2018年5月 6日 (日)

日本100名城スタンプラリー101

続日本100名城 忍城(118番)

 今年の4月6日(城の日)からついに始まった,続日本100名城スタンプラリー,歴史好き&こうした集める系のネタに目がない自分にとって,参加しないという選択肢があろうはずもなく,公式ガイドブックも購入してあとは開始するだけとなっていた.ただ,なかなか出かけるタイミングが見つからず約1か月放置されたままになっていた.

 が,5月の連休唯一の休みとなった5日は朝から快晴の良いお天気,こりゃどこか行くしかないということで,続100名城の中でも至近ではなく,かといって日帰り圏である埼玉県行田市の忍城に行ってきた.

P5052064 (写真1) 忍城三階櫓(当時のものを復元したわけではない)

 忍城は室町時代の文明年間に豪族の成田氏によって築かれたといわれている.当地は荒川と利根川に挟まれた大湿地帯であり,広大な沼地のあちこちに島のように高台が陸地として浮かんでいるような地形だった.忍城はこの地形を巧みに利用し,広大な沼を天然の堀として防御に役立てている.

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(左写真2) 当時の遺構である土塁,(右同3) 土塀は復元されたもの

 この城を歴史的に有名にしたのが1590年の豊臣秀吉による小田原攻めである.北条氏の本拠である小田原攻略に先立ち,秀吉は当時関東各地にあった北条氏の支城を攻略していった.この忍城も同年6月に攻略に着手,指揮にあたったのが後の五奉行の一人石田三成である.秀吉の意向もあり三成は忍城を水攻めにするもうまくいかず,結局小田原の北条氏が降伏するまで忍城は落ちなかった(この水攻めの際,水の中に本丸が浮かんで見えたことから浮き城の別名がある).江戸時代に入るとここは主に譜代大名の領地となり,特に島原の乱後の17世紀半ばから19世紀前半の文政年間までは阿部氏を藩主とする忍藩の居城とされ整備が進んだ.明治維新後はご多分に漏れず城郭の破却が進み,特に建造物に関しては一部の門を除き現存していない.

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(写真4) 懐かしい感じのする秩父鉄道行田市駅

 自宅を出て小田原駅から湘南新宿ラインの特別快速に乗車,約2時間半で熊谷駅に到着し,ここから秩父鉄道に乗り換え3駅で行田市駅で降りる.埼玉県は東京都と同様に東側に都市が西側に田園や山が広がる構造になっているが,この地域は典型的な田園地帯である(ここから西に行くともう秩父だ).

P5052082 (写真5) これは江戸時代の忍藩の藩校の門を移築したものだそう

 駅から南西に歩いて15分ほどで城の本丸跡に建つ行田市郷土博物館に到着,ここには忍城に関する資料のほか,当地で盛んだった足袋の生産のに関する展示もあった(入場料200円).この資料館に接続する形で1988年に御三階櫓が鉄筋コンクリート製で建てられている.忍城に三階櫓が存在したことは歴史的事実であるが,それは今櫓が立っているのとは異なる場所であり,時代考証的には問題がある.本丸部分には一部の土塁が存在し,これは当時の遺構といえる(その他土塀も再建されている).

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(左写真6) 当時の外堀の姿を残す水城公園,(右同7) 成田御門跡(小学校のそばだった)

 ただ当時の忍城の大部分は現在市街地化されているため,当時を偲べるものは少ない.ただ,資料館から徒歩15分ほど離れた水城公園は当時の外堀の一部を整備して講演としたものである(一方で街中を歩くと「●△門跡」といった案内碑も目にする).

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(左写真8) 丸墓山古墳(この上が石田三成の布陣場所),(右同9) 石田堤は今は歩道になっている

P5052102 Img_0376 (左写真10) 古墳上からは本丸の櫓が見えます,(右同11) こちらは東日本最大の前方後円墳である二子山古墳

 行田市といえば東日本最大の古墳が存在する土地として知られ,さきたま古墳群として整備されているが,その中にある丸墓山古墳が忍城水攻めの際に石田三成が布陣した場所であり,その周辺に今も存在する土手が彼が水攻め用に作らせた堤で,現在石田堤と呼ばれている.

忍城へのアクセス: JR吹上駅からバス,または秩父鉄道行田市駅から徒歩で本丸跡に到着します

スタンプの設置場所 本丸跡に建つ行田市郷土資料館入口にあります.

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 平城なので高低差はなくスムーズに移動できます.ただ城の遺構はあちこち散らばっているので,それなりに歩くことになります.

Img_0378 登城日 2018年5月5日

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