2018年9月17日 (月)

ボリビア&チリ旅行記⑥

 ボリビア&チリ旅行記,いよいよ宝石の道編の始まりです.

 サン・ペドロ・デ・ケメスでの一夜を過ごし,目が覚めたのは午前5時だった.

 が、寒い!( ゚Д゚)

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(写真1) サン・ペドロ・デ・ケメスの夜明け

 一応暖房も入っているはずなのだが、まったく周囲の寒さにかき消されているようだった.ベッドから出るのは困難で,まさに布団の中以外に居場所がない状態だ(笑).仕方ないのでそのまましばらくじっとしながら外の様子をうかがう.やがて周囲が明るくなってきた.7時になり,そろそろ朝食に向かう時間ということで,どうにか起き上がり.窓までいってカーテンを開けると,朝日がとても綺麗だった.

 身支度をして(というか,ほぼ着の身着のままだが 笑)朝食会場に向かう.朝食は昨夕と同じレストランである(窓が大きくてたくさんある.日光をたくさん取り入れようという構造らしい).辺境地区ということもあり,内容はいたってシンプルだが,温かい目玉焼きとお茶があるのは嬉しい.

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(左写真2) レストラン,(右同3) シンプルな朝食

 朝食後チェックアウトの手続きをしていたら,フロントの人が「今日は寒いよ」と言っていた.「そ、そうなのか… 昨日も十分寒かったが」と恐れおののく自分である.

 8時にホテルを出発,一路南下していく.しばらく周辺は荒涼としたアルティプラーノの大地が広がっている.高地帯であるために背の高い木はなく,茂みのような草の塊があちこちに点在する風景が続く.途中何度かビクーニャの群れを目撃した.

P6130207_2 (写真4) 奇岩地帯

 しばらく進むと,奇岩が立ち並ぶ地帯に到着,さっそく下車して写真撮影タイムである.まるで人工的に彫られたかのような奇岩が立ち並んでいる.昔行ったギアナ高地のロライマ山の山頂もそうなのだが,年中強風にさらされる地域でよくみられる景色である(ここアンデス高地帯もお昼ごろから毎日西寄りの強風が吹き荒れる).

 こうした奇岩地帯が過ぎると,周辺は一気にまっ平らな場所に変わった.ここはチグアナ塩湖といい,それなりの規模を誇る塩湖である.が,塩湖とはいってもウユニ塩湖のような真っ白な大地ではなく,焦げ茶色の平原である(常に風が吹くため周囲の土が恒常的に降り注ぐためらしい).とはいえ,日本では絶対にお目にかかれないだろう大平原の景色は素晴らしい.周辺には山もあり雲がかかっているところもあるのだが,それにしても雲が低い.さすがは標高4000メートル付近だと感動するのだった.

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(左写真5) チグアナ塩湖,(右同6) 思わず万歳

 30分以上走ってようやくチグアナ塩湖を抜け,やや太めの道路(もちろん未舗装)に合流する.そのまま進んでいくとしばらくして,建物がたくさん立ち並ぶところにやってきた.こんなところに村なんかあったのか?と思っていたら,どうやらここはオヤグエ(Ollague)と呼ばれるチリとの国境ポイントとのこと.ガイドさんの話によると今夜以降天候の悪化が予想されており,我々の通る予定の国境ポイントが閉鎖になる可能性があり,その際はこちらを抜ける予定にしているため,その情報収集ということらしい.今現在は快晴の青空が広がっているのだが,これから崩れるということなのだろうか(やや不安になる).

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(左写真7) チリ国境に向かう線路を渡る,(右同8) オヤグエの国境

 ともかく国境ポイントを確認してきた道を引き返す.しばらく走ってトイレ休憩となる.ちなみに国境にはトイレがないので,ここがボリビア側最後のトイレとのこと.見ると大きな山がそびえている.これがボリビア・チリ国境にあるオヤグエ火山であった(うっすらと噴煙が上がっていた).

P6130234 (写真9) 国境近くの休憩スポット(後方がオヤグエ火山)

 その後しばらく進み,右に折れて細い道に入る.いよいよここから宝石の道である.ワクワクする瞬間だ.宝石の道は一部サイクリストにも人気の場所だが,このルートは道として整備されているわけではなく,観光用の4駆がたくさん走っているうちに道になったというところである.そのため轍や凸凹が多く,自転車の走行には極めて厳しい環境となっている(だからこそ,ここを走りたいと言う人も多いのかもしれない).入ってさっそくアップダウンの激しい悪路だった.さすがのランクルも15~20km/時しか出せない環境である.少し進んだところで1台の4駆が止まっている.何かトラブルでもあったのかと,ドライバーが声掛けしたが,大したことはないらしい.いずれにせよこんな辺境地区で何かあったら大変である.

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(写真10) 山が綺麗です

 悪路地帯を抜けるとしばらくは平坦になり,一転してスピードが出せるようになる.ここで今回の旅行用に導入したスマホの登山アプリを起動させる.オフラインでも標高と緯度経度を表示させられる優れものだ.さっそく標高を見ると,

 4229メートル!

Img_0648 (写真11) 登山アプリ

 あっさり4000メートルを越えているではないか.かなり酸素が薄いはずだが,気持ちが昂ているのか具合悪さは全くないのだった.

 そんな山道を進んでいくうちに前方に大きな湖が姿を現した.ここが宝石の道最北部の湖,カニャパ湖(Laguna Kanapa)である.真っ青な湖面と対岸の雪山とのコントラストが素晴らしい! 周辺は枯れ草が生い茂り,地面を踏んだ感触がぶよぶよしてツンドラチックだった.

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(左写真12) カニャパ湖,(右同13) 記念撮影

 天気は晴れなのだが,寒い ( ;∀;).湖面にはたくさんの鳥の姿が見えた.噂ではフラミンゴもいるという話だったが,この日は幼体が1羽いるだけだった.時折鳥たちが飛んだり着水したりしているのだが,この日は一部の湖面が凍っており,運悪くそこに着水しようとした鳥が滑って転びそうになっていた(笑).

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(左写真14) 鴎の間に1羽のフラミンゴの幼鳥が…,(右同15) 一部凍っています

 20分ほど見学してカニャパ湖を後にする.そこから15分ほど行ったところに,この日2つ目の湖であるエディオンダ湖(Laguna Hedionda)がある.ここは宝石の道北部の観光拠点になっているらしく,湖畔にはホテルなどの設備がある(我々は利用しなかったが有料WiFiスポットもある).ちょうどお昼時なので我々もここでランチである.準備ができるまで湖畔の散策をするのだが,さ,寒~い.気温に加えて,宝石の道名物「昼からの西風」が吹き始めたため,体感温度はさらに低くなっている.

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(左写真16) エディオンダ湖,(右同17) 湖畔のホテル

 ただ,ここにはカニャパ湖では見かけなかったフラミンゴの姿が見られた(脚が赤いのでコバシフラミンゴらしい).一般にフラミンゴは人間の近くには寄ってこないので望遠でないと撮影が難しいのだが,ここの個体はあまり気にしないらしく,結構写真が撮りやすかった.

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(左写真18) フラミンゴの群れ,(右同19) 意外に近くにいます

 準備ができたので昼食のレストランへ.とはってもレストランはスペースを貸すだけなので,食材は持ち込み品である(壁に100ボリの表記があったがおそらく賃料と思われる.まあ風がしのげるだけでもうれしい).この日は野菜とチーズ,ハム,黒パンだった.ジュースは白濁タイプのリンゴジュース,海外では珍しい.

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(左写真19) WiFIスポット,(右同20) 昼食会場

 食事後はトイレを済ませて(もちろん有料だが環境は悪くない)出発となる.ちなみにエディオンダ湖周辺には立小便禁止の看板がたくさん立っている.こういうものがあるということは,逆に言えばそういうことをする人が多いということなんだろうなと思った.

P6140314 (写真21) リャマの群れ

 約15分ほどで次の湖,チアルコタ湖(Laguna Charkota)に至る(途中リャマの群れに遭遇).チアルコタとは現地の言葉で黒い岩という意味だそうである.そういわれてみると,周辺には黒い岩がゴロゴロ転がっていた.ここにはあまり鳥はいなかった.

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(左写真22) チアルコタ湖,(右同23) そういえば黒い岩があります

 チアルコタ湖を後にすると,周辺は平らな平原が広がっていた.せっかくだからと車を降りて記念撮影,地球外のどこかの惑星なんじゃないかという感じの光景である.そうこうしてたらキツネの姿が見られた.こうした高原地帯を走りしばらく行くと,この日最後の湖オンダ湖(Laguna Honda)に到着する.綴りのイメージから自動車会社を連想させるが,これまた現地語で深いという意味なんだそう.どうやらこの湖は深いらしい.ここも寒さのために湖面の一部が凍り付いていた(ここにもあまり鳥がいない).

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(左写真24) オンダ湖,(右同25) キツネがいます

 オンダ湖に別れを告げ,再び宝石の道を進む.しばらくはシロリと呼ばれる砂漠地帯を走る.この辺りはもうどこが道路なのかわからず,一面どこでも好きなところを走れる感じだ.見ると2台の四駆が土埃を挙げながら縦走している光景が… 自分が子供の頃に見た朝の情報番組「おはよう720」内のコーナー”キャラバンⅡ”を思い出した.

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(左写真26) キャラバン隊のよう,(右同27) この日の最高地点

 その後も砂漠地帯を疾走しながら徐々に標高を上げていく.アプリを起動させると,4500メートル,4600メートルと次々に自己最高記録を更新し,とうとう4705メートルに達した.富士山よりも1000メートルも高いところを今自分が走っているんだと考えると感慨もひとしおである(アドレナリンが出過ぎているのか,まったく具合は悪くない).

Img_0701 (写真28) ついに標高4700メートル越え!

 この辺りから雲が広がり始め,やがて雪が舞い始めた.ドライバーもやや速度を落として慎重に進んでいく.どうやら4700メートルがピークらしく,その後は徐々に高度を下げていった.しばらく進んでいくと,石の標識があり,ここから西に折れて少し進むと久しぶりの人工物が見えてきた.このがこの日の宿泊先,ホテル・タイカ・デル・デシエルトである.

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(左写真29) 雪が積もっています,(右同30) この日宿泊のホテル

 名前にタイカ(Tayka)とある通り,昨夜泊まったホテルと同系列である.石組みの山荘風なのも一緒だった.周辺には村など人の気配がするものは全くない.本当に何もないところにホテルのみがあるといった感じだ.通勤も不可能と思われるので,従業員は住み込みだと思われる.

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(左写真31) 客室です,(右同32) 洗面台は一段高いところにある

 フロントでチェックインをしてカギをもらう.時計を見たらまだ午後3時だった(かなり順調にやってきたことになる).部屋はツインで山荘風にしてはやや広い印象だ.もちろんシャワー・トイレ付なのだが,なぜか客室から段を上がらないと行けない造りになっている.トイレに行こうと段を上った瞬間,クラっとめまいがした.そう,少し下ってきたとはいえ,このホテル,なんと標高4500メートルにあるのだ.深呼吸しながらでないとトイレにも行けないのだ(笑).部屋に入ったらまずすることは充電だ.デジカメの方は極力写真のチェックはせずに来ているので,コンデジは4本のバッテリーのうち2つ目を使い始めたところ,ミラーレスの方も4本のうち1本目が間もなく切れそうな段階とこの先まだまだ大丈夫である.スマホとタブレットを確実に充電しておくことにする.ちなみにこのホテル,こんな辺境地区にも関わらず無料WiFiがあった! 速度はかなり遅いのだが,とりあえず外部の情報を入手することはできるわけだ.

 それにしても,寒い!

 昨日のホテルも寒かったが,まだ夕方4時前だというのにとにかく寒い.まあ昨日よりさらに標高が高いのだから当然といえば当然だが,夕方でこんな感じなんだから夜中はどうなるのか… ( ;∀;).もちろん暖房はあるはずだが,ひねってもうんともすんとも言わない.もしかして壊れているのかと思い,フロントに告げると「大丈夫,5時になれば入るから問題ない」との返事.どこがどう問題ないのかはわからないが,ともかく5時まで我慢しなければならないことは確実らしい.仕方ないので,ベッドに潜り込んで待つことにした(あまりに暇なのでタブレットでメールチェックなどをした).

 5時になり,予告通り暖房が入り始めた.周辺が徐々に温まり始めたのだが,これで夜中を乗り切れるのか不安になるレベルだ.シャワーも昨日と同じで早い段階に浴びておかないとお湯が尽きる可能性があるのだが,寒いのでそんな気分にもならないのだった.

P6140380 (写真33) レストラン

 そのまま部屋でうだうだしていているうちに日が暮れて周囲は夜になった.7時になり夕食のためにレストランに向かう.造りは昨日のホテルと同じような感じで窓が大きかった.この日のメニューはキヌアスープ,牛肉のコースである.ワインであるが,自分は平気だったが,Kがちょっと具合が悪そうだったので,白のハーフボトルで我慢することに(笑).それにしても標高4500メートルでも平気でワインを飲んでる自分の成長が嬉しかった(もっとも周囲を見渡すと,ほかのお客さんはみなフルボトルを平気で空けている.みんな元気なのか,元気な人しかここには来られないのか,おそらく後者だろう 笑).それにしてもこんな辺境でこうしたきちんとした夕食が摂れるホテルとして,ここは世界でも稀有な場所のひとつじゃないかと思ったのだった(少なくとも世界最高所にあるまともなホテルだろう).

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(左写真34) 前菜のキヌアスープ,(右同35) この日のメインはビーフ

 そんな夕食の席上,ガイドさんからビッグニュースがあった.なんと我々のスーツケースがウユニの空港からこちらに向かっているというのだ! 昨日あたりの噂だと,チリのアタカマに行ってから受け取れるんじゃないかという話だったのだが,なんとここまで届けてくれるというのだ!(帰国後わかったのだが,このまま国境を越えてしまうと,荷物も再度国境越えが必要になり逆に面倒なことになるため,旅行会社の方で車をチャーターしてくれたらしい 感謝である).一気にテンションが上がる我々だった.

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(写真36) 荷物が届き感極まりました(笑)

 夕食後部屋に戻り少ししたら,本当に荷物が届いたのである.今回の旅行でホッとした瞬間が3回あったのだが,その2回目がこの晩だった(1回目はラパスから離陸できたとき).さっそく荷物を開けて着替えや防寒具を出したことは言うまでもない(まさに息を吹き返したという感じ).夕方はテンションが下がって今晩はシャワーは無しにしようかなどと言っていのが嘘のように元気になりシャワーも浴びたのだった(さらにこの日のホテルはお湯の温度も十分で快適だった).また暖房も昨日のホテルに比べると強力で,この頃にはだいぶ過ごしやすくなっていた.

 こうしてロストバゲージから解放され,久しぶりに安心して眠りについたのだった.

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2018年9月13日 (木)

学術講演会

 今夜は東京御茶ノ水に出かけてきました.東京ガーデンパレスで開催された学術講演会に参加するためです.東京に繰り出す機会は多いんですが,学術関係で出るのは久しぶりなのでちょっとワクワクしました (^^)v

Img_4040  内容はポンぺ病の話題,一般の方にはなじみがない病気だと思いますが,グリコーゲンを分解するライソゾーム内酵素である酸性αグルコシダーゼの欠損または活性低下により引き起こされる疾患です.細胞内(とりわけ筋細胞)に分解されないグリコーゲンが蓄積することにより筋細胞が損傷をうけ,結果として筋力低下をきたします.常染色体劣性遺伝による難病ですが,今世紀初頭に酵素補充療法が確立され,劇的に予後が改善した疾患でもあります.

 一般に遺伝性の筋疾患というのは特異的な治療法がない(筋ジストロフィーなど)ものがほとんどです.そうしたなかにあってこのポンぺ病は数少ない治療可能な疾患ですから,いかに見逃さないかが重要となります.今回の講演では当初他の疾患と思われていたのが,検査によりポンぺ病と診断できた症例の発表もありました.特別講演は韓国のYonsei University(延世大学校)のYoung-Chul Choi教授による彼の地におけるポンぺ病のスクリーニングや診断の話題でした.発表は英語だったんですが,映画やドラマよりもこうした学術的な英語の方が理解できてしまうのは,言い回しがシンプルで耳に入ってきやすいからなんだろうと思いました(笑).

 ともかく,久しぶりにアカデミックな夜でした.

 

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2018年9月 8日 (土)

時計のバンド

 自分が使用している腕時計,10年ほど前にクレジットカードのポイントと交換したものです.もちろん有名ブランド品などではなく,何の変哲もない一品です.

 ただこの時計,ソーラー充電&電波時計ということで,手入れいらず,ものぐさな自分にはぴったりだということでずっと愛用しています.

Img_0995 Img_0996 (写真1) 交換前の様子,表向きは新旧変わりないように見えますが…(右同2) こうして裏側を見るとかなりヘタっているのがわかります

 が,唯一の欠点がバンドの交換です.現在使用している革のバンドは,だいたい1年もするとヘタって駄目になってしまいます.金属バンドを使えばもっと長持ちするんですが,自分の場合金属バンドを着けると痒くなってしまうのでダメなのです.

 そんなわけで,1年に1回,だいたい秋ごろに交換しているんですが,今年は今日の午前中に交換作業をすることに.古いバンドを外して,代わりに新しいのを取り付けるんですが,部品が細かいので,老眼が入りだした私の目にはちょっと厳しいものがありました.それでもなんとか完了,これから1年この時計にはまだまだ頑張ってもらいたいものです.

Img_0997 (写真3) 交換完了!

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2018年9月 7日 (金)

プッチーニ「三部作」

Img204  9月になりました.自分にとって8月はひたすら耐える月(笑)というイメージだったんですが,9月は一転して活動的になる季節です.

 そんな9月最初のイベントとして,昨夜東京二期会オペラ プッチーニ「三部作」を観劇してきました.会場は初台の新国立劇場です.二期会オペラというと,いつもは上野の東京文化会館のイメージが強いんですが,実は現在ローマ歌劇場が来日中で,上野はそっちで使っているため,こちらに回ってきたもののようでした.

 プッチーニの三部作は,「外套」,「修道女アンジェリカ」,「ジャンニ・スキッキ」のそれぞれ1幕物のオペラ3作から構成されるもので,イメージの異なる3作品の組み合わせはダンテの神曲(「地獄編」,「煉獄編」,「天国編」)に影響されたともいわれています.社会の底辺を生きる人々の愛や欲望を赤裸々に描くというヴェリズモ的作品(レオンカヴァッロの「道化師」やマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」などの系統)の「外套」,登場人物がすべて女声で修道女の贖罪と奇蹟の物語である「修道女アンジェリカ」,皮肉な喜劇である「ジャンニ・スキッキ」という具合に性格の全く異なる3作品を一晩で上演するのが肝であり,プッチーニ自身が望んだものです.

 メトロポリタン歌劇場での1918年の初演は,そうした作曲家の意図に従って上演されたものの,ほどなく3作同時上演のスタイルは崩れ,現在では「外套」と「修道女アンジェリカ」(特に後者)の上演頻度は低く,もっぱら最後の「ジャンニ・スキッキ」のみが,他の1幕物のオペラ(「道化師」や「カヴァレリア~」など)と組み合わせで上演されることがもっぱらになっています.

 今回はそんな3部作が本来の形で上演される珍しい機会ということで楽しみにしていたのでした.まだ公演は続いているのでネタバレ的なことはしませんが,ダミアーノ・ミキエレットによる3つの異なる作品を1本の線で繋げる演出はなかなか見ごたえがありました.

 終演後は劇場のレストランへ.ワインとパスタを堪能したのでした.

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2018年8月31日 (金)

8月の終わりに

 久しぶりの投稿になります.例年8月は1年のうちで自分がもっとも活動しない月なんですが,今年もその例にもれずほとんど活動らしい活動がありませんでした.自分が参加したイベントとしては4日の中央寮歌祭のみ,コンサートも19日に学生時代からの仲間が多く参加している仙台宗教音楽合唱団のコンサートに出かけただけでした(この仙台行きが今月唯一自宅から100キロ以上移動したイベント).

 そんな8月の終わり,自宅のポストをのぞいたら1通の封書が…

Img_3942  見たら来月30日に行われる,しながわ宿場まつりの案内封書でした.

 毎年参加を心掛けている(?)秋の定番イベントですが,昨年は旅行計画との兼ね合いで残念ながら不参加となったため,2年ぶりの参加となります.扮装系イベントですが,改まったパレードはちょっとだけで,時代扮装をして商店街を散策し,当時の宿場の雰囲気を醸し出すというのが主眼のお祭りです.当然アルコールもOKということで,そのゆる~い雰囲気はまさに自分のためにあるような(笑)イベントとなります.

Img_3940  ことしはウチのKともども旅姿役で参加することにしました(宿場を旅姿なので,ある意味もっともふさわしいいで立ちというウワサ).毎年ここでだけお目にかかる常連さんとの触れ合いも楽しみです.参加の方々よろしくお願いいたします.

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2018年8月14日 (火)

忘れ物

 世間はお盆に入っているわけですが,なんの関係もないかのように通常業務に邁進している自分です.昨日は夕方まで自分のところの業務を行い,そのあと沼津市の病院に応援当直に出かけていました.

 で,今朝こっちに戻ってきたんですが… 

 iPad Proを忘れ物をしてきたことに気づきました.

 世界の果て,アフリカの喜望峰やアンデスのアルティプラーノに行くときも私と行動を共にしている相棒です(笑).次に先方の病院に行くのはまだ先のことなので,今日の夕方取りに行くことにしました.

Photo  で,せっかく沼津まで行くのだから,そのまま帰るのはもったいないというわけで,駅前の沼津魚がし鮨に行ってきました(お盆シーズンということもあってかなり混んでいた).

 久しぶりのお寿司屋さんだったんですが,やっぱり魚と日本酒の組み合わせは最高だな!と実感したのでした(8月の数少ない活動だ 笑).

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2018年8月13日 (月)

ボリビア&チリ旅行記⑤

 6月の旅行から間もなく2か月,しばらく中断していたボリビア&チリ旅行記を再開します.今回はウユニ塩湖編その2です.

 ウユニ塩湖での一夜が明け6月12日になった.この日も前日に引き続きウユニ塩湖の観光となるのだが,スタートはゆっくりである.これは今回はウユニ塩湖の観光はメインでないというのと,ロストバゲージとなった我々のためにガイドさんが街で下着やその他(特にウチのKのコンタクトレンズ洗浄用の生理食塩水)を購入してきてくれることになったからだ.

 ゆっくりでいいとはわかっているが,体内時計はそれとは関係なく動いているのか,この日も朝5時に目が覚めた.しばらくウダウダしているうちに夜明けを迎える.7時30分ごろに朝食にするためにレストランへ.今はシーズンではないのか客の数は少なめだった.メニューは一般的なビュッフェ,夕食もそうだったがあまり特徴がない感じだ(ただしここボリビアでは特徴がないというのは食事のレベルは高いということを意味する).飲み物はこの日ももちろんコカ茶である.

P6130216 (写真1) ロビーでくつろぐ

 朝食の後は部屋に戻り,何もせずに休息.考えてみたら9日の出発以来,ラパス到着の遅れ,ロストバゲージ騒動があって,さらに昨朝は4時起きと休む暇もなく活動していたわけだから,ここでゆったりと疲れをとるのも悪くないなと思った.

 待ち合わせの時間が近づいてきたためロビーへ,チェックアウトを済ませてソファで待機する.外を見るとちょうど1台の4WDが出発していくところだった.その後しばらくして我々の車も到着,いよいよ出発となる.この日の予定は最初にコルチャニ村で博物館の見学,その後塩湖内に入ってインカワシ島の観光,その後ネタ写真タイムをはさんで塩湖の南岸を抜けて次の宿泊地サンペドロ・デ・ケメスに向かう流れである.

 ホテルを出発してまずはコルチャニ村へ.向かった先はMUSEO DE LA LLAMA Y LA SAL(日本語に訳すとリャマと塩の博物館であろうか),2015年に来た時には入った記憶のない場所だ.ここは「地元の人たちがリャマと塩をどのように利用しているか」をテーマにして紹介展示している博物館だ.リャマや塩の利用がジオラマ(のようなもの)で表現されているコーナーもあるのだが,日本だと結構精密なジオラマが展示されていて見入ってしまうことがあるが,ここのジオラマはその辺で売っているおもちゃを適当に組み合わせた感じで,リアリティが全くないのが逆に面白かった.

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(左写真2) リャマと塩の博物館,(右同3) なんか惹かれるチャチなジオラマ(笑)

 博物館の見学が終わると,続いて塩湖に入っていく.この日はまず三角錐に盛られた塩山が並ぶスポットへ(スペイン語ではMontones de sal=塩の山というらしい).これは採掘された塩を乾燥させるためのものなのだが,その独特の景観も相まって,ウユニを扱った本には必ず登場する有名スポットとなっている.この日も多くの観光客が記念写真を撮っていた(一般にウユニ塩湖では他のグループが写真に写りこまないように,運転手やガイドが場所選びをするのだが,このスポットだけはそうもいかないらしい.

P6130101 P6130105 (左写真4) 塩の山は今回のボリビアで一番他の観光客を目撃したスポットかも,(右同5) 記念撮影

 塩の山を後にして,我々の車は今度は西へひた走る.目的地は塩湖の中ほどにあるインカワシ島である.島と名付けられているのは,塩の湖に浮かぶ島だからだ.ウユニ塩湖は全体での標高差が数十センチと,ほぼまっ平なのであるが,湖内に何か所かこうした島が点在している.インカワシ島はそうした島の中でもっともよく知られた場所である(なお,一部ではインカワシ島を別名魚の島(Isla pescado)と記しているものがあるが,魚の島はインカワシ島から少し離れた場所にある別の島である).雨季の水が多い時期には訪問が困難な場所だが,乾季のこの時期は時速100キロで突っ走れるので問題はない.

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(左写真6) インカワシ島の島影が,(右同7) ようやく到着

 しばらく走っているうちに前方に島影が見えてくる.「おっ!そろそろか」と思わせるが,大平原で遠近感がマヒしているので,実はここから距離がある.それでも徐々に島影が大きくなり,その全貌が見えてきた.インカワシ島は横から見るとなんとなく前方後円墳を彷彿させる形状で,島全体に巨大なサボテンがニョキニョキ生えている.車はそんな島を回り込むようにして上陸ポイントに入っていった.

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(写真8) ウユニ塩湖内にはこうした島がいくつもある

 さすがに有名な場所なので上陸ポイントには結構多くの車がいる.我々もここから島に入っていく.まずは受付を済ませて,その次にトイレへ.昨日のプラヤブランカよりもさらに辺鄙な場所なので,トイレ環境はどうなんだろうと思ったが,予想以上に普通で安心した.

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(左写真9) 受付&トイレ棟,(右同10) 上陸ポイント

 ここでガイドさんから案内があった.インカワシ島にやってきたが,頂上まで登るかどうかはオプションだとのこと.塩湖自体が標高3700メートルであり,そこからさらに30分近い山登りは体力的にもきついので,どうするかは我々の判断に任せるということだった.せっかくここまで来たのだから,登らないという選択肢があるはずもなく,二つ返事で「登ります」と答える.すると今度はレストランの方を指さし,先に昼食を済ませてから登るか?それとも登ってきた後で昼食にするか?とのこと.これに関しては文句なしに後者を選択した.食事後の山登りは胃腸に血液が集まるため非常にきつくなることをかつてマチュピチュで実体験していたからだ(このように過去の教訓を生かしている我々である 笑).

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(左写真11) 珊瑚性の岩がありここがかつて海の中だったことがわかる,(右同12) 振り向けば絶景!

P6130138_2 (写真13) 巨大なサボテン!

 そんなわけで,さっそくインカワシ島の山頂目指して登り始める.標高3700メートルは地上に比べて酸素濃度は約6割である.高地3日目ということで少しは順応しているはずだが,やっぱり息切れするので休み休み登っていく.周囲には巨大なサボテンがたくさん生えている.車から見たときはあまり感じなかったが,とにかくデカい! この地のサボテンの成長速度は1年に1センチ程度だそうだが,優に10メートルは越えているような個体もある(ということは1000年以上生きていることか).登山道には珊瑚性の岩があちこちにみられる.これは太古の昔,ここが海だった証拠であり,改めて大自然の偉大さを感じた.

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(左写真14) 山頂にて,(右同15) 向こうに見えるが魚の島(Iala Pescado)

 そんな登山道を登ること20分,ようやく山頂に到着した.そしてここからの眺めの素晴らしいこと! 地平線の果てまで広がる一面の塩,塩,塩,雪原または雲海を彷彿させる光景である.まさにウユニ塩湖を独り占めという感動を味わったのだった.

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(写真16) 山頂にあった祭壇のようなもの

 しばし山頂の景色を堪能したのち下山の時間となった.山頂付近は一方通行になっているため,帰路は往路とは異なる風景が楽しめる.途中で道が二股になっているところがあり,ガイドさんがこっちは楽なコース,あっちはハードなコースと言ってたので,「なるほど,じゃあ我々は楽な方に行くんだな」と思ってたら,どんどんハードコースに入っていくではないか(笑),仕方ないのでそのままついていったが,たしかにちょっとハードだけど珊瑚の門と呼ばれる天然のアーチなど変わった景色が見られたので良しとしよう.

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(左写真17) 珊瑚の門,(右同18) 門から塩湖を望む記念撮影

 そのまま下って行ったら,一人の白人のおじさんが崖の方をじっと観察していた.我々が近づいていくと,「静かに」というようなジェスチャーをしている.何だろうとその方向を見てみたら,なんと!ビスカーチャが佇んでいた.耳が長いのでウサギの間違われるが,実はネズミに近い動物である(チンチラの親戚).天然物が見られてちょっと感動である.

P6130156 (写真19) ビスカーチャの姿が!

 下山した後は麓のレストランで昼食,さすがに登山の後でおなかが空いている.この日はインカワシ島レストランの名物リャマステーキ,脂身の少ない牛肉といった味わいで美味しかった(前菜は野菜のスープ,デザートはやたら甘いイチゴゼリー).ちなみにリャマの肉は高タンパク低カロリーなのでヘルシーだそうだ.

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(左写真20) 島のレストラン,(右同21) 名物リャマステーキ

P6130257(写真22) 名残惜しいがインカワシを後に

 昼食後インカワシ島を後にして再び塩湖を突っ走る.乾季のウユニ塩湖といえば真っ白い大地に六角形の亀の甲のような文様であるが,コルチャニ村付近など塩湖の東側は車に踏みつけられているため,なかなかきれいな文様にはお目にかかれない.しかしインカワシ付近など奥の方はやってくる観光客も少なく,きれいな文様が見ることができた.そんなウユニ塩湖の奥深くを走りながら,周辺に何もないところで停車,ここでネタ写真の撮影タイムとなる.

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P6130122 (左写真23) きれいな塩の文様,(右同24) ウユニ塩湖お決まりのジャンプ

 3年前にもいろいろ写真を撮って遊んだ自分,今回もジークフリート対ファーフナーなんていうネタを考えて準備していたのだが,ロストバゲージのために残念ながらそれらはすべてボツになってしまった.というわけで今回はあまりアイテムを使わずにできるネタ写真に挑戦,ガイドさんに促されるままにいろんな写真を撮りまくった.

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P6130172 P6130178 P6130186 P6130181 P6130184 (写真25~33) ネタ写の数々

 ネタ写の後は車に乗りそのまま塩湖を南下していく.徐々に前方に山が見えてきた.あそこが塩湖の南岸ということになる.それまで真っ白い大地だったのがあっという間に茶色に変わる.ウユニ塩湖とお別れかと寂しく思うと同時に,これから待ち受ける高地帯への期待が膨らんでくるのだった.

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(左写真34) まもなく塩湖の終わり,(右同35) あっという間に地面は茶色に

 塩湖を抜けてしばらくは南岸の山沿いを走行する.この辺は完全にオフロードだ.我々のランクルは土煙を上げながらそんな大地をひた走った.30分ほどで遺跡のような場所に到着した.ここが銀河の洞窟(Cueva de las Galaxias)悪魔の洞窟(Cueva del Diablo)と呼ばれる,名前の通り2つの洞窟が並んでいるスポットだ.地球の歩き方など一般のガイドブックには載っていない場所のためか,この時駐車場には誰もいなかった.

P6130281 P6130282 (左写真36) 日本ではあまり知られていない観光スポット,(右同37) まずは銀河の洞窟へ

 車を降りて受付を済ませてまずは銀河の洞窟に入った.ここは2003年8月22日にNemecio CopacとPelagio Huaytaという2人の地元の人間によって発見された洞窟である.太古の昔ここが海だった時代に火山活動で噴出した溶岩が海水によって冷やされてできた地層といわれ,鍾乳洞のようである.洞窟の天井岩に混在している水晶がきらきら光る様子から銀河の洞窟と名付けられたと思われた.発見者の2人は本来は宝探しをしていたらしい.

P6130283 P6130286 (左写真38) 銀河の洞窟の案内,(右同39) 鍾乳洞のようです

 続いてはその隣にある悪魔の洞窟へ.こちらは一転しておどろおどろしい名前であるが,昨日訪問したトゥヌパ山と同様数多くのミイラが安置された洞窟となっている.トゥヌパ山の方はミイラと人間が同居した住居だったが,こちらは墓地だったようで,安置されたミイラを小さな穴から見ることができた.このミイラの人々がどのような文明の人たちであったのかはわかっていないが,なんとも厳かな気分になる場所だった

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(左写真40) 悪魔の洞窟,(右同41) 十字架はもちろん発見後に置かれたもの

P6130289 P6130291 (左写真42) 骸骨が!,(右同43) お墓のようです

 2つの洞窟の見学が終えて車に乗り込み,そのまま南下していく.周辺には荒涼としたアルティプラーノの大地が広がっており,時々ビクーニャの群れに遭遇したりする.約1時間でこの日の宿泊地サン・ペドロ・デ・ケメスに到着した.

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(左写真44) アルティプラーノの荒野,(右同45) ビクーニャの群れ

 ここは人口100人程度のごく小さな村であるが,19世のチリとボリビアの戦争時には最前線となった場所であり,ボリビア人ならだれでも知っている村らしい.ここにあるホテル・タイカ・デ・ピエドラがこの日の滞在先となる.

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(左写真46) ホテル・タイカ・ピエドラ,(右同47) 山荘風のフロント

 見た感じは山荘風,フロントやロビーも質素だがいい感じを醸し出していた.村があるとはいえかなりの辺境地区であり,電気は自家発電,お湯は太陽光を利用して昼間の間に貯めておいたものを使うというスタイルである.そのためシャワーのお湯は夕方から夜にかけてしか出ないとのことだった(溜まっている分がなくなったらお終い).部屋に入ると山荘風の部屋であるが,なんか寒い.一応ヒーターが付いているのだがあまり威力はないようだ.このまま夜になるとシャワーを浴びること自体が試練になりそうなので,夕食前にさっさと利用することにした.

P6130305 (写真48) 客室の様子

 一休みして18時過ぎから夕食となる.やっぱり山荘風のレストランでのコース料理だった.スープ,チキン,チョコムースのデザートという流れだが,メニュー選択の余地はない(まあこんな場所だから当然だが).飲み物としては例によって赤ワインを選択,思えば初めてのアンデスでクスコ(標高3000メートル)に入った時は用心してアルコールを飲まなかった我々が,標高3800メートルのホテルで平気でワインのフルボトルを開けるまで高地慣れしていることに感動を覚えた(夕食が終わるころに地元の人たちの踊りのパフォーマンスもあった).

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(左写真49) 夕食風景(我々の他ドライバーのモセスさんとガイドのアンドレアさん),(右同50) メイン料理のチキン

 食事後部屋に戻ったが,日が暮れたせいか一段と寒い! 結局この日は昼間の格好のまま就寝することになった(さらにエクストラ毛布を重ねた).

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2018年8月10日 (金)

小田原医師会合唱団第10回記念演奏会

 暑い日が続いていますが皆さんお変わりないでしょうか? 本日は演奏会の宣伝です.

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 私が所属している小田原医師会合唱団の第10回記念定期演奏会が,来る9月24日(振替休日の月曜日)に小田原市民会館大ホールにて行われます.

 今回のメインステージは10周年記念として大田桜子さんの委嘱作品,金子みすゞの詞による混声合唱組曲「みんなを好きに」を取り上げます.

 この合唱団は自分が当地に転勤してきたタイミングで結成された(されていた?)合唱団です.縁あって初練習から参加し続けています.当初は混声4部を成立させることすら難儀していたんですが(笑),指揮者の先生方の優しく忍耐強い指導と,団員の努力により気が付いたら10年も継続していたという感じです.

 良い演奏ができるよう団員一同頑張っておりますので,ぜひご来場くださいませ(そのほか,宗教曲のステージと過去の演奏会で思い出深い曲を集めたステージもあります).

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2018年8月 6日 (月)

中央寮歌祭2018

 気が付いたらあっというまに8月に突入していました.世間では夏休みシーズン真っ盛りの8月ですが,自分的には真逆で休みとは縁遠い月になります.それは職場の他のドクター(特に家族持ちのドクター)で夏休みをとる人が多いので,そのバックアップ要員として居残らなければならないからです.当然遠出することもありません(まあ,暑いから遠出するメンタリティにもなりませんが).

 そんなビザンチン皇帝が最も活動しない月,8月ですが,ほぼ唯一の例外が表題の中央寮歌祭です.これは2010年に第50回の節目をもって終了となった日本寮歌祭の流れをくむ寮歌祭のひとつとして2011年から始まったイベントです.かつては全国各地で行われていた寮歌祭ですが,近年は旧制高校を現役で過ごした方々の減少や高齢化が著しく,多くの寮歌祭が終了または規模縮小を余儀なくされています.そんな中でこの中央寮歌祭は旧制高校だけではなく,新制大学あるいは私学にも広く門戸を開いているのが特徴で,近年ではそうしたものに関心を持ってくださる若い方々の参加も増えています(他の寮歌祭に行くと圧倒的に若手の自分ですが,この中央寮歌祭では中堅どころのやや若い方という感じになります).

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(左写真1) 今年のプログラムの表紙,(右同2) 歌唱順

 中央寮歌祭は例年8月の第1土曜日に開催されます.今年は8月4日の土曜日,場所は2011年の初回から続く新宿の京王プラザホテルです.この日は朝8時半ごろに家を出て小田急に乗って新宿に向かいました.各地で猛暑が記録されている今年の夏ですが,この日は暑いとはいうものの,そこまで激しい暑さというわけではない印象でした.新宿駅西口からは徒歩で会場に向かいます.入って受付をして,その後は持参した和服に着替えて準備完了です.

Dsc_1944 (写真3) この日は和装です

 11時からいよいよプログラム開始,まずは主催者挨拶やこの1年間に故人となった方々への黙とうと続き,いよいよ寮歌高唱の時間です.北は北大予科から南は七高造士館,さらには台北や旅順といった外地までこの日のプログラムに掲載された学校は54校に及びました.これらは順番に歌っていくわけですが,公平を期すために毎年10校程度ずつずらされていくのがこの寮歌祭の特徴で,今年は陸軍士官学校から始まって,慶応義塾大予科で終わる流れでした(昨年は東京高等学校から始まって第一高等学校で終わる,一昨年は東亜同文書院から始まり第五高等学校で終わるパターン).

Img_0981 (写真4) 今年はお弁当でした

 中央寮歌祭は新宿の京王プラザという高級ホテルが会場である一方,参加費が全国他の寮歌祭とあまり変わらないという構造のため,出される料理が貧弱だといわれます.例年はポテチなどのスナックに始まり,中華系の料理が数品出てデザートはバナナというパターンだったんですが,今年はなんとお弁当でした! 思うに参加者の中には大皿から取り分けるという形式になじめない方もいるので,それならいっそ弁当の方がという議論になったものと思われます(今年の弁当は結構よかったので自分的にはこちらで賛成).

Img_0990 Img_0991 (左写真5) 第四高等学校,(右同6) 北大予科

 寮歌高唱は順調すぎるほど順調に進みました.かつてはこういうイベントになると,長々とあいさつをする方がいて司会役を困らせたものですが,そうした人たちが高齢化して長挨拶をする元気がなくなったのか,ここ数年はそうした事例は見かけなくなりました.一方で近年は若い参加者も増えていて,今年は近畿大学の若い人たちが全員スマホで歌詞を見ながら歌っていたんですが,こういうところに時代の流れを感じたのでした.

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2018年7月30日 (月)

バッハセミナー in 明日館

37945944_1844209382343085_216285682  台風12号の雨と風が吹き荒れた週末でしたが,日曜日にあたる7月29日は台風一過の良いお天気になりました.

 そんな日曜日は東京豊島区の自由学園明日館で開催されたバッハセミナー in 明日館の終了演奏会に行ってきました.

20597285_1593466947386414_269252317  このセミナーは声楽指導者&バッハ研究家である佐々木正利先生を講師にお招きして毎年夏に同地で開催されているものです.基本的にはバッハの宗教作品数曲を取り上げて4日間の集中した講習で仕上げ,最終日に終了演奏会の形で発表するという形になっています.

 自分自身も学生時代以来あちこちでお世話になっている先生ですが,例年セミナーの時期は休みを取るのが難しいこともあって講習には参加せず,最終日の演奏会のみ聴きに行くというのがパターンになっています.今年取り上げられた曲がマタイ受難曲BWV244の第2部でした.昨年が同作品の第1部だったので,その続きというわけです.参加者の中には学生時代の仲間もたくさんいました.

 この演奏会は合唱のみならず,ソリストもセミナー参加者が歌うのが定番です.レシタティーヴォは1曲丸々歌うこともありますが,アリアなどは曲を分割して数人で歌い継ぐことも多々あります.当然当時の仲間もエントリーして歌っていたんですが,中でも61番のイエスの死の場面では福音史家とイエスを歌ったのが自分の同期&1級上の先輩,学生時代集まってはマタイ受難曲やロ短調ミサなどのバッハ作品を聴きながらああでもない,こうでもないと語り合っていた仲間たちが,マタイの一番劇的な部分を歌っている光景にジーンと来てしまったのでした.

37938221_1844209395676417_724836002  昔の仲間たちの雄姿

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