2019年6月21日 (金)

夏至の頃

 気が付いたら6月も半ばを過ぎました.明日6月22日は北半球の一年でもっとも昼が長いとされている夏至です.夏に至るとはいうものの,暑さの夏としてはむしろこれからが本番となります.ただ日の長さという意味でいえば,明日の夏至がピークとなり,それ以降12月下旬の冬至に向かってどんどん日が短くなっていくことになります.

 ひと口に日が長いといいますが,緯度によってその様相は大きく異なります.東南アジアやインドなどの低緯度地方では夏と冬の昼の長さはそれほど変わらないのに対して,北欧やアラスカといった高緯度地方ではその差が極端になります.試みに東南アジアのクアラルンプール(北緯3度)の夏至と冬至の昼の長さを調べてみると,夏至が12時間20分,冬至が11時間58分とその差は22分しかありません.一方で北欧のストックホルム(北緯59度)の夏至の昼は18時間43分,冬至のそれは6時間9分とその差はなんと!12時間以上となります.

 昼が長く,しかも温かいこの季節は大勢の人間を混乱なく動かすには都合がいい時期でもあり,歴史的には大きな軍事作戦がこの時期に行われてきました.具体例を挙げると,古くは古代ローマ末期にアジアから西進してきたフン族と西ローマ・ゲルマン連合軍が戦ったカタラウヌムの戦いが451年の6月20日に起こりました.また有名なナポレオンのロシア遠征が1812年6月23日,ワーテルローの戦いが1915年6月18日,第二次世界大戦の独ソ戦の開始であるバルバロッサ作戦が1941年6月22日,同大戦のソ連側の大規模な反撃であるバグラチオン作戦が1944年6月22日に開始されています.日本史方面を見ると本能寺の変が1582年6月21日(天正10年6月2日)のことですし,応仁の乱も本格的な戦いが始まったのは1467年(応仁元年)のこの時期です.

 秋の夜長は読書がいいなどと言いますが,昼長のこの季節は外での活動が推奨されるということのようです.そんなことを考えた2019年夏至前夜でした.

10ji (写真)北緯80度スヴァールバル諸島のこの時期の真夜中の太陽(これで午前1時です)

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2019年6月18日 (火)

新選組まつりの同窓会

 5月のひの新選組まつりから約1か月が経過しました.10年以上にわたって出続けているお祭りで,過去は新選組隊士での参加が基本でした.ただ近年は新選組と同時代の人々の枠での参加も多くなっていて,今年は幕臣勝海舟役をいただきました.

Img020_1 (写真)今年の同時代の人々公式写真

 この新選組と同時代の人々というのは,全くの烏合の衆(笑)で,幕臣や倒幕派の志士に加えて,新選組幹部でありながらなぜか本隊からハブられた(笑)山南総長や伊東参謀もいるなど本当にごった煮状態です.そんな隊ですから参加者の好みも様々で,本隊に比べると全体的にゆる~い雰囲気になります.お祭りにおける扱いもかなり微妙で,具体的に上げると

① 新選組本隊は朝と夕方に出陣式,帰陣式というイベントがあり大いに気分が盛り上がるが,同時代の人々は呼ばれない💦.

② 昼食は本隊は普通の幕の内弁当だが,同時代はセブンイレブンのコンビニ弁当である(笑)

③ パレード中も本隊はパフォーマンスコンテストがあったり,新政府軍との銃撃戦があったりとイベント盛りだくさんだが,同時代は基本放置,スルーである.

④ 移動のバスもほぼ最後で,本隊が高幡不動尊に戻った後もしばらく小学校で放置される.

⑤ 参加費は最も高い(これは衣装代がかかっているから仕方ないのですが)

 そんな扱いを受けている隊ですからお祭りが終わったらそのまま解散,さようなら~ ( ^^) _U~~ となるのが普通なんですが,今年は違いました.こういう虐げられた(笑)思いを強く抱いたメンバー多かったせいか,お祭り後もSNSで活発な交流が行われるなど,例年とは違った流れになっていました.その延長線上で,せっかくだから集まって日野を散策しようということになり,この日曜日に同窓会が行われたのです.自分も参加させていただきました.

Img_2114 (写真)宝泉寺

 参加者は全部で8人(お祭りでは多摩の歳三,近藤勇の奥方のつねさん,伊庭八郎,坂本龍馬,高杉晋作,西郷隆盛,そして勝海舟,山本八重さんは後程合流),あの日は総勢12人でしたから,なんと!2/3の出席率です.お天気が心配されていたんですが,かつて降水確率100%を30%に下げた実績のある自分が参加するのに雨なんてありえない!と意気込んでいたせいか,見事に晴れ.午前10時にJR日野駅に集合でした.待っていたら世田谷の小学生社会科部のグループがフィールドワークで来ていました(やるな! それにしても年齢も様々な大人の集団,彼らの目にはどう映ったのだろう).してまずは宝泉寺へ.ここは井上源三郎さんの墓所です.私もここに来たのは数年ぶりでした.墓前に手を合わせるんですが,お線香を持参されていた方がいたのが感動的でした.

20190619144624 (写真)新選組のふるさと歴史館

 その次に向かったのは新選組のふるさと歴史館,ここは2004年の大河ドラマを受けてできたところです.徐々に気温が上がってきたのと,駅からだと坂を上ることになるのでこの日はバス利用でした(かつてはこの坂がパレードコースだったんだなと感慨に浸りながら).歴史館では常設展のほか,企画展も行われていて,現在は土方歳三没後150年ということで,「土方歳三-資料から見たその実像-」という企画をやっていました.ここも数年ぶりの訪問でした(パレード参加者は当日こうした観光スポットを訪れることができないので).思い思いに展示を見ていたんですが,前の方にいたグループに説明している声に聞き覚えがあるなぁと思っていたら,毎年パレードでお世話になっているガイドの会のS川さんでした.

Img_2118 (写真)資料館の撮影スポット

 続いては佐藤彦五郎新選組資料館へ.来た道を戻るわけですが,下りなのでそのまま歩くことになりました.途中から川沿いの細い道に曲がって,「ここパレードのコースだったよね」などと話しながら,ちょうど1か月前に集合していた第一小学校を横目で見ながら資料館にお邪魔しました.この日は館長様は不在でしたが,貴重なお話を伺いながら資料を見学する一同でした(この頃に八重さんが合流).

20190619144257 Img_2128 (写真左)手打ちそばのちばいさん,(同右)こうしてみると悪人顔だな自分(笑)

 この段階で午後1時,昼食の時間ということでこの日はすぐそばにある「ちばい」さんでお蕎麦をいただきました.私はとろろそばに加えて日本酒をいただいたのは言うまでもありません(飲ん兵衛だな 笑).食事をしながらいろんな歴史談議に花が咲くんですが,今回のメンバーはみんな歴史好きなのは当然として,いろんな視点を持った方がいらっしゃるので,「こんな見方もあるのか!」といった目からウロコ的な話が聞けて楽しかったです.

Img_2137 (写真)石田寺

 歴史談議に夢中になるあまり,気が付いたら3時ぐらいになっていたので(笑)次に行こうとしていた本陣はパスして,土方歳三資料館&石田寺へ向かいました(あまり時間がなかったのでタクシー利用).最初資料館に入ろうとしたらちょうど団体がいたのでまずは石田寺へ.ここも何年ぶりだろうという感じで,新選組愛好家にあるまじき自分でした(それにしてもここは本当に土方さんが多いと改めて感動).ほとぼりが冷めた頃を見計らって再び資料館へ,今度は大丈夫でした(ここも数年ぶりだ💦).ここには当時の鉢がねや鎖帷子などが展示されていますが,自分的な注目は石田散薬関連でした(笑).

20190617093156 (写真)土方歳三資料館の庭にて記念撮影

Img_2139 (写真)あじさい祭り開催中の高幡不動尊

 その後はモノレールで高幡不動へ.今の時期はちょうどあじさい祭りをやっています.せっかくだから少し観察しようということで歩くことにします.案内図を見ていたら「歳三錦」というあじさいがあるらしく,それを見てみようということに.境内にはたくさんおあじさいがあり,さらに細かい小道がたくさんあるのでちょっと迷ってしまいましたが,なんとかそれらしいあじさいを発見することができました(〇△錦ってなんだかサクランボ🍒みたいな名前だな 笑).

Img_2141 Img_2142 Img_2143(写真)いろんなあじさいが咲いています.一番右端が歳三錦のようです

Img_2145 (写真)この構図の歳三さんが一番カッコいいんだそうです (^^)v

 あじさいの観察後は駅前のファミレスで軽く打ち上げ,自分はと言うとここでもアルコールをいただいて周辺に呆れられたのでした.いやぁ本当に楽しかった.参加者の皆さんありがとうございました(写真は参加者の方からいただいたものがあります.それにしても祭り本編レポよりも先に同窓会レポが完成するとは… 汗).

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2019年6月10日 (月)

医師会合唱団の合宿

Dsc_1903_2 (写真)合宿会場の箱根湯本ホテル

 ARSのコンサートが終わってそのまま小田原に戻り,そこから登山電車で箱根湯本に向かいました.その目的はというと,この週末に同地のホテルで医師会合唱団の合宿が行われるからです.鎌倉を出たころは曇りでしたが,こちらに着いた頃は本降りの雨になっていました.湯本の駅からはバスに乗ってホテルへ.到着後はそのまま練習会場に入ります(ここのホテルロビー階が5階!なので練習会場の2階まで降りることになる).

Img_4983 (写真)練習風景

 行ってみるとすでに練習は始まっていました(本当は3時からだったんですが,前記事のようにARSのコンサートに寄ったため遅れた).医師会合唱団は2008年4月というちょうど自分がこっちにやってきたタイミングで結成された合唱団です.縁あって私とウチのKも結成当初から参加させていただいています.ほぼ合唱未経験者で始まったこともあり,当初は多声部でのアンサンブルを行うことすら困難な感じだったんですが,指揮者の先生やピアニストの先生の熱心な(そして我慢強い)指導と個々の団員の努力のおかげで,10年経った今ではけっこう本格的な合唱組曲を歌うこともできる水準になっています(昨年は10周年記念コンサートで大田桜子先生の委嘱作品を初演することができました).ほかの合唱団ではほぼ洋物専門なので,この医師会合唱団は邦人作品や歌謡曲などよそではできない曲が歌えるのが魅力です.

Dsc_1984 (写真)夕食会場には歓迎の文字が!

 今回の合宿では9月に予定されている第11回定期演奏会で取り上げる曲を中心に練習します.今年の定演ではメインに石井歓さんの「風紋」(合唱関係者の間では有名な作品)を据え,そのほかに歌謡曲やジブリ作品の合唱編曲版も取り上げることになっています.自分が付いた時はちょうど風紋の練習でした.1時間強の練習後,演奏会プログラム用の写真を撮ったりしてそのまま夕食会場へ,この日は一般的な温泉旅館の夕食でした(お造り,焼き魚,椀物から後半はステーキが出て最後は炊き込みご飯で締める感じ).飲み物はビールでしたが,ここはあまり多くは飲まないようにセーブします(笑).

Dsc_1985 (写真)昼食はカレーでした

 その後は有志の部屋で二次会,ここでは持ち込まれた日本酒やワイン,シャンパンなどをいただきます(このお酒の充実ぶりが医師会合唱団の合宿の妙味というウワサ 笑).翌朝は朝食を摂って9時から練習開始,途中昼食休憩をはさんで終わったのは夕方4時,非常に充実した合宿でした(惜しむらくは夜飲み過ぎて,せっかく温泉ホテルに泊まったのに温泉に入れなかったこと 笑).

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2019年6月 9日 (日)

ARSのコンサート

Img015  怒涛の活動が続いている6月第1週です(キリスト祭→八甲田→タリススコラーズ×2→蝶々夫人).8日土曜日は鎌倉芸術館で開催されたCollegium Armonia Superiore Japan(略称ARS)のコンサートに行ってきました.ARSはアマチュアのオーケストラなんですが,実は縁があって来年の10月に東京21合唱団がマタイ受難曲を共演することになっている団体なのです.この話が出た昨年8月以来なんどか向こうの役員と会合を重ねて,すっかり意気投合しています.お互いこれを生業にしているわけではないものの,とにかく好きでいろいろ研究しているところなんかが共通していて楽しいのです.今回はそんな彼らのコンサートということで楽しみにしていました.

Img_4982  演目はオールバロックで,ヴィヴァルディの調和の霊感,J. S. バッハのカンタータ82番,そしてメインがヘンデルの水上の音楽でした.指揮は川崎嘉昭さん,バッハのカンタータの独唱者はバスの田中俊太郎さんでした.感想としてはとにかく全体的に音が安定しているということ.調和の霊感が始まった瞬間から安心して聞いていられると感じました.一般にアマオケはレベルが様々なので,所によっては聴いててこっちが不安になるような演奏もあるんですが,ARSのメンバーは基本的に実力がある方々なのでその辺は問題がありません.バッハのカンタータも今回演奏がARSとしての初バッハだとのことでしたが,独唱の田中さんを含めよくまとまっていたと思いました.そして休憩をはさんでメインのヘンデルの水上の音楽です.この作品は一般に第1,第2,第3組曲からなるのですが,今回はそれに異稿版とされる曲を3曲追加したプログラムでした.そして異稿番の調性や演奏効果等を勘案して,演奏順を第1,第3,第2組曲の順として,さらに組曲内でも微妙に順番を変えるというまさに特別版での演奏です.もちろん緻密な演奏だったことは言うまでもありませんし,なにより楽団員一人一人がただ演奏しているのではなく,どういう方向性で音楽を作っていくのかを理解していることを強く感じました.指揮者の川崎嘉昭さんがプログラムの挨拶に書いていた「ARSとのリハーサルは実験室です」という言葉が,まさにこのオケの性格をよく表しているのでしょう.

Img017  終演後,理事の方に挨拶に行き,「演奏会の成功おめでとうございます」と伝えたんですが,第一声が「いやぁ,プログラムが長すぎましたね♪」だったのは,「そう来たか!」という感じでウケました(さすが実験室!).まあたしかにただでさえ分量のある水上の音楽全曲に異稿版も追加した結果,演奏時間1時間超えというバロックにあるまじき長さになったのは事実でした.

 そんな印象的なコンサートでした(思えばこの週4つ目の演奏会だ 笑).

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2019年6月 8日 (土)

歌劇「蝶々夫人」

Img016  GW10連休に仕事をした鬱憤を晴らすかのように活動的になっている6月上旬ですが,6月7日(金)はこの週3つ目となるコンサートに出かけてきました.行ったのは新国立劇場の歌劇「蝶々夫人」公演です.

 19世紀以降ロッシーニ,ベッリーニ,ドニゼッティ,ヴェルディと連なってきたイタリアオペラの本流を継いだのは間違いなくプッチーニでしょう.出世作となった1893年のマノン・レスコーから,1896年のラ・ボエーム,1900年のトスカと次々にヒット作品を世に出し,その名声は天下にとどろいていました.そんなプッチーニの20世紀最初の作品がこの蝶々夫人です.舞台は日本の長崎,日本人女性蝶々さんの悲恋物語で,オペラとしてはあまりにも有名な作品です.

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(写真)今シーズンからホワイエにこうした撮影スポットが用意されています

 今回の公演は栗山民也氏の演出によるもので,2005年の初出から今回で7回目の再演になる同劇場定番のレパートリーです.ピンカートン役にするアメリカ生まれのスティーブン・コステロを起用したほかはすべてのキャストが日本人によるものでした(近年の蝶々夫人はこのパターンが多い.舞台の雰囲気もそうだが,全体的に日本人歌手の技量が上がっているところが大きいように感じる).何度も鑑賞した作品で,次どんな音楽が来るのかもすべてわかっているんですが,やっぱり泣けました.プッチーニの音楽って劇の展開を盛り上げる効果が抜群で,いわゆる映画音楽の走りなんですが,いやぁ凄いですね (^^)v

Img_1 (写真)学生時代の懐かしの写真(右端が自分,蝶々さんちの使用人です)

 蝶々夫人といえば自分にとっても非常に思い入れの深い作品です.それは学生時代に市民オペラで参加した経験があるから.6年間の在学中2度蝶々夫人の公演があり,2度とも参加する機会を得ました.なのでこの作品を鑑賞すると,当時の練習の様子などを思い出して感慨深いのです.

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2019年6月 6日 (木)

タリス・スコラーズ

Img014  6月に入ってからまるでGW10連休に働いた鬱憤を晴らすかのように活動的になっている自分です.特に月の序盤はコンサート鑑賞が目白押しで,まずは6月3日&4日の両日,表題のタリススコラーズの公演に行ってきました.

 タリススコラーズはイギリスのアカペラ専門の合唱ユニットで,ルネサンス期の宗教曲を得意としています(ジャンルにかかわらずどんな曲でも歌うし,時には楽器とも共演する同じイギリスのキングスシンガーズとの違いも面白いです).その素晴らしいアンサンブルは録音で聴くよりも生演奏が断然いいので,来日公演があるときはほぼ出かけています.で,彼らの来日公演では大抵2つのプログラムが用意されていて,公演ごとにどちらかをやるというのがパターンになっています.いつもだと時間や財布の中身との兼ね合いもあって,どちらか一方のみを鑑賞するんですが,今回はAプロがビクトリアのレクイエム,Bプロがジョスカン・デ・プレのミサ・パンジェ・リングヮというどちらも非常に魅力的な内容で,どちらかを選ぶというのが難しいものでした.結局,悩むくらいなら両方行けばいいじゃないかということで,6月3日&4日の両公演を鑑賞することになったのです.キリスト祭&八甲田から戻った3日に紀尾井ホールでBプロ,翌4日が東京オペラシティでAプロの公演でした.

Img_4981 Img_4980  どちらも素晴らしい公演でした(というか,タリススコラーズで残念だった公演は過去経験していない 笑).自分も宗教音楽大好き人間なんですが,こういう演奏を聴くと日頃のストレスなど一瞬で霧散してしまうのでした.ちなみに両公演ともアンコール曲はロッティの「十字架につけられ」(10声版)でした(同じ作曲家の8声版がBプロの中にあった).

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2019年6月 4日 (火)

八甲田ホテル

 新郷村を後にした我々はそのまま十和田湖方面へ.実は翌月曜日をお休みにしてこの日はこちらに宿泊するつもりだったのです(GWに休日出勤した分の代休).途中奥入瀬渓流に立ち寄り,有名な銚子大滝を見学,そのまま北上して八甲田方面に向かいました.この日の宿泊は八甲田ホテル,山岳リゾートホテルです(もちろん温泉あり).近くには千人風呂で有名な酸ヶ湯温泉もあるんですが,今回はウチのKの誕生日祝いを兼ねていたこともあって,より静かな環境であろうこちらを選択した次第です.

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(左写真1)銚子大滝,(右同2)奥入瀬渓流

 チェックインを済ませてゲストルームへ案内されます.やや広めの部屋でした.室内には八甲田の天然水(?)もポットに備え付けられています(洗面所の水がとても冷たかったのだが,もしかしてこれも天然水だったのでは!).

Img_4978 Img_2070 (左写真3)八甲田ホテルの客室,(右同4)ホテルの様子

 昨夜から練習・宴会・夜行バス・観光という流れで少し疲労がたまっていたこともあり,ゆっくりと温泉に浸かって疲れをいやしました(付近の酸ヶ湯温泉は白濁した硫黄泉で知られますが,ここのお湯は基本無色透明でした(源泉が異なるわけだ).久しぶりに大きな浴槽に体を浮かべるととても良い気分 (^^)v

Img_2091 (写真5)ホテルのレストラン

 夕方6時にレストランへ.この日のディナーはフレンチのコースと洒落込みます.まずはアミューズとして蛸のカルパッチョが登場,食前酒はシャンパンをいただきました(どうでもいいが洋食のアミューズって,居酒屋でいえばお通しなのか 笑).続いては前菜,最初は青森県産サザエブルギニオン,洋風のサザエのつぼ焼きといった感じでしょうか(笑).前菜二品目はフォアグラと穴子の山椒ソースです.個々のメニューは極力県産品にこだわっているところが魅力なんですが,さすがにフォアグラは県産にはできなかった模様です.このフォアグラはフランス産でした.前菜からは飲み物として赤ワインも追加したのは基本です(笑).

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(左写真6)蛸のカルパッチョ,(中同7)サザエブルギニオン,(右同8)フォアグラと穴子

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(左写真9)ノドグロポワレ,(中同10)牛フィレ肉,(右同11)デザートのショコラ

 メインのお魚は青森西海岸産ノドグロポワレ,大体フレンチのお魚は白身が基本のイメージですが,こちらももろみ味噌ソースが良かったです.メインのお肉は定番の牛フィレ肉のトリュフソース,前菜のフォアグラとで合わせ技ロッシーニ風になるのかと考えました.なかななどれも美味しかったです.ちなみに当初配られたメニュー表に間違いがあったのですが,お店の人がお詫びにとチーズとレーズンを下さったので,メイン後デザートの前にしばらくそれを摘みにワインを飲み干す時間が作れたのはラッキーでした.結局コース全体で2時間以上,大満足のディナーだったことは言うまでもありません.食事後は少し部屋で休んだのち,ホテルのバーに入ってリキュール類を堪能,こうして八甲田ホテルの夜は更けていきました.

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(左写真12)朝食,(右同13)ホテル前にて記念撮影

 翌朝はゆっくり起きて朝食を摂り(和食と洋食の選択,今回は和食にした),温泉に浸ったりしながら11時のチェックアウトギリギリまでリゾートを堪能したのでした.

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(写真14)山が素晴らしい

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2019年6月 3日 (月)

新郷村のキリスト祭

 さて,あっという間に6月に入りました.例年私が活動的になる季節です.昨年は6月にボリビア&チリ旅行という大型の海外旅行がありましたが,今年はそういう大型イベントがない代わりに小さいイベントがたくさん用意(?)されています.まず最初の日曜日である6月2日は表題にある,青森県新郷村で開催された第56回キリスト祭にウチのKともども行ってきました.

 新郷村というのは青森県東部,八戸市と十和田湖の中間に位置する小さな自治体です.なんでここでキリスト祭なのかというと,昭和初期にこの地を訪問した竹内巨磨という人物が,村の戸来地区の丘にあった土盛をさして「これこそキリストの墓である!」と言い出したことに由来します.竹内巨磨さんというのは,超古代に日本に高度な文明があったと主張していた人物で,彼の家に代々伝わっていた(とされている)竹内文書によると,ゴルゴダの丘で十字架にかけられたイエスは密かに脱出し,日本のこの地にやってきてここで亡くなったからなのです.にわかには(というか普通は)信じがたい話ですが,このネタを村おこしに利用したい当時の村長の思惑も絡み,徐々にこの話が広がり今に至っているわけです(この辺の話はホームページ本編に記事があります).

 竹内文書自身がすでに偽書であるとの評価が定まっているので,何をかいわんやなんですが,ともかくキリスト祭はこの地で亡くなった(とされる)キリストの霊を慰めるイベントとして,半世紀以上続いている伝統あるお祭りなのです.私の琴線を大いにくすぐるイベントで,いつか参加してみたいと思っていたのですが,今回ついに参加することになりました.

 前日の6月1日は夕方から合唱団の練習に参加,その後来年のコンサートで共演するオーケストラの方々との打ち合わせ&懇親会へと流れました.そして夜11時40分池袋発の夜行バスに乗ります.とはいえこの時間では青森方面まで行くバスはすでに出発しているため,この日のバスは毎度おなじみ盛岡行きのらくちん号でした(笑).

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(左写真1)八戸駅にて,(右同2)いよいよ新郷村に入りました

 翌朝6時30分過ぎにバスは無事に快晴の盛岡駅に到着,コンビニで朝食を調達して朝一の新幹線で八戸へ.ここでレンタカーを借りて一路新郷村に向かいます(新郷村への公共交通機関は非常に不便なので,事実上レンタカーかタクシーになる).村内に入ると,さっそくキリストの墓,ピラミッドなどと書かれた看板が出現しワクワクさせられます.

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(左写真3)キリストの里公園です,(右同4)キリストの里伝承館

 村の中心部を過ぎて5分ほどで戸来地区に到着,ここでは係員が駐車場に誘導してくれました(8時40分頃には到着したため,会場に近い場所に停められた).知る人ぞ知るスポットなので普段はほとんど人がいないところなんですが,今日は年1回のお祭りの日ということで,たくさんの人でにぎわっていました.会場に向かう緩やかな坂にはキリスト祭と書かれた幟が多数はためいていて,非常にシュールな光景でした.

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(左写真5)奥の土盛がキリストの墓,(右同6)慰霊祭は神式です

P6071266(写真7)式次第

 坂を上ったところから階段を上がると2つの土盛りがあり,向かって左側の十代塚がイエスの身代わりとなってゴルゴダの丘で死んだ弟イスキリの墓,右側の戸来塚がイエスの墓とされています.この2つの塚を見上げる広場には来賓用の椅子が並べられ,正面には慰霊祭用のしめ縄や飾り付けがなされていました.そう,キリスト祭(キリスト慰霊祭)はなんと!神式で行われるのです

 開会まで1時間ほどあったので,付近を散策します.お祭り会場からさらに上ったところには十字架が描かれた教会風の建物があります.これがキリストの里伝承館で,竹内文書に描かれたキリスト伝説や当地の風俗などが紹介されています.ここもいつもは貸し切り状態なんですが,この日はたくさんの人で賑わっていました(入場料が一般200円と非常にリーズナブルです).ここでは当地名産の南部せんべいや飲むヨーグルトも売られています.

Img_4935 Img_4956 (左写真8)いよいよ始まりました,(右同9)ナニャドヤラの奉納

 やがて開始時間が近づいたため会場広場に戻り,よさげなポイントで開始を待ちます.時間になりいよいよ第56回キリスト祭の開始です.観光協会の人の挨拶に始まり町長や県知事(代理),地元選出の衆参両院議員の祝辞を経て,いよいよ神主さんの祝詞が始まります.「畏み畏み~」から始まって,いろいろ喋っていくんですが,一番のツボは「イエスキリストの御霊~」という部分,真面目に唱えれば唱えるほどウケてしまうのでした.祝詞に続いて玉串の奉納,その後は地元の人たちによる墓前でのナニャドヤラへと進みます.これは当地に伝わる盆踊りの一種で,「ナニャドヤラ、ナニャドナサレノ」という不思議な歌詞が有名なんですが,キリスト伝説によるとこれはヘブライ語で「御前に聖名をほめ讃えん」という意味になるのだそうです.

 ところでキリスト祭りが神式で行われ,神主さんが登場するのに,キリスト教の神父さんや牧師さんが登場しないのはなぜなんだろうと不思議に思う向きもあるようなので解説します.先のお話でも分かるように新郷村のキリスト伝説ではイエスは十字架上で死なずに日本に逃れてきたという設定になっています.ここがミソで,そもそもキリスト教とはイエスが十字架上で人々の罪を背負って死に,3日目に復活したという教義から発生した宗教です.新郷村伝説ではそこが完全に否定されているので,これは完全にキリスト教とは無縁の存在となってしまうのです.このためこの伝説はキリスト教の異端どころか,風変わりなユダヤ教のラビが迫害されて国外に逃亡しただけという話であり,キリスト教の聖職者にとっては関わってはいけない存在となっているのです(だから当慰霊祭が神式であるのは必然です).キリスト教では救い主イエスだが,新郷村では逃亡者イエスとなるわけですね.

Img_2009 (写真10)乾杯用のヨーグルト

 踊りの後は全員乾杯でお開きとなります.乾杯といえば普通はお酒になりますが,なにせ新郷村は交通の便が悪く,やってきた観光客の大半は車なので,なんと!地元の飲むヨーグルトが振る舞われて乾杯でした(濃厚で美味しかったです (^^)v).かくして慰霊祭は滞りなく終了しました.

Img_4962 Img_2065 (左写真11)キリストっぷ,(右同12)ロゴが素敵です!

 お祭りの後を少し堪能した後は,公園そばにある売店に向かいます.ここが,その名もキリストっぷというお店,ロゴは某コンビニチェーンを彷彿させます.開店時間が「十字架ら3時まで」とぶっ飛んでいます.以前来たときは平日だったので閉まっていたんですが,この日は開店営業中のキリストっぷが見られました.いろんなキリストグッズが売られていましたが,この日はステッカーやキリストの遺言手ぬぐいなどを購入しました(併設されたカウンターでは軽食も出されていて,外国人観光客がカレーを食べていた).

Img_4970 Img_4966 (左写真13)ラーメン亭えびす屋さん,(右同14)おすすめはキリストラーメン

 キリストっぷを後にして我々が向かったのは地元では有名なラーメン屋さん,もちろん昼食のためですが,ここにはなんと!キリストラーメンがあるのです.出てきたラーメンは醤油味で山菜やキノコなど健康的なもの.どこがどうキリストなのかは謎でした(思うに2枚載った山芋スライスが2つの塚をイメージしているのだろう).こうして新郷村訪問は完了したのでした.

Img_4968(写真15)これがキリストラーメン!

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2019年5月29日 (水)

コンスタンティノープルの陥落

 さて,今日5月29日は君府と呼ばれた,ビザンチン帝国の都コンスタンティノープルがオスマントルコによって陥落した日です.ハンドルネームでビザンチン皇帝を名乗っていることからもわかるように,私にとってはきわめて重要な日となります.

 ビザンチン帝国というのは,別名を東ローマ帝国,中世ローマ帝国といわれるように古代ローマ帝国から連続した国家です.ビザンチンという名前はコンスタンティノープル(現イスタンブール)の古名ビザンティウム(ビザンチオン)から来ており,年代的には330年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世がこの地に都を移した時代から,1453年5月29日に街がオスマントルコに征服されるまでの1100年間を指します.

 この時代はちょうど西洋史における中世と呼ばれる時代区分に一致します.中世という言葉は,西洋史の歴史用語で古代と近代の間の時代という意味です.私が中学生頃の西洋史観では,中世というのは迷信と疫病のはびこる暗黒時代とされていました.すなわち古代ギリシャ・ローマの文明が衰退し,ルネッサンスによって復興するまでのつなぎの時代とみなされていたわけです.

 もちろんこれは西欧の立場から見た話しであって,同じ時代イスラム圏は文明の中心として栄えていたわけですし,キリスト教世界においてもビザンチン帝国がその中心として繁栄していました.これらの世界においては暗黒どころか黄金期だったわけです.現在においては西欧においても中世は何もない時代ではなく,様々な社会や文化の発展がみられた時代であるという認識に変わっています.

 そんな発展途上の西欧社会の人々にとって,キリスト教世界の中心地だったコンスタンティノープルが異教徒の手に落ちたことは衝撃的な事件でした.この歴史的大事件当時に作曲家として活躍していたギョーム・デュファイは,コンスタンティノープル聖母マリア教会の嘆きという曲を作っています.

 そんな感慨に浸った令和元年5月29日でした.

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2019年5月26日 (日)

コーロ・ヌオーヴォのマタイ受難曲

 5月25日土曜日は東京の杉並公会堂で行われたコーロ・ヌオーヴォのマタイ受難曲公演に出かけてきました.

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 この合唱団は40年以上の伝統がある老舗の合唱団で,自分の大学合唱団時代の先輩や後輩が複数所属しているところです.かれらからお誘いがあったことと,マタイ受難曲は現在自分たちも取り組んでいる作品ということで,鑑賞に出かけてきました.

 二階席の3列目、真ん中付近に陣取ったんですが,左右を見渡したらそれぞれ最前列に見知った人がいました(笑).時間になり開演です.合唱団が入場してオケが入場,指揮者とソリストが入場… あれっ?エヴァンゲリストとイエスと男性ソロしかいないぞ? と思っていたらステージ背後の座席部分に女性団員のとともに女性ソリスト登場,どうやら第1曲のリピエーノも担当する模様です.

 指揮者の長岡聡季さんの手が振り下ろされて演奏開始,合唱団出だしはちょっと乗り切らない感じでしたが,3曲目のコラールあたりからエンジンがかかり始めました.途中8曲目では私が一推し(笑)のソプラノ,金成佳枝さんが登場 !(^^)!,ドイツから帰国した彼女の歌を聴くのは初めてでしたが,元々素敵な歌声が一段とグレードアップしておりました.

 後日団員の後輩からレセプションの時に指揮者の先生から,「民衆のような合唱」と言われたとのことでしたが,キャラクターコーラスがメインのマタイ受難曲では「民衆のような」は誉め言葉じゃないのと言っておきました.

 来年の自分たちのマタイも,上手くいかせなくてはと思ったのでした.

 

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