2025年6月11日 (水)

月の入り

 6月は北半球は夏至で最も日が長くなる季節ですが、こちら南半球は真逆で日が短い季節です。ここ最近は日の出が7時半くらいとかなり遅いのですが、今朝外を見たら西の空に満月が沈んでいくのが見えました。

Img_0779_20250612181901  日の入りならぬ、月の入りですが、こうしてみるとかなり幻想的な感じがします。高い山やビルなどがあって、日本ではあまりこういう景色は見られませんが、空が広いこちらならではの景色だなぁと感慨深く思ったのでした。

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2025年6月10日 (火)

寒い朝

 当地は今朝、この冬一番の寒さを迎えました。

Img_0777_20250610214801  夜明け前の最低気温が氷点下1℃です。一応部屋にはエアコンの暖房が付いているのですが、こちらのアパートは窓が大きいうえに、天井が高く、お世辞にも防寒に優れているとはいえない造りです。エアコンだけだと寒いのでいろいろ着込んで過ごしています。

 ナミビアの緯度は南緯23度ほどと、南回帰線よりも北にあり、本来なら亜熱帯地域になるはずです。例えば日本近郊でいえば、北緯23度といえば台湾やベトナム、ミャンマー、バングラディシュが該当します。どこも暑い国ばかりですが、そんな国々と比較してナミビアが寒いのは、寒流のためです。ナミビアは大西洋に面していますが、この大西洋にはベンゲラ海流という南極方面からやってくる強力な寒流が流れていて、これによって国土が冷やされているのです。そしてウィントフックが標高1400メートルの高地にあるというのも、ここが冷える要因と思われます。

 週の後半からはやや温かくなるようですが、これから8月上旬までまだまだ寒い日がありそうです。

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2025年6月 7日 (土)

週末の外食

 6月最初の週末になりました。もちろん外食に繰り出します。この日は久しぶりのイタリアンになりました。行ったのはここも何度か利用しているFrancescoというお店です(マダムが独特のいい味をだしている)。市内やや北部のレストランが多数集まった場所にあります(なので最悪臨時休業していた場合でもどこか違う店を利用できる)。

Img_6269 Img_6270(左写真1)トマトとモッツァレラチーズ、(右同2)ビーフカルパッチョ

 この日は前菜にトマトとモッツァレラチーズ、ビーフカルパッチョ、メインは海鮮パスタとビーフステーキという組み合わせにしました。お供のお酒は白ワインです。やっぱりイタリアンは素材メインの調理なので、日本人の舌には合いやすいなぁと思いました。白ワインのボトルがあっという間に空いてしまい、赤のグラスを追加したのはナイショです(笑)。

Img_6271 Img_6272_20250610214201(左写真3)牛フィレ肉のステーキ、(右同4)海鮮パスタ

 

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2025年6月 4日 (水)

飛鳥Ⅱ

 ちょっと前の話題になります。

Img_4995(写真1)クルーズ船飛鳥Ⅱ

 日本郵船が所有しているクルーズ船飛鳥Ⅱが今年の4月にナミビアのウォルビスベイ港に初入港したのですが、その際に縁あって船内見学をさせていただく機会を得ました。

 飛鳥Ⅱといえば日本を代表する豪華客船です。様々なクルーズが行われていますが、この世界一周クルーズは最も安価な客室でも5~600万円はするというからたいしたものです。個人的には船そのものよりも、どんな人たちが乗船しているのかに興味があったのですが、残念ながら(?)ほとんどの乗客は観光のために上陸しており、船内はガランとしていました。

Img_4959 Img_4942 Img_4985_20250610213601 Img_4964(左上写真2)甲板のプール、(右上同3)和室、(左下同4)講演会場、(右下同5)フロント

 係員に案内されて各施設を見学、映画館やステージ、カジノ(のようなもの。イメージは景品交換所のないパチンコ店? 飛鳥Ⅱは日本船籍のため日本の法律が適応され、いわゆるカジノは営業できない)、ジムのほか、将棋や囲碁ができる和室や大浴場まであるのが日本の船という感じでした(大浴場は利用者がいたため見学できず 笑)。

Img_4966_20250610213601 Img_4993(左写真6)ここはお寿司屋さん、(右同7)この日のランチ

 最後は船内食堂で昼食をいただきます。日替わりの定食形式になっているのか、この日は氷見うどんをメインとした食事でした(みんな上陸しているせいか、人は少なかった)。

 ともあれ、貴重な経験をさせていただきました。ちなみに今年新型船飛鳥Ⅲが就航するため、飛鳥Ⅱによる世界一周はこれが最後になるのだそうです(飛鳥Ⅱも退役はせず、近郊クルーズ専門になる模様)。

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2025年6月 1日 (日)

6月になりました

 きょうから6月です。

 6月といえば、ドラえもんの中で(何巻かは忘れた)のび太君が真剣にカレンダーを眺めながら、「ついに今年も来たか」とつぶやくシーンがありました。のび太君によると6月は1年で最悪の月なんだそうです。なぜなら祝日が1日もなく、夏休みや冬休み、春休みとも関係がないため、日曜日以外毎日登校しなければならないからです(当時は週休2日ではなく、土曜日も半ドンといって午前中は登校していた)。あとは6月は梅雨時で天気が悪くて気分が萎えるというのもあるかもしれません。

 もっとも日本では7月になれば夏休みシーズンとなって一気にウキウキしてくるわけですが、こちらナミビアは6月になると年末のクリスマスシーズンまでほとんど祝日のないそれこそ暗黒の季節になります(笑)。

Photo_20250610212501  ここで挙げた写真を見ると解るように、当地では4月から5月にかけてたくさんの祝日があります。復活祭や昇天祭など曜日は決まっていても年によって時期のずれる祝日のありますが、運がいいと今年のように1月に2回ゴールデンウィークみたいなのが来ることになります。一方で6月以降になると祝日は8月26日のHero's Dayを除くと祝日はなく、12月10日の女性の日まで半年以上祝日なしの日々になるのです。というわけで、ちょっぴりのび太君気分になっているビザンチン皇帝です。

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2025年5月31日 (土)

週末の外食

 5月は国際旅行医学会への参加もあり、普段の週末の外食は控えめだったのですが、こうしたイベントが一段落したのを受けて再開します。というわけで5月最後のこの日は度々繰り出している海鮮料理店Cape Town Fish Marketに行ってきました。

Img_6261(写真1)我が家の好物スパークリングワイン

 ここに来ると必ず注文するのが生牡蠣とスパークリングワインのセット、スパークリングワインのボトルと生牡蠣1ダースのセットです。2人の前菜としては申し分ない感じですが、この日はさらに巻き寿司も注文、サーモンと蒸しエビしかないのが寂しいところですが、やむを得ないところです(個人的には納豆巻きや梅しそ巻きもほしい)。

Img_6263 Img_6262(左写真2)1ダースの牡蠣、(右同3)お寿司

 そしてこの日のメインですが、私はフィッシュカレー、うちのKはフィッシュ&チップスを選択しました。ここのカレーとろみの感じが日本のカレーに近い印象で気に入っています。味はmildとhotがありますが、この日はHotを選択しました(まあまあ辛いです)。

Img_6265Img_4039_20250610212102(左写真4)フィッシュカレー、(右同5)フィッシュ&チップス

 一方のフィッシュ&チップスですが、魚はフライなのが一般的かと思いますが、ここではフライのほかにグリルも選択できるので、この日はグリルをいただきました。久しぶりの魚オンリーの夕食でした(エプパとかアメリカとか肉ばっかりだったもんなぁ 笑)。

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2025年5月29日 (木)

コンスタンティノープルの陥落

 今日5月29日は当ブログにとっては非常に重要な日です。私はハンドルネームでビザンチン皇帝コンスタンティヌス21世を名乗っていることからわかるように、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)を愛好しています。そんな帝国の都がコンスタンティノープルで君府とも呼ばれます。11世紀の最盛期には人口50万を擁し、中世に入って都市が衰退していた当時のヨーロッパでは群を抜いて巨大な都市だったのです。

 コンスタンティノープルはその成立の日と滅亡の日がはっきりわかっている都市でもあります。すなわちローマ皇帝コンスタンテゥヌス1世(大帝)によって開都式が行われ正式に遷都したのが330年5月11日です。そして、その約1100年後にメフメト2世率いるオスマントルコ軍の攻撃を受けて陥落し帝国が滅亡に至ったのが1453年5月29日なのです。

 ビザンチン帝国というのは,別名を東ローマ帝国、中世ローマ帝国といわれるように、古代ローマ帝国の後継国家です。ビザンチンという名前はコンスタンティノープル(現イスタンブール)の古名であるビザンティウム(ビザンチオン)から来ており、国家が存在した時期はちょうど西洋史における中世と呼ばれる時代区分に一致します。

 中世という用語は、西洋史の歴史用語で古代と近代の間の時代という意味です。私が中学生頃の西洋史観では中世というのは迷信と疫病のはびこる暗黒時代とされていました。すなわち古代ギリシャ・ローマの文明が衰退ししてから、ルネッサンスによって文明が復興するまでのつなぎの時代とみなされていたわけです。もちろんこれは西欧の立場から見た歴史観であって、同じ時代イスラム圏は文明の中心として栄えていたわけですし、キリスト教世界においても西ヨーロッパは混乱していましたが、ビザンチン帝国を中心とする今の東欧圏は逆に繁栄していた時代です。これらの世界においては暗黒時代どころか黄金期だったわけです.

 現在においては西欧においても中世は何もない時代ではなく,様々な社会や文化の発展がみられた時代であるという認識に変わっています。そんな発展途上の西欧社会の人々にとって、キリスト教世界の中心地だったコンスタンティノープルが異教徒の手に落ちたことは衝撃的な事件でした。この歴史的大事件当時に作曲家として活躍していたギョーム・デュファイはコンスタンティノープル聖母マリア教会の嘆きという曲を作っています。

 そんな感慨にふけった2025年5月29日でした。

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2025年5月23日 (金)

ニューオリンズ

 というわけで今回国際旅行医学会の会場となったニューオリンズの紹介です。目的が学会ではありますが、せっかく来たのですから街も見て歩きたいと思うのは人情です。

Img_6093_20250603212201 Img_6101(左写真1)ミシシッピ川のクルーズ船、(右同2)フランス風の建物

 ニューオリンズはアメリカ南部ルイジアナ州最大の都市です。地名の由来が新しいオルレアン(ルイ15世の摂政)であり、ここはフランスによって建設された街です。ナポレオン時代の19世紀初めにアメリカ合衆国に売却され、以後はアメリカの一都市として現在に至っています。その中心部がフレンチクォーター地区と呼ばれ、フランス風の建物が建ち並び、多くの観光客で賑わっています。ジャズの町としても知られ、有名なトランペット奏者であるルイ・アームストロングもこの町の出身です。ミシシッピー川の河岸桟橋にはトムソーヤーの冒険などでおなじみの外輪船が停泊しています。これは日中と夕方の1日2回クルーズ船として川を航行し、船内ではジャズ演奏もされる有名な船です。最終前夜に乗ってみたいなとチケット売り場に行きましたが、残念ながら完売でした(ガイドブックには当日での大丈夫みたいなことが書いてありましたが、乗るなら早めのチケット入手が望ましいようです)。

Img_5359_20250603212601 Img_5357(左写真3)ジャクソン・スクエアの大聖堂、(右同4)ジャクソン第7代大統領の像

Img_5332(写真5)大聖堂の内部

 そんな船着き場の近くにあるのがジャクソン・スクエアと呼ばれる広場です。ここの中心にはアメリカ第7代大統領アンドリュー・ジャクソンの銅像が建っており(1815年の米英戦争のニューオリンズの戦いで勝利に導いた将軍として)、その西側にはセントルイス大聖堂や司祭館といった街のランドマークが建っています。このジャクソン・スクエア周辺には馬車がたくさん停まっておりフレンチクォーターを散策できます(日本で言えば浅草の人力車みたいなイメージ)。フレンチクォーター地区は一般的なアメリカの都市と同様に碁盤の目に整備されていますが、道幅が狭く車道は基本的に一方通行です。さらにメインストリートであるバーボン通り、ロイヤル通りは夜は自動車通行止め(いわゆるホコ天)になります。

Pxl_20250515_013741589mp Pxl_20250515_014437154mp(左写真6)夜のバーボン通り、(右同7)カナル通り

 そんなニューオリンズの町でしばしば目にするのが、妖怪というか、おどろおどろしい造形の人形です。実はこれはカリブ海地方で盛んになったブードゥー教という土着宗教のものです。元々のブードゥーは西アフリカからカリブ海地方に奴隷として連れてこられた黒人の間で、彼らの土着宗教にキリスト教など他宗教の要素を取り込まれて発展した信仰でした。カリブ海のハイチなどではは呪術的な色彩が強いものでしたが、アメリカに流入するとエンタメ化し、特にこのニューオリンズはエンタメ化したブードゥーが盛んになっています。市内にはブードゥー博物館もあるほか、それにちなんだお土産も多数売られています。

Img_5886 Img_5315(写真8,9)ブードゥー関連のアイテム

 そんなニューオリンズが一番盛り上がるのが夜です。前述のようにメインストリートであるバーボン通り、ロイヤル通りはホコ天化し、道にはストリートミュージシャンが登場するほか、ジャズ演奏が催される店が建ち並んでいます。一般にアメリカは飲酒に対する制限が厳しいのですが、ニューオリンズはビールを飲みながらの町歩きが許されている全米でも希有な土地です。警察官も巡回していて、この地域だけは夜でも安心して歩けるのでした。

Img_6110_20250603214201 Pxl_20250513_222225135mp(左写真10)観光場所のお馬さん、(右同11)懇親会の会場

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2025年5月22日 (木)

第19回国際旅行医学会②

Img_5276(写真1)学会の受付

 前の晩は早く寝たんですが、時差ぼけもあるため夜中に目が覚めてしまいました。ただ頑張って寝直して結局起きたのは朝6時です。身支度をして会場である向かいのヒルトンホテルに入ります。受付で登録時のメールのコピーを出すと係員がネームプレートを印刷してくれました。このプレートを首にかけると、会場内どこでも自由に歩き回れます。会場を見渡すと国際色豊かなのですが、旅行医学という特性上、自国民を海外旅行に送り出している国の人が多い印象です。地元アメリカやカナダ、オーストラリア、英国といった英語圏、フランス、ドイツ、そしてアジアでは日本のほかタイの方が多い印象を受けました。

Img_6018_20250602200601 Img_6125_20250602203301(写真2,3)会場の様子

 会場は巨大なメイン会場と4つの中会議室で開催されます。こうした学会では良くあることですが、同時進行で複数のシンポジウムやワークショップが開催されます。興味があるテーマが同時間帯に重なると悩むんですが、なるべく日本では聴けないようなシンポジウムを中心に選択しました。狂犬病や黄熱といった感染症はもちろんとても重要なのですが、こうした話題は日本の学会でも取り上げられます。今回国際学会だなぁと感じたのは以下のテーマでした。

① Wander Woman(彷徨う女性): 女性旅行者特有の問題について、尿路感染症や性感染症、妊娠など。

② Human Trafficking(人身売買): 特に途上国における子供や女性の誘拐、人身売買の話題。

③ Dark Tourism(ダークツーリズム): 歴史的に負の事件が起こった場所等を巡る観光について。

④ Street Food(ストリートフード): 観光地における屋台などでの飲食のリスクについて。

 もちろんこれらのシンポジウムには優先的に参加したことはいうまでもありません。そのほか会場であるニューオリンズの過去の感染症との戦いや旅行者下痢症、住血吸虫などの寄生虫症の話題も印象深かったです。

Img_5574 Img_5628(左写真4)おやつセミナーのカウンター、(右同5)とある朝のモーニング

 そして学会と言えば、ランチョンセミナーも欠かせません。協賛企業が軽食を提供して行われるセミナーです。日本だと幕の内弁当とお茶が定番ですが、こちらではサンドイッチ(のようなもの)とコーヒー、紅茶でした(どの日もメニューに大差がないので全日は食べませんでした 笑)。

 そのほかポスターセッションは時々意外なものが見つかるので個人的には注目しているところです。ただ数が多いのと、英文であることから写真を撮ってこれから解析するところです。

Img_6092 Img_5279(左写真6)ポスターセッション、(右同7)協賛企業のフロアー

 そして最終日、最後のセッションは旅行をテーマにした物語について、今回は2つの作品を取り上げ、著者によるプレゼンが行われました。会場では著書の販売もあり、流れで自分も購入しました。その後の閉会式では、次回2年後の2027年に会場となるタイの紹介が行われました。うーん、また参加できるといいなと思ったのでした。

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2025年5月21日 (水)

第19回国際旅行医学会①

 専門は神経内科ですが、旅行医学にも関心が深い私です。旅行医学とは主として海外旅行者を対象とした健康問題の予防や治療を扱う医学で、病院や大学などで分類されるいわゆる臓器別医学とは異なる横断的な医学になります。元来旅行好きな私にとっては、まさに自分のためにあるような分野です。こうした学問を扱う学会として日本には日本旅行医学会日本渡航医学会があり、私は両方とも参加しています。ちなみにこの両学会の違いですが、後者は医師や薬剤師、看護師といった医療職中心に、感染症やワクチンなどの話題を主として扱う傾向が高いのに対して、前者は医療職のみならず旅行会社の添乗員やジャーナリストなど医療関係者以外にも門戸を開いており、扱う話題も「渋滞学」や「化粧水」などより幅広い感じです。

Img_5252(写真1)夕陽のウィントフック空港

 そんな旅行医学の国際版といえるのが、国際旅行医学会(the International Society of Travel Medicine: ISTM)で2年に1回学術大会が開催されます。いつか参加できたらいいなと漠然と思っていたんですが、今回ひょんなことから参加する機会を得ました。会場はアメリカ南部、ミシシッピー川下流にあるニューオリンズです。日本から行っても十分遠い場所(直行便がなく、最低1回の乗り継ぎが必要)ですが、アフリカ南部地域からだとさらに遠く感じるところです。経路はいくつかありますが、今回は一旦ドイツのフランクフルトに出て、そこからアメリカのヒューストンに入り、そこで乗り換えてニューオリンズに至る経路になりました。約28時間の行程です。ウィントフックーフランクフルトは日本に戻る際にもよく使う路線なので勝手はわかります。フランクフルトでの乗り継ぎ時間は4時間です。立ち寄ったラウンジにはヨーロッパ版(?)の日清カップヌードルがあり美味しくいただきました(味噌ベジタブルという名前、おそらくベジタリアン向けでしょう)。ここからは人生初の大西洋を横断するルートです。座席のモニターにモントリオール、ボストン、ニューヨークといった地名が登場するとテンションが上がりました。約11時間のフライトでヒューストンに到着です。

Img_5258 Img_5264(左写真2)ヨーロッパのカップヌードル、(右同3)北米北東部

 チケットを見るとここでの乗り継ぎ時間は1時間半、アメリカの入国空港としてはかなりタイトな時間です。アメリカに入る場合は最初の空港で入国審査を受け、荷物を引き取って税関を抜ける必要があるからです(出発地の空港で最終目的地までのタグが付いていても一旦引き出さなければならない)。で、最大の律速段階が入国審査です。コロナ前にトランジットでアメリカを経由していた頃は、導線が”アメリカ市民”、”ESTA”、”その他外国人”の3種で、ESTA対応国民は専用の機械で指紋認証、顔写真撮影を行いそこでクリアできれば極めてシンプルな窓口を通過できたんですが、今回のヒューストンにはそのような機械はなく、結局”外国人”の列に向かいます。一般に厳しいとされるアメリカの入国審査ですが、善良な日本人はそれほど時間はかかりません。一方で南米系や一部中東系に対しては厳しく時間がかかります。したがって自分の前にそうした人たちがいると、ものすごい待ち時間がかかってしまうので、その辺の見極めが重要です(なんならESTA国民10人の方が非ESTA国民2人よりも早いなんてことも)。とはいえ係員に強制的に「そこの列に行け」と言われてしまうこともあって難しいところです。幸い私の列には難しい人物はおらず、サクサクと手続きは完了、目の前のエスカレーターを降りてターンテーブルに向かいます。

 入国審査に時間がかかったときなどは、すでに自分の荷物が出ていて脇に寄せられていた… なんてこともありますが、今回はスムーズに抜けられたせいか、まだ出てきていませんでした。約10分ほどで荷物が出てきました。取り出して税関へ、幸い何も言われず通過できました(運が悪いと中を開けてチェックされる)。税関の先は到着ロビー方面と乗り換え口方面の二股に分かれています。ここは乗り継ぎ方面に進んで、荷物の再預けを行います(ここで間違って到着ロビーに行ってしまうと振り出しに戻る悲劇となる…)。その後はセキュリティチェックを経て出発ロビーに出ました。到着からここまで40分程度、今回はかなりうまくいったと思います。

 乗り継ぎ便は10分ほど遅れて出発、ヒューストンとニューオリンズの距離は550キロほどなので飛行機だと1時間半くらい、それこそ飲み物が出たなぁと思う頃には到着でした。ここはもう国内線扱いなので面倒な手続きもなく到着ロビーに出ます。ニューオリンズのルイ・アームストロング空港はこじんまりとした空港です(日本で言えば仙台空港クラスか?)。ここからはタクシーで市内のホテルに向かいます(ニューオリンズ空港-ダウンタウンは35ドルの定額制)。今回の学会場はミシシッピー川岸のヒルトンホテル、宿泊もそこにできたら楽だったんですが、さすがにお高いため、その向かいのホテルに宿泊しました。

Img_5273 Img_5272(左写真4)ニューオリンズ、(右同5)今回宿泊のホテル

 着いたのは夕方、移動の疲れと時差ぼけもあってけだるい気分です。この日は外には出ずホテル内のレストランで夕食にしました。

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