2017年3月21日 (火)

ヨハネ受難曲演奏会に参加しました!

Img148  この週末盛岡に行って,当地で開催されたヨハネ受難曲演奏会に参加しました.この公演は盛岡バッハ・カンタータ・フェライン40周年記念演奏会として行われるものです.演奏本番は20日なんですが,オーケストラとの合わせは18日(土)からというわけでこの日に盛岡入りです.前日は静岡県内での出張当直だったので朝早めに帰宅,荷造りは事前に終わらせておいたため,そのまま出発となります.在来線と東北新幹線を乗り継いで15時ごろに盛岡駅に到着,待っていた母親と合流して盛岡市内お墓参りツアーへ繰り出します.そう,世間ではお彼岸なのでした.その後夕方からの練習に参加,終了後は久しぶりの実家入りでした.

 翌19日は本番会場となる盛岡市民文化ホールでの練習になりますが,この日の集合はお昼の12時半ということで久しぶりの朝寝坊,食事は朝昼兼用のブランチになりました(笑).

P3200720  集合時間ちょっと前に会場入り,いよいよステージでのリハーサルが始まります.自分にとってのヨハネ受難曲は2007年以来10年ぶり,オケの音が鳴り始めた瞬間から背筋がぞくぞくしてきます.この日はソロの楽曲も入るのでソリストの皆さんもフル参加となります.今回は40周年記念演奏会ということで,ソリストも合唱団ゆかりの方々(かつて合唱団に参加,あるいは現在も在籍している方々)です.みなさん各地で活躍されている人たちばかりなんですが,こんな人たちとド素人の自分が同じステージに立てるという合唱団の懐の深さに感謝です.

 スケジュール表だとリハーサルは夜の9時までだったんですが,順調に行ったのか5時過ぎに終了,指揮者の先生からは「明日に備えて英気を養ってください」とのお言葉が (^.^).英気を養うということは栄養を摂って気合を入れろということだろうと解釈し,市内のお肉の店に繰り出しました.

P3190713 P3190716  岩手といえば前沢牛が有名ですが,短角牛も魅力です.さしの多い前沢牛は時に胃もたれする恐れがあるので,演奏会前には赤身の短角牛の方が向いています.さらに英気を養うためにワインもいただいたことはいうまでもありません(笑).

P3200721_2  一夜明けて20日はいよいよ演奏会本番,この日は9時半に会場入りしました.ホワイエで発声練習後,ホールでのゲネプロに臨みます.本番直前ということもあり,先生からは無理をしないようにという指示を受けました.約2時間ほどでゲネは終了,昼食&休憩時間となります.朝にコンビニでサンドイッチを購入していたんですが,急に汁物が恋しくなったため駅の立ち食いそば屋に出て山菜そばをいただきました(同じパートの他の方もいた 笑).

 昼食後会場に戻って着替え,いよいよ開演時間となります.演奏の中身に関しては聴いてくださった方々にお聞きするしかないんですが,東京から駆けつけてくださった方々からもよかったと言ってもらえました(個人的には第1部の終曲,ペテロ懺悔のコラールの後,指揮者やソリストが退場する際に拍手無しというのが感動しました.音楽の中身的には拍手する雰囲気じゃないので,お客さんも雰囲気を感じたのでしょうか).

P3200724  終演後は近くのホテルでレセプション,お酒をいただきながらオケやソリストの方々のお話を伺いました.宴はまだまだ続きますが自分は翌日から通常業務のため,19時半過ぎに退出,新幹線に乗り込んだのでした(駅で偶然にも東京の合唱団の人達と再遭遇 笑).はやぶさ号に接続するこまち号の遅れで東京着が10分遅れ,さらに接続の東海道線が人身事故でストップするなど自分に責任のないアクシデントはあったものの,なんとか帰宅できました.こうして2017年自分にとっての10大ニュースの上位に来るだろう演奏会は終了したのでした.

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2017年3月15日 (水)

歌劇 「ルチア」

Img147  一昨日の晩(3月14日),初台の新国立劇場で上演された歌劇「ルチア」(新製作)のプルミエを観劇してきました.ルチアは19世紀前半を代表するイタリアオペラ作曲家,ドニゼッティの代表作で,私も非常に好きな作品のひとつです.

19世紀のイタリアオペラの系譜はロッシーニから,ベルリーニとドニゼッティ,そしてヴェルディからプッチーニに至りますが,ドニゼッティが活躍した時代は18世紀的な歌手の技巧を聴かせるのがメインのオペラから,よりドラマ性を重視したオペラへとの脱却が図られた時代です.歌劇という言葉に示されているように,古来オペラの主役は歌であり,ドラマはあくまでも歌に従属する存在とされていました.実際に当時の聴衆はドラマは二の次で,歌手の美声や超絶技巧を聴くために劇場に通い,素晴らしいアリアの後には割れんばかりの喝采で劇の進行が中断することは日常茶飯事だったのです.

 しかし19世紀に入ると,これではいけない,オペラももっとドラマ性を重視すべきだという考えが生まれてきました.その一方,歌手の見事な技量を堪能したいという声も根強くありました.ところが,こうなると困ったことが起こります.それはドラマ性の重視と歌手の技巧の披露は基本的に両立しないからです.なぜかというと,従来のオペラでは物語が進行してクライマックスになると歌手はあらん限りの技巧を尽くして難しいアリアを歌います.アリアの間,他の登場人物はすることがなくなってしまいますからその間ドラマは止まってしまうことになります.これでは,せっかく盛り上がったドラマに水を刺すことになってしまいます.逆にドラマを重視すると,アリアなんか歌ってる暇はないことになります(ドラマ性をより重視したワーグナー作品にアリアと呼べるものがほとんどないのはその事実を証明しています).

 そこでドニゼッティの時代には,この相反する二つの要求を解決する方法が考え出されました.それは,ヒロインが悲しみのあまり発狂してしまい,狂ったように超絶技巧のアリアを歌うというスタイルです.これなら観客は歌手の技巧を堪能する一方で,発狂してしまったヒロインに共感するというドラマ性も維持することが出来ます.ドニゼッティが活躍した時代には,こういう形式のオペラが多く作られ,こういう作品を狂乱オペラと呼んでいます.ルチアは狂乱オペラの最高傑作といえる作品なのです.

 したがってこのオペラではなんといっても,ヒロインであるルチアを歌う歌手の出来不出来が重要なカギを握ります.有名なわりに上演頻度が高くないのはひとえにルチアを歌うことの難しさがあるからです.作品中,ルチアの歌うアリアは2曲だけですが,どちらも非常に難しく,特に後半のアリアはコロラトゥーラを駆使した極めて技巧的な歌と叙情的な歌がなんと延々20分も続きます.今回の公演でルチアを歌うのはロシア生まれのオルガ・ペレチャッコ=マリオッティさん,プロフィールによるとメトロポリタン歌劇場でベッリーニの歌劇「清教徒」のエルヴィーラを歌った人です(清教徒もヒロインが発狂する狂乱オペラ).2幕のアリアは鬼気迫るというか,凄い迫力で圧倒されました.その他今回の公演では,2幕のルチアの狂乱アリアで通常フルートのソロが奏でる部分をグラスハーモニカで演奏していたのも注目でした.この楽器自体普段目にする機会がなく,ましてや生で音を聴く機会もないんですが,その独特の音は狂気の世界にいるルチアの叫びにもの悲しくこだまするようでした.

Dsc_1412  演出に関してはまだまだ公演は続くのであまりネタバレできませんが,この作品の舞台であるグレートブリテン島北部の荒涼とした色彩が出ていたと思います.終幕で岬の突端で仁王立ちしているライモンド役の妻屋秀和さんが騎士長に見えたとか,1幕後半のスコットランドの民族衣装(キルト)を着たエドガルドが女子高生のコスプレに見えてしまったというのはナイショです(笑).

 この公演,3月26日まであと4回あります.素晴らしい割に上演頻度が少ない作品でもありますからぜひ!

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2017年3月12日 (日)

第20回ひの新選組まつり参加通知

 この週末は仙台での祈りのコンサート等で走り回っていたんですが,その間に自宅のポストに1枚のハガキが届いていました.そう,5月に開催されるひの新選組まつりの参加通知です.

 2006年の第9回からほぼフル参加しているお祭りです(震災で中止になった2011年5月の代替で同年秋にひっそりと開催された第14回除く).当初はコンテストから参加がデフォだったんですが,震災を挟んだ心境の変化に加えて,世代交代が進んでいること,当初一緒に参加していた仲間たちの大半が卒業してしまったことなどからコンテストへの情熱も失われてしまい,近年はパレードのみの参加,特にここ数年は衣装持ち込みの本隊参加と新選組と出会った人々枠での参加が半々程度という感じになっています.

 今年に関して言えば,参加したいという思いは相変わらずなんですが,前日に同窓会が入ることが確定している都合もあり,自前衣裳を持って移動するのは面倒なので,準備の不要な出会った人々枠で申し込んでいました.例年だとこの枠は,当初募集されている役柄とお祭り当日に登場する役柄が違っているなど,そのファジーさも楽しかったりするんですが,今年に関して言えば,希望する役柄に対する思いをアピールする欄が用意するなど,単なるオマケとはいえない感じになっていました.

 ただ自分的には何が何でもこの役を!というほどのものはなかったこともあり,特に希望はなしで申し込んでいました.そんな私に与えられた役は…

Img_2949  高杉晋作 ( ゚Д゚)

Takasugisugata  長州藩,バリバリの倒幕派です.

 南部藩出身,会津・新選組びいきの自分が長州とは… (^^;).たしかに昨年は尊王攘夷派の清河八郎をやりましたが,彼は新選組の前身浪士組の創設者であり東北の庄内藩出身,一方の高杉晋作は生粋の長州藩士です.かつて「新選組 in 長州」なんていうイベントをやって遊んでいた自分が,長州藩の代表的人物になるとは想像もしていませんでしたが,これもなにかの縁,頑張ってみたいと思います(まあ政治色が強い桂小五郎や薩摩の大久保一蔵よりは抵抗が少ないか 笑).参加さらる皆様今年もよろしくお願いします.

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2017年3月11日 (土)

3・11祈りのコンサートに参加しました

 今日3月11日は忘れられない日です.

 6年前のあの日は金曜日,当地は朝から快晴の一日でした.院長も副院長も出張で不在,昼下がりの医局には何となく寛いだ空気がただよっていました.

 そして午後2時46分突然の大きな揺れが,これが東日本大震災の瞬間です.当地は幸い停電にもならなかったので,その後の状況はテレビを通じて伝わってきました.院長&副院長不在の病院では残った幹部職員によって善後策が協議されたのを憶えています.当日は公共交通機関が軒並みストップしたため帰宅できない職員もいて混乱しましたが,同じころ故郷の東北の人達の苦境に比べたら,何も起こってないのと同じでした.

 そんな3月11日に仙台で開催されているのが表題の祈りのコンサートです.震災で亡くなられた方,傷ついた方の魂や心を慰めるのが目的です.演奏曲目はW. A. モーツァルト最晩年に作曲された宗教曲,アヴェ・ヴェルム・コルプス K. 618とレクイエム K. 626,演奏は東北を拠点に活動している合唱団やオーケストラによります.

Img146  現在の運営方式では第4回ですが,実際には震災2年後の2013年から同様の趣旨での演奏会が行われていますので,それを合わせると5回目ということになります.自分は仕事の都合で2014年は参加できませんでしたが,それ以外は毎年参加しています.特に今年は土曜日ということで参加のハードルは低かったです.

 前日の3月10日は出張の当直だったので,朝そこから新幹線を乗り継いで仙台に入りました.リハーサルが終わり,外で昼食を摂り本番に臨みました.

17211798_797578003743389_7193025557 (写真) これはリハーサルのショット(友人提供)

 まずは実行委員長の挨拶に始まり,そして14時46分に黙祷,その後演奏となります.演奏後も拍手はなく,黙祷によって締めとなりました.この演奏会も市民に認知されてきたこと,この日は土曜日ということもあったのか,会場は満員に近いお客さんが入っていました.

 終演後参加者はレセプションとなりますが,自分は次の用事があるため新幹線で東京に向かったのでした.

 追記: 今回の演奏会でバスのソロを歌っていただいたのが,弘前在住の熊木晟二先生,自分が弘前に住んでいた時代にメサイアや市民オペラでお世話になったほか,古くは1986年の東北大混声の定演で奇しくも同じモーツァルトのレクイエムでソロをお願いした先生なのでした.終演後会場でお話しする機会があり嬉しかったです).

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2017年3月 8日 (水)

ラオス旅行記③

 ラオス旅行記その3は2月4日の後半です.

 昼食後,午後の観光に出発です.まずはレストランから徒歩でルアンパバーン旧市街のメイン通りに向かいます.途中の路地には紙漉きをして売っている人がいました(日本の和紙と同様の製法).通りにはあちこちに露駐の車があったんですが,ガイドさんが一台の車を指して,「あれは中国の車ですね」と言いました.見ると青いナンバープレートで漢字が書かれています(ラオスのナンバープレートは一般に白い).実は中国の雲南省あたりとルアンパバーンは意外に近いので,こうして車で観光にやってくる中国人は多いのだそうです.それだけ国境地帯の治安も安定しているということでしょう(これが中国とミャンマーの国境付近なら… ( ゚Д゚)).ちなみに漢字の川は四川省を,云は雲南省を表すのかなと勝手に推測しました.

P2040205 P2040217 (左写真1) 紙漉をしています.(右同2) 漢字が入った中国のナンバー

P2040226 (写真3) サッカリン通り

 そのまま少し歩くとメイン通りに出ます.ここはサッカリン通りというなんだか甘そうなイメージの通りなんですが,このサッカリンは人工甘味料のことではなく,19世紀のルアンパバーン国王の名前に由来しています.この地は19世紀の末から20世紀の中盤までフランス領となっていたために,今でもフランス風の建物が立ちならんでいるのでした.このあたりには地元の小学校や幼稚園が並ぶほか,ラオス王国の元王族のお姫様(ガイドさんはそういっていたが,相当な高齢な方)が住む宮殿(?)もありました.

P2040221 P2040229 (左写真4) 地元の小学校,(右同5) お姫様の館

P2040237 (写真6) シーサワンウォン通り

 お姫様の宮殿の角からメイン通りはシーサワンウォン通りと名前が変わります.名前の由来は1904年に即位したルアンパバーン国王の名で第二次世界大戦やその後のインドシナ戦争といった激動の時代を生きた人物です.シーサワンウォン通りに入ると道の両側に商店やレストラン,カフェが立ち並ぶなど華やかさが増します.夕方以降毎日開催されるナイトマーケットの会場もこのエリアです.

P2040240 (写真7) 王宮の正面

 通りをしばらく歩いていくと,右手に大きな建物が見えてきました.これがかつてルアンパバーン国王の宮殿だったところで,現代は王宮博物館(国立博物館)となっているところです.さっそく見学に向かいます.門から入ってすぐ右手にあるのはパバーン像安置祠という仏像が納められた祠です.祠といっても立派な建物で,壁には金ぴかの装飾が施されているほか,午前中に訪問したワット・シェントーンと同様に反った屋根などラオス風味の建物です.その反対側を見ると,この宮殿の主だったシーサワンウォン王の銅像が立っています.これは旧ソ連から贈られたものだそうで,言われてみると重厚な感じがソ連っぽいです.

P2040241 P2040243 (左写真8) パバーン像安置祠,(右同9) シーサワンウォン王の像

 そしていよいよ宮殿の中に入っていきます.ここでは靴を脱ぎ,荷物はロッカーに預けてからの見学となります.内部は写真撮影も禁止なのでカメラも持ち込めません(スマホ程度はポケットにしまうなどしていればOK).中には国王が公式の謁見を行った部屋や各種儀式が行われる部屋を始め,国王や王妃の寝室や王族が食事を行った食堂,国王の書斎などのプライベート空間などがあります.また王族が使用していた装備品や,諸外国から贈られた宝物なども展示されていました.宮殿そのものが建設されたのは1909年でフランスの保護領だった時期になり,建設に当たってはフランスの援助もあったため,周辺にある寺院とは違いここは西洋風の造りになっています.

P2040246 (写真10) 巨大なニワトリ

 王宮内部の見学の後は,裏手にあるガレージにあるかつて国王が使用した自動車を見学,年代物のリンカーンなど見る人が見れば感動モノの車体が並んでいたんですが,自分が注目したのはそこではなく,向かい側の建物から顔を出していた巨大ニワトリ!,いったいこれは… ガイドさんに聞いてもよくわからないという謎の存在でした.

P2040264 (写真11) ワットマイの本堂内

 王宮博物館の見学の後はその西隣にあるワット・マイへ.ワットとはラオス語で寺,マイは新しいの意ですから,日本語でいえば新寺という意味になります.実際にこのお寺の建立は18世紀末ですから,午前中に見学したワット・シェントーンより200年以上新しいことになります.ここも屋根は基本的にルアンパバーン様式ですが,後代の王が改築を繰り返したためその他の様式も混在しているのだそうです.このお寺は外壁に見事な黄金の浮彫が描かれているのも特徴なんですが,これはラーマーヤナの物語なのだそう.ラーマーヤナは古代インドの叙事詩で,元々ヒンズー教のものですが,東南アジアの仏教圏に広く知られている物語となっています(カンボジアのアンコールワットにもある).本堂の中では,ちょうどこれから出家するらしい若者を囲んで一族(?)の人たちがイベントをやっていました.なお境内には本堂の他に卒塔婆などが並んでいました.

P2040260 P2040263 (左写真12) ワットマイの外観,(右同13) 外壁はラーマーヤナの物語

P2040344 (写真14) ホテルのプールサイド

ワットマイ見学の後は一旦ホテルに戻っての休憩時間です(次は夕方からプーシーの丘で夕日見学).2時間ほどの自由時間だったので,せっかくだからとホテルのプールに繰り出しました.実際旅行の際にプール付きのホテルに宿泊する機会は多いんですが,観光が忙しすぎて(笑)プールを利用する暇がないのが実情です.今回は貴重な機会となりました(気持ちよかったです).

P2040267 (写真15) ワットマイからプーシーの丘の仏塔が見えます

 夕方になり迎えがやってきて出発です.今度の目的は世界遺産ルアンパバーン市内を一望できるプーシーの丘,特にここから眺める夕日が素晴らしいということです.さっき見学した王宮博物館そばのシーサワンウォン通りから階段を上っていくんですが,市内との標高差は150メートルで,なんと会談が328段もあり息が上がります.それでも15分ほどで丘の上に到着,山頂は世界遺産の夕日を見ようという観光客でごった返していました.まさに立錐の余地もないという感じです.3年前に行ったミャンマー・バガンのシュエサンド・パゴダも大混雑だったがここまでではありませんでした(笑).ここからはほぼ360度のパノラマが堪能できます.市街地(自分が宿泊しているホテルも見えた)やメコン川,支流のナムカーン川が一望できました(すさまじい人混みの隙間からなんとか写真を撮った).

P2040272 P2040323 (左写真16) プーシーの丘への階段,(右同17) 山頂はすごい人!

P2040282 P2040317 (左写真18) ナムカーン川,(右同19) メコン川と夕日

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(写真20) ナイトマーケットの始まり

 日没後来た道を戻ります.登りと違って下りは楽で,10分もかからないで下界に到着します.降りてみると,さっきまではただの道路だったシーサワンウォン通りにたくさんの露店が出現しています.これがルアンパバーン名物のナイトマーケットです.もっぱら外国人観光客相手の露店なので,野菜などの食料品や日常雑貨はなく,売ってるのはもっぱらお土産物でした(あとはファストフード的な屋台はある).キーホルダーなどの小物に加えて,織物をよく見かけました(ラオスの名産らしい).道路に整然と露店が並ぶさまを見て,店同士でけんかになったり,場所取りで揉めたりしないのか心配になったんですが,ガイドさんによると,どのスペースに出店すのかあらかじめ決められているとのことだった(たしかにそうでもしないと大変なことになりそう.ナイトマーケット実行委員会とかがあるんだろうか 笑).

P2040348 P2040352 (左写真21) アジア的な熱気です,(右同22) これから開店準備です

 そんなナイトマーケットの散策の後は夕食の時間,この夜のレストランはシーサワンウォン通りよりも一本メコン川側に入った通りにあるソン・パオレストランという郷土料理のお店です.ここは日本人が経営しているらしく,日本語表記のメニューもありました.この日のコースは最初に菜の花スープ(塩味あっさり系で美味しい),その後に各種料理の盛り合わせが登場,昨夜のラープは豚肉でしたがこの日は鶏肉,やっぱりハーブ(というかパクチー)が効いています.その他ラオス風の春巻きや野菜炒めがあったんですが,ひときわ注目をひいたのがご飯です.実はラオスの主食はコメはコメでももち米なのです.昨夜のレストランは普通のうるち米だったんですが,この日はついにもち米が登場,赤米を使っているらしく,ぱっと見は赤飯かと思いました.食べてみると確かにもち米で,ごま塩をかけるとまさにお赤飯という感じでした.

Dsc_1293 Dsc_1295 (左写真23) ラオスの郷土料理,(右同24) ラオスの主食はもち米です

 食事をしていると踊り子さんと楽器の人が登場,ここからはラオスの民族舞踊ショーの時間となりました(この日はお客さんが少なくて貸し切り状態,お店のマスターは「いつもはこんなことはないんですが,今日に限って貸し切りなんですよ~」とおっしゃってました 笑).

P2040356 (写真25) 踊り子さんとの記念撮影

 食事後はホテルに戻ります.明日はルアンパバーン名物,早朝の僧侶の托鉢を見学するため,さっさと寝ることにしたのでした.

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2017年3月 2日 (木)

イスラエルのワイン

 今夜は久しぶりに家でゆっくりしています.

 で,夕食に昨年9月のイスラエル旅行で購入したワインを開けました.

Dsc_1404(写真1) Gamlaワイン

  銘柄はGamlaというゴラン高原にブドウ畑のあるワイナリーです.ゴラン高原はイスラエル北部,ガリラヤ湖の東に広がる高原です.元々はシリア領でしたがこの地に設置した砲台からイスラエル側にしきりに砲撃が繰り返されていたこともあって,第三次中東戦争の際イスラエルが占領しそのまま実効支配を続けている土地です(シリアはもちろん国連もこれをイスラエルによる不法占拠とみなしています).同地には1974年以来国連のPKO部隊が展開しており,1996年から2013年までは日本の自衛隊も参加していました.

P9150398 (写真2) ガリラヤ湖から望むゴラン高原

 そんなゴラン高原は標高が高く,昼夜の寒暖差があってブドウ栽培の適地でもあります(元々ワインの起源がこのあたりだから当然か).イスラエルによる占領後この地でブドウ栽培が本格化し多くのブドウ畑が作られ,そこでできたブドウがワインになっています.

 このGamlaはゴラン高原の有名な銘柄で,イスラエルのスーパーなどでも売られていて,現地ガイドさんのご推薦銘柄でもあり購入したという次第です.以来家のワインセラーに眠っていましたが,飲んでみようということで今日開栓した次第です.美味しかったです(酸味,甘味,渋味のバランスが取れていて素直な感じ).

 ただラベルの表示がほとんどヘブライ語のため,ブドウの品種と製造年以外は何が書かれているのか全く分からないのでした(笑).

Img_2902 (写真3) ヘブライ語表記のため全く読めません(^^;)

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2017年3月 1日 (水)

3月になりました

 この間お正月を迎えたと思ったら,いよいよ3月に突入してしまいました.月日の流れの速さに驚きます.3月といえば春のイメージですが,今日は雨降りでまだまだ寒い当地です.

 そんな3月最初の日は夕方から研究会に参加するため横浜に繰り出しました.パーキンソン病関連の研究会で毎年参加しているものです.

 電車を乗り継いで横浜駅に到着,会場は駅西口にある横浜ベイシェラトンです.会場の入り口で,「そういえば参加費が必要だったな」と思い懐に手をやったんですが,あるべき場所に長財布がありません.あっ!と思ったんですが,別に掏られたわけではなく,実はこの日のお昼に研究会ようにとジャケットを交換したのはいいが,財布を移すのを忘れていたということでした.「しまったなぁ」と思いましたが,幸い小銭入れは持っており,この中にはメインのクレジットカードが入っています.そこで近くのATMに行ってキャッシングをしてお金を作り無事に参加することができました.普段からこういう事態になってもいいように,小銭入れにクレカを入れておいたのが功を奏したというわけです(キャッシングの金利は悔しいですが 笑).ちなみにもしキャッシングもできない状況の場合は受付で知り合いが現れるのを待って借金するしかありませんでした(笑)

 そんなことのあった3月初めでした.

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2017年2月28日 (火)

ラオス旅行記②

 ラオス旅行記その2です.

 一夜明けて2月4日朝を迎えました.私の目を覚ましたのは目覚まし時計でもモーニングコールでもなく… 鶏の鳴き声(笑).いやホント,町中からけたたましく鶏の鳴き声が聞こえてくるんです.途上国の首都なんかだと,町行く車のクラクションで起こされたり,イスラム世界だとアザーン(朝の祈りの時間を告げる放送)で起こされた経験はあるんですが,鶏の集団に起こされたのは初めてです.

P2040107 (写真1) 霧が立ち込める早朝のルアンパバーン

 窓から外を見渡すと一面の曇り空,ただし朝方霧がかかっているものの次第に晴れてくるのが乾季のルアンパバーンの気候の特徴なんだそうです.身支度を整えてから朝食会場へ,卵料理付きのビュッフェスタイル(いわゆるイングリッシュブレックファスト)でしたが,麺料理のコーナーやご飯も蒸してあるなどラオス風の朝食もいただけます.フランスの影響が強かった国でもあるのでパンもバラエティが豊富です.朝からボリュームたっぷりな食事でした.

P2040110 P2050409 (左写真2) 朝食のパンも充実,(右同3) 卵料理のコーナー

 朝食後8時半にロビーへ,すでに待っていたガイドさんと車に乗りこみ観光に出発です.まずはルアンパバーン郊外にあるタート・クアンシーの滝に向かいます.実は当初の予定ではこの日は終日市内観光,翌日が郊外観光だったんですが,ガイドさんがこの日程だと2日目が非常にタイトになるからということで,初日の午前中に滝に行くことにしたのです(結果的に大正解).車はルアンパバーン市内から南東方向に向かいます.少しすると周辺はラオスの田舎といった風景に変わっていきます.ローカルな雰囲気の中を30分ほどで滝のある自然公園の駐車場に到着しました.周辺にはお土産物屋が立ち並んでいる他,規模の大きなトイレもあるんですが,用を足したのはいいけど手洗い場がなかなか見つからなくて焦りました(入り口の反対側にあった).

P2040003 (写真4) 公園の案内図

 ここからはよく整備された遊歩道を登ってきます.ここはルアンパバーン近郊でも有名な観光地らしく,多くの人で賑わっていました(ただし観光客のほとんどが外国人でラオス人の姿はまれ).少い歩いて最初に姿を現したのがクマ牧場(笑),実はラオスは日本でもおなじみのツキノワグマの生息地なのです.ただ密猟や環境破壊から絶滅の危機にあり,この公園で保護が図られているとのことでした.

(写真5) だるそうに寝てる熊

 P2040130フェンスに囲まれたエリアにはざっと見10頭くらいのツキノワグマがいましたが,基本的に彼らの活動時間は涼しい朝夕に限られるので,気温が上がり始める今時分はだるそうに寝ている個体ばかりでした.

P2040017写真6) なんかシュールな画像

 熊の柵の周囲には世界のクマを紹介するコーナーがあって,そこにはシロクマやヒグマ,ナマケグマやマレーグマ,さらにはジャイアントパンダの像が展示されていましたが(なかなかシュールな感じ),このゆる~い雰囲気はかつて秋田県鹿角市にあった八幡平クマ牧場を思い出しました.

P2040021 (写真7) ブルーの天然プール

 熊牧場の散策後さらに歩いていくと,一面ブルーの天然プールが現れます.ここは滝の下流にあたる場所で,水浴することも可能なところです.今回我々は水浴はしませんでしたが,欧米系の観光客は結構泳ぐそうです(我々のすぐ後にやってきた欧米人が泳ぐ準備をしていた).ちなみにここの水が青いのはこの辺の地質が石灰華(トラバーチン)と呼ばれる炭酸カルシウムを主成分とするものだからだそうです(中国の九塞溝と同じ).

P2040025 (写真8) ドクターフィッシュもいます

 プールを散策していたらガイドさんが,「ここには面白い魚がいるよ」と水に手を浸しました.すると茶色い小さな魚が集まってきて皮膚を盛んに突っついています.そう,これがガラ・ルファという名の鯉の仲間の淡水魚です.人間の角質を食べるとともに皮膚に適度な刺激を与えることで神経を活性化するとのことで,ドクターフィッシュの別名もある魚です(日本でも水族館などで飼育されている).彼らが角質を食べるのは,別にそれが好物だからではなく,生育環境が過酷なためヒトの角質でも食べないと生きていけないからです.そんなドクターフィッシュも生息している公園なのでした.

P2040047 (写真9) 棚田のような光景

 そこからさらに川を遡っていくと,棚田のような光景や,日本でもおなじみの水車があったりとなんとなく懐かしい景色が観られました.そうしてしばらく歩いて目の前に大きな滝が姿を現しました.これがここの目的地クアンシーの滝です.説明によると落差は50m,直瀑ではなく,数段に渡って落ちてくるタイプの滝です(日本で言えば茨城の袋田の滝か).ここでしばし休憩します.実はここからさらに滝の上部に登っていく遊歩道があるらしいんですが,こう配がきついのと今日は時間がないので断念しました(実際この公園は泳げるし,一日がかりで遊びに来てもいい感じ).この滝ではタイ,ラオスと個人旅行しているという高齢の日本人男性と遭遇,私たちのガイドが日本語が話せるとのことで,当地のゴルフ場事情を尋ねていました(笑).

P2040065 (写真10) クアンシーの滝

 しばし写真を撮ったりして寛いだ後,駐車場に戻ります.来た道を引き返すのかと思ったらそうではなく,今度は舗装された快適な道でした(一方通行ではないが,川沿いの遊歩道とちょっと離れた舗装道があるらしい).15分ほどで駐車場に戻り再びトイレを使って車に乗り込んだのでした.

 この後はルアンパバーン市内に戻っての観光です.対向車線にはこれからクアンシーの滝に向かう車がたくさんやってきます.ガイドさんによると昼頃からこの滝は非常に混雑するので,帰りは渋滞になることもあるとか,今回我々は比較的人の少ない午前中に観光することができたわけです.

 約40分ほどで市内へ,まず向かったのはプーシー市場,主に地元の人たちが利用する市場です.近年はラオスでも首都のビエンチェンなどでは現代風のショッピングモールもあるようですが,地方では昔ながらの市場が普通です.野菜や肉,米といった食料品から雑貨品までが,所狭しと並んでいました(スマートホンの店もあった).商店はほとんどが簡単なシートで覆われただけのところが多いんですが,一部2階建てになっている部分がありました.ガイドさんによるとこの2階部分は金製品売り場なので行く人は少ないそうなんですが,それよりも注目はここにエスカレーターがあったこと.なんでもルアンパバーン初のエスカレーターなんだとか.

P2040103 P2040114 (左写真11) カラフルな野菜が並びます,(右同12) アジア的な市場です

P2040097 (写真13) 壊れているエスカレーター しか~し,できてまもなく壊れてしまい,用をなしていないとのことでした.それ以前にこの街の高齢者にはエスカレーターは不評で(乗った直後と降りる直前がダメらしい),修理されなくても苦情はこないとのことだった.

P2040132 (写真14) もち米の煎餅

 市場を後にして次に向かうのは世界遺産ルアンパバーンを代表する寺院,ワット・シェントーンです.ラオスは共産主義国家でありながら,敬虔な仏教徒が多いところです.歴史的には今のラオスの原型といえる,14世紀半ばのラーンサーン王国建国後にスリランカから上座部仏教がもたらされたとされていますが,それ以前に唐朝時代の中国からの大乗仏教が進行された時代もあるとされています.古都ルアンパバーンには数多くの寺院がありますが,その中でも最も歴史が古いのがこのワット・シェントーンでその建立は16世紀半ばとされています.場所はメコン川とナムカーン川の合流部,ちょうど土地が半島のように突き出ている部分の先端です(この寺院からだと両方の川が見える).寺院の近くで車を降りて白い門から中に入ります.入り口付近にはなにやらお煎餅のようなものを売っている人がいましたが,白い普通の煎餅かと思って見たら,もち米の煎餅でした!

P2040159_2 (写真15) キングギドラみたいです(笑)

 ワット・シェントーンには本堂の他,たくさんの建築物があります.まず入り口入ってすぐ右手にあるのが霊柩車庫,ここには1960年に行われたラオス国王サワーン・ワッタナーの葬儀の際に使われた霊柩車が保存されています.たくさんの黄金の龍の背中に棺(というか巨大な壺)が乗った霊柩車は非常に壮麗な感じでした.またここにはたくさんの仏像や壁画も残されており,往時のラオス王朝の威光を忍ばせてくれました.

P2040192 (写真16) 本堂背面のモザイク画

 続いて向かうのが本堂,ここはお寺の中心部ともいうべき場所です.まずはその外観を観察,湾曲した屋根が三重にかさなった,いわゆるルアンパバーン様式といわれる特徴的な屋根です.その湾曲具合が見事で,ラオスでもっとも美しいといわれています.本堂背面の外壁にはマイトーン(黄金の木の意)と呼ばれる巨大な木と様々な動物などがモザイクで描かれています.これは仏教の物語を描いてあるのだそうです.

P2040143 (写真17) 三重の独特の屋根

 本堂の中には巨大な仏像が鎮座していました.体は金色ですが,ミャンマーの大仏のような白塗りの顔ではなく,斜め下から見上げたその姿は,なんとなく奈良の大仏を彷彿させました.大仏周囲には小さな仏像も並んでいるんですが,見ると一体の仏像の上に龍をイメージした樋が走っています.これはラオスのお正月に仏像に水をかけるための仕掛けとのことでした(毎年四月中旬に行われるラオスのお正月=ビーマイ・ラーオの水かけ祭りは有名).

P2040183 (写真18) 本堂の大仏

 一方で本堂の南西部には赤堂(レッドチャペル)と呼ばれる小さな堂があります.ここには16世紀の王セーターティラーによって搬入された寝仏があるのだそうです(我々が訪問した時は鍵がかかって中は見られなかった).その他ミャンマーでよく見かけたパゴダの小型版のようなものもたくさん見かけました.

P2040214 (写真19) ルアンパバーンを代表するフランス料理店エレファント

 ワット・シェントーンの見学を終えると大体12時20分,ちょうど昼食タイムである.この日はルアンパバーンでもっとも有名らしいフランス料理店「エレファント」に行きました.地元の人や観光客に人気の店らしく,ディナーだとなかなか予約が取れないらしいです.この日は前菜&メイン&デザートのチョイスメニュー,自分は前菜にかぼちゃのスープ,メインはポーク,デザートはアイスクリームを選択,飲み物はこの日もラオスビールをいただきました.

P2040212 P2040213 (左写真20) メインのポーク,(右同21) デザートのアイス

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2017年2月23日 (木)

ヘンデルの誕生日

 立春が過ぎて,寒さと温かさが入れ代わり立ち代わりしている感じの当地です.

Img_0  今日2月23日はバロック時代を代表する作曲家,G. F. ヘンデルの誕生日です.1685年の2月23日にヘンデルは今のドイツの東部にあるハレという町で生まれました.彼の父はわが子に法律を学ばせようと大学に入れましたが,ヘンデル自身は法律よりも音楽に興味があったようで,父の反対を押し切って音楽の道に進むことになります(彼と同年生まれの大作曲家J. S. バッハが音楽一家だったのと対照的です).

 まずは1703年に北ドイツのハンブルグにあるオペラ劇場の奏者となりました.ここでオペラの作曲も始めています.1706年から1710年にかけて音楽修業のためにイタリアに行き,ローマ,ナポリなどを遊学しています.この時当時イタリアで著名だった,A.スカルラッティの薫陶を受けたそうです.

 1710年に帰国したヘンデルは北ドイツにあるハノーヴァー選帝侯の宮廷楽長に招聘されました.ちなみに選帝侯とは,神聖ローマ皇帝位の選挙権を持つ有力な諸侯のことです.25歳でこんな重要な宮廷の楽長になったのですから,大出世といえます.しかし彼は就任して間もなくロンドンに渡りました.そしてこの地で新作のオペラを発表したのですが,これがウケて大いに気を良くしたようです.

 1711年にいったんハノーヴァーに戻りましたが,ロンドンでの成功の記憶が忘れられなかったのか,なんと宮廷楽長に在職のまま再びロンドンに渡り,以後二度とドイツに戻ることはなかったのです.言ってみれば仕事を放り投げて外国に逃げてしまったようなものです.雇い主のハノーヴァー選帝侯はどんな気分だったのでしょう.

 しかし事実は小説よりも奇なりと申しますか,その後すごいことになるのです ( ゚Д゚).

 1714年イギリス国王アンが急死し,17世紀以来のスチュアート朝が断絶してしまいます.イギリス議会では各地にいる,スチュアート家の親戚筋から新国王を探すことになったのですが(18世紀当時のイギリスではすでに国の主権は議会に移っており,国王は君臨すれども統治せずの存在になっていた),そこで白羽の矢がたったのが,なんとかつてヘンデルが捨て去った(笑)ハノーヴァー選帝侯その人でした.実は選帝侯ゲオルグはスチュアート家の血を引く人物だったのです.こうして選帝侯ゲオルグが新イギリス国王ジョージ1世としてイギリスにやってくることになったのです(ドイツ語のゲオルグが英語ではジョージになります).この時に過去のいきさつから新国王と非常に気まずい雰囲気になったヘンデルが,国王と和解するために作ったのが有名な水上の音楽と言われていますが,これは事実ではないようです.

 いずれにせよヘンデルはその生涯の大部分をイギリスで過ごし,1727年には正式にイギリスに帰化しました(名前もドイツ式のゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデルからイギリス式のジョージ・フレデリック・ハンデルになります).1759年4月14日に亡くなり,その遺体はウエストミンスター寺院に埋葬されています.

 生前のヘンデルはオペラ作曲家として知られていましたが,その後彼のオペラは忘れ去られてしまい,メサイアなどのオラトリオ作品や協奏曲などが代表作とされるようになりました.しかし近年になり再び彼のオペラにも光が当てられるようになり,実際に上演される機会も増えています(今年のNHKニューイヤーオペラコンサートでもBCJによるヘンデルのオペラの一部が演奏されたのが記憶に新しい).

 そんなヘンデルのオペラ作品でもっとも有名なものが,歌劇「クセルクセス」でしょう.クセルクセスとは古代のペルシャ戦争期のペルシャ王です.この作品の冒頭に登場するクセルクセスによるアリアが非常に有名な「Ombra mai fù(オンブラマイフ)」です.この曲は一般にソプラノによって歌われる作品ですが,実は役柄であるクセルクセスは男性です.男性のアリアをどうしてソプラノが?と思いますが,これは「アリアは華やかでなければならない」という当時の風潮に原因があります.より高音の方が華やかだということで,当時は少年期に去勢することによって,成人してからも変声期前の声質で歌える男性歌手がたくさんいたのです(こういった歌手をカストラートといい,男性並みのスタミナとパワーで女性の声で歌うという現代では再現できない歌手だったとされています).このアリアを歌うクセルクセスもカストラートの役柄だったわけです.

 日本でこの曲が有名になったのは,なんといっても1980年代に放送されたキャスリーン・バトルが歌うニッカウィスキーのCMでしょう.故・実相寺昭雄の映像とともに歴史に残るCMじゃないかと思います(この時代,酒のCMにクラシックというのがたくさんあったと思います).

 ちなみに2月23日は日本の皇太子殿下の誕生日でもあります.なので順当に行くと,いずれこの日は祝日になることが予想されます.2月下旬の祝日があってもいいなと単純に思ったのでした.

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2017年2月22日 (水)

北に行ってきました

 先週金曜日,2月17日には春一番が吹いて一気に春の気配を感じた当地です.気が付けば来週は早いものでもう3月に入るわけです.

 そんな2月下旬の週初めは所要で仙台方面に繰り出していました.やっぱり関東とは違って寒いなと感じました(小雪も舞っていたし 笑).

Img_2897  で,せっかく仙台まで来たのだからと,合唱団の練習に参加するために盛岡に移動しました.小雪が舞う程度だった仙台とは違って盛岡は根雪になっていました ( ゚Д゚).

 練習後は夜行バスで戻るわけですが,ちょっと時間があったために駅前の盛楼閣へ.焼肉と冷麺(あとはワインも)で英気を養ったのでした.

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