設置されている).
実はこの,第一(東京),第二(仙台)というパターンを持つものがもうひとつある.それは旧日本陸軍の師団司令部の所在地である.師団というのは司令部を有し,単独で作戦を遂行できる能力を持った戦略単位と呼ばれる部隊である.規模は1万人(平時)~2万人(戦時)で,歩兵・砲兵以下,工兵(道路の修理や架橋,線路の敷設を行う兵種)や補給部隊,野戦病院なども含まれている.戦前の陸軍にはこうした師団が数多くあったが,そのうち第一師団司令部が東京に置かれ,第二師団司令部が仙台に置かれたのである.第一はともかく,なぜ第二が仙台なのかはよく分からない(ちなみに今の陸上自衛隊では第1師団は東京で,第2師団は北海道にある.東西冷戦時代北海道が日本の最前線だったからである).
以下に旧制高校(ナンバースクール)の所在地と陸軍師団司令部の所在地を示します(第一と第二はいずれも東京と仙台ですが,第三以降はバラバラです).
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旧制高校の所在地 |
陸軍師団司令部の所在地 |
第一 |
東京 |
東京 |
第二 |
仙台 |
仙台 |
第三 |
京都 |
名古屋 |
第四 |
金沢 |
大阪 |
第五 |
熊本 |
広島 |
第六 |
岡山 |
熊本 |
第七 |
鹿児島 |
旭川 |
第八 |
名古屋 |
弘前 |
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