寮歌の思い出
実は高校時代の私は弊衣破帽に,腰に手ぬぐいぶら下げて高下駄をカランコロンさせて歩くバンカラ学生であった(今ではその片鱗もないが).そんな格好をしていたのはひとえに旧制高等学校に憧れていたからであった.旧制の高等学校は旧制中学(5年制)卒業後に進学(実際には4年修了で受験できたらしいが)するもので,年齢としては今の高3から大学2年(いわゆる教養課程)位の3年間に相当する.授業的には文科と理科に分かれて各種教科(丁度新制大学の教養課程のような授業,当然第2外国語もある)が行われていた.なぜ,こんな旧制高校に憧れていたかといえば,当時の高校生はごく一部の優秀な生徒のみが進学しており,寮で仲間と酒を酌み交わしながら(当然未成年だったはずだ),やれニーチェがどうした,やれヘーゲルがどうしたと難しい学問について語り合っているというイメージがあり,そんな彼らがとてもカッコいいと感じていたからである.
そして旧制高校といえば寮である.旧制高校は明治時代のナンバースクール(第一から第八まである)と以後の都市名がついた高校(ネームスクール),さらには大学予科(北大など)や私立も併せて40位あるのだが,ほとんどの学校に寮があり,多くの学生はそこで生活をしていたのであった.寮にはそれぞれ魅力的な歌(寮歌)があり,当時の私は好んで歌っていたものだった(当時ボニージャックスや加藤登紀子のLPレコードを買ったり,日本校歌寮歌集なるマニアックな本も持っていた).ただ,大学に入って以降はクラシックの声楽曲に目覚めてしまったため,この寮歌愛好は深層心理のなかに深くうずもれてしまった.だが今でも酔っ払った時や旧友に会ったときなどには顕在化するのであった.
さて,何で今日この話題を出したかといえば,先日私の深層心理に訴える出来事があったからである.それは私の職場の方のご尊父が弘前大学北溟寮の出身で,大変な寮歌愛好者であるとのことを伺ったからであった(北溟寮は旧制弘前高等学校の寮である).そして何を隠そうこの私も弘前大学北溟寮出身なのでであった.思いがけぬ偶然に感激した次第であった.
都も遠し 津軽野に あふるる生気 若人の 胸に希望の 春は来て 高なる血潮 紅に 咲くは理想の 花の色 潜む大鵬 みちのおく
であった.
(写真上) 弘前大学時代の私.卒業式の日に寮門前で(このままの格好で卒業式に参加).(写真下) これが日本校歌寮歌集.今はもう絶版だろうなぁ.
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コメント
モノクロの写真で随分と昔風ですが、実はそんなに前じゃないんですよねえ。それより第一回カシオペア計画、16日お仕事はお休みされたのですか?ファッションリーダーことS先生がお留守番だったのかしら??私たちは無事に札幌から帰還しましたよ~☆
投稿: anego | 2006年8月24日 (木) 05:01
実はこの写真は卒業記念にと寮の写真部の人がパネルにして送ってくれたものを写真に撮ったものです(実物は実家に飾ってあります).丁度10年前になりますね.ちなみに8月16日はお盆体制で外来が休診だったため,うちの若い衆(研修医)に託して出かけた次第です.そばを食べなければ本当に骨折り損でした(笑).
投稿: 管理人 | 2006年8月24日 (木) 07:37
なるほど!お盆体制があるのはうらやましいですなあ。私も森のそば屋に行ったことありますよ。古民家のようなところでおばちゃんたちがそば作ってましたね。更科そばが好きな方には合わないかもしれませんが、ああいう田舎そばみたいなの私は好きですね。あと私も若い頃の写真をパネルにしたものを親が飾っているのですが、見るたびにちょっと恥ずかしいです…。
投稿: anego | 2006年8月25日 (金) 04:38