2024年4月11日 (木)

宇和島城と内子座

 空けて4月11日です。一週間後はもうウィントフックに戻っているんだなぁと感慨深く感じます。この日の朝もホテルをチェックアウトするんですが寝坊して朝食を食べそこなった(笑)ためまずは食事ができるところを探します。港近くの道の駅があったので行ってみましたが残念ながらまだ営業時間外、仕方ないのでその向かいにあたマックに入りました。マックなんて日本的ではないイメージですが、実はナミビアにはないのでこれはこれでいいのかもしれません(大手ファストフードチェーンではナミビアには唯一ケンタッキーのみがある)。

 朝食後は宇和島城へ、ここも一昨日訪問した高知城と並び現存12天守のひとつで日本100名城でもあります。過去に何度か訪問していますが非常に味わいのある城郭です。宇和島城を建てたのは築城の名手と呼ばれる藤堂高虎ですが、実際に城主として江戸時代を過ごしたのは伊達政宗の庶長子の伊達秀宗を祖とする宇和島藩でした。宇和島伊達家としては幕末の藩主宗城が有名です。年度初めの平日ということでこの日の宇和島城は観光客も少なくのんびりと観光できました。この城郭は入り口から天守まで結構な登り坂が続くので大変ですが、本丸には葉っぱがかなり出てきたとはいえ桜の花が残っていたのは感動でした。

Img_2085_20240511171401 Img_2083 Img_2062 Img_2066 (左上写真1)宇和島城の上り立ち門、(右上同2)登城します、(左上同3)天守と石垣、(右下同4)現存天守

 宇和島城観光の後は一路北上し次の目的地内子町を目指します。内子は古くから大洲街道の要衝だったのですが、江戸時代から明治にかけて高品質な木蝋生産によって経済的に大いに栄えた町です。今でも当時の街並みが保存維持されていて、その通りは八日市道路として日本の道100選になっています。この日は街並みの散策に加えて、ここでの木蝋生産の様子がわかる上芳我邸や大正年間に建設され今に至るまで活用されている内子座も見学しました(内子座はまもなく耐震工事のため長期休館になるらしく、このタイミングで訪問しなければしばらく見られなかったもよう💦)。

Img_2105 Img_2103 Img_2106 Img_2116(左上写真5)内子町の八日町道路、(右上同6)日本の道100選の碑、(左下同7)内子座、(右下同8)同内部

 その後は再び北上して松山市内へ、この日は道後温泉の大和屋本店さんに宿泊です。日本酒が飲めるコーナーやミカンジュースがでる蛇口などもあっていろいろと楽しめる施設でした。特に大浴場はおそらく今回の帰国では最後の大浴場になることが予想されるため何度も入浴し堪能したのでした。

Img_2132 Img_2133(左写真9)地酒の飲み比べ、(右同10)鯛そうめん

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2020年11月 3日 (火)

100に関連した週末旅行

 いよいよ11月に入りました.今年も残り2か月となったわけですが,この週末は珍しく土日とも何も用事なし,しかも天気予報は上々と格好の行楽日和になりそう,いうことで急遽出かけることにしました.行先は三重県北中部です.

 三重県といえば,南部の熊野や伊勢,志摩は観光地として有名で伊勢神宮や鳥羽水族館,志摩スペイン村等ガイドブックでも著名な観光地がたくさんあります.しかしながら北中部はというと,街としては桑名,四日市,津などがありますが,観光地的には南部に比べると地味な印象です(るるぶなどのガイドブックも「伊勢・志摩」括りになっていて,三重県全体とはなっていない).

 そんな三重県北中部,私もあまり行ったことのない場所なんですが,ライフワークにしている100名城や100選滝,100選道絡みでは実は対象地があったりします.この週末はこうした三重県北中部の100関連の場所に行ってきました.

 前日10月30日が泊りだったため,31日帰宅後手早く準備をして出発です.10時7分小田原駅発のひかり号で西へ向かいます(小田原駅の新幹線は基本30分に1本のこだまですが,2時間に1本小田原の次が名古屋というひかりがあり,それだと名古屋までほぼ1時間で行ける).名古屋駅で新幹線を降り,ホームにあるきしめん屋住よしさんで早めの昼食を摂ります(自分は出張の際の定番ですが,ウチのKは初めてだったもよう).食事後近鉄線に移動し,11時50分の特急に乗って津まで行きます.

 津駅近くでレンタカーを借りてまずは続日本100名城のひとつ津城へ.築城の名手と言われる藤堂高虎によって整備されその居城となった城郭です.しかし三重県内には同じ高虎による伊賀上野城や蒲生氏郷が建てた松阪城もあるせいか,津城は最初の100名城には入れず,続編の方での選出となりました.内堀と外堀が二重丸のようになった輪郭式城郭ですが,現存するのは内堀の一部と本丸,西の丸の一部のみです.当時の建物は残されていませんが(本丸東部に丑寅櫓が建っていますが,場所も形状もオリジナルとは異なるものです),石垣や堀は立派なものでした.

Pa310517 Elpumcvkaagz_b (左写真1)津城の内堀,(右同2)復興丑寅櫓

 続いては北の亀山市へ.東海道というと近年では東海道本線や東海道新幹線の影響もあり,名古屋から北上して岐阜周りのイメージもありますが,江戸時代の東海道は名古屋から桑名,鈴鹿峠を通って滋賀県の草津に抜けるのが本筋です(鉄道でいえば名古屋以西は関西本線,草津線がオリジナルに近い).亀山市にある関宿は旧東海道の宿場の街並みを今に残すスポットとなっており,日本の道100選にも選ばれているのでした.

51tokaido Pa310572 (左写真3)関宿の街並み,(右同4)百五銀行の実店舗

 大型車は絶対にすれ違えない狭い道を挟んで昔の趣の建物が軒を連ねる様子は江戸時代にタイムスリップしたかのよう(ここで宿場まつりやったら雰囲気抜群だろうな 笑).銀行や郵便局も江戸風でした.この日は同曜日でしたが観光客はまばらでした.しかし1年前にはインバウンド系の観光客で大賑わいだったんだろうなと想像してしまいました(中国人観光客とかこういう雰囲気好きそうなので).

 関宿観光の後はこの日宿泊する伊賀氏のホテルへ.亀山から伊賀への名阪国道は一応一般国道なんですが,みんなまるで高速道路並みに飛ばしていました(所々緑色の高速っぽい看板が出ているが,まぎれもなく一般道路である).ホテルにチェックインしたあと夕食のために近くのワインとお肉をいただけるお店へ.ラムや伊賀牛を始め,赤ワインが似合いそうな料理を堪能しました.

 食事後ホテルに戻り,風呂に入ってさっぱりした後,しばしNHKのラジオ深夜便を聴いてしまいました(それにしても,ラジオ深夜便の,あのしっとりしたテーマが流れると,学生時代の深夜ドライブが鮮明に思い出されます).

 一夜明けて11月1日,いよいよ11月に入りました.ブッフェスタイル朝食を食べて(コロナ関連でブッフェスタイルの朝食は久しぶり)一日の英気を養います.その後チェックアウトして外へ出ます.昨日に続きこの日も良いお天気です.この日の目的地は県中部で奈良との県境に近い赤目四十七滝です.ここは渓谷の中に多数の滝が存在するところで,山梨の西沢渓谷や木曽の田立の滝などと似ています.片道4キロのトレッキングはまずまず中級向けと思われます.スタート地点には当地名物のオオサンショウウオが展示されているセンターがありました.

 歩くこと数分で最初の見どころ不動の滝が登場、ここまではアップダウンがないので誰でも来られます.そこからは階段や勾配のきつい箇所も出てくるので足腰が弱い人は難しいでしょう.先述の不動の滝を含め,千手滝,布曳滝,荷担滝,琵琶滝の5つがメインの大きな滝で5つ目の琵琶滝から10分くらい奥に進んだ巌窟滝がコースの終点となります(この他大小たくさんの滝がある).この日の往路は2時間以上かけてゆっくり観察しながら歩きました.

Sente Nunobiki Ninai Biwa (左上写真5)千手滝,(右上同6)布曳滝,(左下同7)荷担滝,(右下同8)琵琶滝

 終点の巌窟滝で昼食(持参したコンビニおにぎり),帰路は下りなのでサクサク歩いたら1時間ちょっとでした.

 赤目四十八滝観光の後は,津市の南方美杉地区にある続日本100名城のひとつ多気北畠氏城館跡へ.途中すれ違いが厳しい狭い道を通りたどり着きました.ここは戦国時代に伊勢を支配していた北畠氏の居城だったところで,現在は神社になっています.防御施設としては背後の山上に霧山城がありました.今回は到着時点で夕方近かったため登山は断念し,神社と隣接する庭園を見学しました.

Pb010776 Pb010792 (左写真9)北畠神社,(右同10)隣接する庭園

 この後津へ戻りレンタカーを返却,駅前で夕食を摂って家路に着いたのでした.

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2015年12月 7日 (月)

日本の道100選

 旅行好きの私ですが,近年ライフワーク的に歩いているのが日本の滝100選と日本の道100選です.前者は2013年4月,後者は2014年3月から取り組んでおり,今日現在滝は37か所,道は25か所の訪問が完了しています.このうち滝の方は既にホームページ上に記事を展開していたんですが(日本の滝100選 ),道はブログにいくつかアップしたほかは手つかずのままになっていました.これじゃいかんということで一念発起し(笑),ホームページ上に記事を書き始めました.その最初の道,東京都千代田区の内堀通りが完成しました.

 日本の道100選28 内堀通り

 かつて取り組んでいた100名城や100選滝の場合,そこに行けば確実に目的の城や滝があり訪問完了となるわけですが,道100選の場合には道を歩く(場合によっては車で走る)だけでは完了とならず,その道が100選に選ばれたことを顕彰する碑(顕彰碑)を見つけなければなりません.しかもこの顕彰碑の場所は特に公式に公開されているわけではないので,そこへ行って自分で探すというオリエンテーリング的な要素が加わります.これが時として大変で,ある意味山奥の滝を歩くよりも辛かったりするんですが(笑),そこも含めての散策と割り切っています.

Uchibori10  これが顕彰碑です(形は各道路で異なるので見つけるのが大変になります.

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2015年11月 4日 (水)

晴れの特異日

 11月3日は晴れの特異日といわれます.前後の日に比べて統計学的に有意に晴れの日が多いからというわけですが,今年の11月3日は一日フリーの休日ということで,信州南部地方に繰り出すことにしました.朝一番で出かける手もあったんですが,せっかくだからと11月2日の夕方に自宅を出発,岐阜県中津川市のホテルに前泊です.

 11月2日は一日雨模様でしたが,一夜明けた3日は予想通り晴れの良いお天気です(さすが晴れの特異日).朝食後ホテルを出発,まずは県境を越えて長野県南木曽町に入ります.目的は日本の滝100選に入っている田立の滝です.国道19号線から北に入っていきます.狭い道を15分ほど走って駐車場に到着です(休日ということもあるのか,10台近く停まっていた).

Pb030067 (写真1) 田立の滝入口の粒栗平駐車場

 田立の滝とはいっても,そういう名前の滝があるわけではなく,木曽川水系坪川流域に点在する複数の滝の総称のことです.駐車場から遊歩道をひたすら歩いていきます(入り口に協力金として一人200円入れるためのボックスがある).道は比較的整備されてはいますが,古くなった木道や吊り橋などもあり,気を付けて歩かないと危険な箇所も多いです.

Pb030436 (写真2) 螺旋滝

 約40分ほどで最初の滝,螺旋滝の入り口に到着,ここから川まで急な下りとなります(ここは遊歩道というより登山道といった感じ).螺旋滝はその名の通り,らせん状に水が落ちる滝でした.

 来た道を引き返して本道に戻り先へ進みます.数分で洗心滝に到着,ただこの滝は遊歩道からは木の陰になってよく見えません.パンフレットの写真だと,正面からバッチリ見えているんですが,近くを見渡しても滝への入り口はなく,仕方なくそのまま通過しました.

Pb030091_2 Pb030445 (左写真3) 不動岩(最終的にあそこまで登りました),(右同4) 霧ヶ滝

 そこからさらに上流に向かうと,霧が滝,天河滝と規模の大きな滝が続きます.特に天河滝は落差40メートルとこの田立の滝群の主瀑的立場にある滝です.昨日は雨だったとはいえ,最近は晴れが続いたせいか水量は少な目でした(少なくともパンフレットの写真の滝よりは少ない).

Pb030457 (写真5) 田立の滝の主瀑,天河滝

 ここでしばし休んだのち,再び遊歩道を登っていきます.登り切ったところに天河橋という吊り橋がかけられていて,ここから見上げるのが不動滝です.実はこの直上に不動岩という巨大な岩があって,その直下の滝ということです.この不動滝が見える場所から古い木道がつづら折れになって一気に登っていくポイントがあり,ちどり橋と呼ばれているようです.手すりも付いているんですが,結構古く,崩れたら大変だなと思いながら登っていきました.

Pb030474 (写真6) 龍ヶ瀬

 ちどり橋を登りきると,川が浅瀬になったところに出ます.ここが龍ヶ瀬と呼ばれる場所で,ほかの観光客が昼食を摂っていました.

 そこから少し行ったところに再び川を渡る橋があり,ここから鶴翼の滝が見えました.本来ならこの更に上流にそうめん滝という変わった名前の滝があるんですが,残念ながらこの先通行止めということで断念し,そのまま不動岩の山頂の展望所へ,結局駐車場からここまで2時間半の行程でした.ここで休憩,昼食をいただきます.晴れて眺めが最高でした(帰路は元の道を引き返します.ひたすら下りなので1時間半で戻れました).

Pb030480 Pb030498 (左写真7) 不動岩からの木曽の里と山々,(右同8) 紅葉がきれいです

 駐車場でしばし休んだのち,ちょっと離れた場所にあるうるう滝へ(ここも田立の滝のひとつ).天河滝ほどではないですが,落差のある滝でした.

 この段階ですでに午後3時,この後は隣の飯田市に向かいます.今度の目的は日本の道100選に入っている並木通り,ここは道の中央にリンゴの木が植えられていることで知られています.4時過ぎに到着したんですが,この日は市内でイベントが開催されていた模様で,その後片付けやら何やらで関係者が走り回っていました.

Pb030192 (写真9) 日本の道100選,飯田市の並木通りです

 日本の道100選散策はただ道を歩くだけではなく,それを顕彰した碑(顕彰碑)を探すというオリエンテーリング的な要素があります(結構これで苦戦することが多い).この日の並木通りは全長が短い(400メートルほど)のですぐに見つかりましたが,なんと顕彰碑の目の前にイベント用のパイプ椅子やテーブルを積んだ台が置いてあるじゃないですか! 写真を撮りたいのになぁと思っていたら,係員のおじさんが気づいたのか,「あっ,写真ですね.今どけますから」といって椅子やテーブルを移動してくれました.感謝して写真を撮ったのは言うまでもありません.飯田の商店街は結構活気がありそうで,今度また時間をかけて散策してみたいなと思いました.

Pb030209 Pb030206 (左写真10) リンゴがたわわになっていました,(右同11) 顕彰碑

 そのまま5時過ぎに帰路につき,家に着いたのは10時近く,非常に充実した晴れの特異日でした.今回は訪問できませんでしたが,付近にある妻籠宿や柿其渓谷も行ってみたいです.

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2015年10月23日 (金)

津軽に行ってきました!

 小田原でときめき国際学校25周年記念パーティーに参加した翌日,10月21日は秋田県能代市に行ってきました.毎年恒例となっている寮歌イベント,能代寮歌を愛する会に参加するためです.今回は翌日早めに帰って来る必要があるので,羽田空港-大館能代空港の飛行機を利用しました.

 ただこの大館能代空港便,会場へのアプローチは短いんですが,朝夕の1日2便しかないのが欠点です.会は夜とはいえ,夕方の便では開始に間に合いません.必然的に朝の便になるわけですが,今度は夕方まで時間が余ってしまう…,というわけで,時間調整のために空港から能代まで奥羽本線と五能線ルートを大回りすることにしました(東京の山手線だと渋谷から新宿に行くのに内回り線に乗るイメージ).あっ,鉄道利用ではなくレンタカーです.

 当初は白神山地にある日本の滝100選,くろくまの滝に行こうと考えていたんですが,滝への林道が土砂崩れのため通行止めになっているという情報があり泣く泣く断念したのでした(こういう滝系の通行止めって年単位で続くことが多いので,いったいいつ再開通するのか不安).

Pa210023 (写真1) こみせ通りのアーケード

 代わって訪れたのは,黒石市の中心部にあるこみせ通り,ここは日本の道100選にも選ばれている道で,江戸時代の商家の街並みとアーケード(?)が藩政時代のまま現存する貴重な道です.周囲の落ち着いた佇まいと相まって,穏やかな気分に浸れました.

Pa210019 Pa210031 (左写真2) 日本の道100選はこの顕彰碑を探すのが難関です,(右同3) 岩木山の雄姿が

 ここから国道102号線で弘前方面へ,ちょうど昼食時間だったので,かねてから行きたかったラーメン峰に向かいます.このお店,自分の学生時代には国道7号線沿いに本当に小さい店舗で営業していたんですが,この20年の間に移転したようでした.ここの主力メニューは味噌ラーメン,ノーマルと手打ちの2種類があります.この日は手打ち味噌ラーメンをいただきました.一口食べて懐かしい味が口の中に広がります.学生時代に好きで時々通っていた店でしたが,味が当時と変わっていなくてうれしかったです.

Dsc_0613 Dsc_0611 (左写真4) ラーメン峰,(右同5) 手打ち味噌ラーメン

 その後は岩木山を左手に見ながら北西に走ります.約40分で海に到達,学生時代によく訪れた鯵ヶ沢です.ここは,浜辺にイカ焼きの屋台が立ち並ぶんですが,さすがに昼食を食べたばっかりだったのでパスして進みます.しばらく海沿いに走ると深浦町に入り,広い岩場に出ます.ここが千畳敷と呼ばれる海岸で,ちょうど五能線のリゾート列車が目の前の千畳敷駅に止まっていました.

Pa210044 (写真6) 千畳敷(東映のオープニングではない 笑)

 しばらく海辺を散策したのち,再び海岸沿いを進みます.五能線の艫作駅のあたりから旧岩崎村の領域に入ります.岩崎村というとマタギの旋毛虫症を連想するのは弘前大学医学部出身者だけで,一般には十二湖がある場所として有名です.到着した段階ですでに3時近かったため,この日は日本キャニオンといくつかの池の見学にしました.

Pa210053 (写真7) 日本キャニオン

 日本キャニオンは,浸食によってむき出しになった白い岩肌がアメリカのグランドキャニオンを彷彿させるからという理由で命名されたようです.学生時代にも何度か来ているんですが,当時に比べて露出した岩肌が小さくなったような気がしました.

 一方十二湖の方は,ちょうど紅葉真っ盛りということもあってたくさんの観光客が歩いて散策していました.自分が行った時間帯はだいぶ日が陰ってしまいましたが,日中日が高い時間帯に歩いたらもっと素晴らしいだろうなと感じました.

Dsc_0623 Dsc_0619 (左写真8) 鶏頭場の池,(右同9) 青池

 観光後101号線を南へ,結局5時半ごろに会場となるキャッスルホテル能代に到着しました.

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2014年7月10日 (木)

日本の道100選8

日本の道100選 京都市哲学の道(57番)

 ~哲学の道~

 久しぶりの道の話題です.

P5120254 (写真1) 哲学の道の入り口

 表題の哲学の道は,京都市左京区の東山の山麓を南の若王子神社から北の銀閣寺付近まで,ちょうど琵琶湖疏水に沿って続いている全長1.5キロメートルの道です.

P5120262 (写真2) 琵琶湖疏水に沿った道です

 京都は794年の開都以来1200年以上の歴史を誇る街ですが,この哲学の道の歴史は新しく,明治23年に琵琶湖疏水の管理道路として作られたのが始まりとされています.当時は簡素な道だったようですが,徐々に歩く人が多くなり,特に京都帝国大学の教授となった哲学者,西田幾多郎がこの道を歩いて思索にふけったことから,いつしか哲学の道と呼ばれるようになりました.

P5120263_2 P5120287 (左写真3) 西田幾多郎の碑,(右同4) 思わず思索したくなる風情です

 私が訪問したのは2014年5月12日,ちょうど京都での学会のついででした.北の慈照寺(銀閣)を拝観したあと,この道を南に向かって散策してみました.近年は沿道の喫茶店が廃業した後に住み着いた猫も話題になっているという話だったんですが,たしかに猫の姿が見えました.

P5120300 (写真5) 猫です

 この日は朝から曇り空だったんですが,散策中に小雨模様に.まあ,思索にふけるにはカンカン照りよりこっちの方がいいんだろうと思ったのでした.

P5120309 P5120313 (左写真6) 山源というお蕎麦屋さん,(右同7) これが哲学そばです

 若王子神社付近まで来たら雨が本降りに.ちょうど小腹がすいたので近くのお蕎麦屋さんに入りました.哲学の道そばということなのか,メニューに哲学そばの文字が… これを注文したのはいうまでもありません.

P5120276 P5120278 顕彰碑

顕彰碑の場所 道の途中,茶房小径という喫茶店の前にあります.

散策のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 絶好の散歩コースです.

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2014年6月13日 (金)

日本の道100選7

日本の道100選 新ひだか町二十間道路(4番)

 ~二十間道路桜並木~

 今日は日本の道100選の話題です.今回のテーマは北海道新ひだか町静内にある二十間道路,この名前は道幅が二十間(36メートル)であることに由来しています.

P5100162 (写真1) ここから入っていきます

 新ひだか町の中心である静内の中心部から約6キロ北東に離れた田原~御園地区にあります.周辺には広大な牧場が広がり,背後には日高山脈がそびえ,その中をまっすぐな道路が伸びていく様は,本州以南には見られない,北海道的な異国情緒に満ちた風情となっています.

P5090086 (写真2) まっすぐな道が伸びています

 北海道の多くの部分は明治以降(19世紀後半)に開発が行われたわけですが,この二十間道路はそうした北海道のインフラの中では歴史が古く,その始まりは明治5年(1872年)にさかのぼります.当時の北海道開拓使の長だった黒田清隆(まだ次官だったが長官不在のため事実上のトップ)が,日高地区が馬の品種改良や飼育に適していると判断して,当地の野生馬の飼育・改良や皇族が使用する優良馬の育成を目的として,この地に種畜牧場を創設したことに始まりました.牧場は順調に発展していましたが,この地を皇族が視察する際の行啓道路として明治36年(1903年)に造られたのがこの二十間道路となります.全長二里(8キロ),幅二十間(36メートル)の当時としては立派な道路でした.そして大正年間に入ってから,牧場職員によって近隣の山野からエゾヤマザクラの植樹が行われ,今に残る桜並木が完成しました.

P5090049 P5090062 (左写真3) エゾヤマザクラ,(右同4) 半分ほどになっています

 北海道の桜の開花時期は本州以南よりもずっと遅く,例年ゴールデンウィーク明けになります.この地でも毎年5月上旬に桜まつりが開催されています.せっかくこの道路を見に行くのであれば,当然桜の時期に見てみたいということで,GW明けの最初の金曜日に年休をとってこの地を訪問しました.

P5090093 (写真5) 桜まつりの主会場付近にはたくさんの車が

 新千歳空港からレンタカーで向かいます.途中の苫小牧を過ぎて国道235号線に入ったあたりから周囲には牧場が見え始めます.しばらくは右手に海を見ながらの快適なドライブです.静内から内陸に入って10分ほどで二十間道路の入り口に到着しました.これまでに訪問した日本の道100選はすべて徒歩で廻ったわけですが,今回は公共交通機関のまったくない片道8キロです.これをすべて歩くのはさすがに厳しいので,車で往復を基本としてメイン部分のみを歩くことにしました.

 さて肝心の桜ですが,今年は例年よりも開花が早めだったとのことで,残念ながらこの日はピークを2日ほど過ぎたところでした(本州以南のソメイヨシノと違って北海道の桜は花が咲いている期間が短い).とはいえ,まだ残っている花も結構あったのでそれらを鑑賞しながら散策しました(駐車スペースは各地にある).

P5100195 P5100193 (左写真6) 龍雲閣,(右同7) 内部

 二十間道路の終点には明治42年に建てられた龍雲閣と呼ばれる建築物があります.これは皇族がこの地を訪れた際に宿舎として使われた建物で,実際に大正天皇や昭和天皇がそれぞれ皇太子時代に訪れた記録が残っています.さすがに現役では使われてはいませんが,桜まつりに合わせて内部が一般公開されていました.

P5100165 P5100167 顕彰碑

顕彰碑の場所 道路の入り口,エントランス広場の近くにあります.

散策のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 平地でよく整備された散歩コースです(ただし距離は長いです).

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2014年5月24日 (土)

日本の道100選6

日本の道100選 鎌倉市若宮大路(33番)

 ~鎌倉幕府の遺跡~

 久しぶりに日本の道100選の話題です.今回のテーマは神奈川県鎌倉市の若宮大路です.

P4260253 (写真1) 若宮大路,南の起点滑川交差点

 日本史上最初に武家として政権を握ったのは平清盛の平家ですが,それを打ち破り京都以外の場所を拠点として本格的な政権を打ち立てたのは源頼朝の鎌倉幕府ということになります.

P4260258 (写真2) 若宮大路南側,一の鳥居が見えます

 頼朝が鎌倉に幕府を置いた大きな理由はそこが父義朝の基盤だったこともありますが,なんといってもそこが要害の地だったからです.鎌倉は南は海に面しているほか,東西北には山が連なり,街に入るためには山を切り開いた切通しと呼ばれる狭い通路を通るほかはなく防御に適した地形だったからです.

P4260266 (写真3) 歩道橋の上から鶴岡八幡方面を見ます

 そんな鎌倉のメインストリートだったのが若宮大路です.由比ヶ浜の海岸から北上し,北の鶴岡八幡宮に至る1800メートルの参道で,頼朝が都市としての鎌倉建設の第一歩として自ら陣頭指揮にあたって造営したといわれています.途中に3か所の鳥居があり,由比ヶ浜方向からそれぞれ一の鳥居,二の鳥居,三の鳥居と呼ばれます.

P4260285 (写真4) 二の鳥居

 そんな若宮大路の道路としての特徴が段葛(だんかずら)と呼ばれる構造で,これは道路の中心を一段高くしてその両側に堤を築いて石を置いた道のことです.元々は一の鳥居から三の鳥居までずっと,この段葛になっていたようですが,後世の地震や津波等で破壊され,現在残るのは二の鳥居から三の鳥居までの部分です.

P4260288 P4260290 (左写真5) 段葛の中央部分,(右同6) 段葛はこのように石段で区切られています

 現在の若宮大路は鎌倉の目抜き通りとして鶴岡八幡宮参拝の観光客でにぎわっています.特に二の鳥居から三の鳥居間は沿道に土産物屋や飲食店などが立ち並ぶ一方,道路の中央部段葛部分は花が飾られた遊歩道となり,人々を楽しませています.

P4260293 (写真7) 三の鳥居,この北は鶴岡八幡宮です

 一方で二の鳥居から一の鳥居の部分は古くは琵琶小路と呼ばれた部分で,街路樹が植えられ比較的落ち着いた通りとなっています.ちなみに琵琶小路の名前は,道筋に弁財天を祀る祠があり,それを避けるように通っていた道の曲りが琵琶の曲線に似ていたからとも言われており,途中には琵琶橋という名の橋が架かっています(かつては川に架かっていましたが現在は欄干のみ).

P4260277 P4260275 顕彰碑

顕彰碑の場所 JR鎌倉駅にほど近い場所にあります.

散策のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 平地でよく整備された散歩コースです.

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2014年4月29日 (火)

日本の道100選5

日本の道100選 盛岡市寺町通り(8番)

 ~現代と調和する歴史的道~

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(写真1) 盛岡寺町通り

 江戸時代,今の北東北の半分以上の地域に広がっていた南部藩20万石の城下町が盛岡です.北上川,中津川,雫石川と3つの川の合流点に城が築かれ,その周辺に城下町が広がっているため,今でも市街地にたくさんの橋があることで知られます(ほとんど戦災を受けなかったこともあり,今でも狭い道路が多く,橋のところで慢性的な渋滞が発生することが問題になっています).

P4200201 (写真2) 清養院周辺

 そんな城下町盛岡には寺院も多いんですが,藩政時代大きな寺院が市街地の北部に集められてできたのが北山地区です.そしてそこを貫くように通っているのが寺町通りになります.現在は20を超える寺院が集中する寺町で,県庁や市役所の北側,住所でいうと名須川町というところになります.

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(写真3) 赤喜商店というお蕎麦屋さんです

 片側一車線の道路で両側に歩道も整備され,周囲にはお寺の土塀や老舗のお店が並ぶ落ち着いたずまいとなっています.通りとしては400メートルほどと短い区間ですが,周辺には国の天然記念物に指定されている龍谷寺のしだれ桜や,岩手という名前の由来となった鬼の手形がある三ツ石神社などの名所があります.

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Sidare2 (左写真4) 岩手の名の由来となった岩,(右同5) モリオカシダレ

 三ツ石神社にある大岩に関しては,”昔羅刹というなの鬼がこの地にいて悪行を重ねていた.人々が三ツ石の神に祈ったところ,鬼は捕えられ大きな岩に縛り付けられた.たまりかねた鬼がもう悪さはしない,ここには来ないと約束して逃がされた.この時に約束の証として鬼の手形が押された岩がこの神社にあり,それが岩手という名前の由来とされる” という伝承があります.

 この寺町通り,現在は国道455号線の一部となっていますが,この道は盛岡を北西に進んで早坂峠を越えて,岩泉町から太平洋に至る道で.江戸時代には沿岸部から塩を運ぶ大事なルート(野田街道)として活用されていました.

P4200190_2P4200191

顕彰碑


大きな地図で見る

顕彰碑の場所 東顕寺の前にあります.

散策のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 平地でよく整備された散歩コースです.

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2014年4月23日 (水)

日本の道100選4

日本の道100選 中央区中央通り(29番)

 ~明治近代化のシンボル・銀座の道~

 江戸幕府の土台を築いた徳川家康は江戸を中心とする街道の整備に力を注ぎましたが,その起点とされたのが日本橋でした.その伝統は今に続き,現在でも本州の主要国道(1号,4号,6号,14号,15号,17号,20号)の起点は日本橋であり,橋の中心には道路元標が埋め込まれています.

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(写真1) 中央通りの北端上野駅

 そんな日本橋を中心として,北は上野から南は新橋まで延びているのが中央通りです.この界隈は明治以降日本が近代化していく中でいち早く繁華街として発展していった地域で,まさに日本の近代化を見守ってきた道と言えます.またこの道路の地下には日本最古の地下鉄である銀座線の線路が敷設されています.この日は北端の上野駅から南下して歩いてみました.

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(写真2) アメヤ横丁

 上野駅正面の交差点から中央通りは始まります.まずは西に向かい山手線・京浜東北線のガードをくぐり,左手にアメヤ横丁(アメ横)を見ながら道なりに左に曲がっていきます.この界隈はカラオケ店や居酒屋など商業施設が立ち並ぶエリアで大勢の人でにぎわっています.上野広小路を過ぎるとしばらくはビジネス街になり人通りも減りますが,すぐにカラフルな建物が目立つようになります.ここが秋葉原地区で電気ショップやサブカルチャー系のショップが立ち並ぶ地域です.土曜日ということでここにも外国人を含む多くの観光客が歩いていました.

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(左写真3) 秋葉原地区,(右同4) AKB48の劇場

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(写真5) 万世橋

秋葉原地区の南端に位置するのが神田川に架かる万世橋,江戸時代からの伝統を誇る橋ですが,ここを渡ると周辺は再びビジネス街になり,土曜日なので人通りが少なくなります.その後すぐに中央線のガードをくぐって,中央通りはJR駅の東側に出ます.ここから日本橋までの界隈は地方銀行の東京支店が立ち並ぶ金融街となっています.

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(左写真6) 神田界隈,(右同7) 日本橋三越本店界隈

 しばらく歩いていると通りの右側に日本橋三越本店が現れ,そのちょっと先が日本橋です.日本橋は現在も日本の道路の起点となっている橋です.歌川広重の東海道五十三次にも描かれている有名な橋ですが,今はその頭上を首都高速が走っているため,景観的には残念な状態になっています.

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(写真8) 現在の日本橋

 日本橋の南側も基本的にビジネス街が続きます.そして京橋を過ぎて首都高をくぐった先,銀座通り口交差点からが東京を代表する繁華街,銀座になります.この日は土曜日のため歩行者天国になっていて,大勢の買い物客や観光客でにぎわっていました.

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(左写真9) 銀座の通り,(右同10) 銀座和光の時計台

 そのまましばらく南下,またまた首都高をくぐって外堀通り&昭和通りとの交差点で中央通りは終了,全線5.7キロ,この日は写真を撮りながら2時間で歩きました.

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顕彰碑の場所 日本橋のそばにあります.

散策のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 平地でよく整備された散歩コースです.

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