南予観光
一夜明け4月10日になりました。この日も昨日に続き快晴の良いお天気です。ホテルの朝食後チェックアウトをしてまずは愛南町南部にある紫電改展示館に向かいます。紫電改は第二次世界大戦時の日本海軍の主力戦闘機のひとつで、陸軍の四式戦闘機「疾風」とともに大戦後期の苦しい戦況の中で活躍した戦闘機です。大戦初期の1000馬力級だったゼロ戦や一式戦「隼」を大きく上回る2000馬力級のエンジンを搭載した機体でしたが当時の日本の技術力では手に余るものがあり、整備が非常に難しく稼働率が低いなど問題を多く抱えた機体でもあります。それでも整備がうまく行った部隊などでは期待に違わない活躍を見せています。当館に展示されている機体は昭和53年に付近の久良湾に原型を保ったまま沈んでいた機体が引き上げられたもので、日本に存在する機体としては唯一のものです。今は何も言わず鎮座している紫電改を見て改めて戦争と平和について考えました。
(左写真1)紫電改展示館、(右同2)海底から引き揚げられた紫電改
紫電改展示館を後にして北上、まずは途中の須ノ川公園に立ち寄ります。ここは主にキャンプ場として利用されているところですが、平日の日中ということで誰もおらず、きれいな南予の海を眺望できるスポットでした。この後は津島町にある日本の道100選の南予レク道路を見てさらに北上、この日宿泊予定の宇和島市を通過して高知県との県境にある松野町に入ります。実はこの町には続日本100名城のひとつ河後森城と日本の滝100選のひとつ雪輪の滝があるのです(正直この日は100関連の場所ばかり観光していた)。
途中寄り道をしたこともあり、この段階でお昼、まずは食事をということで松野町の道の駅へ、この日は海老天入りのあおさのりうどんになりました(あおさのりを練りこんだうどんが美味)。食事後はまずは河後森城へ、ここは戦国時代の山城跡で土佐と伊予の国境に位置する重要な拠点でした。ここを治めていたのは公家の一条氏の諸流の渡辺氏でした。名門であり当地の盟主的な存在だったのですが、土佐の長曾我部氏が勢力を拡張する中で城を追われてしまいました。後に豊臣秀吉による四国遠征が行われるとこの地には藤堂高虎が、江戸時代になると伊達家が治めるようになり、最終的に元和の一国一城令によって廃城になっています。山頂に本郭が、尾根筋に沿って多くの郭がU字型に設置されるなど典型的な山城ですが、使用されたのがむしろ安土桃山時代だったことから一部石垣のほか、櫓や天守もあったとされています。城跡としてよく整備されていて当時の姿を想像することができる場所でした。
(左上写真6)河後森城案内図、(右上同7)郭がよく残っています、(左下同8)石垣、(右下同9)本郭
河後森城の後は同じ松野町内の山の中に入っていきます。目指すは滑床渓谷と呼ばれるところです。途中から対向車が来ると怖いような狭い道が続きますが、幸い平日のためかほとんど出会うことはありませんでした。走ること30分で渓谷入り口にあるロッジに到着、ここから歩いて滝を目指します。ロッジの人からマップをいただきそれを見ながら歩いていきます。川に沿って渓谷を歩くというのは山梨の西沢渓谷や熊本の菊池渓谷をほうふつさせます。この日は往路を右岸、復路を左岸というコースを取ったんですが、結果的に正解でした(右岸は少しアップダウンはあるものの景色がよく、一方左岸は平坦だが渓谷が見えない地帯が続く)。約30分ほどで目的地の雪輪の滝に到着、豪快に落ちる滝ではなく、一枚岩を滑りながら水が流れる滝でした。水流が渦を巻く様が雪輪のように見えることからこの名があるそうですが、一方で夏のシーズンには天然のウォータースライダーが楽しめるんだそうです(要ガイド)。
しばし滝を堪能した後は駐車場に戻りそのまま宇和島市内へ。駅近くのホテルにチェックインした後は地元の料理屋さんで鯛などの南予の美味しいものを堪能したのでした。
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