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2006年9月30日 (土)

妖怪検定に向けて

 昨日境港市商工会議所から通知が舞い込んだ.なんだろうと見てみると,当日の受付時間を変更するとのお知らせであった.なんでも申込者が450人を越え,当日受付の混乱が予想されるので,受付開始を早めたとのことであった.自分が申し込んだ時点で249人だったから,その後200人以上増えた計算になる.試験会場に入りきるのだろうかと,余計な心配をしてしまうのだった.

 さて,先日盛岡に行った際,山陰行きの切符を買うべく盛岡駅に出向いた.羽田から飛行機で行くという手もあるのだが,地に足が付いていないと何となく不安な私はやっぱり陸路がいい.幸い東京から山陰地方に向けては,”サンライズ出雲”という電車寝台特急が走っている.サンライズは全寝台(B寝台も含めて)個室という,恵まれた環境の列車である(B寝台の個室はそれなりに狭く,横幅はカプセルホテルなみではあるのだが).しかも電車寝台車であるため,普通のブルートレイン(客車寝台車)に比べて発車・停車時の揺れが少ないというメリットもある.これはもう,サンライズで決まりだろうと盛岡駅のみどりの窓口で申し込んだ(寝台券はネットでは買えないため,みどりの窓口に出向く必要がある).

 と,ところが.「いやー,満席ですねぇ.のびのびシート(普通指定席扱いの,一応横にはなれる,雑魚寝タイプの客室)もありません」という駅員の非情な声.カシオペアじゃあるまいし,サンライズってそんなに人気の列車だったんだ,と妙な感心をした私である(やっぱり3連休直前だからということらしい.帰りのサンライズは確保できた).結局仕方なく,東京発大阪行きの”急行銀河”のB寝台を使うことにしたのだった.急行銀河は夜11時に東京を出て翌朝7時ごろ大阪に着く夜行の急行列車(いまや急行列車なんてほとんどないよなぁ)である.ビジネス客などにはそれなりに需要があるらしく,いまだに廃止されずに生き残っている夜行列車の老舗でもある.ただ,急行列車の悲しさか,昔のブルートレインのお下がり客車を使用しているため,設備的にはサンライズとは比較にならないのである.さあ,頑張って行ってこよう.

Sunrise1 これは以前乗車したサンライズ瀬戸号の外観です(サンライズ出雲号も同じ造りです).

Sunrise2 これはB寝台個室シングルです.横幅はカプセルホテル並みですが,高さはそれなりにあります(同じB個室でもソロはまさにカプセルホテルです).

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2006年9月29日 (金)

疑惑(?)の毎日モーツァルト

 NHK BS2およびHi Visionでやっている10分間番組”毎日モーツァルト”,昨日9月29日のテーマは父レオポルトの死であった.自身も優れた音楽家であり(バイオリンのテキストも執筆しており,今でも使われているらしい),早くから息子の才能を見抜いてヨーロッパ各地を旅して研鑽を積ませると共に,積極的に売り出すなど”りえママ”的な行動でも知られている.ザルツブルグの大司教と決別して(勝手に)ウィーンに移り,(勝手に)結婚するなど,成人してからは何かと気まずい雰囲気にもなったが,やはりそこは親子,父レオポルトの死はモーツァルトにとって衝撃的な出来事であったようだ.

 さて,そんな父レオポルトはザルツブルグの新市街にあるザンクト・セバスチャン教会に併設している墓地に眠っている.教会の入り口から入って程なく,ひときわ目立つ墓石がそれである.そこにはレオポルトの他にモーツァルトの妻だったコンスタンツェや,なんと!コンスタンツェの再婚相手であるニッセン氏も眠っている.ザルツブルグで売っている小冊子にはその墓石の写真が載っているのだが,墓石を中心に左右に2枚の石版が写っている.向かって右側の石版がレオポルトの墓標だったらしい.しかし今年の6月に私が現地を訪ねた時には,なんと!石版が1枚しかなかった.向かって右側の石版(つまりレオポルトの石版)がいずこともなく消え去ってしまったのである.現地の日本人ガイドに聞いてもよく分からないとのことだった.私は不思議に思いながら教会を後にしたのだった.

Oldhaka_1 (写真1) 現地の小冊子に載っている墓石.見ての通り石版は2枚あります(見づらいですが,右の石版にLEOPOLD MOZARTの文字が見えます)

Newhaka (写真2) そしてこれが,私が訪ねた時の墓石です.見ての通りレオポルトの石版が綺麗になくなっています(荒らされた形跡がないため,酔っ払いが持っていったわけではないようです).

 昨日の毎日モーツァルトにも,この墓石が登場していたが,やはり私が見たのと同じように右側の石版がなかった(このことから,比較的最近撮影されたらしいことがわかる).しか~し!この直後,なんとレオポルトの石版のアップのシーンがあるではないか,ということはNHKスタッフは石版のありかを知っているわけだ.現地のガイドが知らなくて,NHKが知っているとは…….まさかNHKのスタッフが石版を持ち出してどこかにしまっているのではないだろうな(NHKの倉庫に眠っているなど),などと大いに疑念を抱いた私であった(正直,あのレオポルトの石版はどこにあるんだろう.教えてくれ山本耕史!).

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日本の珍名駅2 ”ごめん”

 先日珍名駅として群馬のなんじゃい駅を紹介した.今回は第2弾として南国土佐,高知県はJR土讃線にある「ごめん」駅(後免駅)を紹介します.

 後免駅は高知県南国市の中心駅で駅舎も立派である.高松と高知方面を結ぶJR土讃線の特急列車も必ず停まり,さらに私鉄である土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線(室戸岬方面へ向かう路線)の始発駅でもあり,空港(高知龍馬空港)にも近いなど交通の要衝でもある.

 高知方面に向かう特急列車は四国山地の山間部を走行するが,土佐山田駅を過ぎる頃から徐々に開けてくる.土佐山田から数分で待ちに待った車内放送が流れてきた.「まもなく,ごめんごめんに着きます.ごめん・なはり線はお乗換えです.ごめんの次は終点の高知です‥‥」.

「gomen.mp3」をダウンロード

 

 ここをクリックすると”ごめん”駅到着直前の車内放送が聴けます

Gomen2 (写真1) ごめん駅外観.かなり立派な駅です.

Gomen1 (写真2) ごめん駅の看板にて.うれしそうな顔をしています.

Gomen4 (写真3) ちなみに”ごめん”の由来は,その昔この地域の租税が免除されていたことに由来するとのことです.

 写真でもわかるように”ごめん”駅は結構立派な造りである.ホームは4つあり,ひとつが土佐くろしお鉄道用になっている.このホーム上には,ちょっとしたモニュメントが建っている.これは”ごめん・えきお君”というキャラで,当地出身のやなせたかし氏(アンパンマンの生みの親として有名)がデザインしたもので,氏の作った「ごめん駅でごめん」という石碑もあります.またこの”ごめん・なはり線”には20駅あり,その全てにやなせ氏製作のオリジナルキャラクターが割り当てられている.ちなみに,始発のごめん駅のキャラが”ごめん えきお君”で終点のなはり駅が”なは りこちゃん”なのでありました.

Gomen5 (写真4) これが”ごめん”駅のキャラクター,ごめん えきお君です.帽子にGOMENと書いてあります(右下にはアンパンマンもいます).

Gomen3 (写真5) そしてこれが「ごめん駅でごめん」の碑.これだけ謝られると,こっちが申し訳ない気分になります.

ホームページ本編にも珍名駅のコーナーを設置しました(日本の珍名駅

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2006年9月27日 (水)

白龍と”じゃじゃ麺”

 昨日9月26日は所用があって盛岡に出かけた.普段は岩手県沿岸北部を拠点にしている私だが,時々医学部の学生の実習を指導するために盛岡に出向くのである.そんな時に昼休みなどに必ず行くのが,ここ白龍(パイロン)である.白龍は内丸の桜山神社近くに本店が,さらに一軒おいて分店が,また市内の川徳デパート地下にも支店がある.写真は本店のもので,暖簾が新しくなったほかは昭和50年代とほとんど変わっていない.

Pairon  盛岡といえば冷麺が有名で最近は全国区になっているようだが,青春期(特に高校時代)を盛岡で過ごした男の子にとって,思い入れの深い食べ物はなんといってもこの白龍の”じゃじゃ麺”である.冷麺は今から25年前ですら一杯700円で,当時の高校生の懐には厳しい食べ物であった.その点このじゃじゃ麺は,普通盛り290円(昭和56年当時)と高校生でも(その気になれば)毎日食べにいける価格設定であった.私も高校時代に何杯食べたのか数え切れないが,高校卒業後も延々と通い続けているのだった(盛岡を離れていた大学時代ですら,1~2ヶ月に1回は来ていた).

 じゃじゃ麺は,茹で上げたうどんのような平麺にきゅうりとねぎ,肉味噌(これが秘伝の味)がのったもので,これにお好みで,おろしにんにくラー油などをかけてよく混ぜて食べるのである.何をどれくらいかけるかは各人の好みであり,こうしなければならないなどという決まりはない.ただ,味噌が意外と塩辛いため,はじめに味噌と麺を完全に混ぜてから食べた方がおいしいと思う(ちなみに私は,ラー油小さじ3杯,にんにく極小さじ3杯,酢3回し(酢の入った醤油ビンを3回転)かけて,さらにおろし生姜を多めに入れてもらってから一気にかき混ぜて食べる).

 

Jajamen_1

 じゃじゃ麺を食べ終わった後には,空いた皿に生卵を割ってよくかき混ぜてから,カウンターに「お願いします」といって出すとねぎとお湯,最後に肉味噌を入れて特製スープ(チータンタン)を作ってくれる.お好みでいろいろ味付けをして飲むと,これがまた旨いのである(私はおろし生姜と胡椒をふって飲むのが好きだ).

Chiitan

(写真) チータンタンです.胡椒をふった直後です.この後おろし生姜と混ぜて飲みます.

 高校生時代から通算何杯食べたのか数え切れないが,今後も通い続けることは確かである(現在値段は小盛り350円,中盛り450円,大盛り550円,チータンタンは50円です).

 白龍は基本的に日曜日はお休み(祝日はやっている)ですが,川徳店のみ日曜もやっています.

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2006年9月22日 (金)

妖怪検定

 先日何気なくインターネット検索をしていたところ,妖怪検定という文字を発見した.なんだこれはと早速調べてみると,漫画家水木しげる氏のふるさと,鳥取県境港市で10月8日に第1回の妖怪検定が行われるらしい.「水木しげるロードの妖怪たちⅡ」という公式テキストもあり,正答率70%で合格とのことであった(晴れて合格すると境港 妖怪博士初級に認定されるらしい.来年以降もしかしたら中級や上級もできるのかもしれない).

Youkai1 Youkai2_1

(写真1) 妖怪検定のチラシ (写真2) 妖怪検定の公式テキストです

 境港市には水木氏デザインの妖怪のブロンズ像が立ち並ぶ,水木しげるロードもあり一度行ってみたいと思っていたのだが,妖怪の検定まであるとは,こりゃ行くしかないと私のなかの血が騒ぐのであった.早速申し込んだところ,受験票が送られてきた.試験なんて5,6年ぶりのことであり,すっかり硬くなった頭でどれだけ対応できるか不安ではあるが,せっかく受けるなら合格したいのは人情,合間を見て勉強してみようと思った次第であった.ちなみに公式テキストは150ページの厚さで,約150体の妖怪が紹介されている.出題要綱によると,テキストから無作為に選んだ妖怪の名前,出身地や特徴などが出題されるらしい.要するにテキストを全て暗記すれば100点取れるわけであるが‥‥‥泣.

Youkai3 (写真3) そしてこれが受験票です.既に249人も申込者がいるみたいです.

 ところで水木しげる氏はゲゲゲの鬼太郎などの妖怪漫画が有名であるが,私のような戦記マニアにとっては戦記作者としての側面も大きい.20年位前に買って読んだ「娘に語るお父さんの戦記」はニューギニア地区の厳しい戦争体験を水木氏一流のユーモアを交えて著している傑作戦記である(基本的には反戦物であるが,ことさらに戦争の悲惨さを強調するのではなく,現地人の生活を通して戦争をやっている人間の愚かさを浮かび上がらせている.この点は妖怪の視点を通して人間や文明社会の愚かさを表現しているゲゲゲの鬼太郎などとの類似性も見られる.

 そういうわけで,私の10月第1週末の山陰行きが決まったわけである(切符の手配をしなくては).

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2006年9月21日 (木)

日本の珍名駅1 ”なんじゃい”

 近年秘境駅が注目されており,このブログでも岩手県内の秘境駅としてJR山田線大志田駅,浅岸駅,三陸鉄道北リアス線白井海岸駅を紹介した.これら秘境駅は実際にそこに行ってみないと,本当に秘境駅なのかどうかわからないのであるが,ここで紹介する珍名駅はそのものズバリであり,時刻表を見ただけでそれとわかるのである.物好きな私には魅力的なところばかりで,機会を見つけては取材に出かけているのであるが,今日から不定期に,取材の結果仕入れたこれら珍名駅を紹介します.

 記念すべき第1回は群馬県上信電鉄にある「なんじゃい」駅(南蛇井駅)である.JR上越新幹線と長野新幹線の分岐部にあたる高崎駅から西南西約20キロにある富岡市にその駅はある.

 高崎で新幹線を降りて上信電鉄のホームに向かう.ホーム上に改札口があり,その手前に券売機があった.めざす「なんじゃい」は終点下仁田駅から2つ手前にある.乗り込んだ列車は2両編成のワンマン列車で,駅員がいない駅では先頭のドアのみが開いてそこから乗り降りするのだった.

Nanjai1  揺られること50分待ちに待った(?)車内放送が流れる.「次は,なんじゃいなんじゃい.降り口は右側です.」

  なんじゃい駅直前の車内放送

    

ここをクリックすると”なんじゃい駅”到着直前の車内放送が聞けます.

 イントネーションがちょっと気になったが,「次はなんじゃい」と開き直られても,何がなんじゃいという感じであった.

Nanjai6 (写真) ホームの看板にて.服装から学会の途中に寄ったことが見え見えです.

Nanjai5 (写真) こうして「なんじゃい」とすごまれると引いてしまいます.

 そしてここが「なんじゃい(南蛇井)」駅である.何の変哲もないローカル駅であり,駅前には自販機があった.駅舎の正面には屋根付きの有料駐輪場があり,「契約者以外は駐輪できません」と書いてあったが,契約者が少ないのかガラガラであった.一方その脇の屋根のないスペースには結構多くの自転車が停まっており,都会じゃあるまいし,こういう地域ではお金を払ってまで,自転車を停めるスペースを確保しようと考える人は少ないだろうと感じた.

Nanjai3

 

(写真) 南蛇井駅正面です。

Nanjai4 (写真) 右の屋根がある部分が有料駐輪場,左の空間がおそらく無料のスペースなのであろう.

ホームページ本編にも珍名駅のコーナーを設置しました(日本の珍名駅

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2006年9月14日 (木)

学会シーズン到来!

 暑い夏が終わり,秋がやってくるといよいよ各種学会や研究会が盛んに行われるシーズンになる.特に9~11月は週末になるといつも何らかのイベントがある.

 今週末(9月16日)には仙台で学会が2つある.日本神経学会と日本内科学会のそれぞれの東北地方会で,先日宮古市で行われたものとは違い,それなりに気合が入った学会である(どういう意味じゃ).

 自分が発表する演題はないのだが,ウチの研修医二人が演題を出しているため,その指導・応援として出かける予定となっている.本来なら今頃は全て完成して,さあ後は行くだけという状態になっているはずなのであるが,「‥‥まだ完成していない」のであった.先週今週と所用が多く,先送りをしているうちに今日になってしまったのである.泣いても笑ってもあと二日しかなく,しかも明日の夜には仙台入りするため,勝負は実質今日一日ということになる(まあ,さすがに8割方は完成しているので何とかはなるだろうが).というわけで今夜はエンドレスになりそうな気配であった(ブログをアップしている暇があったら早く作れという声が聞こえる 笑).

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2006年9月 9日 (土)

岩手の秘境駅3

 8月3日に学会に出かけた際,行きに立ち寄ったのが今回紹介する三陸鉄道北リアス線,白井海岸駅である.秘境駅という言葉を発明(?)した牛山隆信氏の著書には,わが岩手県内の秘境駅として以前紹介した山田線の大志田,浅岸両駅に加えて,JR岩泉線の押角駅と,この白井海岸駅が挙げられている.

 この白井海岸駅は沿岸北部の普代村というところにあり,私が住んでいるところからも近い.地図を見ると国道45号線から海の方向に入ったところにあるようだった.

Shiraiiriguchi (写真1) 白井海岸駅を示す標識.標識があるだけ親切です(浅岸駅にはありません).

Shirairindou (写真2) 一応舗装された林道を進みます.

 国道45号線を南下中に,白井海岸駅の標識に従って左折する.しばらくは民家も点在する道を進んでいくが,途中から林道の様相を呈してくる(さすがに舗装はされていた).2~3Km行った先にその駅はあった.駅は道路より高い部分にあり,駅前(?)には緑の公衆電話(採算が取れているのか不安になる電話であるが,携帯が圏外であるため需要はあると思う)とトイレがあった.

Shiraiekimae(写真3) 駅前の様子.トイレと公衆電話があり一応駅前っぽい感じです.

 ホームは一面で両脇がすぐトンネルになっている.ホーム上に待合室があり、時刻表やポスターが貼ってあった.列車本数は比較的多く(大志田駅のように上下合せて3本などということはない),地域住民の足になっているのがよくわかる.

Shiraihome (写真4) ホームです.看板にも書いてある通り,この辺はウニが旨いです.

Shiraimachiai (写真5) 待合室です.汽車は上下併せて1日30本近く停まります.

 ところで駅周囲には民家などはなく,あまり利用客がいるようには見えない.また駅名となっている白井海岸についても,たしかにそういう名前の海岸はあるが,海水浴客で賑わうという話も聞かない.

 実はこの白井海岸駅のある三陸鉄道北リアス線は1984年(昭和59年)に開業した比較的新しい路線である.もっとも久慈-普代間は1975年に国鉄久慈線として営業しているが,白井海岸駅は三陸鉄道開業時にできた駅なのである.このため山田線の駅のように昔は人がいたが過疎化のため秘境駅化したわけではなく,恐らく開業時から現在の様子であった可能性が高いのである.

 とはいえ,ここは駅周囲のみを見れば何もないように見えるが,1kmほど行くと小さいながらも集落があり,通勤通学の足として利用されているものと思われる.国道からの距離も近く,山田線の両駅(大志田・浅岸)とはかなり趣が違うというのが感想である.

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2006年9月 7日 (木)

 昨日(9月6日)の夕方から雨が降っている.8月1日の梅雨明けから,暑い日が続き天気も良かったため,雨降りになったのは久しぶりのような気がする.これからはひと雨ごとに寒くなる北国の秋を迎えるわけである.

 さて,私の職場の部署は私ともう一人の二人(それに今月は若い研修医が一人来ている)で仕事をしているのだが,今週はその相方が夏休みを取って不在のため外来や病棟回診から書類書きまで全ての業務を一人で(些細な用事なら若い衆にもやってもらう)こなさなければならない.一応外来の予約を減らすなどして対応しているのだが,急患が来たりとなかなか思い通りにはいかない.今日も午後から急患が来たりしたため,全ての診療業務を終えたのは19時になってしまった.これから書類書きに突入するわけだが果たして何時までかかるのやら(ブログの更新をやってる暇があったら書類書けと言われそうだが,全てサービス残業なので許してもらえるだろう).

 あー,早く相方が帰ってこないかな.

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2006年9月 5日 (火)

北山崎と生うに丼

 先日,9月3日(日)はあまり気合の入っていない(笑)学会があった.会場は今は宮古市となっている田老町(三陸大津波で有名)のグリーンピア田老というところである.ここは宿泊施設のほかにスポーツ施設など多目的な用途に使用可能な一大レジャーセンター(?)で,いかにもバブル期的な雰囲気がある施設である.元々国が年金をつぎ込んで造ったのだが,景気の悪化とともに経営も悪化,現在は宮古市が経営の主体となり,民間も巻き込みながら経営の健全化を目指しているようである.

 私のところから田老まで約70km,都会的感覚では結構ありそうだが実際には国道45号線で一直線,途中信号もないためゆっくり走っても1時間半あれば着いてしまうのだった.今回は自分の発表はなく,職場の若い衆の発表の応援が目的である(別に会場で声援を送るわけではなく,フロアから難しい質問が出たときなどに助け舟を出す役である).幸いたいした質問もなく,発表は平和に終わった.

Greenpia (写真1) 会場のグリーンピア田老.広大な敷地の中に様々な施設が点在しています.

 午後からは偉い先生の講演があるのだが,私はそのまま帰ることにした.外は気持ちいいくらいの快晴である.こんないい天気にただ帰るのはもったいないので,寄り道をすることにした.北三陸は典型的なリアス式海岸で荒々しい海岸美が特徴であるが,なかでも田野畑村にある北山崎は有名な景勝地である.近くに住んでいるとかえって行く機会がないのが地元の景勝地だが,私が最後にここを訪れたのは10年以上前のような気がする.

 周囲の食堂やお土産物屋,公衆トイレなどはすっかり小奇麗になっていたが(トイレは水洗化されていた!),北山崎の風景は全く変わっていなかった.

Kitayamasaki(写真2) 荒々しい北山崎の風景

 風景を堪能した後,近くの食堂で昼食にする.夏の北三陸といえばやっぱり”うに”である.私はさっそく生ウニ丼を堪能したのだった(実際本当の生うには,臭みなどまったくなく,口の中でとろけるように甘いのである.こういうのを食べると,岩手に住んで良かったと思う).

Unidon (写真3) 北三陸名物の生うに丼.とろけるような甘さが最高です.

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2006年9月 2日 (土)

ムンクの「叫び」発見される

 昨日の新聞を見ていたらノルウェーの画家,ムンクの名画「叫び」が発見された旨が報じられていた.この絵はオスロの国立美術館に展示されており,私も2003年にスバールバル諸島に行った際立ち寄って見たことがあったのだが,その1年後に強奪されていたらしい.すっかり忘れていたのだが,何はともあれ無事に見つかってよかった次第である(それにしても強奪した犯人はこの絵をどうするつもりだったのだろう).

Bijutukan

Sakebi  (写真上) オスロの国立美術館 (写真下) そして,これがムンクの「叫び」

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2006年9月 1日 (金)

夏休みが終わった”毎日モーツァルト”

 今日9月1日から二学期らしい(もっとも私の住む地方ではとっくに二学期になっているのだが).7月31日(月)から夏休みバージョンになっていた”毎日モーツァルト”,来週からは通常バージョンに戻るのかと思いきや,なんと来週は「今からでも間に合う毎日モーツァルト2」が放送されるらしい.「今から~」は確か5月の連休時期に,それまでのダイジェスト編として放送され,1月からの放送を初めから見ていなかったという人でも,話についていけるようにというコンセプトだったと思う.それが1年の半分以上を過ぎた今頃になって「今からでも間に合う~」と言われてもなぁ.しかも今回のはウィーンに移住後のダイジェスト編らしい.従ってこの放送を見てもザルツブルグ時代のことはわからないわけで,名付けるなら「今からでも間に合うウィーン時代のモーツァルト」ではないかなどと野暮なことを考えてしまうのだった.この調子だと12月頃に第3弾があるかもしれない(タイトルは「さらば,今からでも間に合う毎日モーツァルト」だったりして(山本耕史さんの「さらば,毎日モーツァルト」という語りが浮かんできます 笑).

Mozart2  (写真) 白目をむいたモーツァルト.今年ウィーンの街を歩くと,このモーツァルトの絵をいたるところで目にします.

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