2024年4月11日 (木)

宇和島城と内子座

 空けて4月11日です。一週間後はもうウィントフックに戻っているんだなぁと感慨深く感じます。この日の朝もホテルをチェックアウトするんですが寝坊して朝食を食べそこなった(笑)ためまずは食事ができるところを探します。港近くの道の駅があったので行ってみましたが残念ながらまだ営業時間外、仕方ないのでその向かいにあたマックに入りました。マックなんて日本的ではないイメージですが、実はナミビアにはないのでこれはこれでいいのかもしれません(大手ファストフードチェーンではナミビアには唯一ケンタッキーのみがある)。

 朝食後は宇和島城へ、ここも一昨日訪問した高知城と並び現存12天守のひとつで日本100名城でもあります。過去に何度か訪問していますが非常に味わいのある城郭です。宇和島城を建てたのは築城の名手と呼ばれる藤堂高虎ですが、実際に城主として江戸時代を過ごしたのは伊達政宗の庶長子の伊達秀宗を祖とする宇和島藩でした。宇和島伊達家としては幕末の藩主宗城が有名です。年度初めの平日ということでこの日の宇和島城は観光客も少なくのんびりと観光できました。この城郭は入り口から天守まで結構な登り坂が続くので大変ですが、本丸には葉っぱがかなり出てきたとはいえ桜の花が残っていたのは感動でした。

Img_2085_20240511171401 Img_2083 Img_2062 Img_2066 (左上写真1)宇和島城の上り立ち門、(右上同2)登城します、(左上同3)天守と石垣、(右下同4)現存天守

 宇和島城観光の後は一路北上し次の目的地内子町を目指します。内子は古くから大洲街道の要衝だったのですが、江戸時代から明治にかけて高品質な木蝋生産によって経済的に大いに栄えた町です。今でも当時の街並みが保存維持されていて、その通りは八日市道路として日本の道100選になっています。この日は街並みの散策に加えて、ここでの木蝋生産の様子がわかる上芳我邸や大正年間に建設され今に至るまで活用されている内子座も見学しました(内子座はまもなく耐震工事のため長期休館になるらしく、このタイミングで訪問しなければしばらく見られなかったもよう💦)。

Img_2105 Img_2103 Img_2106 Img_2116(左上写真5)内子町の八日町道路、(右上同6)日本の道100選の碑、(左下同7)内子座、(右下同8)同内部

 その後は再び北上して松山市内へ、この日は道後温泉の大和屋本店さんに宿泊です。日本酒が飲めるコーナーやミカンジュースがでる蛇口などもあっていろいろと楽しめる施設でした。特に大浴場はおそらく今回の帰国では最後の大浴場になることが予想されるため何度も入浴し堪能したのでした。

Img_2132 Img_2133(左写真9)地酒の飲み比べ、(右同10)鯛そうめん

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2024年4月 9日 (火)

仁淀川周辺の観光

 一夜明け4月9日になりました。前日は雨も混じるいまいちな天気でしたが、この日は朝から抜けるような青空が広がっていました。朝食を食べてホテルをチェックアウト、そのまま歩いて高知城に向かいます。関ヶ原の戦いの論功行賞で土佐一国を与えられた山内一豊によって作られた城郭です。最初の日本100名城にも含まれる名城ですが、そちら目的での訪問はすでに2009年に済ませているので今回はまったりとした観光です。

 高知城は全国で12しかない現存天守を持つ城郭ですが、さらにすごいのが本丸が当時のままほぼ保存されているということです。すなわち天守だけではなく本丸御殿や詰門も残されています。内部は資料館的なものになってはいますが、木造のギシギシいう建物を歩くと、本当に昔の城郭に来たなと強く感じるのでした。

Img_1814 Img_1833(左写真1)大手門と天守を一望できるスポット、(右同2)高知城本丸

Img_1868(写真3)仁淀ブルーのにこ淵

 約1時間ほど見学した後は国道33号線を西に向かいさらに194号に折れて北上します。しばらく山の中を走ってこの日2つ目の観光ポイントに到着、仁淀ブルーで知られるにこ淵です。一条の滝と一面ブルーの滝つぼが織りなす絶景スポットとして名高い場所ですが、地元では聖地とされている大切な場所だそうです。年度初めの平日ということもあり、観光客の姿はまばらでしたが、おかげでこの素晴らしい光景をじっくり堪能できました(少なくともナミビアにはこんなブルーはない 笑)。

Img_1884_20240509152601(写真4)つがにそば

 にこ淵の見学の後は近くの道の駅で昼食、この日は当地の名産品(?)のつがにそばをいただきました。つがにというのは当地のモクズガニのことです。自分の業界ではモクズガニといえば寄生虫の中間宿主のイメージが強いのですが、もちろんこれは生で食べるわけではないので大丈夫です。本来はつがに汁の形で食されるようですが、ここではそばやうどんとして提供されていました。毛ガニやタラバガニといった海のカニとは違った微妙な苦みが旨いのでした。

 食事後はそこから15分ほど南に行った場所にある浅尾沈下橋へ。高知県内の河川には、欄干がなく増水時にはあえて水面下に沈めてしまう沈下橋が多くあります。かつてはそれだけ川の増水が頻繁で通常の橋だと流されてしまうことが多かったのだろうと思われます。近年はより高い場所に立派な橋が作られるケースが増えているため、こうした沈下橋の役割は縮小しつつはありますが、今でも多くが生活道路として利用されています。通常の水の時期ならば、徒歩で渡る分には心配ないのですが、自動車で渡る際にはかなり緊張するものがあります(そういえばパラオにもこうしたタイプの橋が結構あって、時々酔っ払い運転の現地人が落っこちるという話を聞いた)。

Img_1889 Img_1891(左写真5)浅尾沈下橋、(右同6)狭い橋です

 恐る恐る沈下橋を渡った後はさらに南下し佐川町へ。ここは昨年の朝ドラの主人公のモデル牧野富太郎博士の出身地です。佐川の地ももちろん土佐藩領の一部ではあるんですが、この地は藩筆頭家老深尾氏が治めていた場所で佐川はその城下町でした。そうした特殊な土地ということもあり、当地出身者には独特のプライドがあるのか、明治維新後結構有名な人物が排出されています。牧野博士もその一人ですが、ほかにも政治家の田中光顕や日本の土木業の基礎を作った広井勇などがいます。街並みなど非常に風情があり、ゆっくりと散策を楽しみました(やっぱりナミビアにはこういう場所はない 笑)。

Img_1897 Img_1901 Img_1903 Img_1910(左上写真7)佐川の街並み、(右上同8)藩校名教館、(左下同9)旧青山文庫、(右下同10)牧野博士の生家

 佐川町の街歩きを終えると後はひたすら西進、四万十川周辺や宿毛などほかにも魅力的な場所はありますが今回はスルー、一気に県境を越えて愛媛県愛南町に入ります。この日は愛南町のホテルにチェックイン、その後地元の居酒屋で夕食としました。

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2022年10月20日 (木)

犬山旅行記①~犬山城編~

 コロナ禍になってから海外旅行が封印されてしまったためにちょっとした期間を利用して国内旅行に出かけることが多くなった我が家です.今年に入ってからも1月に浜名湖,2月に徳島,3月初めに琵琶湖と比叡山,3月末に高野山とアドベンチャーワールド,5月には信州と山梨,6月は深谷とときがわ温泉、9月は伊豆に出かけています(7~8月はさすがに第7波から遠慮していた模様 笑).そして10月9日から11日の3日間で愛知県犬山市に行ってきました.

Img_9280(写真1)犬山城下町

 10月8日は合唱団の練習に参加しそのまま都内に宿泊,明けた9日の朝の新幹線で西に向かいました.名古屋駅で名鉄に乗り換え約30分で犬山駅に到着,そのまま駅前のホテルに荷物を預けて活動開始です.まずはここから徒歩圏内にある国宝犬山城へ.日本に城郭は数あれど江戸時代の天守閣が現存している城郭は12か所しかありません.そのうち国宝に指定されているのが5つで,ここ犬山城は国宝5城のひとつになっています.駅から西に向かい,城下町の風情を残す細い道を北上して城に向かいます.ちょうどお昼時でお腹が空いていたこともあって通りのお蕎麦屋さん(蕎麦正まついさん)で昼食にしました.この日は限定メニューのかぼす蕎麦(とお酒)に挑戦,冷たい蕎麦はコシが強く一瞬蕎麦冷麺かと思いました.天ぷらも美味しかったです.

Img_9282 Img_9285(左写真2)かぼす蕎麦,(右同3)天ぷら盛り合わせ

 昼食後はさらに城下町を北上して犬山城内へ,入場券を買おうとしたら「天守閣入場まで60分」の表示が… さすが三連休と感心(?)しましたが,まあせっかく来たのだからと並ぶことにしました.列の最後尾に並んで待っていたらぽつ、ぽつと雨が降ってきました.実は天気予報で一時雨の予報だったので折り畳み傘を持ってきていたハズでしたがホテルに預けた荷物の中に置いてきたことが判明しました(泣).仕方ないのでそのまま並んでいたら,我々の後ろに並んでいた若いカップルが1本貸してくださいました(ありがとうございます).

 若いカップルのおかげで雨にぬれずに無事に入城,中には様々な城郭関係物が展示されていますが,現存天守はもちろん木造で階段も急なので見学には最新の注意が必要です.狭い階段は片側交互通行になることも多く,ここでも渋滞が発生していました.天守の最上階は展望台になっていて360℃見渡すことができます.目の前には木曽川,ここを渡ると岐阜県です.古くから政治的にも重要な拠点だったことがわかります.

Img_9287 Img_9292(左写真4)犬山城天守,(右同5)木曽川

 城郭見学後はホテルに戻り一休み,その後は電車に乗って周辺を散策しこの日の活動を終えたのでした(その後は近くの居酒屋で夕食を摂り,ホテル併設の大浴場に浸かった).

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2019年10月31日 (木)

首里城が…

 今朝起きたら衝撃的なニュースが飛び込んできました.

 沖縄の”象徴”、首里城が焼失

 琉球王国時代の代表的な王城で,近年復元作業が完了したばかりの首里城の主要部分が本日(10月31日)未明以来の火災で焼失したというニュースです.

 戦前には正殿が国宝に指定されていた首里城ですが,第二世界大戦末期の沖縄戦で徹底的に破壊され,戦後はその跡地に琉球大学が置かれるなど,一時は城郭の面影を失っていた時期もありました.しかし大学が郊外に移転した1980年代以降徐々に復元が進められ,21世紀に入るとかつても趣を取り戻した首里城公園となり多くの観光客が訪れる地となりました(1980年頃までは何もないところに守礼門のみがぽつんと立つその光景から,札幌の時計台,高知のはりまや橋とならんで日本三大がっかり観光地と呼ばれていた).

 私が首里城を訪問したのは2010年3月,当時やっていた日本100名城訪問の一環でした.この時にはすでに北殿や南殿などの復元も進み,まったくがっかりではない観光地になっていました.そんな首里城を襲った今回の火災,今年はパリのノートルダム寺院の火災の記憶も新しいだけに,とても残念です.

Shuri2 Shuri12(写真左)首里城の数少ない現存する門である園比屋武御嶽石門,今回の火災でどうなったのでしょうか.(同右)がっかり時代の守礼門

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2018年4月11日 (水)

公式ガイドブックを購入!

 先日記事に挙げた続日本100名城スタンプラリー,城郭に興味があり,しかも集める系に目がない自分です.さっそく公式ガイドブック(スタンプ帳付き)を購入してしまいました(笑).

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 出版元は元のスタンプラリーの公式ガイドブックと同じ学研です.デザインも類似していて,ラリー連続したものであることを意識させています.

 著名な近世城郭の多くは前回の100名城ですでに選出されているため,今回は中世や織豊期の城郭が多数を占めることになっています.スタンプ帳も手に入ったので,これから少しずつ回っていきたいと思います.

30516747_1690958754334816_468229265  スタンプ帳といえば,最初のスタンプラリーの際には公式ガイドブックに着いてくるスタンプ帳のほかに,城郭協会オリジナルのスタンプ帳(ラリー開始当初全国のスタンプ設置場所にあった)もあったんですが,今回はどうなんだろうと思いました.

 今回の話題で久しぶりに日本城郭協会のHPを覗いたら,全100城登城してスタンプを集めた人は,城郭協会にスタンプ帳を送ると表彰してくれる旨の記事が載っていました.

 すっかり忘れていました (゜o゜)

 自分が100か所制覇したのは2011年1月なんですが,まあ時効はないと思いますからこれから送ろうかと考えています.

 で,今回ついでに購入したのがこちら…

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 ヨーロッパ100名城公式ガイドブックです.ただしこちらは学研ではなく河出書房となります.スタンプ帳が付いていないのは,日本100名城とは違いこちらは幸いにも(笑)スタンプラリーが行われていないからです.ただし,認定制度はあるようで,付属の登城記録を記入しそのコピーを送ることで表彰されるのだそうです(10~30城登城で初級など).

 季節は春,今年は再び城巡りの年になりそうな予感です.

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2018年4月 8日 (日)

続日本100名城スタンプラリー

 先週末に知人に教えられたんですが,日本城郭協会が続日本100名城スタンプラリーを始めた模様です.

 続日本100名城(日本城郭協会)

Stamp1  日本城郭協会というのは,「日本および世界各国の城郭に関する研究、調査、啓蒙を通じて、民族、歴史、風土に関する知識の普及を図り、もって教育、文化の発展に寄与すること」という理念を実現するために設立された公益財団法人です.この日本城郭協会が日本の城郭にもっと関心を持ってもらおうということで,2006年に日本100名城を発表,翌2007年から始まったのが日本100名城スタンプラリーです.こうした集める系,旅行系のイベントに目がないのが自分の性格です.こりゃやるしかないというわけで,2008年5月の小田原城を皮切りにラリーに参加(同年4月に小田原に転居していた),結局2年8か月後の2011年1月25日に最後の備中松山城をもって100か所制覇が完了しました(その成果はホームページ本編にあります 日本100名城スタンプラリー).

 その後自分の関心は日本の滝100選やよりスケールの大きい位置ゲーである,ケータイ国盗り合戦の方に移っていたんですが,今回100名城スタンプラリーの成功に気をよくした日本城郭協会では,その続編を始めたという感じです.日本100名城は各都道府県最低1城は選定するという方針だったため,十分100名城に入る資格がありそうなのに選外になった城郭もあったのでその辺も網羅する意味もあるのでしょう.

 で,こんな企画が始まれば私自身にやらないという選択肢があるはずもなく,これからどうやって回ろうかと考え始めています.まだ未訪な城はいいんですが,問題はすでに訪問したことがある城です.こうした城にもスタンプ目的で再訪する必要があります.まあ国盗りとセットで行くというパターンでいいわけですが,一方で訪問済みで国盗りも完了している地域はどうするのか(例:佐賀の唐津城)という悩みもあるのでした.

 ちなみに日本城郭協会ではヨーロッパ100名城というのも選定しています.こちらは残念ながらスタンプラリーはないんですが認定制度はあるようです(笑),見てみたら自分はオーストリアのホーエンザルツブルク城,ドイツのローテンブルク,トルコのテオドシウスの大城壁,フランスのシノン城,アンボワーズ城の5か所を制覇していました.10以上登城でまず初級に認定される模様です(こっちもやってみたくなるじゃないか 笑).

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2017年5月 8日 (月)

岩国観光

 5月3日は徳山に宿泊,夕食は駅前の小料理屋さんでした(そういえば自分の人生で徳山に宿泊したのは初めてだ!).

 翌4日は朝から一日岩国市の観光となります.岩国といえば錦帯橋と岩国城ですが,それだけではありません.自分的に極めて重要なスポットがあるのです.それが寂地峡五竜の滝,山口県唯一の100選滝です.錦帯橋の架かっている錦川の支流、宇佐川のさらに上流の寂地川に架かる滝です.

 徳山の中心部から国道315号線を北東方面に進み,須々万から国道434号に入って中国山地の奥深くへ,途中には対向車とのすれ違いも困難な個所もありました(いわゆる酷道というやつ).約1時間40分ほどで寂地峡に到着,駐車場に車を停めて散策開始です.寂地峡五竜の滝は連続した5つの滝を一匹の竜に見立てた滝群です.本来寂地峡は大きな峡谷で,滝以外にも見どころはあり,その気になって散策するとそれこそ丸一日かかるんですが,五竜の滝だけを見るならそれほど苦労はありません.駐車場から最奥の滝である竜頭の滝まで遊歩道で15分ほどでした(滝散策の難易度は低い).滝のある寂地川は清流でここは日本の名水100選にもなっています.この日は朝から良いお天気で,春の峡谷散策は非常に気持ちが良かったです.

P5041136_2 P5041146 (左写真1) 中国山地の奥地寂地峡,(右同2) 五竜の滝の最初竜尾の滝です

P5041160 P5041188 (左写真3)登竜の滝,(右同4) 竜頭の滝

 観瀑の後,今度は岩国市内を目指します.これまた約1時間半ほどの距離でした(それにしても岩国市は広い 笑).先ほどの滝の駐車場も結構混んでいたんですが,岩国市内の混みっぷりは半端ではありません(さすがGW).錦川河川敷の大駐車場はすごい数の車でごった返していました.

P5041218 9f9b9_0003025810_3 (左写真5) 岩国寿司と蓮根麺のセット,(右同6) 岩国寿司は本来ビッグサイズです

 さっそく観光と行きたいところですが,ちょうどお昼時ということで錦帯橋目の前にある食堂しらため別館さんへ.地元名物の岩国寿司と蓮根麺のセットを注文しました(どうでもいいが,自分たちが入った直後からわらわらと客がやってきてすごい行列に,相変わらず運がいいな自分 笑).岩国寿司はご飯と具材(錦糸卵や蓮根,魚介など)を何層にも重ねて大量に作り切り分けるスタイルです.一種の押し寿司なんですが,食感はちらし寿司に近いと思いました(元は山城での戦に備えた保存食だったとか).

P5040339 (写真7) 錦帯橋パノラマ写真

 食事の後はいよいよ錦帯橋へ.自分は過去何度か来たことがありますが,ウチのKは初めての訪問だそうです.江戸時代の前期,延宝元年(1673年)に架けられた錦帯橋は世界的にも珍しい木造による5連のアーチ橋です.架橋から270年もの長期にわたって多くの人々の往来を見守ってきましたが,昭和25年の台風によって流失してしまい,現在のものはその翌年に復元されたものです.以前来たときは通行人も少なくゆったりでしたが,この日はGWということでものすごい人でごった返していました(笑).

P5041315 P5041232 (左写真8) 記念写真,(右同9) 大勢の観光客で賑わっています

(写真10) これまた岩国名物シロヘビ

 橋を渡ってそのまま岩国城方面へ,ただし城に登るロープウェイが混雑で40分待ちという情報が入ったため,先に麓のシロヘビ館に行きました.岩国は名物がたくさんある土地ですがシロヘビもまたその一つです.本来はアオダイショウのアルビノなんですが,なぜかこの土地に多く生息しているということで,古くから神聖視され保護されてきた歴史があります.このシロヘビの館は以前来たときは小さな小屋という感じだったんですが,昨年新しい建物に新装されたようでした.

P5041246 P5041272 (左写真11) 新装なったシロヘビ館,(右同12) シロヘビです

 シロヘビの後,少しは空いたかと思いロープウェイへ,さすがに40分待ちという状況は改善されたようでしたがそれでも30分近く待たされました(笑).

P5041299 P5041297 (左写真13) 岩国城模擬天守,(右同14) 山上からの岩国市内と錦帯橋

 ロープウェイに乗ること数分で横山山上に到着,ここから徒歩数分に岩国城の模擬天守が立っています.岩国城は慶長十三年(1608年)に完成しましたが,元和元年(1615年)の一国一城令によって破却されたため,城としてはわずか8年という短命に終わっています.しかも当時の天守があった場所は今とは違って,より錦帯橋よりも遠い場所(今でも天守台がある)にあったことがわかっています.今の場所に天守が建てられたのは純粋に下界から見た時に錦帯橋とのコラボがカッコいいからにすぎません(多分).天守内部には各種刀剣や昔の資料等が展示されています.

P5041302 P5040351 (左写真15) かつて政庁があったとされる場所に建つ錦雲閣,(右同16) 岩国名物蓮根を使ったコロッケ(美味です)

 岩国城見学の後は再びロープウェイで下山,周辺を散策して家路につくことになります.来るときは新幹線だったんですが帰りは飛行機です.車で岩国空港に向かったんですが,市内中心部からは2キロほどで歩いても行ける距離でした.さばを読んで行ったら時間が余りすぎたので売店でお酒を買って飲んでしまいました(もちろんレンタカー返却後です 笑).こうしてGW山口旅行は無事に終了したのでした.

18195122_1308476985916330_211272516 (写真17) 山口の美味い酒大集合\(^o^)/

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2014年8月20日 (水)

日本100名城スタンプラリーの運用

 みなさんこんにちは.当ブログには日本100名城スタンプラリー関連の記事がたくさんあります.実はこれ,本来は自分のホームページに記事を書くべきところ,当時は時間が取れなかったこともあって,備忘録的にブログ内に記事を書いていたのが,いつのまにか常態化したというのが実際でした.そのためホームページの100名城ページからブログにリンクを張る形での運用を行ってきました.
 しかし今回夏前あたりから少しずつホームページへの引っ越し作業を開始し,このたびすべての作業が完了しました.

 日本100名城スタンプラリー

もちろんブログの方の記事も削除はせずこのまま残していきます.今後は滝100選,道100選の方も引っ越し作業を開始する予定です.

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2014年3月21日 (金)

日本城郭検定

Mejogado 以前日本100名城スタンプラリーにハマっていて,機会を見つけては全国を飛び回り,結局2008年5月から2011年1月にかけてすべての城郭の登城を完了しました(日本100名城スタンプラリー).その後は日本の滝100選,さらには日本の道100選の方に興味が移ったこともあり,お城の方はご無沙汰なんですが,アクセス解析によると今でも当ブログを訪問する方のキーワードでは100名城関連が多くみられます.そんな関連で検索していたら非常に興味深い話題にたどり着きました.

 日本城郭検定

 これは日本100名城を選定した日本城郭協会が主催している検定です.境港妖怪検定の存在を知った時もビビビッとなった私,当然のように今回も琴線が大いに触れました(笑).

 サイトによると現在,日本100名城をテーマにした城郭検定が行われていること,次回は6月1日日曜日に第4回が各地で行われること,受験種目は簡単なものから4級(入門・シロップ級),3級(初級),2級(中級),準1級(武者返し級)の4段階で,併願もできるとのことでした(併願割引もあり).6月1日といえば,自分がらみの主要な学会が一段落した時期です.参加するための障害は軽度,こりゃぜひ挑戦したいものだと思いました.受験に際しては各種併願割引もあるようで,せっかくだから下から順に受けてみようかなと思ったのでした.で日程を見ると4級,3級,2級を併願することが可能です(さすがに準1級を入れるガッツはまだない).3つの級占めて受験料は11,100円,うーん,払えない金額ではないのだが…

 と悩んでいるのでした(悩む暇があるのならさっさと申し込めというウワサはあるのだが…).早めに申し込むと割引特典もあるそうです.また各級ごとに公認テキストも用意されているらしく,そちらを眺めるのも楽しそうだなと思いました.

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2011年12月23日 (金)

日本100名城スタンプラリー100

日本100名城 備中松山城(68番)

 2008年5月から始めた日本100名城スタンプラリー,ついに完結です(とはいっても,実際の登城は今年の1月に完結してるんですが 笑).有終の美を飾る100城目は岡山県の備中松山城です.松山城というと愛媛県にある伊予松山城もあってこちらも有名ですが,県庁所在地にあるという点が有利に働いたのか,普通松山城というと伊予松山城を指すので,岡山のそれは備中松山城と呼ばれています(神奈川の横浜に対する青森の陸奥横浜のようなものでしょう 笑).

Okayamaensei2_135(写真1) 本丸の現存天守 

 とはいえ,この備中松山城,決して伊予松山城の後塵を拝しているわけではありません.ここもまた現存12天守の城だからです(伊予の松山城も現存天守です).備中松山城は岡山県の高梁市にある標高430メートルの臥牛山の山頂に天守をいただく典型的な山城です.岩村城・高取城とならんで日本三大山城とも呼ばれています.

Okayamaensei2_090(写真2) 大手門付近から見上げる石垣と土塀

 この地に城が築かれたのは結構古く,鎌倉時代の仁治元年(1240年)にこの地の地頭だった秋葉重信が築いたのが最初といわれています.その後歴代の城主によって拡張が行われ,戦国時代の三村元親の頃には複数の山の頂にまたがる大城塞となっていました.しかし当時この地は織田・毛利両軍のせめぎ合う土地であり,元親はその間で翻弄されて最終的に毛利氏によって滅ぼされました.その後は毛利方の城として安土桃山時代は過ぎていきます.

Okayamaensei2_100(写真3) 三の丸から見える石垣群,壮観です

 関ヶ原の戦いの後毛利氏の勢力が大きく後退すると,当初この城は天領となりましたが大坂の陣の後,元和三年(1617年)に池田輝政の甥の池田長幸が6万5千石で入封し備中松山藩が立藩されました.池田氏は2代藩主が無嗣改易となり,その後寛永十九年(1642年)に水谷勝隆が5万石で入封,その子水谷勝宗が城の整備を行い今に残る城郭が完成しました(江戸時代になると山城は現実的には政務を行うには不便であるため,山麓に御根小屋と呼ばれる御殿が造られました).

Okayamaensei2_149(写真4) 二の丸から本丸を望みます

 しかし水谷氏もまた元禄六年(1693年)4代勝晴の死後無嗣改易となってしまいました.ちなみにこの時,城明け渡しから城番を務めたのが後に元禄赤穂事件で有名になる大石内蔵助でした.その後紆余曲折を経て,延享元年(1744年)に板倉勝澄が入り幕末に至ります.

Okayamaensei2_143(写真5) これも現存の二重櫓

 明治維新後廃城となり山麓の施設は破壊されましたが,天守など山上の建物は破壊をまぬかれました.城郭保存の機運が高まった昭和に入ってから当時の国宝に指定されて修復が進み,戦後は文化財保護法に基づき天守などが重要文化財に指定され現在に至っています.現在でも天守をはじめ櫓や土塀,石垣などが現存し当時の姿をしのぶことが出来ます.

Okayamaensei2_084(写真6) 城内にはこのような立札がたくさん立っています

 城郭は山城らしく,駐車場のある鞴峠から参道をひたすら登っていきます.しばらく進むと大手門跡に到着,ここから順に三の丸,二の丸,本丸と登っていきます.本丸からはさらに大松山の城跡に行ける道があるんですが,私が訪問した時は残念ながら崩落で通行止めになっていました.

 尚,この備中松山城は現存12天守のひとつという非常に有名なお城なんですが,構内に売店や食堂といった施設はありません(駐車場の自販機のみ).なので昼食等は済ませてから来ないと大変なことになります(登城に必要なエネルギーが確保できません).

Okayamaensei2_110備中松山城へのアクセス: JR高梁駅からバスで10分松山城登山口下車徒歩20~30分(時刻表)です.マイカーまたはタクシーなら鞴峠の駐車場まで行くことが出来ます(ただし土日はふもとの鶴見橋駐車場までで,そこからはシャトルバス利用になります).

スタンプの設置場所 本丸入口の料金所にあります.

登城のハード指数(★★☆ ややハードです) 山城なのでかなり歩くことになります.

68bicchumatsuyamajo登城日 2011年1月25日

 

 

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