2020年3月19日 (木)

ストレスチェック

P3170016  2015年12月から労働安全衛生法による健康診断に職業性ストレスチェック(いわゆるストレスチェック)が義務付けられました.私の職場でももちろん行われています.アンケートみたいなものに答えて提出するんですが,先日その結果が届きました.

 封を切って中から結果用紙を取り出します.

 あなたは高ストレスとは判定されませんでした

 はい,わかってます。予想通りの結果でした😃.

P3170017 P3170018  まあ,でもこれは高ストレスではない(低ストレスならあるかもしれない)とも読み取れます.別なチェック方法だった2年前には「あなたにはストレスが無いようです」と身もふたもない感じでしたから.昔からストレスに対する閾値はかなり高い方だという自覚はあるので,普通の人ならイライラしそうな場面でも案外ケロッとしていたりはします.

 ストレスチェックではストレスの原因因子やストレスに対する身体反応など個別のポイントもチェックされますが,こちらも全項目問題なしでした(特にイライラ感はミニマムで自分らしいと思った).

P3170020 P3170019  毎年思うのですが,ストレスがないと判定されるのが一番ストレスなのかもしれません(笑).

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2020年3月17日 (火)

ワインセラーが…

 ワイン好きの我が家です.買ってきたり貰ったりしたワインを保存しておくため,2012年にワインセラーを購入しました.

Waise1 Waise2  上室と下室の2段構造になっていて,上室は15℃程度,下室は10~12℃に設定できます.温度的に上室が赤ワイン用,下室が白ワイン用で,それぞれ8本,10本合計18本入れておくことができます.冷却方法はサーモモジュール方式なので振動もなく良い状態で保存できるアイテムでした(空いている時には日本酒も入れている).

 そんなワインセラーの上室が壊れました💦

 先日ふと見たら,上室の温度計が25℃を指しています.ドアを開けて手を入れてみると… 

 温いです😵

P3170014 (写真)左が下室の温度

 その前日までは大丈夫だったので,一晩のうちにおかしくなったものと思われます.慌てて上室のワインを下室の空いたところ,および一部を冷蔵庫に避難させ,その後順次飲んで減らしています(取り合えず下室に納まるくらいに減った).

 このまま片肺運用していくのか,思い切って買い替えるのか悩むところなのでした.

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2020年3月15日 (日)

インパールへの道

 太平洋戦争後半の1944年(昭和19年)3月に,日本が当時占領していたビルマ(現ミャンマー)からインド東部にあるイギリス軍の拠点インパールを占領しようと開始したのがインパール作戦(ウ号作戦)です.作戦構想自体は壮大なものでしたが,補給を無視した杜撰な作戦は大失敗に終わり,参加した3個師団の参戦兵力の半分以上が戦死戦病死する惨憺たる敗北に終わりました.このことから史上最悪の作戦と呼ばれ,インパールという名前そのものが杜撰な作戦の代名詞にもなっています.

 そんな作戦の地であるインパール,戦史好きの自分にとっても行けるものなら行ってみたい地です.しかし,ミャンマーとインドの国境地帯は民族紛争なんかがあって治安が悪く,少なくとも陸路で国境を越える旅は不可能だろうと思っていました.

 し,しかし

 なんと!陸路インパールを目指すツアーがあるらしいのです.

 陸路で行く ミャンマーからインパール、コヒマへの道11日間

 SNS上で出ていたんですが,これは風の旅行社という主としてペルーやモンゴル,ネパールといった山岳国への旅行を得意とする会社です.以前ペルーに行く時にここも候補に入れたことがあるので覚えています.まさか,こんな企画を立てていたとは…

 こんなご時世ですが,参加できるものなら参加したいなと思って日程を見ると…

 2020年3月6日出発

 もう出発日を過ぎています.はたして催行されたのだろうか… そうでなくても来年また企画されるなら参加したいなと思ったのでした.

 奇しくも今日3月15日はインパール作戦において,側面から同地を攻撃するために第15師団(祭兵団)と第31師団(烈兵団)が作戦行動を起こし,国境であるチンドウィン河を渡り始めた日です.

Img_6283

 図はインパール作戦時の各師団作戦行動図に今回のツアーの日程を重ね合わせてみました(高木俊朗著 インパールより引用改変).当時の兵団がどうしてもたどり着けなかったインパールまで矢印が伸びでいるのが感動的です.

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2020年3月13日 (金)

久々の外食

 新型コロナウイルス感染の流行に伴う自粛ムードの中,出歩く機会の激減しているビザンチン皇帝です(震災直後を思い出します).各地で予定されていた学術講演会や地方会などが軒並み中止となり,さらには趣味の活動もあらかた休止になってしまい,ほぼ職場と自宅を往復する毎日にです.

 コロナ禍によって経済にも悪影響が出てきています.というわけで経済を回すためと気分転換も兼ねて,3月13日は市内の天ぷら屋さんに繰り出しました.

Img_6272  入ったのは箱根板橋駅近くの「天幸」さん,過去何度かお邪魔したことがあります.お昼は丼ものや定食がメインですが,夜はお任せのコース料理,マスターが目の前で次々と揚げてくださいます.お酒もいただくのは常識(笑)です.まずは冷酒をちびちびやりながらお刺身をいただきます.

 その後天ぷらが登場,この日はエビ,フキノトウから入ってきました.

Img_6273Img_6274 Img_6275 Img_6276 Es_dvoovaaafl0a Es_dvru0aefgr_ Img_6277 Img_6278  その後はキスやレンコン,カニ,ナスなど.写真に揚げた以外にも何種類かいただきました(夢中で写真撮るのを忘れた).〆は天バラでした.大満足の週末でした.

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2020年3月 5日 (木)

新型コロナウイルスの波紋

 さて,世間では新型コロナウイルスの話題で持ちきりです.年明け早々に中国の武漢で流行が確認され,その後各地に広まっています.日本でも1月15日に最初の症例が報告され,今月に入ってからは横浜港に停留していたクルーズ船内の感染で連日メディアを賑わせています.

 コロナウイルスはこれまで6種類が知られていました.そのうち4種はいわゆる風邪ウイルスで,ライノウイルスなどとともに風の原因になるウイルスのひとつです.残り2種が2002年に出たSARSウイルスと2012年に発見されたMERSウイルスで,共に重症肺炎を引き起こすと話題になったものです.今回の新型コロナウイルスも肺炎を起こしやすいと言われており,これまでに報告された死亡例も基本的に肺炎によるもののようです.

 感染に対する不安からマスクが品薄になるなど,社会生活にも影響が出てきています.特に厚生労働省が新型コロナウイルス感染症対策の基本指針を出し,安倍総理大臣が大規模イベント等ん自粛要請を出した2月26日からは各種のイベントが中止あるいは延期になっています.

 自分関係では医師会合唱団と東京21合唱団両方の練習が休止になってしまいました(合唱というのは密閉された空間で声を出すので呼吸器系の感染症にとっては厳しい環境💦).そのほか,2月28日に鑑賞予定だった新国立劇場のオペラ研修所の終了公演「フィガロの結婚」が直前で中止,3月18日に鑑賞予定の新国立の「コジ・ファン・トゥッテ」も3月2日時点で中止が確定してしまいました.

 こうした社会不安が発生するとデマが流れるのは震災の時も経験した通りです.今回もトイレットペーパーやティッシュなどの衛生用品の買い占め騒動が起こっています(徐々に終息に向かいつつあるようですが).こうした行動を見るにつけ,人間は進歩しないのか…と悲しくなるのでした.

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2020年2月29日 (土)

ロッシーニの誕生日

 今日はほぼ4年に一度の2月29日です.ほぼというのは,うるう年は西暦で4で割り切れる年に設定されるのが原則なんですが,一方で100で割り切れる年には設定しないことになっているためです(ただし400で割り切れる年には設定されます.このため西暦2000年はうるう年でした).

 4年に1回しかないとはいえ,この日に生まれる人もいるわけですから当然誕生日が2月29日という人が存在します.子供の頃は2月29日生まれの人は4年に1回しか年を取らないのか,などと無邪気に思っていましたが,法的には3月1日として処理するようです.

 そんな2月29日生まれの有名人として作曲家のG. ロッシーニがいます(1792年2月29日生まれ).歌劇「セビリアの理髪師」,「チェネレントラ(シンデレラ)」,「ウイリアム・テル」などの作曲家として有名な人物です.彼はイタリア出身でしたがヨーロッパ各地で活躍し,その作品は当時各国で大人気を博していました.それがために同時代の作曲家の妬みも買ったようで,あのベートーベンも友人にそのような愚痴をこぼしていたようです.

 ロッシーニは76年の生涯の中で,作曲家として活躍していたのは前半生のみで,37才時に「ウイリアム・テル」を作曲すると,以後はオペラ作曲の筆を折り,残りの40年はほぼ食っちゃ寝の生活をしていたという羨ましい人生を送っています.尤もまったく作曲をしなかったわけではなく,私的にはいくつかの作品は遺しています(私も好きな小ミサ・ソレムニスは彼の晩年の作品です).

 ロッシーニといえば作曲が早かったことでも知られています.オペラの作曲というと時間がかかって大変そうというイメージは,後のヴェルディやワーグナー以降の話で,ロッシーニの時代にはウケるオペラをいかに早く書くかが大事だったそうです(今でいえば流行作家でしょうか).あの名作「セビリアの理髪師」ですらロッシーニはわずか3週間で書き上げています.ただ,上には上がいるもので,ある人がそのことを同時代の作曲家ドニゼッティ(「ランンメルモールのルチア」や「愛の妙薬」で有名な作曲家)に言ったところ,「そりゃそうさ,それだけ彼は怠け者だってことだ」と答えたそうです(ドニゼッティもまた,筆が早い作曲家でした.そのためオーケストレーションが結構陳腐で,後にワーグナーに大きなギターと揶揄されています).

Img_6256_20200315180601 Img_6257_20200315180601 (左)若い頃のロッシーニ,(右)晩年.食べすぎでしょうね(笑)

 結局1868年に滞在中のパリで亡くなりましたが,死因は大腸がんといわれています.今残されている彼の肖像画を見ると,恰幅がよく今風に言えばメタ ボリックシンドロームのようです(高血圧や高脂血症もありそう).食生活と大腸がんは関連があるといわれており,彼の場合もそうだった可能性はあるでしょう.ちなみに後半生のロッシーニはグルメに生き,レストラン経営等もやってたそうですが,彼の名を冠した料理として「○○のロッシーニ風」というのがあります.これはメイン素材にフォアグラとトリュフを付け合わせたもので,牛フィレ肉のロッシーニ風がとくに有名です.

 新型コロナの影響で2020年のこの日は合唱団の練習が休止となってしまいました.さらには毎年3月11日に仙台で開催される祈りのコンサートも本日中止が決定,明日3月1日はそのリハーサルがあるので仙台に行くはずだったのですが,中止となったので駅に新幹線切符の払い戻しに行ってきました(本来発券済みの切符の払い戻しには手数料がかかるんですが,新型コロナの自粛による払い戻しに関してはJRは無手数料で応じるとのことです).

Img_6258_20200315180601 (写真)残念ながらロッシーニ風ではありません

 で,駅で切符の払い戻しをしたついでに久しぶりの外食とばかりに駅前の銀座ライオンでロッシーニの誕生日祝いをしてきました😃

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2020年2月25日 (火)

東北大学混声合唱団創立60周年記念特別演奏会

Img034  さて,世間では新型コロナウイルスの話題が飛び交い,マスクが品薄になっているなどという報道も見られます.2月22~24日は三連休で,中日の23日は令和最初の天皇誕生日だったんですが,恒例の一般参賀も中止になってしまいました(宮内庁発表では諸般の事情に鑑みとしか触れていませんが,コロナ関係であることは間違いないでしょう).

 そんな23日は仙台に出かけてきました.目的は表題の「東北大学混声合唱団創立60周年記念特別演奏会」(なんて長い名前 笑)を聴くためです.

 長い学生時代を過ごした私ですが,その前半を過ごしたのが仙台で,その時代に所属していたのがこの東北大学混声合唱団です.ここに所属していたインパクトはすさまじく,今に至る自分の趣味の多くの部分がここで形成されたと言っても過言でないほどです.それこそ熱心に活動していたわけですが,私に続く後輩たちも連綿と活動を続けてくれています.

 昨年12月には第60回の記念定期演奏会が行われ,聴きに行ってきたわけですが(その時同期の仲間との懇親もありました 参考記事),今回のステージは主に同窓会が主催して主にOB・OG(卒団性)が出演するステージです.1年半ほど前から準備が進められていました.私も誘われていたんですが,いろいろと忙しく練習に顔を出す余裕がないため諦めて聴く側に回った次第です.

Img_6245  今回の演目は第1ステージが前年度の学生指揮者による合唱ゆかりの曲,第2ステージと第3ステージが常任指揮者の佐々木正利先生の指揮で2ステがフォーレのレクイエム,3ステが佐藤真のカンタータ土の歌です.フォーレは合唱団の定演で何度も取り上げた曲で卒団性からのリクエストが多かった作品です.カンタータ土の歌は終曲に「大地讃頌」という中学校の超有名合唱曲が終曲に入っている作品です.2017年には現役が定演で取り上げ,さらにはニューヨークのカーネギーホールで抜粋演奏をしています.卒団性にとっては垂涎のイベントで,私も自分が現役だったらなぁ~と嘆きつつ,OBとしてしっかり賛助金をお支払いしました(OBというのは金だけ出して口は出さないというのが自分のポリシー).2,3ステはオケ版でオケは仙台フィルハーモニー管弦楽団です(自分が現役の頃は宮城フィルで毎年定演でお世話になっていた).

 今回ステージに乗ったのは100人以上,自分が現役の頃を彷彿させました.3つのステージはどれも素晴らしく,昔取った杵柄じゃないですが,そんなに多くなかっただろう練習回数でよくこれだけまとまったな,さすがは同窓生と感動したのでした(自分の同期にいつも辛口な女子がいて彼女も今回参加していたんですが,そんな彼女が「今回の演奏はイイ!」と言ってたのでいいに違いないとは確信していました).

 終演後は交流会もあったんですがそっちはパスして駅前のオイスターバーへ.この前厚岸で食べてきたばかりだろう!というツッコミがありそうですが,私本当に牡蠣が好きなんです♪

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 そんな耳と舌が感動した天皇誕生日でした.

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2020年2月18日 (火)

歌劇「セビリアの理髪師」

Img033  最近北海道旅行の記事が続いていましたが,もちろんそれ以外の活動もしています(笑).先週火曜日,建国記念日の祝日だった2月11日に新国立劇場で行われている,歌劇「セビリアの理髪師」公演に行ってきました.

 1980年代以降のロッシーニルネサンスによって,再評価がなされたロッシーニですが,なんといっても代表作がこの「セビリアの理髪師」であることは変わりません.私もとても好きな作品で,特に学生時代はポネル演出,アバド指揮ミラノスカラ座による演奏(伯爵:ルイジ・アルヴァ,ロジーナ:テレサ・ベルガンサ,フィガロ:ヘルマン・プライ)に大ハマりしたものです.

 就職して経済的に余裕ができ,さらに時間的にも融通が利くようになった2000年代以降は劇場での生鑑賞も可能となりいくつかの公演を見る機会がありました.特に新国立劇場は2,3年おきに上演してくれるのでありがたいです.

 で,そんな新国立のセビリアですが,ケップリンガーによる演出は2005年が初出であり,その後2006年,2007年,2012年,2016年と再演されていて今回は通算6回目ということになります.何度も見てる演出なんですが,注目は前回2016年から試みられている,2幕のクライマックスでの伯爵のアリアです.

 こアリアは,バルトロたちに自分がアルマヴィーヴァ伯爵であることを明かし,逆らうのをやめろと宣言する場面の歌です.長大なコロラトゥーラの超絶技巧を要求される難アリアで,初演の歌手だったマヌエル・ガルシアの力量を前提に作曲されたといわれています.ただ裏を返すと最高クラスの歌手でないと歌いこなせないということでもあり,このアリアは初演からほどなくカットされて歌われることが無くなってしまいました(もっとも,出演する歌手に合わせてアリアなどを改変するのはこの時代では至って普通のことでした).

Img_6236  その習慣が20世紀に至るまで続き,一般の公演でこのアリアも演奏されることもありませんでしたが,近年は徐々に歌われることが出てきたようです.そして2016年の公演で伯爵役だったマキシム・ミノロフがついにこの曲を披露したのです.これが素晴らしくて,機会があればまた聴きたいなと思ってたんですが,今回伯爵を歌うルネ・バルベラもまたこのアリアを歌うとのことで楽しみにしていたのでした.

 やっぱり素晴らしかったです.2幕の例の伯爵のアリアももちろん良かったですが,ロジーナ役の脇園彩さんが良かったです(ロジーナを当たり役にしているようです).

 

動画は劇場公式のものです.

 マチネの公演だったので終演後はレストランでゆったりと食事です.メインは絶対ロッシーニ風だろうと思ってたんですが,熟成リブロースのビステッカでした.

Img_6227 Img_6232 Img_6230 Img_6234(この日料理 前菜除く)

 食事を含めてのオペラ公演が我が家のパターンです.

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2020年2月15日 (土)

コンキリエ

 根室の夜が明け,2月4日の朝を迎えました.冬の北海道旅行最終日です.窓の外を見ると昨夜以来の雪は上がり青空が広がっています.準備をした後レストランで朝食を食べ,チェックアウト時間まで部屋でまったりしていました(笑).

 10時にチェックアウト,レンタカーはすでに手放しているので,ここからは公共交通機関を利用しての移動になります.根室駅までは徒歩で向かいました.ホテルを出て周囲を見渡すと一面の銀世界,太陽が反射してまぶしいことこの上ありません.これが雪国の風景だよなぁと懐かしくなったのでした.10分ほどで根室駅に到着,過去根室には何度も来ているんですが,汽車(電車ではない)を利用するのは学生時代以来,ここ根室駅も30年ぶりくらい、平屋の駅舎は昔からこうだったかなぁと感慨深くなりました.

Img_2270_20200308215601 Img_2268(左写真1)根室駅,(右同2)根室本線終点の碑

 根室駅は道東地区では珍しい駅員の配置されている駅です.まずは窓口で切符を購入,根室-釧路片道で2860円でした.発車までまだ時間があるので,駅の隣にある観光案内所内にある土産物屋さんを覗きます.地元のお酒やアクセサリーに加え,終戦後の昭和20年8月18日占守島に侵攻してきたソ連軍を迎え撃ち善戦敢闘した戦車第11連隊(いわゆる士魂部隊)に関する書籍も購入しました.

 そうこうしているうちに11時近くになったため駅に戻ることに.改札が始まりホームに出ると,釧路行きの1両編成のディーゼルカーが停まっています.この日の乗客は10人程度でしたが見るからに観光客っぽい人ばかりでした.定刻に汽車は出発,数分で東根室駅に到着です.根室本線の終点は根室駅ですが,最も東に位置する駅はこの東根室駅なのです(ちょうど線路がぐるっと市街地を回り込んでくる感じなので).

Img_2278_20200308215601 Img_6207(左写真3)1両編成の汽車,(右同4)東根室駅の最東端駅の碑

Img_6208(写真5)花咲線の車窓

 東根室駅を過ぎるとあっという間に市街地は無くなり,周辺は原野と森だけになります.人工物は全くなく,どうしてこんなところに鉄道が走っているんだろうと不思議な気分になるほど最果て感があります.ちなみに根室本線の釧路-根室間は花咲線の愛称がついています.この辺で有名な花咲ガニにちなんだ名称で,実際漁港付近に花咲駅もあったんですが,残念ながら廃駅になっています.エゾジカの密集エリアとしても有名で,時々鹿と汽車の接触事故が起こっています.

Img_6211(写真6)浜中駅にて

 原野地帯を進んでいくと,途中数少ない市街地がある浜中駅に到着,ここはルパン三世の作者の故・モンキーパンチさんの故郷です.ホーム上にはルパンのパネルがありました.浜中駅を出るとすぐにまた原野と森地帯が始まります.この花咲線,ひたすら周辺が原野と森で変わらない風景が延々と続くという,他では味わえない風情があります(シベリア鉄道とかこれが日単位で続くんだろうな).

 浜中を過ぎてまた同じような景色が続きますが,やがて左手に湖が見えてきました.ここが厚岸湖で,まもなく厚岸駅に到着します.ここで途中下車するんですが,理由は近くにある味覚ターミナルコンキリエで牡蠣を食べるため.厚岸といえば牡蠣が有名です.せっかく道東に行くんだから食べたいなぁと思っていたわけです.しかもどうせ食べるならお酒も欲しい(笑).というわけで根室でレンタカーを手放して汽車で来たのはこのためだったのです.

Img_2282(写真7)味覚ターミナルコンキリエ

 ここには普通のレストランと炭焼きスタイル,オイスターバーの3か所の飲食店がありますが今回は行ったのはオイスターバーです.入ってさっそく生牡蠣を注文,お酒はというと最近とみに名が知られつつある厚岸ウイスキーの4種飲み比べです.それぞれ味わいが異なって良かったです(牡蠣とウイスキーは相性がいいと実感).その他いろいろといただきました.

Img_6214 Img_6215 Img_6216 Img_6219 (左上写真8)生牡蠣とウイスキー,(右上同9)アヒージョ,(左下同10)エゾシカのロースト,(右下同11)パスタ

 食事後は駅に戻り,次の汽車に乗って釧路へ,その後バスで空港に向かい,夕方の便で羽田に戻りました.こうして今年の自分の冬休み,しばれフェスティバル&道東の旅4泊5日はお終いです.

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2020年2月13日 (木)

野付半島と納沙布岬

 温泉ホテルでの夜が明け,2月3日の朝を迎えました.この日は節分です.

 特に急ぐ理由もないのでゆったりと朝食(朝食もブッフェでまたまた品数も豪華!)を摂り温泉に浸かって過ごしました.10時にチェックアウトして出発です.この日の目的地は北海道最東の根室,網走には出ずホテルからそのまま内陸を東進して斜里に出ます.そこから国道244号に入って知床半島の付け根を横断する形で太平洋側に抜けました(夏なら知床半島西岸を北上してウトロから知床横断道路というコースもあり).標津町で太平洋に出て海沿いに南下,そのまま海沿いに走って野付半島に入ります.

 野付半島は日本最大規模の砂嘴であり,全長30キロ近くある半島です.トドワラ,ナラワラといった最果て感漂う立木枯れの風景が人気のスポットでもあります.夏はもちろんですが冬でもそこそこ観光客の姿が見られるのでした(冬にはスノーシューを着用して半島先端を歩くツアーもあるみたいですが,今回はパス).もっともトドワラは近年倒木が進みかなり数が減ってしまったとのことですが…

Img_6167 Img_6181(左写真1)野付半島はるか向こうにトドワラがあります,(右同2)ナラワラとエゾジカの群れ

Img_6157(写真3)道端のエゾジカ

 周辺は野生動物も多く生息しており,特にエゾジカは普通に道端を歩いているのが目撃されました.あとここには幕末の万延元年(1860年)から慶応四年(1868年)まで幕府の命により北方警備のためにこの地に派遣されていた会津藩士の顕彰碑と藩士のお墓があります(半島を縦断する道路の真ん中付近にある).極寒のこの地での冬はかなり厳しかったと思われます(当時ロシアの南下に備えて幕府は東北地方の諸藩に命じて蝦夷地の警備を行わせていた).

Img_62112 Img_62152(左写真4)会津藩士の顕彰碑、(右同5)お墓

 野付半島の見学を終えて再び太平洋岸を南下,やがて別海町に入ります(ここは人間の数の7倍牛の数がいるところ).この辺りは周辺みな牧場で,「〇△牧場」という看板をたくさん見かけます.そのまま南下していくと左手に風連湖が見え,いよいよ根室市内です.厚床から国道44号線に左折して市内中心部に向かいます.

 市街地はとりあえず無視してそのままさらに東へ,目的地は本土最東端の納沙布岬,過去には学生時代を含めて何度か来たことがあります(最終訪問は2008年11月).同じ北海道東部でも網走やウトロなどオホーツク海側は流氷などもあって冬でも観光客が多いんですが,ここ根室は空港からも遠いので閑散としていました(土産物屋もすべて閉まっていた).来客も我々の他は仕事で来たっぽい男性グループのみでした.

Img_6194 Img_62192(左写真6)納沙布岬(記念写真),(右同7)荒涼としています

 寒いので早々に立ち去って市内に戻ります.次はヤマト運輸の配送センターへ.しばれフェスで使った荷物一式をスーツケースごとすべて家に発送するためです.この頃から雪が降り始めました.最東端の日没は早く,5時にはもう真っ暗です.ナビに従って進むのですが,市街地を抜けて何もない地帯に.こんなところに本当に配送センターがあるのかと不安になりましたが,ちゃんと存在しました.ここで荷物を発送,身軽になった後は市内のトヨタレンタカーで車を返し,この日宿泊のホテルに入りました.結局夕食はホテルそばにある回転ずし花まるへ,日本酒とお寿司を堪能しましたとさ.

Img_6205 Img_62262 (左写真8)花まる本店,(右同9)お寿司

 

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