2020年11月30日 (月)

小笠原旅行記⑤ ~大村散策編~

 旅行以来二か月以上かかってしまいましたが,小笠原旅行記最終編です.

Dsc_1163 (写真1)ちょっとお酒が欲しくなる朝食

 9月17日いよいよ父島を去る日がやってきました.この日はフェリーが出発する午後3時まで完全フリー,ツアー参加の予定もないので朝食はやや遅めに設定しました.内容は和食ですが一昨日とは趣が異なるメニューになっていました(お刺身があるなど,ちょっとお酒が欲しくなる感じ 笑).

 食事後はホテルの前の扇浦海岸を散策します.砂浜のあちこちにカニの穴がありました(昼間なのでカニの姿はなし).また偶然打ち上げられたっぽいイカの姿も・・.海岸の最北部には大戦中に造られたトーチカの遺構がありました(銃眼と思しき穴から覗くと壺のような人工物も).実際にこの地に上陸戦が行われることはありませんでしたが,やはり最前線の島という認識だったことがわかります.

Dsc_1170 Dsc_1168 Dsc_1166 Dsc_1165 (左上写真2)海岸北端にトーチカが見えます,(右上同3)銃眼が,(左下同4)内部の様子,(右下同5)打ち上げられたイカ

 海岸散策の後は再び部屋で寛ぎ,10時前にチェックアウトします.不要な荷物はフェリー出発時に埠頭に届けてくれるとのことなので,貴重品以外はすべて預けることにしました.その後ホテルの車に乗って市街地まで送ってもらいます.どこでもOKとのことだったので,大村地区南東部の小笠原海洋センターにお願いしました.

Dsc_1177 (写真同6)浜辺に咲いているヒルガオ

 海洋センターは小笠原諸島の海洋生物の研究・保護を行っているところで,特にウミガメが充実している施設です.時間があればぜひ行きたいと思っていました.予備知識がないと水族館みたいな大きな施設をイメージしますが,入り口から見るとかなりこじんまりした施設に感じます.ただ中に入るとウミガメの水槽がたくさんあってかなり広い施設でした(生まれた時期別に水槽で飼育されている).時間帯によってはウミガメ教室も開催され,ウミガメを抱いて記念写真なんているオプションもあるようです(他の観光客がやっていた).

Dsc_1180 Dsc_1207 Dsc_1202 Dsc_1192 (左上写真7)小笠原海洋センター,(右上同8)ウミガメの水槽がたくさんあります,(左下同9)アカウミガメ,(右下同10)こちらは幼体

 海洋センターを後にして大村の中心部に向かいます.目の前に停泊しているおがさわら丸が見えるんですが,ぐるっと港を回り込んでいかなければならないのが辛いところです.その二見港の最北部にある奥村運動場のそばには平和の鐘がありました(大戦で亡くなった方への慰霊の鐘でしょう).またその少し西にはとびうお日時計と呼ばれるモニュメントがあります.時間がわかるかなと思ってみたんですが,ちょうど空が曇っていてよくわかりませんでした(笑).

Dsc_1214 Dsc_1216 (左写真11)平和の鐘,(右同12)日時計

Dsc_1219 (写真13)小笠原村診療所

 その後は父島唯一の医療機関である診療所の外観を見学して,水産センターに向かいました.ここは小笠原の水産業の支援,研究等を行う施設ですが,小さな水族館が併設されていて無料で見学することができます.ここの見学を終えたところでちょうど12時すぎ,大村の中心部に入ります.ランチにしようと向かったのは初日の散策で気になっていた中華料理屋「海遊」さんです.同じことを考えている観光客が多いらしく,少し待ちましたが後は出航を待つばかりなので問題はありません.名物のタンメンをいただきました.結構あっさりした感じで美味しかったです(餃子とビールもセット).

Dsc_1230 Dsc_1228 (左写真14)大村の中華料理屋「海遊」,(右同15)名物タンメン

 ランチ後はフェリーターミナルに移動,さっさと乗船受付を済ませてホテルから荷物の到着を待ちます.外に出てみたら雨がけっこう勢いよく降ってきました.熱帯地域のスコールの趣です.思えば今回の旅行で初めて遭遇した雨でした(日頃の行いが良いので観光中は雨なんか降るはずないと確信している 笑).

Dsc_1231 (写真16)ターミナル受付

 降ったとはいえ,そこは熱帯のスコール,短時間で止み徐々に日差しが出てきました.雨が止むのを待っていたかのようにホテルの車が到着,荷物を受け取る我々です.その後は乗船の時間,最初に乗船できるのが特等室の特権,他の乗客をしり目に乗り込むのはちょっとセレブな気分です(笑).部屋は往路と同じ701号室でした.

Img_6671 Img_6687 (左写真17)桟橋でのお見送り、(右同18)クルーズ船の方々のお見送り

 出港の時間が近づいたのでデッキに出てみると桟橋で大勢の方々(島民の方や引き続き滞在する観光客ら)が手を振っています.我々が宿泊したホテルホライズンの従業員の方やオガツアーの小笠原さんの姿もありました.そして15時に出港,おがさわら丸は桟橋を離れていきます.すると周辺では島のクルーズ船観光の方々の船がたくさん並走しています.これが父島名物のお見送り,けっこう感動する瞬間です.思えば今年はコロナ禍で海外旅行が封印されたことから決まった小笠原旅行でした.休日の関係等で父島のみの滞在でしたが,次は母島も行ってみたいなと思ったのでした.そうこうしているうちに船は二見港を出て外海に出ていました.

 帰路は往路よりも少しは揺れがあったものの,気になる程度ではなく快適な航海となりました(ちなみにこの1週間後の復路が台風12号の影響で大荒れだったもよう).翌9月18日午後3時に東京竹芝桟橋に到着,そのまま帰宅の途についたのでした.

| | コメント (0)

2020年11月28日 (土)

オペラ2つ

 11月下旬に入り,新型コロナウイルス感染症の再拡大が言われるようになっています.世間では第3波などともいわれ,地域によっては飲食店の時短営業要請なども出ているようです.春の緊急事態宣言当時を彷彿させますが,あの時と今とで大きく状況が異なるのがコンサートなどの劇場の様子です.春は劇場そのものが閉鎖になり,コンサートでのイベントも基本的にすべて中止となっていましたが,今回は(もちろん感染対策に留意しつつ)劇場は開いていてコンサートも行われています.これはマスクをして静かに鑑賞し観客は声を出さないクラシックコンサートと,マスクなしで大人数で行う会食とでは感染リスクに大きな差があることが理解されてきた点が大きいのだろうと思います.コンサート,とりわけオペラ大好き人間の私にとってはありがたいことです.

Img044  先週末から今週にかけて2つの舞台を鑑賞してきました.ひとつは新国立劇場の「アルマゲドンの夢」,これはH.G.ウエルズのSF(創元SF文庫版の邦訳では「世界最終戦争の夢」)を原作とし,現在イギリスを拠点に活動している作曲家藤倉大によるオペラです.今回世界初演の舞台で,私が見に行ったのは11月21日(土)の回です.SFが原作というのは珍しいので楽しみにしていました.

 舞台は現実である電車の車内の場面と,夢(あるいは未来?)の場面が交互に現れ展開していきます.そのテーマは全体主義の台頭と社会不安,戦争というもので,まだ第1次世界大戦すら始まってない1901年にまるで未来を見ていたかのような作品を書いたウエルズの先見の明は凄いです.

Dsc_1361  リディア・シュタイナーによる演出は映像を多用した21世紀的なもの.特に独裁者や全体主義者たちの姿を映像で表現するのは,彼らがプロパガンダの手段として利用するテレビや映画といったメディアを表すのだろうと思いました.

 キャストについては,今コロナ下で海外から歌手を招聘しにくい時代なのですが,今回は当初予定キャストを全員集めたとのことで,劇場側のこの公演にかける思いの強さを感じました(入国後2週間の待機が必要なのでその分早く来日させたとのこと).強い印象を受けた舞台でした.

Img045  もう一つは東京二期会の「メリー・ウィドウ」,こちらはレハールによって作曲されたオペレッタの名作です.東京二期会では過去に何度も上演されてきた演目ですが,今回は新進の演出家眞鍋卓嗣による新演出でした.観劇したのは11月25日(水)の回です.オリジナルの言語はドイツ語ですが,今回は歌部分も含めすべて日本語訳での上演でした(ジングシュピールやオペレッタの場合,セリフ部分のみ日本語というのはよくあるが全部日本語は珍しいかも).

Img046  幕が開いて歌が始まると,なんか既視感があります.実は日本語訳がかつて弘前大学時代に参加した市民オペラでの同作品の日本語訳と同じだったのです(3幕のマキシムの場面に,オッフェンバックの天国と地獄のカンカンを挿入するパターンまで一緒でした).元々好きな作品でしたが,懐かしさも加わって感動的でした.先のアルマゲドンの夢とはまったく異なる,肩の凝らない作品ということもあり,リラックスできた舞台でした(写真は市民オペラに参加した際のもの,控室かな?).

| | コメント (0)

2020年11月26日 (木)

エールとプリンプリン物語

Rectangle_large_type_2_f82f9ce5af297a41c  朝ドラ「エール」が本日事実上の最終回を迎えました(明日はドラマパートなしのコンサートとのこと)。

 朝ドラは主人公の一代記的なストーリーとなることが多いので,最終回はその晩年の姿が描かれます.今回と同様,実在の人物をモデルとし,男性が主人公だった2014年下半期の「マッサン」の最終回も,妻エリーの死を看取ってその後の最晩年の姿が描かれました.今回の「エール」も実在の人物がモデルで,同じように夫婦の強い絆が柱になっている作品でした.「マッサン」同様配偶者が先に亡くなっているという史実があるため,こちらも同じような晩年が描かれるのかなと思っていました.

 しかし,今作では妻音の死ははっきりとは描かれず,若返った二人が海に向かって走り,はしゃぐというこれまでオープニングで描かれた風景が再び登場し終わる形でした.またパートの前半では故・志村けんさんが演じた小山田耕三が死の直前に書いた手紙が届けられるという話でした.

 で,この事実上の最終回を観終わった時,人形劇「プリンプリン物語」の最終回を思い出してしまいました.

Purinpurin_01  プリンプリン物語は昭和54年4月から57年3月まで放送された人形劇です.作品的にエールとの共通性はないのですが,ただその最終回が探し求めていたプリンプリンの母親からの手紙が届けられ,そこに書かれていた通り,プリンプリンとその仲間は海に向かい旅立つという形で締めくくられており,「意外な人物から届けられた手紙」と「海に向かって終わる」という2点が私の中でシンクロしたものと思われます.

 こういう感想を抱いた人,他にもいるのでしょうか(笑).

| | コメント (0)

2020年11月24日 (火)

越前がに

 海外旅行が封印されてしまった2020年ですが,9月に小笠原旅行に行き,その後は時々週末を利用した小旅行に出ています.この三連休もどこかに行きたいなと思っていました.

 が,世間はコロナの第三派ということで,特にこの三連休は「人との接触を避けるように」と言っていた医師会の先生もいます.そこでなるべく人とは接しないところに行こうということで向かった先は福井県の南越前町,同地域の冬の味覚”越前がに”を食べさせてくれる,水仙旅館さんです.

Img_6848

(写真1)水仙旅館さん

 東京から越前地方に向かう場合は北陸新幹線金沢回りと東海道新幹線米原回りでほぼ一緒なんですが,小田原から行く場合は断然米原回りになります(東京を通らないのでさらに人と接しない).今回は敦賀からレンタカーを使いました.

 水仙旅館さんは宿泊は1日1組限定とのことで広々と利用させていただきました.夕食はもちろん越前がにのコースです.まずは茹でがにが登場です.

Img_6834 Img_6835

(左写真2)茹でた越前がに,(右同3)黄色いタグが越前がにの証です

 この甲羅の黒いブツブツが輸入モノにはない趣です.身がぷりぷりして絶品でした.2人で1杯かなと思ってたんですが,一人1杯でした(喜).かにの解体→味わいの間はひたすら沈黙していたのは当然です(笑).

Dsc_1376 (写真4)茹でがには1人1杯です

 その後,焼きがにやかにグラタンが登場,焼いたズワイガニは茹でとは違う濃厚な甘みが出るのが特徴です.レモンも添えられていましたが,何もつけずに食べるのが一番だなと思いました.お食事のお供はもちろんお酒🍶です.この日は福井県の地酒をいただきました(料理としては他にお刺身ともずく酢).

Img_6840 Img_6842 (左写真5)濃厚な焼きガニ,(右同6)かにグラタン

 本当ならこの次にカニすきが登場するのですが,歳を重ね胃袋が縮小している我々にとって,すでにお腹が満たされてきている状態でカニすきが来ても幸せは感じられないと確信し,かにすきは明日の朝に回してもらうことに(宿の人によると,我々のような世代の客はほぼ全員そうすると・・ 笑).結局この日は炭水化物なしの夕食でした.

 そして一夜明けた朝食に,満を持してカニすきが登場,最後は雑炊で締めて,2日間に渡った越前ガニのコースを満喫したのでした(レンタカー利用のため,朝のカニすきのときにお酒を飲めなかったのが唯一残念 笑).

Img_6846 Dsc_1377 (左写真7)宿から見える日本海,(右同8)かにすき

 こうして越前ガニを満喫し,旅館を後にしたのでした.本当にごちそうさまでした.

| | コメント (0)

2020年11月23日 (月)

創作民話 比叡山の笛吹き男

むかし比叡山の道路はカーブが多い峠道で、夜な夜な暴走族が大量に現れ、我が物顔で走り回っていた。
この暴走族の爆音には、延暦寺のお坊様たちもほとほと困り果て、頭を抱えておったそうな。

ある日、都から奇妙ないでたちの男が寺にやって来た。
男は、「わしに報酬をくれるのなら暴走族を退治してやるぞ」といった。
お坊様たちは暴走族には困り果てていたので、男に報酬を約束した。

Pied_piper

男は懐から一本の笛を取り出し、それを吹きながら延暦寺の外に出ていった。
すると、男の笛の音に引き寄せられるかのように、暴走族がどこからともなく現れ、男の後に付いて山を下って行った。
男はそのまま琵琶湖に行ったため、暴走族は一人残らず湖に落ちて消えてしまったそうな。

こうして比叡山は静けさを取り戻した。男は約束の報酬を払うようお坊様たちに求めた。
ところが延暦寺のお坊様たちは、支払いの段になって急に惜しくなり、あれやこれや理由を付けて支払いを拒んだ。
男は、「仏に仕えるものがそんなインチキをするとは、必ず天罰が当たるだろう」と捨て台詞を残して去っていった。

9a1b0975f4f118913b07de9d906d29d1

一年後、都からたくさんの軍勢が比叡山にやって来た。
その軍勢を率いていたのは、なんとあの奇妙ないでたちの男だった。
男の合図で比叡山には火がかけられ、延暦寺は廃墟となり、お坊様たちもみな殺されてしまった。

その男の名は織田信長といったそうな。

Odanobunaga

(了)

 

| | コメント (0)

2020年11月19日 (木)

陰性証明

 本日ネットのニュースで拾った記事です.

 「陰性」証明書持ってたのに、空港検査で「陽性」…インドネシアから関空到着の17人

 インドネシアのジャカルタから関空への直行便に搭乗していた乗客17人が,日本入国時の検査で新型コロナウイルス陽性と判定されたというものです.この17人はジャカルタで飛行機に登場する前に現地で検査を受けており,いずれも陰性だったということから,表題の「陰性証明書持ってたのに」(どうして? という意図でしょう)になったものと思われます.

 すでに様々なところで様々な方が指摘しているように,コロナのPCR検査あるいは抗原検査で陰性だったというのは,あくまでもその時点でウイルスが検出できなかったという意味にすぎません.「検査時には感染していなかったがその後感染した」あるいは「検査時にすでに感染していたものの,ウイルス量が少なく検出できなかった」可能性は常にあり,今回のニュースは特に驚くようなことではありません.このニュースもそうですが,こうした搭乗前に行われて陰性だったという証明書をメディアでは「陰性証明」と呼んでいますが,先述のように厳密にその後の陰性を証明するものではありませんから,行政機関ではこれを「検査証明」と呼んでいます.そもそも抗原検査やPCR検査は「感染している」ことを証明するのが目的の検査なので,「感染していない」ことの証明には不適当です.

 最近では某温泉地で旅館等の従業員に検査を課して安心を演出しようとする自治体や,航空券と抗原検査をセットにした安心を謳う商品を売り出す航空会社などもあります.正直こうした流れは人の不安に付け込んだアコギな商売だなとしか思えません.

 感染症の世界では例えば麻疹や風疹,B型肝炎であれば,血液中の抗体価を測定することにより,基準値以上なら将来的な感染のリスクは極めて低いということは言えますが,新型コロナに関してはまだその手の抗体検査は確立していません.ともかく不確かな情報には踊らされない知識が必要だと感じます。

| | コメント (0)

2020年11月18日 (水)

福井県

 先月の今頃「都道府県魅力度ランキング」の話題を出しました.この時下から4番目にランキングされたのが福井県です.福井県民の方には申し訳ないのですが,たしかに北海道生まれ・東北出身・関東在住の人間にとっては地味な印象の県です.理由としては北陸地方としては超メジャーな街金沢を抱える石川県の隣ということがあるんだと思います(反対隣の富山県はどうなんだという声が聞こえそうですが,学生時代に富山出身の友人が複数いたのと,当時金沢にドライブに行く際必然的に富山を通過するため結構印象には残る).ちなみに自分は47都道府県すべてに行ったことがありますが,その中でもっともご無沙汰な県の第2位が福井県です(最終訪問2009年4月,1位は愛媛県で2009年1月).

 そんな福井県,地味なイメージとは裏腹に観光地としては東尋坊や永平寺,食としては越前ガニなど魅力は十分あるので,県としての魅力がないわけではなく,魅力的な観光地や食が福井県だと知られていないのが正解だろうと思われます.今年は大河ドラマ「麒麟がくる」でも福井県も舞台のひとつとなっており,その魅力が再発見されることを願っています.

 で,福井県の冬の味覚越前ガニ漁が解禁されたこともあり,11年ぶりに福井県に行ってみようと考えています.どこを観光しようかと地図を眺めていたところ思ったことが…

 福井県ってビラ星人に似てないか?

Birafukui Bira

 ビラ星人はウルトラセブンに登場したウチワエビに似た宇宙人なんですが,その形状がなんか福井県に似ています.福井県を構成する越前地方(嶺北)がビラ星人の頭部分で,若狭地方(嶺南)が胴体と足部分に見えるのでした.

| | コメント (0)

2020年11月17日 (火)

小笠原旅行記④ ~ハートロック編~

 だいぶ空いてしまいましたが,小笠原旅行記第4回ハートロック編です.

Dsc_1029 (写真1)この日の朝食は洋食

 小笠原の海を堪能した翌日,9月16日は父島を陸から観光する一日です.旅行になると体内時計が早まるのか早起きになる我々です.身支度をして朝食会場へ,この日は洋食でした(ワンプレートにパン,サラダ,ヨーグルト,スープ等すべてがこじんまりと乗っている).昨日に引き続き昼食用のお弁当を受け取ります.この日はトレッキングということで,食べやすいようにおにぎり弁当になりました(ウチのKは納豆巻が出てきたらどうしようと恐れおののいていた 笑).

Dsc_1030 (写真2)小港海岸そばの公園

 8時40分に一昨日のナイトツアーでお世話になったオガツアーの小笠原さんがロビーに迎えに来てくれました(ナイトツアーのときに,「明後日はうちの社員がお迎えに上がります」と言ってたんですが,オガツアーには小笠原さん以外の社員はいない模様 笑).車に乗り込んで一昨日最後に寄った小港海岸の駐車場に向かいます.ここでこの日ともに参加するほかの参加者と合流します.比較的若いご夫婦でしたが,小港海岸傍に建つホテル「くつろぎの宿 てつや」に宿泊とのことでした.こじんまりとして秘境感満天のホテルのようで,今度はそっちに泊まってみたいねなどと話していました.

Dsc_1032neo (写真3)この日の行程

 全員集合し駐車場近くの東屋にてこの日のツアー概要の確認です.小港海岸からハートロック(のてっぺんの断崖)まで往復10キロ,かなり暑いので水分は多めに摂取すること等の説明がありました(アップダウンのあるトレッキングということで中世城郭の山歩きのイメージか).その後準備体操をして,さあ出発です.

 まずは川沿いの小道を進み,そこから遊歩道に曲がります.遊歩道の入り口には足回りを洗う設備があります.これは自然公園内に外部の種子などを持ち込ませないためのものです.またそれと一緒に登山者届ならぬ,登山届ストーンボックスがありました.こちらは目的地別に登山者の身分別(島民、ガイド、旅行者、行政関係等)に決められた色の石を入れるシステムです.我々は旅行者の色である白い石を「ちひろ岩」(ハートロックの正式名)のボックスに入れました.

Dsc_1034 Dsc_1037 (左写真4)足洗い場,(右同5)登山届石ボックス

 ここからは徐々に登り道となります.ガイドさんによると,この前半の行程が結構キツイとのこと.なのでゆっくりと周囲の植物などを観察しながら歩いていきます.小笠原は動植物両面で固有種が多いことで有名ですが,一方で外来種による脅威にさらされています.この日も固有種とともに外来種の姿も多く見られました.

Dsc_1069 Dsc_1046 (左写真6)マルハチ(ヘゴ科),(右同7)テリハハマボウ

 約1時間ほどでわらび谷に出ました.その名の通りわらびが一面に生い茂っているところです(もちろん成長しきっているので食べられない 笑).

Dsc_1071 Dsc_1075 (左写真8)わらび谷,(右同9)展望の良いスポット

 そこからさらに登っていきます.途中タコノキの根が露出しているところがあったので中に入ってみるのはお約束です.また付近の枯れ木には白いキノコの姿が… 実はこれ一昨日のナイトツアーで見た光るキノコ(グリーンペペ)です.この登山道は湿気があるためこの時期良く生えているのだとか.ただし夜間にこの登山道に来るのは非常に危険なので,ここで実際に光る姿を見ることは困難です.

Dsc_1085 Dsc_1092 (左写真10)タコノキの根,(右同11)昼間のグリーンペペ

 そうこうしているうちに衝立山に到着,ここが全行程の最高地点になります.とはいえ木々に囲まれているため展望は全くありません(💦).ここからはひたすら森の中を進んでいくことに.ちなみに父島は大戦中日本軍によって要塞化されていました.このため,特に山の上など高いところにはその遺構が残っています.退避壕と思われる洞穴や通信基地だった建物、トラックの残骸などがありました.

Dsc_1104 Dsc_1105 Dsc_1142 Dsc_1121 (左上写真12)衝立山,(右上同13)旧日本軍の通信施設内部,(左下同14)トラックの残骸,(右下同15)タイヤ

 で,この辺りからウチのKの疲労度がハンパないようでちょっと具合悪そう・・.果たしてゴールまで行けるのか不安になってきました.結局ガイドさんと相談した結果,この先のハートロックが見える展望所まで行き,そこで休んでいることになりました(置き去りにして自分だけ先に進むのは気が引けたので私も残留 笑).

Dsc_1110 Dsc_1112 (左写真16)展望所からの景色,(右同17)断崖に人がいます

 展望所はちょうど森の切れ目で,ハートロックの断崖(の上部)や海がきれいに見えるスポットです.本ルートはここから急な下りとなり,そのまま岩の上に至ります(話では片道15分くらいらしい).ここでガイドさんと同行のご夫婦と別れて我々は休憩・待機となります.これまでの炎天下の登山でシャツがびしょびしょ💦,脱いで絞ったら水が滴りました(そのまま日向に干して置いた).断崖の方を見たら別れた一行が歩いているのが見えます.手を振ったら向こうも気づいたようで振り返してくれました.

Dsc_1114 (写真18)おにぎり弁当

 少し休んでいるうちにKの体調も回復してきたのでそのままお弁当タイムとなりました(Kが怖れていた納豆巻ではなかった 笑).だいたい1時間ちょっとでハートロックに行っていた人たちが戻り,彼らの休息を経て下山します.帰路は一部往路とは違うコースを戻ります.途中ガジュマルの森と呼ばれるところ(かつて人が住んでいたらしい)では木に登るなどして遊びました(その他帰路はひたすら下山するだけなので,ガイドさんがいろんな話を振ってきて会話に花が咲きました).小港海岸の駐車場に戻ってきたのは15時過ぎ,そのままガイドさんに送られてホテルに戻ってきたのでした.

Dsc_1129 Dsc_1139 (左写真19)ガジュマルの森にて,(右同20)木に登ったK

 途中で脱落したとはいえ,この日のトレッキングは結構ハードだったので,部屋に入った後はシャワーを浴びて夕食時までまったりしていました.

Dsc_1154 (写真21)ワインをいただきます

 夕方になり父島で最後の夕食のためにレストランへ.この日は平成6年に今の上皇・上皇后陛下の小笠原行啓でこのホテルに滞在された際に提供されたコース(アニバーサリーメニュー)でした.ワインも一緒にいただいたのは言うまでもありません.    Dsc_11461 Dsc_1149 Dsc_1151 Dsc_1155 Dsc_1158 Dsc_1159

(左上写真22)ソデイカとブリのマリネ,(中上同23)パンプキンスープ,(右上同24)グリーンサラダ,(左下同25)メカジキのソテー,(中下同26)牛フィレ肉の照り焼き,(右下同27)パッションフルーツ 

 こうして父島最後の夜は更けていきました.

| | コメント (0)

2020年11月15日 (日)

坂本龍馬暗殺

Imagehtml_20201116093601 (写真1)龍馬殉難の現場

 今日は11月15日です.新暦と旧暦の違いはありますが,今から153年前の1867年(慶応3年)11月15日に,京都河原町の近江屋に滞在中だった土佐藩の坂本龍馬が同郷の中岡慎太郎ともに何者かの襲撃を受け,龍馬は即死、中岡も二日後に死亡しました.犯人は佐々木只三郎ら京都見廻組といわれていますが異説も多く,本能寺の変などと並ぶ日本史の謎のひとつです.

P1010098 (写真2)桂浜に立つ龍馬の銅像

 もっとも生前の彼はそれほど世間に知られた存在ではなかったそうです.明治になって新政府内で薩摩・長州の藩閥が幅をきかせるなか,土佐出身者達が自分達の立場を強くするために龍馬の業績をことさらに持ち上げ,彼を英雄に仕立てていったという側面があると思われます.特に日露戦争時に当時の皇后の夢枕に立ったという話は龍馬の名を広めるのに大いに役立ったようです.そして第二次世界大戦後,司馬遼太郎の「竜馬がゆく」によって一役幕末の著名人の仲間入りをし,その人気は不動のものとなりました.現在では幕末期を代表する英雄として知られ,また日本人が好む歴史上の人物では常に上位にランクされる存在になっています.

 龍馬を生んだ土佐(高知)では文字通り郷土の英雄であり,同地の空港が「高知龍馬空港」と命名されているほか,太平洋に臨む桂浜には巨大な龍馬の銅像が大海原の遥か彼方を見つめるように立っています.

 そんな坂本龍馬の記念日に,昔撮った扮装写真を思い出したのでした.

Tachi Suwari (写真)今に残る坂本龍馬の写真を再現してみました(10年以上前の作品です)

| | コメント (0)

2020年11月14日 (土)

足利義詮の墓

 時々出張で静岡県沼津市に行っています.以前は電車利用でしたが,今年の春以降は感染リスクの軽減のため自家用車を利用するようにしています.国道1号線(小田原から箱根峠までは箱根新道)経由で行くんですが,途中三島市内の東海道本線のこ線橋を越えたあたりでカーナビに気になるスポットがありました.

Img_6782  足利義詮の墓です.

 足利義詮は室町幕府を立てた足利尊氏の嫡男で,第2代将軍となった人物です.室町幕府の最盛期を築いた3代将軍足利義満の父でもあります.日本史的には超メジャーな人物とはいえませんが,それでも征夷大将軍であり,そんな人物の墓がどうしてここにあるのか不思議です.興味がありつつも,いつもここを通過するのは夕方か早朝だったため立ち寄る機会がなかったんですが,今日は帰りが土曜日の午前中だったため寄ってみることにしました.

Img_6777 Img_6780  国道1号線からわき道に入り少し行ったところにある宝鏡院にそれはあります.案内板によるとこの宝鏡院を建立したのが足利義詮なのだそうです.彼が亡くなった地は定説では京都だとされていますが,建立のいきさつからここにも墓所があるものと思われました.

Img_6778 Img_6779  墓所には堀越公方足利政知も眠っています.堀越公方というのは,室町幕府の体制で主に関東地方を将軍に変わって治める人物で,本来は鎌倉公方と呼ばれていたものの,関東の政争の中で政知は鎌倉に入ることができなかったため,伊豆の堀越を拠点としたためそう呼ばれたものです.

 久しぶりに歴史関連の散策となりました.

| | コメント (0)

«11月11日